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北の方の悲しみー髭黒の正妻①ー

2015年9月28日(月) 溝の口「湖月会」(第87回)

10日ぶりの講読会となりました。溝の口の2クラスは進度を揃えて
いますので、後の「湖月会」はだいたい時間オーバーになってしまう
ことが多いのですが、今日は珍しく時間ぴったりに終わり、拍手を
頂戴いたしました。

9月11日と同じ第31帖「真木柱」の1回目です。

玉鬘が望んでもいなかった髭黒と結ばれて、玉鬘自身は勿論のこと、
源氏も蛍兵部卿の宮も冷泉帝も、みんな残念な思いでいっぱいです。

そんな中、一人ルンルンの髭黒ですが、障害がないわけではありません
でした。髭黒には長年連れ添った北の方(正妻)がいて、二人の間には
二男一女の子供もありました。

この北の方、式部卿の宮の正妻腹の娘で、外腹の娘の紫の上とは
腹違いの姉妹ということになります。宮家の令嬢として大切に育てられ、
美しく、気立ても良い方だったのですが、ずっと前から精神に異常をきたし、
普通の人とは思えないことが多くなり、髭黒もすっかり嫌気がさしていた
のでした。それでもこれまでは、他に妻を持つこともなく過ごして来た
髭黒だけに、いっそう玉鬘にのめり込んで、自宅の一部をリフォームして、
そこに玉鬘を迎え取る準備をし始めます。

北の方の父・式部卿の宮は、娘が、今を時めく若く美しい玉鬘と同じ
邸内で、髭黒にないがしろにされ、世間の物笑いの種になる前に、
自邸に引き取ろうとお考えになっています。髭黒としては、何とか
事を穏便に済ませたくて、北の方に、お父様の軽々しい話に乗って
実家に帰るようなことをせず、玉鬘がこちらで落ち着くまで静観して
いて欲しい、などと虫の良いこと言います。どちらに転んでも、北の方
にとっては好ましいことではなく、体調が益々悪くなるのも無理からぬ
ことでした。

北の方も今は正気なので、「私のことはどんなに悪くおっしゃっても
もう馴れっこになっているので構いません。でも実家の父のことまで
悪くおっしゃらないで。そんなことが父上の耳に入ったらお気の毒です」
と涙ながらに髭黒に訴えます。見れば、もとは綺麗だった髪も薄くなって
いる上に、梳かすこともせず、病んで以来、身なりにも気を遣わないので、
痛々しいばかりです。

気がふれていない時の北の方は、さすがに髭黒も不憫に思われ、
一日中北の方のお部屋であれこれと話し込んでおられました。

北の方が発作に見舞われ、とんでもない行動に出るのはこの後すぐの
場面となりますが、そこからは次回です。


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二人だけの世界ー宗達の描く駆け落ちの男女ー

2015年9月18日(金) 溝の口「伊勢物語」(第3回)

風邪もようやく快方に向かい、まだ万全ではないものの、自分では
体調もいつもと変わらない感じで、今日を終えることが出来ました。

今回は第10段~第17段を読みました。

第12段「武蔵野」は、もともと民謡としてあった歌を使って作り出された
話と考えられるので、ストーリーも筋の通らない展開になっています。

男が他家の娘を盗み出して駆け落ちしたため、武蔵野まで逃げて来た
ところで、、「盗人」の罪で逮捕されました。男は女を武蔵野の草むらに
隠して逃げました。追手が「この草むらに盗人はいるぞー」と言って、
火をつけようとします。困った女が「武蔵野は今日はな焼きそ若草の
つまもこもれり我もこもれり」(武蔵野は今日は焼かないで。だって夫も
私もここに隠れているのだから)と、歌を詠んで訴えます。

そのあとに、「とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。」
(と詠んだのを聞いて、女をつかまえて、一緒に連れて行った)と、あって
この段は終わります。

「聞きて」以下の主語は誰なのでしょう?男か、追手か、どちらとも解釈が
可能なので、困るところです。

最終的には二人とも捕まえられて、駆け落ちは失敗に終わった話でしょうが、
一度は逃げた男がこの女の歌に感じ入って女ところへ戻ってきて、それから
連行された、と考えるほうが物語としてはいいですよね。

この第12段を絵に描いた作者たちも皆、その解釈に従っています。
  0012出光B「伊勢物語図屏風」(12段・武蔵野)    0012嵯峨本(12段・武蔵野)
左:出光美術館蔵「伊勢物語図屏風」 右:嵯峨本「伊勢物語」

「宗達伊勢物語図色紙」も同様の構図ですが、他の絵と比べ、追手とは
切り離された二人だけの世界を描出しています。これは前回ご紹介した
第6段「芥川」と共通するところですが、恋の逃亡者たちに一種の恍惚感が
感じられるのです。
       0012宗達・第12段・武蔵野
近松門左衛門が浄瑠璃において、心中を美の極致としてとらえて書いた
ように、宗達もまた、男女の駆け落ちという行為を、極力美化して描こうと
していたのかも知れません。


横笛の行方

2015年9月16日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第169回)

今週はずっと風邪を引きずっており、昨夜はとうとうブログも断念して
休みました。ようやくパソコンに向かう気力が回復しましたので、
一日遅れの記事をUPします。

湘南台クラスは今回第37帖「横笛」の後半を読みました。来月からは
次の「鈴虫」に入ります。

巻のタイトルにもなっている「横笛」、これは陽成院から式部卿の宮に
伝わり、それが笛の名手である柏木に贈られたのだ、と源氏が語って
います。

柏木の没後、落葉の宮の手許にあったのを、宮の母・一条御息所が
一条宮を訪ねた夕霧に、お土産としてくださいました。その夜、柏木が
夕霧の夢枕に立ち、「私がこの笛を伝えたい人は別にいるのです」と
言います。夕霧が「それは誰?」と訊こうとした途端、若君(夕霧の子)
が泣き出したので、目が覚めてしまいました。これに続くのが5月7日の
八王子クラスの記事に書いた「国宝源氏物語絵巻・横笛」の場面です。

さて、夢にまで現れて笛に執着している柏木のことを思うと、この笛を
どうしたものかと夕霧は思案し、六条院に出向いた際に、源氏に夢の
話をします。とっさに返事に窮する父に、夕霧は「やはり」と思うところが
ありました。

源氏も、笛は自分が預かろう、とおっしゃいますが、内心、夕霧も柏木が
望んでいること(=笛を我が子薫に伝えたい)に気付いているのではないか、
とお思いでした。でも、共にそれを口にはなさいませんでした。

その後、笛の行方はどうなるのでしょう?ご安心ください。源氏はちゃんと
薫にこの笛を残しています。ずっと先の第49帖「宿木」の巻になりますが、
今上帝主催の「藤の宴」で、薫がこの柏木遺愛の笛を「今日ぞ世になき
音の限りは吹き立てたまひける」(今日こそ世にまたとない程の音色の
限りを吹き立てられたのでした)とあります。柏木もきっとあの世から
息子の吹く笛の音に心ゆくまで耳を傾けていたことでしょう。


悲しみのクライマックスー紫の上の死ー

2015年9月12日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第117回)

昨日の笑いに包まれた教室の雰囲気とは打って変わって、今日は
しんみりと源氏の最愛の女性・紫の上が最期を迎える場面を読みました。

あの「若紫」の巻で、あどけない少女として登場以来、読者も源氏と共に
紫の上をずっと見てまいりました。特に「若菜上」以降、おのれの苦悩を
人には悟られまいと、自己犠牲のもとに六条院の平穏を保つ努力を
し続けた紫の上。それは文字通り命を削る営みだったのです。せめて
心の平安を得てから死にたい、と出家を願っても、紫の上への愛執を
断ち切れない源氏は、最後までそれを許しませんでした。

春が過ぎ、夏を迎えていよいよ紫の上の衰弱は著しく、明石中宮も
お見舞いのために、二条院に滞在なさることになりました。

やがて秋となり、風が身に沁むばかり吹き始めた夕暮、脇息にもたれて、
中宮と一緒に前栽(庭の植え込み)を見ている紫の上の姿に、源氏は
「中宮様がいらっしゃるとご気分もよろしいようですね」と、喜ばれます。
ただ身体を起こしているというだけの些細なことを、嬉しく感じておられる
源氏が、自分の死に直面した時、どんなにお心を乱されるかと思うと、
紫の上はしみじみと悲しくなって、

「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」
(起きていると見えてもはかない命、ややもすれば吹く風に乱れ
消えて行く萩の上の露のようなものでございます)

と、歌を詠まれます。これが紫の上の辞世の歌となりました。

「ややもせば消えをあらそふ露の世に後れ先だつほど経ずもがな」
(ややもすれば先を争って消えて行く露と同じように儚い人の世で、
せめて後先などなく、ともにあなたとは消えたいものです)

と、涙ながらに源氏が詠まれると、それを受けて明石中宮が

「秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉のうへとのみ見む」
(秋風にしばらくの間もなく散ってしまう露の儚い命を、誰が草葉の
上のことだけと思って見ているでしょうか。我が身とて同じことで
ございます)

と、唱和なさったのでした。

国宝源氏物語絵巻「御法」に描かれている場面です。
 御法
ほぼ中央に源氏。右奥が紫の上。手前に小さく後ろ姿で
描かれているのが明石中宮。画面左の風になびく秋草が、
三人の心情を託すモチーフになっていると言われています。

このあと、明石中宮に手を取られたまま、紫の上は亡くなります。
そこはまた、他のクラスで講読した時に書きたいと思います。


三途の川を渡る時

2015年9月11日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第87回)

大雨による甚大な被害をもたらした台風18号が過ぎ去った後、
今日は久々の青空が広がりました。

溝の口のクラスは今月から第31帖「真木柱」の巻に入りました。
「玉鬘十帖」の最後の帖になります。

「藤袴」の巻は、「玉鬘は誰と結ばれることになるのかしら?それは
次回のお楽しみ」で終わったのですが、「真木柱」では、その相手が
玉鬘の最も好みではなかった髭黒であることがわかり、驚かされます
(すみません、このあたりは予告編で全部しゃべってしまいました)。

有頂天の髭黒とは裏腹に、求婚者たちはがっかりしています。密かに
玉鬘を我がものに、と目論んでいた源氏も例外ではありません。

髭黒がお出でになっていない時を見計らって、源氏は玉鬘の部屋に
足を運びます。不本意な結婚に沈んでいる玉鬘は何とも美しく、
いじらしく思う気持ちが加わって、源氏は次のような歌を詠みかけます。

「おりたちて汲みは見ねどもわたり川人の瀬とはた契らざりしを」
(あなたとは立ち入って汲むほどの深い仲にはなれませんでしたが、
三途の川を渡る時、あなたが他の男に背負われるなんてお約束も
しませんでしたのに)

これは当時の俗信を知らないとわかり難い歌ですが、女は三途の川を
渡る時、初めて契りを交わした男に背負われて渡る、と書かれた経典が
あったのです。

玉鬘は「みつせ川わたらぬさきにいかでなほ涙のみをの泡と消えなむ」
(三途の川を男に背負われて渡る前に何とかして私は涙の流れの泡と
なって消えてしまいたい)と答えます。

源氏が「心をさなの御消えどころや。さても、かの瀬は避き道なかなるを、
御手の先ばかりは、引き助けきこえてむや」(そんなところに消えたいとは、
随分幼稚なお考えですね。それにしても、三途の川は避ける道もないとの
こと、あなたがお渡りになる時、背負うことはできませんが、御手だけでも
引いてお助けしましょうか)、かつて添い寝までしたのだから、手を引く
くらいはいいでしょう?と言ったところまでを読んで、皆で大爆笑。

だって、髭黒におんぶされて、手だけ源氏に引かれて三途の川を渡って
いる玉鬘の姿を想像してみてください。

それにしても、この考え方、矛盾だらけだと思われませんか?

女が先に死んだら、男が来るまでの間、ずっと三途の川の手前で待ち続けて
いなければならないのか。葵の上は源氏が来るまでに30年以上もあったのに。

源氏のように、数えきれないほど「初開の男」(こんな言葉が経典に使われて
いるなんて!)になった男は、その数だけ三途の川を往復するのか。
葵の上、紫の上、末摘花、朧月夜、明石の上、女三宮、はっきりとわかっている
だけでも忙しくてたまらない。

一番困るのは、朝顔や宇治の大君のように、生涯誰とも契ることのなかった
女性。これではいつまで経っても三途の川を渡れないじゃありませんか。

さすがの紫式部も、この矛盾点を解いてくれてはおりません。


規格外の姫君ー内大臣家の近江の君ー

2015年9月8日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(統合44回、通算94回)

台風18号の接近で、時折雨脚が強くなる一日でしたが、明日は中部地方に
上陸、と、ニュースが報じています。被害がないことを祈るばかりです。

ここは進度が一番遅いクラスなので、前回に続き第26帖「常夏」を読みました。
あと少しで「常夏」を読み終えられるところでしたが、時間が来てしまったので
(会場の都合上、数分前には切り上げなくてはなりません)、次回、この僅かな
残りと、「篝火」の巻、上手くすれば「野分」の巻の最初のほうまでを読むことに
なるかと思います。

今日のところから、噂になっていた「近江の君」が本格的に登場です。

よく調べもせず、うっかりと引き取ってしまった近江の君ですが、今更送り返す
のも、内大臣ともあろう身分の者がするべきことではないし、「この子は私の
娘じゃない」とはとても言えない、鏡に映る自分にそっくりな顔に、内大臣は
ほとほと困り果てていました。丁度弘徽殿の女御が里下がりをしておられる
のに乗じて、近江の君を弘徽殿の女御の女房にして預けてしまおう、とお考え
になります。

内大臣が部屋を覗かれると、近江の君は五節の君という女房と二人で双六に
興じています。このような遊びに興奮して、大声で勝負に挑み、身体で御簾を
外に押し出すなど、深窓の姫君なら決してあり得ない姿ですが、近江の君に
貴族の常識は通用しません。顔だちは可愛くて、髪などもきれいなのですが、
彼女の最大の欠点は異常な早口でまくしたてることでした。

弘徽殿の女御のもとでの宮仕えの話を切り出されると、大喜びの近江の君は
「大御大壺取りにも、つかうまつりなむ」(私、お便器係でも何でもいたしますわ)
と答えます。当時はトイレという場所はなく、いわゆる「おまる」を使って高貴な
方々は用を足していましたから、そのお掃除役も必要だったのです。

しかし、こともあろうに内大臣家の姫君がお便器係、では、体面も何もあった
ものではありません。

「とにかく、その早口だけは何とかならないものか」と言いつつ、最初は日を
選んで、とも考えた内大臣でしたが、近江の君なら吉凶日も関係あるまい、
と思われたのか、「今日にでも参上して構わないよ」と、おっしゃったのでした。

参上の前にお手紙を、と、近江の君が弘徽殿の女御にご挨拶状を
したためます。受け取った女御側からのお返事の部分が今日読めずに
残ってしまったので、次回に両者が揃ってからご紹介しましょう。

五節の君が近江の君に、「あまりことことしく、はづかしげにぞおはする。
よろしき親の思ひかしづかむにぞ、尋ね出でられたまはまし」(あなたの
お父様ってあんまり立派過ぎて、気後れしちゃうわね。もっとそこそこの
親でいいから、大事に育ててくれるような人に見つけてもらったほうが
よかったのに」と言いますが、これが正解でしょうね。もっとも近江の君は
「そんなぶち壊すようなこと言わないで!」と腹を立ててますけど…。


中途半端な源氏の心配ー息子を諌めぬ父ー

2015年9月3日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第115回)

夕霧が落葉の宮のもとで一晩過ごしながら、翌晩には手紙のみ。
それで思い余って御息所が夕霧の気持ちを確かめようと手紙を
送れば、今度は音沙汰なし。雲居雁に手紙を奪われ夕霧が弱り
果てていることなど、御息所はもちろんご存じありません。この
ストレスで、一時は小康を得ていた御息所は息絶えてしまわれました。
かすかに残った意識の中で聞いた声は、夕霧からの返書が届いたと
いう(つまり、本人は来る気がない)知らせでした。

一晩限りで皇女ともあろう自分の娘が夕霧に捨てられた、そう思い込み、
ショックで今度こそ本当に御息所は息を引き取ってしまわれました。

訃報を聞いて駆けつけた夕霧でしたが、落葉の宮は母を死に追いやった
夕霧に、ますます心を閉ざすのでした。

夕霧が心を尽くしてお見舞いの手紙を送り続けても、何の甲斐もあろう
はずがありません。しびれを切らした夕霧は忌明けも待たずに小野の里を
訪れたのでした。この日も夕霧は空振りで帰ることになったのですが、
落葉の宮にご執心だという噂は、当然源氏の耳にも入ります。

これまで息子は、自分と違って真面目で、色恋沙汰など無縁で過ごして
来たのに、よりによって、舅の致仕大臣に一番申し開きの立たない相手
(落葉の宮の亡き夫は致仕大臣の長男・柏木)と問題を起こすとは困った
ことだと思い、夕霧が六条院に参上した機会に探りを入れようとなさいました。

「かの御子こそは、ここにものしたまふ入道の宮よりさしつぎには、らうたう
したまひけれ。人ざまもよくおはすべし」(その皇女〈落葉の宮〉は、ここに居る
女三宮の次に朱雀院がお可愛がりになっていた。きっと人柄もよくておいで
なのだろうね)と言う源氏に、夕霧は、御息所こそすぐれたお人柄だった、と
答え、落葉の宮のことには全く触れようとしません。

もうそれだけで、源氏はあっさりと夕霧に意見するのを諦めてしまいます。
雲居雁は柏木の妹、落葉の宮は柏木の妻だった人、義理の姉妹と夕霧の
三角関係を憂いながらも、「われさかしに言出でむもあいなし、とおぼして
止みぬ。」(私が偉そうに口出しすることでもあるまい、と思って、お諫めに
なるのはお止めになった。)

夕霧が落葉の宮と結ばれたのちには、7月11日のブログに書きましたが、
男盛りの非の打ちどころのない夕霧の美しさに圧倒されて、源氏は「今の
この子の男っぷりの良さでは、浮気沙汰など無理もないことだ」と諌める
どころか認めてしまう始末です。

この父子関係、どうも淡泊な気がしてなりません。源氏の中には先ず藤壺
との間に生まれた不義の子・冷泉院を思う気持ちがあったからなのでしょうか。


今日の一首(11)

2015年9月2日(水) 湘南台「百人一首」(第12回)

本来、このクラスは第2水曜日に例会を行っていますが、今回は
湘南台公民館との共催事業ということで、第1水曜日になりました。
会員の方の他に、30名近い方にご参加頂きました。

40番・平兼盛の歌と41番・壬生忠見の歌は歌合史上に残る名勝負
を繰り広げた歌なので、切り離してしまうことが出来ず、前回40番の
歌を残して、43番・敦忠の歌と入れ替えをしました。ですから、今日は
40番、41番、42番、44番の歌にまつわる話をいたしました。

44番は、40番・41番と同じ「天徳四年内裏歌合」で詠まれた歌ですが、
40番・41番の陰に隠れてしまいがちで、今日も最後の歌でしたので、
時間も押し迫り、この辺りは詳しくお話出来ませんでした。よって、
「今日の一首」には44番の歌を選びました。

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし
                      (四十四番・中納言朝忠)
      44番朝忠
(もし、男女が契りを交わすなどということがまったくなかったとしたら
逢ってくれない人のことも、自分の身の不幸も恨むことはないだろうに)

天徳4年(960年)の内裏歌合は20番勝負で、その20番目が40番と41番
の歌でした。これはその直前の19番目の勝負で左方から出された歌です。
題は20番目と同じ「恋」でした。

対する右方の歌は藤原元真の「君恋ふとかつは消えつつふるものを
かくても生ける身とや見るらむ」(あなたが恋しくてほとんど消えてしまい
そうな状態で日を送っておりますのに、それでもあなたは私を生きている
とご覧になるのですか)。

どちらの歌も「いとをかし」(とても優れた歌だ)と評価されながらも、朝忠
の歌のほうが「詞清げなり」(言葉が美しい)という理由で勝ちとなりました。

この日、朝忠は20番中、7番に出詠し、6勝1敗の好成績を残しました。
その1敗の相手は、40番の歌の作者・平兼盛でした。

朝忠は「宇治拾遺集」に書かれている自己管理の出来ない超メタボの
「三条中納言」とされ(これは江戸時代の尾崎雅嘉という人が、弟の
朝成と取り違えて「百人一首一夕話」に書いてしまったがための誤解
らしいのですが)、光琳カルタでも、43番の、美男との定評がある敦忠
と並んでいると、どうも見劣りがします。
こちらが前回、38番・右近のお相手としてご登場頂いたイケメン敦忠。
                  ↓
             敦忠と朝忠20150810


今なら尾崎雅嘉さん、名誉棄損で訴えられそうな話ですよね。


今日の一首(10)

2015年8月31日(月) 溝の口「百人一首」(第23回)

去年も8月末の「百人一首」の時には猛暑がすっと収まって、
そこから秋が始まった、と記憶していますが、今年は旧盆を
過ぎたあたりから、もうすっかり秋になってしまった感があります。

8月の前半は猛暑日の連続記録を更新し、後半は平年の気温を
ずっと下回る涼しさ、どちらも異常気象という気がしますね。

溝の口の「百人一首」は23回目となり、88番の歌まで終えました。
残りは3回です。

今日は85番から始めましたが、85、86、87番と続けて「坊主めくり」
ならがっかりのお坊さん続き、88番になってやっとお姫様の登場と
なりました。かるたもやはり「お姫様」がきれいですし、「今日の一首」
には、88番「皇嘉門院別当」の歌を採り上げることにします。

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身を尽くしてや恋ひわたるべき
                       (八十八番・皇嘉門院別当)
       皇嘉門院別当
(難波江の蘆の刈り根の一節〈ひとよ〉、その仮寝の一夜をあなたと
共に過ごしたばかりに、私は命を懸けてあなたを恋慕い続けることに
なるのでしょうか)

作者の「皇嘉門院別当」は、皇嘉門院(藤原忠通の娘・聖子)に仕え
別当(女官長)を務めた女流歌人、という以外、何の伝記も残って
いない人です。

この歌は、「摂政右大臣(藤原忠通の息子・兼実)家の歌合」において、
「旅宿に逢ふ恋」という題で詠まれたものです。

これ以上は無理ではないか、と思われるほど技巧が駆使された歌で、
「難波江の蘆の」は「かりねのひとよ(刈り根の一節〈よ〉」を導くための
序詞で、「かりねのひとよ」は「刈り根の一節〈よ〉」と「仮寝の一夜」の
掛詞、「みをつくし」も「澪標」と「身を尽くし」の掛詞です。「蘆」「刈り根」
「節〈よ〉」「澪標」はすべて「難波江」の縁語になります。

修辞オンパレードのこの歌と、ごちゃごちゃになり易いのが、19番・伊勢
の「難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」(難波潟の
蘆の短い節と節との間のように、短い間も逢えないままこの世を過ごせ、
とあなたはおっしゃるのですか)と、20番・元良親王の「わびぬれば今はた
同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(こんなに辛いなら、逢っても
逢わなくても結果は同じ。それならこの身が破滅しても、あなたに逢いたい
と思う)です。特に20番は、下の句が「みをつくし」で始まるので、お手付きも
し易いですよね。

19番、20番に比べると、88番は技巧に優れ、一首としてのレベルは高いの
かもしれませんが、そこは歌合で詠まれた観念の世界。先の二首のような
自身の内から湧き出た感情を詠みあげた歌には、及ばない気がするのです。


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