『源氏物語』五十四帖完読・第1号!
2020年2月8日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第170回)
ついにこの日がやって来ました。本日淵野辺クラスで、『源氏物語』
五十四帖の全てを読み終えました~\(^o^)/
14年と2ヶ月、いろんなことがありました。私事で恐縮ですが、
初孫誕生の知らせを受けたのが、この「五十四帖の会」の帰り道
でした。その孫も、この春から中学生になります。
また、東日本大震災の翌日が例会に当たったことも。どうなるの
かな?と思って幹事さんに問い合わせましたら、「やります」との
ことで、いつもと同じように出掛けました。さすがにこの時は、
参加者も少なく余震も頻繁にあって、早目に切り上げとなりました
が、そんなこんなで、この14年余、1回も抜けることなく、月に一度
のペースで読み続けた結果が、今日の完読に繋がりました。
作品を深く掘り下げて論じる、というのには程遠い、雑談の多い
講読会で、どれほどの知識も授けて差し上げられませんでしたが、
第1帖「桐壺」の「いづれの御時にか~」に始まり、第54帖「夢浮橋」
の最後「とぞ本にはべめる」までの全文を、一文字も抜かさず音読
した、ということだけは、皆さまの誇りにしていただいて良いと思って
おります。
原稿用紙にして2,000枚を遥かに超える原文を読み通したことに、
参加した意義を感じていただければ幸せです。
ついにこの日がやって来ました。本日淵野辺クラスで、『源氏物語』
五十四帖の全てを読み終えました~\(^o^)/
14年と2ヶ月、いろんなことがありました。私事で恐縮ですが、
初孫誕生の知らせを受けたのが、この「五十四帖の会」の帰り道
でした。その孫も、この春から中学生になります。
また、東日本大震災の翌日が例会に当たったことも。どうなるの
かな?と思って幹事さんに問い合わせましたら、「やります」との
ことで、いつもと同じように出掛けました。さすがにこの時は、
参加者も少なく余震も頻繁にあって、早目に切り上げとなりました
が、そんなこんなで、この14年余、1回も抜けることなく、月に一度
のペースで読み続けた結果が、今日の完読に繋がりました。
作品を深く掘り下げて論じる、というのには程遠い、雑談の多い
講読会で、どれほどの知識も授けて差し上げられませんでしたが、
第1帖「桐壺」の「いづれの御時にか~」に始まり、第54帖「夢浮橋」
の最後「とぞ本にはべめる」までの全文を、一文字も抜かさず音読
した、ということだけは、皆さまの誇りにしていただいて良いと思って
おります。
原稿用紙にして2,000枚を遥かに超える原文を読み通したことに、
参加した意義を感じていただければ幸せです。
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最終章「夢浮橋」に
2020年1月19日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第169回)
このクラスの名称にもなっている『源氏物語』五十四帖の、最後
の帖「夢浮橋」の巻に入りました。マラソンで言えば、ゴールの
ある競技場のトラックを回り始めたというところでしょうか。残りは
あと1回です。
第51帖「浮舟」の終わりには、自ら命を絶つ決意をした浮舟の姿
が描かれていました。
第52帖「蜻蛉」では、薫、匂宮をはじめ、浮舟失踪後の残された
人々の様子が語られ、第53帖「手習」は、「蜻蛉」の巻で死んだ
と思われていた浮舟が、実は横川僧都に助けられて生きており、
俗世との絆を断つために僧都に懇願して出家を遂げ、やがて
それが、明石中宮を通して薫の耳に入った、というところ迄でした。
第54帖「夢浮橋」は、その続きとなります。薫は考えた挙句、事の
仔細を僧都に聞くため、根本中堂の薬師如来の縁日にかこつけて、
横川に僧都を訪ねたのでした。
真相を聞いて思わず涙する薫。そんな薫の浮舟への思いを知ると、
浮舟を出家させてしまったことに後悔の念を禁じ得ない僧都。
しかし、薫は自ら即座に動くことはしません。僧都に仲介を依頼する
のです。初めて浮舟を三条の小家に訪ねた時もそうでした。渋る弁
を説得して、弁に仲介の労を取らせました。薫の世間体を優先させる
態度は最後まで変りません。
結局、僧都は自らが案内をすることは断ったものの、薫が伴っていた
浮舟の異父弟・小君に持たせる手紙を書きました。それも、その日の
うちに持たせればよかったのに、供人が大勢いる(人目が多い)ことを
憚って、一旦自邸に戻り、翌日に届けさせました。
一切をかなぐり捨てて、僧都の話を聞いたその足で、薫自身が小野へ
駆けつけていたなら、少なくとも「夢浮橋」の巻は、こんな幕切れには
ならなかったのではないか、と思われるのですが、その幕切れを含む
残り1/3余りを、次回読んで読了となる予定です。
このクラスの名称にもなっている『源氏物語』五十四帖の、最後
の帖「夢浮橋」の巻に入りました。マラソンで言えば、ゴールの
ある競技場のトラックを回り始めたというところでしょうか。残りは
あと1回です。
第51帖「浮舟」の終わりには、自ら命を絶つ決意をした浮舟の姿
が描かれていました。
第52帖「蜻蛉」では、薫、匂宮をはじめ、浮舟失踪後の残された
人々の様子が語られ、第53帖「手習」は、「蜻蛉」の巻で死んだ
と思われていた浮舟が、実は横川僧都に助けられて生きており、
俗世との絆を断つために僧都に懇願して出家を遂げ、やがて
それが、明石中宮を通して薫の耳に入った、というところ迄でした。
第54帖「夢浮橋」は、その続きとなります。薫は考えた挙句、事の
仔細を僧都に聞くため、根本中堂の薬師如来の縁日にかこつけて、
横川に僧都を訪ねたのでした。
真相を聞いて思わず涙する薫。そんな薫の浮舟への思いを知ると、
浮舟を出家させてしまったことに後悔の念を禁じ得ない僧都。
しかし、薫は自ら即座に動くことはしません。僧都に仲介を依頼する
のです。初めて浮舟を三条の小家に訪ねた時もそうでした。渋る弁
を説得して、弁に仲介の労を取らせました。薫の世間体を優先させる
態度は最後まで変りません。
結局、僧都は自らが案内をすることは断ったものの、薫が伴っていた
浮舟の異父弟・小君に持たせる手紙を書きました。それも、その日の
うちに持たせればよかったのに、供人が大勢いる(人目が多い)ことを
憚って、一旦自邸に戻り、翌日に届けさせました。
一切をかなぐり捨てて、僧都の話を聞いたその足で、薫自身が小野へ
駆けつけていたなら、少なくとも「夢浮橋」の巻は、こんな幕切れには
ならなかったのではないか、と思われるのですが、その幕切れを含む
残り1/3余りを、次回読んで読了となる予定です。
忘年会ランチ&第53帖「手習」まで読了
2019年11月30日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第168回)
雲一つない冬晴れの青空が広がりました。気温は低目でも陽溜まりは
暖かく、気持ちの良い一日でした。
今回で168回目を迎えた淵野辺クラス、丸14年が経ったことになります。
そして今日で第53帖「手習」を読了。残るは最後の一帖「夢浮橋」だけと
なりました。あと2回でゴールに達する予定です。
例会に先立ち、いつものように幹事さんの企画で、このクラス最後の
忘年会ランチをいただきました。お店は、2017年の「お花見ランチ」と
同じ場所(その記事は→こちら)で、町田市野津田の住宅街にある
隠れ家的フレンチレストラン「シェ・シミズ」。
我々10人で貸し切りになってしまう、オーナーシェフが一人ですべてを
切り盛りしているこじんまりとしたレストランですが、それだけに、味も
品質も滅多にない上等なもので、抜群のコスパを誇っています。
今日までがお店の10周年記念メニューでお食事が提供されていて、
さらにコスパがUPしておりました。唯一の難点は場所が不便なことです。
それでも再訪したいと思うレストランです。

このあと供されたオニオングラタンスープも、メインディッシュの
ロブスターも、デザートのクリームブリュレも、どれも絶品でしたが、
こんなに綺麗に盛り付けられたサラダって普通はないと思い、
今回はこの写真にしました。極少量のドレッシングでいただくので、
厳選された野菜の美味しさを堪能しました。

長いお付き合いとなった「五十四帖の会」のお仲間たち。
美味しくて楽しいランチも何度ご一緒したことでしょう。
例会はいつもよりも2時間近く開始が遅れましたが、それでも会場利用が
可能な17時ギリギリまで時間を使って、第53帖「手習」を読み終えました。
浮舟の失踪から一年、死んだと思い一周忌の法要まで営んだ薫が、浮舟
の生存を知り、再会実現のために動き出す、というところで、「手習」の巻は
幕を閉じます。そこに至るまでにも、あれこれと書きたいことはあるのですが、
もうこんなに長くなってしまったので、それは別のクラスで読んだ時に、追々
紹介していきたいと思います。
雲一つない冬晴れの青空が広がりました。気温は低目でも陽溜まりは
暖かく、気持ちの良い一日でした。
今回で168回目を迎えた淵野辺クラス、丸14年が経ったことになります。
そして今日で第53帖「手習」を読了。残るは最後の一帖「夢浮橋」だけと
なりました。あと2回でゴールに達する予定です。
例会に先立ち、いつものように幹事さんの企画で、このクラス最後の
忘年会ランチをいただきました。お店は、2017年の「お花見ランチ」と
同じ場所(その記事は→こちら)で、町田市野津田の住宅街にある
隠れ家的フレンチレストラン「シェ・シミズ」。
我々10人で貸し切りになってしまう、オーナーシェフが一人ですべてを
切り盛りしているこじんまりとしたレストランですが、それだけに、味も
品質も滅多にない上等なもので、抜群のコスパを誇っています。
今日までがお店の10周年記念メニューでお食事が提供されていて、
さらにコスパがUPしておりました。唯一の難点は場所が不便なことです。
それでも再訪したいと思うレストランです。

このあと供されたオニオングラタンスープも、メインディッシュの
ロブスターも、デザートのクリームブリュレも、どれも絶品でしたが、
こんなに綺麗に盛り付けられたサラダって普通はないと思い、
今回はこの写真にしました。極少量のドレッシングでいただくので、
厳選された野菜の美味しさを堪能しました。

長いお付き合いとなった「五十四帖の会」のお仲間たち。
美味しくて楽しいランチも何度ご一緒したことでしょう。
例会はいつもよりも2時間近く開始が遅れましたが、それでも会場利用が
可能な17時ギリギリまで時間を使って、第53帖「手習」を読み終えました。
浮舟の失踪から一年、死んだと思い一周忌の法要まで営んだ薫が、浮舟
の生存を知り、再会実現のために動き出す、というところで、「手習」の巻は
幕を閉じます。そこに至るまでにも、あれこれと書きたいことはあるのですが、
もうこんなに長くなってしまったので、それは別のクラスで読んだ時に、追々
紹介していきたいと思います。
浮舟の出家と妹尼の思い
2019年11月4日(月) 淵野辺「五十四帖の会」(第167回)
カレンダーがいよいよ薄くなって、今年も余すところあと2ヶ月を
切りました。11月に入ってからは、穏やかな日が続いています。
このクラスは第53帖「手習」の5回目、今回のところで、浮舟が
遂に出家を遂げました。
「手習」の巻の冒頭で、横川僧都らによって救出された浮舟は、
僧都の妹尼らと共に小野で暮らすようになりました。が、妹尼の
亡き娘の婿であった中将に懸想され、妹尼ら周囲も二人の結婚
を望んだため、困った浮舟は、妹尼が初瀬詣に出掛けた留守に、
京での一品の宮(女一宮)の加持祈祷のため小野に立ち寄った
横川僧都に懇願して、出家を果たしてしまいました。
初瀬から戻った妹尼の落胆ぶりは尋常ではありませんでした。
「伏しまろびつつ」(泣き伏し身をよじって)限りなく悲しみます。
この「伏しまろぶ」という表現は、「蜻蛉」の巻で二度、浮舟の母親
に対して使われています(亡骸もないままの浮舟の葬儀を乳母と
共に悲しむ場面と、薫の厚意を夫の常陸介が喜ぶのを見て、
ましてや浮舟が生きていれば、と思う場面)。ここで同じ表現が
妹尼に対して使われているのは、おそらく妹尼の浮舟に対する
思いが母親と同等であることを示そうとしたのでありましょう。
浮舟が自分に内緒で出家してしまったことに、「いとものはかなく
ぞおはしける御心なれ」(本当に浅はかな考えのないことをして
くださったことですよ)と泣きながら、それでも出家した浮舟の為、
尼装束の用意をしている様子が描かれています。
ここも「どうしようもない馬鹿な子だ」と言いながらも我が子に愛情
を注ぐ母親の姿が感じられ、妹尼の浮舟に対する優しさが伝わって
来る一文となっています。
妹尼の人柄と、浮舟に対する思いが分かる気がしますね。
次回で「手習」を読み終える予定ですので、年が明ければ最後の
第54帖「夢浮橋」に入ることになりそうです。
カレンダーがいよいよ薄くなって、今年も余すところあと2ヶ月を
切りました。11月に入ってからは、穏やかな日が続いています。
このクラスは第53帖「手習」の5回目、今回のところで、浮舟が
遂に出家を遂げました。
「手習」の巻の冒頭で、横川僧都らによって救出された浮舟は、
僧都の妹尼らと共に小野で暮らすようになりました。が、妹尼の
亡き娘の婿であった中将に懸想され、妹尼ら周囲も二人の結婚
を望んだため、困った浮舟は、妹尼が初瀬詣に出掛けた留守に、
京での一品の宮(女一宮)の加持祈祷のため小野に立ち寄った
横川僧都に懇願して、出家を果たしてしまいました。
初瀬から戻った妹尼の落胆ぶりは尋常ではありませんでした。
「伏しまろびつつ」(泣き伏し身をよじって)限りなく悲しみます。
この「伏しまろぶ」という表現は、「蜻蛉」の巻で二度、浮舟の母親
に対して使われています(亡骸もないままの浮舟の葬儀を乳母と
共に悲しむ場面と、薫の厚意を夫の常陸介が喜ぶのを見て、
ましてや浮舟が生きていれば、と思う場面)。ここで同じ表現が
妹尼に対して使われているのは、おそらく妹尼の浮舟に対する
思いが母親と同等であることを示そうとしたのでありましょう。
浮舟が自分に内緒で出家してしまったことに、「いとものはかなく
ぞおはしける御心なれ」(本当に浅はかな考えのないことをして
くださったことですよ)と泣きながら、それでも出家した浮舟の為、
尼装束の用意をしている様子が描かれています。
ここも「どうしようもない馬鹿な子だ」と言いながらも我が子に愛情
を注ぐ母親の姿が感じられ、妹尼の浮舟に対する優しさが伝わって
来る一文となっています。
妹尼の人柄と、浮舟に対する思いが分かる気がしますね。
次回で「手習」を読み終える予定ですので、年が明ければ最後の
第54帖「夢浮橋」に入ることになりそうです。
女君と女房との距離感
2019年10月19日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第166回)
10月も半ばを過ぎ、急速に秋が深まっております。日も短くなって、
仕事帰りにちょっとスーパーで買い物をして外に出ると、もう辺りは
真っ暗、なんてことが多くなりました。
このクラスは例会毎に、「あと何回」と数えるところまで来ています。
今読んでいる第53帖「手習」に2回、最後の54帖「夢浮橋」に2回、
残り計4回かなぁ、と思っているところです。
「源氏物語」もここまで読み進めると、様々な物語全体を通しての
推移が見えてまいります。女君と女房との距離感、と言いますか、
気持のズレ、と言いますか、そうした両者の隔たりも、第一部を
読んでいる頃には殆ど感じられなかったものですが、第二部以降、
次第に大きくなって、第三部の「宇治十帖」になると、女君と女房の
意識には歴然とした違いが表れ、先ず大君が孤立して行きました。
浮舟に至っては、右近や侍従という、浮舟の幸せを願ってやまない
女房たちがいるにも拘らず、その気持ちは空回りをし、結局浮舟は
孤立して自死の道を選ぶに至りました。
更に、横川の僧都によって救われた浮舟が身を寄せている小野の
草庵では、誰一人浮舟のこれまでを知る人も無く、赤の他人の老尼
の集団に放り込まれた形となって、その断絶は究極のところにまで
達した感があります。
物語が進むにつれて、女君の孤独感が際立って来る背景に、こうした
女房との関係があることも知っておいて良いかと思うのです。
10月も半ばを過ぎ、急速に秋が深まっております。日も短くなって、
仕事帰りにちょっとスーパーで買い物をして外に出ると、もう辺りは
真っ暗、なんてことが多くなりました。
このクラスは例会毎に、「あと何回」と数えるところまで来ています。
今読んでいる第53帖「手習」に2回、最後の54帖「夢浮橋」に2回、
残り計4回かなぁ、と思っているところです。
「源氏物語」もここまで読み進めると、様々な物語全体を通しての
推移が見えてまいります。女君と女房との距離感、と言いますか、
気持のズレ、と言いますか、そうした両者の隔たりも、第一部を
読んでいる頃には殆ど感じられなかったものですが、第二部以降、
次第に大きくなって、第三部の「宇治十帖」になると、女君と女房の
意識には歴然とした違いが表れ、先ず大君が孤立して行きました。
浮舟に至っては、右近や侍従という、浮舟の幸せを願ってやまない
女房たちがいるにも拘らず、その気持ちは空回りをし、結局浮舟は
孤立して自死の道を選ぶに至りました。
更に、横川の僧都によって救われた浮舟が身を寄せている小野の
草庵では、誰一人浮舟のこれまでを知る人も無く、赤の他人の老尼
の集団に放り込まれた形となって、その断絶は究極のところにまで
達した感があります。
物語が進むにつれて、女君の孤独感が際立って来る背景に、こうした
女房との関係があることも知っておいて良いかと思うのです。
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