高校部活の同期会 in 「三島」
昨年の10月16日のブログにも書きましたが、年に一度、高校部活の
同期会が、幹事回り持ちで行われており、今年は私にその順番が
廻って来ました。
初めてのことながら、新幹線に乗ってちょっと小旅行気分、というのも
悪くないかな?と思い、当初は世界遺産に登録された「韮山反射炉」と、
昼食に三島の「鰻」をセットしてご案内をしましたが、直後の8月12日に、
「アド街ック天国」というテレビ番組で三島が取り上げられ、それをご覧に
なったお一人から、「三島だけでもいっぱい見所がありそうだから今回は
韮山反射炉は止めて三島巡りにしませんか」とのご提案があり、賛成の
手を挙げる方もおられたので、「三島市内名所巡り」に変更しました。
三島在住の私の姉からも、あれこれと情報を貰って、絶好の行楽日和に
恵まれた今日、かなり欲張りな「三島ツアー」を楽しんできました。

11時30分、三島駅からスタートです
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国の天然記念物及び名勝に指定されている「楽寿園」
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綺麗な水の流れる「源兵衛川」
せせらぎの中を歩いて進みます
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12時30分、美味しそうな鰻重を前に思わず笑顔!
創業安政三年の「桜家」は、行列の絶え間のない
「鰻」の名店です
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「桜家」のお隣は洋菓子の老舗「ララ」
一番人気のベビーシューを姉が「あとでおやつに」と
差し入れてくれました
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三島の名所と言えばやはり「三嶋大社」
「アド街ック天国」でも堂々の一位だったそうです
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「三嶋暦師の館」。ここは三島観光の穴場かも!
ボランティアの方の丁寧な説明で、展示品への興味も倍増!
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本日最後の目的地「三島スカイウォーク」
日本最長400mの揺れる大吊橋を渡りました
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渡り切って、先程のベビーシューを「いただきま~す」
最後の写真はこれ、「スカイウォーク」から望んだ富士山

♪頭を雲の上に出しスカイウォークを見下ろして♪
本日ご参加下さった皆さま、お疲れさまでした!!
惟光の機転
朝方はものすごい雨で案じられましたが、午前中に止んで、
傘は使わずに済みました。夜になってまた降り出しましたが、
今はそれも止み、虫の声が聞こえています。でも夜風はもう
冷たくて、窓を開けたままではいられません。
このクラスも、9/11のクラスと同じ、夕顔が怪死をするサスペンス
のクライマックスシーンを中心に読みました。
夢枕に立った美しい女の恨み言にハッと目覚めた源氏でしたが、
辺りの灯は消えてしまっており、ようやく届いた紙燭で照らすと、
夕顔の枕元に、先程の夢に現れた女の姿が幻に見えて、ふっと
消えたのでした。夕顔はすでに死んでおり、身体も次第に冷たく
なって行くので、源氏は動転します。今にも魔性の物が襲って来る
ような気配が漂う中で、ひたすら惟光が早く来てくれないかと、待ち
わびて夜を明かすしかありませんでした。
明け方になってようやく惟光がやってまいりました。源氏はそれまで
耐えていた緊張感が、惟光の顔を見たことでふっと緩み、わぁーっと、
泣き出してしまいます。この実に上手く人の心理を捉えた表現には
唸らされますね。
惟光とて、源氏と同じ17歳の青年。思いも寄らない突然の出来事を
突き付けられて戸惑いますが、そこはさすがにお坊ちゃまの源氏とは
違います。この事件を何とか秘密裏に収めて、源氏の名誉を守ろうと
知恵を巡らします。先ず、この廃院の管理人に知られては拙い、と
判断し、夕顔の亡骸をどこへ移そうか、思案をするのでした。
あの五条の宿に戻ったら、それこそ大騒ぎになって、世間に知れ渡って
しまいます。山寺のような所、と考えているうちに、尼になって東山に
住んでいる、自分の父親の乳母のところがよかろう、と思いつきました。
夜が明けて人々が動き出しているのに紛れて、夕顔の遺体を上蓆
(薄い敷布団のようなもの)にくるんで、横付けした牛車に右近を同乗
させて、源氏には早く二条院へ戻って頂くために馬を与え、自分は
徒歩で、牛車に付き従って東山へと向かったのでした。
こうして、源氏が「どんなに隠したところで、前代未聞のこの事件は、
世間に知れて、人は面白がって噂するだろうし、京童べの口の端に
もてあそばれた挙句、馬鹿なやつ、との汚名を着ることになろう」と
気に病んでいたにもかかわらず、惟光の機転一つにより、どこにも
誰にも知られることなく、夕顔の怪死は闇の中に葬られたのです。
詳しくは、この下に書きました全文訳をご覧頂ければ、と存じます。
第四帖「夕顔」の全文訳(8)
本日講読しました第四帖「夕顔」(150頁・1行目~160頁・3行目)の
後半部分(154頁・13行目~160頁・3行目まで)の全文訳です。
前半は9/11(月)の全文訳をご覧ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
ようやく惟光が参りました。夜中であろうが明け方であろうが、源氏の君の
ご意向のままに動く者が、今夜に限ってお側にお仕えしておらず、お呼びに
対してまでも遅れたのを、源氏の君は「けしからん」とお思いになるものの、
中に召し入れて、これからお話なさろうとすることがどうしようもないこと
だけに、とっさには言葉も出てまいりません。右近は惟光の様子が聞こえて
来たことで、始めからのことが思い出されて泣くので、源氏の君も耐え切れなく
なって、これまで、ご自分一人が気丈に振舞って、夕顔を抱きかかえておられ
ましたが、惟光の顔をご覧になってほっとなさり、悲しみがこみ上げて来られた
のでした。しばらくの間、とてもひどくお泣きになっておられました。
だんだんと涙も収まって、「ここに、実に奇妙なことが起こったのだが、驚くの
何のと、言葉にもならないほどなのだ。このような急な出来事には、読経なども
依頼するものであろうから、その手配もさせよう。蘇生の願なども立てさせよう
と思って、阿闍梨に参上せよ、と言ってやったのだが」とおっしゃると、惟光は
「昨日比叡山へと帰山いたしました。それにしてもたいそう珍しいことが起こった
ものでございますね。このお方は以前から、ご気分のすぐれないことでもござい
ましたでしょうか。」と申しますので、「そんなこともなかった」と言ってお泣きに
なるご様子は、たいそう美しくも痛々しく、拝見している惟光もとても悲しくて、
自身もよよと泣いてしまいました。
何といっても、歳を取って、このようなことは世間にままあることだと、経験を
積んだ人なら、予期せぬことが起こった時には頼もしいものですが、源氏の君も
惟光も何分にも若い者同士で、どうして良いかわからないけれど、「この院の
管理人などに相談しては、とても拙いでしょう。管理人自身は内々に信用できる
としても、自然と口をすべらしてしまう身内もいることでしょう。先ずはこの院から
お出になってください」と惟光は言います。「でも、ここより人の少ない所がどこに
あろうか」と、源氏の君はおっしゃいます。「ほんにさようでございます。あの五条の
家は女房などが、悲しみに耐え切れず、泣き惑うでしょうから、近所が建て込んで
いて、聞き耳を立てる者も多うございましょうし、自然と噂も広まりましょうが、山寺
なら、やはり葬送などもありがちで、目立たず済ませることもできましょう」と、
惟光はあれこれ思案して、「昔知っていた女が尼になって住んでおります東山の
辺りに亡骸をお移しいたしましょう。私の父の乳母だった者が、すっかり年老いて
住んでおります。辺りは人が多いようですが、そこはひっそりとしております」と
申し上げ、すっかり明るくなる頃の騒がしさに紛れて、牛車を西の対に着けました。
源氏の君は、夕顔の亡骸をお抱きになれそうにもないので、上蓆にくるんで、
惟光が牛車にお乗せします。とても小柄で、死人の気味悪さもなく、可愛らしい
感じです。しっかりともくるめないので、髪がこぼれ出ているのも、源氏の君は
涙に目も見えず、言いようもなく悲しくお思いなので、最後まで見届けようと
お思いになりますが、惟光は「早く馬で二条院へお帰り下さいませ。人の往来が
激しくなりませんうちに」と言って、牛車には右近を付き添わせて乗せたので、
自分は徒歩で、馬は源氏の君に差し上げ、指貫の裾を括り上げなどして、
一方ではたいそう奇妙な、思いも掛けぬ野辺送りであるけれど、源氏の君の
ご様子がとてもお気の毒だと見受けられるので、我が身のことは顧みずに
出て行くので、源氏の君は何もお考えになることも出来ず、茫然自失の状態で
二条院にお着きになりました。
二条院の女房たちは、「どこからお帰りになったのやら。ご気分がお悪そうに
お見受けしますけど」などと言いますが、源氏の君は御帳台のなかにお入りに
なって、胸に手を当てて考えてみると、ひどく悲しいので、「どうして一緒に乗って
行かなかったのだろう。夕顔が生き返った時に、どんな気がするだろう、見捨てて
行ってしまったと、薄情に思うのではないか、と、気が動転しながらもお思いになる
と、胸が突き上げられるような心地がなさいます。頭も痛く、熱も出て来たようで、
大層苦しくどうしてよいかお分かりにならないので、自分も死んでしまうのだろう、
とお思いでした。
日が高くなっても起きて来られないので、女房たちが変に思って、ご飯などを
お勧めいたしますが、源氏の君は苦しくて、とても心細く思っておいでのところへ、
宮中からのお使いがやってまいりました。昨日、源氏の君を探し出せなかったので、
帝がご心配あそばしてのことでございました。左大臣家のご子息たちが参上さない
ましたが、源氏の君は頭中将にだけ、「立ったままで、こちらにお入りください」と
おっしゃって、御簾を下したままでおっしゃいます。
「私の乳母であります者が、この五月頃から、重病になっておりましたが、出家
しまして、そのご利益からか、回復していたのですが、近頃再発して、衰弱して
しまい、もう一度見舞ってくれと、と申すものですから、幼い時から馴染んだ者が、
今わの際に薄情だと思うのではないか、と思われて参りましたところ、その乳母の
家の下人で、病気だった者が、急なことで家から出るのも間に合わず亡くなって
しまいましたのを、私に遠慮して、日暮れを待って運び出したのを耳にしましたので、
神事も多くなる頃、まことに不都合なことと憚られまして、参内できずにおります。
この明け方から、風邪を引いたのでしょうか、頭がとても痛くて苦しうございますので、
大層失礼したままお話申し上げているのです」などとおっしゃいました。
頭中将は、「それでは、その旨を奏上いたしましょう。夕べも、管弦のお遊びをなさる
のに、帝はあなたを随分とお探しあそばして、ご機嫌が悪うございました」と申し上げ
なさって、引き返して「どんな穢れにお出会いになったことやら。あれこれとおっしゃる
ことが本当のこととは思えませんけどね」と言うと、源氏の君はどきりとなさって、
「こんなに詳しくではなくて、ただ思い掛けない穢れに触れた旨を奏上してください。
とても厄介な話です」と、さりげなくおっしゃいますが、源氏の君の心の中では、
取り返しのつかない悲しい出来事だと思われるにつけ、ご気分もすぐれないので、
誰とも顔をお合わせにはなりません。蔵人の弁をお呼び寄せになって、生真面目に
その旨を奏上させなさいます。左大臣家にもこうした事情でお伺い出来ないお手紙
を差し上げなさったのでした。
二つの「ことわり」
このクラスも、第2金曜日のクラス同様、本日で長大な「若菜下」を
読み終えました。ここまで来ると、「源氏物語」という高い高い山も、
頂上を征服した感がありますね。でも、登った山は下りて行かねば
なりません。足元に気をつけながら慎重に、この先にあるゴールを
目指してもう一頑張り(二頑張りくらいかな?)です。
朱雀院の五十の御賀で披露される舞楽の指導のために、源氏から
呼び出された柏木は、怯えながらも源氏と対面し、役目を果たしたの
でした。
六条院での試楽が成功をおさめた日の宴席で、酔ったふりをした源氏
から、嫌味の言葉を投げかけられたことで、とどめを刺された柏木は、
そのまま病の床に臥せってしまいました。案じた両親が柏木を自邸に
引き取ろうとなさいます。
これまで女三宮にばかり心を奪われて、妻の女二宮(落葉の宮)には
冷淡だった柏木も、さすがに女二宮が「あはれに悲しく、後れておぼし
嘆かむことのかたじけなきを、いみじと思ふ」(しみじみと悲しく、自分に
先立たれて思い嘆かれることが申し訳なく、辛いことだと思う)のでした。
女二宮の母・御息所は、いかなる時も夫婦は離れ離れになるべきでは
ないものだから、女二宮のもとでご養生くださるように、とおっしゃいます。
それは「ことわり」(道理)だと、柏木も思います。しかし、柏木の母も、
息子の身が案じられてならず、「どうして私にまず顔をみせようと思って
くださらないのか。私は大勢の子供たちの中でも、誰よりもあなたのこと
を心配して来たのに。いったいどんな状態でおいでなのか」と、催促の
使者を寄越されました。
母親のエゴとも思えますが、「またいとことわりなり」(これもまた実に
道理である)と、作者は柏木の気持ちに即して認めています。
柏木自身が語っているように、柏木は致仕大臣家の嫡男として、両親の
期待を一身に背負って来たことがわかりますし、そんな彼が女三宮への
恋のために身を滅ぼして行くことは、致仕大臣夫妻ならずとも、読者にも
惜しまれてならないことです。
結局、柏木は「私が危篤だと聞いたら、こっそりと会いに来てほしい」と、
女二宮に言い置いて、一条の宮(女二宮と母・御息所の住まい)を出て
行きますが、女二宮とは二度と会うことなく、亡くなってしまいます。
しかし、この柏木の妻に対する後ろめたさが、親友への遺言の原動力と
なり、物語に次なる大きなうねりをもたらすこととなるのです。
カルトナージュ作品展
源氏物語の講読会の皆さまと、あるいは昔の職場仲間の皆さまと、
何度かカルトナージュの講習をしていただいては、このブログでも
ご紹介してまいりましたが、今日はその先生の先生と、認定講師
の資格をお持ちの門下生の皆さまの作品展に行ってまいりました。
場所は表参道駅から徒歩数分の「アートスペース・pamina」。
テーマの「お茶の時間にしませんか?」に従って、それぞれの方々が、
お茶を楽しむための工夫を凝らされた作品が並べられていて、ここは
まさに「夢の空間」。
もともとお雛様とかドールハウスが大好きな私は、カルトナージュに
対しての憧れがあるので、この作品展に伺えたのは本当に良かった
です。幸せなひと時を与えていただきました。

アトリエを主宰なさっている先生の圧巻の作品。
オリエント急行に乗って、中でお茶が楽しめるセット。
鍵もついたトランクになっていて、開けての説明を、
一つ一つ聞く度に、感嘆の声が上がります。揺れても
大丈夫な細かい工夫までされていて、いやぁーもう、
とにかく「スゴイ!」の一言に尽きます。
薫の最大の関心事
このクラスは、宇治十帖の最初の巻「橋姫」の4回目です。
前回読んだのは、八の宮の留守中とは思わず、宇治を訪ねた薫が、
姫君たちの姿を初めて垣間見て(国宝・源氏物語絵巻に描かれて
いる有名な場面)、衝撃を受けた後、応対に出て来た老女房から
出生の秘密をほのめかされたところまででした。
今日は、大君との歌の贈答の中で、「まほにめやすくもものしたまひ
けり」(申し分なく感じ良くていらっしゃることだなあ)と、ますます心を
惹かれた薫が、再訪を約束して帰京したのち、八の宮から下々の者
に至るまで、宇治の人々に細やかな心遣いの品々を贈り届けた話と、
その後、まるで昔物語に出て来るような山里での美女発見の話を、
匂宮に自慢気に語って、もくろみ通り、匂宮の気を散々揉ませること
に成功した、というところまでを読みました。
薫のような普段女性に関心を示さない男が、そこまで言うからには
並大抵の女ではあるまいと、宇治の姫君たちに逢ってみたい思いを
募らせる匂宮に対し、薫にはこの時点では、大君に好意を抱きながら
も、もっと大切な関心事がありました。
それは、あの老女房・弁がほのめかした話で、以前よりずっと気に
なっていた自分の出生の秘密にかかわることだけに、今は女性の
ことには「何ばかり心にもとまらざりけり」(少しも心にも留まらない
のだった)という薫でした。
薫が、八の宮のお帰りの頃を見計らってもう一度宇治へ行く、と
約束なさった裏には、弁から詳しい話が聞きたい、という気持ちが
大きく働いていたからに違いありません。
次回は、薫が、弁からすっかり話を聞き、柏木の形見の文反古を
受け取ってそれを読む、というところが中心になります。
来月で第45帖「橋姫」を読み終える予定です。
「源氏物語のあらすじ」・・・第四帖「夕顔」(その3)
随分長い間放っておいた「源氏物語のかなり詳しいあらすじ」ですが、
その間に、「紫の会」の「全文訳」も先に進んでしまいました。
長すぎる全文訳を読むのは大変、でも粗筋は押さえておきたい、と
いう方には、こちらをご覧いただければ、と思います。
8/14、8/24、9/11の「夕顔」の全文訳(5)(6)(7)の3回分を要約した
「あらすじ版」です。
ここ(←色のついたところ)をクリックしてお読みください。
中の君、宇治を離れる
台風18号が接近しておりますが、皆さまのところは如何でしょうか?
このところ大雨による被害が相次いでいますので、心配なのですが、
出来るだけ爪痕を残すことなく、通り過ぎてほしいものです。
このクラスは、今回で第48帖「早蕨」の巻を読み終えました。
残り6帖です。
大君は自らの死を持って、宮家の誇り、妹・中の君を守り抜きました。
京の明石中宮にも存在を認められて、二条院に迎え取られることに
なった中の君。しかし、これまでずっと父や姉に庇護され続けて来た
彼女も、二人を亡くした今、自分のことは自分で決めて道を切り開いて
行かねばならなくなりました。それはまた、中の君が次なるヒロインの
資格を得たことを意味するものでもありましょう。
本当に宇治を捨てて京に移り住んで良いのだろうか、移転が明日に
迫っても、なお思い悩む中の君の心は沈みがちでした。
大君の死後、出家して尼となった弁は、一人宇治に残ります。他の
女房たちは「心ゆきたるけしきにて、もの縫ひいとなみつつ」(すっかり
満足しきっている様子で、晴れ着を縫ったりしながら)忙しげに過ごして
います。
中の君は、弁とも別れ別れになって宇治を離れて行くことに、いっそう
不安を感じています。弁もまた、大君を失った悲しみに加え、中の君との
別離の悲しみに、涙にくれるばかりでありました。
この場面が、国宝「源氏物語絵巻・早蕨」に描かれています。

右側の几帳を左下に向かって伸ばすと、絵が二つに
分かれます。右側がいそいそと明日の着物の準備に
余念のない女房たち。左側が別れを惜しむ中の君と
弁の尼。着ている着物も、右側が暖色系で、左側が
寒色系となっており、心情の明と暗を表しているかの
ようです。
後朝の別れの男の美学
2017年9月15日(金)溝の口「枕草子」(第12回)
溝の口での「枕草子」も12回目を迎えました。ということは、1年経った
ことになり、来月からは2年目に入ります。「何も何もいと疾し」です。
今回は「行成との思い出」を記した第46段の後半から、第60段までを読み
ました。
「暁に帰らむ人は」(夜明け前に帰って行く男は)、で始まる第60段は、
男性が夜女性の許を訪れ、早朝に帰って行く、という「通い婚」が一般的
だった王朝貴族社会における「後朝〈きぬぎぬ〉の別れ」の男の美学を
記した段です。
当時は、男が明るくなって女の許から帰って行く姿を人に見られることは
恥とされていました。かと言って、やっと鶏も鳴く頃にそさくさと帰って
行くのは、女に対する愛情不足の証拠を露呈しているようなものでした。
「後朝の別れ」は、時間帯だけでも微妙で難しいことでしたが、清少納言の
要求する「後朝の別れの男のあり方」は、なかなか大変だったと思います。
まだ暗いうちに出て行くのですから、人目もないことだし、身支度なんかは
適当でいい。直衣や狩衣なんかを崩れた感じで着ていたって構わない。
それより大事なのは女に対して「あなたのところから帰りたくないよぉ」と
いう態度を示すことでした。
わざと起き渋って見せ、女に「もう夜が明けてしまいましたわ」「早くお帰り
にならないとみっともないわ」と言わせて、それでも溜息なんかついて、
「ホント、この人は私と離れたくないのね」と、女に思わせる男がgood。
指貫(今ならズボン)なども、ぐずぐずして穿こうとせず、女の肩を抱き寄せて
殺し文句を囁き続け、それでも器用に身づくろいなんかしちゃって(だから
崩れた格好になるんでしょうね)、女を戸口まで連れて行って「昼の間、今夜
逢えるまでが待ち遠しくってならないよ」なんて言いながら、すうーと出て行くと、
女もずっと見送ってしまうのよね、と。
それに引き替え、ぱっと起き上がって、さっさと身支度を始め、上から下まで
ビシッときめて、枕元に散らかった扇や懐紙などを暗がりの中で探し出して、
「まかりなむ」(じゃあね)と一言だけ残して帰って行く男。これは清少納言の
美学にそぐわないタイプです。
でも、そのまま仕事に行かなければならないことだってあっただろうし、どうせ
「後朝の文」は届けさせなければならなかったのだし、現実には、後者のような
男のほうが多かったのではないでしょうか。
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