カルトナージュ講習 part3
2017年4月30日(日)
3月21日のブログに書きました昔の職場仲間の集まりの時、私の
眼鏡ケースをご覧になった皆さまから、一様に「素敵!!」の声が
上がりました。
で、これは「カルトナージュ」というもので、溝の口の源氏の会の方が
認定講師の資格を持っておられて、光琳かるたを飾る「かるたスタンド」
の講習をして頂いたことなどを、得意気に話しましたら、「ぜひ講習を」
との要請を受け、先生にお願いして、今日の講習会の運びとなりました。
私は「光琳かるたスタンド」、「A4ファイルが収まる箱」に続く三度目の
講習となりましたが、ぶきっちょですので、いつもまっさら状態です。
他の三人の方は、もちろんカルトナージュは初体験でしたが、着々と
仕事を進められ、結局、失敗で紙を一枚ダメにしてしまって、先生に
余計なお手間をかけたのは私だけでした。恥ずかしい(。-_-。)
出来上がった箱を並べて皆で写真撮影。今日も参加者は全員大喜び。

おしゃれな配色もカルトナージュの魅力の一つです
それぞれの作品を手に帰途につきましたが、皆さまの口からは、
先生への感謝の言葉が次々と。そして、またの機会を、の声も・・・。
3月21日のブログに書きました昔の職場仲間の集まりの時、私の
眼鏡ケースをご覧になった皆さまから、一様に「素敵!!」の声が
上がりました。
で、これは「カルトナージュ」というもので、溝の口の源氏の会の方が
認定講師の資格を持っておられて、光琳かるたを飾る「かるたスタンド」
の講習をして頂いたことなどを、得意気に話しましたら、「ぜひ講習を」
との要請を受け、先生にお願いして、今日の講習会の運びとなりました。
私は「光琳かるたスタンド」、「A4ファイルが収まる箱」に続く三度目の
講習となりましたが、ぶきっちょですので、いつもまっさら状態です。
他の三人の方は、もちろんカルトナージュは初体験でしたが、着々と
仕事を進められ、結局、失敗で紙を一枚ダメにしてしまって、先生に
余計なお手間をかけたのは私だけでした。恥ずかしい(。-_-。)
出来上がった箱を並べて皆で写真撮影。今日も参加者は全員大喜び。

おしゃれな配色もカルトナージュの魅力の一つです
それぞれの作品を手に帰途につきましたが、皆さまの口からは、
先生への感謝の言葉が次々と。そして、またの機会を、の声も・・・。
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第三帖「空蝉」の全文訳(1)
2017年4月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第13回・№2)
本日読みました後半に当たる部分、「空蝉」の巻(105頁・1行目~
110頁・1行目まで)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
源氏の君は、おやすみになれないままに、「私は、こうも人につれなくされた
ことは今までなかったのに、今夜は、初めて辛い男女の仲を思い知らされた
ので、もうきまり悪くて、生きて行けそうにもない気持ちになってしまった」など
とおっしゃるので、小君は涙までこぼして横になっていました。
源氏の君は小君をたいそう可愛いとお思いになります。空蝉の、手触りが
ほっそりとした小柄な身体つきや、髪がさほど長くはなかった感じが、この子
の様子と似ているのも、気のせいか、心をそそられます。無理やりにしつこく
女の居場所を探して近づくのも、体裁の悪いことだろうし、心底ひどい女だ、
と思い続けて一夜をお明かしになり、いつものようには、小君にもあれこれと
おっしゃらず、まだ辺りの暗いうちにお帰りになるので、この子は源氏の君が
たいそうお気の毒で、もの足りないと思っておりました。
空蝉もひとかたならず、失礼なことをしたと思っていますが、あれから源氏の君
のお便りも途絶えてしまっています。すっかり懲りてしまわれたのか、と思うに
つけても、あのまま源氏の君が素知らぬ顔をなさって終わっていたなら、
辛いことであったろう。かと言って、強引で見苦しいお振舞いが絶えないという
のも困ったことになろう。適当なところで、こうして切りをつけてしまうのが良い
のだ、と思うものの、平静ではいられず、物思いに沈みがちでありました。
源氏の君は、空蝉をひどい人だとお思いになりながらも、このままでは
終われそうになくお心に掛かり、不面目なことだと思い余られて、小君に
「とても辛くも、情けなくも思われるので、無理に諦めようと思うけれど、
そんなわけにも行かず苦しいから、適当な折を見て、会えるように手立て
をしてくれ」と、おっしゃり続けるので、小君は煩わしいけれど、こんなことで
でも、お言葉をいつもかけて下さるのは、嬉しく思っておりました。
子供心にも、どのような折が良かろう、と待ち続けていると、紀伊守が、
任国に下りなどして、女たちだけでくつろいでいる月明りのない夕方の、
道もはっきりしないような闇に紛れて、小君は自分の牛車に源氏の君
を乗せてお連れいたしました。この子も幼いので、上手く行くだろうか、
と源氏の君は内心ご心配ではありましたが、そうそうのんびりと構えて
いられそうにもないので、目立たない服装で、門などを閉めない先に、
と急いでお出でになりました。
小君は人目のない門から牛車を入れて、源氏の君を降ろし申し上げ
ます。小君が子供なので、宿直人なども、特に気にも留めず、ご機嫌
取りもしないので、気楽です。東の妻戸に源氏の君をお立たせ申して
おいて、小君は南側の隅の間から、格子を大きな音を立てて叩き、
上げさせて中に入りました。
年配の女房が「格子を上げたままでは丸見えですよ」と言っている
ようです。小君が「どうして、こんなに暑いのに、この格子は下して
あるの」と訊くと、女房は、「お昼から、西の対の姫君がお出でに
なって、碁を打っていらっしゃるのです」と答えました。そうやって
女たちが向かい合って座っているのを見たいものだ、と、源氏の君
はお思いになって、そっと歩き出して、格子と御簾の間にお入りに
なりました。
先程小君が入った格子はまだ閉めてないため、隙間が見えるので、
近づいてそこから西のほうを見通されると、この格子の向こうに立てて
ある屏風も、端のほうが折りたたまれている上に、見通しを悪くする
几帳なども、暑いからでしょうか、帷子を横木にかけているので、
たいそうよく覗き込めます。
灯りが二人の近くに点してありました。母屋の中柱に対して斜めに
いる人が、気になるあの人かと、先ず目を留めなさると、濃い紫の
綾の単襲を着ているようです。何かをその上に着ていて、頭の感じも
ほっそりとした、小柄な人が、見栄えのしない姿をしています。
顔などは向かい合っている人などにも、特に見えないようにと気を
つけています。碁を打つ手つきもひどくやせ細っていて、しきりに
袖で隠しているようです。もう一人は、東を向いているので、余す
ところなく姿が見えます。白い薄物の単襲に、二藍の小袿のような
ものを、しどけなく着ており、紅の袴の紐を結わえた辺りまで胸を
露わにして、だらしのない振舞いであります。たいそう色が白く、
可愛気のある様子です。ぽっちゃりと太った背も高い大柄な人の、
頭の形や額の感じもくっきりと印象的で、目元や口元が愛らしく、
華やかな容貌の女性です。髪はたいそうふさふさとしていて、
長くはないけれど、下がり端は、肩のあたりがすっきりとしており、
全体的におおらかな感じで、美しい人だと見受けられました。
なるほど、親はこの上なく自慢の娘と思っているだろう、と、興味を
持ってご覧になります。心構えに、やはり落ち着いた感じを加えたい
ものだ、と、一見して思われるのでした。頭の回転も良さそうで、碁を
打ち終わって闕をさすところなどは、機敏そうに見えて、陽気に騒ぎ
立てますと、奥にいる空蝉はとても静かに落ち着いて「お待ちになって。
そこはせきでしょう?この辺りの劫を片づけましょう」などと言いますが、
「いいえ、この度は私の負けですわ。隅のこことここは何目かしら、
どれどれ」などと言って指を折りながら、「十、二十、三十、四十」と、
目を数える様子は、伊予の弓桁もよどみなく数えられそうに見えました。
少し気品に欠けております。
空蝉のほうは、しっかりと袖で口を覆って、はっきりとも顔を見せて
いませんが、源氏の君がじっと目を凝らしなさると、自然と横顔が
見えます。瞼が少しはれぼったい感じがして、鼻筋などもすっきりと
通っておらず、老け顔で、色っぽいところも感じられず、あえて言えば、
不器量に近い容貌なのですが、たいそうひどく取り繕って、この器量の
良い人よりもたしなみがあろうと、誰もが目をつけそうな様子をして
いました。
軒端の荻は、朗らかで愛らしく綺麗な娘なので、ますます陽気に
くつろいで笑ったりして、はしゃぐと、華やかさに溢れ、これはこれで
なかなか魅力的な人柄ではありました。軽薄だな、とお思いには
なるものの、堅物とは言えない源氏の君のお心には、この女にも
無関心ではいられそうにないのでした。
源氏の君がご存知の女性は皆、くつろいでいる時がなく、とりすまして
顔を背けているよそ行きの姿ばかりをご覧になっていますので、
このようにうちとけた女性の日常を垣間見たりすることは、まだなさった
ことがなく、女たちが何も知らず、すっかり見られてしまっているのは
気の毒ではありますが、もっとずっと見ていたいとお思いのところに、
小君が出て来る気配がしたので、そっとその場をお離れになりました。
本日読みました後半に当たる部分、「空蝉」の巻(105頁・1行目~
110頁・1行目まで)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
源氏の君は、おやすみになれないままに、「私は、こうも人につれなくされた
ことは今までなかったのに、今夜は、初めて辛い男女の仲を思い知らされた
ので、もうきまり悪くて、生きて行けそうにもない気持ちになってしまった」など
とおっしゃるので、小君は涙までこぼして横になっていました。
源氏の君は小君をたいそう可愛いとお思いになります。空蝉の、手触りが
ほっそりとした小柄な身体つきや、髪がさほど長くはなかった感じが、この子
の様子と似ているのも、気のせいか、心をそそられます。無理やりにしつこく
女の居場所を探して近づくのも、体裁の悪いことだろうし、心底ひどい女だ、
と思い続けて一夜をお明かしになり、いつものようには、小君にもあれこれと
おっしゃらず、まだ辺りの暗いうちにお帰りになるので、この子は源氏の君が
たいそうお気の毒で、もの足りないと思っておりました。
空蝉もひとかたならず、失礼なことをしたと思っていますが、あれから源氏の君
のお便りも途絶えてしまっています。すっかり懲りてしまわれたのか、と思うに
つけても、あのまま源氏の君が素知らぬ顔をなさって終わっていたなら、
辛いことであったろう。かと言って、強引で見苦しいお振舞いが絶えないという
のも困ったことになろう。適当なところで、こうして切りをつけてしまうのが良い
のだ、と思うものの、平静ではいられず、物思いに沈みがちでありました。
源氏の君は、空蝉をひどい人だとお思いになりながらも、このままでは
終われそうになくお心に掛かり、不面目なことだと思い余られて、小君に
「とても辛くも、情けなくも思われるので、無理に諦めようと思うけれど、
そんなわけにも行かず苦しいから、適当な折を見て、会えるように手立て
をしてくれ」と、おっしゃり続けるので、小君は煩わしいけれど、こんなことで
でも、お言葉をいつもかけて下さるのは、嬉しく思っておりました。
子供心にも、どのような折が良かろう、と待ち続けていると、紀伊守が、
任国に下りなどして、女たちだけでくつろいでいる月明りのない夕方の、
道もはっきりしないような闇に紛れて、小君は自分の牛車に源氏の君
を乗せてお連れいたしました。この子も幼いので、上手く行くだろうか、
と源氏の君は内心ご心配ではありましたが、そうそうのんびりと構えて
いられそうにもないので、目立たない服装で、門などを閉めない先に、
と急いでお出でになりました。
小君は人目のない門から牛車を入れて、源氏の君を降ろし申し上げ
ます。小君が子供なので、宿直人なども、特に気にも留めず、ご機嫌
取りもしないので、気楽です。東の妻戸に源氏の君をお立たせ申して
おいて、小君は南側の隅の間から、格子を大きな音を立てて叩き、
上げさせて中に入りました。
年配の女房が「格子を上げたままでは丸見えですよ」と言っている
ようです。小君が「どうして、こんなに暑いのに、この格子は下して
あるの」と訊くと、女房は、「お昼から、西の対の姫君がお出でに
なって、碁を打っていらっしゃるのです」と答えました。そうやって
女たちが向かい合って座っているのを見たいものだ、と、源氏の君
はお思いになって、そっと歩き出して、格子と御簾の間にお入りに
なりました。
先程小君が入った格子はまだ閉めてないため、隙間が見えるので、
近づいてそこから西のほうを見通されると、この格子の向こうに立てて
ある屏風も、端のほうが折りたたまれている上に、見通しを悪くする
几帳なども、暑いからでしょうか、帷子を横木にかけているので、
たいそうよく覗き込めます。
灯りが二人の近くに点してありました。母屋の中柱に対して斜めに
いる人が、気になるあの人かと、先ず目を留めなさると、濃い紫の
綾の単襲を着ているようです。何かをその上に着ていて、頭の感じも
ほっそりとした、小柄な人が、見栄えのしない姿をしています。
顔などは向かい合っている人などにも、特に見えないようにと気を
つけています。碁を打つ手つきもひどくやせ細っていて、しきりに
袖で隠しているようです。もう一人は、東を向いているので、余す
ところなく姿が見えます。白い薄物の単襲に、二藍の小袿のような
ものを、しどけなく着ており、紅の袴の紐を結わえた辺りまで胸を
露わにして、だらしのない振舞いであります。たいそう色が白く、
可愛気のある様子です。ぽっちゃりと太った背も高い大柄な人の、
頭の形や額の感じもくっきりと印象的で、目元や口元が愛らしく、
華やかな容貌の女性です。髪はたいそうふさふさとしていて、
長くはないけれど、下がり端は、肩のあたりがすっきりとしており、
全体的におおらかな感じで、美しい人だと見受けられました。
なるほど、親はこの上なく自慢の娘と思っているだろう、と、興味を
持ってご覧になります。心構えに、やはり落ち着いた感じを加えたい
ものだ、と、一見して思われるのでした。頭の回転も良さそうで、碁を
打ち終わって闕をさすところなどは、機敏そうに見えて、陽気に騒ぎ
立てますと、奥にいる空蝉はとても静かに落ち着いて「お待ちになって。
そこはせきでしょう?この辺りの劫を片づけましょう」などと言いますが、
「いいえ、この度は私の負けですわ。隅のこことここは何目かしら、
どれどれ」などと言って指を折りながら、「十、二十、三十、四十」と、
目を数える様子は、伊予の弓桁もよどみなく数えられそうに見えました。
少し気品に欠けております。
空蝉のほうは、しっかりと袖で口を覆って、はっきりとも顔を見せて
いませんが、源氏の君がじっと目を凝らしなさると、自然と横顔が
見えます。瞼が少しはれぼったい感じがして、鼻筋などもすっきりと
通っておらず、老け顔で、色っぽいところも感じられず、あえて言えば、
不器量に近い容貌なのですが、たいそうひどく取り繕って、この器量の
良い人よりもたしなみがあろうと、誰もが目をつけそうな様子をして
いました。
軒端の荻は、朗らかで愛らしく綺麗な娘なので、ますます陽気に
くつろいで笑ったりして、はしゃぐと、華やかさに溢れ、これはこれで
なかなか魅力的な人柄ではありました。軽薄だな、とお思いには
なるものの、堅物とは言えない源氏の君のお心には、この女にも
無関心ではいられそうにないのでした。
源氏の君がご存知の女性は皆、くつろいでいる時がなく、とりすまして
顔を背けているよそ行きの姿ばかりをご覧になっていますので、
このようにうちとけた女性の日常を垣間見たりすることは、まだなさった
ことがなく、女たちが何も知らず、すっかり見られてしまっているのは
気の毒ではありますが、もっとずっと見ていたいとお思いのところに、
小君が出て来る気配がしたので、そっとその場をお離れになりました。
最初の垣間見
2017年4月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第13回・№1)
「源氏物語」には「垣間見」(覗き見)の場面が多く出て来ますが、
本日読みました「空蝉」の巻での「垣間見」が初出です。
第2帖「帚木」の最後で、源氏は再び「方違へ」にかこつけて紀伊守邸に
出かけ、空蝉に逢おうとしましたが、空蝉は女房の部屋に避難してしまい、
不首尾に終わりました。
それに懲りて、今度はお忍びで、小君(空蝉の弟)に手引きさせて、
紀伊守邸を訪れます。小君以外に源氏の来訪を知る者はいません。
部屋の中に小君が入って行った後、格子がきちんと閉まっていないのを
いいことに、源氏は格子と御簾の間に入り込んで、部屋の中を覗きます。
暑い折から、屏風も端のほうが畳まれ、几帳も帷子が横木に掛けてあって、
よく見通せます。
女性が二人、碁を打っています。横顔しか見えず小柄で貧相な感じですが、
たしなみ深く、痩せた手を袖で隠そうとしているのが、空蝉だろうと、源氏は
先ず目を留めます。
もう一人の女性(紀伊守の妹・軒端の荻)は、こちらを向いているので、全てが
見えます。白い薄物の上に、上着をだらしなく着て、袴の紐を結んだ辺りまで
胸を露わにしていて、上品さに欠けています。それでも、白くぽっちゃりとした
肌や、華やかな顔立ち、朗らかでパッと人目を引く姿に、源氏は「これはこれで」
と、捨てておけない魅力を感じていました。
空蝉は、口元も袖で覆っていて、はっきりと顔を見せませんが、それでも
目を凝らして見ると、瞼が腫れぼったい感じがして、鼻筋も通らず、老け顔
です。あえて言うなら、ブスの部類に属するのですが、たしなみ深い品の良さが
器量では勝る軒端の荻よりも、男心をそそるのでした。
源氏がこれまで知っている女性たちは、葵上にしろ、六条御息所にしろ、
皆いつもよそ行きの取り澄ました姿しか見せることがないので、源氏は
こうした打ち解けた女の日常の姿をもっと見ていたいと思いましたが、
小君が出て来る気配がしたので、そっとその場を離れました。
ここまでが今日のところです。次回はいよいよ小君の手引きで、源氏は
空蝉の部屋へ忍び込みます。 果たして三度目の首尾や如何に?
いつものように、続いて、本日の講読個所の後半の全文訳を書きます
(前半は4/10の全文訳をご覧ください)。
「源氏物語」には「垣間見」(覗き見)の場面が多く出て来ますが、
本日読みました「空蝉」の巻での「垣間見」が初出です。
第2帖「帚木」の最後で、源氏は再び「方違へ」にかこつけて紀伊守邸に
出かけ、空蝉に逢おうとしましたが、空蝉は女房の部屋に避難してしまい、
不首尾に終わりました。
それに懲りて、今度はお忍びで、小君(空蝉の弟)に手引きさせて、
紀伊守邸を訪れます。小君以外に源氏の来訪を知る者はいません。
部屋の中に小君が入って行った後、格子がきちんと閉まっていないのを
いいことに、源氏は格子と御簾の間に入り込んで、部屋の中を覗きます。
暑い折から、屏風も端のほうが畳まれ、几帳も帷子が横木に掛けてあって、
よく見通せます。
女性が二人、碁を打っています。横顔しか見えず小柄で貧相な感じですが、
たしなみ深く、痩せた手を袖で隠そうとしているのが、空蝉だろうと、源氏は
先ず目を留めます。
もう一人の女性(紀伊守の妹・軒端の荻)は、こちらを向いているので、全てが
見えます。白い薄物の上に、上着をだらしなく着て、袴の紐を結んだ辺りまで
胸を露わにしていて、上品さに欠けています。それでも、白くぽっちゃりとした
肌や、華やかな顔立ち、朗らかでパッと人目を引く姿に、源氏は「これはこれで」
と、捨てておけない魅力を感じていました。
空蝉は、口元も袖で覆っていて、はっきりと顔を見せませんが、それでも
目を凝らして見ると、瞼が腫れぼったい感じがして、鼻筋も通らず、老け顔
です。あえて言うなら、ブスの部類に属するのですが、たしなみ深い品の良さが
器量では勝る軒端の荻よりも、男心をそそるのでした。
源氏がこれまで知っている女性たちは、葵上にしろ、六条御息所にしろ、
皆いつもよそ行きの取り澄ました姿しか見せることがないので、源氏は
こうした打ち解けた女の日常の姿をもっと見ていたいと思いましたが、
小君が出て来る気配がしたので、そっとその場を離れました。
ここまでが今日のところです。次回はいよいよ小君の手引きで、源氏は
空蝉の部屋へ忍び込みます。 果たして三度目の首尾や如何に?
いつものように、続いて、本日の講読個所の後半の全文訳を書きます
(前半は4/10の全文訳をご覧ください)。
倦怠期の予兆
2017年4月24日(月) 溝の口「湖月会」(第106回)
「源氏物語」の中で、「上手いなあ」と感心させられるものの一つに
「伏線」の使い方があります。
今回読んだところでも、きらりと光る伏線が見られます。伏線ですから
そこを読んだ時には、読者はまだ気づかないで、あとになってみると、
「なるほどね」と、納得させられるものです。
六条院の女楽の手伝いに呼ばれた夕霧は、父・源氏と音楽論を交わした
のち、夜も更けてから幼い息子たちを牛車に乗せて、臥待月(十九日の月)
の月明りが美しい中を、帰途に就きます。
夕霧の耳にいつまでも残っているのは、あの15歳の秋、野分の後に
垣間見て以来、口や態度に出すことはしませんが、ずっと心の内で
憧れ続けている紫の上の、筝の琴の素晴らしい音色でした。
翻って、妻の雲居雁は、と言えば、14歳の時、夕霧とのことで激怒した
父・内大臣が、自邸に連れて行ってしまうまでは、祖母の大宮から
手ほどきを受けておりましたが、以後、ゆっくりと琴を練習する機会もなく、
20歳で結婚してからは、次々に子供が生まれ、今はましてや管弦の遊びを
楽しむ風流な生活とは無縁になっています。
素直で、おっとりとしていて、感情をそのまま露わにして腹を立てたり、
嫉妬したりするところも、可愛くはあるものの、今宵の六条院の風雅な
女楽の名残の中では、所帯じみている雲居雁が物足りなくも思われる
夕霧なのでした。
結婚して8年、そろそろ倦怠期の予兆を感じさせる場面です。これが
伏線効果を発揮するのはまだ少し先になりますが、その時にもう一度
ここを振り返って頂けたらな、と思います。
「源氏物語」の中で、「上手いなあ」と感心させられるものの一つに
「伏線」の使い方があります。
今回読んだところでも、きらりと光る伏線が見られます。伏線ですから
そこを読んだ時には、読者はまだ気づかないで、あとになってみると、
「なるほどね」と、納得させられるものです。
六条院の女楽の手伝いに呼ばれた夕霧は、父・源氏と音楽論を交わした
のち、夜も更けてから幼い息子たちを牛車に乗せて、臥待月(十九日の月)
の月明りが美しい中を、帰途に就きます。
夕霧の耳にいつまでも残っているのは、あの15歳の秋、野分の後に
垣間見て以来、口や態度に出すことはしませんが、ずっと心の内で
憧れ続けている紫の上の、筝の琴の素晴らしい音色でした。
翻って、妻の雲居雁は、と言えば、14歳の時、夕霧とのことで激怒した
父・内大臣が、自邸に連れて行ってしまうまでは、祖母の大宮から
手ほどきを受けておりましたが、以後、ゆっくりと琴を練習する機会もなく、
20歳で結婚してからは、次々に子供が生まれ、今はましてや管弦の遊びを
楽しむ風流な生活とは無縁になっています。
素直で、おっとりとしていて、感情をそのまま露わにして腹を立てたり、
嫉妬したりするところも、可愛くはあるものの、今宵の六条院の風雅な
女楽の名残の中では、所帯じみている雲居雁が物足りなくも思われる
夕霧なのでした。
結婚して8年、そろそろ倦怠期の予兆を感じさせる場面です。これが
伏線効果を発揮するのはまだ少し先になりますが、その時にもう一度
ここを振り返って頂けたらな、と思います。
古くても新鮮!!ー「枕草子」の世界ー
2017年4月21日(金) 溝の口「枕草子」(第7回)
「枕草子」が書かれたのは、今から千年程前のこと。でも、二十一世紀を
生きる我々が読んでも、「そうそう、そうなのよねぇ」と、共感できることが
次から次へと出て来るので、拍手喝さいをしたくなります。今回読んだ
ところから、少し拾ってみましょう。
第23段「たゆまるるもの」の「遠きいそぎ」
これは、昨年12月30日の「くたびれ果てて年の暮れ」という何とも情けない
タイトルで書いた記事の中で引用しましたが、「たゆまるるもの」とは、「気が
ゆるんじゃうもの」ということで、「いそぎ」は「用意・準備」の意ですから、
「遠きいそぎ」は、「まだ先の準備」のこと。
私だけじゃないと思うんですが、違います?学生時代の試験の準備とか。
わかっているのに、前夜にならないとやる気が出ない、ありませんでした?
第25段「にくきもの」(今風に訳すなら「ムカつくもの」ですかね)では、
平安時代特有のものを除けば、すべてが現代にも通用することばかりで、
その筆致の冴えに唸らされます。
先ず、急いでいる時にやって来て長話をする人。今なら長電話なども
入るでしょう。「後でね」と言える相手ならいいけど、言えない相手が
やっかいなのは、今も昔も同じこと。
硯に髪の毛が入っていたり、墨の中に石が入っていて、墨をする度に
ギシギシする時。「あるある」って思いますよね。
寝ている時に、蚊が「ぶぅーん」と、如何にも情けない音を立てて、顔の
傍を飛び回る。これも千年経っていても「そうそう」。
まだまだ色々書かれているのですが、この段の最後の一文を紹介して
終わりにしますね。
「開けて出で入るところ、閉てぬ人、いとにくし」(開けて出入りする所を、
開けたままで閉めない人って、チョームカつく)
千年前の古い文章でも、こんなにも新鮮なのが「枕草子」の世界です。
「枕草子」が書かれたのは、今から千年程前のこと。でも、二十一世紀を
生きる我々が読んでも、「そうそう、そうなのよねぇ」と、共感できることが
次から次へと出て来るので、拍手喝さいをしたくなります。今回読んだ
ところから、少し拾ってみましょう。
第23段「たゆまるるもの」の「遠きいそぎ」
これは、昨年12月30日の「くたびれ果てて年の暮れ」という何とも情けない
タイトルで書いた記事の中で引用しましたが、「たゆまるるもの」とは、「気が
ゆるんじゃうもの」ということで、「いそぎ」は「用意・準備」の意ですから、
「遠きいそぎ」は、「まだ先の準備」のこと。
私だけじゃないと思うんですが、違います?学生時代の試験の準備とか。
わかっているのに、前夜にならないとやる気が出ない、ありませんでした?
第25段「にくきもの」(今風に訳すなら「ムカつくもの」ですかね)では、
平安時代特有のものを除けば、すべてが現代にも通用することばかりで、
その筆致の冴えに唸らされます。
先ず、急いでいる時にやって来て長話をする人。今なら長電話なども
入るでしょう。「後でね」と言える相手ならいいけど、言えない相手が
やっかいなのは、今も昔も同じこと。
硯に髪の毛が入っていたり、墨の中に石が入っていて、墨をする度に
ギシギシする時。「あるある」って思いますよね。
寝ている時に、蚊が「ぶぅーん」と、如何にも情けない音を立てて、顔の
傍を飛び回る。これも千年経っていても「そうそう」。
まだまだ色々書かれているのですが、この段の最後の一文を紹介して
終わりにしますね。
「開けて出で入るところ、閉てぬ人、いとにくし」(開けて出入りする所を、
開けたままで閉めない人って、チョームカつく)
千年前の古い文章でも、こんなにも新鮮なのが「枕草子」の世界です。
結婚は大君ではなく中の君と
2017年4月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算188回 統合42回)
今回、このタイトルをご覧になった方は、「宇治十帖」の八の宮家の大君が
自分は結婚を諦めて、妹の中の君を薫と結婚させようとした話だとお思い
になるのではないでしょうか。
まだこのクラスは、その一歩手前の「竹河」の巻を読んでいます。ここでの
大君と中の君は、故髭黒と玉鬘の間に生まれた娘たちです。熱心に求婚
しているのは薫ではなく、夕霧の息子(母は雲居雁)である蔵人少将です。
玉鬘は大君を臣下と結婚させるつもりはなく、異母妹にあたる雲居雁からの
手紙にも、「もし、本気でわが家の娘をご子息の妻に、とお考えくださるの
でしたら、もうしばらくご辛抱いただければ、ご満足いただけるように計らい
ましょう」と書き、「この御参り過ぐして、中の君をとおぼすなるべし」(大君の
冷泉院への院参を済ませてから、中の君を蔵人少将に、とお考えになって
いるのでしょう)と、草子地が記しています。
「竹河」では、母親の玉鬘が、大君の代わりに中の君を、と考えているので、
話は複雑化しません。でも、「宇治十帖」では、薫から求婚されている当人の
大君が、妹の中の君と薫を結婚させようとしますから、話がややこしくなって
しまいます。
「竹河」は、最も作者別人説が唱えられている巻ですが、これを素直に紫式部
の作とするなら、「大君の代わりに中の君との結婚」をいうモチーフの試作が
ここでなされ、「宇治十帖」でそれを深化させた、と考えることも出来るのでは
ないかと思うのです。
今日は、「源氏物語」の講読会の後、湘南台で友人(と言っても、私よりも一回り
以上若い方)と会い、なんと4時間も食事をしながらおしゃべりに興じました。
彼女との付き合いは既に16年に及びますが、その間、彼女はずっと乳がんの
闘病を続けており、今もそうです。
私が7年前に乳がんの疑いで、紹介状を書きますから生検を受けるように、
と言われた時(結果的には、乳腺線維腺腫という良性腫瘍でしたが)、
平静でいられたのも、彼女の存在が大きかったと思います。
彼女の闘病のことは、もっと詳しく一度ご紹介したいのですが、取りあえず
今日は、「17年もの間、がんと共存して、5回の手術を受けた人、ってことを
ブログに書いてもいい?」と言って、許可を戴きましたので、いずれ改めて、
下書きをちゃんと彼女に読んでもらってからにしたいと思います。
今回、このタイトルをご覧になった方は、「宇治十帖」の八の宮家の大君が
自分は結婚を諦めて、妹の中の君を薫と結婚させようとした話だとお思い
になるのではないでしょうか。
まだこのクラスは、その一歩手前の「竹河」の巻を読んでいます。ここでの
大君と中の君は、故髭黒と玉鬘の間に生まれた娘たちです。熱心に求婚
しているのは薫ではなく、夕霧の息子(母は雲居雁)である蔵人少将です。
玉鬘は大君を臣下と結婚させるつもりはなく、異母妹にあたる雲居雁からの
手紙にも、「もし、本気でわが家の娘をご子息の妻に、とお考えくださるの
でしたら、もうしばらくご辛抱いただければ、ご満足いただけるように計らい
ましょう」と書き、「この御参り過ぐして、中の君をとおぼすなるべし」(大君の
冷泉院への院参を済ませてから、中の君を蔵人少将に、とお考えになって
いるのでしょう)と、草子地が記しています。
「竹河」では、母親の玉鬘が、大君の代わりに中の君を、と考えているので、
話は複雑化しません。でも、「宇治十帖」では、薫から求婚されている当人の
大君が、妹の中の君と薫を結婚させようとしますから、話がややこしくなって
しまいます。
「竹河」は、最も作者別人説が唱えられている巻ですが、これを素直に紫式部
の作とするなら、「大君の代わりに中の君との結婚」をいうモチーフの試作が
ここでなされ、「宇治十帖」でそれを深化させた、と考えることも出来るのでは
ないかと思うのです。
今日は、「源氏物語」の講読会の後、湘南台で友人(と言っても、私よりも一回り
以上若い方)と会い、なんと4時間も食事をしながらおしゃべりに興じました。
彼女との付き合いは既に16年に及びますが、その間、彼女はずっと乳がんの
闘病を続けており、今もそうです。
私が7年前に乳がんの疑いで、紹介状を書きますから生検を受けるように、
と言われた時(結果的には、乳腺線維腺腫という良性腫瘍でしたが)、
平静でいられたのも、彼女の存在が大きかったと思います。
彼女の闘病のことは、もっと詳しく一度ご紹介したいのですが、取りあえず
今日は、「17年もの間、がんと共存して、5回の手術を受けた人、ってことを
ブログに書いてもいい?」と言って、許可を戴きましたので、いずれ改めて、
下書きをちゃんと彼女に読んでもらってからにしたいと思います。
もっと「忖度」を!
2017年4月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第106回)
朱雀院の五十の賀に先立って正月十九日に六条院で行われた女楽は
大成功のうちに終わりました。案じていた女三宮も、源氏の猛特訓の
甲斐あって無難に琴の琴を弾きこなし、これなら朱雀院にお聴かせしても
恥ずかしくない、と、源氏もご満悦です。
翌日、源氏はこれまでを振り返り、紫の上に語りかけます。
「君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱り
たまふばかりのことあらじとなむ思ふ」(あなたご自身は、あの須磨・明石の
折の別れ以外、あれこれと物思いに心乱されることはなかったと思うのですよ)
と前置きして、「帝の寵を競い合う、後宮の宮仕えをしている女性たちは、
中宮をはじめ、皆ストレスに晒されているでしょうが、まるで深窓の令嬢の
ように私の庇護下で暮らしているあなたは運が強い、とお分かりになって
いらっしゃいますか」言います。そして、「女三宮の降嫁では、何となく嫌な
思いもなさっているでしょうが、それによって、いよいよ私の愛情があなたに
注がれるようになったのを、あなたはご自分のことなので、お気づきになって
ないかもしれませんね」と、ごく当たり前のことのようにお話になります。
「何となく嫌な思い」?、女三宮の降嫁で紫の上がどれほど深く傷ついたか、
源氏は、今流行りの言葉を使うなら、全く「忖度」していないのです。
確かに紫の上には庇護されている安心感はありましょう。女三宮が期待外れ
だったことで、紫の上を改めて見直し、源氏の愛情が一層深まったのも事実です。
でも、紫の上の苦しみに触れようともしない源氏は、綺麗言を並べているに
過ぎません。
今の私たちのように「冗談じゃないわ!」と、思いをぶつけることも出来ない
紫の上は、再び静かに出家を願い出ますが、もちろん源氏は許しません。
源氏が紫の上の気持ちを「忖度」するのは亡くなってからで、そこで初めて
失ったものの大きさに気付くことになるのです。でも、これが古今東西変わる
ことのない人の姿、というものかもしれません。
朱雀院の五十の賀に先立って正月十九日に六条院で行われた女楽は
大成功のうちに終わりました。案じていた女三宮も、源氏の猛特訓の
甲斐あって無難に琴の琴を弾きこなし、これなら朱雀院にお聴かせしても
恥ずかしくない、と、源氏もご満悦です。
翌日、源氏はこれまでを振り返り、紫の上に語りかけます。
「君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱り
たまふばかりのことあらじとなむ思ふ」(あなたご自身は、あの須磨・明石の
折の別れ以外、あれこれと物思いに心乱されることはなかったと思うのですよ)
と前置きして、「帝の寵を競い合う、後宮の宮仕えをしている女性たちは、
中宮をはじめ、皆ストレスに晒されているでしょうが、まるで深窓の令嬢の
ように私の庇護下で暮らしているあなたは運が強い、とお分かりになって
いらっしゃいますか」言います。そして、「女三宮の降嫁では、何となく嫌な
思いもなさっているでしょうが、それによって、いよいよ私の愛情があなたに
注がれるようになったのを、あなたはご自分のことなので、お気づきになって
ないかもしれませんね」と、ごく当たり前のことのようにお話になります。
「何となく嫌な思い」?、女三宮の降嫁で紫の上がどれほど深く傷ついたか、
源氏は、今流行りの言葉を使うなら、全く「忖度」していないのです。
確かに紫の上には庇護されている安心感はありましょう。女三宮が期待外れ
だったことで、紫の上を改めて見直し、源氏の愛情が一層深まったのも事実です。
でも、紫の上の苦しみに触れようともしない源氏は、綺麗言を並べているに
過ぎません。
今の私たちのように「冗談じゃないわ!」と、思いをぶつけることも出来ない
紫の上は、再び静かに出家を願い出ますが、もちろん源氏は許しません。
源氏が紫の上の気持ちを「忖度」するのは亡くなってからで、そこで初めて
失ったものの大きさに気付くことになるのです。でも、これが古今東西変わる
ことのない人の姿、というものかもしれません。
「ブラッスリーレカン」と「オペラ・万葉集」
2017年4月13日(木)
二週間位前に、姉から「オペラ万葉集っていうのがあるけど行かない?」
という誘いの電話がありました。ネットで検索してみると、「演奏会形式」
となっていたので、「う~ん」と、ちょっと引いたのですが、「何か良さそうな
気もするけど・・・」との姉の更なるメールに押されて、行くことにしました。
世界バレエフェスティバルの時など、東京文化会館での公演には、いつも
友人と上野駅構内にある「ブラッスリーレカン」で食事をしてから行くことに
していますので、今日も姉に「そうしない?」と、こちらは私が誘いました。
「ブラッスリーレカン」は、上野駅の「旧貴賓室」をそのまま使ったレストラン
なので、上品でレトロな雰囲気ですが、「銀座レカン」のような高級フレンチ
ではなく、とてもリーズナブルな、庶民の懐に優しいカジュアルフレンチです。
しかも、ランチのラストオーダーが16:30。これって、18:15開場の今日の
ような催しの時にはとっても嬉しいタイム設定です。
私が注文した「海老とホタテのテリーヌとソース&ライス」(サラダ・スープ・
コーヒー付き)は、1,300円(税込)。デザートを500円で追加しましたが、
それでも2,000円でおつりがくる、有難いディナー(私にとっては)でした。

ソースが美味しくて、カレーのようにご飯にかけて食べていたら
ご飯半分くらいで、ソースがお終いに。もう少しお値段が高くても
いいので、ソースがたっぷり欲しかったですね
さて、ここからが今日の本題の「オペラ万葉集」です。
第一部は額田王を中心とした「明日香風編」、第二部は大津皇子と
大伯皇女の悲劇「二上山晩歌編」。千住明の作品で、台本は俳人の
黛まどか。オーケストラは東京シティ・フィル、指揮は藤岡幸夫。
第一部の額田王と第二部の大伯皇女がソプラノ、第一部の鏡王女と
第二部の持統天皇がメゾソプラノ、第一部の中大兄皇子と第二部の
草壁皇子がテノール、第一部の大海人皇子と第二部の大津皇子が
バリトンで、メゾソプラノの富岡明子さんの伸びやかな歌声が印象的
でした。
旋律は少し単調な感じもありましたが、どこまでも美しく、台本も、
説明的過ぎるところが気にはなりましたが、難しい、言葉と音との
調和は、悪くありませんでした。
演奏に先立ち、千住氏と藤岡氏のプレトークがあって、千住氏は
「ぜひ官能を感じて欲しい」と話されていました。
第一部では、そこまで気持ちが入って行かなかったのですが、
第二部になると、「万葉集」に残された大伯皇女の歌六首は、
全て弟・大津皇子のことを詠んだもので、オペラ以前に、私は
それらの歌の中に、すでに「官能」を感じているからでしょうか、
充分に伝わって来るものがありました。
願わくは、やはりこれは演奏会形式ではなく、オペラとして上演して
欲しい作品です。大掛かりなセットなどはなくてもいいので、せめて
安田靫彦の「飛鳥の春の額田王」のような衣装で、舞台上で演じながら
歌って貰えるなら、もう一度足を運びたいと思います。
足と言えば、私は今、膝の痛みが再発して、普通に歩くのも楽では
ありません。東京文化会館は、エレベーターもエスカレーターもなく、
スロープになっているところさえありません。もう少しバリアフリー化を、
と願いつつ会場を後にしたのでした。

二週間位前に、姉から「オペラ万葉集っていうのがあるけど行かない?」
という誘いの電話がありました。ネットで検索してみると、「演奏会形式」
となっていたので、「う~ん」と、ちょっと引いたのですが、「何か良さそうな
気もするけど・・・」との姉の更なるメールに押されて、行くことにしました。
世界バレエフェスティバルの時など、東京文化会館での公演には、いつも
友人と上野駅構内にある「ブラッスリーレカン」で食事をしてから行くことに
していますので、今日も姉に「そうしない?」と、こちらは私が誘いました。
「ブラッスリーレカン」は、上野駅の「旧貴賓室」をそのまま使ったレストラン
なので、上品でレトロな雰囲気ですが、「銀座レカン」のような高級フレンチ
ではなく、とてもリーズナブルな、庶民の懐に優しいカジュアルフレンチです。
しかも、ランチのラストオーダーが16:30。これって、18:15開場の今日の
ような催しの時にはとっても嬉しいタイム設定です。
私が注文した「海老とホタテのテリーヌとソース&ライス」(サラダ・スープ・
コーヒー付き)は、1,300円(税込)。デザートを500円で追加しましたが、
それでも2,000円でおつりがくる、有難いディナー(私にとっては)でした。

ソースが美味しくて、カレーのようにご飯にかけて食べていたら
ご飯半分くらいで、ソースがお終いに。もう少しお値段が高くても
いいので、ソースがたっぷり欲しかったですね
さて、ここからが今日の本題の「オペラ万葉集」です。
第一部は額田王を中心とした「明日香風編」、第二部は大津皇子と
大伯皇女の悲劇「二上山晩歌編」。千住明の作品で、台本は俳人の
黛まどか。オーケストラは東京シティ・フィル、指揮は藤岡幸夫。
第一部の額田王と第二部の大伯皇女がソプラノ、第一部の鏡王女と
第二部の持統天皇がメゾソプラノ、第一部の中大兄皇子と第二部の
草壁皇子がテノール、第一部の大海人皇子と第二部の大津皇子が
バリトンで、メゾソプラノの富岡明子さんの伸びやかな歌声が印象的
でした。
旋律は少し単調な感じもありましたが、どこまでも美しく、台本も、
説明的過ぎるところが気にはなりましたが、難しい、言葉と音との
調和は、悪くありませんでした。
演奏に先立ち、千住氏と藤岡氏のプレトークがあって、千住氏は
「ぜひ官能を感じて欲しい」と話されていました。
第一部では、そこまで気持ちが入って行かなかったのですが、
第二部になると、「万葉集」に残された大伯皇女の歌六首は、
全て弟・大津皇子のことを詠んだもので、オペラ以前に、私は
それらの歌の中に、すでに「官能」を感じているからでしょうか、
充分に伝わって来るものがありました。
願わくは、やはりこれは演奏会形式ではなく、オペラとして上演して
欲しい作品です。大掛かりなセットなどはなくてもいいので、せめて
安田靫彦の「飛鳥の春の額田王」のような衣装で、舞台上で演じながら
歌って貰えるなら、もう一度足を運びたいと思います。
足と言えば、私は今、膝の痛みが再発して、普通に歩くのも楽では
ありません。東京文化会館は、エレベーターもエスカレーターもなく、
スロープになっているところさえありません。もう少しバリアフリー化を、
と願いつつ会場を後にしたのでした。

第二帖「帚木」の全文訳(13)
2017年4月10日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第13回・№2)
本日講読しました第2帖「帚木」の最後の部分(97頁・13行目~101頁・3行目)
の全文訳です。(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
例によって、宮中で何日もお過ごしになっていた頃、紀伊守邸に行くのに
都合のよい方塞がりの日を心待ちにしておられました。急に左大臣邸に
退出なさるふりをして、途中から紀伊守邸にお出でになりました。紀伊守は
驚いて、自邸の遣水が源氏の君のお気に召して名誉このうえないことと恐縮
して御礼を申し上げます。小君には、昼間から、こうするよ、とお約束なさって
おりました。
源氏の君は小君を始終身近に置いてお使いになっていたので、今夜も先ず
小君を召し出されました。空蝉にも、今晩訪れる旨のお便りがあったので、
人目を欺いてまで自分に逢うための苦心をなさったお気持ちのほどは、浅い
ものとは思われませんが、かと言って、お逢いして、人並みでもない自分の
姿をお目に晒したところで、意味もなく、夢のように過ぎてしまったはかない
逢瀬の嘆きを更に重ねることになろうか、と思い乱れて、やはりこんな風に
源氏の君のお忍びをお待ちするのは気恥ずかしいので、小君が出て行った
間に、「ここはお客様のお部屋に近いので、恐れ多いことです。気分が
すぐれないので、こっそりと、肩を叩かせたりもしたいから、離れたところに
まいります」と言って、渡殿にある、中将と呼ばれていた女房が部屋にして
いる人目につかない所へ移りました。
源氏の君は、空蝉のもとへ忍ぶつもりで、供人を早く寝静まらせて、空蝉に
お便りを遣わしますが、小君は姉の居場所を捜し出すことができません。
あらゆる所を捜し歩いて、渡殿に入り込み、ようやくたどり着いたのでした。
小君は姉のやり方をあんまりだ、ひどい、と思って「これでは、源氏の君が
私のことはどんなに役立たずだとお思いでしょう」と、泣きそうになって言うので、
空蝉は「こんな不埒な料簡を持っていいものですか。幼い者がこのような
取次ぎをするのは、とてもいけないこととされているのに」と、叱りつけて、
「気分が悪いので侍女たちを傍に置いて、按摩をさせております、と申し上げ
なさい。お前がこんなところでうろうろしていたら、誰だって変だと思うでしょう」
と、つっぱねて、心の中では、本当にこのような受領の妻と定まってしまった
身の上ではなく、自分の入内も考えてくれていた亡き両親の面影が偲ばれる
実家に居たままで、たまさかにでも源氏の君のお出でを待ち迎えるのであれば、
それは素敵なことでしょうに、無理に源氏の君のお気持ちを分からないような
顔をして無視するのも、どんなに身の程をわきまえないようにお思いだろう、
と、自分で決めたことながら、切なくて、さすがに思い乱れているのでした。
「どのみち今は、どうしようもない受領の妻という運命になってしまったのだから、
非常識な嫌な女だと思われたまま終わることにしよう、と決心したのでした。
源氏の君は、小君がどのような段取りをつけるのか、と、まだ幼いこととて
不安に思いながら横になってお待ちになっていましたが、不首尾に終わった
旨を申し上げたので、あきれるほど珍しい空蝉の強情さに、「つくづくわが身も
いやになってしまったよ」とおっしゃって、とてもお気の毒なご様子でございました。
しばらくは、ものもおっしゃらず、ひどく嘆息して、辛いとお思いになっておりました。
「帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひぬるかな(近づけば消えると
言われる帚木のようなつれないあなたの心も知らずに、園原の道にわけもなく
迷い入ってしまったことですよ)
申し上げる言葉もございません」
と、源氏の君は小君を通して空蝉におっしゃいました。空蝉も、さすがにうとうと
することも出来ずにいましたので、
「数ならぬふせ屋におふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木(しがない
ふせ屋に生える木というのが情けのうございますので、いたたまれずに消えて
しまう帚木なのでございます)」
と、お返事申し上げました。小君は、源氏の君がお気の毒で、眠たさも忘れて
歌の遣り取りの取次ぎにうろうろしているのを、女房たちがへんに思うだろうと、
空蝉は困っておりました。いつものように、供人たちは眠りこけているところに、
源氏の君お一人だけが無性に面白くない思いにとらわれていらっしゃいます。
他の女とは違った空蝉の気の強さを、依然として消えることなく見せつけられて
いることだ、と、悔しくて、でもこういう女だからこそ惹かれるのだ、と一方では
お思いになりながら、心外で情けないので「どうとでもなれ」とお思いになりますが、
そう簡単には諦めきれず、「その隠れているところへやはり連れて行ってくれ」と
おっしゃいますが、小君は「たいそうむさ苦しい所に閉じ籠ってしまわれて、
女房も大勢いるようですので、恐れ多くて」と申し上げます。
小君は源氏の君をお気の毒だと思っていました。「まあいい、お前だけでも
私に冷たくしないでくれ」とおっしゃって、源氏の君は小君をお傍に寝かせ
なさいました。若くて優しい源氏の君のご様子を、小君は嬉しく素晴らしいと
思っているので、あのつれない姉よりも却って可愛いと、源氏の君はお思いに
なっていらしたとか...。
第二帖「帚木」了
本日講読しました第2帖「帚木」の最後の部分(97頁・13行目~101頁・3行目)
の全文訳です。(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
例によって、宮中で何日もお過ごしになっていた頃、紀伊守邸に行くのに
都合のよい方塞がりの日を心待ちにしておられました。急に左大臣邸に
退出なさるふりをして、途中から紀伊守邸にお出でになりました。紀伊守は
驚いて、自邸の遣水が源氏の君のお気に召して名誉このうえないことと恐縮
して御礼を申し上げます。小君には、昼間から、こうするよ、とお約束なさって
おりました。
源氏の君は小君を始終身近に置いてお使いになっていたので、今夜も先ず
小君を召し出されました。空蝉にも、今晩訪れる旨のお便りがあったので、
人目を欺いてまで自分に逢うための苦心をなさったお気持ちのほどは、浅い
ものとは思われませんが、かと言って、お逢いして、人並みでもない自分の
姿をお目に晒したところで、意味もなく、夢のように過ぎてしまったはかない
逢瀬の嘆きを更に重ねることになろうか、と思い乱れて、やはりこんな風に
源氏の君のお忍びをお待ちするのは気恥ずかしいので、小君が出て行った
間に、「ここはお客様のお部屋に近いので、恐れ多いことです。気分が
すぐれないので、こっそりと、肩を叩かせたりもしたいから、離れたところに
まいります」と言って、渡殿にある、中将と呼ばれていた女房が部屋にして
いる人目につかない所へ移りました。
源氏の君は、空蝉のもとへ忍ぶつもりで、供人を早く寝静まらせて、空蝉に
お便りを遣わしますが、小君は姉の居場所を捜し出すことができません。
あらゆる所を捜し歩いて、渡殿に入り込み、ようやくたどり着いたのでした。
小君は姉のやり方をあんまりだ、ひどい、と思って「これでは、源氏の君が
私のことはどんなに役立たずだとお思いでしょう」と、泣きそうになって言うので、
空蝉は「こんな不埒な料簡を持っていいものですか。幼い者がこのような
取次ぎをするのは、とてもいけないこととされているのに」と、叱りつけて、
「気分が悪いので侍女たちを傍に置いて、按摩をさせております、と申し上げ
なさい。お前がこんなところでうろうろしていたら、誰だって変だと思うでしょう」
と、つっぱねて、心の中では、本当にこのような受領の妻と定まってしまった
身の上ではなく、自分の入内も考えてくれていた亡き両親の面影が偲ばれる
実家に居たままで、たまさかにでも源氏の君のお出でを待ち迎えるのであれば、
それは素敵なことでしょうに、無理に源氏の君のお気持ちを分からないような
顔をして無視するのも、どんなに身の程をわきまえないようにお思いだろう、
と、自分で決めたことながら、切なくて、さすがに思い乱れているのでした。
「どのみち今は、どうしようもない受領の妻という運命になってしまったのだから、
非常識な嫌な女だと思われたまま終わることにしよう、と決心したのでした。
源氏の君は、小君がどのような段取りをつけるのか、と、まだ幼いこととて
不安に思いながら横になってお待ちになっていましたが、不首尾に終わった
旨を申し上げたので、あきれるほど珍しい空蝉の強情さに、「つくづくわが身も
いやになってしまったよ」とおっしゃって、とてもお気の毒なご様子でございました。
しばらくは、ものもおっしゃらず、ひどく嘆息して、辛いとお思いになっておりました。
「帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひぬるかな(近づけば消えると
言われる帚木のようなつれないあなたの心も知らずに、園原の道にわけもなく
迷い入ってしまったことですよ)
申し上げる言葉もございません」
と、源氏の君は小君を通して空蝉におっしゃいました。空蝉も、さすがにうとうと
することも出来ずにいましたので、
「数ならぬふせ屋におふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木(しがない
ふせ屋に生える木というのが情けのうございますので、いたたまれずに消えて
しまう帚木なのでございます)」
と、お返事申し上げました。小君は、源氏の君がお気の毒で、眠たさも忘れて
歌の遣り取りの取次ぎにうろうろしているのを、女房たちがへんに思うだろうと、
空蝉は困っておりました。いつものように、供人たちは眠りこけているところに、
源氏の君お一人だけが無性に面白くない思いにとらわれていらっしゃいます。
他の女とは違った空蝉の気の強さを、依然として消えることなく見せつけられて
いることだ、と、悔しくて、でもこういう女だからこそ惹かれるのだ、と一方では
お思いになりながら、心外で情けないので「どうとでもなれ」とお思いになりますが、
そう簡単には諦めきれず、「その隠れているところへやはり連れて行ってくれ」と
おっしゃいますが、小君は「たいそうむさ苦しい所に閉じ籠ってしまわれて、
女房も大勢いるようですので、恐れ多くて」と申し上げます。
小君は源氏の君をお気の毒だと思っていました。「まあいい、お前だけでも
私に冷たくしないでくれ」とおっしゃって、源氏の君は小君をお傍に寝かせ
なさいました。若くて優しい源氏の君のご様子を、小君は嬉しく素晴らしいと
思っているので、あのつれない姉よりも却って可愛いと、源氏の君はお思いに
なっていらしたとか...。
第二帖「帚木」了
二度目は不首尾に終わる
2017年4月10日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第13回・№1)
「源氏物語」をもう一度だけ最初から、と始めた溝の口の「紫の会」も
早一年が経ち、今回から二年目に入りました。今日は第2帖「帚木」の
最後の部分と、第3帖「空蝉」の前半を読みました。
一夜のはかない逢瀬の後、いくら手紙を贈っても返事のない空蝉のことが
気になってならない源氏は、宮中で何日も過ごしながら、次の方違への
チャンスを待ちます。その日がやって来て、左大臣邸に退出するふりをして、
源氏は再び紀伊守邸を訪れました。
早速小君を呼び出し、空蝉への手紙をお持たせになります。事前に空蝉にも
今夜そちらへまいります、という旨のお便りをなさっていたので、空蝉も、
こんな無理な算段までして自分に逢いに来て下さる源氏のお気持ちを
嬉しく思うものの、もう二度とお逢いするまい、と決心しているので、源氏が
忍び込んで来るのが不可能な渡殿の女房の部屋へ避難して、女房たちに
マッサージをさせたりしているのでした。
内心は思い乱れている空蝉ですが、源氏にはその心の中は見えません。
なんと強情な女なのだ、と嘆息して
「帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひぬるかな(近づけば
消えると言われる帚木のようなつれないあなたの心も知らずに、園原の
道にわけもなく迷い入ってしまったことですよ) 聞こえむかたこそなけれ
(申し上げる言葉もございません)」
と、小君を通しておっしゃいました。空蝉もさすがにまどろむことも出来ずに
いたので、
「数ならぬふせ屋におふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木(しがない
ふせ屋に生える木というのが情けのうございますので、いたたまれずに
消えてしまう帚木なのでございます)」
とお返事をしたのでした。
巻名の「帚木」も、この二人の贈答歌に由来しており、二度と源氏を近づけ
ようとしない空蝉を象徴しています。
「空蝉」の巻は、「帚木」の巻末をそのまま受けた形で始まります。
なおも空蝉を思い切れない源氏が、小君に手引きさせて、今度はこっそりと
紀伊守邸を訪れます。三度目の来訪となりますが、そこで源氏は先ず、
空蝉と継娘の軒端の荻が碁を打っている姿を垣間見ます。この「空蝉」の
巻の前半場面につきましては、27日(木)のクラスのほうでご紹介したいと
思います。
このあと、本日講読した内の「帚木」の巻の全文訳を書きます(「空蝉」は27日に)。
「源氏物語」をもう一度だけ最初から、と始めた溝の口の「紫の会」も
早一年が経ち、今回から二年目に入りました。今日は第2帖「帚木」の
最後の部分と、第3帖「空蝉」の前半を読みました。
一夜のはかない逢瀬の後、いくら手紙を贈っても返事のない空蝉のことが
気になってならない源氏は、宮中で何日も過ごしながら、次の方違への
チャンスを待ちます。その日がやって来て、左大臣邸に退出するふりをして、
源氏は再び紀伊守邸を訪れました。
早速小君を呼び出し、空蝉への手紙をお持たせになります。事前に空蝉にも
今夜そちらへまいります、という旨のお便りをなさっていたので、空蝉も、
こんな無理な算段までして自分に逢いに来て下さる源氏のお気持ちを
嬉しく思うものの、もう二度とお逢いするまい、と決心しているので、源氏が
忍び込んで来るのが不可能な渡殿の女房の部屋へ避難して、女房たちに
マッサージをさせたりしているのでした。
内心は思い乱れている空蝉ですが、源氏にはその心の中は見えません。
なんと強情な女なのだ、と嘆息して
「帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひぬるかな(近づけば
消えると言われる帚木のようなつれないあなたの心も知らずに、園原の
道にわけもなく迷い入ってしまったことですよ) 聞こえむかたこそなけれ
(申し上げる言葉もございません)」
と、小君を通しておっしゃいました。空蝉もさすがにまどろむことも出来ずに
いたので、
「数ならぬふせ屋におふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木(しがない
ふせ屋に生える木というのが情けのうございますので、いたたまれずに
消えてしまう帚木なのでございます)」
とお返事をしたのでした。
巻名の「帚木」も、この二人の贈答歌に由来しており、二度と源氏を近づけ
ようとしない空蝉を象徴しています。
「空蝉」の巻は、「帚木」の巻末をそのまま受けた形で始まります。
なおも空蝉を思い切れない源氏が、小君に手引きさせて、今度はこっそりと
紀伊守邸を訪れます。三度目の来訪となりますが、そこで源氏は先ず、
空蝉と継娘の軒端の荻が碁を打っている姿を垣間見ます。この「空蝉」の
巻の前半場面につきましては、27日(木)のクラスのほうでご紹介したいと
思います。
このあと、本日講読した内の「帚木」の巻の全文訳を書きます(「空蝉」は27日に)。
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