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中将の君が垣間見た薫の印象

2024年2月26日(月) 溝の口「湖月会」(第177回)

昨日の冷たい雨の降る厳しい寒さから、今日は一転して
青空が広がり、気温も最高気温が10度を超えてホッとした
のですが、如何せん風が強くて、花粉が飛びに飛んだの
でしょうか。帰宅後の目の痒み、クシャミ、鼻水が堪らなく、
今季一番のつらさとなりました( ;∀;)

このクラスも第2金曜クラスと同じ、浮舟の母・中将の君が、
中の君にこれ迄の不遇を嘆いていたところへ、薫が訪れた
場面を読みました。

以前に宇治で薫の姿をちらっと見かけた浮舟の乳母が、
「いみじきもの」(とても素晴らしいお方)と絶賛していたけれ
ど、先刻垣間見た匂宮ほどではあるまいと、中将の君は
思っておりました。

第一印象は「げに、あなめでた、をかしげとも見えず」(確か
に、ああ素晴らしい、風情があるというようにも見えない)と
あり、匂宮が桜の花の枝のようなあでやかな印象だったの
に比べ、いささか地味に感じられたのでしょう。

そして、「なまめかしうあてにきよげなる」(優美で気品があり、
こざっぱりとしている」と続き、その後に、自分が見られては
いない、ということがわかっていても、思わず髪の乱れを気に
して直してしまうほど、「心はづかしげに用意多く、際もなきさま
ぞしたまへる」(こちらが緊張してしまうくらい、たしなみ深く、
この上もない素晴らしさでいらっしゃる)となっています。

薫の外見には、匂宮のようなパッと見の華やかさはなく、内面
から滲み出るものに素晴らしさが感じられる、といったところで
しょうか。しかも薫には、前世での功徳が知りたくなる程、身体
に具わる芳香もあります。

最終的には「いとめでたく、思ふやうなる御さまかな」(何と立派
で、理想的なお姿ですこと)と、中将の君は薫を絶賛して、匂宮
を垣間見た時に「織女ばかりにても」(織姫のようであっても)と
思ったのと同様に、薫に対しても「かかる彦星の光をこそ待ち
つけさせめ」(このような彦星の光を待ち受けさせたいものだ)と、
たとえたまさかの訪れであっても、やはり浮舟は高貴なお方に
縁づかせたいとの思いを強くしたのでした。


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中将の君の風采

2024年2月9日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第177回)

暦の上で春を迎えた途端に訪れた積雪を伴う寒波も
遠のき始め、来週の半ばには20度近くまで気温が
上がり、花粉の飛散量も急激に増えるとのこと。
暖かくなるのは嬉しいのですが、また悩ましい時季
の到来でもあります。

今月も第1水曜日と第2金曜日が同じ週になったので、
今日のクラスは一昨日のオンラインクラスの続きから
読み始めることになりました。

そろそろ第50帖「東屋」も半分近くまで来ておりますが、
まだ浮舟の存在感は薄く、中心は母の中将の君です。

中の君を頼り、浮舟を連れて二条院へとやって来た
中将の君は、中の君の生活ぶりや、匂宮の姿を垣間
見て、これまで浮舟を高貴な方に娶せることを敬遠
してきた信念を覆し、娘の結婚に高い理想を抱くよう
になりました。

ここで初めて中将の君の風采について語られます。

「ねびにたるさまなれど、よしなからぬさましてきよげ
なり。いたく肥え過ぎにたるなむ、常陸殿とは見えける」
(年は取っているけれど、風雅のたしなみもなくはない
様子でこざっぱりとしている。酷く太り過ぎているという
のが、いかにも常陸殿といった感じに見えるのだった)

中将の君も祖父の代では大臣家。没落後も宮家に仕え、
それなりの風雅の道の心得もある、と見て取れるのです。
年を取っていると言っても、娘の浮舟が21歳ですから、
せいぜい40代の半ばといったところでしょうが(今、この
年代の人を年寄り扱いすることはあり得ませんけどね)、
40歳からは老齢期と考えられていた時代ですから。

ただ、この浮舟の母は、「太り過ぎ」だったというのです。
「肥ゆ」という言葉は、通常褒め言葉として使われ、若い
女性がふっくらとして美しい時や、幼児が丸々と太って
可愛い時に用いられています。前者の例では、軒端荻、
雲居雁、玉鬘(この場合は手)、後者の例としては、
薫、中の君が挙げられます。

この時代は太っているほうが「美人」とされていました。
体格はある意味、食生活を反映させるものでもあります。
食べるのにも事欠けば、末摘花のように骨が浮き出て
見えるような痩せ痩せのみすぼらしい姿となってしまい
ますので、当時は、「肥ゆ」は経済力、権力の象徴とも
考えられていたのではないでしょうか。

でもやはり、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのですね。
今風に言うなら「超メタボ」の中将の君は、それが故に
「常陸殿」=「いかにも田舎者の受領の妻の風情」と茶化
されているのです。


もし大君が生きていたなら

2024年2月7日(水) 溝の口「オンライン源氏の会」(第43回・通算184回)

立春と共に訪れた寒波。南関東の平野部で雪が積もるのは
稀ですが、5日のお昼頃から降り始めた雪は、かなりの積雪と
なり、今日の夕方になっても、道路脇などには雪が残っていて、
歩く時はしっかり足元を見て、注意を要する状態でした。

この寒さも今日までで、明日からは最高気温も10度を超える
ようになり、来週の水曜日には何と18度迄上がるとの予報です。
短期間で極端過ぎる寒暖差ですね。

オンライン「源氏の会」は、1月の会場2クラスと同じ箇所を講読
するので、今日は二条院で、浮舟の母が匂宮の姿を垣間見て、
これまでの貴公子を敬遠する思いが消え失せ、浮舟の結婚に
高い理想を抱き始めた場面を中心に読みました。

中将の君(浮舟の母)が、匂宮夫人となった中の君のこの上ない
運勢に比べ、大君が亡くなってしまわれたことが、やり切れない
思いです、と言うと、中の君も、薫の今も変わらない大君への深い
お心の程を見るにつけても、姉の死は本当に残念だ、と応じます。
中将の君は、もし、大君が存命だったら、薫に女二の宮が降嫁
なさることはなかったでしょうか、と問いかけます。中の君は、
「いさや、やうのものと、人笑はれなるここちせましも、なかなか
にやあらまし」(さあ、姉妹共に同様のものだと、世間の物笑いの
種となる辛い思いをするのも、却ってみじめなことだったでしょう)
と答えました。つまり、匂宮が夕霧の六の君を正室としたように、
薫も女二の宮を正室に迎え、姉妹揃って惨めな思いをすること
になったのではないか、と案じているのですが、果たして、大君
が生きていたら、女二の宮の降嫁はあったのか?なかったのか?

女二の宮の降嫁は、帝の命令のようなものですから、帝から要請
があれば、薫はやはり拒絶は出来なかったでしょう。仮に薫と大君
が結ばれていたとしても、薫が宇治に通う状態だとしたら、帝は、
大君を薫の愛人の一人と受け止めて、女二の宮を降嫁させたの
ではないかと思います。でも大君が京の三条の宮に迎え取られて、
正妻扱いを受けていたとしたら、今上帝は女二の宮の降嫁に踏み
切ったかどうか。朱雀院は、紫の上の存在を承知の上で女三の宮
を源氏に降嫁させました。ただ朱雀院の場合は、自身の出家を前
にしていたという事情もあり、降嫁させたのち、源氏の女三の宮へ
の愛情が紫の上に及ばないことに苦慮されてもいました。そうして
みると、今上帝が、愛妻を得たばかりの薫に、女二の宮の降嫁を
迫るのは、ちょっと考え難いのですが、如何でしょうか?でも現在
の女三の宮は、薫というしっかり者の孝行息子に守られて、平穏
な日々を送っています。となると、降嫁もありかもしれませんね。

フィクションの『源氏物語』に「たられば」は無し、と思うのですが、
もしかしたら、千年前の読者も、「たられば」の世界を楽しんでいた
かもしれませんよね( ´艸`)


浮舟の母の意識の変化

2024年1月22日(月) 溝の口「湖月会」(第176回)

今日は幾分寒さも和らぎましたが、明後日からはこの冬一番の
寒波がやってくるとのこと。被災地の寒さは如何ばかりかと思わ
れます。「災害関連死」なとどいう言葉を聞くと、せっかく助かった
命なのに、と、つらいですね。

このクラスは第2金曜日クラスと同じで、第50帖「東屋」の半ばに
差し掛かっています。左近少将が浮舟の異父妹の許に婿として
通ってくるようになると、これまで浮舟の住んでいた西の対が
占領され、母の中将の君は、そんな浮舟を憐み、中の君に懇願
して、浮舟をしばらく二条院に預かってもらうことにしました。

母君も二、三日、二条院に滞在し、折から中の君の許へとやって
来られた匂宮を覗き見します。

その目に映った匂宮は「いときよらに、桜を折りたるさましたまひて」
(とても美しく、桜を手折ったような姿でいらして)と表現されています。

『源氏物語』の中で、男君が花に譬えられているのは、この匂宮のみ
です。女君で「桜」に譬えられたのは言うまでもなく紫の上で、ここで
匂宮を桜に譬えたのには、二条院の桜を紫の上に託された繋がりを
意識してのことでしょうが、四位、五位の殿上人たちに傅かれ、この
上なく高貴で優雅な様子の匂宮に、母君は、「あはれこは何人ぞ」
(ああ、このお方の素晴らしさは一体何と言えばいいの)と、感嘆を
禁じ得ないのでした。

母君はこれ迄、貴人と結ばれても、他に正妻がいて、辛い思いをさせ
られては、幸せではあるまいと、中の君のことも想像していたのでした
が、この匂宮のご様子容貌を見て、「織女のようにたとえ年に一度の
逢瀬であっても構わない」と、日頃の心情を忽ちのうちに崩してしまい
ました。

そして、「わが娘も、かやうにてさし並べたらむには、かたはならじかし」
(私の娘〈浮舟〉も、このようなお方の傍に置いても、おかしくはあるまい)
と、これから浮舟の結婚には高い理想を持とうと、一晩中考え続けて
いたのです。

我が身の悲しい体験から、頑なに抱き続けて来た貴人に対する不信
と敬遠の気持ち。それが賛美と羨望へと変化しています。この母君の
揺れ動く心が、これからの浮舟の運命を暗示しているかのようでもあり
ます。


浮舟の母の出自

2024年1月12日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第176回)

暖冬とは言え、さすがに寒中です。明日は関東の平地でも
雪になるかもしれないとの天気予報。能登半島の復旧作業
の妨げとなるような荒天にはならないように、と祈ります。

お正月で、第1水曜日のオンラインクラスを2週目に持って
来たため、今月も第2金曜日の例会の講読箇所が一昨日の
続きとなりますが、舞台はこれまでの常陸介邸から二条院へ
と移ります。

少将が浮舟の異父妹(常陸介の実子)の許へと通いはじめ、
母君は、浮舟をしばらく二条院に住まわせて欲しいと中の君
に懇願しました。その結果、二条院の西の対(中の君の居所)
の西廂の人目につかない所に浮舟の部屋が設けられ、浮舟
は母君に伴われて、二条院へと参上したのでした。

中の君と母君はこれまで疎遠ではありましたが、初対面でも
なく、また二人は縁続きでもあるので、中の君も几帳で隔てた
りすることもなく、若君をあやしながら、母君と対面なさいます。

母君の目には、その中の君の姿は理想的なものとして映り、
羨ましくも思われ、「われも故北の方には離れたてまつるべき
人かは、つかうまつるといひしばかりに、かずまへられたてま
つらず、くちをしくてかく人にはあなづらるる」(私だって、亡き
八の宮の北の方に繋がりのある者なのに。女房としてお仕え
していたというだけで、八の宮に人並みに扱ってもらえず、情
ないことにこうして世間からは見下されるのだ」と、自分のほう
から押しかけて来て、中の君に親しくしていただこうとしている
のが、惨めに感じられるのでした。

浮舟の母・中将の君の出自を系図にしてみました。
  050「東屋」系図
浮舟の母・中将の君は、大君、中の君の母である「八の宮の
北の方」の姪に当たることがわかります。おそらく親を早くに
亡くして、後見をしてくれる人がいなかったのでしょう。それで
縁者の八の宮の北の方を頼って、八の宮家に女房として仕え
るようになったのだと思われます。

従妹の中の君の匂宮夫人としての暮らしぶりを目にした時、
中将の君に羨やむ気持ちが湧いて来るのも無理のないこと
だったでしょうね。


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