初恋、実る!ー夕霧と雲居雁ー
2016年3月28日(月) 溝の口「湖月会」(第93回)
今日までは花冷えが続き、ほころび始めた桜も足踏み状態でしたが、
明日からは気温が上がり、この週末は絶好のお花見日和となりそうです。
今回「湖月会」も、第2金曜日のクラス同様、第一部の最終の帖となる
「藤裏葉」の巻の前半を読みました。
夕霧に他家からの縁談が持ち上がっていることを知った内大臣は焦り気味で、
何とか体裁よく雲居雁との結婚をまとめたいと、チャンスを窺っていました。
最初のチャンスは大宮の三回忌に訪れました。母親代わりだった大宮の法要
ですから、夕霧も当然参会します。内大臣は夕霧と二人になったところで、「私を
そんなにお咎めくださいますな。年老いた私をお見限りになるなんてひどいでは
ありませんか」と、話し掛けて来られます。この言葉が雲居雁との仲を許す、という
意味なのか、今一つはっきりとせず、夕霧は思い悩みます。内大臣のほうから
折れたと言っても、若い夕霧よりも、老練な政治家の内大臣のほうが、役者は
一枚上だったのです。
次のチャンスはそれから半月ほどの後に訪れました。内大臣家のお庭の藤が
見事な花を咲かせたので、内大臣は夕霧を藤の花の宴に招待します。この日、
夕霧を雲居雁の婿と認める心積もりをなさってのことでした。
幼い初恋が引き裂かれて6年、ようやく二人はここに晴れて結ばれたのです。
夕霧は18歳、雲居雁は20歳になっていました。
「夢かとおぼえたまふ」(夢ではないかとお思いになる)夕霧、「いとはづかしと
思ひしめてものしたまふ」(とても恥ずかしいとばかりお思いになっている)雲居雁。
一夜明けての二人の初々しさが伝わってまいります。
国宝「源氏物語絵巻」の「横笛」や「夕霧」の段に描かれている雲居雁の姿も、
3月16日の記事に書いた、早朝に、妻に隠れてこそこそと別の女にラブレターを
書いている夕霧の姿も、この時からは想像し難いものでありますが、そのように
変わって行くのが人の世の常というものかもしれませんね。
来月、溝の口の二クラスは「藤裏葉」の巻を読み終え、5月からは、いよいよ第二部
へと入って行く予定です。
今日までは花冷えが続き、ほころび始めた桜も足踏み状態でしたが、
明日からは気温が上がり、この週末は絶好のお花見日和となりそうです。
今回「湖月会」も、第2金曜日のクラス同様、第一部の最終の帖となる
「藤裏葉」の巻の前半を読みました。
夕霧に他家からの縁談が持ち上がっていることを知った内大臣は焦り気味で、
何とか体裁よく雲居雁との結婚をまとめたいと、チャンスを窺っていました。
最初のチャンスは大宮の三回忌に訪れました。母親代わりだった大宮の法要
ですから、夕霧も当然参会します。内大臣は夕霧と二人になったところで、「私を
そんなにお咎めくださいますな。年老いた私をお見限りになるなんてひどいでは
ありませんか」と、話し掛けて来られます。この言葉が雲居雁との仲を許す、という
意味なのか、今一つはっきりとせず、夕霧は思い悩みます。内大臣のほうから
折れたと言っても、若い夕霧よりも、老練な政治家の内大臣のほうが、役者は
一枚上だったのです。
次のチャンスはそれから半月ほどの後に訪れました。内大臣家のお庭の藤が
見事な花を咲かせたので、内大臣は夕霧を藤の花の宴に招待します。この日、
夕霧を雲居雁の婿と認める心積もりをなさってのことでした。
幼い初恋が引き裂かれて6年、ようやく二人はここに晴れて結ばれたのです。
夕霧は18歳、雲居雁は20歳になっていました。
「夢かとおぼえたまふ」(夢ではないかとお思いになる)夕霧、「いとはづかしと
思ひしめてものしたまふ」(とても恥ずかしいとばかりお思いになっている)雲居雁。
一夜明けての二人の初々しさが伝わってまいります。
国宝「源氏物語絵巻」の「横笛」や「夕霧」の段に描かれている雲居雁の姿も、
3月16日の記事に書いた、早朝に、妻に隠れてこそこそと別の女にラブレターを
書いている夕霧の姿も、この時からは想像し難いものでありますが、そのように
変わって行くのが人の世の常というものかもしれませんね。
来月、溝の口の二クラスは「藤裏葉」の巻を読み終え、5月からは、いよいよ第二部
へと入って行く予定です。
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「光琳かるた」用スタンドの完成!!
2016年3月25日(金)
2月29日の記事でご紹介したカルトナージュの「光琳かるた」用のスタンド、
本日第2回目の講習会をして頂き、私も参加いたしました。
息子にまで呆れ返られるほどぶきっちょな私。大丈夫かしら?と、楽しみ
半分、不安半分でしたが、丁寧で優しいご指導のもと、嬉しや完成!!
早速、手持ちの光琳かるたの中から、季節に相応しい「伊勢の大輔」の
「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」を選んで
入れました。

本日ご指導くださったのは、カルトナージュの認定講師の資格をお持ち
の、溝の口の「源氏物語『湖月会』」の代表を務めて下さっている方と、
そのお仲間お二人の、三人の先生。有難うございました
作業中はテーブルの上に材料を広げて、誰しも「間違えないように」と
真剣な面持ちで取り組みました。

今日の会場は、先生がお住いの武蔵小杉のタワーマンションの中にある
「カンファレンスルーム」だったので、終了後は41階の展望ラウンジで、
贅沢な眺望と共に、お茶のひと時を楽しみました。

中央のタワーが「スカイツリー」、その左にやや小さく見えるのが「東京タワー」
今日の講習会で味をしめた我々は、早くも次の、可愛くてとても便利そうな
「ゴミ箱」の講習を心待ちにしています。
2月29日の記事でご紹介したカルトナージュの「光琳かるた」用のスタンド、
本日第2回目の講習会をして頂き、私も参加いたしました。
息子にまで呆れ返られるほどぶきっちょな私。大丈夫かしら?と、楽しみ
半分、不安半分でしたが、丁寧で優しいご指導のもと、嬉しや完成!!
早速、手持ちの光琳かるたの中から、季節に相応しい「伊勢の大輔」の
「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」を選んで
入れました。

本日ご指導くださったのは、カルトナージュの認定講師の資格をお持ち
の、溝の口の「源氏物語『湖月会』」の代表を務めて下さっている方と、
そのお仲間お二人の、三人の先生。有難うございました

作業中はテーブルの上に材料を広げて、誰しも「間違えないように」と
真剣な面持ちで取り組みました。

今日の会場は、先生がお住いの武蔵小杉のタワーマンションの中にある
「カンファレンスルーム」だったので、終了後は41階の展望ラウンジで、
贅沢な眺望と共に、お茶のひと時を楽しみました。

中央のタワーが「スカイツリー」、その左にやや小さく見えるのが「東京タワー」
今日の講習会で味をしめた我々は、早くも次の、可愛くてとても便利そうな
「ゴミ箱」の講習を心待ちにしています。
初めて見ました「東京ドーム」
2016年3月19日(土)
3月、7月、12月の年に3回、昔の職場の講師仲間の集まりがあります。
10人ほどのメンバーが回り持ちで幹事を務め、お食事会をセッティング
します。
今回のレストランは、東京ドームホテルの6階にある「ドゥ・ミル」。
フレンチのお店でした。
窓から東京ドームの外観がよく見えました。私は既に高齢者の仲間入りを
していますが、この歳になるまで、東京ドームなるものを、一度も見たことが
ありませんでした。よく大きな面積の話をするのに「これは東京ドームの〇倍も
あるのですよ」と譬えられても、これまではその東京ドームを知らないので、
「大きいんだろうなぁ」とは思いつつ、見当もつかずにいました。でも、「百聞は
一見に如かず」。これからは、「東京ドームの5倍」「ふんふん、そうなのね」
ってなものでございます。
お食事は、この場所で、このお料理で、このサービスで、このお値段は他では
ないでしょう、という嬉しいものでした。アミューズの「わっ、美味しい!」に始まり、
デザートに至っては、ワゴンサービスで、「お好きなものをお好きなだけどうぞ」。
別腹が喜び、こんなにチョイスしてしまいました。

家を出る時は結構降っていた雨もすっかり上がり、青空が広がって来たので、
幹事さんのご案内で、近くの「小石川後楽園」を散策しました。桜の蕾がピンクに
色づいて、もうすぐ開花と告げていました。
満ち足りた春の一日を過ごし、水道橋駅へ、あるいは飯田橋駅へと、それぞれ
帰途に着いたのでした。

奥の左手が東京ドーム、右手がお食事をした東京ドームホテル
3月、7月、12月の年に3回、昔の職場の講師仲間の集まりがあります。
10人ほどのメンバーが回り持ちで幹事を務め、お食事会をセッティング
します。
今回のレストランは、東京ドームホテルの6階にある「ドゥ・ミル」。
フレンチのお店でした。
窓から東京ドームの外観がよく見えました。私は既に高齢者の仲間入りを
していますが、この歳になるまで、東京ドームなるものを、一度も見たことが
ありませんでした。よく大きな面積の話をするのに「これは東京ドームの〇倍も
あるのですよ」と譬えられても、これまではその東京ドームを知らないので、
「大きいんだろうなぁ」とは思いつつ、見当もつかずにいました。でも、「百聞は
一見に如かず」。これからは、「東京ドームの5倍」「ふんふん、そうなのね」
ってなものでございます。
お食事は、この場所で、このお料理で、このサービスで、このお値段は他では
ないでしょう、という嬉しいものでした。アミューズの「わっ、美味しい!」に始まり、
デザートに至っては、ワゴンサービスで、「お好きなものをお好きなだけどうぞ」。
別腹が喜び、こんなにチョイスしてしまいました。

家を出る時は結構降っていた雨もすっかり上がり、青空が広がって来たので、
幹事さんのご案内で、近くの「小石川後楽園」を散策しました。桜の蕾がピンクに
色づいて、もうすぐ開花と告げていました。
満ち足りた春の一日を過ごし、水道橋駅へ、あるいは飯田橋駅へと、それぞれ
帰途に着いたのでした。

奥の左手が東京ドーム、右手がお食事をした東京ドームホテル
再び逢えぬ恋
2016年3月18日(金) 溝の口「伊勢物語」(第9回)
今日は気温も20度位まで上がって、街行く人の装いにも春が感じられた
一日でした。
溝の口の「伊勢物語」もすでに後半に入って、今日は、第66段~第74段まで
を読みました。69段以降は、男と伊勢の斎宮との禁断の恋の話で、この本の
「伊勢物語」というタイトルの由来になっているとも言われています。
狩りの使い(勅使)として伊勢の国に赴いた男は、妻の従姉妹が時の斎宮を
務めていたこともあり、心のこもった接待を受けることとなりました。斎宮は
神に仕える最も神聖な立場の女性、恋とは無縁であるべき人です。ところが
この二人、恋に落ち、二日目の夜、密会を果たします。深夜の3時間余りを
共に過ごした後、斎宮は帰って行きました。
二人が実際に結ばれたか結ばれなかったかは、読む人の想像に委ねられて
いるのですが、その後、二人は二度と逢うことが叶いませんでした。
第72段は、男が伊勢の国で女と一度逢っただけで、再び逢うことが出来ないまま、
任務が終わって、隣国の尾張の国へと国境を越えて行く時、もう逢えなくなって
しまうことを、女のもとへたいそう嘆いて寄越したので、女は自身を「大淀の松」に
なずらえて、次の歌を詠んだのでした。
「大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪かな」(大淀の松は冷淡な
わけでもないのに、あなたは浦だけを見て、恨みを残して帰って行く浪のようですね)
この段の絵画化は少ないのですが、「宗達伊勢物語図色紙」には描かれています。

女(斎宮)への未練で、来た道を振り返る男と、右上に小さく後ろ姿の女が
描かれています。女がとても手の届かぬ遠い存在であることが表現されて
いるのがわかります。大淀の松がモチーフに使われ、二人を分かつ波立つ海、
中央に横一線にたなびく金の霞が、二度と逢えない隔絶された世界にいる
男女の哀しみを象徴しているかのようです。
今日は気温も20度位まで上がって、街行く人の装いにも春が感じられた
一日でした。
溝の口の「伊勢物語」もすでに後半に入って、今日は、第66段~第74段まで
を読みました。69段以降は、男と伊勢の斎宮との禁断の恋の話で、この本の
「伊勢物語」というタイトルの由来になっているとも言われています。
狩りの使い(勅使)として伊勢の国に赴いた男は、妻の従姉妹が時の斎宮を
務めていたこともあり、心のこもった接待を受けることとなりました。斎宮は
神に仕える最も神聖な立場の女性、恋とは無縁であるべき人です。ところが
この二人、恋に落ち、二日目の夜、密会を果たします。深夜の3時間余りを
共に過ごした後、斎宮は帰って行きました。
二人が実際に結ばれたか結ばれなかったかは、読む人の想像に委ねられて
いるのですが、その後、二人は二度と逢うことが叶いませんでした。
第72段は、男が伊勢の国で女と一度逢っただけで、再び逢うことが出来ないまま、
任務が終わって、隣国の尾張の国へと国境を越えて行く時、もう逢えなくなって
しまうことを、女のもとへたいそう嘆いて寄越したので、女は自身を「大淀の松」に
なずらえて、次の歌を詠んだのでした。
「大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪かな」(大淀の松は冷淡な
わけでもないのに、あなたは浦だけを見て、恨みを残して帰って行く浪のようですね)
この段の絵画化は少ないのですが、「宗達伊勢物語図色紙」には描かれています。

女(斎宮)への未練で、来た道を振り返る男と、右上に小さく後ろ姿の女が
描かれています。女がとても手の届かぬ遠い存在であることが表現されて
いるのがわかります。大淀の松がモチーフに使われ、二人を分かつ波立つ海、
中央に横一線にたなびく金の霞が、二度と逢えない隔絶された世界にいる
男女の哀しみを象徴しているかのようです。
千年前のホームドラマ
2016年3月16日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第175回)
一昨日より昨日、昨日より今日、と、少しづつ春らしい陽気に近づいて
きましたが、まだダウンにマフラーが不自然ではない一日でした。
明日は日中はコートが要らないほど気温が上がるそうです。来週は
もうお彼岸ですし、これでようやく寒さから抜け出せるのでしょうか。
湘南台クラスが今読んでいる「夕霧」の巻は、その前後の巻からすると、
冗長な感じが否めないのですが、そろそろ終盤に差し掛かって来たところ
です。
結婚して11年、夫は社会的地位もありイケメン。しかも自他ともに認める
真面目人間で、女癖の悪い夫に泣かされている女性のことなど、これまで
全くの他人事でしかなかった一人の妻がいます。
今夜も夫の帰りは深夜、どこの女と逢っていたかも見当がついています。
妻が背を向けて寝たふりをしている寝室に、夫が入って来ます。夫も妻には
背を向けて床に入ります。互いに話しかけることもなく、眠れぬ夜を過ごし、
明け方近くになって、夫はそっと起き出し、手紙を書き始めます。
これって、まるで現代のテレビドラマを見ているようではありませんか?
でも、千年前の「源氏物語」の一場面なのです。
まあ、今なら手紙ではなく、スマホでメールといったところでしょうが・・・。
夫は夕霧、妻は雲居雁です。原文には次のように書かれています。
「夜も明け方近く、かたみにうち出でたまふことなくて、背き背きに
嘆き明かして、朝霧の晴れる間も待たず、例の、文をぞ急ぎ書き給ふ。」
(夜明けも近くなって、それまでお互いに話しかけることもせず、背を
向け合って、眠れぬ夜を過ごし、朝霧が晴れる間も待てず早々に
夕霧は起き出して、例によって、落葉の宮に急ぎ手紙を書いておられる。)
千年もの昔に、夫婦の心のすれ違いを、現代にも通用する端的な表現で
書き記しているのは、まさに「びっくりポン」ですね。
一昨日より昨日、昨日より今日、と、少しづつ春らしい陽気に近づいて
きましたが、まだダウンにマフラーが不自然ではない一日でした。
明日は日中はコートが要らないほど気温が上がるそうです。来週は
もうお彼岸ですし、これでようやく寒さから抜け出せるのでしょうか。
湘南台クラスが今読んでいる「夕霧」の巻は、その前後の巻からすると、
冗長な感じが否めないのですが、そろそろ終盤に差し掛かって来たところ
です。
結婚して11年、夫は社会的地位もありイケメン。しかも自他ともに認める
真面目人間で、女癖の悪い夫に泣かされている女性のことなど、これまで
全くの他人事でしかなかった一人の妻がいます。
今夜も夫の帰りは深夜、どこの女と逢っていたかも見当がついています。
妻が背を向けて寝たふりをしている寝室に、夫が入って来ます。夫も妻には
背を向けて床に入ります。互いに話しかけることもなく、眠れぬ夜を過ごし、
明け方近くになって、夫はそっと起き出し、手紙を書き始めます。
これって、まるで現代のテレビドラマを見ているようではありませんか?
でも、千年前の「源氏物語」の一場面なのです。
まあ、今なら手紙ではなく、スマホでメールといったところでしょうが・・・。
夫は夕霧、妻は雲居雁です。原文には次のように書かれています。
「夜も明け方近く、かたみにうち出でたまふことなくて、背き背きに
嘆き明かして、朝霧の晴れる間も待たず、例の、文をぞ急ぎ書き給ふ。」
(夜明けも近くなって、それまでお互いに話しかけることもせず、背を
向け合って、眠れぬ夜を過ごし、朝霧が晴れる間も待てず早々に
夕霧は起き出して、例によって、落葉の宮に急ぎ手紙を書いておられる。)
千年もの昔に、夫婦の心のすれ違いを、現代にも通用する端的な表現で
書き記しているのは、まさに「びっくりポン」ですね。
故髭黒家の物語
2016年3月12日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第123回)
今日も真冬の寒さが続く中での例会となりました。
「匂宮三帖」の最後「竹河」の巻は、故髭黒家の物語で、これまでの
宮中や源氏の周辺に居た女房たちが語った話とは異なり、冒頭に、
この巻は、髭黒家に仕えていた口さがない古女房の問わず語りです、
との断りが入っています。
ここで再び登場してくるのは、あの「玉鬘十帖」で多くの男性の心を
虜にした玉鬘です。すでに彼女も47歳、夫の髭黒は亡くなっており、
後ろ盾を失った娘の結婚に苦慮しています。
髭黒は生前、大君(玉鬘との間に生まれた長女)は自分の甥にあたる
今上帝(母は髭黒の妹・承香殿の女御)に入内させるつもりで、帝もそれを
楽しみに待っておられました。しかし、髭黒亡き今、明石中宮という押しも
押されぬ妃のおられるところに入内しても、中宮の不興を買うのではないか
と、玉鬘はどうも積極的にはなれません。
今もなお玉鬘に未練がおありの冷泉院からも、その娘である大君を院参
させるようにと熱心にお申し入れがあります。
もう一人、夕霧と雲居雁の息子である蔵人少将も、大君にご執心で、
両親に口添えまでしてもらって、求婚しておりますが、玉鬘は大君を
臣下の者と結婚させるつもりはなく、後々、次女の中の君となら、と
考えているのでした。
堅物の薫も、髭黒家の末っ子の藤侍従と親しく、それとなく大君への
思いを仄めかしています。
はてさて、このプロポーズ合戦、どこに落ち着くことになるのでしょうか。
それは次回のお楽しみということで。
今日も真冬の寒さが続く中での例会となりました。
「匂宮三帖」の最後「竹河」の巻は、故髭黒家の物語で、これまでの
宮中や源氏の周辺に居た女房たちが語った話とは異なり、冒頭に、
この巻は、髭黒家に仕えていた口さがない古女房の問わず語りです、
との断りが入っています。
ここで再び登場してくるのは、あの「玉鬘十帖」で多くの男性の心を
虜にした玉鬘です。すでに彼女も47歳、夫の髭黒は亡くなっており、
後ろ盾を失った娘の結婚に苦慮しています。
髭黒は生前、大君(玉鬘との間に生まれた長女)は自分の甥にあたる
今上帝(母は髭黒の妹・承香殿の女御)に入内させるつもりで、帝もそれを
楽しみに待っておられました。しかし、髭黒亡き今、明石中宮という押しも
押されぬ妃のおられるところに入内しても、中宮の不興を買うのではないか
と、玉鬘はどうも積極的にはなれません。
今もなお玉鬘に未練がおありの冷泉院からも、その娘である大君を院参
させるようにと熱心にお申し入れがあります。
もう一人、夕霧と雲居雁の息子である蔵人少将も、大君にご執心で、
両親に口添えまでしてもらって、求婚しておりますが、玉鬘は大君を
臣下の者と結婚させるつもりはなく、後々、次女の中の君となら、と
考えているのでした。
堅物の薫も、髭黒家の末っ子の藤侍従と親しく、それとなく大君への
思いを仄めかしています。
はてさて、このプロポーズ合戦、どこに落ち着くことになるのでしょうか。
それは次回のお楽しみということで。
5年経って同じ第2金曜日
2016年3月11日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第93回)
今年の3月11日が第2金曜日になったことで、暦は5年ごとに同じ曜日に
なることがわかりました。
5年前の今日も第2金曜日で、溝の口で「源氏物語」を読んでおりました。
14:40を回ったので、一旦休憩に入った直後でした。私は会員の方が
お土産に配ってくださった「信玄餅」をいただこうと開けた途端、「あれっ、
地震?」と思いましたが、そのうち「えっ、えっ、どうなってんの、これ!」と
叫びたくなるほど、どんどん揺れが大きくなり、慌てて「信玄餅」をしまって
机の下に潜りました。収まるまでの時間はとても長く感じられました。
今日も同じ高津市民館の11Fにおりましたが、館内放送が流れ、14:46から
1分間、皆で黙祷を捧げました。
5年経っても、まだまだ被災地では先の見えない日々が続いているようです。
原発事故処理が終わるのは2050年の予定、と先程、テレビニュースが伝えて
いました。気の遠くなるような話です。
去年の3月11日のブログに「今日、仕事から帰る道々、強い北風を受けながら、
あの日も寒かった、と思い出しておりました。」と書いています。3月11日は
寒くなる日なのでしょうか。今年も最高気温が6度と、真冬並みの寒さでした。
「源氏物語を読む会」のほうは、第1部のフィナーレとなる、第33帖「藤裏葉」の
巻にはいりました。今回はその前半、6年間の長きにわたり引き裂かれていた
夕霧と雲居雁が、ようやく晴れて結ばれるところまでを読みました。
第4月曜日(28日)に同じところを読みますので、内容につきましては、そこで
書きたいと思います。
今年の3月11日が第2金曜日になったことで、暦は5年ごとに同じ曜日に
なることがわかりました。
5年前の今日も第2金曜日で、溝の口で「源氏物語」を読んでおりました。
14:40を回ったので、一旦休憩に入った直後でした。私は会員の方が
お土産に配ってくださった「信玄餅」をいただこうと開けた途端、「あれっ、
地震?」と思いましたが、そのうち「えっ、えっ、どうなってんの、これ!」と
叫びたくなるほど、どんどん揺れが大きくなり、慌てて「信玄餅」をしまって
机の下に潜りました。収まるまでの時間はとても長く感じられました。
今日も同じ高津市民館の11Fにおりましたが、館内放送が流れ、14:46から
1分間、皆で黙祷を捧げました。
5年経っても、まだまだ被災地では先の見えない日々が続いているようです。
原発事故処理が終わるのは2050年の予定、と先程、テレビニュースが伝えて
いました。気の遠くなるような話です。
去年の3月11日のブログに「今日、仕事から帰る道々、強い北風を受けながら、
あの日も寒かった、と思い出しておりました。」と書いています。3月11日は
寒くなる日なのでしょうか。今年も最高気温が6度と、真冬並みの寒さでした。
「源氏物語を読む会」のほうは、第1部のフィナーレとなる、第33帖「藤裏葉」の
巻にはいりました。今回はその前半、6年間の長きにわたり引き裂かれていた
夕霧と雲居雁が、ようやく晴れて結ばれるところまでを読みました。
第4月曜日(28日)に同じところを読みますので、内容につきましては、そこで
書きたいと思います。
今日の一首(19)
2016年3月9日(水) 湘南台「百人一首」(第18回)
私がこの「ばーばむらさきの『I Love 源氏物語』」を書き始めてから、
今日でちょうど一年です。これまでに132の記事を書いて来ました。
最初の一年ということで、どうしてもその日の講読会の記録が中心となって
しまいましたが、二年目は、もう少し他にも目を向けて書いて行ければ、と
思っております。
拍手を入れて頂けると、何よりの励みになります。コメントが書かれていると、
「こんなに熱心に読んでくださっている方もあるんだなぁ」と、嬉しくなります。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、「今日の一首」です。
今日は65番「相模」の歌~68番「三条院」の歌までを取り上げました。
時代的には、藤原摂関家の外戚政治が終焉に近づいて来たあたりです。
今回は、その過渡期に生きた67番「周防内侍」の歌をご紹介したいと
思います。
「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ」
六十七番 周防内侍

(短い春の夜の、夢のようにはかない、戯れの手枕をお借りして、
甲斐のない浮き名が立ってしまうのは、残念でございますわ)
歌が詠まれた背景に面白いエピソードがあり、それによって作者の自由に
鮮やかに躍動する個性が楽しめる歌、これまで「百人一首」に登場した殆どの
女流歌人の歌はそうでした。ところが、72番以降になると、100番までの間に
女流歌人の歌は6首ありますが、それらの全ては「題詠」であって、日常生活の
中から生まれた歌は一首もありません。この67番の歌が、歌の成立にまつわる
エピソードをお伝えすることの出来る「百人一首」女流歌人の最後の歌になります。
月の明るい春の夜、二条院(後冷泉天皇の中宮・章子内親王の御所)で大勢の人が
夜通し語り明かしていた時に、眠気を催したのか、周防内侍は物に寄りかかって
横になりながら「枕が欲しいわ」とこっそりと言いました。それを大納言忠家が
聞きつけて、「これを枕にどうぞ」と、御簾の下から自分の腕を差し入れて来たので、
周防内侍はすかさず、この歌を詠んだのでした。
忠家もそのまま引き下がったりはしておりません。次の返歌を詠んでいます。
「契りありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき」(前世からの
ご縁があって、この春の深夜に差し出した手枕ですのに、どうして甲斐のない
夢にしてしまってよいものでしょうか)
二人の遣り取りは、もちろん共に本気ではなく、大勢の人の前で見せた、
「当意即妙の機知に富んだ遊び心」とでも言うべきものでした。
大納言忠家は、歌道の家・御子左家の二代目で、俊成の祖父、定家の曾祖父に
当たる人です。
私がこの「ばーばむらさきの『I Love 源氏物語』」を書き始めてから、
今日でちょうど一年です。これまでに132の記事を書いて来ました。
最初の一年ということで、どうしてもその日の講読会の記録が中心となって
しまいましたが、二年目は、もう少し他にも目を向けて書いて行ければ、と
思っております。
拍手を入れて頂けると、何よりの励みになります。コメントが書かれていると、
「こんなに熱心に読んでくださっている方もあるんだなぁ」と、嬉しくなります。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、「今日の一首」です。
今日は65番「相模」の歌~68番「三条院」の歌までを取り上げました。
時代的には、藤原摂関家の外戚政治が終焉に近づいて来たあたりです。
今回は、その過渡期に生きた67番「周防内侍」の歌をご紹介したいと
思います。
「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ」
六十七番 周防内侍

(短い春の夜の、夢のようにはかない、戯れの手枕をお借りして、
甲斐のない浮き名が立ってしまうのは、残念でございますわ)
歌が詠まれた背景に面白いエピソードがあり、それによって作者の自由に
鮮やかに躍動する個性が楽しめる歌、これまで「百人一首」に登場した殆どの
女流歌人の歌はそうでした。ところが、72番以降になると、100番までの間に
女流歌人の歌は6首ありますが、それらの全ては「題詠」であって、日常生活の
中から生まれた歌は一首もありません。この67番の歌が、歌の成立にまつわる
エピソードをお伝えすることの出来る「百人一首」女流歌人の最後の歌になります。
月の明るい春の夜、二条院(後冷泉天皇の中宮・章子内親王の御所)で大勢の人が
夜通し語り明かしていた時に、眠気を催したのか、周防内侍は物に寄りかかって
横になりながら「枕が欲しいわ」とこっそりと言いました。それを大納言忠家が
聞きつけて、「これを枕にどうぞ」と、御簾の下から自分の腕を差し入れて来たので、
周防内侍はすかさず、この歌を詠んだのでした。
忠家もそのまま引き下がったりはしておりません。次の返歌を詠んでいます。
「契りありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき」(前世からの
ご縁があって、この春の深夜に差し出した手枕ですのに、どうして甲斐のない
夢にしてしまってよいものでしょうか)
二人の遣り取りは、もちろん共に本気ではなく、大勢の人の前で見せた、
「当意即妙の機知に富んだ遊び心」とでも言うべきものでした。
大納言忠家は、歌道の家・御子左家の二代目で、俊成の祖父、定家の曾祖父に
当たる人です。
ラジオ放送
2016年3月4日(金)
1月13日のブログに、湘南台の「古典を読む会」がラジオの取材を受けた
ことは書きましたが、昨日(3/3)と今日、藤沢FM放送「レディオ湘南」で
放送されました。このクラスは現在は「百人一首」をやっています。
ラジオの収録があった日は、57番の「紫式部」から60番の「小式部内侍」迄、
お姫様札が続いた時で、光琳かるたも一段と綺麗に見える良い日でした。
昨日は講師である私と、お二人の会員の方、今日は前代表、現代表の方と
三人の会員の方の話が放送されました。
収録当日は、トップバッターでしたし、ものすごく緊張して、心臓の音まで、
マイクに入っているのではないかと思う程、ドキドキしていました。
当然、どんなふうに話をしたのかも覚えておらず、昨日聴くまで不安でしたが、
あまり緊張しているようには聞こえなかったのでホッとしました(ラジオなので
顔の見えないのがいい)。
皆さま、とても褒めて下さっているので、ちょっぴりこそばゆくなりました。
でもでも有難うございます。来週の講座には、お菓子を持って行きますね。
湘南台クラスは、10名余りの小クラスですから、もう少し会員が増えるのは
大歓迎なのですが、そもそも、このラジオをどれ位の人が聴いているのかしら?
ましてやその中で「古典」に興味のある人なんてどれ位いるのかしら?
うーん、やっぱり期待するのは無理かもしれません。
1月13日のブログに、湘南台の「古典を読む会」がラジオの取材を受けた
ことは書きましたが、昨日(3/3)と今日、藤沢FM放送「レディオ湘南」で
放送されました。このクラスは現在は「百人一首」をやっています。
ラジオの収録があった日は、57番の「紫式部」から60番の「小式部内侍」迄、
お姫様札が続いた時で、光琳かるたも一段と綺麗に見える良い日でした。
昨日は講師である私と、お二人の会員の方、今日は前代表、現代表の方と
三人の会員の方の話が放送されました。
収録当日は、トップバッターでしたし、ものすごく緊張して、心臓の音まで、
マイクに入っているのではないかと思う程、ドキドキしていました。
当然、どんなふうに話をしたのかも覚えておらず、昨日聴くまで不安でしたが、
あまり緊張しているようには聞こえなかったのでホッとしました(ラジオなので
顔の見えないのがいい)。
皆さま、とても褒めて下さっているので、ちょっぴりこそばゆくなりました。
でもでも有難うございます。来週の講座には、お菓子を持って行きますね。
湘南台クラスは、10名余りの小クラスですから、もう少し会員が増えるのは
大歓迎なのですが、そもそも、このラジオをどれ位の人が聴いているのかしら?
ましてやその中で「古典」に興味のある人なんてどれ位いるのかしら?
うーん、やっぱり期待するのは無理かもしれません。
後悔先に立たずー源氏、過去を振り返るー
2016年3月3日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第121回)
テーブルの上には可愛い手作りのお雛様が飾られ(今日はカメラを持参して
いなかったので撮れませんでした)、雛祭りの日に相応しい演出のもと、
八王子クラスは今月から第二部最後の第41帖「幻」の巻に入りました。
この巻は、最愛の妻「紫の上」に先立たれた源氏が、彼女を追慕して
過ごす一年を描いていますが、女房たちとの思い出話の中で、かつて
紫の上を苦しめた二つの出来事が回顧されます。
一つ目は朝顔の君とのこと。「朝顔」の巻は、もう20年も前の話になります。
源氏が朝顔の君にご執心だという噂を耳にして、紫の上は悩みます。当時、
紫の上は自分より挌上の朝顔の君と源氏が結婚の運びとなれば、さぞ自分は
外聞の悪いことになろうと「まめやかにつらし」(しみじみと辛い)と感じていました。
結局は、朝顔の君の拒否により、二人の結婚は実現しませんでしたが、それから
さらに8年後、物語が第二部に入った「若菜上」で、紫の上が恐れていたことが
別の形で実現してしまいました。源氏が年若い皇女・女三宮を正妻として迎えた
のです。これが二つ目になります。
女三宮の降嫁後三日経った夜の明け方、戻って来た源氏に、紫の上はおっとりと
した様子を見せながらも、袖がひどく泣き濡れているのを源氏に気付かせまいと、
懸命に隠そうとしていました。折しも、その時と同じように雪が降り積もった今朝、
「いふかたなく悲し」(言いようもない悲しく)思われる源氏でした。
亡くなって初めて紫の上の気持ちを忖度することになった源氏。しかし、その苦悩の
一端を思い遣るために払った代償は「紫の上の死」というあまりにも大きなものでした。
ここで読者もまた「朝顔」の巻、「若菜上」の巻を思い出し、紫の上を追想することに
なりますが、彼女の自己犠牲によって保たれていた六条院の平和を思う時、
「いふかたなく悲し」と感じるのは源氏だけではありません。
テーブルの上には可愛い手作りのお雛様が飾られ(今日はカメラを持参して
いなかったので撮れませんでした)、雛祭りの日に相応しい演出のもと、
八王子クラスは今月から第二部最後の第41帖「幻」の巻に入りました。
この巻は、最愛の妻「紫の上」に先立たれた源氏が、彼女を追慕して
過ごす一年を描いていますが、女房たちとの思い出話の中で、かつて
紫の上を苦しめた二つの出来事が回顧されます。
一つ目は朝顔の君とのこと。「朝顔」の巻は、もう20年も前の話になります。
源氏が朝顔の君にご執心だという噂を耳にして、紫の上は悩みます。当時、
紫の上は自分より挌上の朝顔の君と源氏が結婚の運びとなれば、さぞ自分は
外聞の悪いことになろうと「まめやかにつらし」(しみじみと辛い)と感じていました。
結局は、朝顔の君の拒否により、二人の結婚は実現しませんでしたが、それから
さらに8年後、物語が第二部に入った「若菜上」で、紫の上が恐れていたことが
別の形で実現してしまいました。源氏が年若い皇女・女三宮を正妻として迎えた
のです。これが二つ目になります。
女三宮の降嫁後三日経った夜の明け方、戻って来た源氏に、紫の上はおっとりと
した様子を見せながらも、袖がひどく泣き濡れているのを源氏に気付かせまいと、
懸命に隠そうとしていました。折しも、その時と同じように雪が降り積もった今朝、
「いふかたなく悲し」(言いようもない悲しく)思われる源氏でした。
亡くなって初めて紫の上の気持ちを忖度することになった源氏。しかし、その苦悩の
一端を思い遣るために払った代償は「紫の上の死」というあまりにも大きなものでした。
ここで読者もまた「朝顔」の巻、「若菜上」の巻を思い出し、紫の上を追想することに
なりますが、彼女の自己犠牲によって保たれていた六条院の平和を思う時、
「いふかたなく悲し」と感じるのは源氏だけではありません。
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