八王子クラスからの「メッセージノート」
2020年11月11日(水)
10月1日の中秋の名月の夜、八王子の「源氏物語を読む会」が
コロナ禍のせいで、結局最後の4回は顔を合わせることなく、
読了となったことをこのブログでもご報告しました(その記事は
⇨⇨こちらから)。
いつになるかわからない全員揃っての打ち上げ会を待っている
状態が続いていますが、昨日、品名欄に「メッセージノート」と
記されたレターパックが、送られてきました。
今月の第1木曜日に、皆さま八王子のいつも例会を行っていた
会場にお集まりになって、それぞれの思いを書いてメッセージ
ノートを作ってくださったとのこと。

これがそのメッセージノートです
↓開いてみると

『源氏物語』の可愛いシールがいっぱい!思わず笑みが
浮かんできましたが、皆さまからのメッセージを読んでいる
うちに、万感胸に迫り涙が止まらなくなりました。
『源氏物語』を最初から最後まで原文で読み通せたことが皆さまに
とっての「宝物」なら、私にとっての「宝物」は、皆さまとの出会い、
そしてこの「メッセージノート」、ということになりましょう。
10月1日の中秋の名月の夜、八王子の「源氏物語を読む会」が
コロナ禍のせいで、結局最後の4回は顔を合わせることなく、
読了となったことをこのブログでもご報告しました(その記事は
⇨⇨こちらから)。
いつになるかわからない全員揃っての打ち上げ会を待っている
状態が続いていますが、昨日、品名欄に「メッセージノート」と
記されたレターパックが、送られてきました。
今月の第1木曜日に、皆さま八王子のいつも例会を行っていた
会場にお集まりになって、それぞれの思いを書いてメッセージ
ノートを作ってくださったとのこと。

これがそのメッセージノートです
↓開いてみると

『源氏物語』の可愛いシールがいっぱい!思わず笑みが
浮かんできましたが、皆さまからのメッセージを読んでいる
うちに、万感胸に迫り涙が止まらなくなりました。
『源氏物語』を最初から最後まで原文で読み通せたことが皆さまに
とっての「宝物」なら、私にとっての「宝物」は、皆さまとの出会い、
そしてこの「メッセージノート」、ということになりましょう。
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中秋の名月&八王子クラスの『源氏物語』読了
2020年10月1日(木)
昨日の天気予報では、今夜の「中秋の名月」は望み薄だったのですが、
お天気の回復が早く、これならお月見が出来そう、と期待をして待って
いました。
期待は裏切られませんでした。東の空に上った月の周りには雲一つなく、
煌々と輝いている十五夜の月が見えました。
今日は第1木曜日。2006年の2月から、ずっと八王子で『源氏物語』の
講読を行ってきた例会日が第1木曜日なのです。コロナが無ければ
6月の例会で読み終える予定でしたが、3月以降は休講。そんな中、
第53帖「手習」の途中からと、第54帖「夢浮橋」の「かなり詳しいあらすじ」
(ブログでは一昨日第9帖「葵」までを書き終えましたが)を使って、各自
例会と同じ第1木曜日の13:00から原文の音読をし、家庭学習をします、
とのお申し出を受け、7月から始めて今回で読了となりました。
14年もの間、毎月ご一緒しながら、このまま終わってしまうのでは余り
にも寂し過ぎるではありませんか。皆さま、コロナ終息の暁に、もう一度
集まって「打ち上げ」をするのを楽しみにしているとおっしゃっています。
私も、これは神様が、その楽しみをちょっと先まで取って置けるように
お計らいくださった、と思うことにしました。

18:00頃、南東に面したベランダから見た中秋の名月。
実際にはもっとくっきりとしていて、うさぎさんがお餅を
搗いている姿もちゃんと見えていたのですが・・・。
昨日の天気予報では、今夜の「中秋の名月」は望み薄だったのですが、
お天気の回復が早く、これならお月見が出来そう、と期待をして待って
いました。
期待は裏切られませんでした。東の空に上った月の周りには雲一つなく、
煌々と輝いている十五夜の月が見えました。
今日は第1木曜日。2006年の2月から、ずっと八王子で『源氏物語』の
講読を行ってきた例会日が第1木曜日なのです。コロナが無ければ
6月の例会で読み終える予定でしたが、3月以降は休講。そんな中、
第53帖「手習」の途中からと、第54帖「夢浮橋」の「かなり詳しいあらすじ」
(ブログでは一昨日第9帖「葵」までを書き終えましたが)を使って、各自
例会と同じ第1木曜日の13:00から原文の音読をし、家庭学習をします、
とのお申し出を受け、7月から始めて今回で読了となりました。
14年もの間、毎月ご一緒しながら、このまま終わってしまうのでは余り
にも寂し過ぎるではありませんか。皆さま、コロナ終息の暁に、もう一度
集まって「打ち上げ」をするのを楽しみにしているとおっしゃっています。
私も、これは神様が、その楽しみをちょっと先まで取って置けるように
お計らいくださった、と思うことにしました。

18:00頃、南東に面したベランダから見た中秋の名月。
実際にはもっとくっきりとしていて、うさぎさんがお餅を
搗いている姿もちゃんと見えていたのですが・・・。
最高齢の登場人物
2020年2月6日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第169回)
予報通り、寒波の到来となりました。例会を終えて16時20分頃、
八王子駅前の電光掲示板の温度に目を遣ると、3℃。それでも
今日は日差しがあったので、その分寒さを感じずに済みました。
第53帖「手習」に入って3回目。このクラスもゴールまでにおそらく
半年はかからないだろう、というところまで来ました。これからは
回を重ねるごとに名残惜しさが募っていきそうです。
『源氏物語』の登場人物で、年齢が記されている人を見ると、この
「手習」の巻の大尼君(横川僧都や妹尼の母君)が最高齢では
ないかと思われます。
冒頭の横川僧都の紹介文の中に、「八十(やそぢ)あまりの母」と
あり、八十過ぎであることがわかります。
老人、老女、古人、などと、いかにも年寄りっぽく書かれていても、
せいぜい5、60代であることが多く、「いやだ、私より若いじゃない」
とガックリなことも多いのですが、さすがに80代という人は、この
大尼君(母尼)の他にはいません。今の感覚なら、確実に100歳を
超えていると考えてよいでしょう。
亡き娘の婿であった中将が、娘の身代わりと思って親身に世話を
している浮舟と結婚してくれることを願っている妹尼は、中将を無視
し続ける浮舟に成り代って歌を詠みかけ、中将を引き留めます。
その気になる中将、さてどうなっていくのか、というところで、この
母尼の登場となります。
もう孫娘の婿であった中将のことも「誰とも思ひ分かぬなるべし」
(誰だとも分かっていないらしい)とあります。認知症なのです。
中将の笛と妹尼の琴の琴の合奏は趣があり、母尼もこの夜ばかりは
宵のうちから寝てしまうこともなく、自分も和琴の名手だったとしゃしゃり
出て、中将の笛の調子に合わせることもなく、自分の弾きたいように
弾き、自己陶酔している有様でした。これに興ざめして、中将も帰って
行きました。
次回読む場面になりますが、妹尼の留守中に中将に言い寄られ、
母尼の部屋に逃げ込んだ浮舟は、母尼たちの大鼾に恐怖心を覚え、
夜中に目を覚ました母尼が浮舟に気づいて、「おや?これは誰だ?」
と、しわがれ声で言うのを聞くに及び、もう自分が今にも食べられて
しまいそうな気になります。
おそらく浮舟は、このような年寄りをこれまで一度見たことがなかった
のだと考えられます。それだけこの時代は、真の老人が少なかった、
ということでありましょう。
予報通り、寒波の到来となりました。例会を終えて16時20分頃、
八王子駅前の電光掲示板の温度に目を遣ると、3℃。それでも
今日は日差しがあったので、その分寒さを感じずに済みました。
第53帖「手習」に入って3回目。このクラスもゴールまでにおそらく
半年はかからないだろう、というところまで来ました。これからは
回を重ねるごとに名残惜しさが募っていきそうです。
『源氏物語』の登場人物で、年齢が記されている人を見ると、この
「手習」の巻の大尼君(横川僧都や妹尼の母君)が最高齢では
ないかと思われます。
冒頭の横川僧都の紹介文の中に、「八十(やそぢ)あまりの母」と
あり、八十過ぎであることがわかります。
老人、老女、古人、などと、いかにも年寄りっぽく書かれていても、
せいぜい5、60代であることが多く、「いやだ、私より若いじゃない」
とガックリなことも多いのですが、さすがに80代という人は、この
大尼君(母尼)の他にはいません。今の感覚なら、確実に100歳を
超えていると考えてよいでしょう。
亡き娘の婿であった中将が、娘の身代わりと思って親身に世話を
している浮舟と結婚してくれることを願っている妹尼は、中将を無視
し続ける浮舟に成り代って歌を詠みかけ、中将を引き留めます。
その気になる中将、さてどうなっていくのか、というところで、この
母尼の登場となります。
もう孫娘の婿であった中将のことも「誰とも思ひ分かぬなるべし」
(誰だとも分かっていないらしい)とあります。認知症なのです。
中将の笛と妹尼の琴の琴の合奏は趣があり、母尼もこの夜ばかりは
宵のうちから寝てしまうこともなく、自分も和琴の名手だったとしゃしゃり
出て、中将の笛の調子に合わせることもなく、自分の弾きたいように
弾き、自己陶酔している有様でした。これに興ざめして、中将も帰って
行きました。
次回読む場面になりますが、妹尼の留守中に中将に言い寄られ、
母尼の部屋に逃げ込んだ浮舟は、母尼たちの大鼾に恐怖心を覚え、
夜中に目を覚ました母尼が浮舟に気づいて、「おや?これは誰だ?」
と、しわがれ声で言うのを聞くに及び、もう自分が今にも食べられて
しまいそうな気になります。
おそらく浮舟は、このような年寄りをこれまで一度見たことがなかった
のだと考えられます。それだけこの時代は、真の老人が少なかった、
ということでありましょう。
「鶯啼庵」(八王子クラス・新年会)
2020年1月9日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第168回)
朝から抜けるような青空が広がり、気温も寒中とは思えない15度まで
上って、過ごし易い一日でした。
八王子クラスは年に一度、新年会の日は、午前中に講読会、午後が
新年会となります。今日も10:00に例会開始。前回より第53帖「手習」
に入りましたが、今回は、僧都や妹尼の尽力でようやく意識のはっきり
した浮舟が、自分が失踪した夜のことを思い出し、話が第51帖「浮舟」
の巻の最後に繋がったあたりを読みました。
11:45迄で例会を終え、送迎バスが来てくれる場所へと向かいました。
このクラスもお分かりのように、あと半年ほどで『源氏物語』54帖すべて
を読み終えることになります。ですから今年が最後の新年会。2007年の
1月から、その年々の幹事さんがお骨折り下さって、14回の楽しい新年会
を重ねて来ました。
ラスト新年会の会場は、八王子郊外の懐石料理の名店「鶯啼庵」。
豊かな自然に包まれて、広大な日本庭園も見事です。

まだ入り口には立派な門松が。

少し早目に到着したので、庭園に臨む飾り付けも美しい
ロビーで先に集合写真を撮りました。

お料理もさすがです。写真も迷うところですが、この綺麗な
初春らしい先付をご覧頂くことにしました。(蓋を取るのを
忘れたのですが、紅白の器がなます、手前右が数の子の
和え物でした。)
新年会には欠かせない詩吟のご披露もしていただき、いろいろな思い出話
に花が咲きました。中でも、2015年に揃って徳川美術館に国宝『源氏物語
絵巻』を観に行った時のことは皆忘れられません。横浜線が止まり、中央線
も異常な遅延で、名古屋に辿り着くまでが大変だったあの日。だからこそ
懐かしさも倍になって蘇って来るのでしょう。
ここで本日のブログは終了となるはずなのですが、実はもう一つ「こいつは
春から縁起がいいわい」ということがありました。帰り際にお年玉のガラガラ
ポンをさせてもらったら、何と、このくじ運の悪い私が「一等賞」。

「鶯啼庵」の5,000円のお食事券です。これは、この会の
打ち上げをここでもう一度やりなさい、ってことかな、と
思っています。
朝から抜けるような青空が広がり、気温も寒中とは思えない15度まで
上って、過ごし易い一日でした。
八王子クラスは年に一度、新年会の日は、午前中に講読会、午後が
新年会となります。今日も10:00に例会開始。前回より第53帖「手習」
に入りましたが、今回は、僧都や妹尼の尽力でようやく意識のはっきり
した浮舟が、自分が失踪した夜のことを思い出し、話が第51帖「浮舟」
の巻の最後に繋がったあたりを読みました。
11:45迄で例会を終え、送迎バスが来てくれる場所へと向かいました。
このクラスもお分かりのように、あと半年ほどで『源氏物語』54帖すべて
を読み終えることになります。ですから今年が最後の新年会。2007年の
1月から、その年々の幹事さんがお骨折り下さって、14回の楽しい新年会
を重ねて来ました。
ラスト新年会の会場は、八王子郊外の懐石料理の名店「鶯啼庵」。
豊かな自然に包まれて、広大な日本庭園も見事です。

まだ入り口には立派な門松が。

少し早目に到着したので、庭園に臨む飾り付けも美しい
ロビーで先に集合写真を撮りました。

お料理もさすがです。写真も迷うところですが、この綺麗な
初春らしい先付をご覧頂くことにしました。(蓋を取るのを
忘れたのですが、紅白の器がなます、手前右が数の子の
和え物でした。)
新年会には欠かせない詩吟のご披露もしていただき、いろいろな思い出話
に花が咲きました。中でも、2015年に揃って徳川美術館に国宝『源氏物語
絵巻』を観に行った時のことは皆忘れられません。横浜線が止まり、中央線
も異常な遅延で、名古屋に辿り着くまでが大変だったあの日。だからこそ
懐かしさも倍になって蘇って来るのでしょう。
ここで本日のブログは終了となるはずなのですが、実はもう一つ「こいつは
春から縁起がいいわい」ということがありました。帰り際にお年玉のガラガラ
ポンをさせてもらったら、何と、このくじ運の悪い私が「一等賞」。

「鶯啼庵」の5,000円のお食事券です。これは、この会の
打ち上げをここでもう一度やりなさい、ってことかな、と
思っています。
横川の僧都の登場
2019年12月5日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第167回)
明日からはお天気も下り坂になり、気温も下降していくようですが、
今日は八王子で、講読会が終わった頃、夕焼けに浮かぶ美しい
富士山のシルエットが見られました。
このクラスも今回から第53帖の「手習」に入り、ゴールまでの凡そ
の目安が立つようになりました。段々と名残惜しさも募ってまいり
ます。
「手習」の巻が第52帖「蜻蛉」の「並びの巻」であることは、7月28日
に書きました(「並びの巻」については→こちら)。薫27歳の晩春に
浮舟が失踪したところから始まり、同年の秋、儚かった八の宮の
姫君たちとの関係を、薫が一人寂しく思い出しているところまでが
「蜻蛉」の巻でした。
「手習」では時間が浮舟失踪直後まで戻って、「そのころ、横川に
なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みけり」(その頃、横川に
某僧都とかいって、とても尊い僧が住んでいました)という書き出し
で始まります。
「横川の僧都って誰なの?」「何でこんな僧が突然出て来るの?」と、
先の展開を知らない当時の読者も不思議に思ったことでしょう。
この僧都については、母親や妹など(共に出家している)家族関係も
記されており、母尼が80歳余り(「源氏物語」の中で最高齢の登場人物。
今なら100歳超えだと思います)、妹尼が50歳位と年齢もはっきりして
います。
宇治十帖では、これまでにも宇治の山寺の阿闍梨という、仏の教え
一筋に生きる余り、誠実な人柄でありながら、非情ではないかという
一面も見せる僧が登場しておりました。八の宮や薫の信頼も厚く、
薫は浮舟の四十九日や一周忌の法要もこの阿闍梨に依頼しています。
それに対し、横川の僧都は高僧でありながら、極めて人間味の豊かな
僧として描かれています。浮舟を救出する場面でも、周りの者たちが
死の穢れを恐れ、浮舟を見捨てようとする時も、「まだ命あるものを
見捨てることは出来ない」と言って、邸内に運び込ませるのでした。
やがて浮舟の出家や、薫が浮舟の生存を知る上で、重大な役割を
果たすことになるこの横川の僧都、また他の場面でもしばしばご登場
頂くことになると思いますので、どうぞお見知りおきくださいませ(笑)。
明日からはお天気も下り坂になり、気温も下降していくようですが、
今日は八王子で、講読会が終わった頃、夕焼けに浮かぶ美しい
富士山のシルエットが見られました。
このクラスも今回から第53帖の「手習」に入り、ゴールまでの凡そ
の目安が立つようになりました。段々と名残惜しさも募ってまいり
ます。
「手習」の巻が第52帖「蜻蛉」の「並びの巻」であることは、7月28日
に書きました(「並びの巻」については→こちら)。薫27歳の晩春に
浮舟が失踪したところから始まり、同年の秋、儚かった八の宮の
姫君たちとの関係を、薫が一人寂しく思い出しているところまでが
「蜻蛉」の巻でした。
「手習」では時間が浮舟失踪直後まで戻って、「そのころ、横川に
なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みけり」(その頃、横川に
某僧都とかいって、とても尊い僧が住んでいました)という書き出し
で始まります。
「横川の僧都って誰なの?」「何でこんな僧が突然出て来るの?」と、
先の展開を知らない当時の読者も不思議に思ったことでしょう。
この僧都については、母親や妹など(共に出家している)家族関係も
記されており、母尼が80歳余り(「源氏物語」の中で最高齢の登場人物。
今なら100歳超えだと思います)、妹尼が50歳位と年齢もはっきりして
います。
宇治十帖では、これまでにも宇治の山寺の阿闍梨という、仏の教え
一筋に生きる余り、誠実な人柄でありながら、非情ではないかという
一面も見せる僧が登場しておりました。八の宮や薫の信頼も厚く、
薫は浮舟の四十九日や一周忌の法要もこの阿闍梨に依頼しています。
それに対し、横川の僧都は高僧でありながら、極めて人間味の豊かな
僧として描かれています。浮舟を救出する場面でも、周りの者たちが
死の穢れを恐れ、浮舟を見捨てようとする時も、「まだ命あるものを
見捨てることは出来ない」と言って、邸内に運び込ませるのでした。
やがて浮舟の出家や、薫が浮舟の生存を知る上で、重大な役割を
果たすことになるこの横川の僧都、また他の場面でもしばしばご登場
頂くことになると思いますので、どうぞお見知りおきくださいませ(笑)。
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