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第42帖「匂兵部卿」(3)と第43帖「紅梅」(1)

2024年4月10日(水) 中央林間「宇治十帖の会」(第3回)

この「宇治十帖の会」の会場のすぐ近くにある児童公園の
桜も、一昨日夜から昨日にかけての花嵐で殆ど散ってしまい、
地面に花びらの絨毯を敷き詰めた状態になっていました。

今日は久々の快晴。気温もこの時期らしい心地良い暖かさ
となり、過ごし易い一日でした。

「宇治十帖の会」も早3回目となりました。会員も20名にまで
増え、「会として成立する人数が集まるかしら?」と、幹事さん
たちと気を揉んでいた頃が嘘のようです。

相変わらず、ちょっと読んでは横道へ、が多いので、なかなか
予定した程には進めないのですが、今日で第42帖「匂兵部卿」
を読み終え、後半は第43帖「紅梅」に入りました。

続けて、あらすじをご紹介しておきます(前回の「匂兵部卿」(2)
のあらすじは⇒こちらから)。

「匂兵部卿」(3)
薫は、俗世はつまらないものだと考え、なまじ女になど執着したら、
出家の妨げになると思っており、結婚志向はありませんでした。
19歳で三位の宰相となり、右近の中将も兼任したままの、所謂
「宰相の中将」になりました。帝や中宮のお目見えもめでたく、
並々ならぬ待遇を受けているにもかかわらず、自分の出生には
何か秘密があるらしい、ということに薄々気付いていて、浮ついた
色恋沙汰には気乗りがせず、万事控え目に振る舞っているので、
自然と「老成した方」と周囲にも思われるようになっていました。

匂宮が冷泉院の女一宮にご執心だとの噂を聞くにつけ、薫は同じ
冷泉院内で暮らしているので、なるほど、このような奥ゆかしく
たしなみ深い方との結婚ならよかろうか、ともお考えになりますが、
冷泉院が他のこととは異なり、女一宮にだけは薫を近づけないよう
にしておられるので、無理をしてまでとも思えず、また、逢って宮を
恋しく思う気持ちが萌したならば、それも厄介なことになろうかと、
近づくことは避けておられるのでした。
 
薫は特定の女性を愛し抜く、といったことは避けつつも、自分よりも
低い階層の女性とは人目に立たぬよう関係を持っておられたので、
彼女たちの中には進んで三条の宮に仕え、召人となる者も大勢
いました。薫が本気ではないことを知りつつも、「縁が切れてしまう
よりは」と、自らを慰めているのでした。

薫が「母(女三宮)の存命中は、お側で過ごしたい」とおっしゃるの
で、右大臣(夕霧)も、娘のうちの誰か一人は薫と娶せたい、と望み
ながら、口に出せずにいらっしゃる。叔父と姪では近すぎて面白味
もない関係ではあるものの、薫と匂宮以外には婿君として考えられ
る人物もいないのでした。

娘の中では、北の方(雲居雁)腹の娘たちよりも、藤典侍(惟光の娘)
腹の六の君が一際優れており、劣り腹で世間から低く見られること
を憂慮して、六条院に引き取り、落葉の宮の養女となさいました。
薫や匂宮も、この六の君になら心惹かれるに違いない、と、夕霧は
この娘が若い公達たちの気を引くよう、暮らしぶりにもあれこれと
工夫をなさっているのでした。

宮中で賭弓〈のりゆみ〉の行事があり、勝者側の左大将である夕霧
が、還饗〈かへりあるじ〉を開催することになりました。六条院で、
親王たちにも列席いただいて盛大なものを、とお考えであります。
明石中宮腹の御子たちはみな美しくていらっしゃいますが、中でも
匂宮は抜きん出ておられました。

薫は負け方の中将なので、ひっそりと退出なさったのを夕霧に引き
留められ、六条院へと向かわれました。道中、雪もちらつき、風情
ある夕暮時、貴人たちは牛車に揺られながら笛を吹き、この世の
極楽浄土の様相を呈する六条院へとお着きになりました。

宴もたけなわの折から、梅の香に薫の薫りが引き立てられて、
御簾の内から覗いている女房たちも、その香りをほめそやして
おりました。夕霧がとり澄ましている薫に「一緒に歌ってくださら
ないのですか。随分とお客様ぶっておられますね」と言ったので、
薫は素っ気なくならない程度に「神のます」などと口ずさまれたの
でした。

「紅梅」(1)
その頃(具体的には「匂兵部卿」の巻から四年の空白があり、
年立としては「椎本」~「総角」の巻と重なる)、世間で「按察使
の大納言」と申し上げていた方は、故・致仕大臣の次男で、
亡くなった柏木の弟にあたる方でした。子供の頃から利発で、
華やかな趣があり(美声の持ち主として度々登場)、年と共に
昇進して羽振りもよく、帝の信任も厚くていらっしゃるのでした。

既に亡くなられた北の方との間に、大君と中の君の二人の姫君、
再婚した真木柱との間に一男を設けておられました。真木柱は
源氏の弟・蛍兵部卿宮と結婚して一女(宮の御方)がありました
が、兵部卿宮と死別後、宮の御方を連れて按察使の大納言と
再婚されたのでした。

大納言は真木柱の連れ子も自分の娘たちと分け隔てなく育てて
おられましたが、それぞれの姫君に仕える女房たちの間には
トラブルが生じることもありました。そんな時も真木柱の明るい
気性が幸いして、上手く収めておられたので、世間の噂になる
こともなく過ぎておりました。大納言は三人裳着も済ませ、
寝殿の南面に大君、西面に中の君、東面に宮の御方を住ま
わせておられました。父親のいない宮の御方ではありましたが、
父の蛍兵部卿宮からも母方の祖父・式部卿宮からも多くの遺産
を頂戴され、不自由のない上品な暮らしをしていらっしゃいました。
 
大納言家の姫君は評判となり、帝からも東宮からも入内のご希望
がありました。帝に入内しても、明石の中宮と肩を並べるのは
難しかろうと、最初から諦め、東宮にも右大臣(夕霧)の長女が
既に入内していましたが、后がねとして育てた娘を入内させない
まま終わらせるのも残念で、大君を東宮妃となさったのでした。
大君は十七、八で、華やかな美貌の持ち主でした。
 
中の君は姉以上に気品のある方なので、大納言は臣下の男と
娶せるには惜しいと思っており、できれば匂宮を婿としたいと
お考えでした。匂宮が、殿上童をしている大納言の息子を
可愛がっておられ、「弟のお前と付き合うだけで終わりにしたく
ない、と、大納言に伝えてくれ」とおっしゃったことを知り、
大納言は、これは脈ありだと喜んでおられました。先ずは、
大君を東宮に入内させ、父の致仕大臣が果たせなかった立后、
を自分の代で果たせるようにと願っていらっしゃるのでした。
真木柱も継娘の大君に付き添い、気を遣ってお世話なさって
いました。


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第42帖「匂兵部卿」(2)

2024年3月13日(水) 中央林間「宇治十帖の会」(第2回)

先月から始まった「宇治十帖の会」ですが、今日は、綺麗な
花束を頂戴し、記念の集合写真も撮りました。

  ポラリス「宇治十帖の会」集合写真
    折角の花束を抱え込んでしまっていますね🙇

本日読みました第42帖「匂兵部卿」の2回目のあらすじです。
1回目は(⇒こちらから)。

「匂兵部卿」(2)
薫の母君の女三宮は、三条宮で仏道三昧の日々を送っておられ
ますが、息子の薫を親のように頼っておられる有様なのに加えて、
冷泉院も帝も東宮も二の宮も三の宮も薫を相手になさろうとする
ので、薫は身体が二つ欲しいほどの忙しさでした。

幼い頃にちらっと漏れ聞いた自分の出生の秘密が気になり、誰か
に事実を問い質したいと思っているものの、母にはそんな素振りを
見せるわけにもいかず、一人悩み苦しんでいました(※)。母が女
盛りで出家してしまったのも、不義の子である自分を産んだことが
原因なのではないか、女房たちの中には、この秘密を耳にしている
者もいるのではないか、などと考えるけれども、世間に知れては困
るこのような重大なことを、薫に教えてくれる人は誰もいません。

せめて母が来世では極楽浄土へ行けるように手助けして差し上げ
よう、亡くなられたという実父にも来世では会いたい、と願い、現世
での元服は気が進まなかったけれども、拒むことも出来ず、自然と
ついてくる栄華に馴染めずにいらっしゃいました。

帝は薫の伯父(薫の母・女三宮の兄)なので勿論のこと、明石中宮も、
我が子たちと一緒に六条院で成長した薫を可愛がられ、夕霧もまた、
大勢いる息子たちよりも薫には心細やかな配慮を持ってお世話をして
いるのでした。

昔、「光君」と称された方(光源氏)は、父・桐壺帝の寵愛が深くて妬ま
れることも多く、母方の後見もなかったけれど、若い頃から思慮深く、
危機的な状況も自ら須磨に退居することで乗り切り、時期を逃さず
出家なさって、先々を見通す力を身につけておられましたが、薫は世間
からちやほやされ過ぎて、気位の高さがこの上ないのでした。いかにも
仏様がこの世に仮の姿で現れなさったのではないか、と思われるふし
がありました。容貌もどこが、と取り立てて素晴らしいというわけでもなく、
ただその優美さが深遠な雰囲気を醸し出しているのでした。
 
薫には生まれつき不思議な芳香が備わっており、ほとんどお香を焚き
しめることもなさらないけれど、それは本当に百歩先までも薫りそうな
匂いで、春の梅も秋の藤袴も、ひと度薫が触れると、本来の香り以上
のものとなるのでした。

こうして人が不審に思うほどの良い香りを放つ薫に対抗して、匂宮は
お香の調合に余念がなく、格別に香りに夢中になっていることを売りに
していらっしゃるのでした。それで世間では、匂宮を少し軟弱で、風流面
に偏った方だと思っておりました。源氏の君はこんなふうに、一つのこと
だけに熱中なさることはありませんでした。

※「おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬわが身ぞ」
(気掛かりなことだ。一体誰に訊けば良いのだろう。どうして私はこの世
に生まれて来て、この先どうなって行く身なのか、わからない)

幼い頃から自分の出生に疑念を抱いている薫が、14歳で詠んだ歌です。
薫の人格形成の基盤となっている歌だと思いますので、ここに記して
おきます。「匂兵部卿」の巻における唯一の歌でもあります。


講読会の開始・第42帖「匂兵部卿」(1)

2024年24年2月14日(水) 中央林間「宇治十帖の会」(第1回)

2週間前の事前打ち合わせの時も、寒中とは思えない暖かな
日でしたが、今日も最高気温が18度迄上がり、春本番の陽気
の中で、中央林間「宇治十帖の会」はスタートしました。

ブログ記事も何か新しい形で、と考え、このクラスは、従来の
講読箇所から一つテーマを取り上げて記事にするのではなく、
第三部の最初からとなるのを機に、内容の要点を把握出来る
形にして、その日に読んだ本文を粗筋に纏めてご紹介しようと
思います。今「源氏物語のかなり詳しいあらすじ」というカテゴリ
で、第14帖「澪標」の途中迄を書いていますが、リンクさせる形
にしているので、読み難いとのお声もあり、本日の「匂兵部卿」
の巻からは、直接お読みいただけるようにいたします。

第42帖「匂兵部卿」は、光源氏というスーパースターを失った
後の、「宇治十帖」(第45帖「橋姫」~第54帖「夢浮橋」迄)の
プロローグ的な役割をしている巻です。

「匂兵部卿」(1)
光源氏が亡くなられてからは、その美しさを受け継ぐ方は、大勢の
御子孫の中にも、そうそうはいらっしゃらず、それでも、今上帝の
三の宮(匂宮)と、女三の宮腹の若君(薫)が、美しいとの評判を
お取りになっていました。三の宮は紫の上が特に可愛がっておら
れたので、そのご遺言に従い、二条院をお住まいとなさっています。
東宮は別として、帝も明石中宮もこの三の宮をとても大切に扱って、
宮中に住まいをお与えになっているけれども、三の宮(匂宮)自身
は気楽な二条院のほうを好んでおられました。元服の後は「兵部卿」
と申し上げています。

紫の上が養育なさった女一の宮は、そのまま六条院の春(東南)の
町にお住いになっています。二の宮(東宮の弟、匂宮の兄)も同じ春の
町の寝殿を別邸となさり、宮中の梅壺を住まいとして、夕霧の次女を
妻に迎えておられます。次期東宮候補で、重々しいお人柄です。

夕霧には大勢の姫君がおいでになり、長女は東宮妃になっておられ
ます。三女以下も、同じように親王の北の方にと、明石中宮なども
お望みになっていますが、三の宮(匂宮)は自分が気の乗らない縁談
はお断りだと思っておられました。夕霧は、三の宮に同調しながらも、
「機会があらば」と、姫君たちを大切に養育なさっています。六の君が
美人との評判で、貴公子たちの心を悩ましていました。

六条院の御夫人方は、それぞれの終の棲家へとお移りになりました。
花散里は二条東の院を遺産として相続なさり、そちらへお移りになり
ました。女三の宮は、父朱雀院から伝領された三条の宮に移られ、
明石中宮はずっと宮中にお住まいであります。夕霧は、六条院を
荒廃させたくない、との意向で、落葉の宮を六条院の夏(東北)の町
に迎え、雲居雁の居る三条殿と落葉の宮の居る六条院とを、律儀に
一日交替で毎月十五日づつ、通い住んでいらっしゃいました。

二条院も、六条院も、総ては明石の上の子孫の為だったと思われて、
明石の上は大勢の宮たちのお世話をしてお暮らしであります。夕霧は
どなたのことも、公平に面倒をみておられますが、紫の上が生きて
おられたら、どんなに心を尽くしてお世話して差し上げたであろう、と、
自分がお寄せしている好意にも気づかず亡くなってしまわれたのが、
残念なことに思われるのでした。。世の中の誰もが、源氏の君と紫の上
が亡くなってしまわれたことを惜しんでおりました。 

冷泉院は、源氏の君のご遺言を守って薫を猶子とし、子どものいない
秋好中宮と共に全面的に後見をし、元服も冷泉院にて挙げさせなさい
ました。薫は14歳で、右近の中将にまで昇進し、冷泉院に用意された
この上ない環境の中に身を置いていました。致仕大臣(昔の頭中将)も
既にこの世になく、長女で冷泉院の女御となった弘徽殿女御は、女宮
をお産みになっていました。


新講読会の開始に向けて

2024年1月31日(水) 中央林間「宇治十帖の会」

止むを得ない事情で例会の継続が難しくなり、『源氏物語』
の第二部の読了を区切りとして、高座渋谷クラスの解散を
決めたのが、昨年の9月でした(その記事は⇒こちらから)。

ただ中には、折角ここまで読んできたのだから、出来れば
「宇治十帖」まで続けて読みたい、とおっしゃる方もあり、
溝の口の「紫の会」で初めて講読会に参加なさった方々に
(このクラスの発足については⇒こちらから)、「私の年齢
からして、『紫の会』が宇治十帖まで辿り着ける可能性は
少ないので、高座渋谷と溝の口の中間地点の中央林間
で「宇治十帖」を読む会をスタートさせるとしたら、ご参加
頂ける方はありますか?」と伺ったところ、3人の方が手を
挙げて下さいました。

でも、6人ではとても心もとなく、高座渋谷クラスのお二人が
いろいろと手を尽くして、市の文化センターに会員募集の
チラシの掲示を頼んで下さったり、広報掲載の為に市役所
に足を運んで下さったりしているうちに、これまで溝の口で
『源氏物語』の講読(私とは全く関係のない)をしておられた
会の講師の方が体調を崩され、お辞めになってしまわれた
ので、私に講師として来てもらえないか、という話が飛び込
んできました。

訊けば「宇治十帖」を読んでおられるとのこと。今の私はもう
手いっぱいの状況で、お引き受けは出来ませんが、こういう
事情で、新クラスの開講を検討中だとのお話をいたしました。
そして4人の方がご参加下さることに。このような不思議な
ご縁に巡り会えて、とても有難く思っております。

他にも、今日はご都合でご出席になれませんでしたが、
溝の口クラスの方のご紹介で、お二人が来月からの講読会
にはご参加予定です。

また、幹事さんのご尽力も無駄にならず、会場でのチラシを
見てのご参加も3人と、目標の10名を超え、会場で14名、
オンラインで3名(新しい施設なので、教室内でWi-Fiが使え、
Zoomで同時参加も可能)と、計17名の皆さまで、来月より
「宇治十帖」に先立つ「匂宮三帖」から読み始めることになり
ました。

今日は講読会を始めるに当たっての、顔合わせと打ち合わせ
を行いましたが、これも幹事さんが、きめ細かに進行内容を
決めておいて下さったので、滞りなく時間内に運び、オンライン
も全く問題なく接続できることがわかりました。

お天気も良く、気温も15度まで上がり、会場での暖房はOFF
のまま。とても幸先の良い打ち合わせ会となり、来月からは、
このブログにも、ちょっとこれまでとは違う形で、講読内容を
ご紹介していこうかな、と考えているところです。


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