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78日ぶりの「多摩川越え」

2017年6月30日(金)

4月13日にこのブログでも書きました、上野で「オペラ・万葉集」を
鑑賞して以来、今日まで一度も多摩川を渡ることのない日々を
送ってまいりました。

月に9回ある講読会は、すべて多摩川よりも西ですし、二ヶ月に
一度位の割合で買い物に行く二子玉川へも、このところ行かずに
過ごしておりました。

今日は下北沢まで出かけたので、78日ぶりの「多摩川越え」と
なったわけです。

嫁の誕生日は7月ですが、来月になると、孫たちの給食も無くなったり
するので、お互いの日程を摺り合わせた結果、今日、ちょっと早めの
お誕生日ランチをしました。息子夫婦もこの夏揃って40歳となります。
自分の40歳だったのが、ついこの間のような気がするのに・・・。

下北沢の「明日香」は、駅南口からすぐのところにある、ご近所の方に
教えて頂いた和食のお店です。実はこの春、昔の職場仲間の集まりの
幹事になった時、ここを候補に考えて、友人たちも誘って下見に出かけ
ました。

皆さまからも「絶対ここはお薦めよ」とのお墨付きを頂いて、では予約を
して帰りましょ、となったところで、何とその日は「店休」。月曜日が定休日
なので、火曜日だから問題なし、と思っていたのですが、月曜日が祝祭日
などに当たる日は営業して、翌日の火曜日がお休みだとか。
「ええーっ、残念!」となったわけですが、またの機会にぜひ、と考えていた
ので、今回の選択となりました。

二人でしたが個室が用意されて、先付からデザートまで、今日も全て
美味しくいただきました。写真はどれをUPしようかと悩みましたが、
この「稚鮎・とうもろこし・ししとうの天ぷら」の、とうもろこしが、ちょっと
感動の天ぷらでしたので、この一枚にしました。

    DSCF3011.jpg
    右上がそのとうもろこしですが、味もさることながら、
    粒が綺麗にくっついたまま芯から削いだ状態で、
    揚げてありました。これを削ぎ過ぎればバラバラに
    なるでしょうし、削ぎ足りなければ、口の中に残るで
    しょうし、というところを、まさに絶妙な職人技で。


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生きては生霊、死しては死霊

2017年6月26日(月) 溝の口「湖月会」(第108回)

思ってもみなかった柏木との密通によって、女三宮はおびえ、ふさぎ込んで
おられました。女三の宮が体調不良と知らされ、源氏は二条院から六条院へ
とお出でになります。ずっと二条院で紫の上の看病をなさっている源氏が
六条院へお渡りになることはごく稀なので、すぐにもお帰りになれずに
いらしたところ、「紫の上の息が絶えてしまわれました」との使いがやって
来たので、驚き、即座に二条院へと引き返されました。

これは物の怪の仕業であろう、と、蘇生のための加持祈祷に一段と力を
注がれたところ、幾月も姿を現すことのなかった物の怪が、憑坐(よりまし)
の童女に乗り移り、初めて正体を見せたのでした。

それは何と、既に18年も前に亡くなられた六条御息所の死霊だったのです。

生前は生霊となって葵上に憑りつき、今度は死霊となって紫の上に憑りついた
六条御息所。その執念深さには驚かされますが、憑坐に乗り移った物の怪は、
あの女楽の後、紫の上との睦言の中で、源氏が御息所のことを悪くおっしゃった
のが一番辛く、悲しくて、こんな厄介なことになってしまった、と告白します。今は
もう死んでしまっているのだから、他人が悪口を言ったとしても庇ってくださっても
よいでしょうに、と恨みます。

この物の怪が身体から離れたことで、紫の上は息を吹き返しますが、源氏は
六条御息所の死霊を恐れて、新たなお祈りを加えさせなさるのでした。

ここでちょっと皆さまに、六条御息所をどう思われますか?と伺ったところ、
「今ならストーカーになったんじゃないですか?」「正当な評価が与えられて
いない自分を正しく認識して貰いたかったのでは?」「御息所の生霊や死霊は、
源氏の御息所に対する良心の呵責がそう思わせているだけのものでは?」など、
いろいろなご意見があって、もっと「六条御息所談義」を発展させたかったの
ですが、第2金曜日のクラスと歩調を合わせなければなりませんので、次を急ぎ、
10分余りはみ出しましたが、予定の所までを講読し終えました。

なお、あの場で私が思い出せなかった歌人の名は尾崎左永子さん。
「源氏物語随想」という本の中で、安永蕗子さん、馬場あき子さんと、
「短歌」誌上で鼎談をなさっていた時、「源氏物語」の女君たちの中で
誰が一番好きか、という話になって、三人がまず挙げたのは異口同音に
「六条御息所」だった、と書かれています。

実は、私も、生霊になろうと死霊になろうと、やはり「源氏物語」の女君の中で
一番好きなのは六条御息所です。どうしても愛執から抜け出せないその姿が、
高貴でプライドも高いだけに、より辛かろうなぁ、と。

さて、いよいよ次回、「若菜下」のクライマックスが待っています。女三宮と
柏木の密通を源氏が知るところとなって・・・。


第四帖「夕顔」の全文訳(2)

2017年6月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第15回・№2)

第4帖「夕顔」の巻・冒頭部分後半(125頁・5行目~129頁・9行目)
の全文訳です。 (頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

源氏の君は、修法などを、他にも始めるようにお命じになって、
乳母の家をお出になろうとして、惟光に紙燭を持って来させ、
先程の扇をご覧になると、使い慣らした人の移り香が深く染み
込んで慕わしく感じられ、美しい字で歌が書き流してありました。

 「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」
(当て推量ながら、あなた様ではないかと存じます。白露の
光にひとしお美しく輝く夕顔の花は)

何となく誰かとわからないように変えてある筆跡も、上品で
奥ゆかしさが感じられるので、このような所に住んでいるに
しては、意外にも気が利いているとお思いになります。惟光に
「この西隣の家には誰が住んでいるのだ。訊いてみたことは
あるか」とおっしゃると、惟光はいつもの困った虫が動き始めた、
とは思いましたが、そうは申し上げず、「この五、六日、ここに
居りますが、病人のことが気掛かりで看病にかまけておりますので、
隣のことなど訊く暇もございません」と、そっけなく申し上げるので、
「またいつもの悪い癖だと思っているのだね。でもこの扇の主の
ことは、尋ねてみなければならないわけがありそうだから、やはり
この辺りの事情を知っている者を呼んで訊いてくれ」とおっしゃると、
惟光は中に入って、この家の留守番役の男を呼んで、質問しました。

「楊名の介の人の家でございました。その男は田舎へ行っており、
妻が若く派手好きで、姉妹などが宮中に出仕していて、こちらによく
来ている、と留守番役の男は申しております。詳しいことは、下男
なのでわからないのでしょうか」と、惟光は復命しました。それなら、
先程の扇の歌はその宮仕えの女の仕業なのだな、得意顔に物慣れた
調子で詠みかけて来たものよ、と、相手不足の身分の女かともお思いに
なりますが、自分を目指して歌を贈って来た心根が、憎めず、見過ごし
難く思われるのは、例によって、女のこととなると慎重ではなくなって
しまうご性分だからでしょうね。御懐紙に、すっかり筆跡を替えて、
 
「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」
(もっと近寄ってはっきりと確かめてみてはいかがですか。黄昏時に
ほのかにご覧になった美しい夕顔を)

と書いて、先程の随身にお持たせになりました。まだ見たことのない
源氏の君のお姿でしたが、はっきりとそれと察しのつく横顔を見過ごす
ことなく、ふいに言葉をお掛けしたので、お返事もないまま時間が経った
のを、なんとなくきまり悪く感じていたところに、このようなことさらめいた
お返事があったので、それに甘えて、どうお返事を申し上げよう、などと
言い合っているようでしたが、「調子に乗って」と、あほらしくなって随身は
戻って参りました。

先払いの松明も目立たないようにして、こっそりと乳母の家をお出に
なります。隣家の半蔀はもう下してありました。隙間のあちこちから
漏れて来る燈火の光は、蛍の光よりももっとかすかでもの寂しいもの
でした。
 
お目当ての所では、木立や庭の植え込みなどが、ありふれたところとは
一線を画しており、たいそうゆったりと奥ゆかしくお住まいになっておられ
ました。女君の気を許さないご様子の、風情も格別なので、もう先程の
夕顔の家など思い出されるはずもないことでありましたよ。

翌朝、源氏の君は少し寝過ごしなさって、日の光が差し始める頃に
お立ちになりました。朝のお姿は、本当に世間の人が褒めそやすのも
無理のないご様子でございました。

今日も昨夜の蔀の前をお通りになります。今までもお通りになっていた
はずの所ですが、ほんのささいな一件がお心に掛かって、どのような人
の住かなのだろう、と往来の度に目をお留めになっておられました。

惟光が、何日か経ってやって参りました。「病人がまだ弱っております
ので、何かと看病しておりまして」などと弁解しつつ、近寄って来て、
「お命じ戴いたあとで、隣のことを知っている者を呼んで尋ねさせ
ましたが、はっきりしたことも申しません。ごく内密に五月の頃から
お住まいになっている方があるようですが、どういうお人かは、全く
家の者にさえ知らせてはいない、と申しておりました。

時々、隣との境の垣根から覗いてみますと、ほんに若い女たちの
透き影が見えます。褶のようなものを、申し訳程度に着けて、お仕え
している主人がいるようでございます。昨日、夕陽が部屋いっぱいに
差し込んでいました時に、手紙を書こうとして座っておりました人の顔は、
たいそう美しうございました。物思いに沈んだ様子で、傍の女房たちも、
こっそりと泣いている様子などがはっきりと見えました」と、ご報告申し
上げました。

源氏の君はにっこりとなさって、その女のことを知りたいものだ、と
お思いになりました。評判こそ重々しいご身分でいらっしゃいますが、
まだお若いこととて、女たちがお慕いしてちやほや申し上げることなどを
考えると、あまり堅物なのも風情がなく、物足りないものであろうよ、人が
承知しないような身分の男でも、やはり女のこととなると心が動くものなの
だから、ましてや源氏の君程の方ならなおさらのこと、と惟光は思って
おりました。

「もしかしたら何か情報を得ることが出来るかもしれない、と思いまして、
ちょっとした機会を作って、女房に恋文などを贈ってみました。書き慣れた
筆跡で早速に返事などをして参りました。さほど悪くはない若い女房たちが
お仕えしているようです」と、惟光が申し上げますと、源氏の君は「もっと
言い寄れよ。あの女の正体をつきとめないままでは、物足りないことだろう
からね」と、おっしゃいます。

あの「雨夜の品定め」で、下の下と、頭中将が問題外にした身分の者が
住んでいそうな住まいではありますが、そんな中に、意外にもいい女を
見つけることが出来たなら、どんなに素晴らしいことだろう、と源氏の君は
好奇心をお持ちになるのでした。

 

解釈に困る歌

2017年6月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第15回・№1)

月曜クラス(6月12日)に続いて、こちらの木曜クラスも、今回から
第4帖「夕顔」に入りました。

見舞いに立ち寄った乳母の家の門が閉まっていたので、乳母子の
惟光を呼び出している間、源氏は西隣の家を、牛車の中から覗いて
おられました。そこには白い花(夕顔)が咲いており、花の名を
お尋ねになると、随身が「夕顔という花で、こうした賤しい家に咲くの
です」と答えますので、折って来るようにお命じになりました。

随身が夕顔の花を折っていると、遣戸口から可愛い女童が手招きを
して、「これに置いて差し上げて下さい」と言って、香を薫きしめた白い
扇を随身に手渡しました。ちょうどそこへ惟光が出て来たので、随身は
それを惟光に託しました。

乳母の見舞いを終え、家を出ようとして、先程の扇をご覧になりますと、
そこには歌が書かれていました。それが、解釈を巡って私たちを悩ます
歌なのです。

「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」

①一番ポピュラーな解釈は、「それ」を「源氏」ととって、
(当て推量ながら、源氏の君ではないかと拝見いたします。白露の光に
いっそう美しい夕顔の花ですもの)といった訳をつけています。

でも、読者はここで首を傾げます。「雨夜の品定め」で、語られた夕顔は、
内気で、自分の思いをはっきりと頭中将に伝えることも出来なかった控え目
な女だったはず。そんな夕顔が、見ず知らずの源氏に向かって、こんな歌を
詠みかけるような積極的な行動を取ることがあるだろうか、という疑問が
湧きます。

それで、様々な解釈が生まれて来るわけです。

②この「それ」は、源氏ではなく嘗ての恋人「頭中将」だとする説。つまり、
夕顔は、源氏を頭中将だと勘違いして歌を詠みかけたということになります。
この場合は、(当て推量ながら、頭中将さまではないかと拝見いたします。
白露の光にいっそう美しい夕顔の花ですもの)となります。

③「夕顔の花」を、源氏や頭中将を指すものではなく、単に花そのものを
指すとする説。そうなると、歌の解釈は、(白露の光ではっきりと見えないの
ですが、当て推量でその花かな、と思います。光に輝いています夕顔の花を)
となりましょうか。

④この歌は夕顔の関知せぬところで、女房たちが勝手に書いて源氏に贈った、
とする説。いくら何でも、女主人の許可なしにそのようなことはしないだろう、と
考えるのが普通ですが、後で、源氏からの返歌が届けられると、調子に乗って、
「どうお返事申しましょう」などと、言い合っている様子に、使者の随身が、「いい
気なもんだ」と、呆れてそのまま戻って来ていることなどからすると、可能性は
ゼロではないかな、という気もします。

さて、皆さまはどの説を支持なさいますか?あるいはもっと別解釈がありましたら、
ぜひ私に教えてくださいね。

このあと続いて、本日の講読箇所の後半の全文訳をUPいたします。


桐壺帝の皇子たち

2017年6月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算190回 統合44回)

梅雨と言えば、一日中しとしとと降り続く雨を思い浮かべますが、
今日の雨は、そんななまやさしいものではなく、まさに台風並みの
暴風雨でした。湘南台駅から会場までは5分とかからない距離ですが、
その間に、傘の骨が2本折れてしまいました

このような悪天候の中、ご参加の皆さまお疲れさまでした!!

今日からいよいよこのクラスも「宇治十帖」に入りました。その最初の
「橋姫」の巻は、オペラ「宇治十帖」の序曲のような巻で、先ずこれまで
一度も登場することのなかった、桐壺院の第八皇子である「八の宮」と
いう零落した宮さまのことが、いきなり語られ始めます。

桐壺院には何人の皇子がいたの?そのうち「源氏物語」に登場するのは
どの皇子たちなの?こんな疑問をお持ちになる方はいらっしゃいませんか?

桐壺院の晩年にお生まれの冷泉院が最後の皇子で、第十皇子と書かれて
います。ただし、この方の実父は光源氏なので、厳密には九人の皇子が
桐壺院を父とする皇子ということになります。

第一皇子の朱雀院、第二皇子の光源氏、おそらく第三皇子と思われる
蛍兵部卿の宮。そして第八皇子の八の宮、第十皇子の冷泉帝。

以上の五人が物語上の主要な皇子たち、となるでしょうか。

他に、第四の皇子だとわかる方が、第7帖「紅葉賀」において、まだ
元服前の童で、「秋風楽」を舞います。「承香殿の御腹の四の御子」と
ありますので、母は承香殿の女御だということもわかります。

あと二人、何番目の皇子なのかは不明なのですが、「帥(そち)の親王」
と「蜻蛉式部卿の宮」という方が登場します。

「帥の親王」は、第25帖「蛍」の巻で、花散里が源氏に、「帥の親王は、
蛍兵部卿の宮には劣る」、と語る場面に一度出て来るだけです。

「蜻蛉式部卿の宮」は、その呼称が示す通り、宇治十帖も終わりに近い
第52帖「蜻蛉」の巻で、亡くなった北の方との間に生まれた宮の君を、
東宮に入内させるか、薫に娶せたいと望んでおられたものの果たせない
うち亡くなってしまわれた、と記されています。

以上八人が、「源氏物語」の本文中に登場する、桐壺院の皇子たちです。

17日の「源氏物語の帝たち」に続いて、人物紹介の記事となりましたが、
このクラスが今回読んだのは、北の方を亡くし、京の邸も焼失してしまった
八の宮が、二人の姫君を連れて宇治に移り住むことになった、というところ
までで、宇治を舞台とした物語が始まるのは、まだこれからです。


季節の楽しみ「水出し茶」

2017年6月19日(月)

まるで梅雨明けのような晴天です。布団を干し、洗濯機を廻すこと
3回、洗濯物も数時間でカラッと乾いて、気持ちがいいですね。

私は一年中、朝の「カフェ・オ・レ」が欠かせないコーヒー派ですが、
毎年、姉に頼んで静岡の無農薬新茶だけは、まとめて取り寄せて
います。新茶にしては遅めの5月下旬に届くのですが、夏の終わる
頃まで、水出し茶にしていただくのが、この季節の楽しみの一つです。

専用のポットもあります。そのポットの説明書に従い、今は15gの
茶葉に750ccのペットボトルの水を入れ、一晩冷蔵庫で寝かせます。

翌朝(と言っても、私の場合はお昼に近いのですが)、台の上に
置いて、クルクルっと回転させて対流を起こし、茶葉が少し沈むのを
待って湯呑に注ぎます。

夏の飲み物として、一番さっぱりしていて美味しいのはこれですが、
やはりカフェインも強いので、午後3時以降は避けています。

5分位歩いた所にある和菓子屋さんのポイントが一気に溜まるのも
この時期で、毎年「夏のお得意様ご優待」の葉書を頂戴しています。
今年も来るかな?

        DSCF3008.jpg


源氏物語の帝たち

2017年6月17日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第138回)

今ある八つの「源氏物語の講読会」(うち、二つは人数の都合上、
2クラスに分けたものなので、実際に異なる進度のクラスは六つ)
の中で、最も先を読んでいるのが、この淵野辺の「五十四帖の会」
です。「宇治十帖」も、間もなく1/3が終わろうか、というところまで
来ました。

今日読んだところで、匂宮の勝手気儘な振舞いに、ご立腹の帝が
出てまいりましたので、ちょっと帝のことに触れておきたいと思います。

「源氏物語」には四人の帝が登場し、宇治十帖での帝が最後の帝
(今上帝)ということになります。

この帝は、源氏46歳の「若菜下」で、冷泉帝より譲位されて、20歳で
帝の位にお着きになりました。父は朱雀院、母は髭黒の妹・承香殿の
女御です。東宮(皇太子)であった13歳で元服し、11歳の明石の姫君が
入内しました。

時は流れて、只今講読中の「総角」では、帝は45歳、明石の姫君は中宮
となっています。

匂宮は、このお二人の三男です。宇治の中の君と結ばれても、自由に逢いに
行くことも叶わず、紅葉狩りにかこつけた宇治行きでは、事が大げさになり、
匂宮はとうとう中の君に逢えないまま帰京せざるを得なくなってしまいました。
宇治にお忍びで通う女性がいるために、このような紅葉狩りを思いつかれた
のだと知らされ、「上もいとど許さぬ御けしきにて」(帝も一層匂宮を許しては
おけないとのご様子で)、匂宮に禁足を命じられました。

同時に、匂宮には夕霧という最高権力者の娘を正妻にして、次期東宮候補
に相応しい、重々しい後見を付けておこうと、お決めになるのでした。

「源氏物語」に登場する四人の帝のうち、一番強さを感じさせるのがこの
今上帝です。

これまでに登場した三人の帝には、帝という地位にありながら、それぞれに
辛い女性との関わりが物語に織り込まれていたせいでしょうか。

桐壺帝は、源氏の母・桐壺の更衣への、周囲が容認しかねる過度の寵愛で、
遂には更衣を死の病へと追い込んでしまいました。理屈ではどうすることも
できない愛に捉われた姿が印象に残ります。

次の朱雀帝は、何もかも弟の源氏には及ばず、愛した女性二人のうちの
一人(朧月夜)は、源氏との禁断の恋に落ち、もう一人(秋好中宮)は、
源氏が朱雀院の思いを知りながら、邪魔をして冷泉帝へと入内させて
しまいました。

三番目の冷泉帝も、望んだ玉鬘を、直前に髭黒に奪われるような形で
逃してしまいましたし、何より、自分の出生の秘密(実父が源氏である)を
知ってからは、父を超える地位にあることに引け目を感じ、朱雀帝、冷泉帝
と、続けて覇気のない天皇像です。「竹河」の巻で、玉鬘の娘の大君を、
ご自分の許に院参させることには成功なさいましたが、最終的には、
院の御所内に波風を立てる結果を招いてしまいました。

今上帝には、こうした女性問題や、生い立ちなどで苦悩する姿は一切描かれて
いません。後に登場する女二宮(薫に降嫁する)の母の藤壺女御などはいた
ものの、明石中宮を重んじ、二人の間には五人(四男一女)の御子が生まれて
いますし、中宮の兄でもある右大臣・夕霧との間も、極めて良好で、皇子たちと
夕霧の娘たちとの縁組によって、更に関係を強化しようとする、恋よりも政治色の
濃い天皇として描かれている気がします。


「あゝ無常」

2017年6月16日(金) 溝の口「枕草子」(第9回)

「あゝ無情」(レ・ミゼラブル)の主人公の名は「ジャン・ヴァルジャン」、
今日の「枕草子」の「あゝ無常」の主人公の名は「藤原義懐(よしちか)」。

前回前半を読んで時間切れとなった第32段「小白河といふところは」は、
作者が、まだ宮中に出仕する7年余り前の20歳位の時、小一条大将殿
(藤原済時)の小白河の山荘で営まれた法華八講という一大イベントでの
出来事を記した段です。

時は花山天皇の御代で、天皇の叔父に当たる義懐は、この貴公子たちが
一堂に会した場においても、ひときわ鮮やかで、取り巻きを従えて、王朝式
ナンパ(拝聴に来ている女車に、使者を遣わして返事を貰って来させようと
する)に興じ、そこにいる者たちも、その顛末を固唾を飲んで見守っている
という有様でした。

結局、ナンパは成功しませんでしたが、中座して帰ろうとした清少納言を、
ひやかしたり、得意絶頂の壮年(30歳)義懐の姿は、まだ若かった清少納言
には実にカッコよく見えたことでしょう。

これが寛和2年(986年)6月18日のことで、同23日、花山天皇は兼家・道兼
父子の策謀にまんまと引っかかって、あっけなく出家し、退位してしまわれ
ました。兼家にとっては、自分の孫にあたる懐仁(やすひと)親王(一条天皇)を
天皇にするため、花山天皇にはいち早く退位していただく必要があったのです。

翌24日、義懐も出家しました。あの清少納言が目撃した、栄華の真っ只中に
あった日から、僅か六日後のことでした。

「『桜など散りぬる』も、なほ世の常なりや。『置くを待つ間の』とだに、いふべくも
あらぬ御有様にこそ、見えたまひしか。」(「桜などが散ってしまった」という
はかなさも、やはり通り一遍のことに過ぎませんわ。露が置いている間だけ
綺麗に咲いて、露が乾きしぼんでしまったみじめな朝顔を見ると、「ああ、露が
置いている間の朝顔など却って見なければ良かった」と、歌にも詠まれて
いるけれど、今思えば、ほんの一時の盛りであった義懐さまのあのお姿は、
「却って見なければ良かった」とさえ言えそうもない、華やかなご様子だと、
拝見したことでしたよ。)

口語訳が長くなりましたが、この最後の一文には、「人の世は明日のことさえ
わからない」という、恒久的な無常観が凝縮されていて、千年経った今も、
ハッとさせられますね。


第四帖「夕顔」の全文訳(1)

2017年6月12日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第15回・№2)

第4帖「夕顔」の巻・冒頭部分前半(121頁・1行目~125頁・4行目)の
全文訳です。  (頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

六条辺りの女君のもとへお忍びでお通いの頃、宮中から退出なさって途中の
休息所にするお積りで、大弐の乳母が重い病に罹って尼になったのを見舞おうと、
五条にあるその家をお訪ねになりました。

牛車が入るはずの門に鍵がかかっていたので、供の者に惟光を呼ばせて、
お待ちになっている間、むさ苦しい五条大路の様子を見渡していらっしゃると、
この乳母の家の隣に、檜垣をいうものを新しく作って、上のほうは半蔀を四、五間
ほどずっと吊り上げて、簾などもたいそう白くて涼しそうなところに、美しい額際の
女たちの透き影が沢山見えてこちらを覗いています。立って歩き回っているらしい
下半身を想像すると、むやみに背が高い気がいたします。どのような女たちが
集まっているのだろうかと、源氏の君はもの珍しくお感じになっていました。

牛車もとても粗末になさり、先払いもおさせになっていないので、自分が誰だか
わかるまい、と安心なさって、少し牛車から顔を出してご覧になると、門は蔀戸の
ようなものが押し上げてあって、奥行きも狭く、ささやかな住まいなので、しみじみと
「この世ではどこを自分の家と言えようか」と、お考えになってみれば、美しい立派な
御殿も同じことと思われるのでした。

切り懸のような物に、たいそう青々とした蔓草が気持ちよさそうに這いかかっている
中に、白い花が、自分だけが楽しそうに微笑んでいます。「向こうにおられる方に
お尋ね申します」と源氏の君が一人古歌を口ずさみなさいますと、随身は膝まづいて、
「あの白く咲いているのを夕顔と申します。花の名前は人のようでいて、こんな
みすぼらしい垣根に咲くのでございます」と、申し上げます。随身の言う通り、たいそう
小さな家ばかりで、むさ苦しい界隈の、ここもかしこも、みじめに傾いて、頼りなげな
軒端などに夕顔の蔓がからみついているのを見て、源氏の君が「可哀想な花の
さだめよ。一房折って参れ」とおっしゃったので、随身はこの押し上げてある門に
入って夕顔の花を折りました。

粗末ながらも風情のある遣戸口から、黄色い生絹の単袴を裾長に着ている女童で、
可愛らしい子が、出て来て、随身を手招きしました。つよくお香を焚きしめた白い扇を
差し出して、「これに載せて差し上げてください。枝も風情のなさそうな花ですから」と
言って、随身に渡したので、随身は、ちょうど惟光が出て来たのに託して、扇に
のせた夕顔の花を源氏の君に差し上げました。

惟光は源氏の君に「門の鍵をどこかに置きわすれまして、たいそう不都合な
ことでございますよ。どなたかとお見分けできる者もおりませぬこの辺りでは
ございますが、ごみごみした大路に牛車をお停めしたままになってしまいまして」と、
お詫びを申し上げます。

牛車を門の中へと引き入れて、源氏の君はお降りになりました。惟光の兄の
阿闍梨、尼君の娘婿の三河守、娘などが寄り集まっていたところへ、こうして
源氏の君がお出で下さった御礼を、この上ないことと思って恐縮して申し上げます。
尼君も起き上がって「もう何も惜しくはない身ではありますが、尼になりたくないと
思っておりましたのは、ただこのようにあなた様の御前にお目通りして、姿の
変わってしまったところをご覧に入れるのが残念でためらっておりました。でも、
受戒のおかげで蘇りまして、こうしてお見舞いにお出でいただいたお姿が拝見
できましたので、今は、臨終の時にお迎えくださる阿弥陀さまの御光も、心残り
なくお待ち申せましょう」などと申し上げて、弱弱しく泣きます。

源氏の君は「このところ、ご病気が思わしくなくていらっしゃるのを、案じ嘆いて
おりましたが、このような世を捨てた尼姿になっておられるので、とても哀しく
残念に思われます。これからは長生きをして、もっと私が出世した姿などを
ご覧ください。その上で、極楽浄土の九品の最上位にも何の障りもなく生まれ
変わりなされましょう。この世に少しでも未練が残るのはくないことだと聞いて
おります」などと涙ぐみながらおっしゃいます。

出来の悪い子でも、乳母のような立場の者は、あきれるほど自分がお育てして
いるお子を申し分のない子のように思い込むものですが、ましてやこの尼君は
源氏の君の乳母なので、たいそう晴れがましく、源氏の君を手塩にかけてお育て
した自分までもが大切で、勿体なく思われるのも無理からぬこととて、しきりに
涙をこぼしておりました。子どもたちは、老母がこのように泣くのをとても
みっともないと思い、一旦捨てたこの世に未練があるかのように、他人が
出家を惜しんで泣いてくれるならともかく、自分から泣き顔をしてお目にかけて
おられることよ、と、突っつきあって、目配せをしていました。

源氏の君は尼君を労しい、とお思いになって、「幼い頃に、私を可愛がってくれる
はずの人が次々にお亡くなりになったのち、育ててくれる人は大勢いたようですが、
心から馴れ親しむという点では、あなたが一番でした。成人してからは制約もあるので、
朝に晩にと、たやすくお目にかかれず、思うようにお訪ねすることも出来ませんが、
やはり長くお会いできない時は、心細く思われますので、あなたとの死別などあって
ほしくはありません」などと、心を込めて話しかけなさり、涙をおし拭いなさる袖に
焚きしめられたお香の匂いも、部屋いっぱいに薫っているので、なるほど、如何にも
考えてみれば、こんな素晴らしい方をお育てした尼君は並々ならず幸運な人で
あったことよ、と、尼君を非難がましく見ていた子どもたちも、皆涙にくれたのでした。


「夕顔」の描かれ方

2017年6月12日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第15回・№1)

昨年の4月にスタートした「紫の会」も15回目となり、今回から第4帖「夕顔」
に入りました。

いわゆる「帚木三帖」と呼ばれている中の品の女性の話の最後の巻に
なります。

最初の「帚木」の巻の後半から「空蝉」の巻にかけてのヒロイン「空蝉」と
この巻のヒロイン「夕顔」とでは、描かれ方がまったく異なっています。

空蝉については、作者が、その心情を細やかに描写していますので、
読者も、内心は源氏に惹かれ、揺れる気持ちを抱えながら、それでも
受領の妻という立場を自覚し、強い自己抑制によって、源氏の求愛を
はねつけたことを知っています。そんな女の内面に気付いていないのは
源氏だけです。

でも、夕顔は違います。夕顔は、源氏が名前も素性も、何も知らないまま、
彼女との愛にのめり込み、あっけなく死なれてしまう、という衝撃的な結末を
迎えますが、その間夕顔の心情はほとんど語られることがありません。

源氏の目を通しての夕顔ですから、空蝉のことを思い返してみても、それが
夕顔の実像とは断言できません。むしろ、目に見えない女ごころを読者も
推察しながら読み進めて行くことが要求されていると考えたほうがよいでしょう。

夕顔に関しては、「謎めいた女」という印象が強く残るのも、おそらくそうした
描かれ方によるところが大きいかと思われます。

京都には「夕顔町」という地名があります。命名の由来は、「夕顔」の巻の
冒頭にある、源氏の乳母の「五条なる家」の傍らに夕顔が住んでいた、と
いうことにちなんだもので、町名だけではなく、ここに建つ民家の塀の内に
「源語伝説 五条辺 夕顔之墳」という石碑があり、奥には夕顔の墓なるもの
もあって、このお宅の方が守っておられるそうです。

お墓は江戸時代には既にあったらしく、石碑が建てられたのも昭和の初期と
いうことですから、これは「源氏物語」という架空の物語が如何に愛読され
続けて来たかということの証拠でもありましょう。

中でも夕顔は、その「死」の事実さえも葬られてしまった哀れな女性であるが
故に、京の人々は、魂を慰めようとしたのかも知れません。

      夕顔
        町名の入った消火器      夕顔之墳の石碑

このあと、いつものように、本日の講読箇所の前半の全文訳をUPいたします。


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