花散里の歌の解釈
2023年9月5日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算173回 統合123回)
昨日はようやく猛暑日から解放され、エアコンを点けずに
過ごせましたが、たった一日だけで、今日はまた猛暑日と
なりました。9月に入ってもなお「猛暑日」だなんて、やはり
「地球沸騰化」が現実味を帯びてきていますね。
もともとさほど多い人数ではなく、ここ数年はずっと10名余
で『源氏物語』を読み進めてきた高座渋谷のクラスですが、
今年に入ってから故障者が続出。これまでは揃って第54帖
「夢浮橋」迄読むつもりでおりましたが、このままでは残った
5名ほどで「宇治十帖」に入っても、最後まで辿り着くのは
難しいのではないか、と思うようになりました。ちょうど今、
講読中の第41帖「幻」で第二部が終わり、区切りも良いと
いうことで、一応「幻」を読み終えたところ(おそらく11月)で、
解散することにいたしました。
前年の秋に亡くなった紫の上をひたすら追慕して過ごす
源氏の1年を描いた「幻」の巻ですが、今日は3月~5月に
かけてのところを読みました。
その中の4月ですが、4月の場面はとても短くて、花散里と
の歌の贈答のみです。
当時は、4月になれば夏となり、衣更えをします。花散里は、
源氏の夏の装束を仕立てて差し上げますが、それに添えら
れていた歌です。
「夏衣裁ちかへてける今日ばかりふるき思ひもすすみやは
せぬ」
この歌の「ふるき思ひ」を、誰に対する思いとするかによって、
解釈が異なって来ます。
テキストとして使っている「新潮日本古典集成」本の頭注に
よると、「夏衣を新しく仕立て下ろした今日くらいは、すっかり
昔のこととなりました私のこともお思い出しにならぬことが
ありましょうか」となっています。「やは」は反語ですから、
「きっと思い出してくださいましょう」という意になります。
控え目で、自己主張をすることの無い花散里にしては、
積極的過ぎる気がして、この解釈は今ひとつピンと来ない
のです。「ふるき思ひ」を紫の上のこととして解釈したらどう
なるでしょう。
「夏の衣を仕立てて更える今日こそ、これまで仕立てて
おられた亡き人(紫の上)をお偲びになるお気持ちも、
いっそう募られることでありましょう」という意になろうか、
と思われます。
花散里の性格からすれば、後者のほうが相応しい気が
するのですが、いかがでしょうか?
昨日はようやく猛暑日から解放され、エアコンを点けずに
過ごせましたが、たった一日だけで、今日はまた猛暑日と
なりました。9月に入ってもなお「猛暑日」だなんて、やはり
「地球沸騰化」が現実味を帯びてきていますね。
もともとさほど多い人数ではなく、ここ数年はずっと10名余
で『源氏物語』を読み進めてきた高座渋谷のクラスですが、
今年に入ってから故障者が続出。これまでは揃って第54帖
「夢浮橋」迄読むつもりでおりましたが、このままでは残った
5名ほどで「宇治十帖」に入っても、最後まで辿り着くのは
難しいのではないか、と思うようになりました。ちょうど今、
講読中の第41帖「幻」で第二部が終わり、区切りも良いと
いうことで、一応「幻」を読み終えたところ(おそらく11月)で、
解散することにいたしました。
前年の秋に亡くなった紫の上をひたすら追慕して過ごす
源氏の1年を描いた「幻」の巻ですが、今日は3月~5月に
かけてのところを読みました。
その中の4月ですが、4月の場面はとても短くて、花散里と
の歌の贈答のみです。
当時は、4月になれば夏となり、衣更えをします。花散里は、
源氏の夏の装束を仕立てて差し上げますが、それに添えら
れていた歌です。
「夏衣裁ちかへてける今日ばかりふるき思ひもすすみやは
せぬ」
この歌の「ふるき思ひ」を、誰に対する思いとするかによって、
解釈が異なって来ます。
テキストとして使っている「新潮日本古典集成」本の頭注に
よると、「夏衣を新しく仕立て下ろした今日くらいは、すっかり
昔のこととなりました私のこともお思い出しにならぬことが
ありましょうか」となっています。「やは」は反語ですから、
「きっと思い出してくださいましょう」という意になります。
控え目で、自己主張をすることの無い花散里にしては、
積極的過ぎる気がして、この解釈は今ひとつピンと来ない
のです。「ふるき思ひ」を紫の上のこととして解釈したらどう
なるでしょう。
「夏の衣を仕立てて更える今日こそ、これまで仕立てて
おられた亡き人(紫の上)をお偲びになるお気持ちも、
いっそう募られることでありましょう」という意になろうか、
と思われます。
花散里の性格からすれば、後者のほうが相応しい気が
するのですが、いかがでしょうか?
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こんな無邪気な二人が・・・
2023年8月1日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算172回 統合122回)
昨夜(と言っても日付が替わってから)は、雷が鳴り始め、窓を
開け放して寝ることが出来なくなったので、窓は閉め切り、部屋
のドアを開け放して、居間のエアコンを28℃に設定した状態で
寝ました。
今朝は、昨日までのように快晴ではなく、幾分猛暑も収まって
いる感じはしましたが、お昼頃になると、雲行きが怪しくなって
来ました。それでも高座渋谷の学習センターに着くまでに雨が
降り出すことはありませんでした。
講読会を始めて間もなく、稲妻が走り、雷鳴が轟いて、物凄い
勢いで雨が降ってきました。その雷雨も、例会の終わる頃には
遠ざかっていましたから、とてもラッキーだったと思います。
その後は気温が急激に下がり、猛暑に慣れてしまったせいか、
肌寒さを感じるほどになりました。もう深夜ですが、涼しい風が
入って来て、今夜はエアコン要らずです。でも明日からはまた
猛暑復活だとか( ;∀;)
連続猛暑日が一転したせいで、前置きが長くなってしまいました
が、このクラスは『源氏物語』第二部の最終章・第41帖「幻」の
2回目、源氏52歳の2月から3月にかけての所を読みました。
明石中宮は宮中に帰参するにあたって、愛妻・紫の上を喪った
父親(源氏)の寂しさを思い遣り、三の宮(のちの匂宮)を源氏の
許に残しておかれました。
2月には紅梅を、3月には桜を、源氏は匂宮と共に愛で惜しみ、
二人で紫の上を追慕して過ごすのでした。
することもなく所在ないので、源氏は女三宮の許を訪れます。
若宮(匂宮)も、女房に抱かれて一緒にお出でになりました。
そして「こなたの若君と走り遊び、花惜しみたまふ心ばへども
深からず、いといはけなし」(こちらの若君(のちの薫)と走り
廻って、花が散るのを惜しむ気持ちなどたいしてなく、とても
無邪気でいらっしゃいます)と、源氏と、紫の上の残された桜
を前にした時は、「木の周りに御帳台を立てて風が吹き寄ら
ないようにしよう」などと言っていた匂宮も、幼い子ども同士で
遊ぶ楽しさに心奪われている状態であることを示しています。
この時匂宮6歳、薫5歳です。性格はまったく逆の二人ですが、
ずっと成人してからも無二の親友であり続けました。それが
浮舟という一人の女性を挟んで、長年の友情が破綻すること
になります。匂宮28歳、薫27歳になっていました。
今湘南台のクラスで読んでいる第52帖「蜻蛉」で、浮舟を巡り
心理戦を繰り広げる薫と匂宮の姿など、こんなに無邪気に走り
回って遊んでいる二人から想像するのは難しいですね。やはり
大河ドラマ『源氏物語』の妙味をかみしめる要因となる一場面
かと思うのです。
昨夜(と言っても日付が替わってから)は、雷が鳴り始め、窓を
開け放して寝ることが出来なくなったので、窓は閉め切り、部屋
のドアを開け放して、居間のエアコンを28℃に設定した状態で
寝ました。
今朝は、昨日までのように快晴ではなく、幾分猛暑も収まって
いる感じはしましたが、お昼頃になると、雲行きが怪しくなって
来ました。それでも高座渋谷の学習センターに着くまでに雨が
降り出すことはありませんでした。
講読会を始めて間もなく、稲妻が走り、雷鳴が轟いて、物凄い
勢いで雨が降ってきました。その雷雨も、例会の終わる頃には
遠ざかっていましたから、とてもラッキーだったと思います。
その後は気温が急激に下がり、猛暑に慣れてしまったせいか、
肌寒さを感じるほどになりました。もう深夜ですが、涼しい風が
入って来て、今夜はエアコン要らずです。でも明日からはまた
猛暑復活だとか( ;∀;)
連続猛暑日が一転したせいで、前置きが長くなってしまいました
が、このクラスは『源氏物語』第二部の最終章・第41帖「幻」の
2回目、源氏52歳の2月から3月にかけての所を読みました。
明石中宮は宮中に帰参するにあたって、愛妻・紫の上を喪った
父親(源氏)の寂しさを思い遣り、三の宮(のちの匂宮)を源氏の
許に残しておかれました。
2月には紅梅を、3月には桜を、源氏は匂宮と共に愛で惜しみ、
二人で紫の上を追慕して過ごすのでした。
することもなく所在ないので、源氏は女三宮の許を訪れます。
若宮(匂宮)も、女房に抱かれて一緒にお出でになりました。
そして「こなたの若君と走り遊び、花惜しみたまふ心ばへども
深からず、いといはけなし」(こちらの若君(のちの薫)と走り
廻って、花が散るのを惜しむ気持ちなどたいしてなく、とても
無邪気でいらっしゃいます)と、源氏と、紫の上の残された桜
を前にした時は、「木の周りに御帳台を立てて風が吹き寄ら
ないようにしよう」などと言っていた匂宮も、幼い子ども同士で
遊ぶ楽しさに心奪われている状態であることを示しています。
この時匂宮6歳、薫5歳です。性格はまったく逆の二人ですが、
ずっと成人してからも無二の親友であり続けました。それが
浮舟という一人の女性を挟んで、長年の友情が破綻すること
になります。匂宮28歳、薫27歳になっていました。
今湘南台のクラスで読んでいる第52帖「蜻蛉」で、浮舟を巡り
心理戦を繰り広げる薫と匂宮の姿など、こんなに無邪気に走り
回って遊んでいる二人から想像するのは難しいですね。やはり
大河ドラマ『源氏物語』の妙味をかみしめる要因となる一場面
かと思うのです。
光源氏の物語・最終章「幻」の巻
2023年7月4日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算171回 統合121回)
『源氏物語』の54帖中、第1帖「桐壺」から第41帖「幻」迄が、
光源氏を主人公とした物語です。
高座渋谷のクラスは、今月からその最後となる「幻」の巻に
入りました。
この巻は、紫の上の亡くなった翌年の1月から12月までが、
まるで「月次絵」を見るかのように綴られています。源氏は
「君といた1月、君といた2月、君といた3月・・・」といった感じ
で、何をしても、誰と居ても、ただもう思い出すのは紫の上
のことばかりです。年末に、来年早々の源氏の出家を予感
させて、41帖に渡って語り続けられてきた光源氏の物語は
終焉を迎えます。
紫の上は前年の秋に亡くなりました。年が明け(源氏52歳)、
新春の光を見るにつけても、源氏の心は悲しみが募るばかり
です。紫の上が春を愛した人だっただけに、いっそう辛かった
のでありましょう。
六条院の女君たち(花散里や明石の上)の許へも行かず、
専ら紫の上に仕えていた女房たちを相手に、紫の上の
思い出に浸る源氏でした。
源氏が朝顔の君に熱心に言い寄っておられた時のこと、
女三宮が降嫁して来られた時のこと。当時は紫の上の
苦しい心の内を忖度することもなく、紫の上の自己犠牲に
甘えていた源氏でしたが、紫の上を喪って、初めてその
苦悩の一端を思い遣る、という皮肉な結果となったのです。
ここで朝顔の君への源氏の求愛、女三宮の降嫁などが
語られることで、読者も思い出します。朝顔の君が自分より
も格上なだけに、源氏が朝顔の君と結婚したら、外聞の
悪いことになろうと、紫の上が本当に辛く感じていたことを。
朝顔の君の結婚拒否で、この件は紫の上の杞憂に終わり
ましたが、それが現実となったのが女三宮の降嫁でした。
心の内では悶え苦しみながらも、源氏の前では何気なく
振舞う努力をしていた紫の上。それによって保たれていた
六条院の秩序と平和、などなど・・・。
「幻」は、源氏と共に、読者もまた紫の上を追想する巻に
なっているのだと思います。
『源氏物語』の54帖中、第1帖「桐壺」から第41帖「幻」迄が、
光源氏を主人公とした物語です。
高座渋谷のクラスは、今月からその最後となる「幻」の巻に
入りました。
この巻は、紫の上の亡くなった翌年の1月から12月までが、
まるで「月次絵」を見るかのように綴られています。源氏は
「君といた1月、君といた2月、君といた3月・・・」といった感じ
で、何をしても、誰と居ても、ただもう思い出すのは紫の上
のことばかりです。年末に、来年早々の源氏の出家を予感
させて、41帖に渡って語り続けられてきた光源氏の物語は
終焉を迎えます。
紫の上は前年の秋に亡くなりました。年が明け(源氏52歳)、
新春の光を見るにつけても、源氏の心は悲しみが募るばかり
です。紫の上が春を愛した人だっただけに、いっそう辛かった
のでありましょう。
六条院の女君たち(花散里や明石の上)の許へも行かず、
専ら紫の上に仕えていた女房たちを相手に、紫の上の
思い出に浸る源氏でした。
源氏が朝顔の君に熱心に言い寄っておられた時のこと、
女三宮が降嫁して来られた時のこと。当時は紫の上の
苦しい心の内を忖度することもなく、紫の上の自己犠牲に
甘えていた源氏でしたが、紫の上を喪って、初めてその
苦悩の一端を思い遣る、という皮肉な結果となったのです。
ここで朝顔の君への源氏の求愛、女三宮の降嫁などが
語られることで、読者も思い出します。朝顔の君が自分より
も格上なだけに、源氏が朝顔の君と結婚したら、外聞の
悪いことになろうと、紫の上が本当に辛く感じていたことを。
朝顔の君の結婚拒否で、この件は紫の上の杞憂に終わり
ましたが、それが現実となったのが女三宮の降嫁でした。
心の内では悶え苦しみながらも、源氏の前では何気なく
振舞う努力をしていた紫の上。それによって保たれていた
六条院の秩序と平和、などなど・・・。
「幻」は、源氏と共に、読者もまた紫の上を追想する巻に
なっているのだと思います。
過ぎ去った29年の歳月
2023年6月日6(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算170回 統合120回)
関東も今週の後半には梅雨入りとなりそうな気配です。
高座渋谷のクラスは、今回で第40帖「御法」を読み終え、
光源氏の物語(第二部迄)は、余すところ第41帖「幻」だけ
となりました。
最愛の妻・紫の上に先立たれ、葬送の場へも人の手を
借りなければ出向けないほどに、源氏は茫然自失の状態
でした。
紫の上が息を引き取ったのは8月14日の夜が明けた頃。
葵の上も、葬送が8月の20日過ぎでしたから、紫の上と
ほぼ同じ頃ですが、その間に29年の歳月が流れています。
源氏は、葵の上を荼毘に付した際の自分を思い出します。
「かれはなほもののおぼえけるにや、月の顔明らかに
おぼえし」(あの時はまだしっかりとしていたのか、有明の
月がはっきりと記憶に残っていた)と。そして、「のぼりぬる
煙はそれとわかねどもなべて雲居のあはれなるかな」
(大空に立ち上った火葬の煙は雲と混ざり合い、どれだと
見分けることもできないが、空一面がしみじみと感じられる
ことよ)と、歌を詠むことも出来ていました。
今の源氏は「ただくれまどひたまへり」(ただ悲しみに沈んで
取り乱しておられる)という有り様です。葵の上の葬送では、
葵の上の父・左大臣が、今の源氏と同じ様子で、「くれまどひ
たまへる」と、全く同じ表現が使われていました。
当時22歳の源氏は、そうした左大臣を、「ことわりにいみじ」
(ごもっともだとおいたわしく)ご覧になっていたのでした。
葵の上と紫の上では、共に過ごした年月も、愛情の深さも
異なるので、一概には言い切れないと思いますが、そこに
流れた歳月の中に源氏の老いを感じ、「あはれ」をもよおす
のです。これは私自身が老いたせいかもしれません。
「葵」のみならす、「野分」、「少女」、「胡蝶」等の巻々での
紫の上の姿を、夕霧や秋好中宮を通して読者にも追想させ
ながら、「御法」の巻は悲しみに包まれたまま幕を閉じます。
最後は「中宮などもおぼし忘るる時の間なく、恋ひきこえたまふ」
(明石中宮なども、亡き紫の上を片時もお忘れにならず、恋慕い
申し上げなさっている)という一文となっています。三歳の時から
養女として手塩にかけて育て上げた中宮の思いが映し出される
ことで、紫の上の救いとなっている気もする終わり方です。
関東も今週の後半には梅雨入りとなりそうな気配です。
高座渋谷のクラスは、今回で第40帖「御法」を読み終え、
光源氏の物語(第二部迄)は、余すところ第41帖「幻」だけ
となりました。
最愛の妻・紫の上に先立たれ、葬送の場へも人の手を
借りなければ出向けないほどに、源氏は茫然自失の状態
でした。
紫の上が息を引き取ったのは8月14日の夜が明けた頃。
葵の上も、葬送が8月の20日過ぎでしたから、紫の上と
ほぼ同じ頃ですが、その間に29年の歳月が流れています。
源氏は、葵の上を荼毘に付した際の自分を思い出します。
「かれはなほもののおぼえけるにや、月の顔明らかに
おぼえし」(あの時はまだしっかりとしていたのか、有明の
月がはっきりと記憶に残っていた)と。そして、「のぼりぬる
煙はそれとわかねどもなべて雲居のあはれなるかな」
(大空に立ち上った火葬の煙は雲と混ざり合い、どれだと
見分けることもできないが、空一面がしみじみと感じられる
ことよ)と、歌を詠むことも出来ていました。
今の源氏は「ただくれまどひたまへり」(ただ悲しみに沈んで
取り乱しておられる)という有り様です。葵の上の葬送では、
葵の上の父・左大臣が、今の源氏と同じ様子で、「くれまどひ
たまへる」と、全く同じ表現が使われていました。
当時22歳の源氏は、そうした左大臣を、「ことわりにいみじ」
(ごもっともだとおいたわしく)ご覧になっていたのでした。
葵の上と紫の上では、共に過ごした年月も、愛情の深さも
異なるので、一概には言い切れないと思いますが、そこに
流れた歳月の中に源氏の老いを感じ、「あはれ」をもよおす
のです。これは私自身が老いたせいかもしれません。
「葵」のみならす、「野分」、「少女」、「胡蝶」等の巻々での
紫の上の姿を、夕霧や秋好中宮を通して読者にも追想させ
ながら、「御法」の巻は悲しみに包まれたまま幕を閉じます。
最後は「中宮などもおぼし忘るる時の間なく、恋ひきこえたまふ」
(明石中宮なども、亡き紫の上を片時もお忘れにならず、恋慕い
申し上げなさっている)という一文となっています。三歳の時から
養女として手塩にかけて育て上げた中宮の思いが映し出される
ことで、紫の上の救いとなっている気もする終わり方です。
紫の上の死
2023年5月日2(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算169回 統合119回)
GW中もいつもと変わらず、第1火曜日の今日は、高座渋谷クラス
の講読会にまいりました。
それにしても、もう5月。毎年同じことを言っている気もしますが、
早くも1年の1/3が終わってしまったのですね。1日が、1週間が、
1ヶ月が、そして1年が、恐ろしい程加速化しています。
このクラスは第40帖「御法」を講読中ですが、今回は紫の上が
亡くなっていく『源氏物語』の一番悲しい場面を読みました。
紫の上43歳の秋。夏から養母・紫の上の容態を案じて二条院に
滞在されていた明石中宮も、帰参を促す帝からのお使いが頻繁
に訪れることもあって、宮中にお戻りになります。挨拶に来られた
中宮の目に映った紫の上は、衰弱して痩せ細っておられますが、
それが却ってあでやかな女盛りの頃よりも気高く優雅に見えます。
脇息にもたれて、中宮と一緒に庭の植え込みを見ている紫の上
の姿に、源氏は、「中宮様がいらっしゃるとご気分もよろしいよう
ですね」と喜びます。ただ身体を起こしているというだけの些細な
ことを、嬉しく感じている源氏が、自分の死に直面した時、どんな
にお心を乱されるかと思うと、紫の上は悲しくなって、
「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」
(起きているとご覧になってもはかない私の命は、ややもすれば
風に乱れる萩の上に置く露と同じでございます)
と、歌を詠みます。これが紫の上の辞世の歌となりました。
源氏、明石中宮も続けて唱和した後、養女として三歳の時から
慈しんで育てた中宮に手を取られて、紫の上は夜が明けた頃、
露のように消え果ててしまわれたのでした。
露は光が当たるとキラキラと輝きます。光源氏という光を受けて、
若き紫の上は輝きました。でも露はまた、紫の上の辞世の歌にも
あるように、風に吹き乱れて消えるはかないものでもあります。
女三宮の降嫁によって、六条院に吹き荒れることになった風の
前に、はかなく散った露。紫の上の死を象徴するにこれ以上の
ものはないでしょう。

国宝「源氏物語絵巻」御法段(五島美術館蔵)
右上が紫の上。その下、尖った小さな頭の後ろ姿で描かれている
のが明石中宮。左が源氏。三人の心情を託したとされる風に揺れ
る秋草が効果的に描かれています。
ちょうど今、五島美術館で、国宝「源氏物語絵巻」が公開中です
(4/29~5/7迄)。
GW中もいつもと変わらず、第1火曜日の今日は、高座渋谷クラス
の講読会にまいりました。
それにしても、もう5月。毎年同じことを言っている気もしますが、
早くも1年の1/3が終わってしまったのですね。1日が、1週間が、
1ヶ月が、そして1年が、恐ろしい程加速化しています。
このクラスは第40帖「御法」を講読中ですが、今回は紫の上が
亡くなっていく『源氏物語』の一番悲しい場面を読みました。
紫の上43歳の秋。夏から養母・紫の上の容態を案じて二条院に
滞在されていた明石中宮も、帰参を促す帝からのお使いが頻繁
に訪れることもあって、宮中にお戻りになります。挨拶に来られた
中宮の目に映った紫の上は、衰弱して痩せ細っておられますが、
それが却ってあでやかな女盛りの頃よりも気高く優雅に見えます。
脇息にもたれて、中宮と一緒に庭の植え込みを見ている紫の上
の姿に、源氏は、「中宮様がいらっしゃるとご気分もよろしいよう
ですね」と喜びます。ただ身体を起こしているというだけの些細な
ことを、嬉しく感じている源氏が、自分の死に直面した時、どんな
にお心を乱されるかと思うと、紫の上は悲しくなって、
「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」
(起きているとご覧になってもはかない私の命は、ややもすれば
風に乱れる萩の上に置く露と同じでございます)
と、歌を詠みます。これが紫の上の辞世の歌となりました。
源氏、明石中宮も続けて唱和した後、養女として三歳の時から
慈しんで育てた中宮に手を取られて、紫の上は夜が明けた頃、
露のように消え果ててしまわれたのでした。
露は光が当たるとキラキラと輝きます。光源氏という光を受けて、
若き紫の上は輝きました。でも露はまた、紫の上の辞世の歌にも
あるように、風に吹き乱れて消えるはかないものでもあります。
女三宮の降嫁によって、六条院に吹き荒れることになった風の
前に、はかなく散った露。紫の上の死を象徴するにこれ以上の
ものはないでしょう。

国宝「源氏物語絵巻」御法段(五島美術館蔵)
右上が紫の上。その下、尖った小さな頭の後ろ姿で描かれている
のが明石中宮。左が源氏。三人の心情を託したとされる風に揺れ
る秋草が効果的に描かれています。
ちょうど今、五島美術館で、国宝「源氏物語絵巻」が公開中です
(4/29~5/7迄)。
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