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不器用な恋

2020年7月10日(金) 溝の口・オンライン「源氏の会」(第1回・通算141回)

梅雨前線の停滞で、豪雨による被害もいっそうひどくなっています。
被災地の方々は、降り続く雨にどんな思いで過ごしておられることか
と、心が痛みます。

加えて首都圏のコロナの感染者がここへ来て急増。今日の報告では
東京は243人、神奈川でも32人、となっています。1週間前のブログに
「東京で100人超え」と嘆いたばかりなのに・・・。ほぐれかけた気持ちが、
また縮こまってしまいました。

先月の2回のお試しミーティングを経て、溝の口の「第2金曜クラス」と
「湖月会」合同のオンライン希望者による第1回目の例会を行いました。

2月の通常の講読会で読んだ、第46帖「椎本」の続きです。

これまで父・八の宮に何もかも頼り切っていた姫君たち(大君と中の君)
にとって、父宮の急死後の心細さはこの上ないものでした。

そんな中、薫は度々の弔問の使者を遣わすだけではなく、自らも9月に、
そしてまた年の暮にも、宇治を訪れました。

今は父宮に替わって薫の応対をする大君に、薫はますます心惹かれ、
再訪の折に、大君に告白をします。その仕方が実に不器用で、自分の
思いを上手く伝えることが出来ず、逆に大君の気分を損ねるような結果
を招いてしまいます。

先ず薫は、匂宮が中の君に対して恋慕の情を募らせていることを持ち出し、
「よろしければ私が仲を取り持ちます」と言います。何も匂宮にかこつけて
遠回しに言うこともないのに、薫の言葉は大君が心を閉ざす方向へと導く
ばかりです。

「つららとぢ駒ふみしだく山川をしるべしがてらまづやわたらむ」(張っている
氷を馬が踏みしだく山中の川を、匂宮の案内をしながら、先ずは私が渡り
ましょう)、つまり、匂宮の案内よりも私が先にあなたと結ばれたい、との
意で、この歌で大君は完全に心を閉ざしてしまいました。

最後には「京の私の所に移り住みませんか」と提案して、中の君の顰蹙
まで買ってしまう有様でした。

女たらしの匂宮とは比べものにならない誠実な薫ですが、それだけに、
いつも不器用で、恋が空回りしてしまうのも薫です。読者からすると、
歯がゆくもあり、滑稽でさえあるのですが、一方で悲哀を感じさせられる
のが薫の恋です。

これから、大君、中の君、浮舟を相手に展開していく薫の恋の行方を、
ご一緒に読んでいきたいと思います。


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五ヶ月ぶりの講読会

2020年7月7日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算148回 統合98回)

九州地方に大きな被害をもたらした豪雨が、まだ断続的に降り続いて
いる中での今年の七夕となりました。

高座渋谷のクラスが前回例会を行ったのは、2月4日。新型コロナの
感染がニュースになり始めた頃でした。でもまだこの時は、こんなに
長く人々の生活を脅かすことになるとは思っていませんでした。

今日も東京での感染者は3桁です。とても気を緩めることの出来る
状態ではありませんが、6月まで閉館していた学習センターも、利用
制限付きで今月から開館したのに伴い、5ヶ月ぶりに高座渋谷へと
足を運びました。

今、会員数は11人ですが、今日の参加者は7人(私を加えて8人)。
24人が定員の部屋では利用の上限が8人となっており、ちょうど
範囲内に収まるので、との連絡を受けて再開を決めました。

教室に入る前に、手の消毒と、検温。部屋の中にもアルコール消毒液
が置いてあり、退出前に、使ったテーブルや椅子も消毒するように、
との指示がありました。

私もずっとマスクをしたまま話をしました。このクラスはもともと一人ずつ
順番に音読しているので、全員で声を出すこともなく、予定通りに例会を
終えることが出来ました。

肝心の講読内容ですが、今回から第37帖「横笛」に入りました。

女三の宮と柏木の話が終結し、次なる夕霧と落葉の宮の恋(といっても、
これも夕霧の一方的な恋慕ですが)の緩やかな進展が語られる巻です。

薫(柏木と女三の宮の不義の子)の順調な成長を示すエピソードが
語られる一方で、既に23、4歳になる女三の宮が、容姿はもとより、
いつまで経っても幼さの抜けない様子を伝えている箇所があります。

共に出家の身でありながら、朱雀院にとってはなお、女三の宮のことが
気掛かりでなりません。「私と同様に極楽浄土を願って仏道に励みなさい」
と書かれたお手紙が届き、それに対して女三の宮は、「私も父上と同じ
山寺に入りたい」と、頼りない筆跡でしたためた返事をなさったのです。
書き損じの紙を見た源氏が、「こんなことを書いては、ご心配なさって
いる父上に、余計心配をおかけするではないか」と、お諫めになりました。

「女三の宮は年を経ても幼稚なままで」と、直接記すわけではなく、
こうした有様を伝えることで、読者に「ああ、そうなのだ」と、自然と
分からせてしまう作者のいつもながらの見事な手法に、唸らされた
一場面でした。


今月の光琳かるた

2020年7月5日(日)

災禍は新型コロナだけにとどまらず、九州の熊本では球磨川が
豪雨のために氾濫して、甚大が被害が出ております。更なる雨も
心配されていますが、どうかこれ以上災害が広がりませんように。

7月も早5日です。「今月の光琳かるた」にどのかるたを選ぼうかと
思案していたところ(もうこの季節の歌は残っていません)、私が
訪問させていただいているブログのタイトルに、「そうだ」と思い
ついたのがこの歌です。

「住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」
                      十八番・藤原敏行朝臣
 DSCF4288.jpg
(住の江の岸に寄る波、その「よる」ではないが、「夜」に
 見る夢の中の通い路までも、あの人は人目を避けて
 逢ってはくださらないのであろうか)

第二句までは、「寄る」と同音の「夜」を導き出すための序詞で、
長い序詞の歌は訳し難いのですが、現実の人目があるところでは
言うまでもなく、誰の目も無いはずの夜の夢の中でまで、人目を
気にして逢いに来てくれない男を恨む、女の歌として詠まれて
います。「さへ」の語源は「添へ」で、添加を示す副助詞です。
「その上~までも」の意となります。

古へには、相手が自分のことを思っていると、その姿が夢の中に
現れる、と考えられていました。ですから夢にも現れてくれないのは、
相手の自分への愛が不足している証拠、ということにもなり、いっそう
嘆きが深まる要因ともなったのでありましょう。

小野小町も同趣の歌を詠んでいます。
「うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをよくと見るがわびしき」
(現実にはそうであろうが、夢の中までも人の目を避けていると
 思われるのが情けないことよ) (『古今集』・恋三・656)

作者藤原敏行には、皆がよく知っている名歌があります。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
(秋が来た、と目にははっきりと見えないけれど、ふと感じる風の音
に、ハッとさせられることですよ)(『古今集』・秋上・169)

こちらが『百人一首』に採られていたなら、藤原敏行の知名度は、
今よりも上がっていたのではないかと思われるのですが・・・。


「源氏物語のあらすじ」・・・第九帖「葵」(その5)

2020年7月3日(金)

何やら気忙しく過ごしているうちに、今年も後半に入って
しまいました。

前回ブログを更新した頃(1週間位前)までは、少し気持ちも
前向きになっていたのですが、昨日から東京での感染者が
100人を超え、また後退りの心境になりつつあります。

「源氏物語のあらすじ」は、本日分で、溝の口「紫の会」が講読
したところまで追いつきました。

全文訳の、2020年1月30日の「葵」(12)、2月10日の「葵」(13)
6月25日の「葵」(14)に該当する部分を、粗筋に纏めたものに
なります。

「源氏物語のあらすじ」・・・第九帖「葵」(その5)は⇨⇨こちらから


二歩目を踏み出す

2020年6月26日(金)

先日(23日)の4ヶ月ぶりの外食が、「コロナ禍の巣ごもり」から、
ちょっとだけ殻を破って踏み出した第一歩だったとすれば、今日
は二歩目を踏み出せたのかな、と思います。

受講生として参加している『栄花物語』の講読会が、5ヶ月ぶりに
再開となりました。「行こうか、行くまいか」と、ずっとハムレットの
心境でしたが、昨日オンライン組で読み終えたところを、会場組の
方々と読み終えない限り、溝の口の「紫の会」は先に進めませんし、
それなら、事前に一度会場の様子もこの目で見ておきたい、という
気持ちもあって、意を決して(大袈裟ですね)出掛けました。

田園都市線の電車に乗るのも4ヶ月ぶりです。往きは一番空いて
いるお昼過ぎの時間帯ということもあって、座席は一人置きに
座れる状態。全員マスクを着用し、喋っている人もいません。

殆ど不安を感じることなく溝の口に到着しました。会場の市民館は
マルイの上にありますが、エレベーターも利用制限を呼び掛けて
いるせいか、以前のように待っている人が大勢いることもなく、極
少人数で乗れました(私は膝を痛めているので、やはりエレベーター
を使いたいのです)。

本日参加の受講生は、12人中8人でした。先生を入れても9人。
50人入れる部屋ですので(今は25人以下に制限)、余裕です。
十分過ぎる程のソーシャルディスタンスが取れました。着席した後、
先ず持参したアルコール消毒綿で、手指を消毒し、おもむろに
テキストをバッグから取り出しました。

全員マスクを着用したまま、飲食は各自持参した飲み物のみ。
部屋の入り口の扉も開けてあり、不安要素は何もありません
でした。

心配した帰りの電車も、運よく溝の口から座れて、さすがに
一人置きではありませんでしたが、マスクをしていない人は無く、
喋っている人もいないのは、往きと同じでした。

コロナの前は、帰りの電車ではよく居眠りをしていましたが、
今日はやはりどこかで緊張していたのでしょう。眠気を感じる
ことなく、何となく身体に力が入ったまま、背筋を伸ばして座って
いました。

それでも、今日の第二歩目で、7月の状況が悪化していなければ、
「紫の会」の会場講読に私自身、気持ちを向けられそうな気がして
います。


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