喪に服す玉鬘と夕霧
2015年7月27日(月) 溝の口「湖月会」(第85回)
ここ数日、猛暑日が続いておりますが、今日もいやはや暑い一日でした。
「湖月会」は、第2金曜日と足並みを揃えなければなりませんので、「今日は
余裕ですね。たまには早めに終わるのもいいでしょう。」などと言って始めた
のですが、なぜか終わってみたら10分延長になっていました。「余裕ですね」
などというのは私の場合、禁句です。やっぱり「ようなしごといと多かりや」で、
反省の繰り返しばかり…。
読んだのは7月10日と同じ、「行幸」の最後と、「藤袴」の最初のところです。
10日のほうでは、「行幸」の最後の「近江の君」の話を書きましたので、今回は
「藤袴」の、夕霧が玉鬘のもとを訪れる場面を取り上げておきたいと思います。
「行幸」の巻は源氏37歳の2月で終わり、「藤袴」は同じ年の8月から書き始められて
います。この空白の5ヶ月の間に大宮が亡くなられて、共に孫にあたる玉鬘と夕霧は
喪に服しています。
服喪期間は702年に施行された「大宝律令」で規定され、それを受け継いだ
757年の「養老律令」の「喪葬令」に細かく記載されています。玉鬘の場合は
父方の祖母になりますので、5ヶ月喪に服すことになります。夕霧にとって
大宮は母方の祖母、つまり外祖母になりますので、本来は3ヶ月喪に服せば
よいのですが、生後間もなく亡くなった母(葵の上)に代わって夕霧を育てて
くださった方ですから、夕霧も5ヶ月の喪に服しています。喪服の色も悲しみの
深さを表すため、夕霧のほうが玉鬘よりも濃い色の喪服を身に着けています。
父・源氏の使いでやって来た夕霧でしたが、これまで姉だと思い込んでいた玉鬘が
そうではなかったとわかったので、手にしていた藤袴の花を御簾の内に入れ、
それを受け取った玉鬘の着物の袖を引き動かし、不器用な恋の告白をします。
玉鬘に「気分が悪い」と奥に引っ込んでしまわれ、とてもバツの悪い思いをしながら、
帰って行った夕霧でした。
この時の夕霧は16歳。彼が親友・柏木の未亡人「落葉の宮」を相手に、本当に
不器用な恋を読者の前に晒すのは、13年後の29歳、もう中年になってからの
ことになります。
ここ数日、猛暑日が続いておりますが、今日もいやはや暑い一日でした。
「湖月会」は、第2金曜日と足並みを揃えなければなりませんので、「今日は
余裕ですね。たまには早めに終わるのもいいでしょう。」などと言って始めた
のですが、なぜか終わってみたら10分延長になっていました。「余裕ですね」
などというのは私の場合、禁句です。やっぱり「ようなしごといと多かりや」で、
反省の繰り返しばかり…。
読んだのは7月10日と同じ、「行幸」の最後と、「藤袴」の最初のところです。
10日のほうでは、「行幸」の最後の「近江の君」の話を書きましたので、今回は
「藤袴」の、夕霧が玉鬘のもとを訪れる場面を取り上げておきたいと思います。
「行幸」の巻は源氏37歳の2月で終わり、「藤袴」は同じ年の8月から書き始められて
います。この空白の5ヶ月の間に大宮が亡くなられて、共に孫にあたる玉鬘と夕霧は
喪に服しています。
服喪期間は702年に施行された「大宝律令」で規定され、それを受け継いだ
757年の「養老律令」の「喪葬令」に細かく記載されています。玉鬘の場合は
父方の祖母になりますので、5ヶ月喪に服すことになります。夕霧にとって
大宮は母方の祖母、つまり外祖母になりますので、本来は3ヶ月喪に服せば
よいのですが、生後間もなく亡くなった母(葵の上)に代わって夕霧を育てて
くださった方ですから、夕霧も5ヶ月の喪に服しています。喪服の色も悲しみの
深さを表すため、夕霧のほうが玉鬘よりも濃い色の喪服を身に着けています。
父・源氏の使いでやって来た夕霧でしたが、これまで姉だと思い込んでいた玉鬘が
そうではなかったとわかったので、手にしていた藤袴の花を御簾の内に入れ、
それを受け取った玉鬘の着物の袖を引き動かし、不器用な恋の告白をします。
玉鬘に「気分が悪い」と奥に引っ込んでしまわれ、とてもバツの悪い思いをしながら、
帰って行った夕霧でした。
この時の夕霧は16歳。彼が親友・柏木の未亡人「落葉の宮」を相手に、本当に
不器用な恋を読者の前に晒すのは、13年後の29歳、もう中年になってからの
ことになります。
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「伊勢物語」スタート!
2015年7月17日(金) 溝の口「伊勢物語」(第1回)
少し前からパソコンの調子が悪いことはお伝えしていましたが、昨夜、
ついに再起不能状態に陥り、修理に出すことになりました。
今代替として使っているのは、ずっとプロジェクター専用でしたので、
携帯向きの小型軽量タイプのパソコンです。全てがコンパクトに出来て
いるので、慣れないせいか、キーボードの操作にも手間取ってしまいます。
でも、しばらくはこれで頑張ってみますね。
先月で「紫式部日記」を読み終えて、今月から「伊勢物語」を読み始め
ました。
「伊勢物語」は在原業平の一代記風に仕立てられた「歌物語」ですが、
「源氏物語」同様に、「伊勢絵」と称される絵が沢山描かれているので、
それらをプロジェクターで映して見ていただきながら、読み進めて行く
ことにいたしました。
主にご覧頂く「伊勢絵」の作品を挙げておきます。
① 慶長13年(1608年)に出版された古活字本の「嵯峨本 伊勢物語」の
挿絵のもととなった、と考えられる「伊勢物語色紙貼交屏風」(いせものがたり
しきしはりまぜびょうぶ)。
② その「嵯峨本 伊勢物語」の挿絵。この活字本の流布により、以後は②が
伊勢絵の規範的な図様となりました。
③と④ 嵯峨本の影響下で描かれたと思われる二種類の「伊勢物語図屏風」。
⑤ 「宗達伊勢物語図色紙」(これがメインとなります)。
今日は第1回目で先に概説などもしておりましたので、本文は初段から第三段
までしか取り上げられませんでした。
初段は、「初冠」(うひかうぶり)というタイトルで、高校の教科書などにもよく
採られている、元服したばかりの男が、既に旧都となった奈良に出かけ、
そこで若く美しい姉妹を垣間見て、すぐさま恋の歌「春日野の若紫のすり衣
しのぶのみだれかぎりしられず」(春日野の若い紫草のように美しいあなた方に
私の心はこの紫の信夫摺りの模様さながらこの上なく思い乱れております)
を贈った話です。
「伊勢絵」では、①がまずあり、①に描かれた場面、構図を取り入れた②、
その②の影響で描かれている③、④。独自の観点から描かれている⑤、と
いうのが、実際に見ていただけば、よくわかると思います。

①伊勢物語色紙貼交屏風 ②嵯峨本 伊勢物語

③伊勢物語図屏風(A)

④伊勢物語図屏風(B) ⑤宗達伊勢物語図色紙
①から④は、どれも、男が姉妹の侍女に歌を託している場面で、②は①を左右反転
させたような絵になっています。③、④は②をそのまま踏襲した構成で、⑤のみ、
冒頭の、「むかし、男、うひかうぶりして、平城〈なら〉の京、春日野里にしるよしして、
狩に往にけり。」(昔、男が元服をして、旧都平城京に所領地があった関係上、狩りに
出かけて行った。)という場面を描いています。小さくて見難いでしょうが、書かれている
詞もこの部分です。
このような形でスタートさせましたが、まだ始まったばかりですので、これから皆さまに
ご意見やご希望を伺いながら、ご一緒に「伊勢物語」の世界を楽しんで行くつもりです。
少し前からパソコンの調子が悪いことはお伝えしていましたが、昨夜、
ついに再起不能状態に陥り、修理に出すことになりました。
今代替として使っているのは、ずっとプロジェクター専用でしたので、
携帯向きの小型軽量タイプのパソコンです。全てがコンパクトに出来て
いるので、慣れないせいか、キーボードの操作にも手間取ってしまいます。
でも、しばらくはこれで頑張ってみますね。
先月で「紫式部日記」を読み終えて、今月から「伊勢物語」を読み始め
ました。
「伊勢物語」は在原業平の一代記風に仕立てられた「歌物語」ですが、
「源氏物語」同様に、「伊勢絵」と称される絵が沢山描かれているので、
それらをプロジェクターで映して見ていただきながら、読み進めて行く
ことにいたしました。
主にご覧頂く「伊勢絵」の作品を挙げておきます。
① 慶長13年(1608年)に出版された古活字本の「嵯峨本 伊勢物語」の
挿絵のもととなった、と考えられる「伊勢物語色紙貼交屏風」(いせものがたり
しきしはりまぜびょうぶ)。
② その「嵯峨本 伊勢物語」の挿絵。この活字本の流布により、以後は②が
伊勢絵の規範的な図様となりました。
③と④ 嵯峨本の影響下で描かれたと思われる二種類の「伊勢物語図屏風」。
⑤ 「宗達伊勢物語図色紙」(これがメインとなります)。
今日は第1回目で先に概説などもしておりましたので、本文は初段から第三段
までしか取り上げられませんでした。
初段は、「初冠」(うひかうぶり)というタイトルで、高校の教科書などにもよく
採られている、元服したばかりの男が、既に旧都となった奈良に出かけ、
そこで若く美しい姉妹を垣間見て、すぐさま恋の歌「春日野の若紫のすり衣
しのぶのみだれかぎりしられず」(春日野の若い紫草のように美しいあなた方に
私の心はこの紫の信夫摺りの模様さながらこの上なく思い乱れております)
を贈った話です。
「伊勢絵」では、①がまずあり、①に描かれた場面、構図を取り入れた②、
その②の影響で描かれている③、④。独自の観点から描かれている⑤、と
いうのが、実際に見ていただけば、よくわかると思います。


①伊勢物語色紙貼交屏風 ②嵯峨本 伊勢物語

③伊勢物語図屏風(A)


④伊勢物語図屏風(B) ⑤宗達伊勢物語図色紙
①から④は、どれも、男が姉妹の侍女に歌を託している場面で、②は①を左右反転
させたような絵になっています。③、④は②をそのまま踏襲した構成で、⑤のみ、
冒頭の、「むかし、男、うひかうぶりして、平城〈なら〉の京、春日野里にしるよしして、
狩に往にけり。」(昔、男が元服をして、旧都平城京に所領地があった関係上、狩りに
出かけて行った。)という場面を描いています。小さくて見難いでしょうが、書かれている
詞もこの部分です。
このような形でスタートさせましたが、まだ始まったばかりですので、これから皆さまに
ご意見やご希望を伺いながら、ご一緒に「伊勢物語」の世界を楽しんで行くつもりです。
子を亡くした親の悲しみ
2015年7月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第167回)
今日も暑い一日でした。明日は真夏日からは解放されそうですが、
台風11号の接近で、今度は大雨のほうが気になりますね。
湘南台クラスは第36帖「柏木」の終わりの部分と第37帖「横笛」の
初めの部分を読みました。
夕霧は一条の宮(柏木の未亡人落葉の宮と、その母御息所の住まい)
を訪れたその足で、柏木の父・致仕の大臣のところに立ち寄ります。
これまでは、歳をとられても若々しくダンディな致仕の大臣が、髭も伸び放題
という無気力な姿で登場します。それだけでも、グッとくるものがあるのですが、
さらに、次の致仕の大臣の言葉が読者の胸に迫ります。
「柏木がようやく一人前になり、帝をはじめ、世間の人々の声望も高まって
来ていたので、その死を惜しんでくださる方も多いようです。」と語った後、
「かう深き思ひは、そのおほかたの世のおぼえも、官位も思ほえず、ただ
ことなることなかりしみづからのありさまのみこそ、堪えがたく恋しかりけれ。」
(でも、親の私の深い思いは、そういった世間の声望も、官位も、どうでもよい
ことなのです。ただ、格別変わったこともなかった普通の息子の様子だけが、
今の私には堪えられないほど恋しくてならないのです。)
特別なことなど何もいらない。ただ元気で普通に生きていてさえくれれば、
それだけで十分なことなのだ、という親の思いを語っています。この言葉が
これほど読む者の心に響くのは、おそらく逆縁となってしまった親の気持ち
と言うものは、千年前であろうが千年先であろうが普遍的なものだからなの
でしょうが、それを、ここまで端的な心情表現にした紫式部の筆には、ただもう
感嘆するばかりです。
今日も暑い一日でした。明日は真夏日からは解放されそうですが、
台風11号の接近で、今度は大雨のほうが気になりますね。
湘南台クラスは第36帖「柏木」の終わりの部分と第37帖「横笛」の
初めの部分を読みました。
夕霧は一条の宮(柏木の未亡人落葉の宮と、その母御息所の住まい)
を訪れたその足で、柏木の父・致仕の大臣のところに立ち寄ります。
これまでは、歳をとられても若々しくダンディな致仕の大臣が、髭も伸び放題
という無気力な姿で登場します。それだけでも、グッとくるものがあるのですが、
さらに、次の致仕の大臣の言葉が読者の胸に迫ります。
「柏木がようやく一人前になり、帝をはじめ、世間の人々の声望も高まって
来ていたので、その死を惜しんでくださる方も多いようです。」と語った後、
「かう深き思ひは、そのおほかたの世のおぼえも、官位も思ほえず、ただ
ことなることなかりしみづからのありさまのみこそ、堪えがたく恋しかりけれ。」
(でも、親の私の深い思いは、そういった世間の声望も、官位も、どうでもよい
ことなのです。ただ、格別変わったこともなかった普通の息子の様子だけが、
今の私には堪えられないほど恋しくてならないのです。)
特別なことなど何もいらない。ただ元気で普通に生きていてさえくれれば、
それだけで十分なことなのだ、という親の思いを語っています。この言葉が
これほど読む者の心に響くのは、おそらく逆縁となってしまった親の気持ち
と言うものは、千年前であろうが千年先であろうが普遍的なものだからなの
でしょうが、それを、ここまで端的な心情表現にした紫式部の筆には、ただもう
感嘆するばかりです。
源氏よ、君もやっぱり親バカなんだねぇ
2015年7月11日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第115回)
トップを切って読み進んでいるこのクラスは、第三十九帖「夕霧」の巻も
そろそろ終わりに近づいています。
じれったい夕霧の落葉の宮への恋も、今回ようやく思いを遂げることが
出来ましたが、まだそこに至る前の部分です。一緒に読んでいる皆さまが
笑っておられたのが印象的な「源氏の親バカぶり」が書かれている場面を
ご紹介しておきたいと思います。
夕霧が落葉の宮に受け入れて貰えないまま、一条宮で一夜を明かした後、
雲居雁の待つ本宅に帰るのも気が引けて、六条院の花散里のもとに立ち寄ります。
養母の花散里とは本当の親子のように気の置けない間柄なので、二人で源氏の
悪口を言ってクスッと笑ったりしています。ここも面白いシーンなのですが、今日は
カットします。
六条院に来たからには挨拶をして行こうと、夕霧は源氏のところにも顔を出します。
落葉の宮との噂は耳にしておられますが、それをおくびにも出さず、夕霧の様子を
じっと窺っている源氏の目に映ったのは、二十九歳という男盛りの、余りにも立派で、
我が子ながら圧倒される息子のイケメンぶりでした。
「かたほなるところなうねびととのほりたまへる、ことわりぞかし。女にてなどか
めでざらむ、鏡を見てもなどかおごらざらむ、と、わが御子ながらもおぼす。」
(どこと言って欠点もなく、非の打ち所がない壮年期を迎えた夕霧をご覧に
なっていると、色恋沙汰などあって当然だ。女だったらどうして素敵だと
思わずにいられよう、自分で鏡を見てもどうしていい男だと思わずにいられよう、
と、我が子ながらお思いになっていた。)
鬼神だって夕霧の罪なら大目に見てくださるだろう、と思う源氏です。古今東西、
親バカにつける薬はなさそうですね。
トップを切って読み進んでいるこのクラスは、第三十九帖「夕霧」の巻も
そろそろ終わりに近づいています。
じれったい夕霧の落葉の宮への恋も、今回ようやく思いを遂げることが
出来ましたが、まだそこに至る前の部分です。一緒に読んでいる皆さまが
笑っておられたのが印象的な「源氏の親バカぶり」が書かれている場面を
ご紹介しておきたいと思います。
夕霧が落葉の宮に受け入れて貰えないまま、一条宮で一夜を明かした後、
雲居雁の待つ本宅に帰るのも気が引けて、六条院の花散里のもとに立ち寄ります。
養母の花散里とは本当の親子のように気の置けない間柄なので、二人で源氏の
悪口を言ってクスッと笑ったりしています。ここも面白いシーンなのですが、今日は
カットします。
六条院に来たからには挨拶をして行こうと、夕霧は源氏のところにも顔を出します。
落葉の宮との噂は耳にしておられますが、それをおくびにも出さず、夕霧の様子を
じっと窺っている源氏の目に映ったのは、二十九歳という男盛りの、余りにも立派で、
我が子ながら圧倒される息子のイケメンぶりでした。
「かたほなるところなうねびととのほりたまへる、ことわりぞかし。女にてなどか
めでざらむ、鏡を見てもなどかおごらざらむ、と、わが御子ながらもおぼす。」
(どこと言って欠点もなく、非の打ち所がない壮年期を迎えた夕霧をご覧に
なっていると、色恋沙汰などあって当然だ。女だったらどうして素敵だと
思わずにいられよう、自分で鏡を見てもどうしていい男だと思わずにいられよう、
と、我が子ながらお思いになっていた。)
鬼神だって夕霧の罪なら大目に見てくださるだろう、と思う源氏です。古今東西、
親バカにつける薬はなさそうですね。
内大臣家のもう一人の姫君
2015年7月10日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第85回)
「からうして、今日は日のけしきもなほれり」(やっと、今日はお天気も
良くなりました)
これは「帚木」の巻にある「雨夜の品定め」の翌朝の描写ですが、
まさに今日のことを言っているようなフレーズです。梅雨の長雨、
そして梅雨の晴れ間、千年前も今も、気象に変わりはないのですね。
今日のクラスは、第二十九帖「行幸」の最後と、第三十帖「藤袴」の
最初のほうを読みました。
22日にも同じところを読みますので、こちらでは「行幸」の最後に
書かれている「近江の君」のお話をいたしましょう。
7月7日のブログで、「この巻(「常夏」)で登場してくる新しい姫君。さて、
どんな姫君なのでしょう。 それは次回以降のお・た・の・し・み。」と
書きましたが、それが「近江の君」なのです。
内大臣は、玉鬘が実の娘とも知らず、源氏の引き取った娘(玉鬘)が
世間で評判になるにつれ、ライバル意識も手伝って、娘を探し求めるべく
動いた結果、現れたのが近江の君でした。
しかし、あまりにも期待外れだった近江の君の処遇に困り果て、内大臣は
娘の弘徽殿女御の女房にして、放り出してしまいました。「内の大臣殿の
今姫君」として、世間の人々の笑い者となった近江の君が、「行幸」の巻
のラストシーンでも、宮中の女房たちが「死ぬべくおぼゆ」(もう死ぬほど
可笑しくてたまらない)道化を演じて、読者をも笑わせます。
玉鬘が尚侍(内侍所の長官)に任命される噂を聞いた近江の君が、
「私がなりたかったのに」と言ったことから、あまりにも身の程知らずな
発言だということで、皆が寄ってたかって彼女を嘲弄します。
父の内大臣までが「もっと早くに言ってくれれば、おまえを推挙したのに」
と、心にもないからかいの言葉を口にします。挙句に、「いや、今からでも
遅くない。申文(漢文で書く履歴書のようなもの)や長歌を立派に書くとよい」
などと、凡そ無理難題を押し付ける始末。困った近江の君が、真剣に父に
手助けを求める姿があまりにも滑稽で、先程の「死ぬべくおぼゆ」となるのです。
「むしゃくしゃする時は近江の君を相手にするに限るね。気分が紛れるよ」と
内大臣が専ら笑い者にしておられるのを、世間でも「恥ぢがてら、はしたなめ
たまふ」(ご自分でも恥ずかしいものだから、あんなふうに娘をからかって
らっしゃる)と、取沙汰し、作者もこうした内大臣のやり方に「人の親げなく、
かたはなりや」(人の親とも思えない、見苦しいことですわねぇ)と、非難して
います。
立后争いには敗れたものの、帝の女御として堂々たる風格を備えた弘徽殿女御、
まだ先の見えない夕霧との恋に悩む雲居雁、数奇な運命に翻弄されながらも
ようやく内大臣の娘として認められた玉鬘、そしてこの近江の君。内大臣家の
四者四様の個性を持った姫君たちは、これから「源氏物語」にどのように関わって
行くのでしょう。
第1火曜日に講読会のある高座渋谷のクラスが、近江の君をヒロイン(?)とする
「常夏」の巻に入ったところですので、この先も、彼女の登場する面白い場面を
ご紹介できる機会があるかと思います。
「からうして、今日は日のけしきもなほれり」(やっと、今日はお天気も
良くなりました)
これは「帚木」の巻にある「雨夜の品定め」の翌朝の描写ですが、
まさに今日のことを言っているようなフレーズです。梅雨の長雨、
そして梅雨の晴れ間、千年前も今も、気象に変わりはないのですね。
今日のクラスは、第二十九帖「行幸」の最後と、第三十帖「藤袴」の
最初のほうを読みました。
22日にも同じところを読みますので、こちらでは「行幸」の最後に
書かれている「近江の君」のお話をいたしましょう。
7月7日のブログで、「この巻(「常夏」)で登場してくる新しい姫君。さて、
どんな姫君なのでしょう。 それは次回以降のお・た・の・し・み。」と
書きましたが、それが「近江の君」なのです。
内大臣は、玉鬘が実の娘とも知らず、源氏の引き取った娘(玉鬘)が
世間で評判になるにつれ、ライバル意識も手伝って、娘を探し求めるべく
動いた結果、現れたのが近江の君でした。
しかし、あまりにも期待外れだった近江の君の処遇に困り果て、内大臣は
娘の弘徽殿女御の女房にして、放り出してしまいました。「内の大臣殿の
今姫君」として、世間の人々の笑い者となった近江の君が、「行幸」の巻
のラストシーンでも、宮中の女房たちが「死ぬべくおぼゆ」(もう死ぬほど
可笑しくてたまらない)道化を演じて、読者をも笑わせます。
玉鬘が尚侍(内侍所の長官)に任命される噂を聞いた近江の君が、
「私がなりたかったのに」と言ったことから、あまりにも身の程知らずな
発言だということで、皆が寄ってたかって彼女を嘲弄します。
父の内大臣までが「もっと早くに言ってくれれば、おまえを推挙したのに」
と、心にもないからかいの言葉を口にします。挙句に、「いや、今からでも
遅くない。申文(漢文で書く履歴書のようなもの)や長歌を立派に書くとよい」
などと、凡そ無理難題を押し付ける始末。困った近江の君が、真剣に父に
手助けを求める姿があまりにも滑稽で、先程の「死ぬべくおぼゆ」となるのです。
「むしゃくしゃする時は近江の君を相手にするに限るね。気分が紛れるよ」と
内大臣が専ら笑い者にしておられるのを、世間でも「恥ぢがてら、はしたなめ
たまふ」(ご自分でも恥ずかしいものだから、あんなふうに娘をからかって
らっしゃる)と、取沙汰し、作者もこうした内大臣のやり方に「人の親げなく、
かたはなりや」(人の親とも思えない、見苦しいことですわねぇ)と、非難して
います。
立后争いには敗れたものの、帝の女御として堂々たる風格を備えた弘徽殿女御、
まだ先の見えない夕霧との恋に悩む雲居雁、数奇な運命に翻弄されながらも
ようやく内大臣の娘として認められた玉鬘、そしてこの近江の君。内大臣家の
四者四様の個性を持った姫君たちは、これから「源氏物語」にどのように関わって
行くのでしょう。
第1火曜日に講読会のある高座渋谷のクラスが、近江の君をヒロイン(?)とする
「常夏」の巻に入ったところですので、この先も、彼女の登場する面白い場面を
ご紹介できる機会があるかと思います。
今日の一首(7)
2015年7月8日(水) 湘南台「百人一首」(第10回)
今日も雨の一日となりました。7月に入ってから、すっかり明るい日差しが
遠のいています。
湘南台のクラスは、今回三十三番から三十六番までの歌を読みましたので、
その中から、やはり季節に即したこの一首をご紹介したいと思います。
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ
(三十六番 清原深養父)

(夏の夜は短くてまだ宵のうちに明けてしまったので、沈む間もない月は
雲のどのあたりで休んでいるのであろうか)
作者の清原深養父は、清少納言の曽祖父にあたります。
「夏の夜はあっと言う間に明けてしまうので、月も山の端に入る暇がなくて
困っているだろう」と、月を愛でる時間もないほどの夏の短夜を惜しんでいる
のですが、このウィットに富んだDNA、清少納言に見事に受け継がれていますね。
深養父は、紀貫之や壬生忠岑ら、「古今集」の撰者らと同じ時代に生きた人
で、彼らと同様に、定方(25番)や兼輔(27番・紫式部の曽祖父)をパトロンと
した歌人でした。4月24日の「紫式部日記の講読会」の記事に書きましたが、
紫式部は清少納言を散々けなしています。
「何よ、あなた(清少納言)のひいおじいさんは、私のひいおじいさんの庇護を
受けていたくせに。私でさえこんなに小さくなって宮仕えしているのに、その程度の
身分のあなたが宮中で我が物顔に振る舞うなんて生意気もいいとこよ!」とでも
言いたかったのでしょうか、清少納言批判の根拠を、先祖の身分の違いに求める
説もあります。
いくらでも憶測は可能ですが、本当のところは、タイムマシーンに乗って
千年前の世界に行き、紫式部にインタビューでもするしかありません。
彼女のことですから、真実を語ってくれるとは限りませんが…。
昨夜来、パソコンが不調で(突然文字が画面に出て来なくなる現象が度々
生じて)、中断せざるを得なくなりました。今は、なんとかここまで書けました
ので、とにかくもう、パソコンの機嫌のいいうちにUPすることにします。
今日も雨の一日となりました。7月に入ってから、すっかり明るい日差しが
遠のいています。
湘南台のクラスは、今回三十三番から三十六番までの歌を読みましたので、
その中から、やはり季節に即したこの一首をご紹介したいと思います。
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ
(三十六番 清原深養父)

(夏の夜は短くてまだ宵のうちに明けてしまったので、沈む間もない月は
雲のどのあたりで休んでいるのであろうか)
作者の清原深養父は、清少納言の曽祖父にあたります。
「夏の夜はあっと言う間に明けてしまうので、月も山の端に入る暇がなくて
困っているだろう」と、月を愛でる時間もないほどの夏の短夜を惜しんでいる
のですが、このウィットに富んだDNA、清少納言に見事に受け継がれていますね。
深養父は、紀貫之や壬生忠岑ら、「古今集」の撰者らと同じ時代に生きた人
で、彼らと同様に、定方(25番)や兼輔(27番・紫式部の曽祖父)をパトロンと
した歌人でした。4月24日の「紫式部日記の講読会」の記事に書きましたが、
紫式部は清少納言を散々けなしています。
「何よ、あなた(清少納言)のひいおじいさんは、私のひいおじいさんの庇護を
受けていたくせに。私でさえこんなに小さくなって宮仕えしているのに、その程度の
身分のあなたが宮中で我が物顔に振る舞うなんて生意気もいいとこよ!」とでも
言いたかったのでしょうか、清少納言批判の根拠を、先祖の身分の違いに求める
説もあります。
いくらでも憶測は可能ですが、本当のところは、タイムマシーンに乗って
千年前の世界に行き、紫式部にインタビューでもするしかありません。
彼女のことですから、真実を語ってくれるとは限りませんが…。
昨夜来、パソコンが不調で(突然文字が画面に出て来なくなる現象が度々
生じて)、中断せざるを得なくなりました。今は、なんとかここまで書けました
ので、とにかくもう、パソコンの機嫌のいいうちにUPすることにします。
平安貴族の納涼
2015年7月7日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(統合42回 通算92回)
今日は七夕。でも、新暦の7月7日はまだ梅雨の明けていない年が多く、
なかなか星空を望むことは難しいですね。
このクラスは、五月雨(今の梅雨)の季節を背景とした「蛍」の巻の最後と、
文字通りずっと暑くてたまらない夏を背景とした「常夏」の巻を読みました。
「常夏」の巻は、源氏が息子の夕霧や、内大臣家の子息たちを相手に、
六条院の東南の町の釣殿で涼を取っている場面から始まります。
「釣殿」とは、寝殿造りの南端の、池に臨んで建てられた周囲を吹き放ちに
した建物のことで、邸宅内では格好の納涼の場所でした。
桂川でとれた鮎などが献上され、それを目の前で調理させてお酒と共に食し、
氷水や水をかけたご飯などを、ワイワイ言いながら食べている、とあります。
氷水なんて今でこそ、いつでも誰でも口に出来るものですが、当時は、氷は
冬に出来た天然の氷を土中深くに掘られた氷室に貯蔵して、夏にそれを
切り出して使っていたのですから、高貴な限られた人たちしか口に出来ない
大変貴重なものでした。
きちんと正装をしている若者たちに、源氏は「この暑さだから、遠慮しないで
帯を取って、襟元の紐もほどいて楽にしなさいよ」と、クールビズを勧めます。
「常夏」の巻の源氏絵は、ほとんどこの場面が描かれています。

伝狩野永徳 桃山時代

土佐光則 江戸時代
そうしてリラックスしたところで、源氏が、「大臣のほか腹の女尋ね出でて、
かしづきたまふなるとまねぶ人ありしは、まことや」(内大臣が、外腹の娘を
探し出して大切にしていらっしゃるようだ、と話してくれた人がいるのだけど、
本当の話ですか」と、弁の少将(内大臣家の次男)に尋ねます。
この巻で登場してくる新しい姫君。さて、どんな姫君なのでしょう。
それは次回以降のお・た・の・し・み。
今日は七夕。でも、新暦の7月7日はまだ梅雨の明けていない年が多く、
なかなか星空を望むことは難しいですね。
このクラスは、五月雨(今の梅雨)の季節を背景とした「蛍」の巻の最後と、
文字通りずっと暑くてたまらない夏を背景とした「常夏」の巻を読みました。
「常夏」の巻は、源氏が息子の夕霧や、内大臣家の子息たちを相手に、
六条院の東南の町の釣殿で涼を取っている場面から始まります。
「釣殿」とは、寝殿造りの南端の、池に臨んで建てられた周囲を吹き放ちに
した建物のことで、邸宅内では格好の納涼の場所でした。
桂川でとれた鮎などが献上され、それを目の前で調理させてお酒と共に食し、
氷水や水をかけたご飯などを、ワイワイ言いながら食べている、とあります。
氷水なんて今でこそ、いつでも誰でも口に出来るものですが、当時は、氷は
冬に出来た天然の氷を土中深くに掘られた氷室に貯蔵して、夏にそれを
切り出して使っていたのですから、高貴な限られた人たちしか口に出来ない
大変貴重なものでした。
きちんと正装をしている若者たちに、源氏は「この暑さだから、遠慮しないで
帯を取って、襟元の紐もほどいて楽にしなさいよ」と、クールビズを勧めます。
「常夏」の巻の源氏絵は、ほとんどこの場面が描かれています。

伝狩野永徳 桃山時代

土佐光則 江戸時代
そうしてリラックスしたところで、源氏が、「大臣のほか腹の女尋ね出でて、
かしづきたまふなるとまねぶ人ありしは、まことや」(内大臣が、外腹の娘を
探し出して大切にしていらっしゃるようだ、と話してくれた人がいるのだけど、
本当の話ですか」と、弁の少将(内大臣家の次男)に尋ねます。
この巻で登場してくる新しい姫君。さて、どんな姫君なのでしょう。
それは次回以降のお・た・の・し・み。
「まめ人」の不器用な恋
2015年7月2日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第113回)
今年も早後半です。7月最初の例会は八王子クラスで、今日から
「夕霧」の巻に入りました。淵野辺の「五十四帖の会」のほうが、
先行しておりますので、ブログ上では話が前後するかと思いますが、
今回のところが「夕霧」の巻の初めの部分になります。
柏木の死から足掛け3年、これまでゆるゆると語られてきた夕霧の
落葉の宮(柏木の未亡人)への恋が、この巻で加速し、ついには
二人は結ばれることになるのですが、そこに至るまで、自他共に
認める「まめ人」(真面目人間)夕霧の、野暮というか、不器用な恋が、
繰り広げられて行きます。
物の怪に苦しめられている母の御息所と一緒に、京を離れて小野
(比叡山の西麓一帯を指す)の山荘にお移りになった落葉の宮の
もとを、夕霧が訪れたのは、8月の中旬のことでした。
夕暮になり、山里の風情に誘われて、夕霧は「出でたまはむここちもなし」
(帰る気になれないでいらっしゃる)。御息所の容態が悪化し、女房たちも
そちらに集まって、ちょうど落葉の宮の近くが人少なになったこともあり、
夕霧は「またかかるをりありなむや」(またこんなチャンスがあるだろうか)
と思い、ここで一夜を過ごす決心をします。
取り次ぎの女房が、落葉の宮に夕霧の言葉を伝えるため引っ込んだのに
くっついて、ついに夕霧は落葉の宮の部屋に入り込みました。
逃げ出した落葉の宮の着物の裾を捉えて思いを訴える夕霧。もちろん、
落葉の宮に受け入れられるはずもありません。
何とか言葉で訴えようとする夕霧ですが、「世の中をむげにおぼし知らぬに
しもあらじを」(男女の仲を全くご存知でない、というわけでもありますまいに)
などど、落葉の宮の神経を逆撫でするようなセリフを平気で吐いてしまう
「まめ人」の愚かさ。
落葉の宮は、もう結婚はこりごり、と思っています。ましてや夕霧は、亡き夫の
妹(雲居雁)の夫なのですから、なおさらです。
月明かりの中で落葉の宮を抱き寄せながらも、「御ゆるしあらでは、さらさらに」
(お許しがなければ、決して無体な振る舞いには及びません)と、言ってしまう
「まめ人」の夕霧。
結局、何事もないまま、夕霧は帰るのですが、その姿を御息所の祈祷に
携わっている僧侶たちに目撃されてしまったがために、様々な誤解を生む
こととなります。
夕霧以上に気が利かないのが、御息所に夕霧の朝帰りの件を話してしまう
律師(僧正、僧都に次ぐ位の僧)です。病人にこんな「言はずもがな」のことを
言ってどうすんの、やはり俗世のことには疎いんだなあ、と思わずにはいられ
ません。
後々、御息所を死に追い込んだ張本人として、夕霧は落葉の宮に恨まれ
ますが、発端を作ったこの律師にも罪がないとは言えないでしょう。
今年も早後半です。7月最初の例会は八王子クラスで、今日から
「夕霧」の巻に入りました。淵野辺の「五十四帖の会」のほうが、
先行しておりますので、ブログ上では話が前後するかと思いますが、
今回のところが「夕霧」の巻の初めの部分になります。
柏木の死から足掛け3年、これまでゆるゆると語られてきた夕霧の
落葉の宮(柏木の未亡人)への恋が、この巻で加速し、ついには
二人は結ばれることになるのですが、そこに至るまで、自他共に
認める「まめ人」(真面目人間)夕霧の、野暮というか、不器用な恋が、
繰り広げられて行きます。
物の怪に苦しめられている母の御息所と一緒に、京を離れて小野
(比叡山の西麓一帯を指す)の山荘にお移りになった落葉の宮の
もとを、夕霧が訪れたのは、8月の中旬のことでした。
夕暮になり、山里の風情に誘われて、夕霧は「出でたまはむここちもなし」
(帰る気になれないでいらっしゃる)。御息所の容態が悪化し、女房たちも
そちらに集まって、ちょうど落葉の宮の近くが人少なになったこともあり、
夕霧は「またかかるをりありなむや」(またこんなチャンスがあるだろうか)
と思い、ここで一夜を過ごす決心をします。
取り次ぎの女房が、落葉の宮に夕霧の言葉を伝えるため引っ込んだのに
くっついて、ついに夕霧は落葉の宮の部屋に入り込みました。
逃げ出した落葉の宮の着物の裾を捉えて思いを訴える夕霧。もちろん、
落葉の宮に受け入れられるはずもありません。
何とか言葉で訴えようとする夕霧ですが、「世の中をむげにおぼし知らぬに
しもあらじを」(男女の仲を全くご存知でない、というわけでもありますまいに)
などど、落葉の宮の神経を逆撫でするようなセリフを平気で吐いてしまう
「まめ人」の愚かさ。
落葉の宮は、もう結婚はこりごり、と思っています。ましてや夕霧は、亡き夫の
妹(雲居雁)の夫なのですから、なおさらです。
月明かりの中で落葉の宮を抱き寄せながらも、「御ゆるしあらでは、さらさらに」
(お許しがなければ、決して無体な振る舞いには及びません)と、言ってしまう
「まめ人」の夕霧。
結局、何事もないまま、夕霧は帰るのですが、その姿を御息所の祈祷に
携わっている僧侶たちに目撃されてしまったがために、様々な誤解を生む
こととなります。
夕霧以上に気が利かないのが、御息所に夕霧の朝帰りの件を話してしまう
律師(僧正、僧都に次ぐ位の僧)です。病人にこんな「言はずもがな」のことを
言ってどうすんの、やはり俗世のことには疎いんだなあ、と思わずにはいられ
ません。
後々、御息所を死に追い込んだ張本人として、夕霧は落葉の宮に恨まれ
ますが、発端を作ったこの律師にも罪がないとは言えないでしょう。
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