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新しい試み

2016年4月11日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第1回)

今ある「源氏物語」の講読会は、どのクラスも5年以上続いていますので、
途中からご参加の方も多く、「百人一首」講座の終了が近づいた頃から、
もう一度「源氏物語」の第1帖「桐壺」から読み直しのご希望の声が上がる
ようになり、今月から開始の運びとなりました。

当初は1クラスのつもりでしたが、参加希望者も段々と増えましたので、
現・溝の口クラス(第2金曜日の「源氏物語を読む会」と第4月曜日の
「湖月会」)同様、2クラスに分けて、同月内の振替受講可能の形を
取ることにいたしました。ただ、今度は、そもそも途中参加の方が
ご自身の参加なさったところまでを繋ぐためのクラスとして立ち上げた
ものですから、徐々に人数は減って行きます。ですから、会としては
一つの「紫の会」で、当面は第2月曜クラスと第4木曜クラスでやって
行くつもりです。先々では1クラスになります。

私もこれが自分にとって、第1帖からスタートする講読会の最後、と
位置づけておりますので、何かこれまでとは違う新しい試みを、と思い、
全文を現代語訳して、それを、本文の解説後に、皆さまには原文を
ご覧になって頂きながら、私が現代語訳を読み上げるということを、
今日初めてやってみました。これは林望氏が、講演会の際、最後に
なさるのを聴いて、「これ、いいなあ」と思ったのがきっかけです。

勿論、私は林氏のように情感豊かな朗読は出来ないのですが、
皆さまのご感想を伺ったところ好評でしたので(面と向かってダメと
言う人はいないでしょうが・・・)、当面「木登り豚」になって続けて
みようかと思っております。

今日は前半を「源氏物語」の概説に使いましたので、さほど進んでは
いませんが、テキストの「新潮日本古典集成・源氏物語」の「桐壺」の巻、
最初から13頁の1行目までを講読しました。

この全文訳をこれから、毎月「紫の会」の第2月曜クラスと第4木曜クラスの
ブログで、UPして行こうと思います。

今日は「桐壺」の巻のプロローグに当たる部分を、この後引き続いて書きます
ので、よろしければご覧ください。


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第4木曜日のクラスもスタート!

2016年4月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第1回)

明日からの連休を控えた今日、気温もこの時期にしては低めの
15度止まり。一日中、細かい雨が降っていました。

おまけに、朝7時頃「たまプラーザ」駅でドアー点検をした影響が
解消しておらず、お昼過ぎになっても電車のダイヤは大幅に
乱れていて、各駅停車しかなく、どうなることかとヒヤヒヤ。
第1回目ですし、少し早めに出ていたおかげで、辛うじて間に
合いました。近頃、田園都市線はトラブルが多いです。

そんなことで、何やらバタバタとした始まりとなりましたが、
無事に第2月曜日のクラスと同じところまで読み進めました。

最初にチョー簡単な自己紹介をして頂き、前半1時間は、
「源氏物語」の概説(「百人一首」で鍛えた(?)資料はA4
一枚で)をしました。でも、ここで、ついつい余談が入り過ぎ、
後半は残り30分となって、終わってみれば、あーあ、また
15分の超過、となっていました・・・

4月11日のほうで、「桐壺」(11頁・1行目~12頁・3行目)
の「全文訳」を書きましたので、今日はその続きの
(12頁・4行目~13頁・1行目)を、このあとUPいたします。
(頁・行は「新潮日本古典集成本」による)


桐壺帝の過ち

2016年5月9日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第2回)

2日と6日がお休みになって10連休、という方も結構あったと聞くGWも
昨日で終わりました。皆さまはどのようにお過ごしになったでしょうか。

先月よりスタートした溝の口の「紫の会」、今日は第一帖「桐壺」の巻の
第2回目、帝の寵愛を独り占めしていた更衣(光源氏の母)が、亡くなる
ところまでを読みました。

最愛の更衣をこんなに早く死に追い込んだ張本人は、他ならぬ帝です。

帝には自分の皇統を受け継ぐ皇子のいることが大事で、そのためにも
後宮には多くの妃たちがお仕えしていました。妃たちも、特に「女御」と
呼ばれている、父親が大臣以上の家の娘は、実家の命運を背負って
入内しているわけですから、帝もそれに応える義務がありました。

生まれた皇子が皇太子となり、天皇の座に就くためには、強力な後見が
必要でしたから、いくら帝の御子であっても、母親の出自が低くては、
将来性は望めないのが普通でした。

ところが、この帝(桐壺帝)は、そうした後宮のルールを無視して、
桐壺の更衣という、女御でもなく、何の後ろ盾も持たない一人女性を
偏愛したのですから、ここで過ちを犯してしまったことになります。

帝とて人間ですから、身分の高い女御たちを満遍なく愛しなさい、と
言われても、その通りにするのは難しかったでしょうが、それが出来て
初めて帝王の器と呼ぶに値した時代だったのです。

弘徽殿の女御が帝をお諫めするのは、単なる桐壺の更衣への嫉妬心
からだけではなく、後宮の秩序を守るためでもあったと解することが
出来ます。

陰湿ないじめがエスカレートし、更衣は思い悩む、それをまた帝が
特別に庇護しようとなさる、ますます他の妃たちの反感を買う、そうした
悪循環が、もともと丈夫ではなかった更衣を、いっそう病がちな身体に
して行ったのだと考えられます。

本当に好きな女性一人を愛し抜くことが許されなかった帝も、お気の毒と
言えばお気の毒でありますが・・・。

続いて、本日講読した箇所の前半の全文訳を書きます(次の記事)。


桐壺の更衣のモデルは?

2016年5月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第2回)

夕方には雨になるという予報でしたので、折りたたみ傘をバッグに
入れて出かけましたが、帰宅時にもまだ青空が広がっていました。
雨は明日になるようです。

「紫の会」の第4木曜クラスは、第2月曜クラス同様、「桐壺」の巻の、
更衣が亡くなって季節が夏から秋になった、というところまでを読み
ました。

若宮(のちの光源氏)が三歳の夏に桐壺の更衣は亡くなりますが、
本文中に書かれている彼女のセリフは、ただ一箇所だけです。

「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり いとかく
思うたまへましかば」(もうこれでお別れ、と死出の道に赴く悲しさに
つけても、もっと生きていとうございました。こんなふうになることが
わかっておりましたならば)

これが言わば更衣の辞世の歌になるのですが、この歌を見ると、
思い出されるのが、一条天皇の中宮(亡くなった時は皇后)定子の、
次の辞世の歌です。

「知る人もなき別れ路に今はとて心細くもいそぎ立つかな」(知る人も
いない死出の道に、今はもうその時ということで、私は心細くも急ぎ
旅立って行くのですね)

詠まれている心情に共通するものが窺えます。

桐壺の更衣のモデルには、藤原沢子(仁明天皇女御・光孝天皇母)
が、帝の寵愛も深く、その亡くなった時の状況が酷似している(宮中で
俄かに病が重くなり、退出してすぐに逝去。三位が追贈された)ので、
挙げられることが多いのですが、中宮定子もまたモデルの一人として
考えられています。

一条天皇の寵愛を独占していたこと、父を亡くして後見を失ったこと、
皇子を一人残して、若くして死去したこと、など、作者が桐壺の更衣の
造型にあたって、定子をベースにした可能性は十分にあり、辞世の歌
の類似性などがあっても不思議ではありません。

中宮定子にはこの歌の他に、辞世の歌が二首あり、話がそちらに
及んでいるうちに、今日も15分の時間オーバーとなってしまいました

この後、5月9日の「桐壺の巻・全文訳」の続きを書きます。


景情一致の名場面

2016年6月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第3回)

「梅雨寒」というのでしょうか、今日は気温も低く、細かい雨が降り続く
一日となりました。

「桐壺」の巻の3回目、靫負の命婦が、帝の使者として、亡き桐壺の更衣の
里邸を弔問する場面を読みました。

この場面は、古来「景情一致」の名場面として知られています。

「景情一致」とは、景色とその場にいる人物の心情とが共鳴して、深い感動を
呼び起こすことを言いますが、先ず導入部の、

「野分だちて、にはかに膚寒き夕暮のほど、常よりもおぼしいづること多くて、
靫負の命婦といふをつかはす。夕月夜のをかしきほどにいだし立てさせたまひて、
やがてながめおはします。」(野分めいた風が吹いて、急に肌寒くなった夕暮時、
帝はいつもより思い出されることが多くて、靫負の命婦という女房を、更衣のお里
にお遣わしになりました。夕月の美しい時刻に出立させなさって、帝はそのまま
物思いに耽っていらっしゃいます。)

これだけでも「景情一致」は、十分におわかり頂けるのではないかと思います。

娘に先立たれ、もう庭の手入れなどもする気力が失せ、雑草が伸び放題に
なっているところへ、追い打ちをかける台風のような風。荒れた宿が一層
物寂しく感じられるのですが、月の光だけが、その雑草にも遮られずに
差し込んでいます。この「景」の中で、生きる希望も失い、日々を涙がちに
送っている亡き更衣の母と、帝からの手紙を携えた使者(靫負の命婦)とが
対面するのですから、もうここはぜひ原文を音読して、「景情一致」を存分に
味わって頂きたいと思います。

この後、今回読んだところの全文訳の前半をUPしますので、原文で読まれる
時の内容理解の一助となれば幸いです。

後半の全文訳は、23日(木)のクラスで読んだ後、掲載します。

最後に、後半部分になるのですが、靫負の命婦が後ろ髪を引かれる思いで、
帰ろうとしてしている部分を挙げておきます。「景情一致」をしみじみとどうぞ。

「月は入りかたの空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の
声々もよほし顔なるも、いと立離れにくき草のもとなり」(月が山の端に沈む
頃で、空は清く澄み切っているものの、風がとても涼しくなって、草むらの
様々な虫の声も、まるで一緒に泣け、と言っているかのようで、命婦にとっては、
立ち去りがたいこの草の宿でありました)


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