今日の一首(2)
2015年3月30日(月) 溝の口「百人一首」(第20回)
ポカポカの陽気に誘われて、桜が一気に満開となりました
今回は73番~76番までの歌を読みましたが、このタイミングでの
「今日の一首」ですから、やはり73番をおいて他にはないでしょう。
高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ
(七十三番 大江匡房)

(あの高い山の頂に桜が咲いたことよ、手前にある山の霞は
どうか立たないでおくれ)
作者の大江匡房は漢学を専門とする学者でしたが、当代随一の
マルチ型の才人でした。
講座では源義家が匡房に「兵法」を学び、それを実戦で役立てた
お話をしましたので、ここではA4一枚の資料には入れられなかった
「和歌」にちなんだエピソードをご紹介しておきたいと思います。
匡房がまだ若かりし頃、宮中の女房たちからは「堅苦しい学者だから、
楽器を弾くなんて風流なことはきっと無理ね」と思われていて、「ちょっと
からかってあげましょうよ」と、匡房の前に和琴〈わごん=あづまごと〉を
差し出し、「弾いてみてくださいな」と言いました。匡房の困惑する顔を
見て楽しむつもりだったのでしょうが、匡房は平然として「逢坂の関の
こなたもまだ見ねばあづまのことも知られざりけり」(逢坂の関よりも
まだ先には行ったことがありませんので、東の事(和琴〈あづまごと〉を
掛けている)も何も存じません)と、和歌で切り返したのでした。
女房たちはグーの音も出なかったということです。
同じ趣きを持つ歌とすれば、60番の「大江山いく野の道の遠ければ
まだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)のほうが修辞も凝っていて
ワンランク上でしょうが、匡房の機知もなかなか捨てたものではない、
と思われませんか。
ポカポカの陽気に誘われて、桜が一気に満開となりました

今回は73番~76番までの歌を読みましたが、このタイミングでの
「今日の一首」ですから、やはり73番をおいて他にはないでしょう。
高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ
(七十三番 大江匡房)

(あの高い山の頂に桜が咲いたことよ、手前にある山の霞は
どうか立たないでおくれ)
作者の大江匡房は漢学を専門とする学者でしたが、当代随一の
マルチ型の才人でした。
講座では源義家が匡房に「兵法」を学び、それを実戦で役立てた
お話をしましたので、ここではA4一枚の資料には入れられなかった
「和歌」にちなんだエピソードをご紹介しておきたいと思います。
匡房がまだ若かりし頃、宮中の女房たちからは「堅苦しい学者だから、
楽器を弾くなんて風流なことはきっと無理ね」と思われていて、「ちょっと
からかってあげましょうよ」と、匡房の前に和琴〈わごん=あづまごと〉を
差し出し、「弾いてみてくださいな」と言いました。匡房の困惑する顔を
見て楽しむつもりだったのでしょうが、匡房は平然として「逢坂の関の
こなたもまだ見ねばあづまのことも知られざりけり」(逢坂の関よりも
まだ先には行ったことがありませんので、東の事(和琴〈あづまごと〉を
掛けている)も何も存じません)と、和歌で切り返したのでした。
女房たちはグーの音も出なかったということです。
同じ趣きを持つ歌とすれば、60番の「大江山いく野の道の遠ければ
まだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)のほうが修辞も凝っていて
ワンランク上でしょうが、匡房の機知もなかなか捨てたものではない、
と思われませんか。
スポンサーサイト
大晦日の宮中に強盗現る!!
2015年3月27日(金) 向河原「紫式部日記の会」(第9回)
暖かな春の日差しを受けながら、もう一つの「紫式部日記」のクラスで
3月20日の「溝の口クラス」と同じところを講読しました。
今日は20日とは別の箇所をご紹介しましょう。
寛弘5年(1008年)大晦日の夜の条です。
追儺〈ついな〉(鬼に扮した舎人を、内裏の四方の門を巡って追い回し、
一年の悪鬼を払う宮廷の儀式。これが今の節分の豆まきにつながった、
と言われています)も終わり、皆静かに大晦日の夜を過ごしていると、
突然、中宮さまのお部屋のほうで大声がし、人の泣き声が聞こえて
きます。紫式部は自分の局に居合わせた三人で、震えながら恐る恐る
近づいて行きますが、なんとそこで目にしたのは、身ぐるみ剥がされた
女房が二人、裸でうずくまっている姿でした。
今ほどセキュリティーも高くはなく、しかもこの時は内裏が焼失して
今内裏(仮の内裏でこの時は一条院)だったにせよ、警護も厳しい
はずの宮中に、強盗が出現したというのは驚きです。「儺やらひ果て
けるままに、みなまかでにけり」(追儺の行事が終わるやいなや、皆
退出してしまっていた)とありますが、いくら何でも、という気がします。
「朔日の装束はとらざりければ、さりげもなくてあれど、裸姿はわすられず。
おそろしきものから、をかしうともいはず。」(幸いにも、正月用の晴れ着は
盗られなかったので、二人共、何事もなかったかのように振る舞っていますが、
あの裸姿が忘れられません。恐ろしいことでしたが、一方では可笑しくって、
でも、もちろんそんな「可笑しい」なんては言いませんよ。)と、書かれていて、
翌正月一日の条では、「正月早々、縁起でもないことを話題にすべきでは
ないけれど、みんな話題にせずにはいられませんでした」、とあります。
気の毒なのは被害にあった二人の女房ですよね。
暖かな春の日差しを受けながら、もう一つの「紫式部日記」のクラスで
3月20日の「溝の口クラス」と同じところを講読しました。
今日は20日とは別の箇所をご紹介しましょう。
寛弘5年(1008年)大晦日の夜の条です。
追儺〈ついな〉(鬼に扮した舎人を、内裏の四方の門を巡って追い回し、
一年の悪鬼を払う宮廷の儀式。これが今の節分の豆まきにつながった、
と言われています)も終わり、皆静かに大晦日の夜を過ごしていると、
突然、中宮さまのお部屋のほうで大声がし、人の泣き声が聞こえて
きます。紫式部は自分の局に居合わせた三人で、震えながら恐る恐る
近づいて行きますが、なんとそこで目にしたのは、身ぐるみ剥がされた
女房が二人、裸でうずくまっている姿でした。
今ほどセキュリティーも高くはなく、しかもこの時は内裏が焼失して
今内裏(仮の内裏でこの時は一条院)だったにせよ、警護も厳しい
はずの宮中に、強盗が出現したというのは驚きです。「儺やらひ果て
けるままに、みなまかでにけり」(追儺の行事が終わるやいなや、皆
退出してしまっていた)とありますが、いくら何でも、という気がします。
「朔日の装束はとらざりければ、さりげもなくてあれど、裸姿はわすられず。
おそろしきものから、をかしうともいはず。」(幸いにも、正月用の晴れ着は
盗られなかったので、二人共、何事もなかったかのように振る舞っていますが、
あの裸姿が忘れられません。恐ろしいことでしたが、一方では可笑しくって、
でも、もちろんそんな「可笑しい」なんては言いませんよ。)と、書かれていて、
翌正月一日の条では、「正月早々、縁起でもないことを話題にすべきでは
ないけれど、みんな話題にせずにはいられませんでした」、とあります。
気の毒なのは被害にあった二人の女房ですよね。
「源氏物語」のあらすじ…第一帖「桐壺」(その1)
これまで、講読会の度に、読んだ箇所のかなり詳しいあらすじを手書きで
ノートに記録してきました(アナログ~
)。どのクラスも月に一回の
講読会ですので、翌月の会の最初に、前回のあらすじを紹介してから、
その月の講読に入ることにしています。すでに三十八帖分ありますので、
これを少しずつブログ上にアップして行きたいと思っています。
「源氏物語」の大方の把握にお役立ていただければ幸いです。
今回は第一帖「桐壺」の冒頭から更衣の死までのあらすじ←(色文字のところをクリック)
がお読み頂けます。
ノートに記録してきました(アナログ~

講読会ですので、翌月の会の最初に、前回のあらすじを紹介してから、
その月の講読に入ることにしています。すでに三十八帖分ありますので、
これを少しずつブログ上にアップして行きたいと思っています。
「源氏物語」の大方の把握にお役立ていただければ幸いです。
今回は第一帖「桐壺」の冒頭から更衣の死までのあらすじ←(色文字のところをクリック)
がお読み頂けます。
衝撃的な継母の美貌
2015年3月23日(月) 溝の口「源氏物語『湖月会』」(第81回)
東京と横浜で桜の開花宣言が出ました。いよいよ春本番ですね。
第4月曜日のクラス「湖月会」は、第2金曜日の「源氏物語を読む会」の
人数が多くなって、二つに分かれた時に出来たクラスです。いわば、
金曜日クラスとは双子の姉妹のようなものです。
所属はどちらか一方ですが、振替でどちらのクラスで受講してもよい
システムにしてあります。
ですから、読む足並みも必ず揃えることにしていますが、そのため、
「湖月会」は今日も15分延長になってしまいました。ごめんなさい
金曜日クラスでは「篝火」の巻をご紹介しましたので、こちらは後半で読んだ
「野分」の巻から。
「野分」(のわき)とは台風のことです。この年、たいそう強い台風が京都を
襲いました。折からやってきた源氏の息子の夕霧は、廊下の衝立の上から、
台風で開いてしまった妻戸の隙間を何気なく覗いて、一人の女性に目を奪わ
れてしまいます。こんなにも美しい人を後にも先にも見たことがありません。
源氏の妻の紫の上が、お庭の植え込みのことが気になり、廂の間まで出て、
外の様子をご覧になっていたのです。夕霧は「春の曙の霞の間より、おもしろき
樺桜の咲き乱れたるを見るここちす」(春の夜明けに立ち込めている霞の隙間から、
風情ある樺桜が咲き乱れているのを見ているような気がする)のでした。
父が絶対に自分を紫の上に会わせようとしない訳も、これで納得した夕霧ですが、
源氏のこの用心深さがもっと別のところにある(源氏は継母の藤壺と不義密通を
犯している)のを、読者は知っていますが、夕霧は知りません。
その夜は一晩中、紫の上の美しい姿がちらついてしかたありませんでしたが、
そこは真面目人間の夕霧、継母である紫の上と密通したい、などという不届きな
考えにまでは至らずに終わっています。
夕霧15歳の秋の出来事でした。
東京と横浜で桜の開花宣言が出ました。いよいよ春本番ですね。
第4月曜日のクラス「湖月会」は、第2金曜日の「源氏物語を読む会」の
人数が多くなって、二つに分かれた時に出来たクラスです。いわば、
金曜日クラスとは双子の姉妹のようなものです。
所属はどちらか一方ですが、振替でどちらのクラスで受講してもよい
システムにしてあります。
ですから、読む足並みも必ず揃えることにしていますが、そのため、
「湖月会」は今日も15分延長になってしまいました。ごめんなさい

金曜日クラスでは「篝火」の巻をご紹介しましたので、こちらは後半で読んだ
「野分」の巻から。
「野分」(のわき)とは台風のことです。この年、たいそう強い台風が京都を
襲いました。折からやってきた源氏の息子の夕霧は、廊下の衝立の上から、
台風で開いてしまった妻戸の隙間を何気なく覗いて、一人の女性に目を奪わ
れてしまいます。こんなにも美しい人を後にも先にも見たことがありません。
源氏の妻の紫の上が、お庭の植え込みのことが気になり、廂の間まで出て、
外の様子をご覧になっていたのです。夕霧は「春の曙の霞の間より、おもしろき
樺桜の咲き乱れたるを見るここちす」(春の夜明けに立ち込めている霞の隙間から、
風情ある樺桜が咲き乱れているのを見ているような気がする)のでした。
父が絶対に自分を紫の上に会わせようとしない訳も、これで納得した夕霧ですが、
源氏のこの用心深さがもっと別のところにある(源氏は継母の藤壺と不義密通を
犯している)のを、読者は知っていますが、夕霧は知りません。
その夜は一晩中、紫の上の美しい姿がちらついてしかたありませんでしたが、
そこは真面目人間の夕霧、継母である紫の上と密通したい、などという不届きな
考えにまでは至らずに終わっています。
夕霧15歳の秋の出来事でした。
「二月のしだり柳」に譬えられる女性とは…
2015年3月20日(金) 溝の口「古典文学に親しむ会」(第9回)
全12回の予定の「紫式部日記」ですが、今日は早くも9回目、
寛弘5年(1008年)12月29日から、翌年の寛弘6年1月3日までの記事と、
「消息文」と呼ばれている部分の最初のところを読みました。
「紫式部日記」に、なぜこうした「消息文」の体裁をとった文章が挿入されたのか、
また、これが誰に対して、何のために書かれたのか、未だ結論は出ておりません。
それはさて置き、「消息文」は、中宮彰子にお仕えしている女房たちの容姿の
記述から始まります。作者自身が「すこしもかたほなるはいひはべらじ」(少しでも
見劣りするところのある人のことは言いますまい)と書いているように、「美人限定」
なのですが、その中の一人「小少将の君」と呼ばれている女房を「二月ばかりの
しだり柳のさましたり」と譬えています。
あれっ?どこかで見たような表現、と思われた方もいらっしゃることでしょう。
そうです。「源氏物語」の「若菜下」で、光源氏が女三宮を「二月の中の十日ばかりの
青柳の、わづかにしだりはじめたらむここちして」と評しています。
小少将の君は、上品で可愛らしげな容姿で、性質が、「あまり見苦しきまで
子めいたまへり」(とても見るにしのびないほど子供っぽくていらっしゃる)と
書かれていて、このあたりが女三宮とよく似ています。
「見るからに弱々しく頼りなさそうで幼い感じのする女性」、紫式部は
「二月のしだり柳」にはそうした女性をイメージしていたようです。
全12回の予定の「紫式部日記」ですが、今日は早くも9回目、
寛弘5年(1008年)12月29日から、翌年の寛弘6年1月3日までの記事と、
「消息文」と呼ばれている部分の最初のところを読みました。
「紫式部日記」に、なぜこうした「消息文」の体裁をとった文章が挿入されたのか、
また、これが誰に対して、何のために書かれたのか、未だ結論は出ておりません。
それはさて置き、「消息文」は、中宮彰子にお仕えしている女房たちの容姿の
記述から始まります。作者自身が「すこしもかたほなるはいひはべらじ」(少しでも
見劣りするところのある人のことは言いますまい)と書いているように、「美人限定」
なのですが、その中の一人「小少将の君」と呼ばれている女房を「二月ばかりの
しだり柳のさましたり」と譬えています。
あれっ?どこかで見たような表現、と思われた方もいらっしゃることでしょう。
そうです。「源氏物語」の「若菜下」で、光源氏が女三宮を「二月の中の十日ばかりの
青柳の、わづかにしだりはじめたらむここちして」と評しています。
小少将の君は、上品で可愛らしげな容姿で、性質が、「あまり見苦しきまで
子めいたまへり」(とても見るにしのびないほど子供っぽくていらっしゃる)と
書かれていて、このあたりが女三宮とよく似ています。
「見るからに弱々しく頼りなさそうで幼い感じのする女性」、紫式部は
「二月のしだり柳」にはそうした女性をイメージしていたようです。
最初の講読会から15年
2015年3月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第163回)
2000年の4月に湘南台で最初の「源氏物語」の講読会を始めてから、
ちょうど15年が経ちました。来月からは16年目に入ります。
淵野辺の「五十四帖の会」以降は、発足時より、回数をきちんと記録して
おりますが、湘南台クラスだけは、第1回目から「何月何日何をした」のみ
書き記して、「何回目」はカウントすることなく、ここまで読んでまいりました。
昨夜、1冊目の記録ノートから数え始め(今は12冊目)、今日で163回目に
なったことを確認しました。
今ではどのクラスも、毎月1回例会を持っておりますが、湘南台クラスは
最初の数年、8月と12月はお休みにしていたことなどもあって、ここまで
年平均11回弱、となっていることもわかりました。
昨年、淵野辺クラスと八王子クラスが相次いで100回目記念のお祝いを
しましたが、数えていなかった湘南台クラスは2009年7月15日に100回目を
迎えておりました。意識もしないまま通過してしまいましたので、200回目は
きちんとお祝いしたいと思います。
肝心の講読のほうですが、今回から三十六帖目「柏木」の巻に入りました。
「若菜下」の延長線上にある巻です。この巻には「薫の誕生」、「女三宮の出家」、
「柏木の死」、という三つの事柄が扱われており、現存する「国宝源氏物語絵巻」
にも三段、それぞれの場面が描かれています。
来月は「女三宮出家」の場面を読みますので、絵巻と併せてご紹介したいと
考えております。
2000年の4月に湘南台で最初の「源氏物語」の講読会を始めてから、
ちょうど15年が経ちました。来月からは16年目に入ります。
淵野辺の「五十四帖の会」以降は、発足時より、回数をきちんと記録して
おりますが、湘南台クラスだけは、第1回目から「何月何日何をした」のみ
書き記して、「何回目」はカウントすることなく、ここまで読んでまいりました。
昨夜、1冊目の記録ノートから数え始め(今は12冊目)、今日で163回目に
なったことを確認しました。
今ではどのクラスも、毎月1回例会を持っておりますが、湘南台クラスは
最初の数年、8月と12月はお休みにしていたことなどもあって、ここまで
年平均11回弱、となっていることもわかりました。
昨年、淵野辺クラスと八王子クラスが相次いで100回目記念のお祝いを
しましたが、数えていなかった湘南台クラスは2009年7月15日に100回目を
迎えておりました。意識もしないまま通過してしまいましたので、200回目は
きちんとお祝いしたいと思います。
肝心の講読のほうですが、今回から三十六帖目「柏木」の巻に入りました。
「若菜下」の延長線上にある巻です。この巻には「薫の誕生」、「女三宮の出家」、
「柏木の死」、という三つの事柄が扱われており、現存する「国宝源氏物語絵巻」
にも三段、それぞれの場面が描かれています。
来月は「女三宮出家」の場面を読みますので、絵巻と併せてご紹介したいと
考えております。
海老蔵の「光源氏」
本日、横浜の神奈川芸術劇場で「市川海老蔵特別公演『源氏物語』」を
観てまいりました。
海老蔵の「光源氏」のなんとまあ美しいこと!!
前々から、「光源氏」を演じることのできる当代の役者は海老蔵しかいない、
とは思っておりましたが、今日、その確信を新たにしました。
歌舞伎と能とオペラのコラボレーションという、これまでにはない「源氏物語」、
不思議な魅力に満ち溢れていました。
特に、生霊となって夕顔を取り殺す(この「源氏物語」では葵の上ではなく夕顔)
六条御息所の内面を、小面と般若の別々の能面を付けた二人の能楽師が
演じ分けていたのは、観客にわかりやすく、また「生霊」は歌舞伎よりも能でこそ
その怨念が際立つ役柄だとも思いました。
和と洋の音楽も不思議と調和がとれ、カウンターテナーの妖しくもの哀しい歌声が、
今回の「源氏物語」にはよくマッチしていました。
藤壺との恋の行方を語るストーリー展開など、納得できないところもありましたが、
当分は「源氏物語」を読んでいて、光源氏が登場するたび、今日の海老蔵の姿を
思い浮かべてしまいそうです。

観てまいりました。
海老蔵の「光源氏」のなんとまあ美しいこと!!
前々から、「光源氏」を演じることのできる当代の役者は海老蔵しかいない、
とは思っておりましたが、今日、その確信を新たにしました。
歌舞伎と能とオペラのコラボレーションという、これまでにはない「源氏物語」、
不思議な魅力に満ち溢れていました。
特に、生霊となって夕顔を取り殺す(この「源氏物語」では葵の上ではなく夕顔)
六条御息所の内面を、小面と般若の別々の能面を付けた二人の能楽師が
演じ分けていたのは、観客にわかりやすく、また「生霊」は歌舞伎よりも能でこそ
その怨念が際立つ役柄だとも思いました。
和と洋の音楽も不思議と調和がとれ、カウンターテナーの妖しくもの哀しい歌声が、
今回の「源氏物語」にはよくマッチしていました。
藤壺との恋の行方を語るストーリー展開など、納得できないところもありましたが、
当分は「源氏物語」を読んでいて、光源氏が登場するたび、今日の海老蔵の姿を
思い浮かべてしまいそうです。

登場人物の呼称
2015年3月14日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第111回)
今日は最も読み進んでいるクラス「五十四帖の会」の例会があり、
第三十九帖「夕霧」に入りました。
「夕霧」の巻は、父親の源氏には似ず、自他共に許す堅物の夕霧が、
亡き親友の未亡人に恋をし、妻も夫の浮気に慣れていませんから、
当然家庭騒動に発展するという、まるでホームドラマを見ているような
巻です。
ところで、我々が「夕霧」と呼んでいる人物ですが、原文の中では一度も
「夕霧」とは呼ばれていません。「夕霧」だけではなく、「葵の上」も「玉鬘」も、
大半の人がそうです。
「源氏物語」には460人余りの人物が登場し、人間関係も実に複雑なので、
平安時代の末期には、こうした呼称が定着していたと考えられています。
「九条家本」に代表される「源氏物語古系図」というものが現存しており、
そこに書かれている呼称が継承されて今に至り、おそらくこれから先も、
光源氏の嫡男にあたるこの人は、「夕霧」と呼ばれて行くことでしょう。
「夕霧」の巻の主人公となっているので、付けられた呼び名なのでしょうが、
「いとすくよかに重々しく、男々しきけはひ」(真面目一方で、男らしい雰囲気)
の夕霧には、この遊郭の大夫のような名前、ちょっと不似合な気もしますね。
今日は最も読み進んでいるクラス「五十四帖の会」の例会があり、
第三十九帖「夕霧」に入りました。
「夕霧」の巻は、父親の源氏には似ず、自他共に許す堅物の夕霧が、
亡き親友の未亡人に恋をし、妻も夫の浮気に慣れていませんから、
当然家庭騒動に発展するという、まるでホームドラマを見ているような
巻です。
ところで、我々が「夕霧」と呼んでいる人物ですが、原文の中では一度も
「夕霧」とは呼ばれていません。「夕霧」だけではなく、「葵の上」も「玉鬘」も、
大半の人がそうです。
「源氏物語」には460人余りの人物が登場し、人間関係も実に複雑なので、
平安時代の末期には、こうした呼称が定着していたと考えられています。
「九条家本」に代表される「源氏物語古系図」というものが現存しており、
そこに書かれている呼称が継承されて今に至り、おそらくこれから先も、
光源氏の嫡男にあたるこの人は、「夕霧」と呼ばれて行くことでしょう。
「夕霧」の巻の主人公となっているので、付けられた呼び名なのでしょうが、
「いとすくよかに重々しく、男々しきけはひ」(真面目一方で、男らしい雰囲気)
の夕霧には、この遊郭の大夫のような名前、ちょっと不似合な気もしますね。
苦しき下燃えー中年源氏の恋ー
2015年3月13日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第81回)
第二十七帖「篝火」の巻は、「源氏物語」五十四帖中、最も短い巻ですが、
初秋の情緒たっぷりな背景のもと、ふすぶりがちな篝火に象徴される、
突き進むことも引くことも出来ない恋に苦しむ中年源氏の姿が描かれて
います。お相手は玉鬘です。
琴を枕に添い臥しながら、「いとらうたげなり」(ああ、なんて可愛いんだろう)
と思う源氏ですが、そこで踏みとどまってしまうのが、分別のついた中年の
哀しさ。玉鬘の母である夕顔との恋に落ちた時のような情熱は既に失われて
しまっています。
「下燃え」とは、心の中で恋い焦がれることを言います。
今日は「篝火」と「野分」の途中までを読みましたが、23日にも同じところを
もう一つのクラスで読みますので、「野分」のほうは、そちらで書くことにします。
第二十七帖「篝火」の巻は、「源氏物語」五十四帖中、最も短い巻ですが、
初秋の情緒たっぷりな背景のもと、ふすぶりがちな篝火に象徴される、
突き進むことも引くことも出来ない恋に苦しむ中年源氏の姿が描かれて
います。お相手は玉鬘です。
琴を枕に添い臥しながら、「いとらうたげなり」(ああ、なんて可愛いんだろう)
と思う源氏ですが、そこで踏みとどまってしまうのが、分別のついた中年の
哀しさ。玉鬘の母である夕顔との恋に落ちた時のような情熱は既に失われて
しまっています。
「下燃え」とは、心の中で恋い焦がれることを言います。
今日は「篝火」と「野分」の途中までを読みましたが、23日にも同じところを
もう一つのクラスで読みますので、「野分」のほうは、そちらで書くことにします。
- 訪問者カウンター