今日の一首(15)
2015年11月30日(月) 溝の口「百人一首」(第25回)
年を追うごとに一年が加速度的に速くなり、今年もあっと言う間で、
明日からもう師走です。
溝の口の「百人一首」は25回目を迎え、今日は93番~96番までの歌を
取り上げました。いよいよ余すところあと一回です。
94番の歌は、ちょうど今夜のような冷え込む晩秋の夜を詠んだ歌ですので、
これを「今日の一首」といたします。
下の句の札には、紅葉した山や里の景が描かれていて綺麗です。
み吉野の山の秋風さよ更けてふるさと寒く衣打つなり
(九十四番・参議雅経)

(吉野山から吹き降ろす秋風は夜が更けるにつれて冷たくなり、
旧都の里は寒々として、砧を打つ音がもの寂しく聞こえてくる)
作者の参議雅経は、「蹴鞠の家」として知られる飛鳥井家の祖で、
藤原雅経と呼ばれるよりも、飛鳥井雅経で通っている人です。
蹴鞠は「本朝の蹴鞠一道の長」と呼ばれた祖父の頼輔にその才能を
見出され、特訓を受けたと言われています。
父・頼経は、源義経と親交が深かったため、伊豆に配流され、連座を
免れた雅経も鎌倉に下向しました。
和歌と蹴鞠に秀でていた雅経は頼朝の厚遇を受けることになりました。
八年の滞在後、後鳥羽院に召喚されて京へ戻る時にも、頼朝は多大な
土産を持たせた、ということです。
これぞまさに「芸は身を助く」ですね。
飛鳥井家は明治維新で東京に移転したため、その跡地に崇徳院(77番)を
祀るための「白峯神宮」が建てられました。
飛鳥井家が蹴鞠の家だったことから、白峯神宮は今やサッカーをはじめ、
スポーツの守護神として有名になり、サッカーのワールドカップの際には
巨大絵馬が奉納されるそうです。
年を追うごとに一年が加速度的に速くなり、今年もあっと言う間で、
明日からもう師走です。
溝の口の「百人一首」は25回目を迎え、今日は93番~96番までの歌を
取り上げました。いよいよ余すところあと一回です。
94番の歌は、ちょうど今夜のような冷え込む晩秋の夜を詠んだ歌ですので、
これを「今日の一首」といたします。
下の句の札には、紅葉した山や里の景が描かれていて綺麗です。
み吉野の山の秋風さよ更けてふるさと寒く衣打つなり
(九十四番・参議雅経)

(吉野山から吹き降ろす秋風は夜が更けるにつれて冷たくなり、
旧都の里は寒々として、砧を打つ音がもの寂しく聞こえてくる)
作者の参議雅経は、「蹴鞠の家」として知られる飛鳥井家の祖で、
藤原雅経と呼ばれるよりも、飛鳥井雅経で通っている人です。
蹴鞠は「本朝の蹴鞠一道の長」と呼ばれた祖父の頼輔にその才能を
見出され、特訓を受けたと言われています。
父・頼経は、源義経と親交が深かったため、伊豆に配流され、連座を
免れた雅経も鎌倉に下向しました。
和歌と蹴鞠に秀でていた雅経は頼朝の厚遇を受けることになりました。
八年の滞在後、後鳥羽院に召喚されて京へ戻る時にも、頼朝は多大な
土産を持たせた、ということです。
これぞまさに「芸は身を助く」ですね。
飛鳥井家は明治維新で東京に移転したため、その跡地に崇徳院(77番)を
祀るための「白峯神宮」が建てられました。
飛鳥井家が蹴鞠の家だったことから、白峯神宮は今やサッカーをはじめ、
スポーツの守護神として有名になり、サッカーのワールドカップの際には
巨大絵馬が奉納されるそうです。
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それぞれの思いー玉鬘の結婚をめぐってー
2015年11月23日(月) 溝の口「湖月会」(第89回)
いつも通りの時間に駅へ行ったら、急行が無い!! 事故の表示もないし、
「変だなあ?」と思いながらホームを歩いていて、はたと気が付きました。
「そうだ、今日は休日ダイヤなのだ!」 でも、「次の各停では遅刻だなあ」
と、自分のうっかりが情けなくなりながら、仕方なく各停に乗ったのですが、
途中、長津田で「急行大井町行」に接続していて、辛うじて遅刻は免れました。
11月13日のブログに書きましたように、玉鬘の結婚をめぐっては、首尾よく
玉鬘を手に入れ、計画通り自邸に引き取ってご満悦の髭黒以外、それぞれの
胸中には不満が渦巻いていました。式部卿の宮家の誤算については13日に
記しましたが、今日は、それ以外の方々の思いをお伝えしましょう。
先ずは、玉鬘にもっとも熱心に求婚なさっていた蛍兵部卿の宮(源氏の弟)。
「『深山木に羽うちかはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな』さへづる
声も耳とどめられてなむ」(山の奥の木の上で、羽を打ち交わしている鳥の
ように、髭黒と仲睦まじくお暮らしとのことで、この上なく妬ましく思われる
春でありますよ。あなたのことが気になってなりません)と、玉鬘が返事に
窮するようなお手紙をお届けになりました。
帝は、玉鬘が未婚のまま尚侍として出仕してくれなかったのが、返す返すも
残念だと思いながら、それでも玉鬘をあわよくば手に入れたい、というお気持ち
が見え見えなので、玉鬘もこのまま宮中に留まることに危機感を覚え、髭黒の
意見に従い、髭黒邸に同行したのでした。
源氏も、玉鬘は六条院から出仕させ、里下がり中にチャンスがあれば、と、
玉鬘をまだすっかり諦めていたわけではなかっただけに、宮中から直接髭黒が
玉鬘を自邸に伴ってしまったことは、実に不本意なやり方だとお思いになって
いました。
そして、当の玉鬘自身も、機嫌を損ねておりました。もともと、この結婚は
玉鬘が望んだものでもなかった上に、宮中で対面した帝の、自分へのご執心
に危うさを感じて、髭黒の言いなりになって退出したのに、そのような玉鬘の
配慮を髭黒が知ろうともせず、帝が玉鬘の局にいらしたことを、くどくどと恨む
ので、ますます髭黒に嫌気がさしていたのです。
結婚してもなお衰えぬ玉鬘人気でしたが、来月、溝の口の2クラスは、
いよいよこの玉鬘をヒロインとする物語(=玉鬘十帖)の最終回を迎えます。
先週、溝の口の駅周辺のイルミネーションがとても綺麗だと書きましたが、
今日はカメラで、それを写して来ました。実際はもっともっと綺麗です…。


いつも通りの時間に駅へ行ったら、急行が無い!! 事故の表示もないし、
「変だなあ?」と思いながらホームを歩いていて、はたと気が付きました。
「そうだ、今日は休日ダイヤなのだ!」 でも、「次の各停では遅刻だなあ」
と、自分のうっかりが情けなくなりながら、仕方なく各停に乗ったのですが、
途中、長津田で「急行大井町行」に接続していて、辛うじて遅刻は免れました。
11月13日のブログに書きましたように、玉鬘の結婚をめぐっては、首尾よく
玉鬘を手に入れ、計画通り自邸に引き取ってご満悦の髭黒以外、それぞれの
胸中には不満が渦巻いていました。式部卿の宮家の誤算については13日に
記しましたが、今日は、それ以外の方々の思いをお伝えしましょう。
先ずは、玉鬘にもっとも熱心に求婚なさっていた蛍兵部卿の宮(源氏の弟)。
「『深山木に羽うちかはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな』さへづる
声も耳とどめられてなむ」(山の奥の木の上で、羽を打ち交わしている鳥の
ように、髭黒と仲睦まじくお暮らしとのことで、この上なく妬ましく思われる
春でありますよ。あなたのことが気になってなりません)と、玉鬘が返事に
窮するようなお手紙をお届けになりました。
帝は、玉鬘が未婚のまま尚侍として出仕してくれなかったのが、返す返すも
残念だと思いながら、それでも玉鬘をあわよくば手に入れたい、というお気持ち
が見え見えなので、玉鬘もこのまま宮中に留まることに危機感を覚え、髭黒の
意見に従い、髭黒邸に同行したのでした。
源氏も、玉鬘は六条院から出仕させ、里下がり中にチャンスがあれば、と、
玉鬘をまだすっかり諦めていたわけではなかっただけに、宮中から直接髭黒が
玉鬘を自邸に伴ってしまったことは、実に不本意なやり方だとお思いになって
いました。
そして、当の玉鬘自身も、機嫌を損ねておりました。もともと、この結婚は
玉鬘が望んだものでもなかった上に、宮中で対面した帝の、自分へのご執心
に危うさを感じて、髭黒の言いなりになって退出したのに、そのような玉鬘の
配慮を髭黒が知ろうともせず、帝が玉鬘の局にいらしたことを、くどくどと恨む
ので、ますます髭黒に嫌気がさしていたのです。
結婚してもなお衰えぬ玉鬘人気でしたが、来月、溝の口の2クラスは、
いよいよこの玉鬘をヒロインとする物語(=玉鬘十帖)の最終回を迎えます。
先週、溝の口の駅周辺のイルミネーションがとても綺麗だと書きましたが、
今日はカメラで、それを写して来ました。実際はもっともっと綺麗です…。


「皮肉な運命」ー三年を待ちわびてー
2015年11月20日(金) 溝の口「伊勢物語」(第5回)
一年で一番日が短い時を迎えています。4時を廻ると、もう暗くなってきます。
クリスマスまであと一ヶ月余り、溝の口の駅から会場の高津市民館が入っている
丸井のビル辺りまでのイルミネーションがとても綺麗です。23日にはカメラを
持って行って、ブログにもUPしようかと思っています。
さて、「伊勢物語」も5回目となり、今日は第24段から第37段までを読みました。
第24段は「梓弓」というタイトルでよく知られた段です。
田舎に住んでいた男が、女を残して都に出稼ぎに行ったまま、音信不通となり、
三年の月日が流れました。女は待ちわびた末に、熱心にプロポーズしてくる
別の男と結婚することになり、今夜がその結婚という日に、何と元カレが帰って
来たのです。男は「この戸を開けてください」と言いますが、女は戸を開けず、
「三年待ってたけど、今夜別の人と結婚することになっているの」と、外の男に
歌を詠んで差し出しました。男は「新しいご主人を愛してあげて」と言い残して、
立ち去って行きました。女は「いいえ、私が愛しているのはあなただけ」と、
男を追いましたが追いつけず、清水のあるところで倒れてしまいました。
そして、指の血で、「あひ思はでかれぬる人をとどめかねわが身はいまぞ
消えはてぬめる」(私の愛に応えてくれず去って行った人を呼び止められなくて、
我が身は今ここで死んでしまうようです」と、岩に歌を書きつけ、そのまま死んで
しまいました。

「伊勢物語色紙貼交屏風」 「伊勢物語図屏風」
この段の絵の多くは、上記の二枚の絵のように、男が帰って来て戸を叩いて
いる、物語の最初の場面が描かれています。
「宗達伊勢物語図色紙」は、物語の最後の場面を描き、賛(絵に描かれた
詞の部分)も、女の辞世の歌がそのまま書かれています。

一年で一番日が短い時を迎えています。4時を廻ると、もう暗くなってきます。
クリスマスまであと一ヶ月余り、溝の口の駅から会場の高津市民館が入っている
丸井のビル辺りまでのイルミネーションがとても綺麗です。23日にはカメラを
持って行って、ブログにもUPしようかと思っています。
さて、「伊勢物語」も5回目となり、今日は第24段から第37段までを読みました。
第24段は「梓弓」というタイトルでよく知られた段です。
田舎に住んでいた男が、女を残して都に出稼ぎに行ったまま、音信不通となり、
三年の月日が流れました。女は待ちわびた末に、熱心にプロポーズしてくる
別の男と結婚することになり、今夜がその結婚という日に、何と元カレが帰って
来たのです。男は「この戸を開けてください」と言いますが、女は戸を開けず、
「三年待ってたけど、今夜別の人と結婚することになっているの」と、外の男に
歌を詠んで差し出しました。男は「新しいご主人を愛してあげて」と言い残して、
立ち去って行きました。女は「いいえ、私が愛しているのはあなただけ」と、
男を追いましたが追いつけず、清水のあるところで倒れてしまいました。
そして、指の血で、「あひ思はでかれぬる人をとどめかねわが身はいまぞ
消えはてぬめる」(私の愛に応えてくれず去って行った人を呼び止められなくて、
我が身は今ここで死んでしまうようです」と、岩に歌を書きつけ、そのまま死んで
しまいました。


「伊勢物語色紙貼交屏風」 「伊勢物語図屏風」
この段の絵の多くは、上記の二枚の絵のように、男が帰って来て戸を叩いて
いる、物語の最初の場面が描かれています。
「宗達伊勢物語図色紙」は、物語の最後の場面を描き、賛(絵に描かれた
詞の部分)も、女の辞世の歌がそのまま書かれています。

国宝源氏物語絵巻「鈴虫・第二段」
2015年11月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第171回)
往きはまだ降り出していなかった雨が、帰りは本降りとなっていました。
これからは一雨ごとに寒さが加わって行くのでしょうね。
湘南台クラスは今回で「鈴虫」の巻を読み終えました。国宝源氏物語絵巻
の「鈴虫・第一段」は、6月4日の八王子クラスの記事でご紹介しましたが、
今日はそれに続く「鈴虫・第二段」の場面をご紹介いたします。
中秋の名月の夜、女三宮のもとを訪れた源氏が琴〈きん〉の琴を弾いて
おられると、宮中での月の宴の中止になったことを受け、兵部卿の宮や
夕霧たちが六条院へとやって来て、こちらで管弦の宴が始まりました。
一同が興に乗っているところへ、冷泉院から「共に月見をして欲しい」という
お誘いの使者がまいります。源氏は急遽冷泉院に参上なさることになり、
兵部卿の宮や夕霧もお供をしました。
冷泉院は源氏の来訪を大層喜ばれ、明け方まで宴が続けられました。
これが、国宝源氏物語絵巻「鈴虫・第二段」の場面です。

左側の冷泉院と柱を背にしている源氏は向かい合っていて、まるで
鏡像のように描かれています。笛を吹いているのが夕霧なら、源氏と
その息子二人(冷泉院と夕霧)の三人が、直線で結んで描かれている
ことになります。
また、冷泉院と源氏の間には上長押が通っており、これが決して名乗る
ことのできない親子の隔てを象徴しているとも言われています。
二千円札の裏の図柄に使われているのも、この「鈴虫・第二段」です。
往きはまだ降り出していなかった雨が、帰りは本降りとなっていました。
これからは一雨ごとに寒さが加わって行くのでしょうね。
湘南台クラスは今回で「鈴虫」の巻を読み終えました。国宝源氏物語絵巻
の「鈴虫・第一段」は、6月4日の八王子クラスの記事でご紹介しましたが、
今日はそれに続く「鈴虫・第二段」の場面をご紹介いたします。
中秋の名月の夜、女三宮のもとを訪れた源氏が琴〈きん〉の琴を弾いて
おられると、宮中での月の宴の中止になったことを受け、兵部卿の宮や
夕霧たちが六条院へとやって来て、こちらで管弦の宴が始まりました。
一同が興に乗っているところへ、冷泉院から「共に月見をして欲しい」という
お誘いの使者がまいります。源氏は急遽冷泉院に参上なさることになり、
兵部卿の宮や夕霧もお供をしました。
冷泉院は源氏の来訪を大層喜ばれ、明け方まで宴が続けられました。
これが、国宝源氏物語絵巻「鈴虫・第二段」の場面です。

左側の冷泉院と柱を背にしている源氏は向かい合っていて、まるで
鏡像のように描かれています。笛を吹いているのが夕霧なら、源氏と
その息子二人(冷泉院と夕霧)の三人が、直線で結んで描かれている
ことになります。
また、冷泉院と源氏の間には上長押が通っており、これが決して名乗る
ことのできない親子の隔てを象徴しているとも言われています。
二千円札の裏の図柄に使われているのも、この「鈴虫・第二段」です。
11月10日の宿題の答え
11月10日の宿題の答えです。
先ず、源氏が「外はまだ夜深くて暗いだろうね」と、言っています。
そして、それに対する紫の上の(?????)を受けて、
「昔だって、私はあなたにそのような思いは味わせてはいない暁の別れですよ。
ましてや今更そんな辛い思いをさせては可哀想だ」
と言っているのですから、「そのような思い」、「そんな辛い思い」は、夜明け前の
「暁の別れ」にあることがおわかり頂けると思います。
それは、女の許を訪れた男が帰って行く時間ですよね。女にとっては一番辛い
時間です。でも、源氏は、「あなたにはそんな思いをさせていないし、これからも
させるつもりはない」と言っていますので、紫の上はおそらく、
「まだ、この暗い時に、殿方はお帰りになって行くのね。送り出す女性はどんなに
辛いことでしょう」
というようなセリフを言ったのではないか、と想像されるのですが、如何でしょうか?
私はこんな風に考えました、という答えがありましたら、ぜひコメントしてください。
お待ちしています。
先ず、源氏が「外はまだ夜深くて暗いだろうね」と、言っています。
そして、それに対する紫の上の(?????)を受けて、
「昔だって、私はあなたにそのような思いは味わせてはいない暁の別れですよ。
ましてや今更そんな辛い思いをさせては可哀想だ」
と言っているのですから、「そのような思い」、「そんな辛い思い」は、夜明け前の
「暁の別れ」にあることがおわかり頂けると思います。
それは、女の許を訪れた男が帰って行く時間ですよね。女にとっては一番辛い
時間です。でも、源氏は、「あなたにはそんな思いをさせていないし、これからも
させるつもりはない」と言っていますので、紫の上はおそらく、
「まだ、この暗い時に、殿方はお帰りになって行くのね。送り出す女性はどんなに
辛いことでしょう」
というようなセリフを言ったのではないか、と想像されるのですが、如何でしょうか?
私はこんな風に考えました、という答えがありましたら、ぜひコメントしてください。
お待ちしています。
式部卿の宮家の誤算
2015年11月13日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第89回)
前回のこのクラスの時が最も声の出ない状態で、皆さまには本当に
ご迷惑をおかけしましたが、おかげさまで、今回は声も完全に戻って、
例のごとく「ようなしごと」をあれこれしゃべって2時間半プラス5分でした。
10月26日の「湖月会」の記事から話を繋げて行きましょう。
髭黒の北の方の父・式部卿の宮は、いくら娘の気がふれているとは言え、
髭黒の仕打ちに耐えかねて、北の方を自邸に引き取ってしまわれました。
このことは、玉鬘のもとに入りびたりの髭黒にも当然知らされます。
子どもたちもいることだし、北の方の一存で事が運ばれたとは思えず、
式部卿の宮の短気によるものだろうと腹立たしいけれど、ここは低姿勢で
迎えに行き、詫びるしかないと、髭黒は身なりを整え、式部卿の宮邸に
向かいました。
途中、自邸に立ち寄ると、あの真木柱に残された愛娘の歌。さすがに、
髭黒も涙が止まりません。
式部卿の宮邸に着くと、ご立腹の父宮に諭されて、北の方は髭黒に
会おうともなさいません。姫君にだけでも会わせて欲しい、という願いも
聞き入れられず、髭黒は二人の息子を連れて引き上げるしかありません
でした。式部卿の宮にご挨拶を申し出られても、風邪を理由に断られて
しまいました。
しかしその後、玉鬘のもとに行くと、玉鬘の魅力にすべての憂いが消え去り、
髭黒は立つ瀬のないあしらいを受けたのを口実に、以後は式部卿の宮家を
訪れることもなくなったのです。
玉鬘を一日だけ出仕させて、髭黒は遂に玉鬘を自邸に迎え入れることに
成功します。これでようやく安堵した髭黒は、もう元の北の方のことを
思い遣る気持ちなどすっかり失せてしまいました。
こうなって困られるのは式部卿の宮家です。高飛車に出ても、子供たちの
将来のことなど冷静に考えれば、髭黒もこちらが折れるまで、何度も頭を
下げて復縁を望んでくるに違いない、という目論見が完全に外れてしまい、
途方に暮れておられるのでした。
一人ご満悦な髭黒に対し、悲しい思いをしているのは式部卿の宮だけでは
ありません。源氏も、蛍兵部卿の宮も、帝も、そして玉鬘本人も、心の中に
不満が渦巻いています。このあたりのことは、23日の「湖月会」のほうで
書くことにいたしましょう。
前回のこのクラスの時が最も声の出ない状態で、皆さまには本当に
ご迷惑をおかけしましたが、おかげさまで、今回は声も完全に戻って、
例のごとく「ようなしごと」をあれこれしゃべって2時間半プラス5分でした。
10月26日の「湖月会」の記事から話を繋げて行きましょう。
髭黒の北の方の父・式部卿の宮は、いくら娘の気がふれているとは言え、
髭黒の仕打ちに耐えかねて、北の方を自邸に引き取ってしまわれました。
このことは、玉鬘のもとに入りびたりの髭黒にも当然知らされます。
子どもたちもいることだし、北の方の一存で事が運ばれたとは思えず、
式部卿の宮の短気によるものだろうと腹立たしいけれど、ここは低姿勢で
迎えに行き、詫びるしかないと、髭黒は身なりを整え、式部卿の宮邸に
向かいました。
途中、自邸に立ち寄ると、あの真木柱に残された愛娘の歌。さすがに、
髭黒も涙が止まりません。
式部卿の宮邸に着くと、ご立腹の父宮に諭されて、北の方は髭黒に
会おうともなさいません。姫君にだけでも会わせて欲しい、という願いも
聞き入れられず、髭黒は二人の息子を連れて引き上げるしかありません
でした。式部卿の宮にご挨拶を申し出られても、風邪を理由に断られて
しまいました。
しかしその後、玉鬘のもとに行くと、玉鬘の魅力にすべての憂いが消え去り、
髭黒は立つ瀬のないあしらいを受けたのを口実に、以後は式部卿の宮家を
訪れることもなくなったのです。
玉鬘を一日だけ出仕させて、髭黒は遂に玉鬘を自邸に迎え入れることに
成功します。これでようやく安堵した髭黒は、もう元の北の方のことを
思い遣る気持ちなどすっかり失せてしまいました。
こうなって困られるのは式部卿の宮家です。高飛車に出ても、子供たちの
将来のことなど冷静に考えれば、髭黒もこちらが折れるまで、何度も頭を
下げて復縁を望んでくるに違いない、という目論見が完全に外れてしまい、
途方に暮れておられるのでした。
一人ご満悦な髭黒に対し、悲しい思いをしているのは式部卿の宮だけでは
ありません。源氏も、蛍兵部卿の宮も、帝も、そして玉鬘本人も、心の中に
不満が渦巻いています。このあたりのことは、23日の「湖月会」のほうで
書くことにいたしましょう。
今日の一首(14)
2015年11月11日(水) 湘南台「百人一首」(第14回)
湘南台の「百人一首」も、今回から後半に入りました。
49番~52番までの歌を読みました。
「百人一首」には「後朝の歌」が三首採られています。
「後朝〈きぬぎぬ〉」とは夜を共に過ごした男女の別れをいい、
「後朝」を〈あとあさ〉などと無粋な読みをせず、〈きぬぎぬ〉と
読むのも、互いに衣を身に着けて朝の別れを迎えたからだ、
と言われています。夜に来て、夜が明ける頃、男が帰って行く
「通い婚」という結婚形態があって、生まれた言葉です。
「百人一首」の三首の後朝の歌のうち、二首は今日取り上げた
50番と、52番の歌で、残りの一首は、43番・権中納言敦忠の
「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」
(あなたと結ばれた後の、こんなにも恋しくてならない気持ちに
くらべれば、それまでの物思いなど悩みのうちにも入らないもの
でしたよ)です。
50番・藤原義孝の歌:
「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」
(あなたのためなら命を捨てても惜しくはないと思っていましたが、
こうして結ばれた今は、長く生きてあなたに逢い続けることが
できたらいいのになあ、と思うようになりました)
技巧を排したストレートな表現がいいですね。天下の美男の
誉れ高く、女性たちの憧れの的であったと言われる義孝から、
このような歌を贈られれば、女冥利に尽きる、というものでしょう。
そして「今日の一首」の52番の歌です。
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな
(五十二番・藤原道信朝臣)

(夜が明ければ、また暮れてあなたに逢えるとわかってはいるものの、
やはりあなたと別れねばならない朝が、恨めしく思われるのですよ)
この歌も、50番と同じように、恋の成就を初々しく歌い上げていて、
後朝の切なさがダイレクトに伝わってきます。
敦忠、義孝、道信、の「後朝の歌トリオ」には、いずれも寿命を
全う出来なかった容姿端麗の優れた歌詠み、という共通点が
あります。定家は、その人の人生を象徴する歌を「百人一首」に
採択している傾向があります。この三人の「後朝の歌」も、若き
貴公子たちの短い人生を象徴する絶唱として捉えていたのかも
知れません。
湘南台の「百人一首」も、今回から後半に入りました。
49番~52番までの歌を読みました。
「百人一首」には「後朝の歌」が三首採られています。
「後朝〈きぬぎぬ〉」とは夜を共に過ごした男女の別れをいい、
「後朝」を〈あとあさ〉などと無粋な読みをせず、〈きぬぎぬ〉と
読むのも、互いに衣を身に着けて朝の別れを迎えたからだ、
と言われています。夜に来て、夜が明ける頃、男が帰って行く
「通い婚」という結婚形態があって、生まれた言葉です。
「百人一首」の三首の後朝の歌のうち、二首は今日取り上げた
50番と、52番の歌で、残りの一首は、43番・権中納言敦忠の
「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」
(あなたと結ばれた後の、こんなにも恋しくてならない気持ちに
くらべれば、それまでの物思いなど悩みのうちにも入らないもの
でしたよ)です。
50番・藤原義孝の歌:
「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」
(あなたのためなら命を捨てても惜しくはないと思っていましたが、
こうして結ばれた今は、長く生きてあなたに逢い続けることが
できたらいいのになあ、と思うようになりました)
技巧を排したストレートな表現がいいですね。天下の美男の
誉れ高く、女性たちの憧れの的であったと言われる義孝から、
このような歌を贈られれば、女冥利に尽きる、というものでしょう。
そして「今日の一首」の52番の歌です。
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな
(五十二番・藤原道信朝臣)

(夜が明ければ、また暮れてあなたに逢えるとわかってはいるものの、
やはりあなたと別れねばならない朝が、恨めしく思われるのですよ)
この歌も、50番と同じように、恋の成就を初々しく歌い上げていて、
後朝の切なさがダイレクトに伝わってきます。
敦忠、義孝、道信、の「後朝の歌トリオ」には、いずれも寿命を
全う出来なかった容姿端麗の優れた歌詠み、という共通点が
あります。定家は、その人の人生を象徴する歌を「百人一首」に
採択している傾向があります。この三人の「後朝の歌」も、若き
貴公子たちの短い人生を象徴する絶唱として捉えていたのかも
知れません。
この時、紫の上は何と言った?
2015年11月10日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(統合46回 通算96回)
以前どこかで、カルチャー講師のやってはならない三原則、というのを聞いたことが
あります。
①指して答えさせる。
②宿題を出す。
③時間内に終わらない。
これまで③は守れない常習犯で、「学習できない講師」のレッテルを貼られている
かとも思いますが、少なくとも①と②については、厳守してきたつもりです。
今日は初めてその宿題を出しました。高座渋谷のクラスの方だけではなく、
ブログを読んでくださっている皆さまにもご一緒に考えて頂きたく、あえて答えは
伏せておきます。今週最後のブログ(13日の予定)で、答えを書かせて頂きます。
もちろん、既習クラスの皆さまはご存知ですが、もう一度復習のつもりで、
チャレンジしていただけますか。
野分の日に紫の上を垣間見て、あまりの美しさに一晩中その姿がちらついて
仕方ない夕霧でした。翌朝、三条宮(祖母・大宮の邸)から再び六条院へと
向かった夕霧は、花散里への見舞いを済ませると、東南の町(源氏と紫の上の
居所)へとやって来ました。まだ夜も明けきらない頃で、格子も下ろしたままに
なっています。夕霧が咳払いをして来意を告げると、源氏の、「中将の声づくる
にぞあなる。夜はまだ深からむは」(中将〈夕霧〉が合図をしているようだ。外は
まだ夜深くて暗いだろうね)と、おっしゃっている声が聞こえてきました。
それを聞いた紫の上が(?????)と源氏に何か話しかけられたのですが、
小さく上品な声ですから、夕霧の耳には届きません。
源氏が笑って「いにしへだに知らせたてまつらずなりにし、暁の別れよ。今ならひ
たまはむに、心苦しからむ」(昔だって、私はあなたにそのような思いは味わせては
いない暁の別れですよ。ましてや今更そんな辛い思いをさせては可哀想だ)と
紫の上の(?????)に応じている仲睦まじい様子が夕霧に伝わって来ました。
さて、ここで問題です。(?????)に入る紫の上のセリフをお答えください。
原文には書かれていないので、私の用意した答えも、あくまで想像の域を
出ませんが、皆さまも、おそらくこのようなことを言ったのだろうな、というところで
お考えください。もちろん、現代語で結構です。
では、週末の解答をお楽しみに…。
以前どこかで、カルチャー講師のやってはならない三原則、というのを聞いたことが
あります。
①指して答えさせる。
②宿題を出す。
③時間内に終わらない。
これまで③は守れない常習犯で、「学習できない講師」のレッテルを貼られている
かとも思いますが、少なくとも①と②については、厳守してきたつもりです。
今日は初めてその宿題を出しました。高座渋谷のクラスの方だけではなく、
ブログを読んでくださっている皆さまにもご一緒に考えて頂きたく、あえて答えは
伏せておきます。今週最後のブログ(13日の予定)で、答えを書かせて頂きます。
もちろん、既習クラスの皆さまはご存知ですが、もう一度復習のつもりで、
チャレンジしていただけますか。
野分の日に紫の上を垣間見て、あまりの美しさに一晩中その姿がちらついて
仕方ない夕霧でした。翌朝、三条宮(祖母・大宮の邸)から再び六条院へと
向かった夕霧は、花散里への見舞いを済ませると、東南の町(源氏と紫の上の
居所)へとやって来ました。まだ夜も明けきらない頃で、格子も下ろしたままに
なっています。夕霧が咳払いをして来意を告げると、源氏の、「中将の声づくる
にぞあなる。夜はまだ深からむは」(中将〈夕霧〉が合図をしているようだ。外は
まだ夜深くて暗いだろうね)と、おっしゃっている声が聞こえてきました。
それを聞いた紫の上が(?????)と源氏に何か話しかけられたのですが、
小さく上品な声ですから、夕霧の耳には届きません。
源氏が笑って「いにしへだに知らせたてまつらずなりにし、暁の別れよ。今ならひ
たまはむに、心苦しからむ」(昔だって、私はあなたにそのような思いは味わせては
いない暁の別れですよ。ましてや今更そんな辛い思いをさせては可哀想だ)と
紫の上の(?????)に応じている仲睦まじい様子が夕霧に伝わって来ました。
さて、ここで問題です。(?????)に入る紫の上のセリフをお答えください。
原文には書かれていないので、私の用意した答えも、あくまで想像の域を
出ませんが、皆さまも、おそらくこのようなことを言ったのだろうな、というところで
お考えください。もちろん、現代語で結構です。
では、週末の解答をお楽しみに…。
紫の上追慕の一年
2015年11月7日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第119回)
120回目(満10年)を来月に控え、そこで第二部終了の区切りとするため、
無理をすれば一回で読めるところを、道草をしながら緩やかに進めました。
紫の上が亡くなった翌年の一年間を語る「幻」の巻ですが、七月のところ
までを読んで、八月以降を残しました。
「幻」の巻は、最愛の妻・紫の上を失った源氏が、ひたすら追慕の日々を
送り、やがて出家の決意が固まるまでを、まるで「月次絵」(つきなみえ)
のように綴った、光源氏を主人公とする物語の最終章です。
その「月次絵」に貼られる色紙に書かれた和歌のように、源氏は歌を詠んで
います。ここに七月までの歌をご紹介しますので、源氏の紫の上への思いを
共に追体験していただければ、と存じます。
《一月》 わが宿は花もてはやす人もなしなににか春のたづね来つらむ
(我が家にはもう梅の花が咲くのを喜ぶ人もいないのに、どうして
春が訪れて来たのでしょう)
《二月》 植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らずがほにて来たる鶯
(この紅梅を植えて楽しんだ主もいない家に、それも知らぬ気に
やって来て鳴いている鶯であることよ)
《三月》 今はとてあらしや果てむなき人のこころとどめし春の垣根を
(私がいよいよ出家するとなれば、荒れ果てさせてしまうので
あろうか、亡くなった紫の上が、心を込めて作ったこの春の庭を)
《四月》 羽衣のうすきにかはる今日よりは空蝉の世ぞいとど悲しき
(衣更えで薄い夏の衣に替わる今日からは、空しい現世がいっそう
悲しく思われることでしょう)
《五月》 なき人をしのぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす
(亡き人を偲ぶ今宵の村雨に濡れて、黄泉の国からやってきたので
あろうか、山ほととぎすよ)
《六月》 つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかことがましき虫の声かな
(所在なく夏の日を泣き暮らしていると、それに促されたかのように
鳴くひぐらしの声であることよ)
《七月》 たなばたの逢ふ瀬は雲のよそに見て別れのにはに露ぞおきそふ
(牽牛と織女の逢瀬を雲の上の別世界のことと見て、今この二つの
星が別れて行く夜明けの庭に、私は悲しみの涙を添えることだ)
120回目(満10年)を来月に控え、そこで第二部終了の区切りとするため、
無理をすれば一回で読めるところを、道草をしながら緩やかに進めました。
紫の上が亡くなった翌年の一年間を語る「幻」の巻ですが、七月のところ
までを読んで、八月以降を残しました。
「幻」の巻は、最愛の妻・紫の上を失った源氏が、ひたすら追慕の日々を
送り、やがて出家の決意が固まるまでを、まるで「月次絵」(つきなみえ)
のように綴った、光源氏を主人公とする物語の最終章です。
その「月次絵」に貼られる色紙に書かれた和歌のように、源氏は歌を詠んで
います。ここに七月までの歌をご紹介しますので、源氏の紫の上への思いを
共に追体験していただければ、と存じます。
《一月》 わが宿は花もてはやす人もなしなににか春のたづね来つらむ
(我が家にはもう梅の花が咲くのを喜ぶ人もいないのに、どうして
春が訪れて来たのでしょう)
《二月》 植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らずがほにて来たる鶯
(この紅梅を植えて楽しんだ主もいない家に、それも知らぬ気に
やって来て鳴いている鶯であることよ)
《三月》 今はとてあらしや果てむなき人のこころとどめし春の垣根を
(私がいよいよ出家するとなれば、荒れ果てさせてしまうので
あろうか、亡くなった紫の上が、心を込めて作ったこの春の庭を)
《四月》 羽衣のうすきにかはる今日よりは空蝉の世ぞいとど悲しき
(衣更えで薄い夏の衣に替わる今日からは、空しい現世がいっそう
悲しく思われることでしょう)
《五月》 なき人をしのぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす
(亡き人を偲ぶ今宵の村雨に濡れて、黄泉の国からやってきたので
あろうか、山ほととぎすよ)
《六月》 つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかことがましき虫の声かな
(所在なく夏の日を泣き暮らしていると、それに促されたかのように
鳴くひぐらしの声であることよ)
《七月》 たなばたの逢ふ瀬は雲のよそに見て別れのにはに露ぞおきそふ
(牽牛と織女の逢瀬を雲の上の別世界のことと見て、今この二つの
星が別れて行く夜明けの庭に、私は悲しみの涙を添えることだ)
夕霧、ようやく落葉の宮と結ばれる!
2015年11月5日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第117回)
秋晴れの穏やかな一日、今月も講読会は八王子クラスから始まりました。
来月の例会は、クラス全員で名古屋の「徳川美術館」に「国宝・源氏物語絵巻」
を見に行きますので、今月で「夕霧」の巻を読み終え、新年から次の「御法」の巻
に入れるよう、少し急ぎながらでしたが、時間内に予定をクリアーしました。
源氏の嫡男・夕霧の、亡き親友・柏木の未亡人・落葉の宮への恋の顛末を綴った
「夕霧」の巻ですが、あくまで拒否をする落葉の宮に対し、しびれを切らした夕霧が、
最後はやや強引な形で、落葉の宮と結ばれて、中年夕霧の恋の物語は幕を下ろし
ます。
一条宮に連れ戻された落葉の宮は、夕霧を避けて、塗籠に閉じ籠ってしまいました。
二日目の夜、女房の小少将の君に導かれて塗籠に入った夕霧でしたが、許そうと
しない落葉の宮に恨み言を言いつつも、そのまま夜を明かしたのでした。
三日目、二人は遂に結ばれました。「源氏物語」には男女が契りを交わす場面は
結構書かれているのですが、マンガや映像と違い、きわどい描写は皆無ですので、
うっかりしていると、読み落としてしまいます。
ここでも、「うちは暗きここちすれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来るに」
(塗籠の中は暗い感じがするけれど、朝日が昇った気配がして、かすかな光が
漏れて来るので)と、時間の経過の中に暗示してあるだけです。
独身を貫くべき皇女が降嫁した上、その夫から愛されないまま未亡人となり、
今また臣下の男性と再婚、とあっては、落葉の宮にとって不名誉極まりない話で、
しかも、再婚相手は亡き夫(柏木)の妹(雲居の雁)の夫ですから、非難の的となる
のも避けられないことでした。実際、柏木や雲居の雁の父である致仕大臣からは、
嫌味の手紙が届けられます。
しかしまた現実的に考えるなら、夫を失い、母を失い、父も出家の身、とあっては
落葉の宮を後見してくれる人はおらず、彼女はこの先一人で生きて行くのが難しい
状況でもありました。
落葉の宮の話は、一条宮の家司(事務官)たちが、夕霧という後ろ盾が出来た、
と知るや、これまでとは手の平を返したように忠勤に励むのだった、と書かれて
締め括られています。
記事が前後しましたが、8月1日の淵野辺「五十四帖の会」のところで書いた、
雲居の雁が子供たちを連れて実家へ帰ってしまう場面は、この後です。
秋晴れの穏やかな一日、今月も講読会は八王子クラスから始まりました。
来月の例会は、クラス全員で名古屋の「徳川美術館」に「国宝・源氏物語絵巻」
を見に行きますので、今月で「夕霧」の巻を読み終え、新年から次の「御法」の巻
に入れるよう、少し急ぎながらでしたが、時間内に予定をクリアーしました。
源氏の嫡男・夕霧の、亡き親友・柏木の未亡人・落葉の宮への恋の顛末を綴った
「夕霧」の巻ですが、あくまで拒否をする落葉の宮に対し、しびれを切らした夕霧が、
最後はやや強引な形で、落葉の宮と結ばれて、中年夕霧の恋の物語は幕を下ろし
ます。
一条宮に連れ戻された落葉の宮は、夕霧を避けて、塗籠に閉じ籠ってしまいました。
二日目の夜、女房の小少将の君に導かれて塗籠に入った夕霧でしたが、許そうと
しない落葉の宮に恨み言を言いつつも、そのまま夜を明かしたのでした。
三日目、二人は遂に結ばれました。「源氏物語」には男女が契りを交わす場面は
結構書かれているのですが、マンガや映像と違い、きわどい描写は皆無ですので、
うっかりしていると、読み落としてしまいます。
ここでも、「うちは暗きここちすれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来るに」
(塗籠の中は暗い感じがするけれど、朝日が昇った気配がして、かすかな光が
漏れて来るので)と、時間の経過の中に暗示してあるだけです。
独身を貫くべき皇女が降嫁した上、その夫から愛されないまま未亡人となり、
今また臣下の男性と再婚、とあっては、落葉の宮にとって不名誉極まりない話で、
しかも、再婚相手は亡き夫(柏木)の妹(雲居の雁)の夫ですから、非難の的となる
のも避けられないことでした。実際、柏木や雲居の雁の父である致仕大臣からは、
嫌味の手紙が届けられます。
しかしまた現実的に考えるなら、夫を失い、母を失い、父も出家の身、とあっては
落葉の宮を後見してくれる人はおらず、彼女はこの先一人で生きて行くのが難しい
状況でもありました。
落葉の宮の話は、一条宮の家司(事務官)たちが、夕霧という後ろ盾が出来た、
と知るや、これまでとは手の平を返したように忠勤に励むのだった、と書かれて
締め括られています。
記事が前後しましたが、8月1日の淵野辺「五十四帖の会」のところで書いた、
雲居の雁が子供たちを連れて実家へ帰ってしまう場面は、この後です。
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