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「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」

2017年8月9日(水)

暦の上ではすでに秋を迎えていますが、今日は今年一番の
猛暑を記録。気温が体温と同じになると、ムワーッと熱気が
漂う中にいるようで、いやはや暑い一日でした。

でも、電車や建物の中は、ややもすれば冷房が効き過ぎて、
足元に来る冷気を防ぐため、膝にストールを掛けました。
この外と内との温度差も堪えるのですよね。

と言いつつ、先日(7/30)に続き、同じ友人とバレエドキュメンタリー
映画「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」を、渋谷の文化村にある
「ル・シネマ」で楽しんでまいりました。このところ、ちょっとバレエ
づいています。

私たちは時折、「ル・シネマ」に、この手の映画を見に行くのですが、
だいたいコースは決まっていて、「ル・シネマ」のロビーで待ち合わせ、
先ず映画のチケットをゲット。それから長~いエスカレーターで昇って、
東急本店のレストラン街にある「タントタント」でランチをします。
ここのパスタには今まで一度も外れがありません。今日も
「本ズワイ蟹とフレッシュトマトのパスタ」は、美味しかったですョ。

映画の開始時間まで、レストランでひとしきりおしゃべりしてから、
また長~いエスカレーターで降りて、いざ映画へ、となります。

今回の映画は題名通りで、300年以上の歴史を持つ、世界屈指の
名門バレエ団「パリ・オペラ座」の夢を継ぐ者たちの姿を映し出した
ものでした。

あの伝説のダンサー、ヌレエフから直接指導を受けた最後の世代
だという元エトワールのアニエス・ルテステュ(この人の名前は言い
難いです)が、自らの使命として、後進に伝えようとしていることを
中心に、今を時めく花形エトワール、マチュー・ガニオの過酷な
練習風景なども紹介され、あの華やかな舞台の蔭で、ダンサーの
一人一人が、どれほどたゆまぬ努力をしているのか、ということも
よく理解できる映画でした。

7月30日の舞台で見たばかりのオニール八菜さんの舞台練習に
臨んでいる素顔が、舞台化粧をした時よりもずっと可愛らしくて、
ああ、やっぱりまだ若いんだなぁ、と思いました。次の夢を継ぐ
世代なのですね。

そして、オペラ座バレエ学校の生徒たちが、その舞台練習を
憧れの眼差しで見ている姿も印象的でした。この子供たちの
中に、また未来の夢を継ぐ者たちがいて、パリ・オペラ座の夢は、
この先もずっと受け継がれて行くことになるのでしょう。

バレエファンの方には、お薦めの映画です。


今月の光琳かるた

2017年8月5日(土)

六月の小野篁の歌と同じ「わたの原」で始まるのが、この歌です。
孫が「わたの原」続きで覚えたというので、下の句に描かれた絵も
海の青が季節にマッチしていますし、今月の歌に選びました。

「わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波」
              七十六番 法性寺入道前関白太政大臣
    DSCF3047.jpg
(大海原に船を漕ぎ出してみると、空の雲と見間違えるかのような
沖の白波であることよ)

この歌は、もちろん篁の歌を意識して詠まれていると思われますが、
篁のような歴史的背景を持つわけでもなく、大海原の雄大な眺望を
叙景歌として詠み上げたものです。

作者は、「法性寺入道前関白太政大臣」と、「百人一首」中、最も長い
名称ですが、本名は「藤原忠通」といい、世が貴族社会から武家社会
へと向かおうとしている時代の転換期に「関白太政大臣」の位にあった
人で、晩年、法性寺で出家したので、このように呼ばれています。

因みに、「忠通」という名の名付け親は、2015年3月30日の記事で
ご紹介した、大江匡房(七十三番の歌の作者)です。

「詞花和歌集」の詞書には、「新院位におはしましし時、海上ノ眺望と
いふことをよませ給ひけるによめる」とあります。新院とは崇徳院の
ことで、この歌が詠まれた時はまだ天皇の位でいらして、のちに
「保元の乱」で敵味方となり、勝者(忠通)と敗者(崇徳院)となろうとは、
互いに思ってもいなかったであろう頃の作品です。

「保元の乱」は、天皇家と藤原氏が、共に骨肉の争いをしたことで
知られていますが、忠通は弟・頼長に勝って、氏長者の地位を
奪還しました。その際に、前の氏長者である頼長が罪人で、かつ
死亡していることを理由として、天皇の名において任命が行われ、
これまで続いてきた藤原氏による自律性は消失してしまいました。

やがて政治の中心は武家へと移り、藤原氏は嘗ての輝きを失った
ものの、忠通の直系子孫だけは、五摂家として、明治維新まで、
ほぼ摂政・関白職を独占し続けたのです。
   

心の中を開いて見せることができたなら・・・

2017年8月3日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第139回)

今日はこの時期としては、涼しく感じられる一日でした。
ここ数日30度を切る日が続いていて、梅雨の頃と、梅雨の明けて
からが、入れ替わってしまったような今年の夏です。去年は今頃が
一番の猛暑でしたね。

八王子クラスも「総角」の後半に入り、今回は大君が死に向かう
ターニングポイントとなる、匂宮の宇治への紅葉狩りの場面を
中心に読みました。

中の君と結ばれても、匂宮は次期東宮とも目されている人物なので、
臣下の薫のように自由に宇治へ行くことは叶いません。

そんな匂宮を見るに見かねた薫は、自分が仲を取り持った責任も感じて、
匂宮に紅葉狩りにかこつけた宇治行きを提案したのでした。

薫が手伝いの人の派遣から、供する料理の材料に至るまで、姫君たちが
恥ずかしくなく匂宮を迎えられるよう、援助を惜しまず、準備万端整えて
その日に備えさせなさったので、当然、大君も中の君も、匂宮のご来訪を
期待して待っておりました。

結果として、匂宮は中の君のもとを訪れることが出来ませんでした。
ごく内密にお出掛けになったつもりでしたが、母・明石中宮の耳に入り、
次々に身分ある人々が宇治へと遣わされ、匂宮は勝手な行動が取れなく
なってしまったのです。

でも、そのような事情を知らない大君は、こんなに近くまで来ながら素通りして
行かれた匂宮を、ひたすら恨み、男性不信に陥ってしまいます。

大君は、自分もこの先生きていたら、薫との結婚は避けられないかもしれない。
その挙句、中の君と同じ運命をたどることになって、あの姉妹は揃って貴人に
捨てられた、と、「人笑へ」(世間の物笑い)になることを恐れ、そんなことに
なったら、亡き両親の顔にまで泥を塗ることになってしまうので、そうならない
うちに、死んでしまいたい、と願うようになったのです。

物事を悪いほうへ悪いほうへと考えてしまう大君ですが、実は匂宮の心の内は、
大君が想像しているものとは全く異なっておりました。

夕霧の娘婿に望まれていることを思うと、大っぴらに中の君を京に迎えるのは
憚られるのですが、かと言って、安易に母・中宮や、姉・女一宮の女房として
仕えさせる気持ちはさらさらありません。それでは中の君は「召人〈めしうど〉」
(お手つきの女房)待遇になってしまいます。匂宮は中の君に対しては、
「もし世の中うつりて、帝后のおぼしおきつるままにもおはしまさば、人より
高きさまにこそなさめ」(もし、御代替わりがあって、帝や中宮がお心積もり
なさっている通り、自分が東宮になったならば、将来即位の暁には、中の君を
誰よりも高い位につけてあげよう)、つまり、ゆくゆくは中宮にして差し上げよう、
との気持ちをお持ちだったのです。

この匂宮の思いが大君に伝わっていたなら、事態は別の方向に向かって
いたのではないでしょうか。でも、この一文は、そこまで物語は書かれて
いませんが、将来の中の君の姿を暗示しているような気もするのです。


ちょっとだけ古典文法(14)

2017年8月1日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(統合67回 通算117回)

今日から8月ですが、大荒れの幕開けとなりました。

お昼過ぎに家を出た時は、まだ雨は降っておらず、高座渋谷に着いた時は
降り出してはいましたが、屋根伝いに数メートル歩けば、もう学習センター
ですので、傘は使いませんでした。

講読会を始めてしばらくすると、辺りは真っ暗になり、稲光と共に、雷鳴が
とどろき、土砂降りという表現を通り越した雨の叩きつけているのが、窓越し
に見えます。「あっ、停電!」、おそらく落雷によるものでしょう。非常灯だけの
中では読み進めることは困難で、どうしようかしら、と思っていると、間もなく
電気は点きました。

普通は、夕立の後はすっきりと雨は上がるものですが、今日はそのまま
本降りになってしまいました。それでもまだ帰宅するまでは冠水している
所もなく、傘だけあれば充分だったのですが、それからしばらくすると、
とても外を歩ける状態ではなくなりました。近隣の市では避難命令が次々
発令される事態となって、これはもう、梅雨の期間に降った総雨量よりも、
今日一日の雨量のほうが多いのではないでしょうか。今(22:00)は、
雨も止んでいます。

長い「気象報告」になりましたが、「ちょっとだけ古典文法」の14回目です。

「る・らる」「す・さす・しむ」に続き、「未然形に付く助動詞」3回目の今回は、
「打消」の助動詞「ず」です。

助動詞で覚えなければならないのは、次の三点(「意味」・「活用型」・「接続」
でしたね。「ず」についても、この三点を見てまいりましょう。

★覚えることその①⇨「意味」「打消」(~ない ~ぬ)という意味で、現代語では、
 一般的に「否定」と言いますが、古文においては「打消」と言います。

★覚えることその②⇨「活用型」「特殊型」
 「ず」という助動詞の覚えなければならない三点の中で、一番面倒なのは、
 この「活用型」です。「特殊型」とは、文字通り、用言の活用を応用することが
 出来ない特殊な活用をする、ということです。ですから、「特殊型」の活用は、
 そのまま暗記してしまうしかありません。

 語   未然形  連用形  終止形  連体形  已然形  命令形   活用型
       ず     ず     ず     ぬ     ね     ○
 ず                                           特殊型
      ざら    ざり     ○    ざる    ざれ    ざれ

⦿「ず・ざら  ず・ざり  ず  ぬ・ざる  ね・ざれ  ざれ」と覚えましょう。

⦿一般的には、「ず ず ず ぬ ね ○」のほうを「本活用」、
 「ざら ざり ○ ざる ざれ ざれ」のほうを「補助活用」と言います。
 「補助活用」は、「ず」の直後に助動詞がある場合に用います。
漢文を訓読する際も、補助活用が多用されています。
 
 京には見え鳥なり。(京では見ない鳥である)
 淵瀬さらに変はらざりけり。(淵も浅瀬もまったく変わらないなあ)
 子何不行仁政。(子何ぞ仁政を行はざる。)

★覚えることその③⇨「接続」未然形に付く
 「ず」は、活用を持つ語の未然形に付きます。

「ず」は、助動詞の中でも使用頻度の高い助動詞です。特に連体形の「ぬ」は、
完了の助動詞「ぬ」の終止形との区別が必要になりますが、それは完了の助動詞
「ぬ」のほうで説明したいと思います。

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「源氏物語」の講読は、「若菜上」の2回目、朱雀院が、ご自分が出家なさるにあたり、
一番気掛かりな、女三の宮の婿選びを始められたところを読みました。

朱雀院の御子は一男四女の五人です。男御子は東宮となり、源氏の娘・明石の姫君
が入内なさっています。四人の女宮のうち、他の三人には母君という後見人がついて
いらっしゃるのですが、女三の宮の母・藤壺の女御は、すでに他界なさっていました。

この藤壺の女御は、先帝の御子ですが、更衣腹で、源氏姓を賜って臣籍降下なさった
方でした。ですから、紫の上の父・式部卿の宮や、源氏の永遠の女性・藤壺の宮と、
異腹の兄妹、ということになります。

朱雀院が東宮時代に入内され、中宮になられても不思議ではないお方でしたが、
朧月夜の勢いに圧されて、女三の宮一人を残し、入内した甲斐もないまま亡くなって
しまわれたので、朱雀院には藤壺の女御に対する申し訳なさも加わって、いっそう
女三の宮を溺愛なさっていたのです。

皇女は独身を通す、というのが前提であった時代、それでも父・朱雀院や、
女三の宮の乳母は、この先、朱雀院に替わって女三宮を庇護してくれる後見人が
不可欠と考えて、女三の宮をしかるべき男性のもとに降嫁させようとしています。
これは、そうしなければ、女三の宮が自立してやって行ける女性ではない、と
いうことを意味するものです。でも、この女三の宮の頼りなさが、七年余りの後、
六条院の内部崩壊の要因となろうとは、まだ誰も思ってもみないことでした。


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