キャンパスの中の「バラ園」
2017年5月30日(火)
2014年から、八王子の郊外にある某大学で開催されている
「『源氏物語』宇治十帖を読む」という講座に参加しておりますが、
毎年、この時期には、キャンパス内の綺麗なバラが色とりどりに
咲き乱れ、校外から訪れる我々も、楽しませて頂いてまいりました。
その「宇治十帖」も、7期目に入り、もう53帖目の「手習」を読んでいます。
残りは第54帖の「夢浮橋」しかありませんので、おそらく8期目に当たる
今年の後期で終了になると思います。
それで、このバラ園を、ブログで一度ご紹介したいと思っていましたが、
今日がラストチャンスでしたので、担当の方に掲載許可を頂戴して、
写真を見ていただくことにいたしました(但し、大学名は匿名で、との
ことでしたので、「某」で)。
バスから降りて歩き始めると、初夏の風に乗って漂って来るバラの香りに
思わず深呼吸したくなります。空気も澄んでいるので、アロマセラピーの
効果も絶大かと・・・。
そんなキャンパスの中のバラ園を、下手な写真ですが、ご覧ください。



2014年から、八王子の郊外にある某大学で開催されている
「『源氏物語』宇治十帖を読む」という講座に参加しておりますが、
毎年、この時期には、キャンパス内の綺麗なバラが色とりどりに
咲き乱れ、校外から訪れる我々も、楽しませて頂いてまいりました。
その「宇治十帖」も、7期目に入り、もう53帖目の「手習」を読んでいます。
残りは第54帖の「夢浮橋」しかありませんので、おそらく8期目に当たる
今年の後期で終了になると思います。
それで、このバラ園を、ブログで一度ご紹介したいと思っていましたが、
今日がラストチャンスでしたので、担当の方に掲載許可を頂戴して、
写真を見ていただくことにいたしました(但し、大学名は匿名で、との
ことでしたので、「某」で)。
バスから降りて歩き始めると、初夏の風に乗って漂って来るバラの香りに
思わず深呼吸したくなります。空気も澄んでいるので、アロマセラピーの
効果も絶大かと・・・。
そんなキャンパスの中のバラ園を、下手な写真ですが、ご覧ください。



スポンサーサイト
第三帖「空蝉」の全文訳(3)
2017年5月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第14回・№2)
第3帖「空蝉」の巻・最後の部分の全文訳です。
小君が近くに寝ているのを起こしなさると、源氏の君のことを気にしながら
寝ていたので、すぐに目を覚ましました。小君が妻戸をそっと押し開けると、
年老いた女房の声で「そこにいるのは誰ですか」と、仰々しく訊いて来ました。
小君は厄介に思って「僕だよ」と答えます。「夜中に、これはまたどうして
お出かけになるのです?」と、世話焼き顔で外へ出て来ます。たいそう
憎らしくて、「違うよ。ちょっとここに出るだけだよ」と言って、源氏の君を
押し出し申し上げますと、有明の月が煌々と出ていて、不意に人影が
見えたので、「もう一人いらっしゃるのは誰?」と問い、「民部のおもとのようね。
なかなかご立派なお前さまの背丈だこと」と言います。背が高くていつも
人に笑われている人のことを言っているのでした。
老女房は、小君がこの民部のおもとと連れ立って歩いていると思い込んで、
「そのうちすぐに同じくらいの背丈におなりでしょう」と言いながら、自分も
この妻戸から出て来ました。小君は困りますが、押し返すわけにも行かず、
源氏の君が渡殿の入り口にぴったりとくっついて、隠れて立っていらっしゃる
と、この老女房が近づいて「お前さまは、今夜はご主人様のところにいらした
のですか?私はおとといからお腹を壊して、どうにもならないので、局に
したが、人が少ないとのことでお呼びだったので、夕べ参上しましたが、
やはりとてもだめですわ」と愚痴を言います。返事も聞かないで、「ああ、
お腹、お腹。お話はまた後で」と言って離れて行ったので、やっとのことで
この場を切り抜けられました。やはりこのようなお忍び歩きは軽率で危険な
ものだったと、身にしみてお懲りになったことでしょうよ。
小君が牛車にお供をして乗って、源氏の君は二条院にお着きになりました。
今夜のいきさつを、、お前の幼さではしようがない、とお小言をおっしゃって、
空蝉の心を爪をはじきながらお恨みなさいます。小君は源氏の君が
お気の毒で、何も申し上げられません。「お前の姉さんは、たいそう私を
嫌っておいでのようだから、この身も愛想が尽き果てたよ。どうして逢って
くれないまでも、優しい返事くらいはして下さらないのだろうか。私は伊予介
にも劣る身なんだねぇ」などと、面白くないと思っておっしゃいます。
先程の小袿を、それでも夜着の下に引き入れて、おやすみになりました。
小君をお傍に寝かせて、あれこれと恨み言を言ったり、またやさしい言葉
をおかけになったりなさいます。「君は可愛いけど、あのつれない人の身寄り
だから、最後まで目を掛けてやれそうにもないよ」と、真面目におっしゃるのを、
小君はとてもつらいと思っておりました。
しばらく横になっておられましたが、おやすみにはなれません。硯を急ぎ
持って来させて、わざとらしいお手紙というふうではなく、懐紙に手慰みの
ように書き流しなさいました。
「うつせみの身をかへてける木(こ)のもとになほ人がらのなつかしきかな」
(蝉が抜け出てしまったその抜け殻に、やはりあの人を懐かしむことですよ)
と、お書きになったものを、小君は懐に入れて持っていました。軒端の荻も
何と思っているだろうか、と気の毒ではありましたが、あれこれ思い直されて、
お託けもありませんでした。あの薄衣は、小袿で、たいそう懐かしく着ていた
人の香りが染み込んでいるものだったのを、肌身離さずご覧になって
おられるのでした。
小君が紀伊守邸に行くと、姉君が待ち構えていて、きつく小言をおっしゃい
ます。「あんなとんでもないことを、何とか人の目はごまかせても、人が思う
ことは避けようのないことですから、本当に困ります。あなたがこんなに幼稚
なのを、源氏の君も一方ではどのようにお思いでしょう」と、小君を頭ごなしに
お叱りになります。小君は双方からおこられてやり切れませんが、あの
源氏の君の手習いを取り出しました。
空蝉もさすがに手に取ってご覧になります。あの小袿が源氏の君の手許に
あると思うと、どうだったか、伊勢の海人の潮に萎えた着物のように汗じみて
いたのではなかろうか、と思うにつけても気が気ではなく、実に様々に思い
乱れておりました。
軒端の荻も、何となく恥ずかしい思いでご自分のお部屋にお帰りになりました。
他に知っている人もいないことなので、軒端の荻は人知れず物思いに沈んで
座っておりました。小君がこの邸と源氏の君のところを行き来しているにつけ
ても、胸が締めつけられるばかりですが、お便りはありません。あきれ果てる
ような出来事だったと思い当たる分別もなく、あだめいた心にも、物悲しい
思いをしているようでした。
空蝉も、そのように冷静にはしているものの、通り一遍とも思えない源氏の君
のご様子に、昔のままの私だったら、と、取り返すこともできないけれど、
堪えきれなくて、この御懐紙の端のほうに書きつけたのでした。
「うつせみの羽(は)に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな」(蝉の羽に
置く露が木の間に隠れて見えないように、人目に隠れてひっそりと涙に
濡れる私の袖でありますことよ)
第三帖「空蝉」 了
第3帖「空蝉」の巻・最後の部分の全文訳です。
小君が近くに寝ているのを起こしなさると、源氏の君のことを気にしながら
寝ていたので、すぐに目を覚ましました。小君が妻戸をそっと押し開けると、
年老いた女房の声で「そこにいるのは誰ですか」と、仰々しく訊いて来ました。
小君は厄介に思って「僕だよ」と答えます。「夜中に、これはまたどうして
お出かけになるのです?」と、世話焼き顔で外へ出て来ます。たいそう
憎らしくて、「違うよ。ちょっとここに出るだけだよ」と言って、源氏の君を
押し出し申し上げますと、有明の月が煌々と出ていて、不意に人影が
見えたので、「もう一人いらっしゃるのは誰?」と問い、「民部のおもとのようね。
なかなかご立派なお前さまの背丈だこと」と言います。背が高くていつも
人に笑われている人のことを言っているのでした。
老女房は、小君がこの民部のおもとと連れ立って歩いていると思い込んで、
「そのうちすぐに同じくらいの背丈におなりでしょう」と言いながら、自分も
この妻戸から出て来ました。小君は困りますが、押し返すわけにも行かず、
源氏の君が渡殿の入り口にぴったりとくっついて、隠れて立っていらっしゃる
と、この老女房が近づいて「お前さまは、今夜はご主人様のところにいらした
のですか?私はおとといからお腹を壊して、どうにもならないので、局に
したが、人が少ないとのことでお呼びだったので、夕べ参上しましたが、
やはりとてもだめですわ」と愚痴を言います。返事も聞かないで、「ああ、
お腹、お腹。お話はまた後で」と言って離れて行ったので、やっとのことで
この場を切り抜けられました。やはりこのようなお忍び歩きは軽率で危険な
ものだったと、身にしみてお懲りになったことでしょうよ。
小君が牛車にお供をして乗って、源氏の君は二条院にお着きになりました。
今夜のいきさつを、、お前の幼さではしようがない、とお小言をおっしゃって、
空蝉の心を爪をはじきながらお恨みなさいます。小君は源氏の君が
お気の毒で、何も申し上げられません。「お前の姉さんは、たいそう私を
嫌っておいでのようだから、この身も愛想が尽き果てたよ。どうして逢って
くれないまでも、優しい返事くらいはして下さらないのだろうか。私は伊予介
にも劣る身なんだねぇ」などと、面白くないと思っておっしゃいます。
先程の小袿を、それでも夜着の下に引き入れて、おやすみになりました。
小君をお傍に寝かせて、あれこれと恨み言を言ったり、またやさしい言葉
をおかけになったりなさいます。「君は可愛いけど、あのつれない人の身寄り
だから、最後まで目を掛けてやれそうにもないよ」と、真面目におっしゃるのを、
小君はとてもつらいと思っておりました。
しばらく横になっておられましたが、おやすみにはなれません。硯を急ぎ
持って来させて、わざとらしいお手紙というふうではなく、懐紙に手慰みの
ように書き流しなさいました。
「うつせみの身をかへてける木(こ)のもとになほ人がらのなつかしきかな」
(蝉が抜け出てしまったその抜け殻に、やはりあの人を懐かしむことですよ)
と、お書きになったものを、小君は懐に入れて持っていました。軒端の荻も
何と思っているだろうか、と気の毒ではありましたが、あれこれ思い直されて、
お託けもありませんでした。あの薄衣は、小袿で、たいそう懐かしく着ていた
人の香りが染み込んでいるものだったのを、肌身離さずご覧になって
おられるのでした。
小君が紀伊守邸に行くと、姉君が待ち構えていて、きつく小言をおっしゃい
ます。「あんなとんでもないことを、何とか人の目はごまかせても、人が思う
ことは避けようのないことですから、本当に困ります。あなたがこんなに幼稚
なのを、源氏の君も一方ではどのようにお思いでしょう」と、小君を頭ごなしに
お叱りになります。小君は双方からおこられてやり切れませんが、あの
源氏の君の手習いを取り出しました。
空蝉もさすがに手に取ってご覧になります。あの小袿が源氏の君の手許に
あると思うと、どうだったか、伊勢の海人の潮に萎えた着物のように汗じみて
いたのではなかろうか、と思うにつけても気が気ではなく、実に様々に思い
乱れておりました。
軒端の荻も、何となく恥ずかしい思いでご自分のお部屋にお帰りになりました。
他に知っている人もいないことなので、軒端の荻は人知れず物思いに沈んで
座っておりました。小君がこの邸と源氏の君のところを行き来しているにつけ
ても、胸が締めつけられるばかりですが、お便りはありません。あきれ果てる
ような出来事だったと思い当たる分別もなく、あだめいた心にも、物悲しい
思いをしているようでした。
空蝉も、そのように冷静にはしているものの、通り一遍とも思えない源氏の君
のご様子に、昔のままの私だったら、と、取り返すこともできないけれど、
堪えきれなくて、この御懐紙の端のほうに書きつけたのでした。
「うつせみの羽(は)に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな」(蝉の羽に
置く露が木の間に隠れて見えないように、人目に隠れてひっそりと涙に
濡れる私の袖でありますことよ)
第三帖「空蝉」 了
揺れる女ごころー「空蝉」の巻・最終章ー
2017年5月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第14回・№1)
5月8日の記事では、三度目の紀伊守邸来訪の源氏が、小君に手引きを
させて空蝉の寝所に忍び込んだものの、いち早く気配を察知した空蝉に
逃げられてしまい、後に残された軒端の荻と図らずも契りを交わす羽目に
なったところ迄を書きました。今回はその続きになります。
空蝉が残した薄衣を手に取って母屋を出た源氏は、小君を起こし、二人で
引き揚げようとしたところを、一人の古女房に見つかってしまいました。
「すわっ、ピンチ!」でしたが、この古女房は、源氏を「民部のおもと」という
長身の女房と勘違いしてくれた上に、お腹を壊していて、そさくさと立ち去った
ので、何とか事なきを得ました。
二条院に戻ってからの源氏は、小君に八つ当たり気味でしたが、持ち帰った
空蝉の薄衣を、自分の夜着の下に引き入れておやすみになりました。でも、
眠れるわけはありません。硯を持って来させて、懐紙に、
「うつせみの身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな」
(蝉の抜け殻が残った木の下に、やはりその人柄を懐かしむことですよ)
と、書きつけられたのでした。
小君はこれを自分の懐に入れて持っていました。紀伊守邸に行くと、姉の
空蝉に頭ごなしにお説教されますが、この歌を取り出しますと、さすがに
空蝉も手に取って見るのでした。あのような汗の染み着いた小袿が源氏の
手許にあるのを気にしながらも、もしこれが結婚前の自分であったなら、と、
我慢できなくて、
「うつせみの羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな」
(蝉の羽に置く露が、木の間に隠れて見えないように、人目を忍び、
こっそりと涙に濡れる私の袖でありますことよ)
と、揺れる女ごころを、源氏のすさび書きの懐紙の端に書きつけたのでした。
この空蝉の歌をもって、「空蝉」の巻は幕を閉じます。巻名も、ここでの二人の
歌に由来しています。
「帚木」の巻の「雨夜の品定め」では、男たちが理想の女性論を展開しました
が、それはあくまで、男たちの目から見た女性を論じたにすぎません。
空蝉の揺れる女ごころは、源氏には届いていません。源氏の目に映る空蝉は、
自分を拒む強情でつれない女性としか見えていないはずです。この最初の
中の品の女性の話は、「雨夜の品定め」で投げかけられた男たちからの
問いかけに対して、「見かけだけでは判断しないでください」という、一つの
答えの提示になっているかとも思われます。
このあと、第3帖「空蝉」の巻・最終章の全文訳を書きます。
5月8日の記事では、三度目の紀伊守邸来訪の源氏が、小君に手引きを
させて空蝉の寝所に忍び込んだものの、いち早く気配を察知した空蝉に
逃げられてしまい、後に残された軒端の荻と図らずも契りを交わす羽目に
なったところ迄を書きました。今回はその続きになります。
空蝉が残した薄衣を手に取って母屋を出た源氏は、小君を起こし、二人で
引き揚げようとしたところを、一人の古女房に見つかってしまいました。
「すわっ、ピンチ!」でしたが、この古女房は、源氏を「民部のおもと」という
長身の女房と勘違いしてくれた上に、お腹を壊していて、そさくさと立ち去った
ので、何とか事なきを得ました。
二条院に戻ってからの源氏は、小君に八つ当たり気味でしたが、持ち帰った
空蝉の薄衣を、自分の夜着の下に引き入れておやすみになりました。でも、
眠れるわけはありません。硯を持って来させて、懐紙に、
「うつせみの身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな」
(蝉の抜け殻が残った木の下に、やはりその人柄を懐かしむことですよ)
と、書きつけられたのでした。
小君はこれを自分の懐に入れて持っていました。紀伊守邸に行くと、姉の
空蝉に頭ごなしにお説教されますが、この歌を取り出しますと、さすがに
空蝉も手に取って見るのでした。あのような汗の染み着いた小袿が源氏の
手許にあるのを気にしながらも、もしこれが結婚前の自分であったなら、と、
我慢できなくて、
「うつせみの羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな」
(蝉の羽に置く露が、木の間に隠れて見えないように、人目を忍び、
こっそりと涙に濡れる私の袖でありますことよ)
と、揺れる女ごころを、源氏のすさび書きの懐紙の端に書きつけたのでした。
この空蝉の歌をもって、「空蝉」の巻は幕を閉じます。巻名も、ここでの二人の
歌に由来しています。
「帚木」の巻の「雨夜の品定め」では、男たちが理想の女性論を展開しました
が、それはあくまで、男たちの目から見た女性を論じたにすぎません。
空蝉の揺れる女ごころは、源氏には届いていません。源氏の目に映る空蝉は、
自分を拒む強情でつれない女性としか見えていないはずです。この最初の
中の品の女性の話は、「雨夜の品定め」で投げかけられた男たちからの
問いかけに対して、「見かけだけでは判断しないでください」という、一つの
答えの提示になっているかとも思われます。
このあと、第3帖「空蝉」の巻・最終章の全文訳を書きます。
柏木、ついに思いを果たす
2017年5月22日(月) 溝の口「湖月会」(第107回)
六条院で行われた女楽の翌日、紫の上が病に倒れ、回復の見通しが
立たぬまま二月も過ぎ、源氏は紫の上を二条院に移し、ご自身も看病
のため、二条院で過ごされるようになりました。
柏木は女三宮の異腹の姉・女二宮を妻としましたが、やはり女三宮を
忘れることが出来ず、六条院が人少なになっている今こそチャンスと
捉え、女三宮の乳母子の小侍従に、しつこく手引きを求めて、とうとう
女三宮のもとに忍び込みました。
柏木とて、源氏の正妻に無体なことをしてはならないという自制心は
持っており、せめてこの長い年月、女三宮を慕い続けて来た気持ちを
告げて、「あはれ」(お気の毒に)という言葉を一言かけて頂ければ、
それで引き下がるつもりでした。
でもそれは、女三宮が皇女としての威厳に満ちた女性だと想像して
いたからで、実際の女三宮は、まったく違っていました。
柏木がどのように言葉を尽くして思いの丈を述べたところで、一言の
返事をすることも出来ない、いかにも頼りなげな、幼い感じの可憐な
女性、それが現実の女三宮だったのです。
柏木の自制心は、このような女三宮を目の当たりにしたことで、もろくも
崩れ去り、我を忘れて、恋の刹那に溺れてしまったのでした。
柏木が女三宮に一貫して求めた「あはれ」という憐憫の情は、おそらく
柏木のモチーフとして、謙徳公の「百人一首」にも採られている
「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」
(「可哀想に」と言ってくれそうな人もなく、私は恋死してしまうのだろうなあ)
の歌が、作者・紫式部の念頭にあったのではないかと思われます。
「あはれ」とも言って貰えない柏木は、自ずからこの歌の下の句「身のいたづら」
(「いたづら」は無駄になる、という意味で、身が無駄になるとは、即ち死ぬこと)
へと導かれる結末が待っていると考えられましょう。
柏木のテーマ「あはれ」は、コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」の中で、
バイオリンのソロで演奏されるシェヘラザードの主題のように、源氏物語の
中で、柏木の象徴として奏でられています。
六条院で行われた女楽の翌日、紫の上が病に倒れ、回復の見通しが
立たぬまま二月も過ぎ、源氏は紫の上を二条院に移し、ご自身も看病
のため、二条院で過ごされるようになりました。
柏木は女三宮の異腹の姉・女二宮を妻としましたが、やはり女三宮を
忘れることが出来ず、六条院が人少なになっている今こそチャンスと
捉え、女三宮の乳母子の小侍従に、しつこく手引きを求めて、とうとう
女三宮のもとに忍び込みました。
柏木とて、源氏の正妻に無体なことをしてはならないという自制心は
持っており、せめてこの長い年月、女三宮を慕い続けて来た気持ちを
告げて、「あはれ」(お気の毒に)という言葉を一言かけて頂ければ、
それで引き下がるつもりでした。
でもそれは、女三宮が皇女としての威厳に満ちた女性だと想像して
いたからで、実際の女三宮は、まったく違っていました。
柏木がどのように言葉を尽くして思いの丈を述べたところで、一言の
返事をすることも出来ない、いかにも頼りなげな、幼い感じの可憐な
女性、それが現実の女三宮だったのです。
柏木の自制心は、このような女三宮を目の当たりにしたことで、もろくも
崩れ去り、我を忘れて、恋の刹那に溺れてしまったのでした。
柏木が女三宮に一貫して求めた「あはれ」という憐憫の情は、おそらく
柏木のモチーフとして、謙徳公の「百人一首」にも採られている
「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」
(「可哀想に」と言ってくれそうな人もなく、私は恋死してしまうのだろうなあ)
の歌が、作者・紫式部の念頭にあったのではないかと思われます。
「あはれ」とも言って貰えない柏木は、自ずからこの歌の下の句「身のいたづら」
(「いたづら」は無駄になる、という意味で、身が無駄になるとは、即ち死ぬこと)
へと導かれる結末が待っていると考えられましょう。
柏木のテーマ「あはれ」は、コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」の中で、
バイオリンのソロで演奏されるシェヘラザードの主題のように、源氏物語の
中で、柏木の象徴として奏でられています。
お坊さんはイケメンでなくっちゃぁ~
2017年5月19日(金) 溝の口「枕草子」(第8回)
朝から青空が広がり、一週間ぶりの夏日となって、ちょっと動くと
汗ばむような陽気の一日でした。
溝の口の「枕草子」、今回は第28段の「心ゆくもの」から、第32段の
「小白河といふところは」の途中までを読みました。
清少納言という人は、美醜に対する好悪の感情がはっきりとしていて、
「枕草子」の中で、「美しいものは好き」、「醜いものは嫌い」と、一貫して
言い切っています。
その一つの例として、第30段の冒頭部分をご紹介しましょう。
「説経の講師は、顔よき。講師の顔をつと目守らへたるこそ、その説く
ことの尊さもおぼゆれ。ひが目しつれば、ふと忘るるに、『にくげなるは
罪や得らむ』とおぼゆ。」(説経をするお坊さんは、イケメンに限るわ!
だってイケメンだとじっと顔を見つめちゃうから、気持ちも集中して、
説いていらっしゃことの有難味も感じられる、ってものよ。これが醜男の
お坊さんだと、つい目を逸らしちゃうので、お話も「あれ、何だったっけ?」
になるのよね。醜男なお坊さんって、仏さまから『役立たず』ってお叱りを
受けるんじゃないか、と思ってしまうわ。)
いやはや、イケメンではないお坊さん、これでは立つ瀬がないですね。
さすがに、言い過ぎたと思ったのか、このあとに、言い訳めいた文を
添えています。
「この詞、停むべし。すこし歳などのよろしきほどは、かやうの罪得がた
のことは、書き出でけめ、今は、罪いとおそろし。」(こんなこと、ホントは
言っちゃいけないわよね。もう少し若い時なら、こんな罰当たりなことを
書いても平気だったでしょうけど、もうこの歳になると、本当に罰が当たり
そうで怖いわ。)
思ったことがここまでスパッと小気味よく書いてあると、読む人も、苦笑は
しても、非難する気にはなれませんね。
朝から青空が広がり、一週間ぶりの夏日となって、ちょっと動くと
汗ばむような陽気の一日でした。
溝の口の「枕草子」、今回は第28段の「心ゆくもの」から、第32段の
「小白河といふところは」の途中までを読みました。
清少納言という人は、美醜に対する好悪の感情がはっきりとしていて、
「枕草子」の中で、「美しいものは好き」、「醜いものは嫌い」と、一貫して
言い切っています。
その一つの例として、第30段の冒頭部分をご紹介しましょう。
「説経の講師は、顔よき。講師の顔をつと目守らへたるこそ、その説く
ことの尊さもおぼゆれ。ひが目しつれば、ふと忘るるに、『にくげなるは
罪や得らむ』とおぼゆ。」(説経をするお坊さんは、イケメンに限るわ!
だってイケメンだとじっと顔を見つめちゃうから、気持ちも集中して、
説いていらっしゃことの有難味も感じられる、ってものよ。これが醜男の
お坊さんだと、つい目を逸らしちゃうので、お話も「あれ、何だったっけ?」
になるのよね。醜男なお坊さんって、仏さまから『役立たず』ってお叱りを
受けるんじゃないか、と思ってしまうわ。)
いやはや、イケメンではないお坊さん、これでは立つ瀬がないですね。
さすがに、言い過ぎたと思ったのか、このあとに、言い訳めいた文を
添えています。
「この詞、停むべし。すこし歳などのよろしきほどは、かやうの罪得がた
のことは、書き出でけめ、今は、罪いとおそろし。」(こんなこと、ホントは
言っちゃいけないわよね。もう少し若い時なら、こんな罰当たりなことを
書いても平気だったでしょうけど、もうこの歳になると、本当に罰が当たり
そうで怖いわ。)
思ったことがここまでスパッと小気味よく書いてあると、読む人も、苦笑は
しても、非難する気にはなれませんね。
「竹河」の巻の問題点
2017年5月17日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算189回 統合43回)
今日は朝から陽射しがなく、空気もひんやりとした一日となりました。
湘南台クラスは今回で「竹河」の巻が終わり、来月からはいよいよ「宇治十帖」
に入ります。
「匂宮三帖」(匂兵部卿・紅梅・竹河)は、古来作者別人説が根強く唱えられて
来ましたが、中でも、この第44帖「竹河」は、薫を軸とした年立で考えますと、
第42帖「匂兵部卿」では14歳~20歳、第43帖「紅梅」では24歳、そして「竹河」
では、また大きく遡って、14歳から23歳までとなり、年立に従うなら、「紅梅」
よりも前に位置づけられるべき不自然さが、先ず問題となります。
次に問題視されるのが、登場人物の官位のことです。
「匂兵部卿」の巻で、薫は14歳の秋に侍従から中将に昇進しているのですが、
「竹河」では16歳になっても侍従のままです。
また、薫23歳の「竹河」の終盤で、左大臣の逝去に伴い、夕霧が右大臣から
左大臣となり、紅梅大納言が右大臣になったとありますが、薫24歳の「紅梅」
の巻において、夕霧と紅梅大納言は右大臣と大納言ですし、「宇治十帖」で、
薫が24歳となる第46帖「椎本」以降の巻でも、夕霧は右大臣、紅梅大納言も
大納言で、最後まで昇進はしていません。
これらのことからして、少なくとも「竹河」は、紫式部以外の後世の作者が
書き入れたもので、本来の「源氏物語」として読む場合には削除すべきだ
との説もありましたが、作者別人説の確かな根拠とはなり得ず、今は
この問題はあまり論じられなくなっています。
文章なども、ややもたつき感のある「匂宮三帖」を経て、「宇治十帖」に入ると、
「源氏物語」は再び精彩を取り戻し、次第に近代小説を読んでいるかのような
細やかな心理描写に、読者もまた引き込まれて行くことになるのです。
今日は朝から陽射しがなく、空気もひんやりとした一日となりました。
湘南台クラスは今回で「竹河」の巻が終わり、来月からはいよいよ「宇治十帖」
に入ります。
「匂宮三帖」(匂兵部卿・紅梅・竹河)は、古来作者別人説が根強く唱えられて
来ましたが、中でも、この第44帖「竹河」は、薫を軸とした年立で考えますと、
第42帖「匂兵部卿」では14歳~20歳、第43帖「紅梅」では24歳、そして「竹河」
では、また大きく遡って、14歳から23歳までとなり、年立に従うなら、「紅梅」
よりも前に位置づけられるべき不自然さが、先ず問題となります。
次に問題視されるのが、登場人物の官位のことです。
「匂兵部卿」の巻で、薫は14歳の秋に侍従から中将に昇進しているのですが、
「竹河」では16歳になっても侍従のままです。
また、薫23歳の「竹河」の終盤で、左大臣の逝去に伴い、夕霧が右大臣から
左大臣となり、紅梅大納言が右大臣になったとありますが、薫24歳の「紅梅」
の巻において、夕霧と紅梅大納言は右大臣と大納言ですし、「宇治十帖」で、
薫が24歳となる第46帖「椎本」以降の巻でも、夕霧は右大臣、紅梅大納言も
大納言で、最後まで昇進はしていません。
これらのことからして、少なくとも「竹河」は、紫式部以外の後世の作者が
書き入れたもので、本来の「源氏物語」として読む場合には削除すべきだ
との説もありましたが、作者別人説の確かな根拠とはなり得ず、今は
この問題はあまり論じられなくなっています。
文章なども、ややもたつき感のある「匂宮三帖」を経て、「宇治十帖」に入ると、
「源氏物語」は再び精彩を取り戻し、次第に近代小説を読んでいるかのような
細やかな心理描写に、読者もまた引き込まれて行くことになるのです。
それぞれの嘆きー大君と中の君ー
2017年5月14日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第137回)
一昨日の溝の口のクラスが読んでいる「若菜下」も、今日の淵野辺の
クラスが読んでいる「総角」も、後半が「読みどころ」となっていますが、
共にその「読みどころ」に入って来て、このところ、改めて「源氏物語」を
堪能しています。
中の君を心底愛しながらも、身分上、自由に宇治へ通うことは困難な
匂宮。そんな匂宮を見かねて、薫は匂宮に宇治への紅葉狩りを提案
します。むろん、匂宮に異存はなく、紅葉狩りにかこつけて、中の君に
逢えることを楽しみに、上達部で供をするのは、薫と宰相の中将のみ
という、ごく内輪の逍遥のつもりでお出かけになりました。
薫は、宇治の姫君たちにも、匂宮は必ずお立ち寄りになるので、心して
お待ちするように、と、万事に手を貸しながら、準備を整えさせなさった
のでした。
ところが、そのような軽々しいお出ましを耳になさった明石中宮が、
先ずは衛門の督一行を、翌日には宮の大夫らをお迎えに差し向け
られた為、結局、当日も翌日も匂宮は八の宮邸を訪れることが出来ず、
中の君に逢えないまま帰京せざるを得なくなってしまいました。
姫君たちは当然のこと、大きなショックを受けます。
中の君は、なまじこんなに近くまでお出でになりながら、お立ち寄りが
なかった匂宮のことを、恨めしくも残念にも思いつつも、逢えば感じ取る
ことが出来る匂宮の誠意を、心のどこかで信じようとしており、「わりなき
障りこそはものしたまふらめ」(どうしようもない差し障りがお出来になった
のだわ)と考えよう、ともなさっているのでした。
一方の大君は、浮気者の匂宮にとって、所詮妹は気まぐれな遊び相手に
過ぎなかったのだ、と、このことで男性不信に陥ってしまいます。ここから、
大君の心内語で「人笑へ」(世間の物笑い)という言葉が多用されますが、
これはとりもなおさず、大君が父宮の遺志として、何としても守りたいと
願っている「宮家としての誇り」を失うことを意味していました。
同じ嘆きではあっても、中の君には、夫婦にしか分からない心の機微が
支えとなって、希望が内在しているのですが、男性経験を持たない大君
には、ただ絶望しかなかったのです。
一昨日の溝の口のクラスが読んでいる「若菜下」も、今日の淵野辺の
クラスが読んでいる「総角」も、後半が「読みどころ」となっていますが、
共にその「読みどころ」に入って来て、このところ、改めて「源氏物語」を
堪能しています。
中の君を心底愛しながらも、身分上、自由に宇治へ通うことは困難な
匂宮。そんな匂宮を見かねて、薫は匂宮に宇治への紅葉狩りを提案
します。むろん、匂宮に異存はなく、紅葉狩りにかこつけて、中の君に
逢えることを楽しみに、上達部で供をするのは、薫と宰相の中将のみ
という、ごく内輪の逍遥のつもりでお出かけになりました。
薫は、宇治の姫君たちにも、匂宮は必ずお立ち寄りになるので、心して
お待ちするように、と、万事に手を貸しながら、準備を整えさせなさった
のでした。
ところが、そのような軽々しいお出ましを耳になさった明石中宮が、
先ずは衛門の督一行を、翌日には宮の大夫らをお迎えに差し向け
られた為、結局、当日も翌日も匂宮は八の宮邸を訪れることが出来ず、
中の君に逢えないまま帰京せざるを得なくなってしまいました。
姫君たちは当然のこと、大きなショックを受けます。
中の君は、なまじこんなに近くまでお出でになりながら、お立ち寄りが
なかった匂宮のことを、恨めしくも残念にも思いつつも、逢えば感じ取る
ことが出来る匂宮の誠意を、心のどこかで信じようとしており、「わりなき
障りこそはものしたまふらめ」(どうしようもない差し障りがお出来になった
のだわ)と考えよう、ともなさっているのでした。
一方の大君は、浮気者の匂宮にとって、所詮妹は気まぐれな遊び相手に
過ぎなかったのだ、と、このことで男性不信に陥ってしまいます。ここから、
大君の心内語で「人笑へ」(世間の物笑い)という言葉が多用されますが、
これはとりもなおさず、大君が父宮の遺志として、何としても守りたいと
願っている「宮家としての誇り」を失うことを意味していました。
同じ嘆きではあっても、中の君には、夫婦にしか分からない心の機微が
支えとなって、希望が内在しているのですが、男性経験を持たない大君
には、ただ絶望しかなかったのです。
第三帖「空蝉」の全文訳(2)
2017年5月8日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第14回・№2)
源氏の君は渡殿の戸口に寄りかかっていらっしゃいました。小君はとても
恐れ多いと思って、「普段はいない人が来ておりまして、姉には近寄ることも
出来ません」と申し上げます。源氏の君が「それでは、今夜もこのまま帰そう
というのかい。そりゃあ、あんまりじゃないかね」とおっしゃると、小君は「いえ、
決してそんな。西の対の方がお戻りになりましたら、手立てをいたしましょう」
と申し上げました。
そのように何とかできそうな様子なのだろう。子供だけれど、小君は物事の
事情や、人の気持ちを察する落ち着いたところがあるから、と、源氏の君は
お思いになるのでした。
碁を打ち終わったのでしょうか、そよそよと衣擦れの音がする気がして、
女房たちが退散している様子です。女房が「若君はどこにおいでなのでしょう。
この格子は閉めてしまいましょう」と言って、音を立てて閉めているようです。
小君も、姉の気持ちが意志を曲げそうにもなく実直そのものなので、話を
つける術もなく、人が少なくなった時に、源氏の君を姉の部屋へお入れしよう、
と思っているのでした。
「紀伊守の妹もこちらにいるのかい。私に垣間見させてくれよ」と、源氏の君
がおっしゃいますが、「どうしてそんなことができましょう。格子には内側に
几帳が立てられています」と小君は申し上げます。そうであろうよ。でも、
その几帳は風通しをよくするために、帷子が横木に掛けてあるのに、と、
源氏の君はおかしくお思いになりますが、もう見てしまったことは内緒に
しておこう、それを言ったらこの子が可哀想だ、とお思いになって、夜が
更けるのが待ち遠しくてならない、とおっしゃるのでした。
小君は、今回は妻戸を叩いて開けさせて、中に入りました。女房たちも
皆、寝静まっておりました。小君は「この障子口で僕は寝よう。風よ吹いて
通れ」と言って、上敷きを広げて横になりました。女房たちは東廂で大勢
寝ているのでしょう。妻戸を開けて小君を中に入れた女童も、東廂に
入って寝たので、小君はしばらく寝たふりをして、灯りの明るいほうに
屏風を広げて、薄暗くなったところに、そっと源氏の君をお入れ申し上げ
ました。
どうなることか、この子がへまをやらかすのではないか、と、お思いになると、
ひどく気おくれがするけれども、小君が導くままに、源氏の君は母屋の几帳
の帷子を引き上げて、たいそうそっとお入りになろうとなさいますが、皆が
寝静まった夜の、衣擦れの音の柔らかなのが却って、はっきりと源氏の君
だとわかるのでした。
空蝉は、源氏の君がこんなふうに、もう自分のことをお忘れになっているのを、
幸いなことだ、と思うようにはしていますが、不思議な夢を見ているようだった
先夜の事が、心から離れる時のない頃とて、落ち着いた眠りにつくことも出来ず、
昼は物思いをし、夜は寝覚めがちなので、春の「木(こ)の芽」ならぬ「この目」も、
休む間もなく嘆かわしいのに、碁を打ち終わった軒端の荻は、「今夜はこちらで」
と、現代っ子らしく継母の空蝉になついて、寝てしまいました。
若い軒端の荻は、無邪気にたいそうよく寝入ってしまったようです。源氏の君が、
このように忍び入って来る様子が、実に香ばしく匂うので、空蝉が顔を上げて
見てみると、一重の帷子をかけた几帳の隙間に、暗いけれど、にじり寄って
来られる気配が、たいそうはっきりと窺われました。あきれたことだと思って、
どうしてよいかわからぬまま、そっと起き出して、生絹(すずし)の単衣を一枚だけ
身に着けて、空蝉は静かに寝床を抜け出しました。
源氏の君は中にお入りになって、たった一人で寝ているのに安心なさいます。
下長押の下に女房が二人ほど寝ておりました。上に掛けている夜着を押し
やって寄り添われると、先夜の空蝉の様子よりは大柄な感じがしますが、
それが別人だとは思い寄りもなさらないことでしたよ。
なかなか目を覚まさない所などが、空蝉とは妙に違っているので、次第に
別の人だとお分かりになって、あまりのことにおもしろくありませんが、
人違いだとおろおろするのも、間の抜けたことですし、ここにいる女も変だ
と思うだろう。お目当ての人をこれから探し出すのも、ここまで自分を
避けようとしているようなので、無駄なことだし、空蝉も馬鹿な男だと思う
であろう、とお考えになります。この女があの垣間見た折の美しい娘ならば、
この際それも良かろう、という気持ちにおなりになったのも、けしからぬ
お心の軽さというものでしょうね。
女は段々と目が覚めて、思いも寄らないあまりのことに動転した様子で、
どこにも思慮深くいじらしいと思わせるたしなみが感じられません。男をまだ
知らないにしては、あだめいたところがあって、消え入りそうにうろたえる
わけでもありません。源氏の君は、自分だとも女に知らせまい、とお思いに
なりますが、どうしてこんなことになったのか、とこの女が後で考えを巡らした
場合、自分としては別に構わないことだけれど、あのつれない空蝉が、ひどく
世間体を気にしているのも、さすがに気の毒なので、これまで何度も方違へ
にかこつけてこちらにお出でになったのは、実は軒端の荻が目当てだった
のだと、うまく言いつくろってお話になります。
察しのいい人なら事情がわかりそうなものですが、軒端の荻の、まだたいそう
若い分別では、あんなに小生意気なようでも、とても考えが及びません。
軒端の荻が可愛くないわけではありませんが、特に心惹かれるところもない
気がして、やはり、あの恨めしい空蝉の仕打ちをひどいとお思いでした。
空蝉はどこかに隠れ潜んで、間抜けな男だ、と思っていることだろう、
こんなに強情な女はまたとあるまい、とお思いになるにつけても、困った
ことに気持ちの紛らわしようもなく空蝉のことを思い出しておられました。
軒端の荻が何のわきまえもなく屈託のない様子なのもいじらしいので、
源氏の君は、さすがに心を込めて将来の変わらないお約束をなさって
おかれます。「他人が知っている仲よりも、こうした人目を忍ぶ仲は、
情愛も一層深いものだと、昔の人も言っております。あなたも私と同じ
ように、思ってくださいね。人目を憚る事情もございますので、我が身
ながら思うにまかせぬ不自由な身なのです。またこうしたことは、あなた
のお世話をなさっている方々もお許しにはならないでしょうよ、と思うと、
今から胸が痛みます。私を忘れないで待っていてくださいね」などと、
月並みな殺し文句をお並べになります。
軒端の荻は「人がどのように思いますかと気が引けて、私からは
とてもお便りは差し上げられません」と疑いもなく言います。「誰彼
無しに人に言っては困りますが、小君に持たせてお便りをしましょう。
何気なく振舞っていてください」などと言い置いて、あの空蝉が脱ぎすべ
らして行ったとみえる薄絹の衣を手に取って母屋をお出になりました。
源氏の君は渡殿の戸口に寄りかかっていらっしゃいました。小君はとても
恐れ多いと思って、「普段はいない人が来ておりまして、姉には近寄ることも
出来ません」と申し上げます。源氏の君が「それでは、今夜もこのまま帰そう
というのかい。そりゃあ、あんまりじゃないかね」とおっしゃると、小君は「いえ、
決してそんな。西の対の方がお戻りになりましたら、手立てをいたしましょう」
と申し上げました。
そのように何とかできそうな様子なのだろう。子供だけれど、小君は物事の
事情や、人の気持ちを察する落ち着いたところがあるから、と、源氏の君は
お思いになるのでした。
碁を打ち終わったのでしょうか、そよそよと衣擦れの音がする気がして、
女房たちが退散している様子です。女房が「若君はどこにおいでなのでしょう。
この格子は閉めてしまいましょう」と言って、音を立てて閉めているようです。
小君も、姉の気持ちが意志を曲げそうにもなく実直そのものなので、話を
つける術もなく、人が少なくなった時に、源氏の君を姉の部屋へお入れしよう、
と思っているのでした。
「紀伊守の妹もこちらにいるのかい。私に垣間見させてくれよ」と、源氏の君
がおっしゃいますが、「どうしてそんなことができましょう。格子には内側に
几帳が立てられています」と小君は申し上げます。そうであろうよ。でも、
その几帳は風通しをよくするために、帷子が横木に掛けてあるのに、と、
源氏の君はおかしくお思いになりますが、もう見てしまったことは内緒に
しておこう、それを言ったらこの子が可哀想だ、とお思いになって、夜が
更けるのが待ち遠しくてならない、とおっしゃるのでした。
小君は、今回は妻戸を叩いて開けさせて、中に入りました。女房たちも
皆、寝静まっておりました。小君は「この障子口で僕は寝よう。風よ吹いて
通れ」と言って、上敷きを広げて横になりました。女房たちは東廂で大勢
寝ているのでしょう。妻戸を開けて小君を中に入れた女童も、東廂に
入って寝たので、小君はしばらく寝たふりをして、灯りの明るいほうに
屏風を広げて、薄暗くなったところに、そっと源氏の君をお入れ申し上げ
ました。
どうなることか、この子がへまをやらかすのではないか、と、お思いになると、
ひどく気おくれがするけれども、小君が導くままに、源氏の君は母屋の几帳
の帷子を引き上げて、たいそうそっとお入りになろうとなさいますが、皆が
寝静まった夜の、衣擦れの音の柔らかなのが却って、はっきりと源氏の君
だとわかるのでした。
空蝉は、源氏の君がこんなふうに、もう自分のことをお忘れになっているのを、
幸いなことだ、と思うようにはしていますが、不思議な夢を見ているようだった
先夜の事が、心から離れる時のない頃とて、落ち着いた眠りにつくことも出来ず、
昼は物思いをし、夜は寝覚めがちなので、春の「木(こ)の芽」ならぬ「この目」も、
休む間もなく嘆かわしいのに、碁を打ち終わった軒端の荻は、「今夜はこちらで」
と、現代っ子らしく継母の空蝉になついて、寝てしまいました。
若い軒端の荻は、無邪気にたいそうよく寝入ってしまったようです。源氏の君が、
このように忍び入って来る様子が、実に香ばしく匂うので、空蝉が顔を上げて
見てみると、一重の帷子をかけた几帳の隙間に、暗いけれど、にじり寄って
来られる気配が、たいそうはっきりと窺われました。あきれたことだと思って、
どうしてよいかわからぬまま、そっと起き出して、生絹(すずし)の単衣を一枚だけ
身に着けて、空蝉は静かに寝床を抜け出しました。
源氏の君は中にお入りになって、たった一人で寝ているのに安心なさいます。
下長押の下に女房が二人ほど寝ておりました。上に掛けている夜着を押し
やって寄り添われると、先夜の空蝉の様子よりは大柄な感じがしますが、
それが別人だとは思い寄りもなさらないことでしたよ。
なかなか目を覚まさない所などが、空蝉とは妙に違っているので、次第に
別の人だとお分かりになって、あまりのことにおもしろくありませんが、
人違いだとおろおろするのも、間の抜けたことですし、ここにいる女も変だ
と思うだろう。お目当ての人をこれから探し出すのも、ここまで自分を
避けようとしているようなので、無駄なことだし、空蝉も馬鹿な男だと思う
であろう、とお考えになります。この女があの垣間見た折の美しい娘ならば、
この際それも良かろう、という気持ちにおなりになったのも、けしからぬ
お心の軽さというものでしょうね。
女は段々と目が覚めて、思いも寄らないあまりのことに動転した様子で、
どこにも思慮深くいじらしいと思わせるたしなみが感じられません。男をまだ
知らないにしては、あだめいたところがあって、消え入りそうにうろたえる
わけでもありません。源氏の君は、自分だとも女に知らせまい、とお思いに
なりますが、どうしてこんなことになったのか、とこの女が後で考えを巡らした
場合、自分としては別に構わないことだけれど、あのつれない空蝉が、ひどく
世間体を気にしているのも、さすがに気の毒なので、これまで何度も方違へ
にかこつけてこちらにお出でになったのは、実は軒端の荻が目当てだった
のだと、うまく言いつくろってお話になります。
察しのいい人なら事情がわかりそうなものですが、軒端の荻の、まだたいそう
若い分別では、あんなに小生意気なようでも、とても考えが及びません。
軒端の荻が可愛くないわけではありませんが、特に心惹かれるところもない
気がして、やはり、あの恨めしい空蝉の仕打ちをひどいとお思いでした。
空蝉はどこかに隠れ潜んで、間抜けな男だ、と思っていることだろう、
こんなに強情な女はまたとあるまい、とお思いになるにつけても、困った
ことに気持ちの紛らわしようもなく空蝉のことを思い出しておられました。
軒端の荻が何のわきまえもなく屈託のない様子なのもいじらしいので、
源氏の君は、さすがに心を込めて将来の変わらないお約束をなさって
おかれます。「他人が知っている仲よりも、こうした人目を忍ぶ仲は、
情愛も一層深いものだと、昔の人も言っております。あなたも私と同じ
ように、思ってくださいね。人目を憚る事情もございますので、我が身
ながら思うにまかせぬ不自由な身なのです。またこうしたことは、あなた
のお世話をなさっている方々もお許しにはならないでしょうよ、と思うと、
今から胸が痛みます。私を忘れないで待っていてくださいね」などと、
月並みな殺し文句をお並べになります。
軒端の荻は「人がどのように思いますかと気が引けて、私からは
とてもお便りは差し上げられません」と疑いもなく言います。「誰彼
無しに人に言っては困りますが、小君に持たせてお便りをしましょう。
何気なく振舞っていてください」などと言い置いて、あの空蝉が脱ぎすべ
らして行ったとみえる薄絹の衣を手に取って母屋をお出になりました。
悲劇の始まり
2017年5月12日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第107回)
昨日、今日と、真夏のような暑さが続きましたが、明日は一転して、
気温が下がり、雨も降ってひんやりと感じられる一日になるとか。
これだけ変動が激しいと体調管理が難しいので、気をつけたいですね。
「若菜下」もいよいよ後半。ここからが本番、という所に入って来ました。
「女楽」では、心配された女三宮も、源氏の特訓の甲斐あって、琴の琴を
無難に弾きこなされました。これなら、朱雀院の五十賀にいらして、父院に
所望されてお弾きになっても大丈夫だろう、と源氏は安心し、翌日は
女三宮のところへお出でになって、お泊りになりました。
源氏ご不在の夜は、紫の上は夜更かしをして、女房に物語などを読ませ
なさいますが、物語中の人物でさえ、最終的には頼れる男性と巡り逢って
いると思うと、我が身の不安定な立場が改めて思い知らされるのでした。
上流貴族の正式な結婚では、妻の実家が娘夫婦の後見を引き受けて
面倒を見る、というのが一般的だった中で、紫の上は源氏に誘拐される
ような形で二条院に引き取られ、源氏の愛情以外には何の寄る辺も無い
状況下で結婚生活を送って来たのでした。それでも長年のうちに築き上げた
源氏との信頼関係を基に、自らの資質を開花させ、六条院のトップレディ
としての地位を手に入れていたのですが、女三宮の降嫁で、それが根底
から覆されてしまいました。
それから既に7年近い歳月が流れ、紫の上の耐える努力によって保たれて
来た六条院の平穏が、遂に決壊の時を迎えるのです。
発端は、おそらくストレスの蓄積に耐え切れなくなったと思われる、紫の上の
発病でした。一ヶ月以上経っても回復の兆しの見えない紫の上を、源氏は
二条院へと移し、自身も付きっ切りで看病なさいます。
火が消えたようになってしまった六条院。この先に何が待ち受けているのか、
読者もドキドキしながら、頁をめくって行くところです。
「この先」のことは、22日の「湖月会」のほうで触れるようにいたしますが、
あの源氏36歳の春(「初音」の巻)、「生ける仏の御国」(この世の極楽浄土)
と思われた六条院が、11年の後、内部から崩壊して行く過程を、圧倒的な
筆力で描いたのが「若菜下」の後半ということになります。
昨日、今日と、真夏のような暑さが続きましたが、明日は一転して、
気温が下がり、雨も降ってひんやりと感じられる一日になるとか。
これだけ変動が激しいと体調管理が難しいので、気をつけたいですね。
「若菜下」もいよいよ後半。ここからが本番、という所に入って来ました。
「女楽」では、心配された女三宮も、源氏の特訓の甲斐あって、琴の琴を
無難に弾きこなされました。これなら、朱雀院の五十賀にいらして、父院に
所望されてお弾きになっても大丈夫だろう、と源氏は安心し、翌日は
女三宮のところへお出でになって、お泊りになりました。
源氏ご不在の夜は、紫の上は夜更かしをして、女房に物語などを読ませ
なさいますが、物語中の人物でさえ、最終的には頼れる男性と巡り逢って
いると思うと、我が身の不安定な立場が改めて思い知らされるのでした。
上流貴族の正式な結婚では、妻の実家が娘夫婦の後見を引き受けて
面倒を見る、というのが一般的だった中で、紫の上は源氏に誘拐される
ような形で二条院に引き取られ、源氏の愛情以外には何の寄る辺も無い
状況下で結婚生活を送って来たのでした。それでも長年のうちに築き上げた
源氏との信頼関係を基に、自らの資質を開花させ、六条院のトップレディ
としての地位を手に入れていたのですが、女三宮の降嫁で、それが根底
から覆されてしまいました。
それから既に7年近い歳月が流れ、紫の上の耐える努力によって保たれて
来た六条院の平穏が、遂に決壊の時を迎えるのです。
発端は、おそらくストレスの蓄積に耐え切れなくなったと思われる、紫の上の
発病でした。一ヶ月以上経っても回復の兆しの見えない紫の上を、源氏は
二条院へと移し、自身も付きっ切りで看病なさいます。
火が消えたようになってしまった六条院。この先に何が待ち受けているのか、
読者もドキドキしながら、頁をめくって行くところです。
「この先」のことは、22日の「湖月会」のほうで触れるようにいたしますが、
あの源氏36歳の春(「初音」の巻)、「生ける仏の御国」(この世の極楽浄土)
と思われた六条院が、11年の後、内部から崩壊して行く過程を、圧倒的な
筆力で描いたのが「若菜下」の後半ということになります。
三度目の首尾は?
2017年5月8日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第14回・№1)
GW明けの今日は、最高気温が30度近くまで上がり、一足飛びに真夏の
陽気となりました。明日からはお天気も下り坂で、この季節外れの暑さも
収まるそうです。
溝の口の「紫の会」は、今回で「空蝉」の巻を読み終えました。
受け入れて貰えて当然と、予告をして出かけた二度目の来訪で、空蝉に
避けられてしまった源氏は、三度目は、こっそりと小君に手引きをさせて
空蝉のもとへ忍び込む手段をお取りになりました。
皆が寝静まった後、小君はそっと源氏を空蝉の寝所へと導き入れました。
このまま終わるのが良いのだ、と思いながらも、先夜の夢のような出来事も
忘れられず、悶々として夜も寝覚めがちな空蝉は、源氏の気配をいち早く
キャッチし、寝床を抜け出しました。
あとに残されたのは、空蝉の所で碁を打ち、そのまま自分の部屋へは戻らず、
こちらで寝てしまった軒端の荻(紀伊守の妹・空蝉には継娘にあたる)でした。
一人で寝ているのが空蝉と思い、喜んで近づくと、どうも様子がおかしい。
やがてこれが先程垣間見た軒端の荻だとわかりますが、今さら「間違えました」
とも言えず、「あの美しい娘なら、まあこっちでも構うまい」という気になって、
「あなたに会いたくて度々方違へにかこつけて、こちらに伺っていたのですよ」
などと、平然と語りかけ、軒端の荻を言いくるめてしまわれました。
さすがに語り手も、「わろき御心浅さなめりかし」(けしからぬお心の軽さと
いうものでしょうよ)と、草子地で批判しています。
男女の仲を知らぬ割には、恥じらって消え入りそうな様子も見せない
軒端の荻に源氏は失望し、空蝉が残して行ったと思われる薄衣を手に
取って、母屋から出て行かれたのでした。
ここまでが、本日講読した部分の前半の概略になります。詳しい全文訳を、
この後続けてUPします。
結局、空蝉への思いは二度と果たせぬまま、初めての中の品(中流)の女性
の話は幕を閉じるのですが、後半部分につきましては、また25日(木)のほうで
お伝えしたいと思います。
GW明けの今日は、最高気温が30度近くまで上がり、一足飛びに真夏の
陽気となりました。明日からはお天気も下り坂で、この季節外れの暑さも
収まるそうです。
溝の口の「紫の会」は、今回で「空蝉」の巻を読み終えました。
受け入れて貰えて当然と、予告をして出かけた二度目の来訪で、空蝉に
避けられてしまった源氏は、三度目は、こっそりと小君に手引きをさせて
空蝉のもとへ忍び込む手段をお取りになりました。
皆が寝静まった後、小君はそっと源氏を空蝉の寝所へと導き入れました。
このまま終わるのが良いのだ、と思いながらも、先夜の夢のような出来事も
忘れられず、悶々として夜も寝覚めがちな空蝉は、源氏の気配をいち早く
キャッチし、寝床を抜け出しました。
あとに残されたのは、空蝉の所で碁を打ち、そのまま自分の部屋へは戻らず、
こちらで寝てしまった軒端の荻(紀伊守の妹・空蝉には継娘にあたる)でした。
一人で寝ているのが空蝉と思い、喜んで近づくと、どうも様子がおかしい。
やがてこれが先程垣間見た軒端の荻だとわかりますが、今さら「間違えました」
とも言えず、「あの美しい娘なら、まあこっちでも構うまい」という気になって、
「あなたに会いたくて度々方違へにかこつけて、こちらに伺っていたのですよ」
などと、平然と語りかけ、軒端の荻を言いくるめてしまわれました。
さすがに語り手も、「わろき御心浅さなめりかし」(けしからぬお心の軽さと
いうものでしょうよ)と、草子地で批判しています。
男女の仲を知らぬ割には、恥じらって消え入りそうな様子も見せない
軒端の荻に源氏は失望し、空蝉が残して行ったと思われる薄衣を手に
取って、母屋から出て行かれたのでした。
ここまでが、本日講読した部分の前半の概略になります。詳しい全文訳を、
この後続けてUPします。
結局、空蝉への思いは二度と果たせぬまま、初めての中の品(中流)の女性
の話は幕を閉じるのですが、後半部分につきましては、また25日(木)のほうで
お伝えしたいと思います。
- 訪問者カウンター