築地「すし大」とシネマ歌舞伎「阿古屋」
2017年1月28日(土)
昨日の強風も嘘のように収まって、今日は日差しも暖かな絶好の
お出かけ日和となりました。
少し前に、新聞で「阿古屋」がシネマ歌舞伎となって上映されている
ことを知り、ここ数年ご無沙汰だったシネマ歌舞伎を久しぶりに
見たくなり、高校同期の友人二人と連れ立って、東銀座の「東劇」に
足を運びました。
そこまで行くなら外せないのが、築地の「すし大」。
1,500円、2,000円のお寿司でも、まとめてポンと出て来るのではなく、
まるでお好みで注文しているかのように、食べるペースに合わせて
タイミング良く一貫ずつ供され、最後の巻物になるまで、お醤油も不要。
ちゃんとネタに合わせて、岩塩だったり、煮きり醤油だったりが、ついた
状態で出て来ます。ご飯の硬さやお酢加減も絶妙で、ここを教えて
もらってからは、お寿司屋さんを探してウロウロすることもなくなり、
東京メトロ「築地」駅で降りたら、もう「すし大・別館」へまっすぐです。
こんなにコスパの優れた飲食店はそうそう無いと思います。

これは車エビですが、ネタはどれもさすが築地、新鮮で文句なしです
さて、お腹も満たされて、次は今日の目的の「シネマ歌舞伎」。
「阿古屋」は、女形屈指の大役と言われ、琴・三味線・胡弓の三曲を演奏する
技術もさることながら、「傾城」と呼ばれる最高級の遊女の品格、恋人・景清
への秘めたる思いの表出、など、要求されるものの難度が高く、今現在
「阿古屋」を演じられるのは玉三郎ただ一人とのこと。
玉三郎は、美しく、格調高い「阿古屋」そのもので、魅了してくれました。
今回は、映画の冒頭で、「阿古屋」という作品を、舞台裏で支える人々の様子
が上映され、華やかな舞台一つに、どれほど多くの人の心血が注ぎ込まれて
いるかを、改めて知ることも出来ました。
願わくは、玉三郎で途切れることなく、次の「阿古屋」を演じられる女形が
育って欲しいと思いつつ見ていました。今日は阿古屋を詮議する重忠役
だった菊之助が、次の「阿古屋」に挑戦してくれればいいのにね、と、
友人と語り合いながら、帰途につきました。

東劇の入り口に展示されていたパネル
昨日の強風も嘘のように収まって、今日は日差しも暖かな絶好の
お出かけ日和となりました。
少し前に、新聞で「阿古屋」がシネマ歌舞伎となって上映されている
ことを知り、ここ数年ご無沙汰だったシネマ歌舞伎を久しぶりに
見たくなり、高校同期の友人二人と連れ立って、東銀座の「東劇」に
足を運びました。
そこまで行くなら外せないのが、築地の「すし大」。
1,500円、2,000円のお寿司でも、まとめてポンと出て来るのではなく、
まるでお好みで注文しているかのように、食べるペースに合わせて
タイミング良く一貫ずつ供され、最後の巻物になるまで、お醤油も不要。
ちゃんとネタに合わせて、岩塩だったり、煮きり醤油だったりが、ついた
状態で出て来ます。ご飯の硬さやお酢加減も絶妙で、ここを教えて
もらってからは、お寿司屋さんを探してウロウロすることもなくなり、
東京メトロ「築地」駅で降りたら、もう「すし大・別館」へまっすぐです。
こんなにコスパの優れた飲食店はそうそう無いと思います。

これは車エビですが、ネタはどれもさすが築地、新鮮で文句なしです
さて、お腹も満たされて、次は今日の目的の「シネマ歌舞伎」。
「阿古屋」は、女形屈指の大役と言われ、琴・三味線・胡弓の三曲を演奏する
技術もさることながら、「傾城」と呼ばれる最高級の遊女の品格、恋人・景清
への秘めたる思いの表出、など、要求されるものの難度が高く、今現在
「阿古屋」を演じられるのは玉三郎ただ一人とのこと。
玉三郎は、美しく、格調高い「阿古屋」そのもので、魅了してくれました。
今回は、映画の冒頭で、「阿古屋」という作品を、舞台裏で支える人々の様子
が上映され、華やかな舞台一つに、どれほど多くの人の心血が注ぎ込まれて
いるかを、改めて知ることも出来ました。
願わくは、玉三郎で途切れることなく、次の「阿古屋」を演じられる女形が
育って欲しいと思いつつ見ていました。今日は阿古屋を詮議する重忠役
だった菊之助が、次の「阿古屋」に挑戦してくれればいいのにね、と、
友人と語り合いながら、帰途につきました。

東劇の入り口に展示されていたパネル
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第二帖「帚木」の全文訳(8)
2017年1月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第10回・№2)
本日読みました「帚木」の巻(71頁・7行目~80頁・9行目まで)の
後半に当たる部分(75頁・2行目~80頁・9行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
「式部丞のところにこそ、一風変わった話もあろう。少しづつ話して
聞かせよ」と頭中将が催促なさいます。式部丞は、「私どものような
下の下の分際では、何のお聞きになって面白い話がございましょう」
と言いますが、頭中将が、真面目に「遅いぞ」お責めになるので、
どんな話をしようかと思案して、語り始めました。
「私がまだ文章生でございました時、恐るべき女の例を見ました。
左馬頭殿が申し上げなさったように、公的なことも相談し、私的な
面での処世上の心がけを思案するにも行き届いており、漢学も、
いい加減な博士など顔負けの知識を身に着けていて、まったく
相手に口を開かせないほど雄弁な女でございました。
それと申すのは、ある博士のところで、漢学を勉強しようと思って、
通っておりました頃に、その博士の娘が大勢いると聞いていまして、
中の一人にふとしたきっかけで言い寄りましたところ、親である博士が
聞きつけて、盃を持ち出して「私が歌う二つの道を聞け」と聞こえよがしに
申しましたが、婿に納まる気などさらさらなく、親の気持ちを慮って、
そうは言っても切れずに通っておりましたところ、娘は私にたいそう情けを
もって世話を焼き、寝物語にも、学問が身に着き、公務に役立つ知識を
教えて、たいそう綺麗な筆跡で、手紙にも仮名文字を書き入れず、理に
適った漢文を見事に書きますので、成り行きのまま切れることもせず、
その女を師匠として下手な漢詩を作ることを教わりもました。
ですから今でもその恩は忘れていませんが、馴れ親しむ妻として頼りに
するには、無学な私のような男は、いずれみっともないことをしでかすで
しょうから、とても太刀打ちできない、と思えました。ましてや、皆さま方の
ような若殿方のためには、はきはきとしたしっかり者の奥方など、何の
必要がございましょうか。つまらない女だ、期待外れの女だ、と一方では
思いながらも、自分が気に入り、宿縁に引かれるということもあるようで
ございますから、男とは他愛ない者のようでございます」と言うので、続きを
話させようと思って頭中将が「それにしても面白い女がいたものだなあ」と
おだてなさると、式部丞はわかっていながら、鼻をピクピクさせて得意げに
語り続けました。
「さて、ずっと行かないでいたのですが、何かのついでに立ち寄りました
ところ、普段くつろいでいる自室には入れてくれず、よそよそしい物を
隔てての対面となりました。すねているのか、と阿保らしくもなり、
別れる良い機会かとも思いましたが、このお利口さんは、軽々しい
嫉妬などするはずもなく、男女の仲を達観していて、それまで恨み言を
言うこともありませんでした。せかせかとした声で言うには、『ここ何ヶ月か
風病の重いのに我慢できず、ニンニクを服用してとても臭いので、面と
向かってお目にはかかれません。直接お顔を合わせなくても、しかるべき
ご用向きは承りましょう』と、たいそう殊勝に、もっともらしく言いました。
どんな返事が出来ましょうか。ただ『わかりました』と言って、立ち去ろうと
しますと、物足りなく思ったのでしょうか、『この臭いが消える頃にまたいらして』
と声高に言うので、聞捨てるのも可哀想だし、かと言って、ちょっとの間も
ぐずぐずしている場合でもありませんでしたから、ほんにその臭いまでもが
ぷんぷんとしてくるのも堪らなくて、逃げ腰になって、
『ささがにのふるまひしるき夕ぐれにひるま過ぐせといふがあやなさ』(蜘蛛の
動きを見れば、私が来ることはわかっていたはずの夕暮れに、ニンニクの
匂いがするからダメ、というのはわけがわかりません)何の口実ですか』
と言い終えないうちに、飛び出しましたところ、後を追うようにして、
『逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひる間もなにかまばゆからまし』(夜毎に
逢っている仲でしたら、ニンニクの匂いくらい恥ずかしくもないのですが、
滅多には来て下さらないあなたですから)
と、返歌はさすがにすばやいものでした」と、式部丞が落ち着き払って
申しますので、他の三人は呆れ返って、「嘘だろう?」とお笑いになります。
「どこにそんな女がいるものか。いっそのことおとなしく鬼と向かい合って
でもいるほうがましだ。気色の悪い話だ」と、爪を弾いて、お話にならないと、
式部丞をけなし憎らしがって、「もう少しましな話をしろよ」と、お責めになり
ますが、「これ以上、珍しい話がございましょうか」と言って、式部丞は、
すましておりました。
左馬頭が、「総じて男も女も、程度の低い人間ほど、ちょっと知っている
ことを全部知っているかのように見せようとするのが困ったものです。
三史五経という本格的な学問を、極め尽そうとするのは、可愛気のない
ことでしょうが、かと言って、女だから世間の公私いづれにつけても、
知らない、通じていないでは済まされないでしょう。わざわざ勉強しなくても、
多少なりとも才知のある人なら、聞き覚え、見覚えることが、自然と多く
ありましょう。
ただそうなると、漢字をすらすらと書いて、そうあってはならない女同士の
手紙に、漢字を半分以上使って書き縮めているのは、ああ、いやだ、
この人が女らしかったらなあ、と思われます。自分ではそうも思わないの
でしょうが、漢語が多いので、自然とごつごつした声で読まれたりして、
わざとらしい感じがします。上級女房の中にも大勢いますよね。
和歌に自信のある人が、そのまま和歌に没頭してしまって、面白い
故事を歌の初句から取り込んで、こちらが気乗りがしないような時に
詠みかけて来るのは不愉快なことです。返歌をしなければ、情けに
欠けると思われ、出来ない事情がある人は困った立場に立たされる
ことになってしまいます。
しかるべき節会など、例えば端午の節会に急ぎ参内しなければ
ならない朝、落ち着いてものを考えるゆとりもないのに、見事な
菖蒲の根に付けて、歌を詠みかけて来たり、重陽の節会で、
何はさて置き、難しい漢詩の趣向を思案して、余裕がない時に、
菊の露にかこつけて嘆きの歌を寄越すといった、その場には
不都合な用事に付き合わされたりすると、何も今でなくても、
と嫌になります。自然と、ほんに後で思うと、しゃれてもいるし、
心にも沁みると感じられることですが、その時には相応しくなく、
目にも入らないということを、察しもせずに歌を贈られると、
却って気が利かないことだと思えてしまいます。
万事につけて、どうしてそんなことを、と思われる場合や時に、
分別もつかないような思慮では、気取ったり、風流ぶったりしない
ほうが無難でしょう。およそ自分がよくわかっていることでも、
知らないように振舞い、言いたいことも、そのうちの一つや二つは
言わないでおくのがよいのです」と言うにつけても、源氏の君は
ただ一人のお方のことを心の中で思い続けておられるのでした。
この左馬頭の結論にまったく過不足のない方でいらっしゃることよ、
と、類まれな藤壺のことを思うと、ますます胸がいっぱいになるのでした。
どこに話が落ち着く、ということもなく、最後にはとりとめもない話に
なって、夜をお明かしになりました。
本日読みました「帚木」の巻(71頁・7行目~80頁・9行目まで)の
後半に当たる部分(75頁・2行目~80頁・9行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
「式部丞のところにこそ、一風変わった話もあろう。少しづつ話して
聞かせよ」と頭中将が催促なさいます。式部丞は、「私どものような
下の下の分際では、何のお聞きになって面白い話がございましょう」
と言いますが、頭中将が、真面目に「遅いぞ」お責めになるので、
どんな話をしようかと思案して、語り始めました。
「私がまだ文章生でございました時、恐るべき女の例を見ました。
左馬頭殿が申し上げなさったように、公的なことも相談し、私的な
面での処世上の心がけを思案するにも行き届いており、漢学も、
いい加減な博士など顔負けの知識を身に着けていて、まったく
相手に口を開かせないほど雄弁な女でございました。
それと申すのは、ある博士のところで、漢学を勉強しようと思って、
通っておりました頃に、その博士の娘が大勢いると聞いていまして、
中の一人にふとしたきっかけで言い寄りましたところ、親である博士が
聞きつけて、盃を持ち出して「私が歌う二つの道を聞け」と聞こえよがしに
申しましたが、婿に納まる気などさらさらなく、親の気持ちを慮って、
そうは言っても切れずに通っておりましたところ、娘は私にたいそう情けを
もって世話を焼き、寝物語にも、学問が身に着き、公務に役立つ知識を
教えて、たいそう綺麗な筆跡で、手紙にも仮名文字を書き入れず、理に
適った漢文を見事に書きますので、成り行きのまま切れることもせず、
その女を師匠として下手な漢詩を作ることを教わりもました。
ですから今でもその恩は忘れていませんが、馴れ親しむ妻として頼りに
するには、無学な私のような男は、いずれみっともないことをしでかすで
しょうから、とても太刀打ちできない、と思えました。ましてや、皆さま方の
ような若殿方のためには、はきはきとしたしっかり者の奥方など、何の
必要がございましょうか。つまらない女だ、期待外れの女だ、と一方では
思いながらも、自分が気に入り、宿縁に引かれるということもあるようで
ございますから、男とは他愛ない者のようでございます」と言うので、続きを
話させようと思って頭中将が「それにしても面白い女がいたものだなあ」と
おだてなさると、式部丞はわかっていながら、鼻をピクピクさせて得意げに
語り続けました。
「さて、ずっと行かないでいたのですが、何かのついでに立ち寄りました
ところ、普段くつろいでいる自室には入れてくれず、よそよそしい物を
隔てての対面となりました。すねているのか、と阿保らしくもなり、
別れる良い機会かとも思いましたが、このお利口さんは、軽々しい
嫉妬などするはずもなく、男女の仲を達観していて、それまで恨み言を
言うこともありませんでした。せかせかとした声で言うには、『ここ何ヶ月か
風病の重いのに我慢できず、ニンニクを服用してとても臭いので、面と
向かってお目にはかかれません。直接お顔を合わせなくても、しかるべき
ご用向きは承りましょう』と、たいそう殊勝に、もっともらしく言いました。
どんな返事が出来ましょうか。ただ『わかりました』と言って、立ち去ろうと
しますと、物足りなく思ったのでしょうか、『この臭いが消える頃にまたいらして』
と声高に言うので、聞捨てるのも可哀想だし、かと言って、ちょっとの間も
ぐずぐずしている場合でもありませんでしたから、ほんにその臭いまでもが
ぷんぷんとしてくるのも堪らなくて、逃げ腰になって、
『ささがにのふるまひしるき夕ぐれにひるま過ぐせといふがあやなさ』(蜘蛛の
動きを見れば、私が来ることはわかっていたはずの夕暮れに、ニンニクの
匂いがするからダメ、というのはわけがわかりません)何の口実ですか』
と言い終えないうちに、飛び出しましたところ、後を追うようにして、
『逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひる間もなにかまばゆからまし』(夜毎に
逢っている仲でしたら、ニンニクの匂いくらい恥ずかしくもないのですが、
滅多には来て下さらないあなたですから)
と、返歌はさすがにすばやいものでした」と、式部丞が落ち着き払って
申しますので、他の三人は呆れ返って、「嘘だろう?」とお笑いになります。
「どこにそんな女がいるものか。いっそのことおとなしく鬼と向かい合って
でもいるほうがましだ。気色の悪い話だ」と、爪を弾いて、お話にならないと、
式部丞をけなし憎らしがって、「もう少しましな話をしろよ」と、お責めになり
ますが、「これ以上、珍しい話がございましょうか」と言って、式部丞は、
すましておりました。
左馬頭が、「総じて男も女も、程度の低い人間ほど、ちょっと知っている
ことを全部知っているかのように見せようとするのが困ったものです。
三史五経という本格的な学問を、極め尽そうとするのは、可愛気のない
ことでしょうが、かと言って、女だから世間の公私いづれにつけても、
知らない、通じていないでは済まされないでしょう。わざわざ勉強しなくても、
多少なりとも才知のある人なら、聞き覚え、見覚えることが、自然と多く
ありましょう。
ただそうなると、漢字をすらすらと書いて、そうあってはならない女同士の
手紙に、漢字を半分以上使って書き縮めているのは、ああ、いやだ、
この人が女らしかったらなあ、と思われます。自分ではそうも思わないの
でしょうが、漢語が多いので、自然とごつごつした声で読まれたりして、
わざとらしい感じがします。上級女房の中にも大勢いますよね。
和歌に自信のある人が、そのまま和歌に没頭してしまって、面白い
故事を歌の初句から取り込んで、こちらが気乗りがしないような時に
詠みかけて来るのは不愉快なことです。返歌をしなければ、情けに
欠けると思われ、出来ない事情がある人は困った立場に立たされる
ことになってしまいます。
しかるべき節会など、例えば端午の節会に急ぎ参内しなければ
ならない朝、落ち着いてものを考えるゆとりもないのに、見事な
菖蒲の根に付けて、歌を詠みかけて来たり、重陽の節会で、
何はさて置き、難しい漢詩の趣向を思案して、余裕がない時に、
菊の露にかこつけて嘆きの歌を寄越すといった、その場には
不都合な用事に付き合わされたりすると、何も今でなくても、
と嫌になります。自然と、ほんに後で思うと、しゃれてもいるし、
心にも沁みると感じられることですが、その時には相応しくなく、
目にも入らないということを、察しもせずに歌を贈られると、
却って気が利かないことだと思えてしまいます。
万事につけて、どうしてそんなことを、と思われる場合や時に、
分別もつかないような思慮では、気取ったり、風流ぶったりしない
ほうが無難でしょう。およそ自分がよくわかっていることでも、
知らないように振舞い、言いたいことも、そのうちの一つや二つは
言わないでおくのがよいのです」と言うにつけても、源氏の君は
ただ一人のお方のことを心の中で思い続けておられるのでした。
この左馬頭の結論にまったく過不足のない方でいらっしゃることよ、
と、類まれな藤壺のことを思うと、ますます胸がいっぱいになるのでした。
どこに話が落ち着く、ということもなく、最後にはとりとめもない話に
なって、夜をお明かしになりました。
蒜食いの女
2017年1月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第10回・№1)
1月の例会も今日が最後。来週の今頃はもう2月の例会が
始まっているかと思うと、また一年があっという間に過ぎて
行きそうです(「また」よりも「年々加速度がついて」と言うほうが
よいのかもしれませんが)。
「紫の会・木曜クラス」は、第2月曜クラスと同じ、「雨夜の品定め」
の終盤、頭中将と藤式部丞の体験談を中心に読みました。
第2月曜クラス(2/9)のほうで、頭中将の体験談をご紹介しました
ので、今日は藤式部丞の体験談についてです。
藤式部丞は、ここにいる四人の男性(源氏、頭中将、左馬頭、藤式部丞)
の中では最も身分が低く、体験談も、他の三人に、「嘘だろう?」と、
気味悪がられ、呆れ果てられる話でした。
式部丞がまだ大学寮の文章生だった頃、文章博士(今で言うなら大学教授)
の娘のところに通うようになり、父親の博士は婿になってくれることを望んで
いましたが、式部丞はそこまで本気ではなく、ただ、なまじな博士よりも、
漢学を身につけている女で、式部丞をしっかりサポートしてくれるので、
別れられずにおりました。
久しぶりに女を訪ねると、女はいつもの自室に招じ入れることもせず、
物越しでの対面となりました。不審に思っている式部丞に、女は「持病の
悪化に耐えかねて、蒜(ニンニク)を煎じて飲んでいるので、面と向かっては
お目にかかれませんが、このままでご用件は承ります」と言い放ちます。
慌てて逃げ出そうとした式部丞でしたが、それでも歌の贈答だけはして
別れて来た、というものでした。
今でも、人前に出る時はニンニクを食べるのを控える、というのがエチケット
かとも思いますが、平安貴族社会では、このような女は「鬼と向かい合って
いるほうがまだましだ」と言われるほど、常識外れの、凡そ女性として認めて
貰えない存在だったことがわかります。
「餃子や焼き肉を食べてからデートする女の子だっていますよ」と、この場に
出て行って言ったら、彼らはどんな顔をしたでしょうね。
このあと引き続き、本日の講読個所の後半の全文訳を書きます(前半は1月9日
の№2をご覧ください)。
1月の例会も今日が最後。来週の今頃はもう2月の例会が
始まっているかと思うと、また一年があっという間に過ぎて
行きそうです(「また」よりも「年々加速度がついて」と言うほうが
よいのかもしれませんが)。
「紫の会・木曜クラス」は、第2月曜クラスと同じ、「雨夜の品定め」
の終盤、頭中将と藤式部丞の体験談を中心に読みました。
第2月曜クラス(2/9)のほうで、頭中将の体験談をご紹介しました
ので、今日は藤式部丞の体験談についてです。
藤式部丞は、ここにいる四人の男性(源氏、頭中将、左馬頭、藤式部丞)
の中では最も身分が低く、体験談も、他の三人に、「嘘だろう?」と、
気味悪がられ、呆れ果てられる話でした。
式部丞がまだ大学寮の文章生だった頃、文章博士(今で言うなら大学教授)
の娘のところに通うようになり、父親の博士は婿になってくれることを望んで
いましたが、式部丞はそこまで本気ではなく、ただ、なまじな博士よりも、
漢学を身につけている女で、式部丞をしっかりサポートしてくれるので、
別れられずにおりました。
久しぶりに女を訪ねると、女はいつもの自室に招じ入れることもせず、
物越しでの対面となりました。不審に思っている式部丞に、女は「持病の
悪化に耐えかねて、蒜(ニンニク)を煎じて飲んでいるので、面と向かっては
お目にかかれませんが、このままでご用件は承ります」と言い放ちます。
慌てて逃げ出そうとした式部丞でしたが、それでも歌の贈答だけはして
別れて来た、というものでした。
今でも、人前に出る時はニンニクを食べるのを控える、というのがエチケット
かとも思いますが、平安貴族社会では、このような女は「鬼と向かい合って
いるほうがまだましだ」と言われるほど、常識外れの、凡そ女性として認めて
貰えない存在だったことがわかります。
「餃子や焼き肉を食べてからデートする女の子だっていますよ」と、この場に
出て行って言ったら、彼らはどんな顔をしたでしょうね。
このあと引き続き、本日の講読個所の後半の全文訳を書きます(前半は1月9日
の№2をご覧ください)。
新年会(3)
2017年1月23日(月) 溝の口「湖月会」(第103回)
大寒から立春までのこの時期は、一年のうちで一番寒いのでしょうが、
今日も風の冷たさが、身に沁みました。
「新年会」Part3は、二子玉川の高島屋6Fにあるお豆腐料理の「梅の花」。
最初にセットされていたところをカメラに収めましたが、肝心のお料理に
蓋をしたまま、という不細工な写真になってしまいました
手前の四角い
器の中は、生クリーム入りのお豆腐に柚子味噌がかかっていて、とても
美味しい一品でした。木の蓋の中は、牛すき煮です。

この他にも、名物の「豆腐シュウマイ」や、生麩の揚げ物と田楽など、
沢山のお料理が出て、それらに舌鼓を打ちながら、今日もお喋りと
笑い声の絶えない二時間を過ごし、最後に記念撮影をしました。

二子玉川から電車に乗って溝の口まで移動し、ほぼ予定通りの時刻
に例会を開始しました。
講読箇所は、第2金曜日のクラスと同じ、「若菜下」の最初のほうを
読みました。
唐猫のいたずらで、女三宮の姿を垣間見て以来、柏木は寝ても覚めても
女三宮のことばかりが気になり、とうとう、その唐猫を手に入れ、女三宮の
身代わりに、文字通り「猫かわいがり」をしているのでした。
猫は、奈良時代に、遣唐使船に積んだ経典が、ネズミの被害に遭わない
ために、同船させたことで我が国に運ばれて来た、と伝えられていますが、
平安時代にはペットとして、宮中や貴族の家で飼われていたことが、文学
にもしばしば登場することでわかります。
先日読んだ枕草子の第6段にも、一条天皇の愛猫が人間なら殿上人に
相当する五位の位を授けられ、「命婦のおとど」と呼ばれて大事にされて
いた話が出ていましたし、「更級日記」でも、作者(菅原孝標の女)が姉と
二人で迷い猫を飼っていた話が書かれています。この猫は、粗末な食べ物
には見向きもしない気位の高い猫でしたが、姉の夢の中で「自分は行成の
娘の生まれ変わりだ」と告げたので、二人は大事に飼いながら、いずれ
侍従大納言(行成)にもお知らせしたい、と思っていましたが、自宅の炎上
に巻き込まれて死んでしまいました。
輪廻思想からすれば、人間が猫に生まれ変わるのは、前世からの因縁が
良かったとは言い難いのでしょうが、平安時代にしろ、現代にしろ、人間の
手で、我が子のように大切に育てて貰える猫になら、生まれ変わるのも
悪くなさそうな気がするのですが・・・。
大寒から立春までのこの時期は、一年のうちで一番寒いのでしょうが、
今日も風の冷たさが、身に沁みました。
「新年会」Part3は、二子玉川の高島屋6Fにあるお豆腐料理の「梅の花」。
最初にセットされていたところをカメラに収めましたが、肝心のお料理に
蓋をしたまま、という不細工な写真になってしまいました

器の中は、生クリーム入りのお豆腐に柚子味噌がかかっていて、とても
美味しい一品でした。木の蓋の中は、牛すき煮です。

この他にも、名物の「豆腐シュウマイ」や、生麩の揚げ物と田楽など、
沢山のお料理が出て、それらに舌鼓を打ちながら、今日もお喋りと
笑い声の絶えない二時間を過ごし、最後に記念撮影をしました。

二子玉川から電車に乗って溝の口まで移動し、ほぼ予定通りの時刻
に例会を開始しました。
講読箇所は、第2金曜日のクラスと同じ、「若菜下」の最初のほうを
読みました。
唐猫のいたずらで、女三宮の姿を垣間見て以来、柏木は寝ても覚めても
女三宮のことばかりが気になり、とうとう、その唐猫を手に入れ、女三宮の
身代わりに、文字通り「猫かわいがり」をしているのでした。
猫は、奈良時代に、遣唐使船に積んだ経典が、ネズミの被害に遭わない
ために、同船させたことで我が国に運ばれて来た、と伝えられていますが、
平安時代にはペットとして、宮中や貴族の家で飼われていたことが、文学
にもしばしば登場することでわかります。
先日読んだ枕草子の第6段にも、一条天皇の愛猫が人間なら殿上人に
相当する五位の位を授けられ、「命婦のおとど」と呼ばれて大事にされて
いた話が出ていましたし、「更級日記」でも、作者(菅原孝標の女)が姉と
二人で迷い猫を飼っていた話が書かれています。この猫は、粗末な食べ物
には見向きもしない気位の高い猫でしたが、姉の夢の中で「自分は行成の
娘の生まれ変わりだ」と告げたので、二人は大事に飼いながら、いずれ
侍従大納言(行成)にもお知らせしたい、と思っていましたが、自宅の炎上
に巻き込まれて死んでしまいました。
輪廻思想からすれば、人間が猫に生まれ変わるのは、前世からの因縁が
良かったとは言い難いのでしょうが、平安時代にしろ、現代にしろ、人間の
手で、我が子のように大切に育てて貰える猫になら、生まれ変わるのも
悪くなさそうな気がするのですが・・・。
清少納言の執筆姿勢
2017年1月20日(金) 溝の口「枕草子」(第4回)
今日は大寒。その暦通りの極寒の一日となりましたが、
心配していた雨にも雪にも降られることなく、携帯していた
傘の出番もないまま帰宅しました。
「枕草子」も4回目となり、皆さまもだんだん「清少納言ワールド」
に慣れてこられたのではないでしょうか。
今回は第5段「大進生昌が家に」の途中から、第6段「上にさぶらふ
御猫は」、第7段「正月一日、三月三日は」までを読みました。
第5段は、中宮定子が出産に備え、大進(中宮職の次官)である
生昌の邸にお移りになった時の話です。
生昌は、清少納言に「門」のことでやり込められ、夜、彼女の
寝所にやって来て、また、散々笑い者にされました。その後も
言葉の訛りを笑われ、兄の自慢をしては笑われ、ぶざまな事
この上ない生昌ですが、それをおおらかに優しく取りなす中宮さま
の姿を「いとめでたし」(たいそうご立派でいらっしゃいました)と
称賛して、作者はこの段を閉じています。
実はこの話の三年前、長徳2年(996年)10月に、中宮らの母・貴子が
危篤に陥り、兄の伊周にしきりに会いたがったため、伊周は仮の配所
であった播磨を抜け出し、中宮御所に潜伏していたのを、道長に密告
したのが生昌でした。それによって、伊周は母の死に目にも会えず、
大宰府に護送されました。ですから、清少納言たちにとって、生昌は
許し難い人物だったのでしょう。、むろん中宮さまとて同じ気持ちだった
でしょうが、父を失い、実家も焼失、兄弟も罪人となったこの時の定子には、
生昌を頼るしかなかったのです。
しかし、清少納言は「枕草子」で、そうした中宮さまの不幸な境遇には
一切触れていません。それが彼女の一貫した執筆姿勢であり、
「中の関白家」、とりわけ中宮定子を敬愛して止まなかった清少納言の
意地の見せ所だった気がいたします。
第5段も、田舎者の無粋な生昌を、清少納言が、からかい、いたぶって
面白がっているかのように見えますが、こうした歴史的背景を踏まえて
読むと、印象はまた違ったものになるのではないかと思います。
「枕草子」の講読会の後、有志の方々とご一緒に只今「出光美術館」
で開催中の「岩佐又兵衛と源氏絵」を見に行きました。
混雑もなく、ゆっくりと一つ一つの絵を鑑賞して、ちょうど良い時間(18時)
から始まった学芸員の方による作品解説を聴くことが出来ました。
岩佐又兵衛の絵は数ある「源氏絵」の中でも、独特の画風で目が引かれる
のですが、学芸員の方の「又兵衛は、源氏物語を700年前の世界の作品と
して捉えず、その時代に引きずり降ろして描いたことによって、それまでの
源氏絵とは一線を画したものを生み出した」という説明を伺い、とても納得
できました。
源氏物語ファンなら必見のこの展覧会、会期は2月5日迄です。
今日は大寒。その暦通りの極寒の一日となりましたが、
心配していた雨にも雪にも降られることなく、携帯していた
傘の出番もないまま帰宅しました。
「枕草子」も4回目となり、皆さまもだんだん「清少納言ワールド」
に慣れてこられたのではないでしょうか。
今回は第5段「大進生昌が家に」の途中から、第6段「上にさぶらふ
御猫は」、第7段「正月一日、三月三日は」までを読みました。
第5段は、中宮定子が出産に備え、大進(中宮職の次官)である
生昌の邸にお移りになった時の話です。
生昌は、清少納言に「門」のことでやり込められ、夜、彼女の
寝所にやって来て、また、散々笑い者にされました。その後も
言葉の訛りを笑われ、兄の自慢をしては笑われ、ぶざまな事
この上ない生昌ですが、それをおおらかに優しく取りなす中宮さま
の姿を「いとめでたし」(たいそうご立派でいらっしゃいました)と
称賛して、作者はこの段を閉じています。
実はこの話の三年前、長徳2年(996年)10月に、中宮らの母・貴子が
危篤に陥り、兄の伊周にしきりに会いたがったため、伊周は仮の配所
であった播磨を抜け出し、中宮御所に潜伏していたのを、道長に密告
したのが生昌でした。それによって、伊周は母の死に目にも会えず、
大宰府に護送されました。ですから、清少納言たちにとって、生昌は
許し難い人物だったのでしょう。、むろん中宮さまとて同じ気持ちだった
でしょうが、父を失い、実家も焼失、兄弟も罪人となったこの時の定子には、
生昌を頼るしかなかったのです。
しかし、清少納言は「枕草子」で、そうした中宮さまの不幸な境遇には
一切触れていません。それが彼女の一貫した執筆姿勢であり、
「中の関白家」、とりわけ中宮定子を敬愛して止まなかった清少納言の
意地の見せ所だった気がいたします。
第5段も、田舎者の無粋な生昌を、清少納言が、からかい、いたぶって
面白がっているかのように見えますが、こうした歴史的背景を踏まえて
読むと、印象はまた違ったものになるのではないかと思います。
「枕草子」の講読会の後、有志の方々とご一緒に只今「出光美術館」
で開催中の「岩佐又兵衛と源氏絵」を見に行きました。
混雑もなく、ゆっくりと一つ一つの絵を鑑賞して、ちょうど良い時間(18時)
から始まった学芸員の方による作品解説を聴くことが出来ました。
岩佐又兵衛の絵は数ある「源氏絵」の中でも、独特の画風で目が引かれる
のですが、学芸員の方の「又兵衛は、源氏物語を700年前の世界の作品と
して捉えず、その時代に引きずり降ろして描いたことによって、それまでの
源氏絵とは一線を画したものを生み出した」という説明を伺い、とても納得
できました。
源氏物語ファンなら必見のこの展覧会、会期は2月5日迄です。
新年会(2)
2017年1月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算185回 統合39回)
今日もお天気に恵まれ、心地良い日差しを浴びながら、
いそいそと、新年会の会場の「やよい鮨」へ向かいました。
昨年は、カメラを持参しながら、お寿司を見た途端、食い気が
先に飛び出して、「あっ、写真!」と思い出した時は後の祭り
でしたので、今年は心して、カメラに収めました。

ここのお寿司は毎年本当に美味しい!
先日の溝の口の新年会もそうでしたが、楽しい二時間は
あっという間に過ぎ、同じように今日の記念撮影をして、
「六会日大前」から小田急線で一駅、湘南台の講読会
会場へと向かいました。

楽しかったですね!!
お腹いっぱいの幸せ気分がまだ抜けないところで、2017年
最初の湘南台クラスの例会開始となりました。
前回より第三部に入って、今回は第42帖「匂兵部卿」の巻から
第43帖「紅梅」の巻に掛けて読みました。
「匂兵部卿」の巻は、光源氏亡き後の、源氏の子孫たちを
語る巻で、表向きは源氏の次男とされている(実父は柏木)
薫と、源氏の孫に当たる匂宮が紹介され、彼らが次の物語
の担い手となって行く前書きのような役割を果たしています。
続く「紅梅」の巻では、源氏の従兄弟であり、義兄弟であり、
親友であり、かつライバルでもあった故致仕大臣家のその後を
伝えています。当主となるはずの長男・柏木が女三宮への恋に
身を滅ぼし、早世してしまいましたので、今の当主は次男の
按察使大納言です。北の方は、あの真木柱で、この一家の
家族構成が語られているところまでを、今日は読みました。
来月は、「紅梅」の巻の残りと、「竹河」の巻の途中まで読み
進める予定です。
春爛漫となる頃には、このクラスも「宇治十帖」に入って行く
ことになろうかと思います。
今日もお天気に恵まれ、心地良い日差しを浴びながら、
いそいそと、新年会の会場の「やよい鮨」へ向かいました。
昨年は、カメラを持参しながら、お寿司を見た途端、食い気が
先に飛び出して、「あっ、写真!」と思い出した時は後の祭り
でしたので、今年は心して、カメラに収めました。

ここのお寿司は毎年本当に美味しい!
先日の溝の口の新年会もそうでしたが、楽しい二時間は
あっという間に過ぎ、同じように今日の記念撮影をして、
「六会日大前」から小田急線で一駅、湘南台の講読会
会場へと向かいました。

楽しかったですね!!
お腹いっぱいの幸せ気分がまだ抜けないところで、2017年
最初の湘南台クラスの例会開始となりました。
前回より第三部に入って、今回は第42帖「匂兵部卿」の巻から
第43帖「紅梅」の巻に掛けて読みました。
「匂兵部卿」の巻は、光源氏亡き後の、源氏の子孫たちを
語る巻で、表向きは源氏の次男とされている(実父は柏木)
薫と、源氏の孫に当たる匂宮が紹介され、彼らが次の物語
の担い手となって行く前書きのような役割を果たしています。
続く「紅梅」の巻では、源氏の従兄弟であり、義兄弟であり、
親友であり、かつライバルでもあった故致仕大臣家のその後を
伝えています。当主となるはずの長男・柏木が女三宮への恋に
身を滅ぼし、早世してしまいましたので、今の当主は次男の
按察使大納言です。北の方は、あの真木柱で、この一家の
家族構成が語られているところまでを、今日は読みました。
来月は、「紅梅」の巻の残りと、「竹河」の巻の途中まで読み
進める予定です。
春爛漫となる頃には、このクラスも「宇治十帖」に入って行く
ことになろうかと思います。
ちょっとだけ古典文法(7)
2017年1月17日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(統合60回 通算110回)
土、日、月と三日間、凍えるような寒さが続きましたが、今日はそれも
幾分緩んで、外出するには助かりました。
古典文法の7回目は、動詞を「ず」に付けた時(=未然形にした時)、
「ず」の直前の母音が「e」になる動詞のうちの二つ目、下一段活用の
動詞です(一つ目は下二段活用)。
下一段活用の動詞は「蹴る」の一語だけです。実際に活用させても、
首を傾げたくなるような活用なので、「蹴る」はこう活用するのだ、と
覚えておくしかありません。
下一段活用ですから、(5)の上一段活用とは「ウ」の段を挟んで、
上下対象になります。上一段活用が「イ・イ・イル・イル・イレ・イヨ」
でしたから、下一段活用は「エ・エ・エル・エル・エレ・エヨ」と、「エ」の
一段だけで活用することになります。上一段活用を覚えていれば、
「イ」のところを「エ」に入れ替えるだけでも大丈夫です。
ただ、下一段活用の動詞は「蹴る」の一語しかありませんから、
子音の「k」が付いて、「ケ・ケ・ケル・ケル・ケレ・ケヨ」というカ行の
活用のみです。ですから、もう「ケ・ケ・ケル・ケル・ケレ・ケヨ」と
覚えてしまうほうがよいでしょう。
動詞 未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
蹴る け け ける ける けれ けよ
今回の文法は、これだけです。
「源氏物語」の講読のほうは、明石の姫君のお嫁入り道具の一つとして、
最上のお香を持参させるため、六条院の女君や朝顔の君に依頼して
作って頂いたお香や、源氏自身も調合したお香を、来合わせた源氏の
弟の兵部卿の宮に選定してしてもらうところから、明石の姫君の裳着の
場面までを読みました(第32帖「梅枝」の巻)。
この「裳着」という盛儀にも、その身分の低さ故に参列が許されなかった
のが、生母の明石の上です。本文には明石の上の気持ちは記されて
いませんが、どれほど口惜しかったことでしょう。
2015年12月1日、2016年7月20日の記事にも書きましたように、六条院に
おいて、ずっと源氏の他の夫人たちよりも軽んじられて来たのが明石の上
です。
でも、明石の上が、そう遠くない将来、自分の立場に優越感を抱くことが
出来るようになるとは、彼女自身もまだこの時、知る由もなかったのでした。
土、日、月と三日間、凍えるような寒さが続きましたが、今日はそれも
幾分緩んで、外出するには助かりました。
古典文法の7回目は、動詞を「ず」に付けた時(=未然形にした時)、
「ず」の直前の母音が「e」になる動詞のうちの二つ目、下一段活用の
動詞です(一つ目は下二段活用)。
下一段活用の動詞は「蹴る」の一語だけです。実際に活用させても、
首を傾げたくなるような活用なので、「蹴る」はこう活用するのだ、と
覚えておくしかありません。
下一段活用ですから、(5)の上一段活用とは「ウ」の段を挟んで、
上下対象になります。上一段活用が「イ・イ・イル・イル・イレ・イヨ」
でしたから、下一段活用は「エ・エ・エル・エル・エレ・エヨ」と、「エ」の
一段だけで活用することになります。上一段活用を覚えていれば、
「イ」のところを「エ」に入れ替えるだけでも大丈夫です。
ただ、下一段活用の動詞は「蹴る」の一語しかありませんから、
子音の「k」が付いて、「ケ・ケ・ケル・ケル・ケレ・ケヨ」というカ行の
活用のみです。ですから、もう「ケ・ケ・ケル・ケル・ケレ・ケヨ」と
覚えてしまうほうがよいでしょう。
動詞 未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
蹴る け け ける ける けれ けよ
今回の文法は、これだけです。
「源氏物語」の講読のほうは、明石の姫君のお嫁入り道具の一つとして、
最上のお香を持参させるため、六条院の女君や朝顔の君に依頼して
作って頂いたお香や、源氏自身も調合したお香を、来合わせた源氏の
弟の兵部卿の宮に選定してしてもらうところから、明石の姫君の裳着の
場面までを読みました(第32帖「梅枝」の巻)。
この「裳着」という盛儀にも、その身分の低さ故に参列が許されなかった
のが、生母の明石の上です。本文には明石の上の気持ちは記されて
いませんが、どれほど口惜しかったことでしょう。
2015年12月1日、2016年7月20日の記事にも書きましたように、六条院に
おいて、ずっと源氏の他の夫人たちよりも軽んじられて来たのが明石の上
です。
でも、明石の上が、そう遠くない将来、自分の立場に優越感を抱くことが
出来るようになるとは、彼女自身もまだこの時、知る由もなかったのでした。
新年会(1)
2017年1月13日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第103回)
明日からは寒波がやってくるとのことですが、今日は風もなく、
青空が広がって、この時期としては過ごし易い一日となりました。
新年最初の例会ということで、溝の口の第2金曜クラス「源氏物語を
読む会」は、講読会の前に、恒例のお食事会をいたしました。
このクラスは只今会員数30名、他の「源氏物語」の講読会の2~3倍の
人数ですので、新年会が出来る会場を探すだけでも大変だと思うの
ですが、毎年、代表者の方が気の利いたお店を見つけてくださって、
新年会が開催されています。
今年のお店は、溝の口駅から5~6分歩いたところにあるフレンチ
レストラン。ここには、このフレンチのお店だけではなく、イタリアンや
ドイツ料理のお店など、レストランが立ち並んでいるのですが、
小高い丘を背にした一角で、ビル街とは異なり、いい雰囲気です。
店名は「La Porte(ラ・ポルテ)」。貸切で、全9種類のお料理が供され
ました。今日は、前の席に座った方が、写真の取り忘れがないよう、
促してくださったので、すべてカメラに収めることが出来たのですが、
そうなると、どれをここにUPしようかと迷いました。
「大皿 お取り分けプラン」ということで、殆どのお料理は3人前が
一皿に盛られて出て来ましたが、最初の「キャベツのヴァヴァロア」
は、一人前ずつになっていて、如何にもフレンチらしいおしゃれ感も
十分でしたので、それをご覧いただくことにしました。

キャペツの香りがほんのりとする上品な一品

楽しい二時間を過ごした後、外で記念撮影
で、これで今日はおしまい、としたいところでしたが、そうはまいりません。
この後、いつも通り二時間半、「源氏物語」を読みました。
前回、女三宮を垣間見て以来、その姿が脳裏に焼き付いて、柏木が
恋の虜になってしまった、という「若菜上」の最後と、そのまま話が続いて
いる「若菜下」の冒頭部分を読みましたが、今回は柏木が、女三宮の
身代わりに例の唐猫を手に入れ、異常なまでの可愛がり方をしている
というところと、ちょっと話が逸れて、真木柱の不幸な結婚が語られて
いるところを読みました。
ここで話は一旦途切れ、次は四年の空白期間を置いたところから物語が
始まります。
明日からは寒波がやってくるとのことですが、今日は風もなく、
青空が広がって、この時期としては過ごし易い一日となりました。
新年最初の例会ということで、溝の口の第2金曜クラス「源氏物語を
読む会」は、講読会の前に、恒例のお食事会をいたしました。
このクラスは只今会員数30名、他の「源氏物語」の講読会の2~3倍の
人数ですので、新年会が出来る会場を探すだけでも大変だと思うの
ですが、毎年、代表者の方が気の利いたお店を見つけてくださって、
新年会が開催されています。
今年のお店は、溝の口駅から5~6分歩いたところにあるフレンチ
レストラン。ここには、このフレンチのお店だけではなく、イタリアンや
ドイツ料理のお店など、レストランが立ち並んでいるのですが、
小高い丘を背にした一角で、ビル街とは異なり、いい雰囲気です。
店名は「La Porte(ラ・ポルテ)」。貸切で、全9種類のお料理が供され
ました。今日は、前の席に座った方が、写真の取り忘れがないよう、
促してくださったので、すべてカメラに収めることが出来たのですが、
そうなると、どれをここにUPしようかと迷いました。
「大皿 お取り分けプラン」ということで、殆どのお料理は3人前が
一皿に盛られて出て来ましたが、最初の「キャベツのヴァヴァロア」
は、一人前ずつになっていて、如何にもフレンチらしいおしゃれ感も
十分でしたので、それをご覧いただくことにしました。

キャペツの香りがほんのりとする上品な一品

楽しい二時間を過ごした後、外で記念撮影
で、これで今日はおしまい、としたいところでしたが、そうはまいりません。
この後、いつも通り二時間半、「源氏物語」を読みました。
前回、女三宮を垣間見て以来、その姿が脳裏に焼き付いて、柏木が
恋の虜になってしまった、という「若菜上」の最後と、そのまま話が続いて
いる「若菜下」の冒頭部分を読みましたが、今回は柏木が、女三宮の
身代わりに例の唐猫を手に入れ、異常なまでの可愛がり方をしている
というところと、ちょっと話が逸れて、真木柱の不幸な結婚が語られて
いるところを読みました。
ここで話は一旦途切れ、次は四年の空白期間を置いたところから物語が
始まります。
第二帖「帚木」の巻・全文訳(7)
2017年1月9日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第10回・№2)
本日読みました「帚木」の巻(71頁・7行目~80頁・9行目まで)の
前半に当たる部分(71頁・7行目~75頁・1行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
頭中将は「私は愚か者の話をしましょう」と言って、「たいそう忍んで通う
ようになった女が、そうした関係を続けてもよいと思われる女でしたので、
まあ、ずっと長続きするとも考えてはおりませんでしたが、馴れて行くに
つれて、いとおしさも湧いてまいりまして、途絶えがちながらも、見捨て
難い者と思っておりましたところ、そうなりますと、相手も私を頼りにする
様子も窺えました。
こんなに訪れが間遠では、私を恨めしく思っているだろう、と我ながら
気が引けることもありましたが、女は何気ない様子で、久しく訪れが
なくても、こんなにたまにしか来てくれない人、とよそよそしい態度で
接することもなく、夜毎訪れてくる男を扱うような様子に見えましたので、
いじらしくて、末永く私を頼りにするように、などと言ったりもしたものです。
女には親もなく、とても心細そうで、それならこの人こそ生涯の夫、と
何かにつけて思っているふうなのも、可憐でした。こんなにおっとりと
しているのに安心して、ずっと通って行かなくなっていた頃、私の妻の所
から、思い遣りのないひどいことを、伝手を使って、それとなく言わせた、
というのを、私は後になって知ったのでした。
そんな嫌がらせを受けたとも知らず、忘れてはいなかったのですが、
便りなどもせず、長く放っておいたところ、女はすっかり悲観して、
心細かったと見え、幼い子もおりましたので、悩んだ挙句、撫子の花を
折って寄こしました」と言って、涙ぐみました。
源氏の君が「それで、その手紙に書かれていた言葉は?」とお訊きに
なりますと、「いや、格別のことも書かれてはいませんでしたよ
『山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露』
(賤しい家の垣根は荒れてしまっても、時折はこの子のことを
可愛がってやってくださいませ)
この手紙をもらって思い出したので、女の所に行ってみると、いつもの
ようにこだわりのない態度ながら、たいそう物思いに沈んだ面持ちで、
荒れた庭先に露がしとどに置いているのを眺めて、虫の音と競うかの
ように泣いている様子は、昔物語の一場面を見ているような気がいたし
ました。
『咲きまじる色は何れとわかねどもなほ常夏にしくものぞなき』
(いろいろと咲いている花はどれも美しくて区別がつかないけれど、
やはり常夏の花が一番だ)
娘のことは差し置いて、先ず、あなたのところへもっと足繁く通ってきます
から、などと、親である女のご機嫌を取りました。女は、、
『うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり』
(塵を払う私の袖も露に濡れておりますが、その常夏に嵐までもが
吹きつける秋がやってまいりました)
と、さりげなくかわして、本気で恨んでいるといった素振りも見せず、
そっと涙をこぼしても、とても恥ずかしそうに、遠慮がちに取り繕い隠して、
あなたの薄情さを思い知りました、という心中を悟られるのはとても辛い
ことだと思っている様子だったので、気楽に考えて、また足が遠のいて
おりますうちに、跡形もなく行方をくらましてしまいました。
あの母娘がまだこの世に生きているなら、哀れにも落ちぶれてしまって
いることでしょう。私が愛しく思っていた頃に、女がもっとうるさいほど
纏わりついていてくれたなら、こんなふうに、行方知れずにしてしまうこと
もなかったでしょう。ひどい途絶えなど置かず、通い所の一人として、
長く夫婦の関係を続けられたでしょうに。あの娘が可愛らしかったので、
何とか捜し出したいと思っていますが、いまだに手がかりも掴めていません。
この女こそ、あなた(左馬頭)がおっしゃった頼りない女の一例であり
ましょう。女が内心辛いと思っていることにも気づかず、愛しいと思い
続けていたのも無駄な私の片思いだったのですねぇ。今、段々とこちらが
忘れる頃になって、女のほうは私のことを思い切れずに、離れて行った
のは自らが選んだことではあるけれども、時折胸を焦がしている夕べも
あろうかと存じます。これこそが長続きしそうにない、頼りないタイプの女
でした。
こんなことですから、あの口やかまし屋も、思い出される女として忘れ難くは
ありましょうが、一緒に暮らすには煙ったくて、下手をすると嫌気がさして
しまうことになるでしょうよ。琴を派手に弾いた女の才気も、浮気性の罪は
重いでしょう。今私が話した頼りない女も、失踪の陰に男がいたと疑えば
疑えることですし、どういう女がいいか、結局はわからなくなってしまうの
ですよ。
男女の仲というものは、全くこんな風に、それぞれで、いずれも厄介なもの
なのでしょう。この様々な女のいい所だけを身に備えて、非難すべき点が
少しもない女なんて、どこにいるのでしょう。そんな吉祥天女を妻にと思うと、
抹香臭くて、堅苦しいのがまた困りものにちがいありません」と言って、皆で
笑ったのでした。
本日読みました「帚木」の巻(71頁・7行目~80頁・9行目まで)の
前半に当たる部分(71頁・7行目~75頁・1行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
頭中将は「私は愚か者の話をしましょう」と言って、「たいそう忍んで通う
ようになった女が、そうした関係を続けてもよいと思われる女でしたので、
まあ、ずっと長続きするとも考えてはおりませんでしたが、馴れて行くに
つれて、いとおしさも湧いてまいりまして、途絶えがちながらも、見捨て
難い者と思っておりましたところ、そうなりますと、相手も私を頼りにする
様子も窺えました。
こんなに訪れが間遠では、私を恨めしく思っているだろう、と我ながら
気が引けることもありましたが、女は何気ない様子で、久しく訪れが
なくても、こんなにたまにしか来てくれない人、とよそよそしい態度で
接することもなく、夜毎訪れてくる男を扱うような様子に見えましたので、
いじらしくて、末永く私を頼りにするように、などと言ったりもしたものです。
女には親もなく、とても心細そうで、それならこの人こそ生涯の夫、と
何かにつけて思っているふうなのも、可憐でした。こんなにおっとりと
しているのに安心して、ずっと通って行かなくなっていた頃、私の妻の所
から、思い遣りのないひどいことを、伝手を使って、それとなく言わせた、
というのを、私は後になって知ったのでした。
そんな嫌がらせを受けたとも知らず、忘れてはいなかったのですが、
便りなどもせず、長く放っておいたところ、女はすっかり悲観して、
心細かったと見え、幼い子もおりましたので、悩んだ挙句、撫子の花を
折って寄こしました」と言って、涙ぐみました。
源氏の君が「それで、その手紙に書かれていた言葉は?」とお訊きに
なりますと、「いや、格別のことも書かれてはいませんでしたよ
『山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露』
(賤しい家の垣根は荒れてしまっても、時折はこの子のことを
可愛がってやってくださいませ)
この手紙をもらって思い出したので、女の所に行ってみると、いつもの
ようにこだわりのない態度ながら、たいそう物思いに沈んだ面持ちで、
荒れた庭先に露がしとどに置いているのを眺めて、虫の音と競うかの
ように泣いている様子は、昔物語の一場面を見ているような気がいたし
ました。
『咲きまじる色は何れとわかねどもなほ常夏にしくものぞなき』
(いろいろと咲いている花はどれも美しくて区別がつかないけれど、
やはり常夏の花が一番だ)
娘のことは差し置いて、先ず、あなたのところへもっと足繁く通ってきます
から、などと、親である女のご機嫌を取りました。女は、、
『うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり』
(塵を払う私の袖も露に濡れておりますが、その常夏に嵐までもが
吹きつける秋がやってまいりました)
と、さりげなくかわして、本気で恨んでいるといった素振りも見せず、
そっと涙をこぼしても、とても恥ずかしそうに、遠慮がちに取り繕い隠して、
あなたの薄情さを思い知りました、という心中を悟られるのはとても辛い
ことだと思っている様子だったので、気楽に考えて、また足が遠のいて
おりますうちに、跡形もなく行方をくらましてしまいました。
あの母娘がまだこの世に生きているなら、哀れにも落ちぶれてしまって
いることでしょう。私が愛しく思っていた頃に、女がもっとうるさいほど
纏わりついていてくれたなら、こんなふうに、行方知れずにしてしまうこと
もなかったでしょう。ひどい途絶えなど置かず、通い所の一人として、
長く夫婦の関係を続けられたでしょうに。あの娘が可愛らしかったので、
何とか捜し出したいと思っていますが、いまだに手がかりも掴めていません。
この女こそ、あなた(左馬頭)がおっしゃった頼りない女の一例であり
ましょう。女が内心辛いと思っていることにも気づかず、愛しいと思い
続けていたのも無駄な私の片思いだったのですねぇ。今、段々とこちらが
忘れる頃になって、女のほうは私のことを思い切れずに、離れて行った
のは自らが選んだことではあるけれども、時折胸を焦がしている夕べも
あろうかと存じます。これこそが長続きしそうにない、頼りないタイプの女
でした。
こんなことですから、あの口やかまし屋も、思い出される女として忘れ難くは
ありましょうが、一緒に暮らすには煙ったくて、下手をすると嫌気がさして
しまうことになるでしょうよ。琴を派手に弾いた女の才気も、浮気性の罪は
重いでしょう。今私が話した頼りない女も、失踪の陰に男がいたと疑えば
疑えることですし、どういう女がいいか、結局はわからなくなってしまうの
ですよ。
男女の仲というものは、全くこんな風に、それぞれで、いずれも厄介なもの
なのでしょう。この様々な女のいい所だけを身に備えて、非難すべき点が
少しもない女なんて、どこにいるのでしょう。そんな吉祥天女を妻にと思うと、
抹香臭くて、堅苦しいのがまた困りものにちがいありません」と言って、皆で
笑ったのでした。
常夏の女
2017年1月9日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第10回・№1)
昨夜来の風雨も収まり、気温も幾分上がって、今日は良い「成人の日」と
なりました。電車の中で、振り袖に着飾ったお嬢さんたちを見かけると、
これからの大人としての人生にエールを送りたくなりました。
祝日の例会でしたので、お休みの方も多かったのですが、「帚木」の巻の
前半に当たる「雨夜の品定め」の、終盤を読みました。
頭中将と藤式部丞の二人の体験談が中心となっているのですが、今回は
頭中将の体験談について書き、26日のほうで、藤式部丞の体験談について
書くことにいたします。
頭中将がこっそりと通い始めた女は、可憐で、おっとりと従順で、途絶えがち
であっても恨み言の一つも言わない、男にとってはまことに好都合な女でした。
二人の間には可愛い女の子も生まれており、頭中将も次第に愛情を感じる
ようになっていましたが、女の存在を知った本妻(右大臣家の四の君)方から
嫌がらせがあって、しかも頻繁に頭中将が通って来てはくれない心細さも手伝い、
「子供のことは気にかけてくださいな」と、撫子の花に付けた歌を詠んで来ました。
それで行ってみると、女は別に何かを訴えるわけでもなく、目の前で泣いて
見せるわけでもないので、頭中将は安心して、またしばらく音沙汰なく過ごして
いるうちに、女は幼い娘と共に忽然と姿を消してしまいました。未だに二人の
消息は掴めず、路頭に迷っているのではないかと気掛かりなものの、末長く
連れ添うには、余りにも頼りない女だった、と、頭中将は述懐します。
この常夏(撫子の異名)の女が「夕顔」で、幼い娘がのちの「玉鬘」です。
ですから、頭中将の体験談は、他の体験談とは比べ物にならない深い
意味を持っていたことに、読者は後になって気付かされるのです。
このあと、いつものように、引き続き、本日の講読個所の前半の全文訳を
書きます(後半は26日に)。
昨夜来の風雨も収まり、気温も幾分上がって、今日は良い「成人の日」と
なりました。電車の中で、振り袖に着飾ったお嬢さんたちを見かけると、
これからの大人としての人生にエールを送りたくなりました。
祝日の例会でしたので、お休みの方も多かったのですが、「帚木」の巻の
前半に当たる「雨夜の品定め」の、終盤を読みました。
頭中将と藤式部丞の二人の体験談が中心となっているのですが、今回は
頭中将の体験談について書き、26日のほうで、藤式部丞の体験談について
書くことにいたします。
頭中将がこっそりと通い始めた女は、可憐で、おっとりと従順で、途絶えがち
であっても恨み言の一つも言わない、男にとってはまことに好都合な女でした。
二人の間には可愛い女の子も生まれており、頭中将も次第に愛情を感じる
ようになっていましたが、女の存在を知った本妻(右大臣家の四の君)方から
嫌がらせがあって、しかも頻繁に頭中将が通って来てはくれない心細さも手伝い、
「子供のことは気にかけてくださいな」と、撫子の花に付けた歌を詠んで来ました。
それで行ってみると、女は別に何かを訴えるわけでもなく、目の前で泣いて
見せるわけでもないので、頭中将は安心して、またしばらく音沙汰なく過ごして
いるうちに、女は幼い娘と共に忽然と姿を消してしまいました。未だに二人の
消息は掴めず、路頭に迷っているのではないかと気掛かりなものの、末長く
連れ添うには、余りにも頼りない女だった、と、頭中将は述懐します。
この常夏(撫子の異名)の女が「夕顔」で、幼い娘がのちの「玉鬘」です。
ですから、頭中将の体験談は、他の体験談とは比べ物にならない深い
意味を持っていたことに、読者は後になって気付かされるのです。
このあと、いつものように、引き続き、本日の講読個所の前半の全文訳を
書きます(後半は26日に)。
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