fc2ブログ

六条院の「女楽」

2017年3月27日(月) 溝の口「湖月会」(第105回)

昨日、今日、また真冬の寒さです。先週の火曜日に開花宣言が出た
桜も、「早まった!」と思いながら震えているのではないでしょうか。
でも、明日からは気温も上昇に転じ、ようやく春本番となりそうです。

溝の口の「湖月会」は、3月10日の第2金曜クラスと同じ所を読みました。
今日は、10日のブログで予告しました「女楽」の場面をご紹介したいと
思います。

前年の冬から、朱雀院の「五十の賀」に備えて、源氏が女三宮に対し、
琴〈きん〉の琴の特訓をしてきたことは、10日に書いた通りです。

年が明けて、女三宮主催の朱雀院の五十の賀を、源氏は二月十日過ぎ
と定めて、その前にリハーサルも兼ねて、一月十九日に、六条院で「女楽」
を催されました。

明石の上の琵琶、紫の上の和琴、明石の女御の筝の琴、そして女三宮の
琴の琴。拍子合わせに、髭黒と玉鬘の間に生まれた上の男の子と、夕霧と
雲居の雁の長男も加わり、調弦のために夕霧も呼ばれました。

言わば、「源氏ファミリー」の華やかなホームパーティです。

他の三人は、源氏に手ほどきを受けた音楽の道ですが、明石の上の琵琶
だけは、父・明石の入道に仕込まれた玄人はだしの腕前です。

和琴は、六絃の単調な楽器で、演奏法も決まっておらず、合奏では他の楽器
にアドリブ的に合わせなければならないので、却って難しく、源氏も心配なさって
いましたが、紫の上は名人と呼ばれる人にも劣らぬ、見事な演奏をしました。

十五歳での、野分の後の垣間見以来11年間、心の奥で慕い続けている夕霧
には、どなたの演奏にもまして気になる紫の上の和琴でしたが、ただもう感嘆
するばかりでした。源氏も何事をもそつなくこなす紫の上を、改めて見直され
ました。

明石の女御は宮中での合奏にも慣れておられるので、可憐で優雅な筝の琴を
お聴かせになりました。

問題の女三宮も、まだ熟達の領域にはほど遠いけれど、何といっても琴の名手
の源氏から、マンツーマンの特訓を受けておられる最中なので、ちゃんと他の
楽器と融け合って、夕霧の耳にも「上手になられたな」と聞こえたのでした。

夕霧や源氏も拍子を取りながら唱歌されて、夜が更けていく中、親密な管弦の
遊びが繰り広げられました。

明石の女御を除き、三人の源氏の夫人たちの胸の内には、それぞれの思いが
渦巻いていたことでしょうが、それでも表面上は、このように理想的な関係が
保たれていました。

女君たちの中心に座していた源氏も、女君たちさえも、これを最後に六条院の
平和が崩壊してして行くとは、この時誰一人として思っていなかったでありましょう。

六条院の女楽は、これから始まる悲劇への前奏曲でもあったのです。


スポンサーサイト



第二帖「帚木」の全文訳(12)

2017年3月23日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第12回・№2)

本日読みました「帚木」の巻(87頁・10行目~97頁・12行目まで)の
後半に当たる部分(93頁・10行目~97頁・12行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

お屋敷にお帰りになっても、すぐにもお休みになれません。もう一度逢える
手立てもないけれど、自分以上に思い悩んでいる空蝉の心の内はどのような
ものであろうか、と、辛く思い遣っておられました。どこが優れているということ
はないけれど、見苦しくない嗜みを身につけていた中流の女だったなあ、
女性経験豊富な左馬頭が言っていたことは、なるほど、と、頷かれるのでした。

この頃は左大臣邸にばかりいらっしゃいます。やはりあれっきりになっている
ので、空蝉がどんなに思い悩んでいることかと哀れで気になって、思い悩んだ
挙句、源氏の君は紀伊守をお召しになりました。源氏の君が「先日の中納言の
子供を私に差し出しませんか。可愛らしく見えたので、身近に仕えさせようと
思ってね。帝にも私から差し出して殿上童にしてやりましょう」と、おっしゃる
ので、紀伊守が「たいそう恐れ多い仰せごとでございます。あの子の姉に
仰せ言を伝えてみましょう」と申し上げるにつけても、源氏の君はドキリと
なさいましたが、「その姉君には、そなたの弟がいるのか」とお尋ねに
なりました。紀伊守が「そういうこともございません。この二年ばかり父に
連れ添っておりますが、親の意向と違う身の上になってしまった、と思い
嘆いて、満足はしていないようだと聞いております」と返事をしますと、
源氏の君が「気の毒なことだなぁ。相当な美人だという評判の人だったね。
本当に綺麗な人かい」とお訊きになるので、「悪くはございませんでしょう。
継母は全くよそよそしい態度ですので、『継子は継母になつかぬもの』と
いう世間の言い草の通り、私も親しくはしておりません」と、紀伊守は
申し上げました。

それから五、六日経って、紀伊守がこの子を連れて源氏の君のもとへ
参上しました。何から何まで整っているというわけではありませんが、
優雅な物腰で、上流の子供らしく見えました。源氏の君はこの子を
お側近くに呼んで、たいそう優しくお話かけになります。子供心にも、
とても素晴らしいことと嬉しく思っておりました。姉・空蝉のことも詳しく
お尋ねになります。お答えすべきことはお答え申し上げなどして、
源氏の君が気恥ずかしくなるほど落ち着いているので、空蝉への
使いの依頼を言い出し難くていらっしゃいます。ですが、大層上手に
わかるようにお話になりました。源氏の君と姉との間にそのようなことが
あったのか、と、ぼんやりと分かったのも、この子にとっては意外なこと
でしたが、子供のこととて深くも考えずに源氏の君のお手紙を持ってきた
ので、空蝉はあまりのことに涙が出て来てしまいました。弟もどう思って
いることか、と、きまりが悪く、それでもさすがにお手紙を突き返す訳にも
行かず、そのお手紙で顔を隠すようにして広げました。こまごまと書いて
あって

「見し夢をあふ夜ありやと嘆くまに目さへあはでぞころも経にける(先夜の
夢が現実のものとなって再び逢える夜があろうかと嘆いているうちに、
目までもが合わなくなって日が経ってしまったことです)
眠れない夜が続くので、夢でもお逢いすることができません」

などと、素晴らしい書きぶりも、涙で曇ってしまい、こんな受領の妻になど
なってしまってから、源氏の君に愛されるようになった皮肉な我が身の
運命を思い続けて、横になっていました。翌日、また源氏の君が小君を
お召しになったので、「参上しますから」と言って、小君は空蝉にお返事を
書いてほしいと頼みました。空蝉が「このようなお手紙を見るはずの人も
おりません、と申し上げなさい」とおっしゃると、小君はにっこりとして
「間違いようもなくはっきりとおっしゃったのに、どうしてそんなことが
申し上げられましょう」と言うので、空蝉は嫌になり、源氏の君がすっかり
この子に話してしまわれたのだと思うと、この上なく辛いことでありました。
「いいえ、ませた口を利くものではありません。それなら参上してはなり
ません」と空蝉に機嫌を損ねられて、「お召しになっているのに、参上
しないわけにはまいりません」言って参上しました。

紀伊守は好色な気持ちから、この継母の置かれた立場をもったいない
ものだと思って、何かとご機嫌を取り結ぼうとしているので、この子を
大事に扱って、連れ歩いているのでした。

源氏の君は、小君を傍に呼び寄せて、「昨日は一日待ちくたびれて
いたのに。お前は私とは仲良くしてくれそうにないのだね」と、お恨みに
なるので、小君は顔を赤らめて座っていました。源氏の君が、「どうした、
返事は」とおっしゃるので、空蝉との遣り取りを申し上げると、「張り合い
のないことだなあ、あきれたよ」と言って、またもお手紙をお与えになり
ました。「君は知らないのだろうな。私はその伊予の爺さんよりは、
君の姉さんと先にいい仲になった人なんだよ。だけど、私を頼りない
若僧だと見くびって、あんな不細工な夫をこしらえて、私を馬鹿に
なさるらしい。姉さんが私を軽んじても、君は私の子供のつもりでいて
おくれよ。あの頼りがいのあるお年寄りは、老い先も長くはないことだろう」
と源氏の君がおっしゃると、そうだったのかもしれない、大変なことだなあ、
と、小君が思っている様子なので、源氏の君はおかしくお思いでした。

この子をお傍からお放しにならず、宮中にも連れて参上などなさっています。
二条院の衣服調達所にお命じになって、小君の装束なども調製させて、
本当に親のようにしてお世話なさっていました。空蝉へのお手紙は
しょっちゅうでした。けれど、空蝉は、この子もたいそう幼いことだし、
気をつけているつもりでも、うっかり手紙を落として人目に触れることでも
あったら、私は軽率な女だという評判を立てられることになろう。受領の
妻という我が身の置かれた立場からすると、源氏の君との関係は実に
不似合いなことと思われるので、どんなに結構なことでも自分の身分
次第のことなのだ、と、気を許したお返事を差し上げることもしません。

先夜ほのかに見た源氏の君のご様子やお姿は、なるほど噂通り
素晴らしいものだった、と思い出さないわけではないけれど、情趣を
解するかのように、お返事を差し上げたところで、いったい何になろうか、
などと思い返すのでありました。

源氏の君は片時もお忘れになることなく、空蝉のことを心苦しくも恋しくも
思い出されておりました。空蝉が思い悩んでいた様子などの不憫さも、
頭から払いのけようもなく、思い続けていらっしゃいます。人の出入りに
紛れて軽々しく紀伊守邸に立ち寄りなさるのも、人目の多いところなので、
そうした不都合な行動が人に知られることになってしまうかもしれないし、
そんなことになれば、女のためにも気の毒な事だし、と思い悩んでおら
れました。


空蝉が手紙を書かない訳

2017年3月23日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第12回・№1)

第4木曜日は、溝の口の高津市民館が使えない日になることが多く、
今日は武蔵小杉駅前のタワーマンションの中にある中原市民館が
会場になりました。

3月13日(第2月曜日のクラス)の記事で、一夜の契りを交わした
空蝉を忘れることが出来ない源氏が、空蝉の弟の小君を使って、
手紙を遣わしても、空蝉からの返事は得られない、というところ
迄を書きました。今日は、空蝉がなぜ返事を書こうとしないのか、
その理由を記しておきたいと思います。

先ず、空蝉は手紙の遣り取りの仲介をしているのが、まだ子供なので、
うっかり落としたりして、人目に触れる可能性を危惧します。そうなると、
自分は軽率な女、身分違いのくせしていい気になっている女、との評判
が立ち、笑われることになろう。何よりも、自分は受領の後妻、という、
源氏とは全くつり合わない境遇にあり、この恋に身を投じたところで、
先々には何の望みを持つことが出来ない、と冷静に分析し、源氏に
心惹かれながらも、自らの気持ちにブレーキをかけたのです。

空蝉は理性の勝った女性で、自制心を働かせて、激情に走るような
真似はしません。紫式部が、「源氏物語」の中で、一番己を投影した
女性だとも言われています。

いつものように、引き続き、本日の講読個所の後半の全文訳を
書きます(前半は3/13の全文訳をご覧ください)。


自由が丘「カフェ ド イシス」

2017年3月21日(火)

年に3回ある(3月、7月、12月)昔の職場の講師仲間の会ですが、
今回は私に幹事の順番が廻って来て、昨年1月に、溝の口の
「源氏物語を読む会」の新年会で連れて行っていただいた、
自由が丘の「カフェ ド イシス」に、皆さまをご案内いたしました。

朝から雨、気温も昨日よりもグーンと下がって真冬並み、との
予報でしたが、お昼頃には、ほとんど傘も差さずに歩けるほど
雨も収まり、寒さも思ったほどではありませんでした。

田園都市線不通の情報に、振替輸送を覚悟して家を出ましたら、
既に運転は再開されていて、随分早くに自由が丘に着きました。

「カフェ ド イシス」は、駅から10分ほど歩いたところにある、お庭の
美しい一軒家レストランで、建物も洋館ですが、繊細な京風の和食
が供されるお店です。

落ち着いた個室で、次々に運ばれて来るお料理を、目と舌で存分に
味わいながら、いつものように話も弾み、楽しいひと時を過ごしました。

今日は全てのお料理をカメラに収めましたが、ここに載せるなら、やはり
これでしょう、という一枚です。

          DSCF2939.jpg
            和食版「アフタヌーンティー?」    
    ご飯はカリフラワー入りの俵形のお握り。蕪のすり流し、
   わらさの照り焼き、ふきのとうの天ぷら、菜の花の胡麻和え
   等々、どれも素材の味が活かされていてとても美味しい!!

駅から少し離れているのが、難点と言えば難点ですが、また行ってみたい
と思うレストランの一つです。


教育パパの成果

2017年3月17日(金) 溝の口「枕草子」(第6回)

日中はようやく春の暖かさが感じられる陽気となりましたが、
夜になると、やはり風が冷たくて、ゴミ置き場まで行くにも、
ダウンを羽織って行きました。

溝の口の「枕草子」は、前回の続きの第20段の後半から、
第21段、第22段「すさまじきもの」の前半までを読みました。

第20段前半で、中宮さま(定子)は、周りの女房たちに古歌を
一首ずつ書くようにお命じになりましたが、後半はそれに続いて、
「古今集」の上の句をお読みになり、下の句を答えるように、と
女房たちにお尋ねになるところから始まります。

誰もすらすらとお答えする者がなく、一番お答え出来た宰相の君でも、
せいぜい十首程度。そこで、中宮さまが、半世紀近く前の、村上天皇の
女御だった「宣耀殿の女御」のお話をなさいます。

この方は藤原師尹の娘・芳子で、入内前に父上がおっしゃったことは、
「第一にお習字をしっかりとなさい。次に琴(きん)の琴を人よりも上手に
弾けるようになりなさい。その上で、『古今集』二十巻を全部暗誦なさい」
というものでした。

「古今集」二十巻は約1,100首あります。「百人一首」だって全部暗誦する
のは楽ではありませんよね。1,100首は、聞いただけで気が遠くなりそうな
歌の数ですが、この宣耀殿の女御は、それを憶えていたのです。

ある日、村上天皇が女御のもとへいらして、暗誦テストを開始されました。
「いつ、どんな時、誰それが詠んだ歌」という詞書のあるものを選んで、
女御にその歌を答えさせなさいます。。

やがて前半の十巻分が終了しました。女御は全部間違いなく答えました。
帝は「さらに不用なりけり」(全く無駄なことだったなあ)とおっしゃって、
一旦はおやすみになったのですが、「やはり今夜中に決着をつけないと、
明日になったら、女御が後半の歌を確認してしまうかもしれない」と思って、
また起き出して、とうとう二十巻全部のテストをしてしまわれました。それでも、
女御が間違われることは、遂にありませんでした。教育パパの成果これにあり、
と言ったところでしょうか。

でも、「帝がお嬢様に古今集暗誦のテストをしておられます」という
知らせを聞いた女御の父・師尹は、心配で心配で、あちこちのお寺に、
娘が間違えることのないよう、お祈りのお経を依頼し、ご自身は、
宮中のほうを向いて、必死に祈り続けていらっしゃったそうです。

このお話をお聞きになって、一条天皇は「おじいさまはすごいね。
私では三、四巻だって無理だよ」と、祖父に当たる村上天皇の
暗誦テストの根気に感心をしておられました。

18歳の中宮に、15歳の天皇。こうして中宮さまは上手にリード
しながら、年若い天皇の文化的教育の一翼を担っていらっしゃる
のでした。

その中宮さまも亡くなってしまわれた今、清少納言は「まことに、
露おもふことなく、めでたくぞおぼゆる」(本当に、まったく何の
心配もなく、素晴らしいことと感じておりました)と、当時を偲び、
この段を締めくくっています。


真実は読者だけが知っている

2017年3月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算187回 統合41回)

今にも雪が降って来そうな空を眺めながら、出かけました。完全に真冬に
逆戻りです。お彼岸も近づいているのに、この寒さはどうしたことでしょう。

湘南台クラスは、第二部と「宇治十帖」をつなぐ「匂宮三帖」の最後の巻、
「竹河」に入っています。

「竹河」の巻は、冒頭に、これは光源氏一族の物語とは別の、故髭黒家に
仕えていた古女房の問わず語りである、と記されていて、これまでとは
違う語り手が設定されている巻です。

ですから、語り手も、「薫は源氏の子」と、信じた形で書かれています。

「六条の院の御けはひ近うと思ひなすが、心ことなるにやあらむ、世の中に
おのづからもてかしづかれたまへる人なり」(源氏のお血筋を引く方と思う
せいで、特別な気がするからでしょうか、世間でも自然と大切にされて
いらっしゃる方なのです)と、薫を読者に紹介します。

また、玉鬘が、薫の落ち着いた優雅な身のこなしを、「自分はお若い頃の
源氏の君を存じ上げないけれど、きっとこんなふうでいらっしゃったので
しょうね」と言ったり、薫の和琴を聴いて、「おほかたこの君は、あやしう
故大納言の御ありさまに、いとようおぼえ、琴の音など、ただそれとこそ
おぼえつれ」(だいたいこの君〈薫〉は、不思議なほど亡き大納言〈柏木〉
のご様子に、とてもよく似ておられ、琴の音など、ただもう柏木が弾いて
いるのではないかと思われました)と、涙を流したりするのも、語り手は
そのまま受け入れています。

登場人物である玉鬘が、薫が自分の甥(玉鬘の弟の柏木が薫の実父)で
あろうとは夢にも思っておらず、源氏の子と信じているのはわかるのですが、
語り手も真実を知らないというのは、ちょっと違和感を覚えます。でも「竹河」は、
そうした「真実は読者だけが知っている」という姿勢で貫かれている巻なのです。


第二帖「帚木」の全文訳(11)

2017年3月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第12回・№2)

本日読みました「帚木」の巻(87頁・10行目~97頁・12行目まで)の
前半に当たる部分(87頁・10行目~91頁・9行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

皆が寝静まった様子なので、源氏の君が、掛け金を試しに外してご覧になると、
向こう側からは掛けてありませんでした。障子口には几帳が立ててあり、
灯りはほの暗いのですが、その明かりでご覧になると、唐櫃のようなものが
沢山置いてありました。そのごたごたした中を、分けてお入りになりますと、
空蝉はたった一人、とても小柄な感じで横になっていました。

源氏の君は何となく気が引けるけれども、空蝉は、源氏の君が上に掛けている
着物を押しやるまで、先程自分が呼んだ女房が入って来たのだと思っていました。
源氏の君が「中将をお呼びでしたので。人知れずお慕いしていた甲斐があったと
嬉しく存じまして」とおっしゃるのを、空蝉はとっさの分別もつかず、悪夢に
うなされるような思いがして「あっ!」とおびえ声を立てましたが、顔に源氏の君の
着物が被さって、声にもなりません。「出し抜けで、あさはかな出来心だとお思いに
なるのもごもっともですが、長年お慕い続けている私の気持ちも申し上げて分かって
頂きたいと思いまして。こうした機会を待っていてやっと巡って来たことからしても、
決していい加減な気持ちからではないと分かってください」と、たいそう物柔らかに
おっしゃって、恐ろしい鬼神でさえ、その優美さに感じ入って荒々しい振舞いは
出来そうにないご様子なので、ぶしつけに「ここに誰かが」とも騒ぎ立てることも
出来ません。とは言え、気持ちはただもう情けなくて、「あってはならないこと」と
思うと、呆れる思いで、「お人違いでございましょう」と言うものの、声にもなりません
でした。

消え入らんばかりに取り乱している様子が、とても痛々しく可憐なので、「いい女だ」
とお思いになって、「人違いなどするはずもない恋心に導かれてまいりましたのに、
おとぼけになるとは心外です。好色めいた振舞いは決していたしません。私の
胸の内を少し申し上げるだけです」と言って、とても小柄な身体つきなので、
抱きかかえて、障子口の所にお出でになると、さっき空蝉が呼んでいた中将らしき
人が来合わせました。

源氏の君が「あっ」と声を上げられたので、中将が変に思って、手探りで近づいた
ところ、着物に焚きしめられたお香の匂いが辺り一面に漂って、その香りが顔にも
くゆりかかる気がするので、「ああ、これは源氏の君だ」と気が付きました。
呆れる思いで、これはどうしたことかとおろおろしていますが、何も申し上げられ
ません。「これが並みの身分の男なら、手荒に引き離しも出来よう、それでさえ、
大勢の人に知られるのは拙いことであろう」と、中将は気もそぞろで、ついて
来たけれど、源氏の君は動じる様子も見せないで奥のご寝所にお入りに
なりました。源氏の君が襖を閉めて、「明け方にお迎えに参れ」とおっしゃると、
空蝉は、この中将の思惑までもが死ぬほど切ないので、流れるまでに汗をかいて、
気分もひどく悪そうなのが気の毒ではありますが、例によってどこからお取り出し
になる言葉なのでしょうか、女がしみじみと身に沁みて感じるほどに、優しく優し
く言葉をお尽くしになりますが、空蝉にとってはやはりあまりのことに、「悪い夢を
見ているようでございます。私は人数にも入らぬ身ですが、お蔑みになるお気持ち
も、どうして浅いと思うことができましょうか。私のような賤しい身分の者には、
その身分の者なりの生き方があるのです」と言って、源氏の君がこんな無体な
ことをなさったのを、心底、思い遣りのない情けないことと思っている様子も、
本当に可哀想で、手出し出来ない雰囲気なので、「そのおっしゃる身分身分に
よる違いを、まだ知らない初めてのことなのですよ。それを却って世間並みの
浮気者のようにお扱いになるのは心外です。今までに自然とお耳に入ることも
ありましたでしょう。私には無理やり思いを遂げるような振舞いはこれまで全く
なかったのですが、これも前世からの因縁でしょうか、本当にあなたから
このように非難されても仕方のない心の乱れようを、自分でも不思議なほどに
思います」など、真剣に、あれこれおっしゃいますが、源氏の君のまことに
類まれなお美しさを見るにつけ、空蝉は、ますます我が身を許すことが
辛く思われるので、素っ気ない嫌な女だと思われようが、そういう情けを
解さないどうしようもない女で押し通そう、と思って、どこまでもすげない
態度を取っておりました。

空蝉は人柄が物柔らかであるのに、無理にも強情を張ろうとしているので、
源氏の君にはなよ竹のような気がして、なかなか手折れそうにもありません
でした。空蝉が、心底悲しく、源氏の君の強引ななさりようを、言いようもなく
辛いと思って泣いている様子などは、本当に可哀想で、気の毒ではありますが、
結ばれないまま終わっていたら悔いを残すことになっただろう、と、源氏の君は
お思いでした。

空蝉が、慰めようもなく辛いと思っている様子なので、「どうして、そんなに
目の敵にしなくてもいいではありませんか。思い掛けずこんなことになったのも、
深い因縁があったからだと思ってください。全く男女の仲をご存じないかのように、
しょんぼりなさっているのはあんまりです」とお恨みになります。空蝉が、「本当に
このような情けない身の上にまだ定まっていなかった昔のままの娘の身で、
こうしたお情けに預かるのでしたら、身の程知らずのうぬぼれから、お気が
変わって真剣に愛して頂ける日も来ようかと、思い慰めることも出来ましょうが、
ほんにこのような仮初めのはかない逢瀬だと思いますと、どうしようもなく、
悲しくなるのでございます。仕方ございません。今となってはせめて私とのことは
なかったことにしてくださいませ」と言って、思い沈んでいる様子も無理のないこと
でした。

源氏の君は心を込めて、先々の変わらぬ愛を約束し、お慰めになることも多う
ございましたでしょう。鶏も鳴きました。源氏の君のお供の方々も起き出して、
「ひどく寝過ごしてしまった。お車を引き出せ」などと言っているようです。
紀伊守も出て来て、「女の方の方違へならともかく、暗いうちに急いでお帰りに
なることもないでしょう」などと、言っているようでもあります。源氏の君は二度と
こうした機会があることは難しく、わざわざ訪れることは出来ないし、手紙の
遣り取りなどもとても無理なことだとお思いになるので、たいそう胸が痛みます。

奥に居た中将の君も出て来て、とても辛がるので、一旦は空蝉をお放しに
なるものの、また引き留めなさりながら、「どうやってお便りをすればよいので
しょう。またとないお心の冷たさも、懐かしさも、深くこの胸に刻まれた二人の
思い出は、どちらも滅多にない語り草となりそうな経験です」と言って、お泣きに
なる様子は、とても優美でいらっしゃいます。鶏も度々鳴くので、気忙しくて、

「つれなきを恨みも果てぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ」(あなたの
冷たさをまだ十分に恨み切れないうちに早夜も白み、どうして鶏は私を
慌ただしく起こそうとするのでしょう)

と、歌をお詠みになると、空蝉は我が身の立場や容姿のことを思うと、とても
不似合いで恥ずかしい心地がして、身に余るほどの源氏の君のお扱いぶりも、
何とも感じることなく、ふだんはとんと素っ気なくして気に入らないと見下している、
伊予の介である夫のことが思い遣られて、夫が自分のことを夢に見るのでは
なかろうか、と、空恐ろしく気が引けるのでした。空蝉は

「身の憂さをなげくにあかであくる夜はとり重ねてぞ音もなかれける」(我が身の
情けなさを嘆くにも嘆き足りないうちに、明けてしまうこの夜は、鶏の声に重ねて
私も声を立てて泣かれることです)

と、歌を返しました。

どんどん明るくなるので、源氏の君は襖口まで空蝉をお送りになります。
家の中も外も人騒がしいので、襖を閉めてお別れになる時は、心細く、
襖が二人を隔てる関のように思われました。源氏の君は直衣などを
お召しになって、南面の高欄の所でしばらくぼんやりとしていらっしゃい
ます。そのお姿を、西面の格子を慌ただしく上げて、女房たちが覗いている
ようです。簀子の中程に立てた小さな衝立の上から、僅かに見える源氏の君
のお姿を、ぞくぞくする思いで窺っている浮気な女房たちがいるようでした。

月は有明で、光は弱くなっているものの、月のおもてははっきりと見えて、
却って趣のある明け方です。無心な空の様子も、ただ見る人の気持ち
次第で、優艶にも物悲しくも見えるものでございましたよ。誰も知らない
源氏の君のお心の内は、とても辛く、空蝉に手紙を贈る手立てさえないのに、
と、後ろ髪を引かれながら紀伊守邸を後になさったのでした。


源氏に心を開こうとしない空蝉

2017年3月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第12回・№1)

今日は陽射しもなく、昨日よりもいっそう寒さが感じられたので、迷わず
ダウンコートで出かけました。毎年今頃は寒い日が多いのですが、
今年の3月は特に気温が低いのではないかと思われます。

昨年4月にスタートした「紫の会」も、今回で1年目が終了。
間もなく第2帖「帚木」を読み終える、というところまで来ました。

方違へに出かけた紀伊守邸で、紀伊守の父・伊予介の後妻となっている
空蝉の存在が気になる源氏は、襖の向こう側には掛金が下ろしてなかった
のをいいことに、ほの暗い中、空蝉の寝所に忍び込み、強引に契りを交わし
ます。ただし「源氏物語」で描かれるのは、その前後だけで、本文を読んだ
だけでは、なかなか解り難い場面です(この後、全文訳を書きますが、それで
ご覧いただいても、「何があったの?」と思われるかもしれません)。

鶏が鳴き、別れの時が近づいても、空蝉は源氏に打ち解けようとはしません。
空蝉は「すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる中の品かな」
(どこが特に優れているというわけではないが、見苦しさを感じさせないたしなみ
を身に着けていた中流の女性だったなあ)というのが源氏の感想です。

ですから、空蝉が、源氏の甘い言葉に軽く乗って、全て源氏の思い通りになる
女だったら、源氏は彼女にさほど心惹かれることもなかったに違いありません。

空蝉には手紙を遣るルートもなく、途方に暮れた源氏は、空蝉の弟の小君を
身近に使うことにして、この子にメッセンジャーボーイの役目をさせます。

でも、いくら手紙を贈っても、空蝉からの返事を得ることは出来ません。
空蝉が返事を書かないのには理由がありました。それについては、23日に
同じ所を読みますので、そちらで書きたいと思います。

引き続き、本日の講読個所の前半の全文訳を書きます(後半は23日に)。


薫の計略

2017年3月12日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第135回)

3月も中旬となり、さすがにダウンコートを着て出かけるのには
抵抗があって、薄手のコートにしましたら、風の冷たいこと!!
ちょっぴり後悔したのでした。

第47帖「総角」の巻も、中盤です。

前回、薫が弁に案内を乞うて、大君のもとへと忍び込んだところ、
大君は一緒に寝ていた中の君を残して、姿を隠してしまいました。

正攻法では大君には受け入れて貰えそうにない、と悟った薫は、
かねてより中の君にご執心の匂宮を宇治に伴い、先ず、大君が、
薫と結婚させようとしている中の君を、匂宮と結びつけてしまおう、
と算段したのでした。中の君が匂宮のものになってしまえば、
大君も諦めて、自分との結婚を承知してくれるのでは、と悩んだ
挙句に辿り着いた薫の結論でした。

この二年間、さんざん気を持たされ続けて来た匂宮は、薫が宇治の
姫君のもとへ案内してくれるという話に、一も二も無く乗って来られました。

薫にとって気掛かりだったのは、中の君の人柄が掴めていないことでした。
実際に逢って、匂宮が中の君に幻滅し、すぐさま捨てることになったら、
それこそ大君が何よりも大事にしている「宮家の誇り」に傷がついて
しまいます。でも、先夜それも確認済みです。中の君は容貌の点では
申し分ないし、気立ての良さも見て取れました。薫は、匂宮が中の君の
虜になるであろうことに確信を持って、宇治へと伴ったのです。

薫は、弁を呼び出し、もう一度中の君のもとへ導くように依頼します。
扇を鳴らす合図も決めておかれました。そしてその前に、大君にお話が
ある、と言います。すっかり薫の話を信じた弁は、それを大君に伝えます。
大君も、薫がようやく妹との縁組を承知してくれたのだと安心して、
襖越しに薫と対面したのでした。

その間に、匂宮は打ち合わせ通り薫になりすまし、弁の案内を得て、
中の君のもとに忍び込まれました。

薫は大君に真相を話します。これでもう大君の退路が断てた、と
思ってのことでした。ところが、大君は薫に打ち解けるどころか、激しく
抵抗します。襖の隙間から大君の着物の袖を捉え訴える薫でしたが、
大君は薫のやり方の非を説き、この場を逃れようとします。

やがて根負けしたのは薫のほうでした。薫は三度目のチャンスも、
ものにすることが出来ませんでした。

夜明けが近づき、京へと帰って行く二人。中の君への思いに胸が
いっぱいの匂宮と、本意を遂げられず、「しるべのをこがましさを、
いと妬くて、愁へもきこえたまはず」(案内役をした自分は結局
馬鹿を見ただけで、中の君に夢中になっている匂宮が妬ましく、
愚痴をこぼすこともなさらない)薫なのでした。

こうして薫は大君と結ばれることなく終わるのですが、薫の実父・柏木
が、女三宮のもとに忍び込んだ場面(「若菜下」)と比較して読んで
みるのも面白いと思います。

柏木も女三宮に対し、「せめて可哀想に、と一言おっしゃって頂けたら、
無体なことはいたしません」と訴えましたが、女三宮はそれに返事を
することすら出来ませんでした。もし、女三宮が大君のような毅然とした
態度が取れる女性だったなら、どうなっていたでしょうか。


源氏、女三宮を猛特訓

2017年3月10日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第105回)

日中は春の陽射しが暖かく感じられましたが、夜になるとまだ暖房が
恋しく、今も暖房機を点けてパソコンに向かっています。

溝の口・第2金曜日のクラスは、「若菜下」の、まもなく始まる六条院の
悲劇の発端、紫の上が病に倒れる直前に催された「女楽」の場面まで
を読みました。

朱雀院が、愛娘・女三宮を源氏のもとへ降嫁させて既に7年近くが経ち、
翌年の朱雀院の「五十の御賀」で、女三宮が院の御所を訪問された際、
「琴(きん)の琴」の演奏をお聴きになりたい、とおっしゃっていることが、
源氏にも伝わって来ました。

女三宮は幼い頃から、朱雀院に「琴の琴」の手ほどきを受けておられ
ましたが、十代半ばで結婚なさったので、以後は「琴の琴」の名手である
源氏から教えを受け、上達なさったに違いないと、院はもとより、女三宮の
兄である帝までが思っておられる、と耳にして、源氏は、これはその期待に
お応えすべく女三宮を特訓しなければ、とお考えになったのでした。

源氏の気合の入ったプライベートレッスンが始まります。紫の上の許しも
得て、夜な夜な女三宮のもとへお渡りになり、秘曲を伝授なさいます。
さすがに頼りない女三宮も、猛特訓のおかげで、だんだんと上手になって
行かれました。

おそらく源氏の妻としての歳月の中で、女三宮にとって一番幸せだったのは、
この「琴の琴」の教えを受けていた時ではなかったでしょうか。それは源氏にも
言えることで、一対一の「琴の琴」の特訓は、二人に僅かで貴重な心の繋がり
を与えてくれた時間だったと思われます。

年が明けて、朱雀院の「五十の御賀」を二月十日過ぎと定めて、その前に
女三宮のリハーサルも兼ねて、源氏は正月十九日に、六条院で「女楽」を
催します。やがて内部から崩壊して行く六条院の、最後の輝きともいえる
この「女楽」のことは、第4月曜日(27日)のクラスのほうでお伝えすることに
いたしましょう。


訪問者カウンター