「伊勢物語」スタート!
2015年7月17日(金) 溝の口「伊勢物語」(第1回)
少し前からパソコンの調子が悪いことはお伝えしていましたが、昨夜、
ついに再起不能状態に陥り、修理に出すことになりました。
今代替として使っているのは、ずっとプロジェクター専用でしたので、
携帯向きの小型軽量タイプのパソコンです。全てがコンパクトに出来て
いるので、慣れないせいか、キーボードの操作にも手間取ってしまいます。
でも、しばらくはこれで頑張ってみますね。
先月で「紫式部日記」を読み終えて、今月から「伊勢物語」を読み始め
ました。
「伊勢物語」は在原業平の一代記風に仕立てられた「歌物語」ですが、
「源氏物語」同様に、「伊勢絵」と称される絵が沢山描かれているので、
それらをプロジェクターで映して見ていただきながら、読み進めて行く
ことにいたしました。
主にご覧頂く「伊勢絵」の作品を挙げておきます。
① 慶長13年(1608年)に出版された古活字本の「嵯峨本 伊勢物語」の
挿絵のもととなった、と考えられる「伊勢物語色紙貼交屏風」(いせものがたり
しきしはりまぜびょうぶ)。
② その「嵯峨本 伊勢物語」の挿絵。この活字本の流布により、以後は②が
伊勢絵の規範的な図様となりました。
③と④ 嵯峨本の影響下で描かれたと思われる二種類の「伊勢物語図屏風」。
⑤ 「宗達伊勢物語図色紙」(これがメインとなります)。
今日は第1回目で先に概説などもしておりましたので、本文は初段から第三段
までしか取り上げられませんでした。
初段は、「初冠」(うひかうぶり)というタイトルで、高校の教科書などにもよく
採られている、元服したばかりの男が、既に旧都となった奈良に出かけ、
そこで若く美しい姉妹を垣間見て、すぐさま恋の歌「春日野の若紫のすり衣
しのぶのみだれかぎりしられず」(春日野の若い紫草のように美しいあなた方に
私の心はこの紫の信夫摺りの模様さながらこの上なく思い乱れております)
を贈った話です。
「伊勢絵」では、①がまずあり、①に描かれた場面、構図を取り入れた②、
その②の影響で描かれている③、④。独自の観点から描かれている⑤、と
いうのが、実際に見ていただけば、よくわかると思います。

①伊勢物語色紙貼交屏風 ②嵯峨本 伊勢物語

③伊勢物語図屏風(A)

④伊勢物語図屏風(B) ⑤宗達伊勢物語図色紙
①から④は、どれも、男が姉妹の侍女に歌を託している場面で、②は①を左右反転
させたような絵になっています。③、④は②をそのまま踏襲した構成で、⑤のみ、
冒頭の、「むかし、男、うひかうぶりして、平城〈なら〉の京、春日野里にしるよしして、
狩に往にけり。」(昔、男が元服をして、旧都平城京に所領地があった関係上、狩りに
出かけて行った。)という場面を描いています。小さくて見難いでしょうが、書かれている
詞もこの部分です。
このような形でスタートさせましたが、まだ始まったばかりですので、これから皆さまに
ご意見やご希望を伺いながら、ご一緒に「伊勢物語」の世界を楽しんで行くつもりです。
少し前からパソコンの調子が悪いことはお伝えしていましたが、昨夜、
ついに再起不能状態に陥り、修理に出すことになりました。
今代替として使っているのは、ずっとプロジェクター専用でしたので、
携帯向きの小型軽量タイプのパソコンです。全てがコンパクトに出来て
いるので、慣れないせいか、キーボードの操作にも手間取ってしまいます。
でも、しばらくはこれで頑張ってみますね。
先月で「紫式部日記」を読み終えて、今月から「伊勢物語」を読み始め
ました。
「伊勢物語」は在原業平の一代記風に仕立てられた「歌物語」ですが、
「源氏物語」同様に、「伊勢絵」と称される絵が沢山描かれているので、
それらをプロジェクターで映して見ていただきながら、読み進めて行く
ことにいたしました。
主にご覧頂く「伊勢絵」の作品を挙げておきます。
① 慶長13年(1608年)に出版された古活字本の「嵯峨本 伊勢物語」の
挿絵のもととなった、と考えられる「伊勢物語色紙貼交屏風」(いせものがたり
しきしはりまぜびょうぶ)。
② その「嵯峨本 伊勢物語」の挿絵。この活字本の流布により、以後は②が
伊勢絵の規範的な図様となりました。
③と④ 嵯峨本の影響下で描かれたと思われる二種類の「伊勢物語図屏風」。
⑤ 「宗達伊勢物語図色紙」(これがメインとなります)。
今日は第1回目で先に概説などもしておりましたので、本文は初段から第三段
までしか取り上げられませんでした。
初段は、「初冠」(うひかうぶり)というタイトルで、高校の教科書などにもよく
採られている、元服したばかりの男が、既に旧都となった奈良に出かけ、
そこで若く美しい姉妹を垣間見て、すぐさま恋の歌「春日野の若紫のすり衣
しのぶのみだれかぎりしられず」(春日野の若い紫草のように美しいあなた方に
私の心はこの紫の信夫摺りの模様さながらこの上なく思い乱れております)
を贈った話です。
「伊勢絵」では、①がまずあり、①に描かれた場面、構図を取り入れた②、
その②の影響で描かれている③、④。独自の観点から描かれている⑤、と
いうのが、実際に見ていただけば、よくわかると思います。


①伊勢物語色紙貼交屏風 ②嵯峨本 伊勢物語

③伊勢物語図屏風(A)


④伊勢物語図屏風(B) ⑤宗達伊勢物語図色紙
①から④は、どれも、男が姉妹の侍女に歌を託している場面で、②は①を左右反転
させたような絵になっています。③、④は②をそのまま踏襲した構成で、⑤のみ、
冒頭の、「むかし、男、うひかうぶりして、平城〈なら〉の京、春日野里にしるよしして、
狩に往にけり。」(昔、男が元服をして、旧都平城京に所領地があった関係上、狩りに
出かけて行った。)という場面を描いています。小さくて見難いでしょうが、書かれている
詞もこの部分です。
このような形でスタートさせましたが、まだ始まったばかりですので、これから皆さまに
ご意見やご希望を伺いながら、ご一緒に「伊勢物語」の世界を楽しんで行くつもりです。
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視線に注目!!
2015年8月21日(金) 溝の口「伊勢物語」(第2回)
いやぁ~もう、往きに乗った電車が人身事故を起こして大変でした。
これで二度目ですが、乗ってしまっているので、指示があるまで
身動きがとれません。
結局、スタートが1時間近く遅れ、申し訳なかったのですが、終わりも
40分余り延長させて頂いて、何とか第4段~第9段までを読みました。
第6段の「芥川」を描いた「宗達伊勢物語図色紙」の絵は、「伊勢絵」の
中でも名品として知られていますが、先ず、この二つの絵をご覧ください。

①「嵯峨本・伊勢物語」挿絵

②「伊勢物語図屏風」(出光美術館蔵)
これは、男(業平)が、ずっと求婚してきた女(二条后・高子)を
やっとのことで盗み出して駆け落ち未遂事件を起こした段です。
途中「芥川」のほとりまで来た時に、草の上に置いた露を見て
女が「あれは何?」と、尋ねました。深窓のお姫様は草の上の
露など見たことがなく、「白玉」(真珠)かと思って訊いたのですが、
男は追っ手も気になるし、辺りは暗くなって雷まで鳴ってきたので、
答える余裕もなく先を急ぎます。あばら家で一夜を過ごすうち、
女は鬼に食われてしまい、男は地団太を踏んで悔しがりながら、
「白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを」
(あれは真珠?何なの?とあの人が尋ねた時、「あれは露だよ」と
答えて、私もそのまま露のように消えてしまったらよかったのに)
と、歌を詠んだのでした。
男女の視線の先に注目してください。①も②も、同じ方向、すなわち
草の上に置く露を見ていますね。
次に③「宗達伊勢物語図色紙」をご覧ください。

男女が互いを見つめ合っています。その部分を拡大しますと、

恋の逃避行の途中、二人の見つめ合ったこの一瞬だけが永遠に
存在するかのようで、見る者を物語の世界に引き込んで行きます。
これはやはり名品だと思われませんか?
いやぁ~もう、往きに乗った電車が人身事故を起こして大変でした。
これで二度目ですが、乗ってしまっているので、指示があるまで
身動きがとれません。
結局、スタートが1時間近く遅れ、申し訳なかったのですが、終わりも
40分余り延長させて頂いて、何とか第4段~第9段までを読みました。
第6段の「芥川」を描いた「宗達伊勢物語図色紙」の絵は、「伊勢絵」の
中でも名品として知られていますが、先ず、この二つの絵をご覧ください。

①「嵯峨本・伊勢物語」挿絵

②「伊勢物語図屏風」(出光美術館蔵)
これは、男(業平)が、ずっと求婚してきた女(二条后・高子)を
やっとのことで盗み出して駆け落ち未遂事件を起こした段です。
途中「芥川」のほとりまで来た時に、草の上に置いた露を見て
女が「あれは何?」と、尋ねました。深窓のお姫様は草の上の
露など見たことがなく、「白玉」(真珠)かと思って訊いたのですが、
男は追っ手も気になるし、辺りは暗くなって雷まで鳴ってきたので、
答える余裕もなく先を急ぎます。あばら家で一夜を過ごすうち、
女は鬼に食われてしまい、男は地団太を踏んで悔しがりながら、
「白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを」
(あれは真珠?何なの?とあの人が尋ねた時、「あれは露だよ」と
答えて、私もそのまま露のように消えてしまったらよかったのに)
と、歌を詠んだのでした。
男女の視線の先に注目してください。①も②も、同じ方向、すなわち
草の上に置く露を見ていますね。
次に③「宗達伊勢物語図色紙」をご覧ください。

男女が互いを見つめ合っています。その部分を拡大しますと、

恋の逃避行の途中、二人の見つめ合ったこの一瞬だけが永遠に
存在するかのようで、見る者を物語の世界に引き込んで行きます。
これはやはり名品だと思われませんか?
二人だけの世界ー宗達の描く駆け落ちの男女ー
2015年9月18日(金) 溝の口「伊勢物語」(第3回)
風邪もようやく快方に向かい、まだ万全ではないものの、自分では
体調もいつもと変わらない感じで、今日を終えることが出来ました。
今回は第10段~第17段を読みました。
第12段「武蔵野」は、もともと民謡としてあった歌を使って作り出された
話と考えられるので、ストーリーも筋の通らない展開になっています。
男が他家の娘を盗み出して駆け落ちしたため、武蔵野まで逃げて来た
ところで、、「盗人」の罪で逮捕されました。男は女を武蔵野の草むらに
隠して逃げました。追手が「この草むらに盗人はいるぞー」と言って、
火をつけようとします。困った女が「武蔵野は今日はな焼きそ若草の
つまもこもれり我もこもれり」(武蔵野は今日は焼かないで。だって夫も
私もここに隠れているのだから)と、歌を詠んで訴えます。
そのあとに、「とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。」
(と詠んだのを聞いて、女をつかまえて、一緒に連れて行った)と、あって
この段は終わります。
「聞きて」以下の主語は誰なのでしょう?男か、追手か、どちらとも解釈が
可能なので、困るところです。
最終的には二人とも捕まえられて、駆け落ちは失敗に終わった話でしょうが、
一度は逃げた男がこの女の歌に感じ入って女ところへ戻ってきて、それから
連行された、と考えるほうが物語としてはいいですよね。
この第12段を絵に描いた作者たちも皆、その解釈に従っています。

左:出光美術館蔵「伊勢物語図屏風」 右:嵯峨本「伊勢物語」
「宗達伊勢物語図色紙」も同様の構図ですが、他の絵と比べ、追手とは
切り離された二人だけの世界を描出しています。これは前回ご紹介した
第6段「芥川」と共通するところですが、恋の逃亡者たちに一種の恍惚感が
感じられるのです。

近松門左衛門が浄瑠璃において、心中を美の極致としてとらえて書いた
ように、宗達もまた、男女の駆け落ちという行為を、極力美化して描こうと
していたのかも知れません。
風邪もようやく快方に向かい、まだ万全ではないものの、自分では
体調もいつもと変わらない感じで、今日を終えることが出来ました。
今回は第10段~第17段を読みました。
第12段「武蔵野」は、もともと民謡としてあった歌を使って作り出された
話と考えられるので、ストーリーも筋の通らない展開になっています。
男が他家の娘を盗み出して駆け落ちしたため、武蔵野まで逃げて来た
ところで、、「盗人」の罪で逮捕されました。男は女を武蔵野の草むらに
隠して逃げました。追手が「この草むらに盗人はいるぞー」と言って、
火をつけようとします。困った女が「武蔵野は今日はな焼きそ若草の
つまもこもれり我もこもれり」(武蔵野は今日は焼かないで。だって夫も
私もここに隠れているのだから)と、歌を詠んで訴えます。
そのあとに、「とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。」
(と詠んだのを聞いて、女をつかまえて、一緒に連れて行った)と、あって
この段は終わります。
「聞きて」以下の主語は誰なのでしょう?男か、追手か、どちらとも解釈が
可能なので、困るところです。
最終的には二人とも捕まえられて、駆け落ちは失敗に終わった話でしょうが、
一度は逃げた男がこの女の歌に感じ入って女ところへ戻ってきて、それから
連行された、と考えるほうが物語としてはいいですよね。
この第12段を絵に描いた作者たちも皆、その解釈に従っています。


左:出光美術館蔵「伊勢物語図屏風」 右:嵯峨本「伊勢物語」
「宗達伊勢物語図色紙」も同様の構図ですが、他の絵と比べ、追手とは
切り離された二人だけの世界を描出しています。これは前回ご紹介した
第6段「芥川」と共通するところですが、恋の逃亡者たちに一種の恍惚感が
感じられるのです。

近松門左衛門が浄瑠璃において、心中を美の極致としてとらえて書いた
ように、宗達もまた、男女の駆け落ちという行為を、極力美化して描こうと
していたのかも知れません。
高尚な妻と卑小な夫の姿
2015年10月16日(金) 溝の口「伊勢物語」(第4回)
皆さまに大変お聞き苦しい声で「源氏物語」をお話してから一週間、
随分楽にはなりましたが、まだ本調子とは言えない状態ですので、
今日もマイクを借りて頂いての2時間となりました。おかげさまで、
帰宅後も声の出難さはありません。もう少しだと思います。
「伊勢物語」の4回目、第18段~第23段までを読みました。
第23段は有名な「筒井筒」の話です。
幼馴染の二人が結ばれたのち、女の親が亡くなって生活が苦しくなり、
共倒れになるよりは、と思い、男は高安の女の所に通うようになりました。
男が高安へ出かけるのをあまりにも女が快く送り出してくれるため、男は
自分の留守に、女も別の男と逢っているのではないか、と疑念を抱くように
なりました。そこで、男は出かけたふりをして、庭の植込みに隠れ、
中の様子を窺っていると、女はきちんと化粧をして身綺麗にし、「風吹けば
沖つしら浪たつた山よはにや君がひとりこゆらむ」(風が吹けば波が立つ、
その「立つ」の名のたつた山を真っ暗な夜半にあなたは一人で越えて
行かれるのでしょうか)と、ひたすら夫の身を案じる歌を詠んだのでした。
男はこの女を限りなくいとしく思い、以後は高安の女の許へも行かなくなった
のでした。

「伊勢物語色紙貼交屏風」 嵯峨本「伊勢物語」挿絵
上の2枚の絵は、左右を反転させていますが、ほぼ同じ構図で描かれています。
これでは男は「隠れている」とは言い難く、庭先から女と見つめ合っているように
見えますよね。でも、描かれているのは、前栽(植込み)に隠れて、中を窺って
いる場面です。
次に「宗達伊勢物語図色紙」をご覧ください。

先の2枚の絵は(これ以外の絵もすべて)、女が奥に居て、男が手前側に
いますが、宗達の絵では、女が手前に居ます。女の側に立って絵が
描かれているのがわかります。
しかも、女は揺れる髪を見せる後ろ姿にも、憂いに満ちた横顔にも、
品格が感じられるのに対し、男のほうはどうでしょう。ちょっとわかり難い
かもしれませんが、男は扇で自分の顔を隠し、その扇の骨の隙間から
様子を窺っているのです。狡さが誇張され、滑稽でさえあります。
宗達の絵には、他にはない視点が感じられて、比較してみると面白さが
おわかり頂けるかと思います。
皆さまに大変お聞き苦しい声で「源氏物語」をお話してから一週間、
随分楽にはなりましたが、まだ本調子とは言えない状態ですので、
今日もマイクを借りて頂いての2時間となりました。おかげさまで、
帰宅後も声の出難さはありません。もう少しだと思います。
「伊勢物語」の4回目、第18段~第23段までを読みました。
第23段は有名な「筒井筒」の話です。
幼馴染の二人が結ばれたのち、女の親が亡くなって生活が苦しくなり、
共倒れになるよりは、と思い、男は高安の女の所に通うようになりました。
男が高安へ出かけるのをあまりにも女が快く送り出してくれるため、男は
自分の留守に、女も別の男と逢っているのではないか、と疑念を抱くように
なりました。そこで、男は出かけたふりをして、庭の植込みに隠れ、
中の様子を窺っていると、女はきちんと化粧をして身綺麗にし、「風吹けば
沖つしら浪たつた山よはにや君がひとりこゆらむ」(風が吹けば波が立つ、
その「立つ」の名のたつた山を真っ暗な夜半にあなたは一人で越えて
行かれるのでしょうか)と、ひたすら夫の身を案じる歌を詠んだのでした。
男はこの女を限りなくいとしく思い、以後は高安の女の許へも行かなくなった
のでした。


「伊勢物語色紙貼交屏風」 嵯峨本「伊勢物語」挿絵
上の2枚の絵は、左右を反転させていますが、ほぼ同じ構図で描かれています。
これでは男は「隠れている」とは言い難く、庭先から女と見つめ合っているように
見えますよね。でも、描かれているのは、前栽(植込み)に隠れて、中を窺って
いる場面です。
次に「宗達伊勢物語図色紙」をご覧ください。

先の2枚の絵は(これ以外の絵もすべて)、女が奥に居て、男が手前側に
いますが、宗達の絵では、女が手前に居ます。女の側に立って絵が
描かれているのがわかります。
しかも、女は揺れる髪を見せる後ろ姿にも、憂いに満ちた横顔にも、
品格が感じられるのに対し、男のほうはどうでしょう。ちょっとわかり難い
かもしれませんが、男は扇で自分の顔を隠し、その扇の骨の隙間から
様子を窺っているのです。狡さが誇張され、滑稽でさえあります。
宗達の絵には、他にはない視点が感じられて、比較してみると面白さが
おわかり頂けるかと思います。
「皮肉な運命」ー三年を待ちわびてー
2015年11月20日(金) 溝の口「伊勢物語」(第5回)
一年で一番日が短い時を迎えています。4時を廻ると、もう暗くなってきます。
クリスマスまであと一ヶ月余り、溝の口の駅から会場の高津市民館が入っている
丸井のビル辺りまでのイルミネーションがとても綺麗です。23日にはカメラを
持って行って、ブログにもUPしようかと思っています。
さて、「伊勢物語」も5回目となり、今日は第24段から第37段までを読みました。
第24段は「梓弓」というタイトルでよく知られた段です。
田舎に住んでいた男が、女を残して都に出稼ぎに行ったまま、音信不通となり、
三年の月日が流れました。女は待ちわびた末に、熱心にプロポーズしてくる
別の男と結婚することになり、今夜がその結婚という日に、何と元カレが帰って
来たのです。男は「この戸を開けてください」と言いますが、女は戸を開けず、
「三年待ってたけど、今夜別の人と結婚することになっているの」と、外の男に
歌を詠んで差し出しました。男は「新しいご主人を愛してあげて」と言い残して、
立ち去って行きました。女は「いいえ、私が愛しているのはあなただけ」と、
男を追いましたが追いつけず、清水のあるところで倒れてしまいました。
そして、指の血で、「あひ思はでかれぬる人をとどめかねわが身はいまぞ
消えはてぬめる」(私の愛に応えてくれず去って行った人を呼び止められなくて、
我が身は今ここで死んでしまうようです」と、岩に歌を書きつけ、そのまま死んで
しまいました。

「伊勢物語色紙貼交屏風」 「伊勢物語図屏風」
この段の絵の多くは、上記の二枚の絵のように、男が帰って来て戸を叩いて
いる、物語の最初の場面が描かれています。
「宗達伊勢物語図色紙」は、物語の最後の場面を描き、賛(絵に描かれた
詞の部分)も、女の辞世の歌がそのまま書かれています。

一年で一番日が短い時を迎えています。4時を廻ると、もう暗くなってきます。
クリスマスまであと一ヶ月余り、溝の口の駅から会場の高津市民館が入っている
丸井のビル辺りまでのイルミネーションがとても綺麗です。23日にはカメラを
持って行って、ブログにもUPしようかと思っています。
さて、「伊勢物語」も5回目となり、今日は第24段から第37段までを読みました。
第24段は「梓弓」というタイトルでよく知られた段です。
田舎に住んでいた男が、女を残して都に出稼ぎに行ったまま、音信不通となり、
三年の月日が流れました。女は待ちわびた末に、熱心にプロポーズしてくる
別の男と結婚することになり、今夜がその結婚という日に、何と元カレが帰って
来たのです。男は「この戸を開けてください」と言いますが、女は戸を開けず、
「三年待ってたけど、今夜別の人と結婚することになっているの」と、外の男に
歌を詠んで差し出しました。男は「新しいご主人を愛してあげて」と言い残して、
立ち去って行きました。女は「いいえ、私が愛しているのはあなただけ」と、
男を追いましたが追いつけず、清水のあるところで倒れてしまいました。
そして、指の血で、「あひ思はでかれぬる人をとどめかねわが身はいまぞ
消えはてぬめる」(私の愛に応えてくれず去って行った人を呼び止められなくて、
我が身は今ここで死んでしまうようです」と、岩に歌を書きつけ、そのまま死んで
しまいました。


「伊勢物語色紙貼交屏風」 「伊勢物語図屏風」
この段の絵の多くは、上記の二枚の絵のように、男が帰って来て戸を叩いて
いる、物語の最初の場面が描かれています。
「宗達伊勢物語図色紙」は、物語の最後の場面を描き、賛(絵に描かれた
詞の部分)も、女の辞世の歌がそのまま書かれています。

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