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高座渋谷クラスの最終講読会

2023年11月7日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算175回 統合125回)

このクラスは2008年1月に始まった鶴間のクラスと、湘南台の
後発のクラスを2012年1月に統合し、中間地点の高座渋谷に
新たに出来た学習センターで、「源氏物語に親しむ会」として
スタートしたサークルです。

もう12年近くが経っていることに、今日のブログを書くにあたり、
記録ノートを見て気づきました。

このまま「宇治十帖」に入っても、講読を続けることは難しい方
が多くなり、ここで一区切りとすることにしましたが、完読には
至らなかったものの、本日第41帖「幻」を読み終え、第二部
(光源氏を主人公とした物語)の最後まで、無事に辿り着いて
の解散となりました。

折角なのでお別れ会をということになり、幹事さんが会場近くの
レストラン「vent sud」(ヴァン シュ)を予約して下さり、講読会
の前にランチをしました。

ここは、2020年の新年会を楽しんだレストランで、その時には、
まだコロナ禍が迫っているだなんて、夢にも思っていません
でした(⇒こちらから)。

その後は新年会どころではなく、例会も、殆ど休講にせざるを
得ない時期もありましたが、最終回に再びこうして皆で会食を
することが出来て、良かったと思います。

   IKOZAランチ①
     「源氏物語に親しむ会」の現メンバー全員で
     記念写真を。
     
13時30分の講読会開始の時間も近づき、レストランを後にして
会場へと向かいました。

前年の秋8月に亡くなった最愛の妻・紫の上を、追慕しながら
1年を送った源氏が、ずっと大事に取っていた須磨流謫の折に
紫の上から貰った手紙を焼き、いよいよ年明けには出家する
決意を固めたことが語られます。大晦日、源氏は最後の歌を
詠みます。

「もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世もけふや
尽きぬる」(物思いの中で、月日が経つのも気づかぬうちに、
この一年も、我が生涯も、今日で終わってしまうのであろうか)

源氏の「終活」、若い時にはあまり気にも留めずに読んでいた
のですが、この歳になると、考えさせられます。今も一番捨て
られないのが、手紙ではないでしょうか。

「幻」を読み終えた後、次の「匂兵部卿」の巻との間に、巻名
のみあって(通常は1帖として数えない)、本文のない「雲隠」
について少しお話をして、高座渋谷クラスの最終回といたし
ました。

この先、「宇治十帖」の講読を希望なさっておられる方もあり
ますので、新たな会として、場所も替え(溝の口の「紫の会」
からの参加希望者もあるので、高座渋谷迄では遠くなり過ぎ
てしまいます)、スタートさせることができれば、と考えており
ます。

長い間この会にご参加下さった皆さま、有難うございました。


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『長恨歌』に始まり『長恨歌』に終わる

2023年10月3日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算174回 統合124回)

10月に入った途端、猛暑からは解放されましたが、それでも
ブラウス1枚でちょうど良い、というのは、10月にしてはまだ
気温が高いのではないでしょうか。

来月で一応この会は解散となる予定ですが、その後別の場所
に移して「宇治十帖」を読み始めるかどうか、只今検討中です。

あと1回分を残しての今回は、第41帖「幻」の、源氏52歳の
5月から11月にかけての箇所を読みました。6月、7月、10月
と、『長恨歌』からの引用が目立つところでもあります。

6月は玄宗皇帝同様、源氏が池の蓮の盛りを、物思いに耽っ
て眺めています。「夕殿に蛍飛んで」と、『長恨歌』をそのまま
口ずさんでもおります。「七月七日」を取り上げているのも、
『長恨歌』の「七月七日長生殿」の部分を踏まえた上でのこと
でありましょう。

そして極めつけは11月、常世(仙郷)に通うとされる雁が、
空を渡って行くのを羨ましく見守りながら詠まれた歌です。
この巻の巻名「幻」も、ここから採られています。

「大空を通ふ幻夢にだに見え来ぬ魂の行方尋ねよ」(大空を
自由に翔ける幻術士よ、夢にさえ現れぬ紫の上の魂の行方
を尋ねておくれ)

これは、『長恨歌』で玄宗皇帝が、亡くなった楊貴妃を恋うて
夜も眠れず、遂には臨邛の方士に命じて楊貴妃の霊魂を探し
出させた話に基づくものです。

光源氏が誕生した第1帖「桐壺」は、亡き桐壺の更衣を忘れる
ことの出来ない桐壺帝に、玄宗皇帝の姿を重ねて描いた、
『長恨歌』のバリエーションのような巻で、ここでの源氏と殆ど
同じ意味合いの歌を桐壺帝も詠んでいます。

「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」
(亡き更衣の魂を尋ねる幻術士がいてほしい。人づてにでも
魂のありかをそこだと知ることができれば)

『長恨歌』に始まった『源氏物語』が、光源氏の物語の終焉を
迎えるに至って、再び『長恨歌』に沿って、源氏の紫の上に
対する追慕の情が綴られているのを見ると、「光源氏の物語」
は、『長恨歌』に始まって、ぐるっと一巡りして、最後はまた
『長恨歌』に終わる、と言うことができそうです。


花散里の歌の解釈

2023年9月5日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算173回 統合123回)

昨日はようやく猛暑日から解放され、エアコンを点けずに
過ごせましたが、たった一日だけで、今日はまた猛暑日と
なりました。9月に入ってもなお「猛暑日」だなんて、やはり
「地球沸騰化」が現実味を帯びてきていますね。

もともとさほど多い人数ではなく、ここ数年はずっと10名余
で『源氏物語』を読み進めてきた高座渋谷のクラスですが、
今年に入ってから故障者が続出。これまでは揃って第54帖
「夢浮橋」迄読むつもりでおりましたが、このままでは残った
5名ほどで「宇治十帖」に入っても、最後まで辿り着くのは
難しいのではないか、と思うようになりました。ちょうど今、
講読中の第41帖「幻」で第二部が終わり、区切りも良いと
いうことで、一応「幻」を読み終えたところ(おそらく11月)で、
解散することにいたしました。

前年の秋に亡くなった紫の上をひたすら追慕して過ごす
源氏の1年を描いた「幻」の巻ですが、今日は3月~5月に
かけてのところを読みました。

その中の4月ですが、4月の場面はとても短くて、花散里と
の歌の贈答のみです。

当時は、4月になれば夏となり、衣更えをします。花散里は、
源氏の夏の装束を仕立てて差し上げますが、それに添えら
れていた歌です。

「夏衣裁ちかへてける今日ばかりふるき思ひもすすみやは
せぬ」

この歌の「ふるき思ひ」を、誰に対する思いとするかによって、
解釈が異なって来ます。

テキストとして使っている「新潮日本古典集成」本の頭注に
よると、「夏衣を新しく仕立て下ろした今日くらいは、すっかり
昔のこととなりました私のこともお思い出しにならぬことが
ありましょうか」となっています。「やは」は反語ですから、
「きっと思い出してくださいましょう」という意になります。

控え目で、自己主張をすることの無い花散里にしては、
積極的過ぎる気がして、この解釈は今ひとつピンと来ない
のです。「ふるき思ひ」を紫の上のこととして解釈したらどう
なるでしょう。

「夏の衣を仕立てて更える今日こそ、これまで仕立てて
おられた亡き人(紫の上)をお偲びになるお気持ちも、
いっそう募られることでありましょう」という意になろうか、
と思われます。

花散里の性格からすれば、後者のほうが相応しい気が
するのですが、いかがでしょうか?


こんな無邪気な二人が・・・

2023年8月1日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算172回 統合122回)

昨夜(と言っても日付が替わってから)は、雷が鳴り始め、窓を
開け放して寝ることが出来なくなったので、窓は閉め切り、部屋
のドアを開け放して、居間のエアコンを28℃に設定した状態で
寝ました。

今朝は、昨日までのように快晴ではなく、幾分猛暑も収まって
いる感じはしましたが、お昼頃になると、雲行きが怪しくなって
来ました。それでも高座渋谷の学習センターに着くまでに雨が
降り出すことはありませんでした。

講読会を始めて間もなく、稲妻が走り、雷鳴が轟いて、物凄い
勢いで雨が降ってきました。その雷雨も、例会の終わる頃には
遠ざかっていましたから、とてもラッキーだったと思います。

その後は気温が急激に下がり、猛暑に慣れてしまったせいか、
肌寒さを感じるほどになりました。もう深夜ですが、涼しい風が
入って来て、今夜はエアコン要らずです。でも明日からはまた
猛暑復活だとか( ;∀;)

連続猛暑日が一転したせいで、前置きが長くなってしまいました
が、このクラスは『源氏物語』第二部の最終章・第41帖「幻」の
2回目、源氏52歳の2月から3月にかけての所を読みました。

明石中宮は宮中に帰参するにあたって、愛妻・紫の上を喪った
父親(源氏)の寂しさを思い遣り、三の宮(のちの匂宮)を源氏の
許に残しておかれました。

2月には紅梅を、3月には桜を、源氏は匂宮と共に愛で惜しみ、
二人で紫の上を追慕して過ごすのでした。

することもなく所在ないので、源氏は女三宮の許を訪れます。
若宮(匂宮)も、女房に抱かれて一緒にお出でになりました。

そして「こなたの若君と走り遊び、花惜しみたまふ心ばへども
深からず、いといはけなし」(こちらの若君(のちの薫)と走り
廻って、花が散るのを惜しむ気持ちなどたいしてなく、とても
無邪気でいらっしゃいます)と、源氏と、紫の上の残された桜
を前にした時は、「木の周りに御帳台を立てて風が吹き寄ら
ないようにしよう」などと言っていた匂宮も、幼い子ども同士で
遊ぶ楽しさに心奪われている状態であることを示しています。

この時匂宮6歳、薫5歳です。性格はまったく逆の二人ですが、
ずっと成人してからも無二の親友であり続けました。それが
浮舟という一人の女性を挟んで、長年の友情が破綻すること
になります。匂宮28歳、薫27歳になっていました。

今湘南台のクラスで読んでいる第52帖「蜻蛉」で、浮舟を巡り
心理戦を繰り広げる薫と匂宮の姿など、こんなに無邪気に走り
回って遊んでいる二人から想像するのは難しいですね。やはり
大河ドラマ『源氏物語』の妙味をかみしめる要因となる一場面
かと思うのです。


光源氏の物語・最終章「幻」の巻

2023年7月4日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算171回 統合121回)

『源氏物語』の54帖中、第1帖「桐壺」から第41帖「幻」迄が、
光源氏を主人公とした物語です。

高座渋谷のクラスは、今月からその最後となる「幻」の巻に
入りました。

この巻は、紫の上の亡くなった翌年の1月から12月までが、
まるで「月次絵」を見るかのように綴られています。源氏は
「君といた1月、君といた2月、君といた3月・・・」といった感じ
で、何をしても、誰と居ても、ただもう思い出すのは紫の上
のことばかりです。年末に、来年早々の源氏の出家を予感
させて、41帖に渡って語り続けられてきた光源氏の物語は
終焉を迎えます。

紫の上は前年の秋に亡くなりました。年が明け(源氏52歳)、
新春の光を見るにつけても、源氏の心は悲しみが募るばかり
です。紫の上が春を愛した人だっただけに、いっそう辛かった
のでありましょう。

六条院の女君たち(花散里や明石の上)の許へも行かず、
専ら紫の上に仕えていた女房たちを相手に、紫の上の
思い出に浸る源氏でした。

源氏が朝顔の君に熱心に言い寄っておられた時のこと、
女三宮が降嫁して来られた時のこと。当時は紫の上の
苦しい心の内を忖度することもなく、紫の上の自己犠牲に
甘えていた源氏でしたが、紫の上を喪って、初めてその
苦悩の一端を思い遣る、という皮肉な結果となったのです。

ここで朝顔の君への源氏の求愛、女三宮の降嫁などが
語られることで、読者も思い出します。朝顔の君が自分より
も格上なだけに、源氏が朝顔の君と結婚したら、外聞の
悪いことになろうと、紫の上が本当に辛く感じていたことを。
朝顔の君の結婚拒否で、この件は紫の上の杞憂に終わり
ましたが、それが現実となったのが女三宮の降嫁でした。
心の内では悶え苦しみながらも、源氏の前では何気なく
振舞う努力をしていた紫の上。それによって保たれていた
六条院の秩序と平和、などなど・・・。

「幻」は、源氏と共に、読者もまた紫の上を追想する巻に
なっているのだと思います。


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