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蘇った浮舟

2024年2月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第251回)

昨日は最高気温が夏日に迫る23度超え。まだ2月です。
そして今日の日中は10度にも届かず、真冬へと逆戻り。
たった一日の気温変化が大き過ぎて、おかしくなりそう
です。

このクラスは第53帖「手習」を読んでいますので、次第に
『源氏物語』のゴールが近づいてきております。

宇治の院の大木の根元で倒れていたところを、横川僧都
によって救われた浮舟は、僧都の母尼や妹尼の住まいの
ある小野へと伴われ、そこで妹尼の献身的な看護を受け
ながら日を送ることになりましたが、2ヶ月余りが経っても、
意識も朦朧とした状態が続き、回復の兆しが見えません。
そこで、妹尼は、横川僧都に懇願して修法をしてもらった
結果、物の怪は退散、浮舟は意識を取り戻しました。

ここから浮舟の物語が再始動することになります。

直接体験を示す過去の助動詞の「き」が多用されて、浮舟
が失踪当夜からのことを心の中で回想する形で記されて
いきます。

入水を決意したものの、やはりすぐには実行できず、簀子
の端に座って、「鬼も何も食ひて失ひてよ」(鬼でも何でも
よいから、私を食べて殺して欲しい)と思い詰めていた時に、
匂宮と思われる男が姿を現し、抱き上げられたと思った辺り
から訳が分からなくなり、見知らぬ所に座らされて、そこで
男は消え失せた。自分はとうとう目的の入水を果たすことが
出来なかったと思って泣いていたところから、記憶が途絶え
てしまっている、という経緯になっています。

現実として考えるなら、匂宮の姿を幻視して、あの抱かれて
宇治川を渡った時のような錯覚の中で、浮舟はふらふらと
一人宇治橋を渡り、対岸の宇治の院に辿り着いて気を失った、
というようなことかと思われます。

さて、第51帖「浮舟」の巻末と話が繋がったところで、次なる
話がどのように展開して行くことになるのか、結末を知って
いるのって、何だかつまらない気がしますね。


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4年ぶりの新年会

2024年1月17日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第250回)

寒さも和らぎ、風も無く、晴れ渡った青空の下、今日は
4年ぶりの新年会ということで、講読会は30分遅らせて
14:00開始とし、11:30に湘南台駅西口から徒歩3分程
の所にあるフレンチレストラン「プチ・パピヨン」に集合と
なりました。

このクラスは既に第53帖「手習」に入っており、順調に
読み進められれば、年内に読了予定、というところまで
来ておりますので、今年は新年会を、と幹事さんたちが
企画して下さいました。

入り口には「本日は予約のみ」という案内板が出ており、
我々10人の席は、奥まった所に用意されておりました。

オードブルに始まり、スープ、魚料理、肉料理と続き、
デザート、コーヒーが供されましたが、パンも焼き立て
のホカホカフワフワで美味しく、おかわりまでしてしまい
ました。

落ち着いた、でもあまり気取った感じはなく、お料理は、
見た目もお味も文句なし、のお店なので、コロナ禍前も、
新年会や講読会の200回記念ランチなどで何度か利用
してきたレストランです。

今日もお料理が出てくる度に、皆で「美味しいわね」と
言いながらいただきました。写真も全部撮りましたが、
一番可愛らしかったデザートの写真をUPしておきます。

     湘南台新年会②
  3種の一口シャーベットとチョコレートケーキ。
  春の感じられるアレンジメントがオシャレです。

久々の新年会とあって、話も大いに弾み、気がつくと、
13:30を廻っておりました。ご都合で新年会には参加
できず、直接14:00開始に合わせて会場にいらっしゃる
方もあるので、急ぎ集合写真を撮って、小田急線の線路
を挟んで反対側にある湘南台文化センターの公民館へ
と向かいました。

 湘南台新年会①
いつも通り「顔のはっきりしない距離で」とお願いして
お店の方にシャッターを押していただきました(笑)


講読会では、横川の僧都によって浮舟(まだこの若い女
が浮舟であることは読者には告げられていませんが)が
助けられる場面を読みましたが、それを続けて書くと、
長くなってしまいますし、まだこの先、溝の口のクラスで
読む時にご紹介する機会が残っていますので、今日は
コロナ禍以降初めてとなった新年会の記事のみにいたし
ます。


薫の青春の終焉

2023年12月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第249回)

暖かなうちに推移していた師走も、余すところ10日となって、
日毎に加わる慌ただしさと共に、寒さもやってまいりました。
まだ年賀状も葉書を買っただけで手付かず状態。大掃除も、
おせち料理の準備も全く出来ておらず、我ながら「今年もまた」
で、嫌になります。

『源氏物語』の講読会の中で最も古い湘南台クラスは、今日で
第52帖「蜻蛉」を読み終え、第53帖「手習」に少し入りました。
だんだんとゴールが近づいております。

「蜻蛉」の巻の最後は、薫の独詠です。巻名もこの歌に由来して
います。

「ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えし蜻蛉」
(そこにいると見ても手に取ることは出来ず、ようやく手に入れた
と思ったら、また行方も知れず消えてしまった蜻蛉であることよ)

ちょうど薫が、八の宮家ゆかりの女君たち(大君・中の君・浮舟)
とのいずれも辛い結果となった(大君は亡くなり、中の君は匂宮
夫人となり、浮舟もこの時点では自死したと思われている)ご縁
を、つくづくと思い続けてぼんやりと外を眺めていた夕暮れに、
蜻蛉がもの儚げに飛び交っているのを見て詠んだ歌です。

「ありと見て手にはとられず」は大君と中の君。見ればまたゆくへ
もしらず消えし」は浮舟のことを言っています。薫の思いが最終的
に行きつくのは宇治の八の宮の姫君たちでした。八の宮に娘と
して認められなかった浮舟も、ここへ来て、「かの一つゆかり」
(あの八の宮一族)として、薫の中に認識されていることもわかり
ます。

幼い頃から自分の出生に疑念を抱き、「おぼつかな誰に問はまし
いかにしてはじめも果ても知らぬわが身ぞ」(不安だ。一体誰に
訊けばよいのだろう。どうしてこの世に生まれて来て、先々どう
なっていくのか、わからない我が身であることよ)と、僅か14歳で
このような厭世的な歌を詠んでいる薫です。そして、八の宮の娘
たちとはいずれも蜻蛉のような儚い縁でしかなかった、と嘆く薫
は、27歳の秋を迎えていました。

恋しく思った三人の八の宮の娘たちを、儚い蜻蛉のような存在
だった、と位置付けることで、自らの青春に終止符を打たねば
ならなかった薫に、14歳の時の歌を重ねてみると、何とも物悲し
さが感じられてなりません。薫もまた傍から見れば、この上なく
恵まれた男君なのですが、人は上辺だけではわからないものだ
と、改めて思い知らされますね。

続く「手習」の巻では、何と死んだはずの浮舟が実は生きていた、
というところから物語が始まります。「蜻蛉」の「並びの巻」(時間
的に同時進行している巻)で、話は「浮舟」の巻に続く形となります。


物語を振り返ってあれこれと・・・

2023年11月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第248回)

今日も気温が15℃迄届かず、寒さを感じる一日となりましたが、
11月も半ばですから、あの月初めの夏日のほうが異常だった
のですよね。教室内にも弱めの暖房が入れてありましたし、
家でも朝晩、暖房機を使うようになりました。

このクラスは第52帖「蜻蛉」も終わりが近づいています。実は
途中休憩の時点では、「今回で読み終えられるかな」と思って
いたのですが、後半に入ってペースダウンした為、来月に持ち
越しとなりました。ここ迄来ると、何かきっかけとなる事柄が
出て来る度に、『源氏物語』の過去に読んだところを、皆さま
と一緒に振り返ってみたくなってしまうのです。

薫が、自分の母・女三の宮と、今上帝の女一の宮の身分差
を考えた時、女三の宮は女御腹(朱雀帝の藤壺の女御所生)、
女一の宮は后腹(今上帝の明石中宮所生)の違い程度では
ないかと思う、というところから、話が遡って、母親の身分が
娘の将来に関わる為、源氏や夕霧が、受領階級という出自
の低い母親を持つ明石の姫君(実母は明石の上)、六の君
(実母は惟光の娘・藤典侍)を、実母から引き離し、それぞれ
紫の上、落葉の宮に養女として育てさせた話になりました。

更には、そこに至るまでの明石の上、紫の上の複雑な思いや、
紫の上に慈しみ育てられて入内し、中宮にまで上り詰めた
明石の姫君が、穢れに触れることも厭わず、紫の上の手を取り、
最期を看取った場面にまで言及しているうちに、10分以上の
時間を費やしてしまいました。

それでも終わらず、柏木が、妻となった女二の宮(落葉の宮)
には満足できず、女三の宮を望んだのも、女三の宮の母親は
女御であったのに対し、落葉の宮の母親が更衣で、ワンランク
下の身分だったことや、父親の式部卿の宮(源氏の弟)が亡く
なって、明石中宮の許に女房として出仕した「宮の君」の話から
は、たとえ高貴な家柄に生まれようとも、後ろ盾を失えば零落を
余儀なくされる運命にあること、その関連で中の君の話云々で
時間切れ。と言うか、もうオーバーしていました(^_^;)

この余談に対しては、皆さまも、「ああ、そんなことがあった、と
いろいろ思い出せて良かった」と、おっしゃって下さいましたが、
調子に乗ってはいけませんね。来月は、「蜻蛉」の巻を前半で
読み終えて、後半は第53帖「手習」に入ります(宣言をしておく
と守れそうですので)。


妻にコスプレ?

2023年10月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第247回)

このところ秋晴れの爽やかな日が続いています。今日も見上げ
ると、青く澄み切った空が広がっていました。もうしばらくこうした
過ごし易い秋が続いて欲しいですね。

湘南台クラスは第52帖「蜻蛉」の後半に入っています。前回迄
のところで、一旦浮舟の話は終わり、今回読んだところは、薫が
高嶺の花である女一宮への叶わぬ恋に、思いを馳せる話となり
ます。

蓮の花の盛りの頃に、明石中宮が、父・光源氏と養母・紫の上
の追善法要の法華八講を、六条院で営まれました。

法会が終了し、御堂となっていた寝殿を片付けるため、一時的
に西の渡殿にお移りになっていた女一宮を、薫は垣間見ました。

とても暑い日だったので、「白き薄物の御衣」をお召しになり、
手に氷を持ちながら、周りの女房や女童が騒いでいるのを、
にこやかにご覧になっているお顔や、少し靡かせておられる
豊かな髪などは、「たとへむものなし」(たとえようもなく美しい)
と、薫の目に映ったのでした。

その翌朝、薫は妻の女二宮を見て、やはり女一宮は別格だ、
と思うものの、もしかしたら、自分の思い込みとか、あのような
垣間見だったからではないか、とも考えて、「いと暑しや。これ
より薄き御衣たてまつれ。女は例ならぬもの着たるこそ、時々
につけてをかしけれ」(とても暑いですね。もっと薄いお召し物
になさいませ。女はいつもと違った着物を着ているのが、その
時々によって風情があるものです」と言って、母・女三宮の女房
に用意させるよう、命じました。

朝の勤行を終えて、お昼頃に薫が再び女二宮の許を訪れると、
着物は既に届いており、薫は自らの手でそれを女二宮に着せ
ました。袴の色も昨日の女一宮と同じ、髪の多さや長さも変わら
ない。でも、「似るべくもあらず」(まったく似てもいない)のでした。

おまけに氷まで持って来させて女房に割らせ、薫はその一つを
女二宮に持たせながら、「昨日、女一宮とこんなことができたら
良かったのに」と、思わずため息をついておりました。

憧れの女性の腹違いの妹にあたる妻に、コスプレをさせてみる
夫。知らぬ事とはいえ、あまりにも女二宮がお気の毒ではあり
ませんか。

もう一つ、ここで気になるのは、薫が簡単に氷を手に入れている
ということです。

冷蔵庫など無い時代。「氷室」という貯蔵庫に、冬場の天然の氷
を保存しておいて、夏にそれを取り出して使っていたのですから、
氷が手に入るのは、天皇をはじめとした、上級貴族に限られて
いました。そんな時代に、薫は欲しいと思った時に、すぐに持って
来させることのできる、言わば権力者の一人だったのがわかる
場面でもあります。


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