幸運な人の代名詞「明石の尼君」
2017年2月27日(月) 溝の口「湖月会」(第104回)
今日はまたダウンコートがちょうどいい寒さとなりました。
春が定着するまでには、まだもう少し時を要するようですね。
田園都市線が人身事故で、振り替え輸送で、登戸経由にして
溝の口へ。でも、結果的には、運転再開を待っておられた方
のほうが、先に着いていらっしゃいました。このあたりの判断、
難しいんですよね。
そんな訳で、15分遅れの開始となりましたが、2/10の金曜クラスと
同じ「若菜下」の、御代替わりから、源氏が朱雀院の「五十の賀」の
準備を始めるところまでを読みました。
10日のブログでは、紫の上の生涯における行動範囲がどんなに
狭かったか、ということに触れましたが、それに比べると、京に生まれ、
一度は明石で骨を埋める覚悟をしながら、また京に戻って来た明石の
尼君の行動範囲は、平安時代の上流貴族の姫君としてはかなり広範囲
に渡ると言ってもよかろうと思われます。
「松風」の巻で、明石の上が明石から上京して住むことになった大井の
山荘は、明石の上の母である尼君が、祖父の中務宮から伝領したものと
ありますので、この尼君は、宮家、即ち皇族の血を引く高貴な家柄の
姫君だったことがわかります。夫となった明石の入道も、大臣家の子息。
名家同士の結婚だったはずなのです。
ところが、夫が奇人変人の類で、人付き合いが悪く、とうとう自ら受領に
身を落とし、播磨の国へと下ることになったので、尼君も一緒に明石で
暮らす破目になりました。やがて生まれた娘もその地で成人し、尼君の
中では、もう二度と京の地を踏むことはないと思っていたでありましょう。
思い掛けなく明石に源氏が住まうこととなり、やがて娘(明石の上)と
結ばれ、明石の上が身籠っている時に源氏は都に召還されました。
源氏の強い希望により、明石の上と生まれた女児が上京することに
なり、尼君もそれに付き添って、再び京の地を踏むことになったのです。
明石の姫君は東宮に入内し、今日読みましたところで、その東宮が
即位し、今上帝となりました。すでに二人の間に誕生している皇子が
新東宮となり、明石一族の繁栄は揺るぎないものとなりました。
長生きをして(この時70歳か71歳、今なら90歳位の感覚でしょうか)、
このような幸運に巡り合うことが出来た尼君は、世の人から、幸い人
の例として挙げられるようになりました。以前は双六の相手の賽の目が
小さく出るように「小賽、小賽」と呪文を唱えていた近江の君が、
今では自分にツキが回って来るように、「明石の尼君、明石の尼君」
と唱えている、と書かれて、この明石一族の話は、幕を下ろしています。
当時の高貴な姫君としては、波瀾万丈の部類に入るであろう人生を
送った一人の女性の、幸せな晩年を伝えていますが、そんな尼君が
人知れず恋しく思い出しているのは、、あの偏屈な夫と共に過ごした
明石での日々だったのです。
今日はまたダウンコートがちょうどいい寒さとなりました。
春が定着するまでには、まだもう少し時を要するようですね。
田園都市線が人身事故で、振り替え輸送で、登戸経由にして
溝の口へ。でも、結果的には、運転再開を待っておられた方
のほうが、先に着いていらっしゃいました。このあたりの判断、
難しいんですよね。
そんな訳で、15分遅れの開始となりましたが、2/10の金曜クラスと
同じ「若菜下」の、御代替わりから、源氏が朱雀院の「五十の賀」の
準備を始めるところまでを読みました。
10日のブログでは、紫の上の生涯における行動範囲がどんなに
狭かったか、ということに触れましたが、それに比べると、京に生まれ、
一度は明石で骨を埋める覚悟をしながら、また京に戻って来た明石の
尼君の行動範囲は、平安時代の上流貴族の姫君としてはかなり広範囲
に渡ると言ってもよかろうと思われます。
「松風」の巻で、明石の上が明石から上京して住むことになった大井の
山荘は、明石の上の母である尼君が、祖父の中務宮から伝領したものと
ありますので、この尼君は、宮家、即ち皇族の血を引く高貴な家柄の
姫君だったことがわかります。夫となった明石の入道も、大臣家の子息。
名家同士の結婚だったはずなのです。
ところが、夫が奇人変人の類で、人付き合いが悪く、とうとう自ら受領に
身を落とし、播磨の国へと下ることになったので、尼君も一緒に明石で
暮らす破目になりました。やがて生まれた娘もその地で成人し、尼君の
中では、もう二度と京の地を踏むことはないと思っていたでありましょう。
思い掛けなく明石に源氏が住まうこととなり、やがて娘(明石の上)と
結ばれ、明石の上が身籠っている時に源氏は都に召還されました。
源氏の強い希望により、明石の上と生まれた女児が上京することに
なり、尼君もそれに付き添って、再び京の地を踏むことになったのです。
明石の姫君は東宮に入内し、今日読みましたところで、その東宮が
即位し、今上帝となりました。すでに二人の間に誕生している皇子が
新東宮となり、明石一族の繁栄は揺るぎないものとなりました。
長生きをして(この時70歳か71歳、今なら90歳位の感覚でしょうか)、
このような幸運に巡り合うことが出来た尼君は、世の人から、幸い人
の例として挙げられるようになりました。以前は双六の相手の賽の目が
小さく出るように「小賽、小賽」と呪文を唱えていた近江の君が、
今では自分にツキが回って来るように、「明石の尼君、明石の尼君」
と唱えている、と書かれて、この明石一族の話は、幕を下ろしています。
当時の高貴な姫君としては、波瀾万丈の部類に入るであろう人生を
送った一人の女性の、幸せな晩年を伝えていますが、そんな尼君が
人知れず恋しく思い出しているのは、、あの偏屈な夫と共に過ごした
明石での日々だったのです。
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「連歌の会」の親睦会
2017年2月26日(日)
ふとしたきっかけで、高校同期の仲間たちで始めた「連歌の会」。
定期的に一か所に集まって句を付け合う、というものではなく、
パソコンのメール上で、句を繋いで行くのですが、もう8年続いて
います。
仲間内に俳人の方がいらっしゃるので、その方を「宗匠」とお呼びして、
必要最低限(?)のルールを教えて戴きながら、今は、順番を決めて
付け句をして行く「膝送り」と、順番など無く、付けたい人が付け句を
する「出勝ち」とを、交互にゆったりとしたペースで進めています。
以前は、毎年親睦会も開かれていましたが、去年は無く、その前は、
私は日程が合わず参加出来なかったので、本当にこれも久々の
会合となりました。
今回の会場は、新宿駅南口にある「小田急ホテルセンチュリー・
サザンタワー19Fの「シェンロントーキョー」。
お料理は中華とは思えない垢抜けした盛り付けで、一見フレンチのよう。

「前菜」というより、「オードブル」と言いたくなりますよね
二つの円卓を囲み、美味しいお料理とお酒に話が弾み、あっという間の
二時間でした。

記念の集合写真。今日も得意の顔がわからない距離で。
実は、この「連歌の会」には、もう一つの楽しみがあります。
お仲間の中に、巻き上がった連歌を、冊子にしてくださる方が
あるのです。私たちの連歌はメールでの遣り取りですので、
それぞれが、自分の付け句にコメントを書きます。あとで冊子を
手に取り、句と共に読み返して、「ああ、あの時はこんなことが
あったんだなぁ」と、思い出し、感慨に耽ったりも出来るのです。
各号の表紙の色がまた何とも味わい深く、最新号(写真右下)の
「赤香〈あかごう〉色」は、「鯛の色」だと、魚釣りがご趣味のお仲間に
今日教えて頂きました。
今日の会は、この冊子を頂戴していることへと、その冊子をまた、
高校同期のHPに掲載してくださっている方への、感謝の気持ちを
お伝えしたいという目的もあっての親睦会でした。

これはもう掛け替えのない、宝物です!!
ふとしたきっかけで、高校同期の仲間たちで始めた「連歌の会」。
定期的に一か所に集まって句を付け合う、というものではなく、
パソコンのメール上で、句を繋いで行くのですが、もう8年続いて
います。
仲間内に俳人の方がいらっしゃるので、その方を「宗匠」とお呼びして、
必要最低限(?)のルールを教えて戴きながら、今は、順番を決めて
付け句をして行く「膝送り」と、順番など無く、付けたい人が付け句を
する「出勝ち」とを、交互にゆったりとしたペースで進めています。
以前は、毎年親睦会も開かれていましたが、去年は無く、その前は、
私は日程が合わず参加出来なかったので、本当にこれも久々の
会合となりました。
今回の会場は、新宿駅南口にある「小田急ホテルセンチュリー・
サザンタワー19Fの「シェンロントーキョー」。
お料理は中華とは思えない垢抜けした盛り付けで、一見フレンチのよう。

「前菜」というより、「オードブル」と言いたくなりますよね
二つの円卓を囲み、美味しいお料理とお酒に話が弾み、あっという間の
二時間でした。

記念の集合写真。今日も得意の顔がわからない距離で。
実は、この「連歌の会」には、もう一つの楽しみがあります。
お仲間の中に、巻き上がった連歌を、冊子にしてくださる方が
あるのです。私たちの連歌はメールでの遣り取りですので、
それぞれが、自分の付け句にコメントを書きます。あとで冊子を
手に取り、句と共に読み返して、「ああ、あの時はこんなことが
あったんだなぁ」と、思い出し、感慨に耽ったりも出来るのです。
各号の表紙の色がまた何とも味わい深く、最新号(写真右下)の
「赤香〈あかごう〉色」は、「鯛の色」だと、魚釣りがご趣味のお仲間に
今日教えて頂きました。
今日の会は、この冊子を頂戴していることへと、その冊子をまた、
高校同期のHPに掲載してくださっている方への、感謝の気持ちを
お伝えしたいという目的もあっての親睦会でした。

これはもう掛け替えのない、宝物です!!
第二帖「帚木」の全文訳(10)
2017年2月23日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第11回・№2)
本日読みました「帚木」の巻(80頁・10行目~87頁・9行目まで)の
後半に当たる部分(84頁・13行目~87頁・9行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
紀伊守の子供たちが、可愛らしい様子でいます。殿上童で、源氏の君が
殿上の間で見馴れていらっしゃる子供もいます。伊予の介の子供もいます。
大勢いる中で、たいそう雰囲気が上品で、十二、三歳位の少年もいました。
「どれが誰の子供なのか」など源氏の君がお尋ねになると、「これは、亡き
衛門の督の末子で、とても可愛がっておりましたが、幼くして父に先立たれて、
姉の縁でこうしてここに居るのでございます。学問などもできそうな子で、
見込みもあり、殿上童になることも望んではおりますが、すらすらと出仕は
叶わないようでございます」と、紀伊守は申し上げます。「可哀想に。この子の
姉が君の継母になるのかね」と問われ、「はい、さようでございます」と紀伊守
が答えますと、「不似合いな若い母親を持ったものだね。帝も入内の希望は
お聞きになっていて、『衛門の督が娘を入内させたいとそれとなく奏上した話は、
どうなったのだろう』と、いつぞやおっしゃっていました。男女の縁というものは、
わからないものだな」と、源氏の君はひどく大人びた口をおききになります。
「はからずも父に縁付くことになったのでございます。男女の仲というものは
、こうしたもので今も昔もどうなるか分かったものではございません。とりわけ
女の運命は定めないのが気の毒でございます。」などと、紀伊守は申し上げ
ます。「伊予の介は、その後妻を大事にしているのか。主君のように思っている
ことだろうな。」とおっしゃる源氏の君に、紀伊守は「それはもう。私的には主人
と思っているようですが、好色がましいことだと、私をはじめ子供たちは皆、
承知いたしておりません」と申し上げました。「そうは言っても、君たちのような
年齢的に釣り合いのとれる今風の若者に下げ渡したりするものかね。伊予の介
は、なかなかたしなみのある気取り屋だからなぁ」などとお話しなさって、
「女たちはどこに居るのか」とお聞きになるので、「みな下屋に下がらせました。
全部は下がり切れずにいるかもしれません」とお答えしました。酔いが回って、
供人たちは皆、簀子に横になって静かになりました。
源氏の君は落ち着いてお休みにもなれず、空しい独り寝かとお思いになると、
目が冴えて、この北の襖の向こう側に人の気配がするのを、「こちらだろうか、
さっきの話に出た人が隠れているところは。かわいそうに」と心が惹かれて、
そっと起き上がって立ち聞きをなさっていると、先程の子供の声で「もしもし、
どこにいらっしゃいますか」と、かすれた可愛い声で言うのが聞こえて来て、
「ここで寝ているわよ。お客様はお休みになりましたか。どんなに近くで
お休みになるのかと思っておりましたが、だいぶ離れているようね」と、
言っております。もう寝ていた声のけだるい調子が、この子の声とよく似て
いるので、「姉だな」と聞いておられました。小君が「廂の間でお休みになり
ました。評判のお姿を拝見しましたが、本当に素晴らしいご様子でした」と、
ひそひそと告げています。「昼間だったら、覗いて拝見するのだけど」と、
眠そうに言って、夜具に顔を引き入れる音がします。
「悔しいなぁ、もっと気を入れて訊いてくれればいいのに」と、つまらなく
お思いでした。小君は「私は端で寝ましょう。ああ疲れた」と言って、灯心を
掻き上げたりしているようです。空蝉は、すぐ近くの襖の出入り口の斜め向こう
の辺りに、寝ているようです。空蝉が「中将の君はどこにいるの。誰も傍に
居ないようでなんだか怖いわ」と言うようなので、下長押の下で横になって
いる女房たちが「下屋にお湯を使いに行って、『すぐに参上いたします』との
ことでございます」と答えていました。
本日読みました「帚木」の巻(80頁・10行目~87頁・9行目まで)の
後半に当たる部分(84頁・13行目~87頁・9行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
紀伊守の子供たちが、可愛らしい様子でいます。殿上童で、源氏の君が
殿上の間で見馴れていらっしゃる子供もいます。伊予の介の子供もいます。
大勢いる中で、たいそう雰囲気が上品で、十二、三歳位の少年もいました。
「どれが誰の子供なのか」など源氏の君がお尋ねになると、「これは、亡き
衛門の督の末子で、とても可愛がっておりましたが、幼くして父に先立たれて、
姉の縁でこうしてここに居るのでございます。学問などもできそうな子で、
見込みもあり、殿上童になることも望んではおりますが、すらすらと出仕は
叶わないようでございます」と、紀伊守は申し上げます。「可哀想に。この子の
姉が君の継母になるのかね」と問われ、「はい、さようでございます」と紀伊守
が答えますと、「不似合いな若い母親を持ったものだね。帝も入内の希望は
お聞きになっていて、『衛門の督が娘を入内させたいとそれとなく奏上した話は、
どうなったのだろう』と、いつぞやおっしゃっていました。男女の縁というものは、
わからないものだな」と、源氏の君はひどく大人びた口をおききになります。
「はからずも父に縁付くことになったのでございます。男女の仲というものは
、こうしたもので今も昔もどうなるか分かったものではございません。とりわけ
女の運命は定めないのが気の毒でございます。」などと、紀伊守は申し上げ
ます。「伊予の介は、その後妻を大事にしているのか。主君のように思っている
ことだろうな。」とおっしゃる源氏の君に、紀伊守は「それはもう。私的には主人
と思っているようですが、好色がましいことだと、私をはじめ子供たちは皆、
承知いたしておりません」と申し上げました。「そうは言っても、君たちのような
年齢的に釣り合いのとれる今風の若者に下げ渡したりするものかね。伊予の介
は、なかなかたしなみのある気取り屋だからなぁ」などとお話しなさって、
「女たちはどこに居るのか」とお聞きになるので、「みな下屋に下がらせました。
全部は下がり切れずにいるかもしれません」とお答えしました。酔いが回って、
供人たちは皆、簀子に横になって静かになりました。
源氏の君は落ち着いてお休みにもなれず、空しい独り寝かとお思いになると、
目が冴えて、この北の襖の向こう側に人の気配がするのを、「こちらだろうか、
さっきの話に出た人が隠れているところは。かわいそうに」と心が惹かれて、
そっと起き上がって立ち聞きをなさっていると、先程の子供の声で「もしもし、
どこにいらっしゃいますか」と、かすれた可愛い声で言うのが聞こえて来て、
「ここで寝ているわよ。お客様はお休みになりましたか。どんなに近くで
お休みになるのかと思っておりましたが、だいぶ離れているようね」と、
言っております。もう寝ていた声のけだるい調子が、この子の声とよく似て
いるので、「姉だな」と聞いておられました。小君が「廂の間でお休みになり
ました。評判のお姿を拝見しましたが、本当に素晴らしいご様子でした」と、
ひそひそと告げています。「昼間だったら、覗いて拝見するのだけど」と、
眠そうに言って、夜具に顔を引き入れる音がします。
「悔しいなぁ、もっと気を入れて訊いてくれればいいのに」と、つまらなく
お思いでした。小君は「私は端で寝ましょう。ああ疲れた」と言って、灯心を
掻き上げたりしているようです。空蝉は、すぐ近くの襖の出入り口の斜め向こう
の辺りに、寝ているようです。空蝉が「中将の君はどこにいるの。誰も傍に
居ないようでなんだか怖いわ」と言うようなので、下長押の下で横になって
いる女房たちが「下屋にお湯を使いに行って、『すぐに参上いたします』との
ことでございます」と答えていました。
天一神の巡行
2017年2月23日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第11回・№1)
春一番、春二番、春三番、荒れ模様の春先です。
日曜日の淵野辺クラスが終わってから、喉がイガイガし始めて、
昨日あたりから、かなり声がかれてしまっています。
一昨年の秋、全く声が出なくなってしまって困ったことがありましたが、
その時にマイクを借りてセットもして下さった方が、運よく今日ご参加
でしたので、今回もマイクが使えるようにして下さいました。おかげで
話すのがとても楽でした。最後に全文訳を通して読み上げるのも、
何人かの方にやって頂きました。自分が読み上げていると気付かない
のですが、聴いていると、「あっ、ここの訳はちょっと変えたほうがいい
かな?」というところもいくつかありました。この後の全文訳をUPする
前に、少し手を入れておきます。
長い前置きになりましたが、このクラスも13日のクラスと同じ、「帚木」
の巻の後半、源氏が空蝉のもとに忍び込む直前までを読みました。
13日は「干支」のことをまとめておきましたが、今日はその「干支」を
使って、60日で1サイクルの巡行をする神様のお話です。
「天一神〈てんいちじん〉」という陰陽道で説く神様は、癸巳(みずのと・み)
の日から戊申(つちのえ・さる)までの16日間は天上に在って、地上の人間
は自由に動くことが出来ます。
己酉(つちのと・とり)の日になると、天一神は天上から艮(うしとら・北東)
の方角に降りて来て、甲寅(きのえ・とら)までの6日間滞在します。
乙卯(きのと・う)から己未(つちのと・ひつじ)までの5日間は東の方角に
滞在、同様に、方角を替えながら6日、5日、6日、5日と順次滞在して行き、
戊子(つちのえ・ね)から壬辰(みずのえ・たつ)までの5日間の北での滞在を
終えると、また癸巳(みずのと・み)となるので、天上に戻るわけです。
この天一神のいる方角を「方塞り〈かたふたがり〉」と言って、そちらの方角を
避けるために「方違へ〈かたたがえ〉」という、別の方角の場所に移ることを
しなければなりませんでした。
源氏が初めての中の品(中流)女性「空蝉」を知るのも、この「方違へ」のため
紀伊の守邸を訪れたからです。
千年後の今では「こんなことやってられない!」と思うのが普通でしょう。
平安貴族の時間はゆったりと流れていた気がしますね。
今日は、このクラスにご参加になっているカルトナージュの講師の方から
全員に可愛いお雛様のお菓子がセットされたカルトナージュのケースを
戴きました。先月の「湖月会」の新年会の折には、「湖月会」の代表の方が
やはり会のメンバー全員に、小さなお針箱をプレゼントして下さいました。
お二人はカルトナージュ仲間のお友達でいらっしゃいます。

ねっ、どちらも素敵でしょ
このあと引き続き、本日の講読個所後半の全文訳を書きます。
春一番、春二番、春三番、荒れ模様の春先です。
日曜日の淵野辺クラスが終わってから、喉がイガイガし始めて、
昨日あたりから、かなり声がかれてしまっています。
一昨年の秋、全く声が出なくなってしまって困ったことがありましたが、
その時にマイクを借りてセットもして下さった方が、運よく今日ご参加
でしたので、今回もマイクが使えるようにして下さいました。おかげで
話すのがとても楽でした。最後に全文訳を通して読み上げるのも、
何人かの方にやって頂きました。自分が読み上げていると気付かない
のですが、聴いていると、「あっ、ここの訳はちょっと変えたほうがいい
かな?」というところもいくつかありました。この後の全文訳をUPする
前に、少し手を入れておきます。
長い前置きになりましたが、このクラスも13日のクラスと同じ、「帚木」
の巻の後半、源氏が空蝉のもとに忍び込む直前までを読みました。
13日は「干支」のことをまとめておきましたが、今日はその「干支」を
使って、60日で1サイクルの巡行をする神様のお話です。
「天一神〈てんいちじん〉」という陰陽道で説く神様は、癸巳(みずのと・み)
の日から戊申(つちのえ・さる)までの16日間は天上に在って、地上の人間
は自由に動くことが出来ます。
己酉(つちのと・とり)の日になると、天一神は天上から艮(うしとら・北東)
の方角に降りて来て、甲寅(きのえ・とら)までの6日間滞在します。
乙卯(きのと・う)から己未(つちのと・ひつじ)までの5日間は東の方角に
滞在、同様に、方角を替えながら6日、5日、6日、5日と順次滞在して行き、
戊子(つちのえ・ね)から壬辰(みずのえ・たつ)までの5日間の北での滞在を
終えると、また癸巳(みずのと・み)となるので、天上に戻るわけです。
この天一神のいる方角を「方塞り〈かたふたがり〉」と言って、そちらの方角を
避けるために「方違へ〈かたたがえ〉」という、別の方角の場所に移ることを
しなければなりませんでした。
源氏が初めての中の品(中流)女性「空蝉」を知るのも、この「方違へ」のため
紀伊の守邸を訪れたからです。
千年後の今では「こんなことやってられない!」と思うのが普通でしょう。
平安貴族の時間はゆったりと流れていた気がしますね。
今日は、このクラスにご参加になっているカルトナージュの講師の方から
全員に可愛いお雛様のお菓子がセットされたカルトナージュのケースを
戴きました。先月の「湖月会」の新年会の折には、「湖月会」の代表の方が
やはり会のメンバー全員に、小さなお針箱をプレゼントして下さいました。
お二人はカルトナージュ仲間のお友達でいらっしゃいます。

ねっ、どちらも素敵でしょ
このあと引き続き、本日の講読個所後半の全文訳を書きます。
大君がどうしても守りたかったもの
2017年2月19日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第134回)
この季節らしい、少しの春と、少しの寒さを感じる一日でした。
最も進度の早い淵野辺のクラスですが、「総角」の巻の、今日読んだ
ところでは、大君を慕う薫と、それを拒んで、妹の中の君を薫と結婚
させようとする大君との攻防がまだ続いています。
周りの女房たちは、現実的ですから、大君が薫を拒否する理由が
理解できません。人よりも抜きん出て立派で、充分すぎるほどの
経済力もある薫が、これほど望んでいる結婚を受けないなんて、
そんな勿体無い話はない、と思っています。このままでは零落の
一途を辿るしかない宮家に仕える身としては、生活もかかっています
ので、女房たちは当然薫の味方についてしまいます。
ついに薫は弁に導かれて、姉妹たちの寝所に忍び込みます。
いち早くそれを察知した大君は、中の君を残したまま、その場を
逃げ出します。同じような場面が「空蝉」の巻でもあり、忍び込んだ
源氏は、空蝉が逃げ出した後、部屋に残された軒端の荻と、契りを
交わします。でも、薫は違います。中の君には優しく語りかけるだけで、
何事もなく一夜を過ごしたのでした。
それにしても、大君がここまで薫を拒絶して守ろうとしたものとは
一体何だったのでしょう。
それは、父の八の宮が、どんなに落ちぶれようが、あくまで守らねば
ならないとお考えだった「宮家の誇り」でした。
「宮家の誇り」が守れなくなるとは、即ち「人笑へ〈ひとわろえ〉」(世間
の物笑い)となることを意味していました。
薫との結婚が上手く行かなかったら、後見をしてくれる人がいない
自分はどうなるのか、「人笑へ」になるだけではないか。自分だけでは
ない。亡き両親も含め、八の宮家そのものが物笑いの対象となってしまう。
妹は今が女盛りの美しさで、薫を惹き付ける魅力も十分にあるし、自分が
精一杯後見してやることもできる。そうすれば、宮家の誇りに傷がつくことも
あるまい、と大君は考えているのでした。
ある意味、エゴとエゴのぶつかり合いとも言える、薫と大君の結婚を巡る
せめぎ合いが繰り返されるのですが、この大君の意地が、薫にある計画を
思いつかせ、そこからすべてが、大君が考えていたのとは違う方向へと
動き出すのですが、それは次回以降で。
この季節らしい、少しの春と、少しの寒さを感じる一日でした。
最も進度の早い淵野辺のクラスですが、「総角」の巻の、今日読んだ
ところでは、大君を慕う薫と、それを拒んで、妹の中の君を薫と結婚
させようとする大君との攻防がまだ続いています。
周りの女房たちは、現実的ですから、大君が薫を拒否する理由が
理解できません。人よりも抜きん出て立派で、充分すぎるほどの
経済力もある薫が、これほど望んでいる結婚を受けないなんて、
そんな勿体無い話はない、と思っています。このままでは零落の
一途を辿るしかない宮家に仕える身としては、生活もかかっています
ので、女房たちは当然薫の味方についてしまいます。
ついに薫は弁に導かれて、姉妹たちの寝所に忍び込みます。
いち早くそれを察知した大君は、中の君を残したまま、その場を
逃げ出します。同じような場面が「空蝉」の巻でもあり、忍び込んだ
源氏は、空蝉が逃げ出した後、部屋に残された軒端の荻と、契りを
交わします。でも、薫は違います。中の君には優しく語りかけるだけで、
何事もなく一夜を過ごしたのでした。
それにしても、大君がここまで薫を拒絶して守ろうとしたものとは
一体何だったのでしょう。
それは、父の八の宮が、どんなに落ちぶれようが、あくまで守らねば
ならないとお考えだった「宮家の誇り」でした。
「宮家の誇り」が守れなくなるとは、即ち「人笑へ〈ひとわろえ〉」(世間
の物笑い)となることを意味していました。
薫との結婚が上手く行かなかったら、後見をしてくれる人がいない
自分はどうなるのか、「人笑へ」になるだけではないか。自分だけでは
ない。亡き両親も含め、八の宮家そのものが物笑いの対象となってしまう。
妹は今が女盛りの美しさで、薫を惹き付ける魅力も十分にあるし、自分が
精一杯後見してやることもできる。そうすれば、宮家の誇りに傷がつくことも
あるまい、と大君は考えているのでした。
ある意味、エゴとエゴのぶつかり合いとも言える、薫と大君の結婚を巡る
せめぎ合いが繰り返されるのですが、この大君の意地が、薫にある計画を
思いつかせ、そこからすべてが、大君が考えていたのとは違う方向へと
動き出すのですが、それは次回以降で。
ずうーっとこのままであってほしかったけど・・・
2017年2月17日(金) 溝の口「枕草子」(第5回)
朝から気温はグングン上がり、風はビュンビュン吹きまくり・・・。
はい、それで「春一番」となりました。判断を誤ってダウンのコートを
着て出かけてしまった私は、帰りの電車ではコートを脱いで抱えて
いました。でも、明日はまた寒さが戻って来るようで、4月中旬の
気温から冬至の頃の気温に、たった一日で変化するとのこと。
体調を崩さないよう、皆さまもお気をつけください。
今回の「枕草子」は、第8段から第20段の前半までを読みました。
第20段は、清少納言が中宮定子のもとに出仕してまだ数ヶ月しか
経っていない正暦5年(994年)のうららかな春の一日を、後に回想
して書いた、かなり長い段です。
中宮さまのお部屋は登花殿ですが、清涼殿に上られた時の控室と
して「弘徽殿の上御局」が与えられておりました。折から花盛りの
桜を挿した大きな青磁の瓶が、高欄の外にまで花が咲きこぼれる
ようにして置かれている、そんなのどかなお昼頃に、格好良く、
直衣の下から衵をシャツアウトした中宮さまの兄・大納言伊周が
訪ねて来られます。一条天皇もこちらにお出でになっていたので、
大納言は遠慮して、簀子(縁側)で控えています。
天皇さまがお食事のために立たれた後、「月も日もかはりゆけども
ひさにふる三室の山の」(たとえ月や日が変わることがあったとしても、
いつまでも変わらない三室の山の)という古歌を、大納言がゆったりと
口ずさみなさった時は、本当に「千年もあらまほしき御ありさまなるや」
(今日のタイトルです・・・ずうーっとこのまま変わらないでほしいこの場の
ご様子でしたよ)、と作者は回想しています。
一条天皇も、御膳を下げるための配膳係が呼ばれるか呼ばれないかの
うちに、もうこちらに戻って来られます。そこで、中宮さまは、女房たちに
覚えている古歌を一首ずつ書くようにお命じになります。皆が四苦八苦
している中で、清少納言は「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし
見れば物思ひもなし」(年が経ち、私も年老いました。でも、桜の花さえ
見れば何の物思いもありません)の、「花をし見れば」を「君をし見れば」
(中宮さまさえ見れば何の物思いもありません)と書き換えてご覧に入れた
のでした。中宮さまから「こんな気の利いたのが見たかったのよ」と褒められ、
「いえいえ、これは若い人では無理な、亀の甲より年の劫でして」と照れながら
も、早くも中宮さまとの呼吸がピタリと合った嬉しさを隠し切れない作者でした。
今なら「ヤッター」とVサインを出したところでしょう。
時に、清少納言29歳位。中宮定子18歳、大納言伊周21歳、一条天皇15歳。
この僅か1年余りの後、定子らの父・関白道隆が亡くなり、中の関白家が
没落の一途を辿る運命にあろうとは、この幸せを絵に描いたような場に
居合わせた誰もが想像だにしなかったに違いありません。
続きは次回となります。
朝から気温はグングン上がり、風はビュンビュン吹きまくり・・・。
はい、それで「春一番」となりました。判断を誤ってダウンのコートを
着て出かけてしまった私は、帰りの電車ではコートを脱いで抱えて
いました。でも、明日はまた寒さが戻って来るようで、4月中旬の
気温から冬至の頃の気温に、たった一日で変化するとのこと。
体調を崩さないよう、皆さまもお気をつけください。
今回の「枕草子」は、第8段から第20段の前半までを読みました。
第20段は、清少納言が中宮定子のもとに出仕してまだ数ヶ月しか
経っていない正暦5年(994年)のうららかな春の一日を、後に回想
して書いた、かなり長い段です。
中宮さまのお部屋は登花殿ですが、清涼殿に上られた時の控室と
して「弘徽殿の上御局」が与えられておりました。折から花盛りの
桜を挿した大きな青磁の瓶が、高欄の外にまで花が咲きこぼれる
ようにして置かれている、そんなのどかなお昼頃に、格好良く、
直衣の下から衵をシャツアウトした中宮さまの兄・大納言伊周が
訪ねて来られます。一条天皇もこちらにお出でになっていたので、
大納言は遠慮して、簀子(縁側)で控えています。
天皇さまがお食事のために立たれた後、「月も日もかはりゆけども
ひさにふる三室の山の」(たとえ月や日が変わることがあったとしても、
いつまでも変わらない三室の山の)という古歌を、大納言がゆったりと
口ずさみなさった時は、本当に「千年もあらまほしき御ありさまなるや」
(今日のタイトルです・・・ずうーっとこのまま変わらないでほしいこの場の
ご様子でしたよ)、と作者は回想しています。
一条天皇も、御膳を下げるための配膳係が呼ばれるか呼ばれないかの
うちに、もうこちらに戻って来られます。そこで、中宮さまは、女房たちに
覚えている古歌を一首ずつ書くようにお命じになります。皆が四苦八苦
している中で、清少納言は「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし
見れば物思ひもなし」(年が経ち、私も年老いました。でも、桜の花さえ
見れば何の物思いもありません)の、「花をし見れば」を「君をし見れば」
(中宮さまさえ見れば何の物思いもありません)と書き換えてご覧に入れた
のでした。中宮さまから「こんな気の利いたのが見たかったのよ」と褒められ、
「いえいえ、これは若い人では無理な、亀の甲より年の劫でして」と照れながら
も、早くも中宮さまとの呼吸がピタリと合った嬉しさを隠し切れない作者でした。
今なら「ヤッター」とVサインを出したところでしょう。
時に、清少納言29歳位。中宮定子18歳、大納言伊周21歳、一条天皇15歳。
この僅か1年余りの後、定子らの父・関白道隆が亡くなり、中の関白家が
没落の一途を辿る運命にあろうとは、この幸せを絵に描いたような場に
居合わせた誰もが想像だにしなかったに違いありません。
続きは次回となります。
継娘への懸想
2017年2月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算186回 統合40回)
寒さが少しずつ緩んできて、明日は15度まで気温も上がり、3月の陽気に
なるとか。花粉も本格的に飛び始めそうです。
湘南台のクラスは、第43帖「紅梅」を読み終え、第44帖「竹河」のごく最初の
部分を読みました。
以前にも書きましたが、「紅梅」の巻は、故致仕大臣家のその後を伝えている
巻です。故致仕大臣の嫡男・柏木は、将来を嘱望されながら、女三宮への
道ならぬ恋のため身を滅ぼし、若くして亡くなってしまいました。したがって、
今の当主は柏木のすぐ下の弟(故致仕大臣の次男)の按察使の大納言です。
按察使の大納言は亡き先妻との間に二人の娘があり、同じように娘一人を
抱えた真木柱と再婚しています。真木柱は最初は源氏の弟・蛍兵部卿の宮と
結婚しましたが、夫の愛を得ることが出来ず、幸せな結婚生活を送ることが
できませんでした。未亡人となった真木柱の許へ通い始めた按察使の大納言は
誠実な人柄で、真木柱を正式に北の方として自邸に迎え、二人の間には男の子
も誕生しました。
夫婦間の信頼関係もあり、按察使の大納言は、自分の実の娘と分け隔てなく、
真木柱の連れ子(宮の御方)にもきちんと裳着を挙げさせていますし、真木柱も
継娘の大君が東宮妃として入内する際には、母親として付き添って世話をして
います。
真木柱にとっては、少なくとも最初の結婚よりは何倍も妻としての実感が持てる
結婚生活だと思われるのですが、それでも油断も隙もないのが、当時の貴族男性
の好き心で、真木柱が大君に付き添って宮中に参内している留守に、継娘の
宮の御方に懸想する場面があります。
按察使の大納言は、常日頃より父親らしく振舞ってはいましたが、宮の御方の姿を
見てみたいと、そのチャンスを伺っているのでした。北の方(真木柱)の不在時に
宮の御方の部屋の前にやって来て、話しかけます。返事をする宮の御方の微かな
声や雰囲気に、自慢の実の娘たちも敵わないものを感じ、ますます心惹かれます。
宮の御方に琵琶を所望し、来合わせた息子の笛との合奏をもお願いするのでした。
養父の懸想といえば、第一部で語られた源氏の玉鬘への恋が思い出されます。
こちらは、かろうじて最後の一線を越えることなく終わったものの、二人の様子を
垣間見た夕霧が衝撃を受けるほど、接近していました。
でも、按察使の大納言の継娘への懸想の話は、これだけで、以後に持ち越されて
描かれてはいません。宮の御方の存在が、按察使の大納言と真木柱の夫婦関係に
その後どのような影響を及ぼすことになったか、気になるところですが、「源氏物語」
では全く言及されることなく終わっています。
寒さが少しずつ緩んできて、明日は15度まで気温も上がり、3月の陽気に
なるとか。花粉も本格的に飛び始めそうです。
湘南台のクラスは、第43帖「紅梅」を読み終え、第44帖「竹河」のごく最初の
部分を読みました。
以前にも書きましたが、「紅梅」の巻は、故致仕大臣家のその後を伝えている
巻です。故致仕大臣の嫡男・柏木は、将来を嘱望されながら、女三宮への
道ならぬ恋のため身を滅ぼし、若くして亡くなってしまいました。したがって、
今の当主は柏木のすぐ下の弟(故致仕大臣の次男)の按察使の大納言です。
按察使の大納言は亡き先妻との間に二人の娘があり、同じように娘一人を
抱えた真木柱と再婚しています。真木柱は最初は源氏の弟・蛍兵部卿の宮と
結婚しましたが、夫の愛を得ることが出来ず、幸せな結婚生活を送ることが
できませんでした。未亡人となった真木柱の許へ通い始めた按察使の大納言は
誠実な人柄で、真木柱を正式に北の方として自邸に迎え、二人の間には男の子
も誕生しました。
夫婦間の信頼関係もあり、按察使の大納言は、自分の実の娘と分け隔てなく、
真木柱の連れ子(宮の御方)にもきちんと裳着を挙げさせていますし、真木柱も
継娘の大君が東宮妃として入内する際には、母親として付き添って世話をして
います。
真木柱にとっては、少なくとも最初の結婚よりは何倍も妻としての実感が持てる
結婚生活だと思われるのですが、それでも油断も隙もないのが、当時の貴族男性
の好き心で、真木柱が大君に付き添って宮中に参内している留守に、継娘の
宮の御方に懸想する場面があります。
按察使の大納言は、常日頃より父親らしく振舞ってはいましたが、宮の御方の姿を
見てみたいと、そのチャンスを伺っているのでした。北の方(真木柱)の不在時に
宮の御方の部屋の前にやって来て、話しかけます。返事をする宮の御方の微かな
声や雰囲気に、自慢の実の娘たちも敵わないものを感じ、ますます心惹かれます。
宮の御方に琵琶を所望し、来合わせた息子の笛との合奏をもお願いするのでした。
養父の懸想といえば、第一部で語られた源氏の玉鬘への恋が思い出されます。
こちらは、かろうじて最後の一線を越えることなく終わったものの、二人の様子を
垣間見た夕霧が衝撃を受けるほど、接近していました。
でも、按察使の大納言の継娘への懸想の話は、これだけで、以後に持ち越されて
描かれてはいません。宮の御方の存在が、按察使の大納言と真木柱の夫婦関係に
その後どのような影響を及ぼすことになったか、気になるところですが、「源氏物語」
では全く言及されることなく終わっています。
第二帖「帚木」の全文訳(9)
2017年2月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第11回・№2)
本日読みました「帚木」の巻(80頁・10行目~87頁・9行目まで)の
前半に当たる部分(80頁・10行目~84頁・12行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
ようやく今日は梅雨の晴れ間となりました。こうして宮中にばかり籠って
いらっしゃるのも左大臣のお気持ちを思うとお気の毒なので、源氏の君は
退出なさいました。左大臣邸の様子も、葵上の様子も、すっきりとして気品
があり、くずれたところが少しもなく、やはりこの人こそ、あの品定めで、
左馬頭らが捨て難い者として取り上げていた実直な妻としては頼りに出来る
であろう、とはお思いになるものの、余りにもきちんとした態度で打ち解けにくく、
気詰まりな程にとりすましていらっしゃるのが、源氏の君には物足りなくて、
中納言の君、中務などと言った人並み優れた若い女房たちに、冗談などを
おっしゃりながら、暑いのでくつろいだ格好になっておられるのを、女房たちは
「見る甲斐がおありな方」と、拝見しておりました。
左大臣もこちらにお出でになって、源氏の君がくつろいでいらっしゃるので、几帳を
隔ててお座りになり、お話しなさるのを、「暑いのに」と、源氏の君が有難迷惑そうな
顔をなさるので、女房たちが笑っています。それを「しっ、静かに」と、源氏の君は
制して、脇息に寄りかかっていらっしゃいました。まったく高貴な方らしい屈託のない
お振舞いではございませんか。
暗くなる頃に、「今夜は中神が宮中からこちらの方角に塞がっております」と、女房が
申し上げます。別の女房も「そうでした。いつもならお避けになる方角でしたわ」と言い
ますが、源氏の君は「二条院も同じ方角だし、どこへ方違へすればいいのかね、とても
気分も悪いのに」と言ってお休みになってしまわれました。「とてもまずいことですわ」と、
女房の誰彼が申し上げます。誰かが「紀伊守で、左大臣に親しくお仕えしている人の、
中川辺りにある家が、この頃邸内に水を引き入れて、涼しい木陰となっております」と
申し上げました。
源氏の君は「それは好都合だ。おっくうだから、牛車のまま門の中へ入れるところに
しておくれ」とおっしゃいます。こっそりとお通いになっておられるところへの方違へ
なら沢山ありましょうが、長いご無沙汰の後でせっかくお出でになったのに、方角が
悪いからという口実を設けて、他の女性の所へ行ったと、左大臣がお考えになるのも
お気の毒だと思われたのでございましょう。紀伊守にそのことをお申しつけになると、
お受けはしたものの、下がってから、「父の伊予守の家にも凶事を避けなければ
ならないことがあって、女たちが移って来ておりますので、手狭で失礼があっては
大変です」と、蔭で案じているとお耳になさって、源氏の君は「その人気に近いと
いうのが嬉しいね。女気のない外泊は心細い気がするので、ただその女たちの
几帳の後ろにお願いするよ」と、おっしゃるので、「ほんに、まずまずのお泊り場所
かもしれません」と、人々も言って、紀伊守邸に使いの者を走らせました。
ごく内密に、わざわざ大げさではない所を選んで急ぎご出発になったので、左大臣
にもお知らせせず、供にも親しい者だけを連れてお出でになりました。「急なことで」
と、紀伊守邸の者たちは迷惑がりますが、源氏の君の供人たちは誰も耳を貸そうとも
しません。寝殿の東面を綺麗にして、仮のお部屋がしつらえてありました。遣水の
趣向などに、それなりの工夫が凝らしてあります。田舎の家風の柴垣を巡らして、
庭の植え込みなどにも気配りが感じられました。風が涼しくて、どこからともなく
かすかな虫の声々も聞こえて来て、蛍が多く飛び乱れているというのは、なかなかの
風情でございました。
供人たちは、渡殿の下から湧き出ている泉を見下ろせる場所に座って、お酒を飲んで
います。紀伊守も忙しそうに接待の支度に奔走している間、源氏の君はのんびりと辺り
をご覧になって、昨夜、左馬頭が中流階級として特に話をしていたのは、この程度の家
のことなのだろうな、と思い出しておられました。
伊予介の後妻は、気位が高いというようにかねて聞いておられた娘なので、興味を
感じて聞き耳を立てていらっしゃいますと、この寝殿の西面に人の気配がします。
衣擦れの音がさらさらと聞こえて、若い女房たちの声がまんざらではありません。
さすがにこちらに気兼ねして、小声で笑ったりしている気配が、わざとらしい感じ
でした。
西面は、格子が上げてありましたが、紀伊守が「不用意な」と小言を言って下ろして
しまったので、西面の部屋の明かりが襖の上から漏れて来ている所へ、源氏の君は
そっとお寄りになって、向こう側が見えるか、とお思いになりますが、隙間もないので、
しばらく耳を澄ましてお聞きになっていますと、女房たちが、すぐ近くの母屋に集まっ
ているようです。ひそひそ話をお聞きになっていると、どうも自分のことを噂している
ようです「たいそうひどく真面目ぶって、まだお若いのに、ご身分の高い奥様が
いらっしゃるのがつまらないわ。でも、しかるべきお忍び所には、上手にこっそりと
お通いのようよ」などと言っているにつけても、源氏の君は、心の奥にただ一人の
方のことばかりを気にかけておられるので、まず胸がドキリとして、こんな折りに
人が自分の秘め事を噂するのを耳にしたなら、どんな気持ちになることであろうか、
などとお思いでいらっしゃいました。でも、別段何ということもないので、途中でその
立ち聞きはお止めになりました。
源氏の君が式部卿の宮の姫君に、朝顔をお贈りになった時の歌などを、少し言葉を
間違えて話しているのが聞こえて来ます。のんびりとした風情で、何かと言えば
すぐに歌をくちにする手合いのようだな、実際に逢ってみるとがっかりさせられるので
あろう、とお思いになっておりました。
紀伊守が出て来て、吊るしてある燈篭の数を増やし、灯火も明るく掻き上げなどして、
おやつのような物を差し上げました。源氏の君が「寝室のほうはどうなっているのかな。
そちらも用意が整っていないと興ざめな接待ということになろうよ」とおっしゃるので、
紀伊守は「何がお気に召しますか、とてもご満足いただけるようなことは無理でござい
まして」と、恐縮して控えています。端近な御座所に仮寝のようにしてお休みになると、
供人たちも寝静まりました。
本日読みました「帚木」の巻(80頁・10行目~87頁・9行目まで)の
前半に当たる部分(80頁・10行目~84頁・12行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
ようやく今日は梅雨の晴れ間となりました。こうして宮中にばかり籠って
いらっしゃるのも左大臣のお気持ちを思うとお気の毒なので、源氏の君は
退出なさいました。左大臣邸の様子も、葵上の様子も、すっきりとして気品
があり、くずれたところが少しもなく、やはりこの人こそ、あの品定めで、
左馬頭らが捨て難い者として取り上げていた実直な妻としては頼りに出来る
であろう、とはお思いになるものの、余りにもきちんとした態度で打ち解けにくく、
気詰まりな程にとりすましていらっしゃるのが、源氏の君には物足りなくて、
中納言の君、中務などと言った人並み優れた若い女房たちに、冗談などを
おっしゃりながら、暑いのでくつろいだ格好になっておられるのを、女房たちは
「見る甲斐がおありな方」と、拝見しておりました。
左大臣もこちらにお出でになって、源氏の君がくつろいでいらっしゃるので、几帳を
隔ててお座りになり、お話しなさるのを、「暑いのに」と、源氏の君が有難迷惑そうな
顔をなさるので、女房たちが笑っています。それを「しっ、静かに」と、源氏の君は
制して、脇息に寄りかかっていらっしゃいました。まったく高貴な方らしい屈託のない
お振舞いではございませんか。
暗くなる頃に、「今夜は中神が宮中からこちらの方角に塞がっております」と、女房が
申し上げます。別の女房も「そうでした。いつもならお避けになる方角でしたわ」と言い
ますが、源氏の君は「二条院も同じ方角だし、どこへ方違へすればいいのかね、とても
気分も悪いのに」と言ってお休みになってしまわれました。「とてもまずいことですわ」と、
女房の誰彼が申し上げます。誰かが「紀伊守で、左大臣に親しくお仕えしている人の、
中川辺りにある家が、この頃邸内に水を引き入れて、涼しい木陰となっております」と
申し上げました。
源氏の君は「それは好都合だ。おっくうだから、牛車のまま門の中へ入れるところに
しておくれ」とおっしゃいます。こっそりとお通いになっておられるところへの方違へ
なら沢山ありましょうが、長いご無沙汰の後でせっかくお出でになったのに、方角が
悪いからという口実を設けて、他の女性の所へ行ったと、左大臣がお考えになるのも
お気の毒だと思われたのでございましょう。紀伊守にそのことをお申しつけになると、
お受けはしたものの、下がってから、「父の伊予守の家にも凶事を避けなければ
ならないことがあって、女たちが移って来ておりますので、手狭で失礼があっては
大変です」と、蔭で案じているとお耳になさって、源氏の君は「その人気に近いと
いうのが嬉しいね。女気のない外泊は心細い気がするので、ただその女たちの
几帳の後ろにお願いするよ」と、おっしゃるので、「ほんに、まずまずのお泊り場所
かもしれません」と、人々も言って、紀伊守邸に使いの者を走らせました。
ごく内密に、わざわざ大げさではない所を選んで急ぎご出発になったので、左大臣
にもお知らせせず、供にも親しい者だけを連れてお出でになりました。「急なことで」
と、紀伊守邸の者たちは迷惑がりますが、源氏の君の供人たちは誰も耳を貸そうとも
しません。寝殿の東面を綺麗にして、仮のお部屋がしつらえてありました。遣水の
趣向などに、それなりの工夫が凝らしてあります。田舎の家風の柴垣を巡らして、
庭の植え込みなどにも気配りが感じられました。風が涼しくて、どこからともなく
かすかな虫の声々も聞こえて来て、蛍が多く飛び乱れているというのは、なかなかの
風情でございました。
供人たちは、渡殿の下から湧き出ている泉を見下ろせる場所に座って、お酒を飲んで
います。紀伊守も忙しそうに接待の支度に奔走している間、源氏の君はのんびりと辺り
をご覧になって、昨夜、左馬頭が中流階級として特に話をしていたのは、この程度の家
のことなのだろうな、と思い出しておられました。
伊予介の後妻は、気位が高いというようにかねて聞いておられた娘なので、興味を
感じて聞き耳を立てていらっしゃいますと、この寝殿の西面に人の気配がします。
衣擦れの音がさらさらと聞こえて、若い女房たちの声がまんざらではありません。
さすがにこちらに気兼ねして、小声で笑ったりしている気配が、わざとらしい感じ
でした。
西面は、格子が上げてありましたが、紀伊守が「不用意な」と小言を言って下ろして
しまったので、西面の部屋の明かりが襖の上から漏れて来ている所へ、源氏の君は
そっとお寄りになって、向こう側が見えるか、とお思いになりますが、隙間もないので、
しばらく耳を澄ましてお聞きになっていますと、女房たちが、すぐ近くの母屋に集まっ
ているようです。ひそひそ話をお聞きになっていると、どうも自分のことを噂している
ようです「たいそうひどく真面目ぶって、まだお若いのに、ご身分の高い奥様が
いらっしゃるのがつまらないわ。でも、しかるべきお忍び所には、上手にこっそりと
お通いのようよ」などと言っているにつけても、源氏の君は、心の奥にただ一人の
方のことばかりを気にかけておられるので、まず胸がドキリとして、こんな折りに
人が自分の秘め事を噂するのを耳にしたなら、どんな気持ちになることであろうか、
などとお思いでいらっしゃいました。でも、別段何ということもないので、途中でその
立ち聞きはお止めになりました。
源氏の君が式部卿の宮の姫君に、朝顔をお贈りになった時の歌などを、少し言葉を
間違えて話しているのが聞こえて来ます。のんびりとした風情で、何かと言えば
すぐに歌をくちにする手合いのようだな、実際に逢ってみるとがっかりさせられるので
あろう、とお思いになっておりました。
紀伊守が出て来て、吊るしてある燈篭の数を増やし、灯火も明るく掻き上げなどして、
おやつのような物を差し上げました。源氏の君が「寝室のほうはどうなっているのかな。
そちらも用意が整っていないと興ざめな接待ということになろうよ」とおっしゃるので、
紀伊守は「何がお気に召しますか、とてもご満足いただけるようなことは無理でござい
まして」と、恐縮して控えています。端近な御座所に仮寝のようにしてお休みになると、
供人たちも寝静まりました。
ご自分の干支をご存知ですか?
2017年2月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第11回・№1)
先週後半の寒さは幾分緩んだものの、まだ「名のみの春」の日が
続いています。
「紫の会」は「帚木」の巻の後半に入りました。前半は言わば源氏の
「中の品(中流)の女性」についての学習編、後半からが実践編と
なります。実践編で、源氏が最初に知る「中の品の女性」が「空蝉」
です。
今日はその空蝉と知り合うきっかけとなった「天一神〈てんいちじん〉」
による「方塞り〈かたふたがり〉」と「方違へ〈かたたがえ〉」についての
お話を最初にしましたが、これを説明するには「干支」を知って頂かねば
なりませんので、先ずは「干支の成り立ち」から入りました。
普通、「あなたの干支は?」と訊かれたら、「十二支」で答えると思いますが、
厳密に言うなら、「干支」の「干」は「十干」のことを、「支」は「十二支」の
ことを指しています。
古代中国から日本に伝わった「五行」・「十干」というものがあります。
【五行】 木(き) 火(ひ) 土(つち) 金(か) 水(みず)
【十干】 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
【五行】は、それぞれ、「兄(え)」と「弟(と)」の二つに分け、
「きのえ」・「きのと」、 「ひのえ」・「ひのと」、 「つちのえ」・「つちのと」、
「かのえ」・「かのと」 「みずのえ」・「みずのと」
として、それに【十干】の文字に当てます。すなわち、
甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)己(つちのと)
庚(かのえ)辛(かのと)壬(みずのえ)癸(みずのと)
となります。
これと、【十二支】の
「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・
未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」
を組み合わせたものが、【干支(えと)】となるのです。
「甲子(きのえ・ね)」「乙丑(きのと・うし)」「丙寅(ひのえ・とら)」
「丁卯(ひのと・う)」というふうに、順番に組み合わせて行くと、
「干支」は全部で60通りできます。
因みに、今年2017年は「丁酉(ひのと・とり)」で、満60歳の人と、
今年生まれの赤ちゃんがこの「干支」になります。「還暦」というのも、
生まれた年の干支(暦)が還ってきたことを意味しています。
皆さまは、ご自分が生まれた年の「干支」をご存知ですか?早見表も
ありますが、「十干」と「十二支」の組み合わせを60通り書き出して
辿ってみるのも、一興ではないかと思います。
「天一神」の巡行のことまで書きますと、長くなりすぎるので、これは
木曜クラス(23日)の時にいたしましょう。
このあといつものように、引き続き、本日の講読個所の前半の全文訳
を書きます(後半は23日に)。
先週後半の寒さは幾分緩んだものの、まだ「名のみの春」の日が
続いています。
「紫の会」は「帚木」の巻の後半に入りました。前半は言わば源氏の
「中の品(中流)の女性」についての学習編、後半からが実践編と
なります。実践編で、源氏が最初に知る「中の品の女性」が「空蝉」
です。
今日はその空蝉と知り合うきっかけとなった「天一神〈てんいちじん〉」
による「方塞り〈かたふたがり〉」と「方違へ〈かたたがえ〉」についての
お話を最初にしましたが、これを説明するには「干支」を知って頂かねば
なりませんので、先ずは「干支の成り立ち」から入りました。
普通、「あなたの干支は?」と訊かれたら、「十二支」で答えると思いますが、
厳密に言うなら、「干支」の「干」は「十干」のことを、「支」は「十二支」の
ことを指しています。
古代中国から日本に伝わった「五行」・「十干」というものがあります。
【五行】 木(き) 火(ひ) 土(つち) 金(か) 水(みず)
【十干】 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
【五行】は、それぞれ、「兄(え)」と「弟(と)」の二つに分け、
「きのえ」・「きのと」、 「ひのえ」・「ひのと」、 「つちのえ」・「つちのと」、
「かのえ」・「かのと」 「みずのえ」・「みずのと」
として、それに【十干】の文字に当てます。すなわち、
甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)己(つちのと)
庚(かのえ)辛(かのと)壬(みずのえ)癸(みずのと)
となります。
これと、【十二支】の
「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・
未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」
を組み合わせたものが、【干支(えと)】となるのです。
「甲子(きのえ・ね)」「乙丑(きのと・うし)」「丙寅(ひのえ・とら)」
「丁卯(ひのと・う)」というふうに、順番に組み合わせて行くと、
「干支」は全部で60通りできます。
因みに、今年2017年は「丁酉(ひのと・とり)」で、満60歳の人と、
今年生まれの赤ちゃんがこの「干支」になります。「還暦」というのも、
生まれた年の干支(暦)が還ってきたことを意味しています。
皆さまは、ご自分が生まれた年の「干支」をご存知ですか?早見表も
ありますが、「十干」と「十二支」の組み合わせを60通り書き出して
辿ってみるのも、一興ではないかと思います。
「天一神」の巡行のことまで書きますと、長くなりすぎるので、これは
木曜クラス(23日)の時にいたしましょう。
このあといつものように、引き続き、本日の講読個所の前半の全文訳
を書きます(後半は23日に)。
紫の上の行動範囲
2017年2月10日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第104回)
昨日からの寒波襲来。西日本の日本海側や北陸などの大雪に比べたら、
交通機関も正常に動いていましたし、全くたいしたことはないのですが、
それでも帰宅時には、傘を差して1分歩くと、雪で傘が真っ白になるほどで、
今日がこんな雪になるとは予想外でした。来週の前半までは「名のみの春」
が続きそうですね。
今回このクラスは、「若菜下」の、冷泉帝の退位による御代替わりのところから、
源氏が朱雀院の「五十の賀」の準備を始めたところ迄を読みました。
源氏の一人娘の明石の姫君は、東宮妃として入内しましたが、その東宮が
天皇として即位し、明石の姫君所生の一の宮が東宮となりました。明石入道が
自らの瑞夢を信じて住吉明神に願を立てたことも、ここにほぼ完成したのです。
そこで、源氏は明石入道の願ほどきの趣旨は明らかにせず、ご自身の物詣と
いうことにして、紫の上も住吉神社へ同行なさいました。
紫の上は、ほとんど六条院の中にいらして、四季折々の風雅な管弦の遊びには
耳慣れておられましたが、外に出て物見をなさることもほとんどなく、ましてや
都の外へのお出かけは、「まだならひたまはねば、めづらしくをかしくおぼさる。」
(まだ経験なさったことがないので、住吉神社での神楽をめずらしく、興あることと
思われた。)とあります。
紫の上はこの時38歳。もう中年から初老の域に差し掛かっています。でもこれまで
一度も都(京)から出たことがないと言うのです。この翌年の春、紫の上は病に倒れ
ますので、これが最初で最後の都を離れた経験となりました。それもさほど遠くない
同じ畿内での話です。
今の私たちの感覚からすると意外な気がしますが、当時の高貴な女性は皆、概ね
このようなものだったのではないかと思われます。文字通り「深窓の令嬢」として
育てられ、10代で結婚。結婚後は夫以外の男性には顔を見せることもない生活
でしたから、不用意に遠出することなど、想像すらしなかったでありましょう。
中流の受領階級の娘や妻は、父や夫の任国に共に下ることもありましたので、
彼女たちのほうが、多くのものを見聞し、物書きとしての素養を蓄えることも出来た
のではないでしょうか。紫式部も、清少納言も、菅原孝標女も、父の任国で暮らす
経験をしています。
紫の上も、もう少し自由に動ける身だったなら、気持ちを外に向ける術が持てた
のかもしれませんね。
昨日からの寒波襲来。西日本の日本海側や北陸などの大雪に比べたら、
交通機関も正常に動いていましたし、全くたいしたことはないのですが、
それでも帰宅時には、傘を差して1分歩くと、雪で傘が真っ白になるほどで、
今日がこんな雪になるとは予想外でした。来週の前半までは「名のみの春」
が続きそうですね。
今回このクラスは、「若菜下」の、冷泉帝の退位による御代替わりのところから、
源氏が朱雀院の「五十の賀」の準備を始めたところ迄を読みました。
源氏の一人娘の明石の姫君は、東宮妃として入内しましたが、その東宮が
天皇として即位し、明石の姫君所生の一の宮が東宮となりました。明石入道が
自らの瑞夢を信じて住吉明神に願を立てたことも、ここにほぼ完成したのです。
そこで、源氏は明石入道の願ほどきの趣旨は明らかにせず、ご自身の物詣と
いうことにして、紫の上も住吉神社へ同行なさいました。
紫の上は、ほとんど六条院の中にいらして、四季折々の風雅な管弦の遊びには
耳慣れておられましたが、外に出て物見をなさることもほとんどなく、ましてや
都の外へのお出かけは、「まだならひたまはねば、めづらしくをかしくおぼさる。」
(まだ経験なさったことがないので、住吉神社での神楽をめずらしく、興あることと
思われた。)とあります。
紫の上はこの時38歳。もう中年から初老の域に差し掛かっています。でもこれまで
一度も都(京)から出たことがないと言うのです。この翌年の春、紫の上は病に倒れ
ますので、これが最初で最後の都を離れた経験となりました。それもさほど遠くない
同じ畿内での話です。
今の私たちの感覚からすると意外な気がしますが、当時の高貴な女性は皆、概ね
このようなものだったのではないかと思われます。文字通り「深窓の令嬢」として
育てられ、10代で結婚。結婚後は夫以外の男性には顔を見せることもない生活
でしたから、不用意に遠出することなど、想像すらしなかったでありましょう。
中流の受領階級の娘や妻は、父や夫の任国に共に下ることもありましたので、
彼女たちのほうが、多くのものを見聞し、物書きとしての素養を蓄えることも出来た
のではないでしょうか。紫式部も、清少納言も、菅原孝標女も、父の任国で暮らす
経験をしています。
紫の上も、もう少し自由に動ける身だったなら、気持ちを外に向ける術が持てた
のかもしれませんね。
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