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不安が和らぐ入道の娘

2023年9月28日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第38回・通算85回・№2)

今週に入って、ようやく猛暑も収まり、秋の訪れが肌で
感じられるようになった、と思ったのも束の間、昨日から
再び残暑が戻って来て、今日は、今年90日目の真夏日
を記録した、とニュースでも報じておりました。明日まで
暑さは続くようですが、せめて綺麗な中秋の名月が望め
ますように・・・。

オンライン「紫の会」は、この第4木曜日クラスも、第3
月曜日クラスと同じく、第14帖「澪標」の、明石での姫君
の誕生を知った源氏が、京から乳母を派遣し、その乳母
が明石に着いたところ迄を講読しました。

源氏が明石に遣わした乳母は、父親は上達部、母親は
桐壺帝の宣旨だったという、由緒正しい上流の出自で、
仕える明石の入道家よりも格上でした。こうした異例とも
言える、源氏自らの乳母の派遣は、明石の入道にとって
は、「よろこびかしこまりきこゆること限りなし」(喜び恐縮
申し上げ上げるのはこの上ないこと)となりました。

入道の娘にとっても、源氏が帰京してからの7ヶ月余り、
物思いに沈んでばかりで、出産でいっそう心身も弱り果て、
生きる気力を失いかけていたのが、慰められたのでした。

このまま源氏に見捨てられたら、明石の地で、シングル
マザーとして、世間の目にも耐えながら暮らしてゆかねば
ならず、両親が亡き後のことなど考えると、上記のような
状態になっていたのも、当然でありましょう。ここで初めて、
自分たち母娘が源氏に見捨てられていないことがわかり、
急ぎ帰参しようとするお使いの者に、
「ひとりして撫づるは袖のほどなきに覆ふばかりの蔭を
しぞ待つ」(私一人で姫君をお育てするには力不足です。
あなたの大きなご庇護をお待ちしております)
と、源氏にすがるような思いで、手紙をしたためたのも
わかる気がしますね。

この場面、詳しくは先に書きました「全文訳」(5)でお読み
いただければと思います(⇒こちらから)。


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初めて垣間見た浮舟の印象

2023年9月25日(月) 溝の口「湖月会」(第172回)

ようやく秋の訪れが感じられるようになって三日目。明日からは
また気温が上昇して、木曜日は再び真夏日(それも猛暑日に
近い)となる予報です。やっとエアコンの出番も終わったかな?
と思っていましたが、まだ数回は覚悟しておいたほうがよさそう
ですね。

今月は、第2金曜日クラスの例会が、台風で中止となったため、
同じ箇所を読んでいるこちらのクラスへの振替受講を選択なさ
った方が14名おられ、いつもの少人数の講読会とは異なり、
とても賑やかになりました。

そんな中で、第49帖「宿木」を読み終えました。それも私にしては
珍しく時間内にピタッと( ´艸`)

「宇治十帖」の中で最も長い「宿木」の巻ですが、本日講読した
最後の場面の舞台は宇治で、薫が、偶然八の宮邸に来合わせた
浮舟を垣間見て、心惹かれる様子が描かれています。

4月20日過ぎ、薫は、八の宮邸の寝殿を解体し、宇治の山寺へ
御堂として移築する工事の進捗状況の確認に出掛け、その足で、
今も八の宮邸に残っている弁の尼の許に立ち寄ります。

そこへ長谷寺に参詣した帰途、八の宮邸で中宿りをするために、
浮舟の一行がやってきました。

薫は、襖の穴から、腰が痛くなるまで熱心に浮舟の姿を見つめ
ます。先ずは、牛車から降りてくる浮舟の容姿が、ほっそりとして
上品で、「いとよくもの思ひ出でられるべし」(とてもよく亡き大君が
思い出されるようだ)とあります。

その後、弁の尼が挨拶に来て、浮舟は、弁の尼と向き合うのを
恥ずかしがって横を向いたため、薫からはとてもよく見えるように
なりました。「ただそれと思ひ出でらるる」(ただもう大君がそこに
居るように思い出される)ので、「涙おちぬ」(涙がこぼれ落ちた)
のでした。

薫は、浮舟との邂逅が嬉しく、すぐに傍に寄って「世の中におはし
けるものを」(あなた〈大君〉は生きていらしたのですね)と言いたく
なる程で、大君本人ではないけれど、「なぐさめ所ありぬべきさま
なり」(きっと心慰められるに違いない様子である)と、感じてお
ました。

こうしてみると、薫が浮舟に求めているのは、一目瞭然、大君の
身代わりということがわかりますね。浮舟自身ではありません。
あくまで大君の「形代(かたしろ)」として薫の中に位置づけられた
浮舟が、この先どのような運命を辿ることになるのか、いよいよ
次回の第50帖「東屋」から、浮舟をヒロインとした物語が始まります。


文面と口上に分けた薫の意図

2023年9月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第246回)

昨日の新聞に、9月18日迄で、最高気温が30℃以上になった
日数は86日と記されていました。昨日も今日も30℃を超えた
ので、これで88日。明日もまだ思ったほど気温は下がらず、
30℃を超えそうです。1年のうちの約1/4を、30℃以上の暑さ
の中で過ごしたことなど、これまでには無かったはずです。
もし、来夏以降もこの状況が続くとしたら、耐えられるかな?
今年だけの異常な暑さ、と思いたいですね。

このクラスが講読中の第52帖「蜻蛉」、今日で前半を読み終え
ました。

浮舟の死の真相を知った薫は、京に戻ると、浮舟の母君に
弔問の使者を遣わします。使者に持たせた手紙には、真っ先
にお見舞いを申さねば、と思いながらも、浮舟の死に動揺して
遅くなってしまった事を詫び、このような無常な世ながら、生き
永らえていたら、「過ぎにし名残」(亡き浮舟の形見)と思って、
何かの折には、きっと私にお便りを下さい、と認めてありました。

さらに薫は、使者に口上で、「浮舟を宇治に置いたままだった
ことに、私の誠意が感じられなかったかもしれないが、今後も
浮舟を忘れることはないし、あなたも私を内々に忘れず頼って
くだされば、お子様方が朝廷に出仕なさるような時にも、必ず
力になりましょう」、と伝えさせたのでした。

薫が、後半部分を文面にしなかったのは、おそらく、後々、
手紙を証拠として突きつけ、見当違いな要求などをされては
困る、という思いがあったのでしょうが、その判断が誤って
いなかったことは、このあとの母君の行動からわかります。

母君は、薫からの使者を、「たいした穢れには触れていないの
だから」と、強引に家の中に入れ、帰り際には禄として、派手な
斑犀の帯(犀の角を加工して飾りにした石帯)などを与えました。
今なら、ブランド品のベルトを贈るようなもので、薫が「忍びて」
遣わしていることへの配慮に欠け、薫も「余計なことを」と思って
います。

薫は、浮舟を早くに京へ引き取っていれば死なせずに済んだ、
という自責の念から、こうした一族支援の申し出までしているの
ですが、母君は単純に喜び、夫の常陸介にも、初めて浮舟の
これまでのことを語り、浮舟が生きていれば、いっそう恩恵に
与ったであろう、と残念に思い、泣いているのです。

作者も、「実際に浮舟が生きていたら、薫がこの一族に関わる
ことも無いでしょうにね」と、草子地で、自分たちの立場の理解
できていないことを批判しています。

薫の慎重さに納得しながらも、同時に、物事をどうしても自分の
価値観で判断してしまう人間の一面を、浮舟の母君の言動が
映し出している気もいたしますね。


格上の乳母

2023年9月18日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第38回・通算85回・№2)

今日は「敬老の日」。これまでに、こんな猛暑の中での
「敬老の日」って、あったでしょうか?

朝刊に、高齢者が全人口の30%近くになっていることが
出ていましたし、夜のニュースでは、これまで75歳以上の
高齢者を対象に行っていた「敬老の日」の祝賀行事が
出来なくなっている自治体の増加を取り上げていました。
「敬老」の対象者を75歳→77歳→80歳へと引き上げる
自治体もあるとか。団塊の世代が一気に後期高齢者を
増やしているのですね。かく言う私も、来年の「敬老の日」
は、後期高齢者となって迎えることになります。

今月のオンライン「紫の会」は、来月で会場クラスとの
足並みを揃えたいので、読み進んだのは、第14帖「澪標」
の、「明石の姫君の誕生」~「源氏が京から派遣した乳母
が明石に着いたところ」迄で、少なめです。

宿曜の占いで、将来「后」の位に就くことを予言された娘
が、明石のような田舎で生まれたことを不憫に思う源氏は、
京から乳母を派遣することにします。

源氏のお眼鏡に適った乳母は、母親は桐壺帝の許で宣旨
(詔勅を伝える役目をする女官)を務めた宮廷の上臈の
女房、父親は宮内卿の宰相(宮内省の長官で参議)で、
在職中に亡くなった上達部(上級貴族)。由緒正しい出自の
女性です。ただ、今は母の宣旨も亡くなり、これといった頼る
人もいない身で、妻として認めてもらえない男性の子を産み、
心細く暮らしていたので、源氏が伝手を頼り、明石の姫君の
乳母となるよう依頼して来られたのを、深く考えることもなく、
引き受けたのでした。

一方の主人側となる入道の娘は、父親が中央官僚を捨てて
地方官(播磨守)となったのですから、出自は受領階級となり
ます。主人側は中級貴族、仕える乳母側は上級貴族、と、
乳母のほうが格上で、通常とは出自が逆転しています。

源氏は、乳母が明石に出発前に会いに行き、若く美しいのを
そのまま見過ごせず、「別れが惜しくて、あなたを追いかけて
行きたい」などと、色めいた振る舞いで揺さぶりをかけます。
それに対し、宣旨の娘は、「その出まかせの言葉を口実に、
本当は恋しいお方のおられる所にいらっしゃりたいのでは
ありませんか」と、なかなか気の利いた返事をしました。

これは言わば、一種の就職面接テストの意味もあったので
しょう。ここで、源氏の戯れを本気にして、明石への下向を
躊躇うようでは、明石のような辺鄙な場所で、乳母として
務まるかどうか、危ぶまれます。でも、このような機知に
富んだ返事が出来る宣旨の娘は、源氏の姫君の乳母と
して文句なしで合格だった、と言えるでしょうね。

この部分、詳しくは先に書きました「澪標・全文訳(4)」で
ご覧頂ければ、と存じます(⇒こちらから)。


「宿曜(すくよう)」による占い

2023年9月11日(月) 溝の口「紫の会」(第70回・№2)

6月でようやくオンラインクラスに追いつき、7月から足並みを
揃えて読み始めた途端、8月が台風の影響で休講となった
ため、今日の会場クラスは、2時間半に時間も延ばして、
9月のオンラインクラスが進む予定の半分位のところまで
読むつもりでしたが、2時間40分もの長丁場となりながら、
思ったほど進むことができませんでした。すみません、私の
余談のせいです。今日は本文を読むことだけに集中しよう
と思っていましたが、蓋を開ければ、やっぱりそれだけで
終わるというのは無理でした(-_-;)

このクラスは今月から第14帖「澪標」に入りました。8月の
オンラインクラスにプラスして読んだのは、明石で姫君が
誕生し、源氏が都から乳母を派遣することにした、という
ところです。

入道の娘がそろそろ出産する頃かと、源氏が明石に使者を
遣わすと、すぐに、無事に女の子が生まれたという、嬉しい
報告を持ち帰って来ました。

ここで、源氏が予て宿曜の占いで、次のように告げられて
いたことが語られます。「宿曜」とは、インド発祥で、中国を
経て日本に伝わった占星術です。

「御子三人、帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の
劣りは、太政大臣にて位を極むべし」(お子様は三人、帝と
后が必ず揃ってご誕生になるでしょう。三人の中で一番低い
位の方も、太政大臣となって人臣の位を極めることになりま
しょう)

現実の世界なら、「当たるも八卦当たらぬも八卦」で、こうした
予言が実現するとは限らないでしょうが、これは物語の世界
です。しかも主人公の光源氏に関する予言ですから、必ず
当たる、と読者も信じますよね。

既に、ここではもう源氏と藤壺の間に生まれた子(表向きは
桐壺帝の第十皇子)は、帝位(冷泉帝)に就いています。
「太政大臣」となるのは臣下の男子ですから、これは夕霧と
いうことになりましょう。実際には、夕霧は「宇治十帖」の最後
まで右大臣であって、太政大臣に就任はしていませんが、
将来的に太政大臣となることに何の違和感もありません。

残る「后」(中宮)は、もちろん女の子です。源氏も秘密の子
ながら、我が子が新帝となったことで、この占いへの確信が
持てるようになったのでありましょう。将来后となる娘を、
明石のような田舎で誕生させてしまったことを後悔し、暫く
したら京へ迎えよう、と考えます。

差し当たって、源氏は自ら人選をした乳母を、明石へと派遣
するのでした。

明石の姫君誕生と、乳母派遣を決めるところ迄の詳細な内容
は、先に書きました「澪標・全文訳(3)」にてご覧頂ければ、と
思います(⇒こちらから)。


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