文面と口上に分けた薫の意図
2023年9月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第246回)
昨日の新聞に、9月18日迄で、最高気温が30℃以上になった
日数は86日と記されていました。昨日も今日も30℃を超えた
ので、これで88日。明日もまだ思ったほど気温は下がらず、
30℃を超えそうです。1年のうちの約1/4を、30℃以上の暑さ
の中で過ごしたことなど、これまでには無かったはずです。
もし、来夏以降もこの状況が続くとしたら、耐えられるかな?
今年だけの異常な暑さ、と思いたいですね。
このクラスが講読中の第52帖「蜻蛉」、今日で前半を読み終え
ました。
浮舟の死の真相を知った薫は、京に戻ると、浮舟の母君に
弔問の使者を遣わします。使者に持たせた手紙には、真っ先
にお見舞いを申さねば、と思いながらも、浮舟の死に動揺して
遅くなってしまった事を詫び、このような無常な世ながら、生き
永らえていたら、「過ぎにし名残」(亡き浮舟の形見)と思って、
何かの折には、きっと私にお便りを下さい、と認めてありました。
さらに薫は、使者に口上で、「浮舟を宇治に置いたままだった
ことに、私の誠意が感じられなかったかもしれないが、今後も
浮舟を忘れることはないし、あなたも私を内々に忘れず頼って
くだされば、お子様方が朝廷に出仕なさるような時にも、必ず
力になりましょう」、と伝えさせたのでした。
薫が、後半部分を文面にしなかったのは、おそらく、後々、
手紙を証拠として突きつけ、見当違いな要求などをされては
困る、という思いがあったのでしょうが、その判断が誤って
いなかったことは、このあとの母君の行動からわかります。
母君は、薫からの使者を、「たいした穢れには触れていないの
だから」と、強引に家の中に入れ、帰り際には禄として、派手な
斑犀の帯(犀の角を加工して飾りにした石帯)などを与えました。
今なら、ブランド品のベルトを贈るようなもので、薫が「忍びて」
遣わしていることへの配慮に欠け、薫も「余計なことを」と思って
います。
薫は、浮舟を早くに京へ引き取っていれば死なせずに済んだ、
という自責の念から、こうした一族支援の申し出までしているの
ですが、母君は単純に喜び、夫の常陸介にも、初めて浮舟の
これまでのことを語り、浮舟が生きていれば、いっそう恩恵に
与ったであろう、と残念に思い、泣いているのです。
作者も、「実際に浮舟が生きていたら、薫がこの一族に関わる
ことも無いでしょうにね」と、草子地で、自分たちの立場の理解
できていないことを批判しています。
薫の慎重さに納得しながらも、同時に、物事をどうしても自分の
価値観で判断してしまう人間の一面を、浮舟の母君の言動が
映し出している気もいたしますね。
昨日の新聞に、9月18日迄で、最高気温が30℃以上になった
日数は86日と記されていました。昨日も今日も30℃を超えた
ので、これで88日。明日もまだ思ったほど気温は下がらず、
30℃を超えそうです。1年のうちの約1/4を、30℃以上の暑さ
の中で過ごしたことなど、これまでには無かったはずです。
もし、来夏以降もこの状況が続くとしたら、耐えられるかな?
今年だけの異常な暑さ、と思いたいですね。
このクラスが講読中の第52帖「蜻蛉」、今日で前半を読み終え
ました。
浮舟の死の真相を知った薫は、京に戻ると、浮舟の母君に
弔問の使者を遣わします。使者に持たせた手紙には、真っ先
にお見舞いを申さねば、と思いながらも、浮舟の死に動揺して
遅くなってしまった事を詫び、このような無常な世ながら、生き
永らえていたら、「過ぎにし名残」(亡き浮舟の形見)と思って、
何かの折には、きっと私にお便りを下さい、と認めてありました。
さらに薫は、使者に口上で、「浮舟を宇治に置いたままだった
ことに、私の誠意が感じられなかったかもしれないが、今後も
浮舟を忘れることはないし、あなたも私を内々に忘れず頼って
くだされば、お子様方が朝廷に出仕なさるような時にも、必ず
力になりましょう」、と伝えさせたのでした。
薫が、後半部分を文面にしなかったのは、おそらく、後々、
手紙を証拠として突きつけ、見当違いな要求などをされては
困る、という思いがあったのでしょうが、その判断が誤って
いなかったことは、このあとの母君の行動からわかります。
母君は、薫からの使者を、「たいした穢れには触れていないの
だから」と、強引に家の中に入れ、帰り際には禄として、派手な
斑犀の帯(犀の角を加工して飾りにした石帯)などを与えました。
今なら、ブランド品のベルトを贈るようなもので、薫が「忍びて」
遣わしていることへの配慮に欠け、薫も「余計なことを」と思って
います。
薫は、浮舟を早くに京へ引き取っていれば死なせずに済んだ、
という自責の念から、こうした一族支援の申し出までしているの
ですが、母君は単純に喜び、夫の常陸介にも、初めて浮舟の
これまでのことを語り、浮舟が生きていれば、いっそう恩恵に
与ったであろう、と残念に思い、泣いているのです。
作者も、「実際に浮舟が生きていたら、薫がこの一族に関わる
ことも無いでしょうにね」と、草子地で、自分たちの立場の理解
できていないことを批判しています。
薫の慎重さに納得しながらも、同時に、物事をどうしても自分の
価値観で判断してしまう人間の一面を、浮舟の母君の言動が
映し出している気もいたしますね。
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薫、浮舟の死の全貌を知る
2023年8月30日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第245回)
湘南台クラスの例会日は、第3水曜日なのですが、そのままだと
今月は8月16日。お盆休みとぶつかって、お孫さんたちが見える
方もおられるし、まだ猛暑が収まっていない可能性もあるので、
第5水曜日の今日に変更しました。
でも、1ヶ月前になっての変更だったため、数人の方が、既に他の
予定が入ってしまっているとのことだったので、コロナの感染拡大
時に利用していたオンラインでの例会に切り替えました。参加が
出来ない方にはオンライン例会を録音して、それをCDに書き込み
聴いていただくので、どなたも、今月の講読箇所が抜けることなく
済みます。
今日も最高気温は35℃の猛暑日でした。偶々いろんな事が重な
って、オンラインとなったのですが、この猛暑の中、会場まで足を
運ぶことを考えると、今月の例会はオンラインで正解でした。
このクラスは第52帖「蜻蛉」を講読中ですが、半分位の所まで
まいりました。
突然姿を消してしまった浮舟。右近と侍従は、浮舟が宇治川に
入水して自ら命を絶ったと判断し、薫や匂宮をはじめ、世間には
病死ということにして、亡骸も無いまま、火葬を執り行いました。
薫も匂宮も、浮舟が病で急死した、というのには納得がゆかず、
匂宮は、京へと連れて来させた侍従から事の真相をお聞きに
なりました。
本日読んだのは、それに続く場面で、宇治へと出向いた薫が、
右近を問い質し、やはりこの件には匂宮が絡んでいたことを
知るところです。
右近は先ず、浮舟が病死ではなく、入水であったことを打ち明け
ます。薫には浮舟の入水が俄かには信じ難く、匂宮がどこかに
隠したのではないかと疑い、右近を追求しますが、右近は浮舟
が薫からの詰問の手紙を受け取り(それに関しては⇒こちらから)、
山荘の警備が強化され、薫がその後長らく便りを寄越さなかった
ことで、薫に捨てられて世間の物笑いになるのを悩んだ結果だと、
言います。
これでは埒が明かないので、薫はついに自分から「宮の御ことよ」
(匂宮のことだよ)と言って、「われには、さらにな隠しそ」(私には、
決して隠し立てをせぬように)と、右近に迫ります。
そこで右近は、二条院で偶然匂宮が浮舟を見つけられ、迫られた
けれど、その時は自分たちが浮舟を守ったこと。その後はどうして
匂宮が浮舟の居所をお知りになったのかわからないのだが、この
2月頃からお手紙が届くようになり、浮舟が無視し続けているのを、
匂宮に失礼にならないよう、自分が浮舟に返事を書くよう勧めた。
それ以上のことは何も無い、と語りました。
右近の話には虚実が入り混じっていますが、薫はもうこれで全て
を悟ったのでした。その理由を考えてみましょう。
①右近の立場からすれば、主人である浮舟を庇って、匂宮との仲
の事実を告げることはあるまい。
②匂宮が浮舟を知って、手紙だけで満足するはずもないし、手紙
の遣り取り程度で、浮舟が自死を選ぶというのも不自然である。
③浮舟と匂宮が結ばれたのは、右近たち女房の落ち度でもあり、
それを隠すのは当然であろう。
こうして薫は、浮舟が、匂宮と自分との板挟みに苦しんだ挙句に、
入水したのだ、という事の全貌をようやく知り得たのでした。
湘南台クラスの例会日は、第3水曜日なのですが、そのままだと
今月は8月16日。お盆休みとぶつかって、お孫さんたちが見える
方もおられるし、まだ猛暑が収まっていない可能性もあるので、
第5水曜日の今日に変更しました。
でも、1ヶ月前になっての変更だったため、数人の方が、既に他の
予定が入ってしまっているとのことだったので、コロナの感染拡大
時に利用していたオンラインでの例会に切り替えました。参加が
出来ない方にはオンライン例会を録音して、それをCDに書き込み
聴いていただくので、どなたも、今月の講読箇所が抜けることなく
済みます。
今日も最高気温は35℃の猛暑日でした。偶々いろんな事が重な
って、オンラインとなったのですが、この猛暑の中、会場まで足を
運ぶことを考えると、今月の例会はオンラインで正解でした。
このクラスは第52帖「蜻蛉」を講読中ですが、半分位の所まで
まいりました。
突然姿を消してしまった浮舟。右近と侍従は、浮舟が宇治川に
入水して自ら命を絶ったと判断し、薫や匂宮をはじめ、世間には
病死ということにして、亡骸も無いまま、火葬を執り行いました。
薫も匂宮も、浮舟が病で急死した、というのには納得がゆかず、
匂宮は、京へと連れて来させた侍従から事の真相をお聞きに
なりました。
本日読んだのは、それに続く場面で、宇治へと出向いた薫が、
右近を問い質し、やはりこの件には匂宮が絡んでいたことを
知るところです。
右近は先ず、浮舟が病死ではなく、入水であったことを打ち明け
ます。薫には浮舟の入水が俄かには信じ難く、匂宮がどこかに
隠したのではないかと疑い、右近を追求しますが、右近は浮舟
が薫からの詰問の手紙を受け取り(それに関しては⇒こちらから)、
山荘の警備が強化され、薫がその後長らく便りを寄越さなかった
ことで、薫に捨てられて世間の物笑いになるのを悩んだ結果だと、
言います。
これでは埒が明かないので、薫はついに自分から「宮の御ことよ」
(匂宮のことだよ)と言って、「われには、さらにな隠しそ」(私には、
決して隠し立てをせぬように)と、右近に迫ります。
そこで右近は、二条院で偶然匂宮が浮舟を見つけられ、迫られた
けれど、その時は自分たちが浮舟を守ったこと。その後はどうして
匂宮が浮舟の居所をお知りになったのかわからないのだが、この
2月頃からお手紙が届くようになり、浮舟が無視し続けているのを、
匂宮に失礼にならないよう、自分が浮舟に返事を書くよう勧めた。
それ以上のことは何も無い、と語りました。
右近の話には虚実が入り混じっていますが、薫はもうこれで全て
を悟ったのでした。その理由を考えてみましょう。
①右近の立場からすれば、主人である浮舟を庇って、匂宮との仲
の事実を告げることはあるまい。
②匂宮が浮舟を知って、手紙だけで満足するはずもないし、手紙
の遣り取り程度で、浮舟が自死を選ぶというのも不自然である。
③浮舟と匂宮が結ばれたのは、右近たち女房の落ち度でもあり、
それを隠すのは当然であろう。
こうして薫は、浮舟が、匂宮と自分との板挟みに苦しんだ挙句に、
入水したのだ、という事の全貌をようやく知り得たのでした。
薫の孤独
2023年7月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第244回)
日、月、火と、三日間続いた、最高気温が体温を上回る猛暑も
今日は少し落ち着きましたが、それでも、出掛ける頃の気温は
34度まで上がっていました。夜になっても31度。厳しい暑さに
変わりありません。
湘南台クラスが読んでいるのは、第52帖「蜻蛉」の前半で、浮舟
の死を知らされた匂宮と薫の動向が、細かに記されているところ
です。
薫が浮舟を京へ迎え取る予定だった4月10日、季節は夏になって
います。懐旧の情を誘う橘の香りが漂う中、ホトトギスが忍び音を
漏らし鳴き渡りました。薫は二条院に滞在中の匂宮に歌を贈ります。
「忍び音や君もなくらむかひもなき死出の田長に心かよはば」
(ホトトギスが忍び音を漏らすように、あなたも声を忍んで泣いて
おられるのでしょうか。今はもう甲斐もない亡き人に心をお寄せに
なっておられるならば)
「君も」の「も」には、言外に「私も」を響かせ、匂宮に対して浮舟の
ことを当て擦っています。
受け取った匂宮は、「けしきある文かな」(意味ありげな手紙だなぁ)
とご覧になって、
「橘のかをるあたりはほととぎす心してこそなくべかりけれ(橘の花
の香りのするところでは、ホトトギスも気を付けて鳴くべきですね)
わづらはし(迷惑なことです)」
とお書きになりました。「橘のかをるあたり」は「懐旧の情の深まって
いる薫の所」を指し、薫の「も」に対し、こちらは「は」を用いて、「薫
の所だけでは、冥途からの使いのホトトギスは軽々しく鳴くべきでは
なかったね」と、とぼけて返歌をしたことになります。
その後匂宮は中の君に、浮舟とのことを少し取り繕って打ち明けられ、
気の置ける舅の夕霧がいる六条院とは異なり、二条院は気楽で
くつろげる所だとお思いになっているのでした。
大君を喪った時、薫は匂宮に話すことで心慰められました。でも浮舟
に関しては二人はライバルとなってしまったので、薫は悲しみの持って
行き場がどこにもなく、孤独です。一方の匂宮には、浮舟を失っても、
その悲しみを埋めてくれる中の君が傍に居ます。薫の孤独をいっそう
際立たせていますね。薫の嫌味な歌にも、その辺りのことを加味して、
匂宮が返歌をしてくださればよかったのに、と思ってしまいます。
日、月、火と、三日間続いた、最高気温が体温を上回る猛暑も
今日は少し落ち着きましたが、それでも、出掛ける頃の気温は
34度まで上がっていました。夜になっても31度。厳しい暑さに
変わりありません。
湘南台クラスが読んでいるのは、第52帖「蜻蛉」の前半で、浮舟
の死を知らされた匂宮と薫の動向が、細かに記されているところ
です。
薫が浮舟を京へ迎え取る予定だった4月10日、季節は夏になって
います。懐旧の情を誘う橘の香りが漂う中、ホトトギスが忍び音を
漏らし鳴き渡りました。薫は二条院に滞在中の匂宮に歌を贈ります。
「忍び音や君もなくらむかひもなき死出の田長に心かよはば」
(ホトトギスが忍び音を漏らすように、あなたも声を忍んで泣いて
おられるのでしょうか。今はもう甲斐もない亡き人に心をお寄せに
なっておられるならば)
「君も」の「も」には、言外に「私も」を響かせ、匂宮に対して浮舟の
ことを当て擦っています。
受け取った匂宮は、「けしきある文かな」(意味ありげな手紙だなぁ)
とご覧になって、
「橘のかをるあたりはほととぎす心してこそなくべかりけれ(橘の花
の香りのするところでは、ホトトギスも気を付けて鳴くべきですね)
わづらはし(迷惑なことです)」
とお書きになりました。「橘のかをるあたり」は「懐旧の情の深まって
いる薫の所」を指し、薫の「も」に対し、こちらは「は」を用いて、「薫
の所だけでは、冥途からの使いのホトトギスは軽々しく鳴くべきでは
なかったね」と、とぼけて返歌をしたことになります。
その後匂宮は中の君に、浮舟とのことを少し取り繕って打ち明けられ、
気の置ける舅の夕霧がいる六条院とは異なり、二条院は気楽で
くつろげる所だとお思いになっているのでした。
大君を喪った時、薫は匂宮に話すことで心慰められました。でも浮舟
に関しては二人はライバルとなってしまったので、薫は悲しみの持って
行き場がどこにもなく、孤独です。一方の匂宮には、浮舟を失っても、
その悲しみを埋めてくれる中の君が傍に居ます。薫の孤独をいっそう
際立たせていますね。薫の嫌味な歌にも、その辺りのことを加味して、
匂宮が返歌をしてくださればよかったのに、と思ってしまいます。
薫と匂宮の心理戦
2023年6月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第243回)
ここ数日、梅雨の晴れ間で心地良く過ごせたのですが、それも
今日までのようで、明日からはまた雨の日が続くことになりそう
です。
浮舟の失踪に騒然とする宇治の様子から始まった第52帖「蜻蛉」
ですが、薫が登場するのは、亡骸もないまま浮舟の葬儀が既に
終わってしまってからになります。
薫は浮舟の失踪時、母・女三宮の病平癒の祈願のため、石山寺
に参籠中でした。本来なら真っ先に弔問のお使いがあってしかる
べき薫から何の連絡もないのを、宇治の人々が世間体も情けなく
思っていると、宇治にある薫の荘園の人が石山寺に知らせに行き、
初めて知った、という事情があったからなのです。
なぜ自分に相談もなく、急いで簡略な葬儀をしてしまったのか、と
薫は悔やまれますが、今更言ったところで甲斐もないことでした。
匂宮は、突然の浮舟の死がショックで、体調を崩してしまわれ
ました。薫もお見舞いに参上します。そこから薫と匂宮の複雑な
心理戦が絶妙な筆致で描かれています。
匂宮は涙をこらえることが出来ず、流れ落ちるのをきまり悪く感じ
ながらも、「薫が自分の涙を浮舟を思ってのものだとは気づくまい」
とお思いでした。薫は当然わかっています。世間話をしているうちに
「いと籠めてしもはあらじ」(そんなにも黙っていることはあるまい)
と薫は思い、浮舟のことを匂宮に皮肉を交えて語り始めます。
①「昔御覧ぜし山里」(匂宮も昔お通いになったことのある宇治の
山里)に、大君に血の繋がりのある女性を住まわせていたですが、
彼女には②「なにがし一人をあひ頼む心もことになくやありけむ」
(私一人を頼りにする気持ちも特にはなかったのではないか)と
思っています。③「聞しめすやうもはべらむかし」(お耳になさった
こともおありでしょうね)と、立て続けに皮肉の言葉を投げかけ
ました。
薫としては、①は「最近もいらしたはずの宇治の山里に」、②は、
「あなたのことも頼る気持ちがあったようですね」、③は「お耳に
なさるという程度ではなかったのでしょうが」と言いたいところを、
それとなく皮肉で伝えた、ということになりましよう。
ここで初めて薫は泣きます。一度泣き出すと、涙というものは
止まらないものです。さすがに匂宮も、薫が自分と浮舟の密事
を知っているのでは、と気づいたものの、「昨日、その女性の事
はちょっと聞きました。あなたが公にしていない女性のことで、
お悔やみを申し上げるのも憚られて」と、何食わぬ顔でお答えに
なります。
薫はさらに、「あなたにはご紹介したいとも思っていた人でした。
でも二条院にもお出入りする縁故もございましたから、自然と
お目に留まったこともあったかもしれませんね」と、当てこすって、
帰って行ったのでした。
このような心理戦の場面が、千年も昔の物語上で描かれている
ことにも、『源氏物語』が出色の作品であることを感じますね。
ここ数日、梅雨の晴れ間で心地良く過ごせたのですが、それも
今日までのようで、明日からはまた雨の日が続くことになりそう
です。
浮舟の失踪に騒然とする宇治の様子から始まった第52帖「蜻蛉」
ですが、薫が登場するのは、亡骸もないまま浮舟の葬儀が既に
終わってしまってからになります。
薫は浮舟の失踪時、母・女三宮の病平癒の祈願のため、石山寺
に参籠中でした。本来なら真っ先に弔問のお使いがあってしかる
べき薫から何の連絡もないのを、宇治の人々が世間体も情けなく
思っていると、宇治にある薫の荘園の人が石山寺に知らせに行き、
初めて知った、という事情があったからなのです。
なぜ自分に相談もなく、急いで簡略な葬儀をしてしまったのか、と
薫は悔やまれますが、今更言ったところで甲斐もないことでした。
匂宮は、突然の浮舟の死がショックで、体調を崩してしまわれ
ました。薫もお見舞いに参上します。そこから薫と匂宮の複雑な
心理戦が絶妙な筆致で描かれています。
匂宮は涙をこらえることが出来ず、流れ落ちるのをきまり悪く感じ
ながらも、「薫が自分の涙を浮舟を思ってのものだとは気づくまい」
とお思いでした。薫は当然わかっています。世間話をしているうちに
「いと籠めてしもはあらじ」(そんなにも黙っていることはあるまい)
と薫は思い、浮舟のことを匂宮に皮肉を交えて語り始めます。
①「昔御覧ぜし山里」(匂宮も昔お通いになったことのある宇治の
山里)に、大君に血の繋がりのある女性を住まわせていたですが、
彼女には②「なにがし一人をあひ頼む心もことになくやありけむ」
(私一人を頼りにする気持ちも特にはなかったのではないか)と
思っています。③「聞しめすやうもはべらむかし」(お耳になさった
こともおありでしょうね)と、立て続けに皮肉の言葉を投げかけ
ました。
薫としては、①は「最近もいらしたはずの宇治の山里に」、②は、
「あなたのことも頼る気持ちがあったようですね」、③は「お耳に
なさるという程度ではなかったのでしょうが」と言いたいところを、
それとなく皮肉で伝えた、ということになりましよう。
ここで初めて薫は泣きます。一度泣き出すと、涙というものは
止まらないものです。さすがに匂宮も、薫が自分と浮舟の密事
を知っているのでは、と気づいたものの、「昨日、その女性の事
はちょっと聞きました。あなたが公にしていない女性のことで、
お悔やみを申し上げるのも憚られて」と、何食わぬ顔でお答えに
なります。
薫はさらに、「あなたにはご紹介したいとも思っていた人でした。
でも二条院にもお出入りする縁故もございましたから、自然と
お目に留まったこともあったかもしれませんね」と、当てこすって、
帰って行ったのでした。
このような心理戦の場面が、千年も昔の物語上で描かれている
ことにも、『源氏物語』が出色の作品であることを感じますね。
匂宮と浮舟の気持ちのずれ
2023年5月10日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第242回)
先月で第51帖「浮舟」を読み終え、そのまま第52帖「蜻蛉」に
入りました。この巻では浮舟は宇治川に入水して自死した、と
考えられており、今我々は、次の「手習」で、実は浮舟は横川
の僧都に助けられて生きていた、ということを知って読んで
いますが、当時の読者は「蜻蛉」の巻は浮舟の死後の世界を
描いている、と捉えて読んでいたはずです。知っていることを
白紙状態に戻して読むのは難しいのですが、この巻には、薫、
匂宮、右近、侍従、母君等の様々な思いが、実にきめ細やか
な描写で語られていますので、浮舟不在=浮舟没後、という
感覚を持って読み進めるのがベストなのかな、と思います。
忽然と姿を消した浮舟に、宇治の邸は騒然となります。京の
母君からは胸騒ぎがすると、再度手紙が届きます。右近は
浮舟が残した母君宛の手紙からして、浮舟が入水したと判断
します。
京では匂宮が、「いと例ならぬけしきありし御返り」(ただならぬ
気配の感じられたお返事)を見て、宇治へと急ぎ使いを出され
ました。浮舟が匂宮へ送った返書にかかれていたのは、
「からをだに憂き世の中にとどめずはいづこをはかと君もうらみぬ」
(亡骸さえこのつらい世の中に残さなかったら、あなたは何処を
目当てにして私をお怨みになれましょう)
という歌だけでした。「はか」は、「墓」と「計」(目当て、目印)の
掛詞です。
宇治まで出掛けながら逢えなかった怨みを言い募る匂宮に、
浮舟は亡骸さえ残らない死(入水)の決意を暗に告げ、「亡骸も
無いのだから、墓を尋ねて怨むこともできないでしょう」と言った
のでした。
匂宮が急ぎ使者を差し向けたのは、そのような浮舟の覚悟に
思い至ったからではありません。「われをさすがにあひ思ひたる
さまながら、あだなる心なりとのみ、深く疑ひたれば、ほかへ
行き隠れむとにやあらむ」(私のことを、やはり相思相愛の様子
であったけれど、浮気な性分だと一方的に深く疑っていたから、
どこか他所へ身を隠すつもりでこのような歌を詠んだので
あろうか)、と解釈してのことだったのです。
浮舟が辞世のつもりで贈った歌を、匂宮は、自分の浮気性を
怨んで拗ねているかのように受け取り、「常よりもをかしげなり」
(いつもよりも風情がある)と、むしろそこに男女の機微を感じて
おられました。
浮舟の真意が誰からも理解されずに孤立していたことが、
ここからも窺えるのですが、通常ではあり得ない「投身入水」
などということに匂宮の考えが及ばなかったのも、それは
それで無理もない話なのですよね。
先月で第51帖「浮舟」を読み終え、そのまま第52帖「蜻蛉」に
入りました。この巻では浮舟は宇治川に入水して自死した、と
考えられており、今我々は、次の「手習」で、実は浮舟は横川
の僧都に助けられて生きていた、ということを知って読んで
いますが、当時の読者は「蜻蛉」の巻は浮舟の死後の世界を
描いている、と捉えて読んでいたはずです。知っていることを
白紙状態に戻して読むのは難しいのですが、この巻には、薫、
匂宮、右近、侍従、母君等の様々な思いが、実にきめ細やか
な描写で語られていますので、浮舟不在=浮舟没後、という
感覚を持って読み進めるのがベストなのかな、と思います。
忽然と姿を消した浮舟に、宇治の邸は騒然となります。京の
母君からは胸騒ぎがすると、再度手紙が届きます。右近は
浮舟が残した母君宛の手紙からして、浮舟が入水したと判断
します。
京では匂宮が、「いと例ならぬけしきありし御返り」(ただならぬ
気配の感じられたお返事)を見て、宇治へと急ぎ使いを出され
ました。浮舟が匂宮へ送った返書にかかれていたのは、
「からをだに憂き世の中にとどめずはいづこをはかと君もうらみぬ」
(亡骸さえこのつらい世の中に残さなかったら、あなたは何処を
目当てにして私をお怨みになれましょう)
という歌だけでした。「はか」は、「墓」と「計」(目当て、目印)の
掛詞です。
宇治まで出掛けながら逢えなかった怨みを言い募る匂宮に、
浮舟は亡骸さえ残らない死(入水)の決意を暗に告げ、「亡骸も
無いのだから、墓を尋ねて怨むこともできないでしょう」と言った
のでした。
匂宮が急ぎ使者を差し向けたのは、そのような浮舟の覚悟に
思い至ったからではありません。「われをさすがにあひ思ひたる
さまながら、あだなる心なりとのみ、深く疑ひたれば、ほかへ
行き隠れむとにやあらむ」(私のことを、やはり相思相愛の様子
であったけれど、浮気な性分だと一方的に深く疑っていたから、
どこか他所へ身を隠すつもりでこのような歌を詠んだので
あろうか)、と解釈してのことだったのです。
浮舟が辞世のつもりで贈った歌を、匂宮は、自分の浮気性を
怨んで拗ねているかのように受け取り、「常よりもをかしげなり」
(いつもよりも風情がある)と、むしろそこに男女の機微を感じて
おられました。
浮舟の真意が誰からも理解されずに孤立していたことが、
ここからも窺えるのですが、通常ではあり得ない「投身入水」
などということに匂宮の考えが及ばなかったのも、それは
それで無理もない話なのですよね。
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