オペラ座&ロイヤル「バレエ・スプリーム」
2017年7月30日(日)
私が一番好きな舞台芸術は、クラシックバレエの鑑賞ですが、
これも、今では滅多に行かなくなりました。
40代くらいの頃は年に何度も足を運び、今では伝説となって
いるジョルジュ・ドンの「ボレロ」や、マイヤ・プリセツカヤの
「瀕死の白鳥」なども、感動を持って観たものですが、今回は、
おそらく二年ぶりで、やはりバレエの好きな友人に声をかけて
もらっての実現となりました。
会場は「文京シビックホール」。ここでバレエを観るのは初めてです。
前から2列目の席。以前一度、「東京文化会館」でも、ダンサー同士の
取り合っている手の震えや、顔の汗もはっきりと見える席で鑑賞した
ことがありましたが、なかなか臨場感もあって良かったので、今回も、
段差のない場所であることが気になりながらも、「オペラグラスは
要らないわね」と言って、期待を持って出かけました。
ところが幕が開いて大ショック!何と足元が見えないのです。
コンサートなら我慢できますが、バレエで、くるぶしの少し上あたりから、
完全に下が切れてしまった状態は考えられない話です。関係者は、
この席から実際の舞台を見て、それでもS席に設定したのかしら?と、
何やらもやもや。
オニール八菜(パリ・オペラ座)、高田茜(英国ロイヤルバレエ団)と
言った、今話題の日本人ダンサーも登場して、まさに目の前で美しい
踊りを見せてくれるのですが、足元が見えないというのは、何とも
奇妙な感じで、気持ちが入って行きません。
それがです。第2部の最後、ロイヤルバレエ団の、ヤーナ・サレンコと、
スティーブン・マックレーの「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ド・ドゥの
圧巻の踊りで、全ての不満はどこかへ吹っ飛んでしまいました。
休憩時間に、隣の席の女性から、「伸び上がるようにすれば何とか
つま先まで見えますよ」と聞いていたので、段差のない席で、背中を
伸ばすようにするのは、後ろの席の方に申し訳ないとは思いつつ、
この時ばかりは、足元までしっかりと見ていました。
「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ド・ドゥは、「世界バレエフェスティバル」
でも、必ず最後の演目になっており、これまでに何度観たかも覚えて
いませんが、これほど完成度の高い、二人の呼吸がぴったりと合った
ものは初めてで、もしかしたらこの先も、もう巡り合えないのではないか
と思われる素晴らしい舞台でした。
マックレーは以前から、軸がぶれない、脚の美しさが際立ったダンサー
ですが、サレンコをリードするパートナーとしての力量にも目を瞠るもの
があり、余裕すら感じられる二人の踊りに、「ああ、今日は来て良かった!」
と思いました。
会場に貼り出されているポスターの写真をUPしようと思って、カメラも
持って行ったのですが、どこにも見当たりません。念のため訊きましたが、
「ありません」との返事でした。このあたりも、ちょっといただけない会場
ですね。東京メトロ「後楽園」駅に隣接していて、交通の便もよいのですが、
もう少し、鑑賞者目線での配慮がほしい「文京シビックホール」でした。

ポスターがなかったので、これはプログラムの表紙です
私が一番好きな舞台芸術は、クラシックバレエの鑑賞ですが、
これも、今では滅多に行かなくなりました。
40代くらいの頃は年に何度も足を運び、今では伝説となって
いるジョルジュ・ドンの「ボレロ」や、マイヤ・プリセツカヤの
「瀕死の白鳥」なども、感動を持って観たものですが、今回は、
おそらく二年ぶりで、やはりバレエの好きな友人に声をかけて
もらっての実現となりました。
会場は「文京シビックホール」。ここでバレエを観るのは初めてです。
前から2列目の席。以前一度、「東京文化会館」でも、ダンサー同士の
取り合っている手の震えや、顔の汗もはっきりと見える席で鑑賞した
ことがありましたが、なかなか臨場感もあって良かったので、今回も、
段差のない場所であることが気になりながらも、「オペラグラスは
要らないわね」と言って、期待を持って出かけました。
ところが幕が開いて大ショック!何と足元が見えないのです。
コンサートなら我慢できますが、バレエで、くるぶしの少し上あたりから、
完全に下が切れてしまった状態は考えられない話です。関係者は、
この席から実際の舞台を見て、それでもS席に設定したのかしら?と、
何やらもやもや。
オニール八菜(パリ・オペラ座)、高田茜(英国ロイヤルバレエ団)と
言った、今話題の日本人ダンサーも登場して、まさに目の前で美しい
踊りを見せてくれるのですが、足元が見えないというのは、何とも
奇妙な感じで、気持ちが入って行きません。
それがです。第2部の最後、ロイヤルバレエ団の、ヤーナ・サレンコと、
スティーブン・マックレーの「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ド・ドゥの
圧巻の踊りで、全ての不満はどこかへ吹っ飛んでしまいました。
休憩時間に、隣の席の女性から、「伸び上がるようにすれば何とか
つま先まで見えますよ」と聞いていたので、段差のない席で、背中を
伸ばすようにするのは、後ろの席の方に申し訳ないとは思いつつ、
この時ばかりは、足元までしっかりと見ていました。
「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ド・ドゥは、「世界バレエフェスティバル」
でも、必ず最後の演目になっており、これまでに何度観たかも覚えて
いませんが、これほど完成度の高い、二人の呼吸がぴったりと合った
ものは初めてで、もしかしたらこの先も、もう巡り合えないのではないか
と思われる素晴らしい舞台でした。
マックレーは以前から、軸がぶれない、脚の美しさが際立ったダンサー
ですが、サレンコをリードするパートナーとしての力量にも目を瞠るもの
があり、余裕すら感じられる二人の踊りに、「ああ、今日は来て良かった!」
と思いました。
会場に貼り出されているポスターの写真をUPしようと思って、カメラも
持って行ったのですが、どこにも見当たりません。念のため訊きましたが、
「ありません」との返事でした。このあたりも、ちょっといただけない会場
ですね。東京メトロ「後楽園」駅に隣接していて、交通の便もよいのですが、
もう少し、鑑賞者目線での配慮がほしい「文京シビックホール」でした。

ポスターがなかったので、これはプログラムの表紙です
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大君が守り抜いたもの
2017年7月29日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第140回)
天気予報では曇りのマーク。家を出た時は日傘にしたほうが
よかったかなぁ、と思ったくらいでしたが、講読会が終わりに
近づくにつれて、雲行きが怪しくなり、会場を出た時には
既に傘が必要となっていました。それでも帰宅するまでは、
ザァーザァ―降りではなかったのですが、夜になると段々と
ひどくなり、22:30になった今も、かなりの雨が降り続いています。
一番進んでいるこのクラスは、今回で第47帖「総角」を読み終え、
第48帖「早蕨」の1/3位までを読みました。次回で「早蕨」まで
読了予定です。
病気の大君のお見舞いに訪れて、そのまま大君の看病をし続け、
最期を看取った薫は、葬儀が終わっても京へ帰らず、宇治に
籠ったまま大君を追慕して日を送っていました。
そこまでが前回読んだところで、今日は、12月に入って御忌明けも
近づいた頃、ずうーっとご無沙汰だった匂宮が、夜中に雪をかき分けて
宇治へとお出でになった場面から読み始めました。
中の君は匂宮に逢おうとはしません。匂宮自身も、周りの女房たちも
薫さえもが、中の君が匂宮との対面を拒むのは、長い夜離れを恨んで
いるからであろう、と思いますが、それだけではなかったはずです。
大君があれほど匂宮の仕打ちを恨んで亡くなって行った気持ちを
思うと、中の君は、単に男女関係のレベルだけの問題でなく、
匂宮を許せなかったのですが、誰もそれに気づいてはいませんでした。
匂宮は京へ帰れば、父・帝や、母・明石中宮から厳しいお咎めが
あることも覚悟の上で、宇治にお泊りになりました。
とうとう中の君が匂宮と顔を合わせることはありませんでしたが、
それでも行く末の愛を切々と訴えて誓う匂宮に、中の君の心は
氷解し始めておりました。
御忌も明け、新年も近づくと、薫もこのまま宇治に滞在している
わけにも行かず、京にお戻りになります。でも、この二ヶ月近い
薫の宇治籠りが、思いがけない朗報を呼ぶ結果となりました。
「后の宮聞こしめしつけて、中納言もかくおろかならず思ひほれて
ゐたなるは、げにおしなべて思ひがたうこそは、誰もおぼさるらめと、
心苦しがりたまひて」(明石中宮が、お耳になさって、中納言(薫)も、
こんなに普通ではないほどに悲しみにくれて宇治にこもっていた、
というのは、なるほど、宇治の姫君たちというのは、並大抵には
扱えない、と、どなたもお思いになる方々なのだろう、と、匂宮を
労しく思われて)、中の君を、二条院の西の対に引き取るよう、
ご提案なさったのでした。
明石中宮、息子の匂宮よりも、表向きは年の離れた弟の薫のほうを
はるかに信頼していることがわかりますね。やはり、日頃の行いが
ものを言うのでしょうか。
もとはと言えば、薫の浅はかな計略に端を発し、匂宮の夜離れ、
紅葉狩の折の素通り、引いては夕霧の六の君との縁談の噂。
大君にとっては全てが「宮家の誇り」を打ち砕く要因となり、その
苦悩が彼女を死に追いやったのですが、皮肉にも、大君が
亡くなったことで、事態は好転することとなったのです。
結局、大君は自分の命と引き換えに、妹を守り、父宮から託された
「宮家の誇り」を守り抜くことになった、と言えましょう。
次回からは、舞台もしばらく宇治を離れ、京へと移って、中の君を
ヒロインとする新たな物語が始まります。
天気予報では曇りのマーク。家を出た時は日傘にしたほうが
よかったかなぁ、と思ったくらいでしたが、講読会が終わりに
近づくにつれて、雲行きが怪しくなり、会場を出た時には
既に傘が必要となっていました。それでも帰宅するまでは、
ザァーザァ―降りではなかったのですが、夜になると段々と
ひどくなり、22:30になった今も、かなりの雨が降り続いています。
一番進んでいるこのクラスは、今回で第47帖「総角」を読み終え、
第48帖「早蕨」の1/3位までを読みました。次回で「早蕨」まで
読了予定です。
病気の大君のお見舞いに訪れて、そのまま大君の看病をし続け、
最期を看取った薫は、葬儀が終わっても京へ帰らず、宇治に
籠ったまま大君を追慕して日を送っていました。
そこまでが前回読んだところで、今日は、12月に入って御忌明けも
近づいた頃、ずうーっとご無沙汰だった匂宮が、夜中に雪をかき分けて
宇治へとお出でになった場面から読み始めました。
中の君は匂宮に逢おうとはしません。匂宮自身も、周りの女房たちも
薫さえもが、中の君が匂宮との対面を拒むのは、長い夜離れを恨んで
いるからであろう、と思いますが、それだけではなかったはずです。
大君があれほど匂宮の仕打ちを恨んで亡くなって行った気持ちを
思うと、中の君は、単に男女関係のレベルだけの問題でなく、
匂宮を許せなかったのですが、誰もそれに気づいてはいませんでした。
匂宮は京へ帰れば、父・帝や、母・明石中宮から厳しいお咎めが
あることも覚悟の上で、宇治にお泊りになりました。
とうとう中の君が匂宮と顔を合わせることはありませんでしたが、
それでも行く末の愛を切々と訴えて誓う匂宮に、中の君の心は
氷解し始めておりました。
御忌も明け、新年も近づくと、薫もこのまま宇治に滞在している
わけにも行かず、京にお戻りになります。でも、この二ヶ月近い
薫の宇治籠りが、思いがけない朗報を呼ぶ結果となりました。
「后の宮聞こしめしつけて、中納言もかくおろかならず思ひほれて
ゐたなるは、げにおしなべて思ひがたうこそは、誰もおぼさるらめと、
心苦しがりたまひて」(明石中宮が、お耳になさって、中納言(薫)も、
こんなに普通ではないほどに悲しみにくれて宇治にこもっていた、
というのは、なるほど、宇治の姫君たちというのは、並大抵には
扱えない、と、どなたもお思いになる方々なのだろう、と、匂宮を
労しく思われて)、中の君を、二条院の西の対に引き取るよう、
ご提案なさったのでした。
明石中宮、息子の匂宮よりも、表向きは年の離れた弟の薫のほうを
はるかに信頼していることがわかりますね。やはり、日頃の行いが
ものを言うのでしょうか。
もとはと言えば、薫の浅はかな計略に端を発し、匂宮の夜離れ、
紅葉狩の折の素通り、引いては夕霧の六の君との縁談の噂。
大君にとっては全てが「宮家の誇り」を打ち砕く要因となり、その
苦悩が彼女を死に追いやったのですが、皮肉にも、大君が
亡くなったことで、事態は好転することとなったのです。
結局、大君は自分の命と引き換えに、妹を守り、父宮から託された
「宮家の誇り」を守り抜くことになった、と言えましょう。
次回からは、舞台もしばらく宇治を離れ、京へと移って、中の君を
ヒロインとする新たな物語が始まります。
正体不明のままの逢瀬
2017年7月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第16回・№2)
空蝉のことも諦めきれず、六条の女君の所へは、思いが冷めながらも
お通いになっていた頃、大弐の乳母の家の隣家の様子を探っていた
惟光(大弐の乳母の息子・源氏の腹心の部下)から、新たな情報が
もたらされました。
女主人が誰だとはまったく分からないのだけれども、頭中将の牛車
らしいのが大路を通った時、女童が右近という女房を呼んで話題に
していたと報告します。
そうしているうちに、惟光は隣家の女房を手なづけて、とうとう源氏が
この夕顔の宿の女の所へ通える算段を取り付けました。
相手の素性も確かめず、源氏も名乗らず、お互いが誰ともわからぬ
まま、源氏はこの女(夕顔)に強く惹かれ、片時も離れているのが
辛い程の恋情に身を焦がすようになって行かれました。さしたる
身分であろうはずもない女にどうしてここまで夢中になってしまう
のか、ご自分でも理解できないのめり込みようでした。
夕顔は、思慮深さや重々しさには欠けているけれど、ただもう素直で
たおやかで、こんな狐の化かし合いのような恋にも付いて来ようとする
のが、源氏には愛しくてたまらず、頭中将が「雨夜の品定め」で語った
「常夏の女」ではないかと疑いつつも、夕顔に問い質すこともなく、
自分さえ途絶えを置くようなことをしなければ、女が逃げ隠れすることも
なかろうと、正体不明のままの逢瀬を続けておられました。
夕顔の物語はこの先、ミステリーからサスペンスへと、ドラマティックな
展開が繰り広げられることになります。乞うご期待!!
空蝉のことも諦めきれず、六条の女君の所へは、思いが冷めながらも
お通いになっていた頃、大弐の乳母の家の隣家の様子を探っていた
惟光(大弐の乳母の息子・源氏の腹心の部下)から、新たな情報が
もたらされました。
女主人が誰だとはまったく分からないのだけれども、頭中将の牛車
らしいのが大路を通った時、女童が右近という女房を呼んで話題に
していたと報告します。
そうしているうちに、惟光は隣家の女房を手なづけて、とうとう源氏が
この夕顔の宿の女の所へ通える算段を取り付けました。
相手の素性も確かめず、源氏も名乗らず、お互いが誰ともわからぬ
まま、源氏はこの女(夕顔)に強く惹かれ、片時も離れているのが
辛い程の恋情に身を焦がすようになって行かれました。さしたる
身分であろうはずもない女にどうしてここまで夢中になってしまう
のか、ご自分でも理解できないのめり込みようでした。
夕顔は、思慮深さや重々しさには欠けているけれど、ただもう素直で
たおやかで、こんな狐の化かし合いのような恋にも付いて来ようとする
のが、源氏には愛しくてたまらず、頭中将が「雨夜の品定め」で語った
「常夏の女」ではないかと疑いつつも、夕顔に問い質すこともなく、
自分さえ途絶えを置くようなことをしなければ、女が逃げ隠れすることも
なかろうと、正体不明のままの逢瀬を続けておられました。
夕顔の物語はこの先、ミステリーからサスペンスへと、ドラマティックな
展開が繰り広げられることになります。乞うご期待!!
第四帖「夕顔」の全文訳(4)
2017年7月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第16回・№1)
前回(7/10)より、先に「全文訳」を書き、後で「講読会の記録」を
書くようにしましたら、そのほうが良いとのご意見も戴きましたので、
これからもそうすることにしました。
本日講読しました第四帖「夕顔」(129頁・10行目~140頁・5行目)の
後半部分(134頁・5行目~140頁・5行目まで)の全文訳です。
前半は7/10日(月)に書きました全文訳をご覧ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
そうそう、そう言えば、惟光の預かりとなっていた垣間見の件は、
たいそうよく事情を探って、ご報告申し上げました。
「誰であるかはとんと見当がつきません。ひどく人目を忍んでいる
様子に見えますが、女たちは所在なさにまかせて、南側の半蔀の
ある建物にやって来ては、大路に牛車の音がすると、若い女房たちが、
覗いたりしているようで、この主人らしき女性も、その南の建物にちょっと
来ている時があるようでございます。容貌は、はっきりとではありませんが、
たいそう可愛らしゅうございます。先日、先払いをして大路を通り過ぎて
行く牛車があったのですが、それを覗いて、女童が急いで『右近さまぁー、
早くご覧ください。中将殿がここをお通りになりましたよ』と言いますと、
またこぎれいな女房が出て来て『しぃっー、静かに』と、手で制しながらも
『どうして中将殿と分かったの?どれ、見ましょう』と言って、こっそりと
こちらへ渡って来ます。打橋のようなものを通路にして、やって参ります。
急いで来るものですから、着物の裾を何かに引っ掛けて、よろけ倒れて、
打橋から落っこちそうになったので、『何とまあ、この葛城の神様ときたら、
随分と危なっかしく橋をかけてくださったこと』と、文句を言って、覗いて
見ようという気持ちも醒めてしまったようでした。車中の君は直衣姿で、
御随身たちがついていました。『あれは誰、これは誰』と女童が数えて
いたのは、頭中将の随身、またその小舎人童の名前で、それを中将殿の
牛車の証拠として申しておりました」
などとご報告したので、「確かにその牛車を見届けたかったな」とおっしゃって、
もしやあの「雨夜の品定め」の折に、頭中将が可憐で忘れがたいと話していた
女ではないかと思い寄られるにつけても、もっとよく知りたそうにしておられる
源氏の君のご様子を見て取って、惟光は「私も隣の女房に上手く色恋を
仕掛けておきまして、家の中の様子もすっかり分かっておりますが、ただ同じ
女房同士だと私には思わせて、話などをしている若い婦人がおりますのを、
私はそらとぼけて、騙されたふりをしております。たいそう上手く隠している
つもりでいて、小さな子供などのおりますのが、うっかり言葉遣いを間違え
そうになるのもごまかして、別に主人はいない様子を、無理をして作って
おります」などと話して笑っておりました。源氏の君は「尼君のお見舞いに
出かけるついでに、覗かせてくれよ」と、おっしゃるのでした。
たとえ仮の住まいだとしても、住んでいる家の程度を思うと、これこそ、
あの頭中将が「雨夜の品定め」で蔑んでいた下の品の部類に入る女で
あろうが、そんな中で、思いがけなく心惹かれるようなことがあればいいなぁ、
などとお思いになっておられました。惟光は、どんな些細なことでも、ご意向には
背くまいと思っておりますし、惟光自身も抜け目のない好き者のこととて、随分と
策を弄し、奔走した挙句、やっと源氏の君がお通いになる段取りに漕ぎ着けました。
この辺りのことは、煩わしいので、いつものように省略させていただきますね。
源氏の君は、この女の素性をはっきりとお確かめになれないので、ご自分も
名乗りなさらず、むやみに粗末な身なりをなさって、いつになく熱心にお通いに
なるのは、並々ならぬご執心に違いない、と惟光は見て取って、自分の馬を
源氏の君に差し上げて、お供をして走り回っています。惟光が「折角の色男が、
こんな貧相な徒歩姿で、あの家の者にでも見つけられたりしたら、辛いことで
ありましょうなぁ」などとぼやきますが、源氏の君は人には秘密になさったまま、
あの夕顔の花の取次ぎをした随身だけ、その他は、先方が顔を全く知らない
はずの童一人だけを連れてお出でになりました。万が一、感づかれる手掛かり
になっては、と、お隣の乳母の家で休息をお取りになることもございません。
女もたいそう妙なことで腑に落ちない心地がして、源氏の君のお手紙を持って
来た使者を尾行させたり、明け方、源氏の君がお帰りの際に後を付けさせ、
お住まいをつきとめようと探るのでしたが、分からないように上手く撒いて、
そこまでしながらも、やはり愛しくて、逢わずにはとてもいられそうにない程、
この女のことが気になって仕方がなく、不都合で軽率なことだと、思い返しては
辛くなりながらも、たいそうしげしげとお通いになっておられました。
このような色恋のことは、真面目な人でも、惑乱するようなことがあるもの
ですが、源氏の君は、これまで見苦しくないよう自重なさって、世間から
非難されるような振舞いはなさらなかったのですが、おかしいほどに、
別れたばかりの朝も、夜になれば逢えるはずの昼間も、気が気ではない
程思い悩まれるので、一方では、何と馬鹿げたことか、それほど熱中する
にふさわしい恋愛でもないのに、と、努めて気持ちを醒まそうとなさいますが、
女の感じは何とも言えず素直でおおらかで、思慮深くしっかりしているという
ところはなくて、一途に世間知らずな若い娘のようでありながら、男女の仲を
知らぬ風でもないのです。さして身分の高い姫君ではあるまいし、この女の
どこにこうまで惹かれるのであろうか、と、源氏の君は繰り返しお考えに
なっていました。
源氏の君は、とてもわざとらしく、御召し物も、粗末な狩衣になさって、
覆面をして、顔を少しもお見せにならず、夜も深まって、人の寝静まるのを
待って出入りなどなさるので、昔話に出て来る変化の物のようで、女は
辛く思い嘆かれもするのですが、このお方のご様子は、さすがに暗がりの
手探りでもはっきりとわかることなので、いったいどなたなのかしら、やはり
この好色者が企んだ仕業のようだ、と惟光のことを疑いますが、惟光は
もっぱら白を切って、まるで思いも寄らない、といった風を装って、せっせと
女房相手に色恋に励んでいるので、どういうことなのかと納得が行かず、
女のほうも、奇妙な普通とは異なる物思いをしているのでした。
源氏の君も、こんな風に無心に自分に靡いて油断させておいて、女が急に
姿を隠してしまうようなことがあったら、どこを目当てに探せばよいのだろうか、
夕顔の宿は仮の隠れ家だと、また思われるので、いずれは何処へなりとも
移って行くであろう日を、いつとも知ることは出来まい、とお思いになって、
後を追って行方を見失った時、それでいい加減に諦めることが出来るのなら、
ただいっ時の慰み事として終われもしようが、とてもそんな気持ちで済まされ
そうにはお思いになれません。人目を憚って、逢わずにいらっしゃる夜な夜な
などは、とてもこらえ難く、女のことが苦しいまでに、恋しくてならないので、
やはり誰とも素性のわからぬまま二条院に迎え取ろう、もし世間に知れて
不都合なことがあったとしても、こうなる廻り合わせだったのだ、我ながら、
ここまで女に溺れることなどなかったのに、どんな宿縁があったのだろう、
などお考えになっておられました。
「さあ、とっても気持ちが落ち着くところで、ゆっくりとお話しましょう」などと、
源氏の君がお誘いになりますと、「やはり変ですわ。そんなふうにおっしゃる
けれど、普通ではないお扱いですもの、何だか恐ろしくって」と、子供じみて
言うので、「まったくだ」と、源氏の君も、つい微笑んでしまわれ、「本当に、
私たちはどちらが狐なんでしょうね。黙って私に化かされていらっしゃいよ」
と、優し気におっしゃると、女もすっかりその気になって、それでも構わない、
と思っておりました。世間的に見れば、こんなおかしなこと、と思われること
でも、ひたすら従おうとする性格は、ほんとうに可愛い女だと、源氏の君は
ご覧になるにつけ、やはり、あの頭中将が「雨夜の品定め」で話をした
「常夏の女」ではないかと疑われて、あの時頭中将の語った女の気立てを
先ず思い出しておられますが、素性を隠すにはそれだけの訳があるので
あろう、と、無理に問い質そうともなさいません。思わせぶりに不意に
逃げ隠れするような気持ちは持っていそうにないので、こちらが夜離れを
して途絶えを置くようなことがあれば、女もそのような気を起こすかも知れないが、
それは自分の心次第で、少しでも他の女に心変わりするようなことがあれば、
可哀想なことであろう、とまでお思いになっておりました。
前回(7/10)より、先に「全文訳」を書き、後で「講読会の記録」を
書くようにしましたら、そのほうが良いとのご意見も戴きましたので、
これからもそうすることにしました。
本日講読しました第四帖「夕顔」(129頁・10行目~140頁・5行目)の
後半部分(134頁・5行目~140頁・5行目まで)の全文訳です。
前半は7/10日(月)に書きました全文訳をご覧ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
そうそう、そう言えば、惟光の預かりとなっていた垣間見の件は、
たいそうよく事情を探って、ご報告申し上げました。
「誰であるかはとんと見当がつきません。ひどく人目を忍んでいる
様子に見えますが、女たちは所在なさにまかせて、南側の半蔀の
ある建物にやって来ては、大路に牛車の音がすると、若い女房たちが、
覗いたりしているようで、この主人らしき女性も、その南の建物にちょっと
来ている時があるようでございます。容貌は、はっきりとではありませんが、
たいそう可愛らしゅうございます。先日、先払いをして大路を通り過ぎて
行く牛車があったのですが、それを覗いて、女童が急いで『右近さまぁー、
早くご覧ください。中将殿がここをお通りになりましたよ』と言いますと、
またこぎれいな女房が出て来て『しぃっー、静かに』と、手で制しながらも
『どうして中将殿と分かったの?どれ、見ましょう』と言って、こっそりと
こちらへ渡って来ます。打橋のようなものを通路にして、やって参ります。
急いで来るものですから、着物の裾を何かに引っ掛けて、よろけ倒れて、
打橋から落っこちそうになったので、『何とまあ、この葛城の神様ときたら、
随分と危なっかしく橋をかけてくださったこと』と、文句を言って、覗いて
見ようという気持ちも醒めてしまったようでした。車中の君は直衣姿で、
御随身たちがついていました。『あれは誰、これは誰』と女童が数えて
いたのは、頭中将の随身、またその小舎人童の名前で、それを中将殿の
牛車の証拠として申しておりました」
などとご報告したので、「確かにその牛車を見届けたかったな」とおっしゃって、
もしやあの「雨夜の品定め」の折に、頭中将が可憐で忘れがたいと話していた
女ではないかと思い寄られるにつけても、もっとよく知りたそうにしておられる
源氏の君のご様子を見て取って、惟光は「私も隣の女房に上手く色恋を
仕掛けておきまして、家の中の様子もすっかり分かっておりますが、ただ同じ
女房同士だと私には思わせて、話などをしている若い婦人がおりますのを、
私はそらとぼけて、騙されたふりをしております。たいそう上手く隠している
つもりでいて、小さな子供などのおりますのが、うっかり言葉遣いを間違え
そうになるのもごまかして、別に主人はいない様子を、無理をして作って
おります」などと話して笑っておりました。源氏の君は「尼君のお見舞いに
出かけるついでに、覗かせてくれよ」と、おっしゃるのでした。
たとえ仮の住まいだとしても、住んでいる家の程度を思うと、これこそ、
あの頭中将が「雨夜の品定め」で蔑んでいた下の品の部類に入る女で
あろうが、そんな中で、思いがけなく心惹かれるようなことがあればいいなぁ、
などとお思いになっておられました。惟光は、どんな些細なことでも、ご意向には
背くまいと思っておりますし、惟光自身も抜け目のない好き者のこととて、随分と
策を弄し、奔走した挙句、やっと源氏の君がお通いになる段取りに漕ぎ着けました。
この辺りのことは、煩わしいので、いつものように省略させていただきますね。
源氏の君は、この女の素性をはっきりとお確かめになれないので、ご自分も
名乗りなさらず、むやみに粗末な身なりをなさって、いつになく熱心にお通いに
なるのは、並々ならぬご執心に違いない、と惟光は見て取って、自分の馬を
源氏の君に差し上げて、お供をして走り回っています。惟光が「折角の色男が、
こんな貧相な徒歩姿で、あの家の者にでも見つけられたりしたら、辛いことで
ありましょうなぁ」などとぼやきますが、源氏の君は人には秘密になさったまま、
あの夕顔の花の取次ぎをした随身だけ、その他は、先方が顔を全く知らない
はずの童一人だけを連れてお出でになりました。万が一、感づかれる手掛かり
になっては、と、お隣の乳母の家で休息をお取りになることもございません。
女もたいそう妙なことで腑に落ちない心地がして、源氏の君のお手紙を持って
来た使者を尾行させたり、明け方、源氏の君がお帰りの際に後を付けさせ、
お住まいをつきとめようと探るのでしたが、分からないように上手く撒いて、
そこまでしながらも、やはり愛しくて、逢わずにはとてもいられそうにない程、
この女のことが気になって仕方がなく、不都合で軽率なことだと、思い返しては
辛くなりながらも、たいそうしげしげとお通いになっておられました。
このような色恋のことは、真面目な人でも、惑乱するようなことがあるもの
ですが、源氏の君は、これまで見苦しくないよう自重なさって、世間から
非難されるような振舞いはなさらなかったのですが、おかしいほどに、
別れたばかりの朝も、夜になれば逢えるはずの昼間も、気が気ではない
程思い悩まれるので、一方では、何と馬鹿げたことか、それほど熱中する
にふさわしい恋愛でもないのに、と、努めて気持ちを醒まそうとなさいますが、
女の感じは何とも言えず素直でおおらかで、思慮深くしっかりしているという
ところはなくて、一途に世間知らずな若い娘のようでありながら、男女の仲を
知らぬ風でもないのです。さして身分の高い姫君ではあるまいし、この女の
どこにこうまで惹かれるのであろうか、と、源氏の君は繰り返しお考えに
なっていました。
源氏の君は、とてもわざとらしく、御召し物も、粗末な狩衣になさって、
覆面をして、顔を少しもお見せにならず、夜も深まって、人の寝静まるのを
待って出入りなどなさるので、昔話に出て来る変化の物のようで、女は
辛く思い嘆かれもするのですが、このお方のご様子は、さすがに暗がりの
手探りでもはっきりとわかることなので、いったいどなたなのかしら、やはり
この好色者が企んだ仕業のようだ、と惟光のことを疑いますが、惟光は
もっぱら白を切って、まるで思いも寄らない、といった風を装って、せっせと
女房相手に色恋に励んでいるので、どういうことなのかと納得が行かず、
女のほうも、奇妙な普通とは異なる物思いをしているのでした。
源氏の君も、こんな風に無心に自分に靡いて油断させておいて、女が急に
姿を隠してしまうようなことがあったら、どこを目当てに探せばよいのだろうか、
夕顔の宿は仮の隠れ家だと、また思われるので、いずれは何処へなりとも
移って行くであろう日を、いつとも知ることは出来まい、とお思いになって、
後を追って行方を見失った時、それでいい加減に諦めることが出来るのなら、
ただいっ時の慰み事として終われもしようが、とてもそんな気持ちで済まされ
そうにはお思いになれません。人目を憚って、逢わずにいらっしゃる夜な夜な
などは、とてもこらえ難く、女のことが苦しいまでに、恋しくてならないので、
やはり誰とも素性のわからぬまま二条院に迎え取ろう、もし世間に知れて
不都合なことがあったとしても、こうなる廻り合わせだったのだ、我ながら、
ここまで女に溺れることなどなかったのに、どんな宿縁があったのだろう、
などお考えになっておられました。
「さあ、とっても気持ちが落ち着くところで、ゆっくりとお話しましょう」などと、
源氏の君がお誘いになりますと、「やはり変ですわ。そんなふうにおっしゃる
けれど、普通ではないお扱いですもの、何だか恐ろしくって」と、子供じみて
言うので、「まったくだ」と、源氏の君も、つい微笑んでしまわれ、「本当に、
私たちはどちらが狐なんでしょうね。黙って私に化かされていらっしゃいよ」
と、優し気におっしゃると、女もすっかりその気になって、それでも構わない、
と思っておりました。世間的に見れば、こんなおかしなこと、と思われること
でも、ひたすら従おうとする性格は、ほんとうに可愛い女だと、源氏の君は
ご覧になるにつけ、やはり、あの頭中将が「雨夜の品定め」で話をした
「常夏の女」ではないかと疑われて、あの時頭中将の語った女の気立てを
先ず思い出しておられますが、素性を隠すにはそれだけの訳があるので
あろう、と、無理に問い質そうともなさいません。思わせぶりに不意に
逃げ隠れするような気持ちは持っていそうにないので、こちらが夜離れを
して途絶えを置くようなことがあれば、女もそのような気を起こすかも知れないが、
それは自分の心次第で、少しでも他の女に心変わりするようなことがあれば、
可哀想なことであろう、とまでお思いになっておりました。
「若菜下」のクライマックス(2)
2017年7月24日(月) 溝の口「湖月会」(第109回)
柏木との密通の結果、身籠ってしまった女三宮のもとを源氏がお訪ねに
なっていた時、柏木から届いた手紙を、女三宮が困惑しながら見ておられる
ところに、席を外しておられた源氏が戻って来られたので、慌てて女三宮は、
御茵(お座布団)の下に手紙を挟んで隠しました。不安と心細さから、二条院へ
帰ろうとなさる源氏を引き留めてしまった女三宮。そんな女三宮にいじらしさを
感じて、源氏はもう一晩こちらでお泊りになったのです。
ここまでは、第2金曜日のクラス(7月14日)の記事で、ご紹介しました。
今日は、その続き(後半)です。
翌朝、源氏はご自分の蝙蝠(かはほり/夏用の扇)が見当たらなくなって、
探しておられるうちに、少し乱れた御茵の端から浅緑の手紙が覗いている
のを何気なく引き出してご覧になって、「ええっ、こ、これは!」ということに
なったのです。
朝の身支度をなさりながら昨日届いた柏木からの手紙と同じ色の手紙を
読んでおられる源氏のお姿に、血の気も引いてしまったのが、柏木からの
手紙を女三宮に渡した小侍従でした。「胸つぶつぶと鳴るここちす」(心臓が
ドックンドックン、音を立てているのが自分にも聞こえる気がした)とは、実に
的を得た表現だと思います。
小侍従はそれでも、「いやそんなはずはない、あの手紙は女三宮がお隠しに
なったはずだ。偶然、同じ色の手紙が源氏の君のもとに届けられたんだわ」と、
「思いなす」(強いて思おうとする)のでした。ここも悪い予感に支配された時、
何とかそれを否定する材料を見つけ出そうとする人の心の動きを、的確に
捉えていて上手いですよね。
この時、女三宮はまだ無心におやすみになっていました。源氏は、もし自分
以外の者がこの手紙を発見していたら、と思うと、女三宮の不用意さに、
昨夜覚えた愛しさも、すっかり失せてしまわれたのでした。
源氏がお帰りになった後、小侍従は女三宮に問い質します。小侍従は「大丈夫、
ちゃんと隠してあるわ」という答えを期待していたでしょうが、女三宮から返って
来たのは「ふともえ置きあへでさしはさみしを、忘れにけり」(すぐにも隠すことが
できなくて、茵の下に挟んだのを、忘れちゃったの」。という言葉でした。もう、
小侍従も開いた口がふさがりません。散々小侍従に責め立てられても、
女三宮は返事も出来ず、ただ幼い子供のように泣いておられるばかりでした。
一方、女三宮と柏木の裏切りに激しい憤りを感じながらも、誰にも言えない事を
抱え込んでしまった源氏も、苦悩します。そして、その昔、自分と藤壺とが犯した
罪を、父・桐壺帝は何もかもご承知の上で、知らぬふりをなさっていたのでは
ないか、と思い至るのです。
もう私たちは、この先どうなって行くのか知ってしまっているので、ドキドキ感も
半減しているのでしょうが、これが現在進行形で書かれていた頃に読んでいた
読者たちは、「続きはどうなるの?もう待ちきれないわ」と思っていたことでしょう。
「少女」とか「りぼん」とか、女の子向けの月刊雑誌に連載されていた、所謂
「少女漫画」の続きが読みたくてたまらなかったのと同じような気持ちだった
のかなぁ、と、ふと60年も昔のことが思い出されました。
柏木との密通の結果、身籠ってしまった女三宮のもとを源氏がお訪ねに
なっていた時、柏木から届いた手紙を、女三宮が困惑しながら見ておられる
ところに、席を外しておられた源氏が戻って来られたので、慌てて女三宮は、
御茵(お座布団)の下に手紙を挟んで隠しました。不安と心細さから、二条院へ
帰ろうとなさる源氏を引き留めてしまった女三宮。そんな女三宮にいじらしさを
感じて、源氏はもう一晩こちらでお泊りになったのです。
ここまでは、第2金曜日のクラス(7月14日)の記事で、ご紹介しました。
今日は、その続き(後半)です。
翌朝、源氏はご自分の蝙蝠(かはほり/夏用の扇)が見当たらなくなって、
探しておられるうちに、少し乱れた御茵の端から浅緑の手紙が覗いている
のを何気なく引き出してご覧になって、「ええっ、こ、これは!」ということに
なったのです。
朝の身支度をなさりながら昨日届いた柏木からの手紙と同じ色の手紙を
読んでおられる源氏のお姿に、血の気も引いてしまったのが、柏木からの
手紙を女三宮に渡した小侍従でした。「胸つぶつぶと鳴るここちす」(心臓が
ドックンドックン、音を立てているのが自分にも聞こえる気がした)とは、実に
的を得た表現だと思います。
小侍従はそれでも、「いやそんなはずはない、あの手紙は女三宮がお隠しに
なったはずだ。偶然、同じ色の手紙が源氏の君のもとに届けられたんだわ」と、
「思いなす」(強いて思おうとする)のでした。ここも悪い予感に支配された時、
何とかそれを否定する材料を見つけ出そうとする人の心の動きを、的確に
捉えていて上手いですよね。
この時、女三宮はまだ無心におやすみになっていました。源氏は、もし自分
以外の者がこの手紙を発見していたら、と思うと、女三宮の不用意さに、
昨夜覚えた愛しさも、すっかり失せてしまわれたのでした。
源氏がお帰りになった後、小侍従は女三宮に問い質します。小侍従は「大丈夫、
ちゃんと隠してあるわ」という答えを期待していたでしょうが、女三宮から返って
来たのは「ふともえ置きあへでさしはさみしを、忘れにけり」(すぐにも隠すことが
できなくて、茵の下に挟んだのを、忘れちゃったの」。という言葉でした。もう、
小侍従も開いた口がふさがりません。散々小侍従に責め立てられても、
女三宮は返事も出来ず、ただ幼い子供のように泣いておられるばかりでした。
一方、女三宮と柏木の裏切りに激しい憤りを感じながらも、誰にも言えない事を
抱え込んでしまった源氏も、苦悩します。そして、その昔、自分と藤壺とが犯した
罪を、父・桐壺帝は何もかもご承知の上で、知らぬふりをなさっていたのでは
ないか、と思い至るのです。
もう私たちは、この先どうなって行くのか知ってしまっているので、ドキドキ感も
半減しているのでしょうが、これが現在進行形で書かれていた頃に読んでいた
読者たちは、「続きはどうなるの?もう待ちきれないわ」と思っていたことでしょう。
「少女」とか「りぼん」とか、女の子向けの月刊雑誌に連載されていた、所謂
「少女漫画」の続きが読みたくてたまらなかったのと同じような気持ちだった
のかなぁ、と、ふと60年も昔のことが思い出されました。
鶯 VS. ホトトギス
2017年7月21日(金) 溝の口「枕草子」(第10回)
今日の「枕草子」は、第35段「池は」から、第38段「鳥は」まで、
すべて「類聚章段」を読みました。
この中で、作者が最も力を注いで書いているのが、「鳥は」の
段の「鶯」と「ホトトギス」についてです。
皆さまなら、「鶯」と「ホトトギス」、どちらに軍配をお上げに
なりますか?
清少納言は何といってもホトトギス派です。
紙面は、鶯のほうにホトトギスの3倍位割いているのですが、
それは、ホトトギスに比べて鶯はこんなところがダメなのよねぇ、
と、鶯をけなすために筆を費やしたからなのです。
先ずは、鶯が、漢詩などにも「めでたきもの」(素晴らしい鳥)
として詠まれ、姿、形もあんなに上品で可愛いのに、と美点を
挙げた上で、
①宮中では全く鳴かず、賤しい家の見所も無い梅の木で鳴く
⇨価値観が分かっていない鳥、ということになる
②夜鳴かない⇨眠たがり屋のようでみっともない
③鶯は春の鳥なのに、夏・秋の終わりまで、老い声になっても鳴く
⇨引き際を心得ていない
と、欠点をあげつらうのですが、これは、やはり鶯が、雀や鳶や烏など
とは違う、普通の鳥ではないだけに、期待度も高くなってしまうからで、
だからこそ、晩節を汚すようなことはして欲しくない、というのが、
清少納言流の考え方なのですよね。
一方のホトトギスは、「なほさらにいふべきかたなし」(今更、何にも
言うことなんかないほど、素晴らしいわ)と最初に言っておいて、
声は聞こえても、まともには姿を見せず、「チラ見せ」なところが、
口惜しいほどの心がけだ、と褒めます。
夜中に起きて初音を聞きたいと心待ちにしていると、期待に応えて
鳴きだした声が、洗練されていて、魅力たっぷりで、もう魂まで
その声に惹かれて彷徨い出てしまうくらい、と続きます。
ホトトギスは夏の鳥だけど、鳴くのは5月だけで、6月になれば、
ピタッと鳴くのを止めてしまう。その潔さが何とも言えず、
「すべていふもおろかなり」(何もかも、口にするだけ野暮って
ものよ)と、結んでいます。
これで、先に鶯を非難したのが、ホトトギスを引き立てるための
手段であったことが、お分かりいただけるかと思います。
清少納言は「枕草子」で、鶯は2例、ホトトギスは16例取り上げて
いて、彼女のホトトギス贔屓は、この数字からも明らかですが、
「万葉集」や「古今集」に詠まれている数を見ても、圧倒的に
ホトトギスが多いのです。清少納言のみならず、古来、日本人は、
ホトトギスの姿を見せない奥ゆかしさや、短期間しか鳴かない
引き際のよさに、魅せられて来たようです。

鶯 ホトトギス
今日の「枕草子」は、第35段「池は」から、第38段「鳥は」まで、
すべて「類聚章段」を読みました。
この中で、作者が最も力を注いで書いているのが、「鳥は」の
段の「鶯」と「ホトトギス」についてです。
皆さまなら、「鶯」と「ホトトギス」、どちらに軍配をお上げに
なりますか?
清少納言は何といってもホトトギス派です。
紙面は、鶯のほうにホトトギスの3倍位割いているのですが、
それは、ホトトギスに比べて鶯はこんなところがダメなのよねぇ、
と、鶯をけなすために筆を費やしたからなのです。
先ずは、鶯が、漢詩などにも「めでたきもの」(素晴らしい鳥)
として詠まれ、姿、形もあんなに上品で可愛いのに、と美点を
挙げた上で、
①宮中では全く鳴かず、賤しい家の見所も無い梅の木で鳴く
⇨価値観が分かっていない鳥、ということになる
②夜鳴かない⇨眠たがり屋のようでみっともない
③鶯は春の鳥なのに、夏・秋の終わりまで、老い声になっても鳴く
⇨引き際を心得ていない
と、欠点をあげつらうのですが、これは、やはり鶯が、雀や鳶や烏など
とは違う、普通の鳥ではないだけに、期待度も高くなってしまうからで、
だからこそ、晩節を汚すようなことはして欲しくない、というのが、
清少納言流の考え方なのですよね。
一方のホトトギスは、「なほさらにいふべきかたなし」(今更、何にも
言うことなんかないほど、素晴らしいわ)と最初に言っておいて、
声は聞こえても、まともには姿を見せず、「チラ見せ」なところが、
口惜しいほどの心がけだ、と褒めます。
夜中に起きて初音を聞きたいと心待ちにしていると、期待に応えて
鳴きだした声が、洗練されていて、魅力たっぷりで、もう魂まで
その声に惹かれて彷徨い出てしまうくらい、と続きます。
ホトトギスは夏の鳥だけど、鳴くのは5月だけで、6月になれば、
ピタッと鳴くのを止めてしまう。その潔さが何とも言えず、
「すべていふもおろかなり」(何もかも、口にするだけ野暮って
ものよ)と、結んでいます。
これで、先に鶯を非難したのが、ホトトギスを引き立てるための
手段であったことが、お分かりいただけるかと思います。
清少納言は「枕草子」で、鶯は2例、ホトトギスは16例取り上げて
いて、彼女のホトトギス贔屓は、この数字からも明らかですが、
「万葉集」や「古今集」に詠まれている数を見ても、圧倒的に
ホトトギスが多いのです。清少納言のみならず、古来、日本人は、
ホトトギスの姿を見せない奥ゆかしさや、短期間しか鳴かない
引き際のよさに、魅せられて来たようです。


鶯 ホトトギス
それぞれの興味ー冷泉院と薫ー
2017年7月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算191回 統合45回)
もうずっと梅雨が明けたかのような猛暑の日が続いて来たので、今更感も
あるのですが、本日梅雨明け宣言が出されました。これからが夏本番かと
思うと、本当に今年は長くて暑い夏となりそうです。
湘南台クラスは、宇治十帖の最初の巻「橋姫」に入って2回目、薫は宇治の
八の宮の存在を知り、宇治に通い始め、敬愛の念を抱きつつ、親交を深めて
まいります。そうして、足掛け三年の月日が流れた晩秋のこと、たまたま薫は、
八の宮が山寺に籠ってご不在の折に宇治を訪れてしまいました。ケータイで
連絡を取り合う今では、こんな設定、ありえませんね。
次回は、あの「国宝源氏物語絵巻」でよく知られている、薫が二人の姫君を
初めて垣間見る場面から入ることになります。
そもそも、薫が宇治の八の宮という方に興味を覚えたのは、宇治山の阿闍梨
が、冷泉院のもとに立ち寄った際、京から宇治に移り住み、俗聖(出家はせず
俗体のまま、仏道修行に励んでいる人)と呼ばれるようなお方がおられる話を
しているのを、傍で耳に挟んだからでした。
聞けば、八の宮が出家できずにいらっしゃるのは、二人の姫君のことがご心配
なためで、心は悟りすましておられるとのこと。若くして厭世観に捉われている
薫は、この宮様にぜひお目にかかりたいと思い、阿闍梨に仲介の労を取って
くださるよう、ご依頼になったのです。
一方、冷泉院が阿闍梨の話を聞いて興味を示されたのは、姫君たちのことでした。
八の宮の亡き後、姫君たちを弟である自分にお預け頂けないものだろうか、と
おっしゃいます。これは朱雀院が、女三宮を弟の源氏に託されたことを思い出された
からでした。
冷泉院は49歳、薫は20歳、姫君たちは大君が22歳、中の君が20歳です。
既に老人の域に達している冷泉院の興味の対象が若い姫君たちであるのに対し、
まだこれから官位も上がり、栄達に向かう年頃である薫が、「仏法の友」として
八の宮を求めているのが、面白いところです。
「つれづれなる遊びがたき」(所在なさを慰める遊び相手)が欲しい冷泉院と、
「世の中をばいとすさまじう思ひ知り」(この世は本当につまらぬものだ、と
よくわかっていて)の薫では、年齢的に見ると、求めるところが普通とは逆転
していても、不思議ではなかったのかもしれません。
もうずっと梅雨が明けたかのような猛暑の日が続いて来たので、今更感も
あるのですが、本日梅雨明け宣言が出されました。これからが夏本番かと
思うと、本当に今年は長くて暑い夏となりそうです。
湘南台クラスは、宇治十帖の最初の巻「橋姫」に入って2回目、薫は宇治の
八の宮の存在を知り、宇治に通い始め、敬愛の念を抱きつつ、親交を深めて
まいります。そうして、足掛け三年の月日が流れた晩秋のこと、たまたま薫は、
八の宮が山寺に籠ってご不在の折に宇治を訪れてしまいました。ケータイで
連絡を取り合う今では、こんな設定、ありえませんね。
次回は、あの「国宝源氏物語絵巻」でよく知られている、薫が二人の姫君を
初めて垣間見る場面から入ることになります。
そもそも、薫が宇治の八の宮という方に興味を覚えたのは、宇治山の阿闍梨
が、冷泉院のもとに立ち寄った際、京から宇治に移り住み、俗聖(出家はせず
俗体のまま、仏道修行に励んでいる人)と呼ばれるようなお方がおられる話を
しているのを、傍で耳に挟んだからでした。
聞けば、八の宮が出家できずにいらっしゃるのは、二人の姫君のことがご心配
なためで、心は悟りすましておられるとのこと。若くして厭世観に捉われている
薫は、この宮様にぜひお目にかかりたいと思い、阿闍梨に仲介の労を取って
くださるよう、ご依頼になったのです。
一方、冷泉院が阿闍梨の話を聞いて興味を示されたのは、姫君たちのことでした。
八の宮の亡き後、姫君たちを弟である自分にお預け頂けないものだろうか、と
おっしゃいます。これは朱雀院が、女三宮を弟の源氏に託されたことを思い出された
からでした。
冷泉院は49歳、薫は20歳、姫君たちは大君が22歳、中の君が20歳です。
既に老人の域に達している冷泉院の興味の対象が若い姫君たちであるのに対し、
まだこれから官位も上がり、栄達に向かう年頃である薫が、「仏法の友」として
八の宮を求めているのが、面白いところです。
「つれづれなる遊びがたき」(所在なさを慰める遊び相手)が欲しい冷泉院と、
「世の中をばいとすさまじう思ひ知り」(この世は本当につまらぬものだ、と
よくわかっていて)の薫では、年齢的に見ると、求めるところが普通とは逆転
していても、不思議ではなかったのかもしれません。
「若菜下」のクライマックス(1)
2017年7月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第109回)
今回講読した辺りが、「若菜下」の巻のクライマックスとなりますが、
私は、ここは「源氏物語」全体の中でもクライマックスと呼べる場面
だと思っています。何度読んでもドキドキ、ハラハラ。
全く望んでもいなかった柏木との密通の結果、女三の宮には、
柏木の子を身ごもってしまうという残酷な現実が待っていました。
女三宮がすっかり体調を崩しておられるとお聞きになり、源氏は
六条院の女三宮のもとを訪れます。女房から宮の懐妊を知らされても、
源氏にはにわかに信じ難いことでしたが、密通の事実を知らない源氏は、
お腹の子の父親が柏木だなどとは思いも寄りません。
源氏が六条院へいらしているということを聞くと、柏木は身の程知らずな
料簡違いを起こして、女三宮のもとに手紙を寄越しました。受け取った
小侍従も浅はかなところがある女房なので、これを源氏が席を外して
おられる時に女三宮にお見せします。女三宮がすぐにも見ようとなさらない
うちに、他の女房がやって来たので、小侍従は手紙をその場に残して
立ち去ります。
女三宮が困惑しているところに、源氏が戻って来られたので、女三宮は
慌てて手紙を御茵(座布団)の下に挟み込んだのでした。
夜も近づき、源氏が二条院へお帰りになろうとして、女三宮にご挨拶を
なさっても女三宮は源氏とまともに目を合わそうともなさいません。
それを源氏は拗ねているのだと勘違いして、しばらくお話になっている
うちに、うとうとなさり、蜩の声にハッとして、「さらば、道たどたどしからぬ
ほどに」(それでは、道が暗くてわかり難くならないうちに)と言って、
出て行こうとなさいます。女三宮は「月待ちて、とも言ふなるものを」
(月を待って、とも言うではありませんか)と、返します。
これは「夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわがせこその間にも見む」
(夕暮れは暗くて道もたどたどしいので、月が出て明るくなるのを待って
からお帰りになって、あなた。その間だけでも私はあなたを見ておりましょう)
という、同一の和歌を引いた会話でした。これまでの女三宮には見られ
なかった反応に、源氏は愛しさを覚え、結局この夜は女三宮のところに
お泊りになりました。
ちゃんと手紙も隠しおおせていないことを思えば、源氏には一刻も早く
お帰りになって頂かなくてはならないところですが、逆に源氏を引き留めて
しまった女三宮。愚かと言えば愚かな言動ですが、これは不安でたまらなく、
誰かに(源氏しかいない)すがりたい思いでずっと過ごして来られたに違いない
女三宮にとっては、仕方のないことだったのかもしれません。しかもこの時、
彼女は手紙を御茵の下に挟んだことを忘れてしまっていたのです。
翌朝、何が起こったか。
もう長くなっていますし、24日にもう一度同じ所を読みますので、この先の
ことはそちらで書くことにいたします。
今回講読した辺りが、「若菜下」の巻のクライマックスとなりますが、
私は、ここは「源氏物語」全体の中でもクライマックスと呼べる場面
だと思っています。何度読んでもドキドキ、ハラハラ。
全く望んでもいなかった柏木との密通の結果、女三の宮には、
柏木の子を身ごもってしまうという残酷な現実が待っていました。
女三宮がすっかり体調を崩しておられるとお聞きになり、源氏は
六条院の女三宮のもとを訪れます。女房から宮の懐妊を知らされても、
源氏にはにわかに信じ難いことでしたが、密通の事実を知らない源氏は、
お腹の子の父親が柏木だなどとは思いも寄りません。
源氏が六条院へいらしているということを聞くと、柏木は身の程知らずな
料簡違いを起こして、女三宮のもとに手紙を寄越しました。受け取った
小侍従も浅はかなところがある女房なので、これを源氏が席を外して
おられる時に女三宮にお見せします。女三宮がすぐにも見ようとなさらない
うちに、他の女房がやって来たので、小侍従は手紙をその場に残して
立ち去ります。
女三宮が困惑しているところに、源氏が戻って来られたので、女三宮は
慌てて手紙を御茵(座布団)の下に挟み込んだのでした。
夜も近づき、源氏が二条院へお帰りになろうとして、女三宮にご挨拶を
なさっても女三宮は源氏とまともに目を合わそうともなさいません。
それを源氏は拗ねているのだと勘違いして、しばらくお話になっている
うちに、うとうとなさり、蜩の声にハッとして、「さらば、道たどたどしからぬ
ほどに」(それでは、道が暗くてわかり難くならないうちに)と言って、
出て行こうとなさいます。女三宮は「月待ちて、とも言ふなるものを」
(月を待って、とも言うではありませんか)と、返します。
これは「夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわがせこその間にも見む」
(夕暮れは暗くて道もたどたどしいので、月が出て明るくなるのを待って
からお帰りになって、あなた。その間だけでも私はあなたを見ておりましょう)
という、同一の和歌を引いた会話でした。これまでの女三宮には見られ
なかった反応に、源氏は愛しさを覚え、結局この夜は女三宮のところに
お泊りになりました。
ちゃんと手紙も隠しおおせていないことを思えば、源氏には一刻も早く
お帰りになって頂かなくてはならないところですが、逆に源氏を引き留めて
しまった女三宮。愚かと言えば愚かな言動ですが、これは不安でたまらなく、
誰かに(源氏しかいない)すがりたい思いでずっと過ごして来られたに違いない
女三宮にとっては、仕方のないことだったのかもしれません。しかもこの時、
彼女は手紙を御茵の下に挟んだことを忘れてしまっていたのです。
翌朝、何が起こったか。
もう長くなっていますし、24日にもう一度同じ所を読みますので、この先の
ことはそちらで書くことにいたします。
昔の銀座、今何処
2017年7月13日(木)
このブログでも度々ご紹介している、旧職場の講師仲間の集まりですが、
前回(3月)は幹事を務めさせていただきましたが、今回はお気楽参加で、
しかも、ここ数年ご無沙汰の銀座とあって、わくわく感いっぱいで出かけ
ました。
今日の会場は銀座・コアビル9Fの加賀料理「大志満」。コアビルは地下で
駅から繋がっているので、膝のためにも駅の階段を上らずに済み、助かり
ました。
9Fのワンフロアのすべてが「大志満」なので、ここにはゆったりとした大人の
空間が広がっていました。
参加者8名、運ばれて来る上品な加賀料理に舌鼓を打ちながら、お話も弾み、
気がつけば、同じ部屋の4つのテーブルの内、残っていたのは我々だけでした。
お料理の写真も忘れずに取りました。どのお料理も綺麗でしたが、このお店の
名物料理「治部椀」と、食後の珍しい「いちじくのゼリー寄せ」の写真をUPします。

加賀の郷土料理「治部椀」 さっぱりと美味しい「いちじくのゼリー寄せ」
何しろ数年ぶりの銀座です。昔は少なくとも月に一回は訪れていたと思う
のですが、多摩川も滅多に越えなくなった昨今、出て来たからには、噂の
「GINZA SIX」なるものも、覗いてみたいではありませんか。
コアビルとは目と鼻の先の「GINZA SIX」。その間の道路にも、人、人、人。
昔、私が頻繁に銀座に通っていた頃、平日の昼下がり(しかも、こんな猛暑の中)、
歩いている人はまばらだったのに、いったいいつの間に、銀座は人で溢れかえる
街になったのかしら?若い人が多い。外国人も多い。服装なども、み~んな軽い!
渋谷や新宿の駅前と変わりありません。あのちょっと「こころげさう」(気どり・緊張感)
をして、「銀ブラ」(もう死語かな?)を楽しんだ銀座は今何処?
「GINZA SIX」は、地下3Fに能楽堂もあるので、こちらには一度行ってみたい気が
します。
高~い吹き抜けの天井から、草間彌生氏作のかぼちゃをモチーフにしたバルーンが
掛けられたインスタレーションに目を惹かれながら、エスカレーターで上下してみました
が、予め、目的を定めておかない限り、どこのお店を見たらよいのかもわからず、逆に
言うと、「あっ、ここ入ってみたい」というお店には行き当たりませんでした。
「GINZA SIX」にも、人は大勢いたのですが、お店に入って買い物をしている人が
殆どいないのがちょっと気になりながら、銀座という街の変貌の象徴のような
ショッピングモールをあとにしました。

草間彌生氏制作によるインスタレーション
このブログでも度々ご紹介している、旧職場の講師仲間の集まりですが、
前回(3月)は幹事を務めさせていただきましたが、今回はお気楽参加で、
しかも、ここ数年ご無沙汰の銀座とあって、わくわく感いっぱいで出かけ
ました。
今日の会場は銀座・コアビル9Fの加賀料理「大志満」。コアビルは地下で
駅から繋がっているので、膝のためにも駅の階段を上らずに済み、助かり
ました。
9Fのワンフロアのすべてが「大志満」なので、ここにはゆったりとした大人の
空間が広がっていました。
参加者8名、運ばれて来る上品な加賀料理に舌鼓を打ちながら、お話も弾み、
気がつけば、同じ部屋の4つのテーブルの内、残っていたのは我々だけでした。
お料理の写真も忘れずに取りました。どのお料理も綺麗でしたが、このお店の
名物料理「治部椀」と、食後の珍しい「いちじくのゼリー寄せ」の写真をUPします。


加賀の郷土料理「治部椀」 さっぱりと美味しい「いちじくのゼリー寄せ」
何しろ数年ぶりの銀座です。昔は少なくとも月に一回は訪れていたと思う
のですが、多摩川も滅多に越えなくなった昨今、出て来たからには、噂の
「GINZA SIX」なるものも、覗いてみたいではありませんか。
コアビルとは目と鼻の先の「GINZA SIX」。その間の道路にも、人、人、人。
昔、私が頻繁に銀座に通っていた頃、平日の昼下がり(しかも、こんな猛暑の中)、
歩いている人はまばらだったのに、いったいいつの間に、銀座は人で溢れかえる
街になったのかしら?若い人が多い。外国人も多い。服装なども、み~んな軽い!
渋谷や新宿の駅前と変わりありません。あのちょっと「こころげさう」(気どり・緊張感)
をして、「銀ブラ」(もう死語かな?)を楽しんだ銀座は今何処?
「GINZA SIX」は、地下3Fに能楽堂もあるので、こちらには一度行ってみたい気が
します。
高~い吹き抜けの天井から、草間彌生氏作のかぼちゃをモチーフにしたバルーンが
掛けられたインスタレーションに目を惹かれながら、エスカレーターで上下してみました
が、予め、目的を定めておかない限り、どこのお店を見たらよいのかもわからず、逆に
言うと、「あっ、ここ入ってみたい」というお店には行き当たりませんでした。
「GINZA SIX」にも、人は大勢いたのですが、お店に入って買い物をしている人が
殆どいないのがちょっと気になりながら、銀座という街の変貌の象徴のような
ショッピングモールをあとにしました。

草間彌生氏制作によるインスタレーション
六条わたりの女君
2017年7月10日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第16回・№2)
今このブログを書こうとして「カテゴリ」を見ましたら、「源氏物語の講読会」が
(200)になっていました。これが201回目の記録ということになります。
「塵も積もれば」とは良く言ったものです。
溝の口の「紫の会」は、第4帖「夕顔」に入って2回めの講読会となりました。
今日は前半で、源氏がまだ空蝉を忘れられずにいることや、六条辺りに
お忍びで通っておられる女君とのことが書かれている部分を読み、後半で、
いよいよ夕顔のもとに通うようになった源氏が、一途に夕顔にのめり込んで
行く様子が書かれているところを読みました。
ここではまだ六条辺りに住む女君が誰であるかは、明かされていませんが、
のちの話の伏線となる、六条御息所の性格や、源氏との関係が述べられて
いますので、ご紹介しておきましょう。
「六条わたりにも、とけがたかりし御けしきをおもむききこえたまひてのち、
ひきかへしなのめならむはいとほしかし、されどよそなりし御心まどひの
やうに、あながちなることはなきも、いかなることにかと見えたり。」
(六条辺りの女君についても、なかなかご承知にはならないご様子だった
のを、ご自分の思い通りになさってからは、源氏の君のお扱いは打って
変わって通り一遍になってしまわれたのは、何ともおいたわしいことで
ございます。けれども、他人でいらした頃の、おかしくなられたのでは
ないかと思われるほど、どんなことをしてでも、という強引さが、源氏の君
からすっかり失せてしまっているのも、どうしたことかと、窺えました。)
つまり、源氏は六条御息所を自分のものにするまでは、遮二無二情熱を
傾けたのですが、結ばれてしまってからは、却ってこの女君のプライドの
高さや神経質さに、鬱陶しさを感じるようになってしまっていたのです。
「女は、いとものをあまりなるまでおぼししめたる御心ざまにて、齢のほども
似げなく、人の漏り聞かむに、いとどかくつらき御夜がれの寝覚め寝覚め、
おぼししをるること、いとさまざまなり。」(この女君は、何事も度を越すほど
深く思い詰めなさるご性分で、源氏とは年齢も釣り合わないし、世間の人の
噂になったらと思うと、いっそう辛いこのような夜離れの中で、始終目を覚ま
されては、悩んでふさぎ込まれることが、あれこれとございました。)
この女性が、前坊(東宮のまま亡くなってしまわれた方・桐壺帝の弟)妃で、
六条御息所として登場するのは、もう少しあとの第9帖「葵」まで待つことに
なりますが、この「過度に物事を思い詰める性格」、「亡き東宮の妃であった
というプライド」は、ここでしっかり頭に入れておきたいと思います。
そんな性格の女性ですから、源氏よりも自分が7歳も年上であること、世間の
噂になった挙句、源氏に飽きられて捨てられるのではないか、という恐れに、
源氏の訪れが途絶えがちな夜は、眠れずに思い悩むことになるのです。
この人との話がこれだけで終わるはずはない、という予感を抱かせたまま、
源氏が夕顔との愛に耽溺して行く姿が語られ始めます。そこは木曜クラス
(27日)のほうで。
今回は、試しに、先に本日の講読箇所の全文訳(前半部分)をUPしました。
詳しくお読みになりたい方は、下の「第四帖「夕顔」の全文訳(3)」を
ご覧ください。
今このブログを書こうとして「カテゴリ」を見ましたら、「源氏物語の講読会」が
(200)になっていました。これが201回目の記録ということになります。
「塵も積もれば」とは良く言ったものです。
溝の口の「紫の会」は、第4帖「夕顔」に入って2回めの講読会となりました。
今日は前半で、源氏がまだ空蝉を忘れられずにいることや、六条辺りに
お忍びで通っておられる女君とのことが書かれている部分を読み、後半で、
いよいよ夕顔のもとに通うようになった源氏が、一途に夕顔にのめり込んで
行く様子が書かれているところを読みました。
ここではまだ六条辺りに住む女君が誰であるかは、明かされていませんが、
のちの話の伏線となる、六条御息所の性格や、源氏との関係が述べられて
いますので、ご紹介しておきましょう。
「六条わたりにも、とけがたかりし御けしきをおもむききこえたまひてのち、
ひきかへしなのめならむはいとほしかし、されどよそなりし御心まどひの
やうに、あながちなることはなきも、いかなることにかと見えたり。」
(六条辺りの女君についても、なかなかご承知にはならないご様子だった
のを、ご自分の思い通りになさってからは、源氏の君のお扱いは打って
変わって通り一遍になってしまわれたのは、何ともおいたわしいことで
ございます。けれども、他人でいらした頃の、おかしくなられたのでは
ないかと思われるほど、どんなことをしてでも、という強引さが、源氏の君
からすっかり失せてしまっているのも、どうしたことかと、窺えました。)
つまり、源氏は六条御息所を自分のものにするまでは、遮二無二情熱を
傾けたのですが、結ばれてしまってからは、却ってこの女君のプライドの
高さや神経質さに、鬱陶しさを感じるようになってしまっていたのです。
「女は、いとものをあまりなるまでおぼししめたる御心ざまにて、齢のほども
似げなく、人の漏り聞かむに、いとどかくつらき御夜がれの寝覚め寝覚め、
おぼししをるること、いとさまざまなり。」(この女君は、何事も度を越すほど
深く思い詰めなさるご性分で、源氏とは年齢も釣り合わないし、世間の人の
噂になったらと思うと、いっそう辛いこのような夜離れの中で、始終目を覚ま
されては、悩んでふさぎ込まれることが、あれこれとございました。)
この女性が、前坊(東宮のまま亡くなってしまわれた方・桐壺帝の弟)妃で、
六条御息所として登場するのは、もう少しあとの第9帖「葵」まで待つことに
なりますが、この「過度に物事を思い詰める性格」、「亡き東宮の妃であった
というプライド」は、ここでしっかり頭に入れておきたいと思います。
そんな性格の女性ですから、源氏よりも自分が7歳も年上であること、世間の
噂になった挙句、源氏に飽きられて捨てられるのではないか、という恐れに、
源氏の訪れが途絶えがちな夜は、眠れずに思い悩むことになるのです。
この人との話がこれだけで終わるはずはない、という予感を抱かせたまま、
源氏が夕顔との愛に耽溺して行く姿が語られ始めます。そこは木曜クラス
(27日)のほうで。
今回は、試しに、先に本日の講読箇所の全文訳(前半部分)をUPしました。
詳しくお読みになりたい方は、下の「第四帖「夕顔」の全文訳(3)」を
ご覧ください。
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