ー見て、食べてー in「沼津」
2017年11月30日(木)
三島の姉の家の程近くに(車で20分位だそうです)住んでいる
再従兄(母親同士が従姉妹)の写真展が沼津であり、40数年ぶり
に沼津を訪れました。
9月の初めに京都に行った時、叔母を囲んでいとこ世代が集まり、
一緒に食事をしたことは、このブログにも書きましたが、今日も、
叔母が神戸から出て来ることもあって、同じように写真展を見て、
食事を共にしましょう、ということになりました。
沼津駅から南へ10分位歩いた静岡銀行の8Fのギャラリーが
会場。愛好家の方々の、難しい構図や、シャッターチャンスを
逃さない写真の数々に、思わず見入ってしまいました。

正面の再従兄の「清澄錦秋」という作品は、今回の
写真展の案内状にも使われた力作です
写真展の会場からは、再従兄が車で、先ずは黄金色に色づいた
大銀杏のある「霊山寺」(ここは「れいざんじ」と言うそうです)へと
案内をしてくれました。

見事な大銀杏

裏山の紅葉も綺麗でした
その後、車は海辺のほうへと向かい、「沼津御用邸記念公園」へ。

西附属邸御殿を見学していて気付いたのは、御座所
や御寝所のある建物の構造が、寝殿造りと似ていて、
母屋・廂の間・簀子のようになっていることでした
折角沼津まで行くのなら、予てより一度行ってみたいと思っていた
沼津港湾の「双葉寿司」を、私が希望して今回の夕食会場にして
貰いました。

16:30の開店を待って入店し、ワクワクしながら
カウンター席に着きました

中トロや、赤貝などもさすがの美味しさでしたが、
ずっと前に姉に聞いてから、絶対これだけは、と
思っていた「じんどうイカ」の姿寿司。期待通りで、
もう一度注文しました!
三島に戻って、姉の家で富久家の「イタリアンロール」をご馳走に
なりながら(お寿司を堪能した後でも、これはまた別腹)、1時間半
ほどコーヒータイムを楽しんで、再従兄に三島駅まで送って貰って、
21時過ぎに帰宅しました。楽しい11月の最終日でした!
三島の姉の家の程近くに(車で20分位だそうです)住んでいる
再従兄(母親同士が従姉妹)の写真展が沼津であり、40数年ぶり
に沼津を訪れました。
9月の初めに京都に行った時、叔母を囲んでいとこ世代が集まり、
一緒に食事をしたことは、このブログにも書きましたが、今日も、
叔母が神戸から出て来ることもあって、同じように写真展を見て、
食事を共にしましょう、ということになりました。
沼津駅から南へ10分位歩いた静岡銀行の8Fのギャラリーが
会場。愛好家の方々の、難しい構図や、シャッターチャンスを
逃さない写真の数々に、思わず見入ってしまいました。

正面の再従兄の「清澄錦秋」という作品は、今回の
写真展の案内状にも使われた力作です
写真展の会場からは、再従兄が車で、先ずは黄金色に色づいた
大銀杏のある「霊山寺」(ここは「れいざんじ」と言うそうです)へと
案内をしてくれました。

見事な大銀杏

裏山の紅葉も綺麗でした
その後、車は海辺のほうへと向かい、「沼津御用邸記念公園」へ。

西附属邸御殿を見学していて気付いたのは、御座所
や御寝所のある建物の構造が、寝殿造りと似ていて、
母屋・廂の間・簀子のようになっていることでした
折角沼津まで行くのなら、予てより一度行ってみたいと思っていた
沼津港湾の「双葉寿司」を、私が希望して今回の夕食会場にして
貰いました。

16:30の開店を待って入店し、ワクワクしながら
カウンター席に着きました

中トロや、赤貝などもさすがの美味しさでしたが、
ずっと前に姉に聞いてから、絶対これだけは、と
思っていた「じんどうイカ」の姿寿司。期待通りで、
もう一度注文しました!
三島に戻って、姉の家で富久家の「イタリアンロール」をご馳走に
なりながら(お寿司を堪能した後でも、これはまた別腹)、1時間半
ほどコーヒータイムを楽しんで、再従兄に三島駅まで送って貰って、
21時過ぎに帰宅しました。楽しい11月の最終日でした!
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柏木死す
2017年11月27日(月) 溝の口「湖月会」(第113回)
「柏木」の巻は、女三宮と柏木の密通事件が、悲劇的な結末をもって
収束して行く巻ですが、今月の溝の口の金曜クラスと、この「湖月会」
が読んだところが、ちょうどそれぞれの悲劇的結末を記した場面に
当たります。
女三宮は、自分や誕生した若君(実父は柏木)に対する源氏の冷たい
態度に、俗世を捨てる決心をして、父・朱雀院に願い出て出家を遂げて
しまいました。ここは11/10の記事で書きましたので、今日は後半の
柏木の悲劇的結末のほうについて書きます。
女三宮出家の知らせは、柏木をいっそう絶望の淵に追いやりました。
ここに至って気掛かりなのは、残される妻の女二宮(落葉の宮)の
ことと、源氏の咎めの許しが得られないまま死んで行かねばならない
ことでした。
柏木を大納言に昇進させれば、それを励みに持ち直すかもしれない、
との帝のお考えで、柏木は権大納言に任命されました。
その昇進のお祝いに夕霧がやってまいりますが、もう柏木は臨終の
床にあり、起き上がって話をすることも叶いません。
柏木は、讒言によって源氏との間に生じた齟齬(いくら相手が夕霧でも、
事実を告げることは出来ない)が、解けないままになってしまうことを
悔やみ、チャンスがあれば、申し開きをしていただきたいと依頼します。
さらに、夫たる自分に先立たれて、有力な後見を失ってしまう落葉の宮を
ことに触れて見舞ってやってほしいと遺言します。真面目人間の夕霧が
引き受けるのは当然のことで、これによって、次なる夕霧と落葉の宮の
物語が巧妙に導き出されて行くのです。
国宝源氏物語絵巻「柏木・第二段」に描かれている場面です。

枕をそばだて(半回転させて高くする)夕霧と対面する
瀕死の柏木。その柏木を包み込むようにして坐す夕霧。
第一段の絵とは打って変わって安定感のある構図と
なっています。最後まで貴族としての矜持を持ち続ける
柏木の気高さを感じさせる表情は、作者の意図を充分に
汲み取って描いているかのようです。
そうしてこの後、周囲の誰もが病平癒を祈っていた甲斐もなく、柏木は
「泡の消え入るやうにて」(泡が消えてしまうように)亡くなったのでした。
普通、「滅びゆくものの美」は、その外面的な美しさが書かれますが、
柏木の場合は、作者が柏木の心に寄り添う形で書いているので、
内面的な「滅びゆくものの美」が、映し出される形となっています。
講座の最後に、私の何やかやとうるさい雑音が入って来る所ではなく、
お家でもう一度、この名場面をじっくりと味わいながらお読み頂きたい、
と申し上げましたが、ここはもう、それに尽きると思います。
「柏木」の巻は、女三宮と柏木の密通事件が、悲劇的な結末をもって
収束して行く巻ですが、今月の溝の口の金曜クラスと、この「湖月会」
が読んだところが、ちょうどそれぞれの悲劇的結末を記した場面に
当たります。
女三宮は、自分や誕生した若君(実父は柏木)に対する源氏の冷たい
態度に、俗世を捨てる決心をして、父・朱雀院に願い出て出家を遂げて
しまいました。ここは11/10の記事で書きましたので、今日は後半の
柏木の悲劇的結末のほうについて書きます。
女三宮出家の知らせは、柏木をいっそう絶望の淵に追いやりました。
ここに至って気掛かりなのは、残される妻の女二宮(落葉の宮)の
ことと、源氏の咎めの許しが得られないまま死んで行かねばならない
ことでした。
柏木を大納言に昇進させれば、それを励みに持ち直すかもしれない、
との帝のお考えで、柏木は権大納言に任命されました。
その昇進のお祝いに夕霧がやってまいりますが、もう柏木は臨終の
床にあり、起き上がって話をすることも叶いません。
柏木は、讒言によって源氏との間に生じた齟齬(いくら相手が夕霧でも、
事実を告げることは出来ない)が、解けないままになってしまうことを
悔やみ、チャンスがあれば、申し開きをしていただきたいと依頼します。
さらに、夫たる自分に先立たれて、有力な後見を失ってしまう落葉の宮を
ことに触れて見舞ってやってほしいと遺言します。真面目人間の夕霧が
引き受けるのは当然のことで、これによって、次なる夕霧と落葉の宮の
物語が巧妙に導き出されて行くのです。
国宝源氏物語絵巻「柏木・第二段」に描かれている場面です。

枕をそばだて(半回転させて高くする)夕霧と対面する
瀕死の柏木。その柏木を包み込むようにして坐す夕霧。
第一段の絵とは打って変わって安定感のある構図と
なっています。最後まで貴族としての矜持を持ち続ける
柏木の気高さを感じさせる表情は、作者の意図を充分に
汲み取って描いているかのようです。
そうしてこの後、周囲の誰もが病平癒を祈っていた甲斐もなく、柏木は
「泡の消え入るやうにて」(泡が消えてしまうように)亡くなったのでした。
普通、「滅びゆくものの美」は、その外面的な美しさが書かれますが、
柏木の場合は、作者が柏木の心に寄り添う形で書いているので、
内面的な「滅びゆくものの美」が、映し出される形となっています。
講座の最後に、私の何やかやとうるさい雑音が入って来る所ではなく、
お家でもう一度、この名場面をじっくりと味わいながらお読み頂きたい、
と申し上げましたが、ここはもう、それに尽きると思います。
カルトナージュ講習 part4
2017年11月26日(日)
今年4月30日に、昔の職場仲間の方たちと、私にとっては3回目の
カルトナージュ講習をしていただきましたが、その時、熱心に参加を
ご希望なさっていたのに、どうしても外せない用事のために不参加
となってしまわれた方がお二人ありました。
で、再度チャンスを、ということで先生にお願いし、今日は希望者
全員が揃って、カルトナージュの「スマホカバー」に挑戦しました。
始まってみると、それぞれが異なる型番のスマホのカバーを作る上に、
カメラの位置や、充電の接続端子の位置は避けなければならないので、
型紙を作って下さる先生はずっと立ちっぱなしで、カッター、定規、鋏を
使って手を動かしておられました。
今回の作業の一番大変なところは、何と言っても、先生がなさったこの
型紙作りだと思います。
あとは、教えられた通りに、糊をつけて組み立てて行くのですが、開始から
4時間近く経って、ようやく全員の「スマホカバー」が完成しました。
世界でたった一つの、オリジナルカバーが出来て、大満足!!
最後は写真撮影会となりました。

レザーは各自が選んだ好みの色。イニシャルのエンボスも
しゃれていますよね。

実は、私だけは未だガラケー。今日の作品は嫁へのプレゼント。
焦げ茶のレザーは嫁の希望ですが、裏の布を私の眼鏡ケースと
同じものにしたので、ペア―になりました!
今年4月30日に、昔の職場仲間の方たちと、私にとっては3回目の
カルトナージュ講習をしていただきましたが、その時、熱心に参加を
ご希望なさっていたのに、どうしても外せない用事のために不参加
となってしまわれた方がお二人ありました。
で、再度チャンスを、ということで先生にお願いし、今日は希望者
全員が揃って、カルトナージュの「スマホカバー」に挑戦しました。
始まってみると、それぞれが異なる型番のスマホのカバーを作る上に、
カメラの位置や、充電の接続端子の位置は避けなければならないので、
型紙を作って下さる先生はずっと立ちっぱなしで、カッター、定規、鋏を
使って手を動かしておられました。
今回の作業の一番大変なところは、何と言っても、先生がなさったこの
型紙作りだと思います。
あとは、教えられた通りに、糊をつけて組み立てて行くのですが、開始から
4時間近く経って、ようやく全員の「スマホカバー」が完成しました。
世界でたった一つの、オリジナルカバーが出来て、大満足!!
最後は写真撮影会となりました。

レザーは各自が選んだ好みの色。イニシャルのエンボスも
しゃれていますよね。

実は、私だけは未だガラケー。今日の作品は嫁へのプレゼント。
焦げ茶のレザーは嫁の希望ですが、裏の布を私の眼鏡ケースと
同じものにしたので、ペア―になりました!
洋梨のタルト
2017年11月24日(金)
今年40歳になった息子が、小学校を卒業するまで住んでいた
世田谷のマンションでは、お隣の奥様が料理家だったので、
月に一度、「メイン料理+デザート」の組み合わせで、お料理を
教えていただいておりました。
習ったお料理は、今でもちょっとした晴れの日の定番になっている
ものがいくつかありますが、この「洋梨のタルト」は、年に一度ながら、
ずっと作り続けて来ました。それが、忙しさを口実に、ここ数年休止状態
になっていたのですが、今年は、先月から息子や孫に強くプッシュされ、
四日前に意を決して洋梨を買いました。
買ってしまったら、作らざるを得ません。一昨日の夜、洋梨をシロップ煮に
しておき、今日、タルトを焼きました。
何年かのブランクのせいか、要領の悪くなっているところもありましたが、
ご覧の通り、一応完成です!

味見をしてみるわけには行かないので、明日の夕方、
息子一家が来た時に出しますが、果たして合格点が
つきますかどうか・・・
今年40歳になった息子が、小学校を卒業するまで住んでいた
世田谷のマンションでは、お隣の奥様が料理家だったので、
月に一度、「メイン料理+デザート」の組み合わせで、お料理を
教えていただいておりました。
習ったお料理は、今でもちょっとした晴れの日の定番になっている
ものがいくつかありますが、この「洋梨のタルト」は、年に一度ながら、
ずっと作り続けて来ました。それが、忙しさを口実に、ここ数年休止状態
になっていたのですが、今年は、先月から息子や孫に強くプッシュされ、
四日前に意を決して洋梨を買いました。
買ってしまったら、作らざるを得ません。一昨日の夜、洋梨をシロップ煮に
しておき、今日、タルトを焼きました。
何年かのブランクのせいか、要領の悪くなっているところもありましたが、
ご覧の通り、一応完成です!

味見をしてみるわけには行かないので、明日の夕方、
息子一家が来た時に出しますが、果たして合格点が
つきますかどうか・・・
「さすがに」が表わす空蝉の女ごころ
2017年11月23日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第20回・№2)
朝はまだ冷たい雨が降っており、「こんなお天気の中、パソコンを入れた
カートを引いて行くのは嫌だなぁ」と思っていましたが、午前中で雨は
すっかり上がり、家を出る頃には青空も顔を見せるほどに回復していて
助かりました。
第4帖「夕顔」も終盤に差し掛かりました。
夕顔の急死後、一ヶ月余り病んでいた源氏も、すっかり回復して、右近との
語らいの中で、夕顔の素性を初めて知ります。この部分は11/13(月)クラス
のほうで書きましたので、今日は後半、空蝉と軒端の荻が再び登場する
ところをご紹介しておきたいと思います。
あれ以来、源氏とは音信不通になってしまい、空蝉は自らが望んだことながら、
すっかり忘れられてしまったかと思うと、伊予への下向が近づいているだけに
心細くなり、空蝉のほうから源氏にお便りを差し上げたのでした。
この場面で、「さすがに」という言葉が三度も使われています。
「かくわづらひたまふを聞きて、さすがにうち嘆きけり。遠く下りなむとするを、
さすがに心細ければ、おぼし忘れぬるかと、こころみに、(中略) かやうに
憎からずは聞こえかはせど、け近くとは思ひよらず、さすがにいふかひ
なからずは見えたてまつりてやみなむと、思ふなりけり。」(このように
源氏がご病気だと伺って、やはり悲しい気がしておりました。遠く伊予へと
下ってしまうことを、空蝉はやはり心細く感じておりましたので、源氏の君が
自分のことをお忘れになってしまったかどうか確かめようとして、(中略)
もう源氏と逢おうと考えていないとは言え、取るに足りない女ではなかった、
と思って頂ける位の関係で終わることにしよう、と、空蝉は思っているのでした。
「さすがに」は、「そうは言ってもやはり」という意の言葉ですが、ここでは、
空蝉の揺れる女ごころに即して使われています。自ら源氏との逢瀬を
拒みながらも、源氏が病気だと聞けば気掛かりで、源氏からの音信が
途絶えると、忘れられてしまったのかと心細くなってしまう。伊予に下向して
しまえば、いよいよ遠のいてしまうので、源氏を拒否しようと決心したにも
拘らず、源氏には良い印象を残しておきたい、と思う。
自己の置かれた立場の認識と源氏への思慕の情という、矛盾する気持ちの
間で葛藤を繰り返している空蝉の心の機微を表しているのが、「さすがに」の
語であろうと思われます。
軒端の荻との贈答には、源氏の嫌な面もちらちら垣間見られるのですが、
こちらは、先に書きました「夕顔」の全文訳(12)で、ご確認いただければ、
と存じます。
朝はまだ冷たい雨が降っており、「こんなお天気の中、パソコンを入れた
カートを引いて行くのは嫌だなぁ」と思っていましたが、午前中で雨は
すっかり上がり、家を出る頃には青空も顔を見せるほどに回復していて
助かりました。
第4帖「夕顔」も終盤に差し掛かりました。
夕顔の急死後、一ヶ月余り病んでいた源氏も、すっかり回復して、右近との
語らいの中で、夕顔の素性を初めて知ります。この部分は11/13(月)クラス
のほうで書きましたので、今日は後半、空蝉と軒端の荻が再び登場する
ところをご紹介しておきたいと思います。
あれ以来、源氏とは音信不通になってしまい、空蝉は自らが望んだことながら、
すっかり忘れられてしまったかと思うと、伊予への下向が近づいているだけに
心細くなり、空蝉のほうから源氏にお便りを差し上げたのでした。
この場面で、「さすがに」という言葉が三度も使われています。
「かくわづらひたまふを聞きて、さすがにうち嘆きけり。遠く下りなむとするを、
さすがに心細ければ、おぼし忘れぬるかと、こころみに、(中略) かやうに
憎からずは聞こえかはせど、け近くとは思ひよらず、さすがにいふかひ
なからずは見えたてまつりてやみなむと、思ふなりけり。」(このように
源氏がご病気だと伺って、やはり悲しい気がしておりました。遠く伊予へと
下ってしまうことを、空蝉はやはり心細く感じておりましたので、源氏の君が
自分のことをお忘れになってしまったかどうか確かめようとして、(中略)
もう源氏と逢おうと考えていないとは言え、取るに足りない女ではなかった、
と思って頂ける位の関係で終わることにしよう、と、空蝉は思っているのでした。
「さすがに」は、「そうは言ってもやはり」という意の言葉ですが、ここでは、
空蝉の揺れる女ごころに即して使われています。自ら源氏との逢瀬を
拒みながらも、源氏が病気だと聞けば気掛かりで、源氏からの音信が
途絶えると、忘れられてしまったのかと心細くなってしまう。伊予に下向して
しまえば、いよいよ遠のいてしまうので、源氏を拒否しようと決心したにも
拘らず、源氏には良い印象を残しておきたい、と思う。
自己の置かれた立場の認識と源氏への思慕の情という、矛盾する気持ちの
間で葛藤を繰り返している空蝉の心の機微を表しているのが、「さすがに」の
語であろうと思われます。
軒端の荻との贈答には、源氏の嫌な面もちらちら垣間見られるのですが、
こちらは、先に書きました「夕顔」の全文訳(12)で、ご確認いただければ、
と存じます。
第四帖「夕顔」の全文訳(12)
2017年11月23日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第20回・№1)
本日講読しました第四帖「夕顔」(168頁・1行目~176頁・1行目)の
後半部分(173頁・10行目~176頁1行目まで)の全文訳です。
前半は11/13(月)の全文訳をご覧ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
あの伊予介の家の小君は、参上することもありますが、源氏の君は
以前のような特別の言伝てもなさらないので、空蝉は、もう駄目だと
諦めておしまいになったのを、お気の毒だと思っていたところ、この
ようにご病気だと伺って、やはり悲しい気がしておりました。遠く伊予
へと下ってしまうことを、空蝉はやはり心細く感じておりましたので、
源氏の君が自分のことをお忘れになってしまったかどうか確かめ
ようとして、
「ご病気と伺って案じておりますが、口に出してはとても、
問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる
(お尋ねすることも出来ないでいるのを、なぜか、と問うて下さること
もなく月日が過ぎて行くのを、どんなに思い悩んでおりますことやら)
益田の歌の『生きている甲斐もない』というのは、本当でございました」
と、申し上げました。空蝉からのお手紙は珍しい上に、この人への
しみじみとした気持ちもお忘れになっていない源氏の君でしたから、
「生きている甲斐がない、とは、どちらが言いたいセリフでしょうか。
空蝉の世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ(空蝉の
ようにはかないこの世も、逃げてしまわれたあなたのことも、辛い
ものだと思い知りましたのに、あなたからの言葉にすがって生きて
行こうとする私ですよ)何とも頼りないことで」
と、筆を持つ手も震えてしまうので、乱れ書きになさっているのが、
いつもよりいっそういとおしさを感じさせる書きぶりでございました。
いまだにあの抜け殻の小袿をお忘れではないのを、空蝉はお労しく
も嬉しくも思うのでございました。このように無愛想にならない程度の
お手紙の遣り取りはしても、もう源氏の君とお逢いしようとは思って
おらず、とは言え、取るに足りない女ではなかった、と思って頂ける
位の関係で終わることにしよう、と、空蝉は思っているのでした。
もう一方の軒端の荻は、蔵人少将を婿として通わせている、と
源氏の君はお聞きになっていました。「おかしなことよ。すでに男を
知っていることをどう思っているだろうか」と、少将の気持ちにも同情
されますが、また、あの女の様子も知りたいので、小君を介して
「死ぬほどあなたに恋い焦がれている私の気持ちはご存知でしょうか」
と、言ってお遣りになりました。
「ほのかにも軒端の荻をむすばずは露のかことをなににかけまし」
(儚い逢瀬だったにせよ、契りを結んでおかなかったなら、ほんの
少しの恨み言でも何にかこつけて言うことができましょうか)
丈の高い荻に手紙を結び付けて、源氏の君は小君に「こっそりとだぞ」
とお命じになりますが、万が一しくじって少将が見つけたとしても、相手が
私だったんだ、と思い当たったなら、少将は大目に見てくれるだろう、と
お思いになる、その自惚れは困ったものでございます。
小君は少将のいない折にその手紙を軒端の荻に見せたので、既に夫を
持つ身となっているのを辛いと思うものの、こうして思い出して下さったの
もさすがに嬉しくて、お返事は、素早いのだけを言い訳にして小君に渡し
ました。
「ほのめかす風につけても下荻のなかばは霜にむすばほれつつ」
(あのことを仄めかすお便りであるにつけても、荻の下葉が霜に萎れて
いるように、私も半ば思い萎れているのでございます)
字は下手なのですが、ごまかしてしゃれた感じに書いているのは品が
ありません。源氏の君はあの火影で見た顔を思い出しておられました。
気を許さずに対座していた人(空蝉)は、今でも思い捨てることが出来ない
様子をしていたなぁ、この女は何のたしなみもなさそうで、はしゃいで得意
そうにしていたものよ、と思い出されると、満更でもない気がなさいます。
相変わらず性懲りもなく、またしても浮名の立ちそうな好色なお心が
動き出すようでございました。
本日講読しました第四帖「夕顔」(168頁・1行目~176頁・1行目)の
後半部分(173頁・10行目~176頁1行目まで)の全文訳です。
前半は11/13(月)の全文訳をご覧ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
あの伊予介の家の小君は、参上することもありますが、源氏の君は
以前のような特別の言伝てもなさらないので、空蝉は、もう駄目だと
諦めておしまいになったのを、お気の毒だと思っていたところ、この
ようにご病気だと伺って、やはり悲しい気がしておりました。遠く伊予
へと下ってしまうことを、空蝉はやはり心細く感じておりましたので、
源氏の君が自分のことをお忘れになってしまったかどうか確かめ
ようとして、
「ご病気と伺って案じておりますが、口に出してはとても、
問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる
(お尋ねすることも出来ないでいるのを、なぜか、と問うて下さること
もなく月日が過ぎて行くのを、どんなに思い悩んでおりますことやら)
益田の歌の『生きている甲斐もない』というのは、本当でございました」
と、申し上げました。空蝉からのお手紙は珍しい上に、この人への
しみじみとした気持ちもお忘れになっていない源氏の君でしたから、
「生きている甲斐がない、とは、どちらが言いたいセリフでしょうか。
空蝉の世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ(空蝉の
ようにはかないこの世も、逃げてしまわれたあなたのことも、辛い
ものだと思い知りましたのに、あなたからの言葉にすがって生きて
行こうとする私ですよ)何とも頼りないことで」
と、筆を持つ手も震えてしまうので、乱れ書きになさっているのが、
いつもよりいっそういとおしさを感じさせる書きぶりでございました。
いまだにあの抜け殻の小袿をお忘れではないのを、空蝉はお労しく
も嬉しくも思うのでございました。このように無愛想にならない程度の
お手紙の遣り取りはしても、もう源氏の君とお逢いしようとは思って
おらず、とは言え、取るに足りない女ではなかった、と思って頂ける
位の関係で終わることにしよう、と、空蝉は思っているのでした。
もう一方の軒端の荻は、蔵人少将を婿として通わせている、と
源氏の君はお聞きになっていました。「おかしなことよ。すでに男を
知っていることをどう思っているだろうか」と、少将の気持ちにも同情
されますが、また、あの女の様子も知りたいので、小君を介して
「死ぬほどあなたに恋い焦がれている私の気持ちはご存知でしょうか」
と、言ってお遣りになりました。
「ほのかにも軒端の荻をむすばずは露のかことをなににかけまし」
(儚い逢瀬だったにせよ、契りを結んでおかなかったなら、ほんの
少しの恨み言でも何にかこつけて言うことができましょうか)
丈の高い荻に手紙を結び付けて、源氏の君は小君に「こっそりとだぞ」
とお命じになりますが、万が一しくじって少将が見つけたとしても、相手が
私だったんだ、と思い当たったなら、少将は大目に見てくれるだろう、と
お思いになる、その自惚れは困ったものでございます。
小君は少将のいない折にその手紙を軒端の荻に見せたので、既に夫を
持つ身となっているのを辛いと思うものの、こうして思い出して下さったの
もさすがに嬉しくて、お返事は、素早いのだけを言い訳にして小君に渡し
ました。
「ほのめかす風につけても下荻のなかばは霜にむすばほれつつ」
(あのことを仄めかすお便りであるにつけても、荻の下葉が霜に萎れて
いるように、私も半ば思い萎れているのでございます)
字は下手なのですが、ごまかしてしゃれた感じに書いているのは品が
ありません。源氏の君はあの火影で見た顔を思い出しておられました。
気を許さずに対座していた人(空蝉)は、今でも思い捨てることが出来ない
様子をしていたなぁ、この女は何のたしなみもなさそうで、はしゃいで得意
そうにしていたものよ、と思い出されると、満更でもない気がなさいます。
相変わらず性懲りもなく、またしても浮名の立ちそうな好色なお心が
動き出すようでございました。
この場面は絵で・・・
2017年11月17日(金) 溝の口「枕草子」(第14回)
11月も後半です。このところ急速に寒さが加わっており、冬がそこまでやって
来ているのを感じます。
今回は、第67段「おぼつかなきもの」から第73段「職の御曹司におはしますころ」
までを、読みました。日記的章段、類聚章段、随想章段、全ての章段が含まれて
いて、全部が類聚章段だった前回とは異なり、バラエティーに富んだ面白さが
ありました。
その中で、第72段は、宮中で女房たちが局(部屋)として賜っている細殿(ここでは
中宮定子がお住まいになっている登花殿の西廂を指す)での殿上人との交流の
楽しさなどを活写している段なのですが、文字だけでは状況が分かり難いところも
あるので、「源氏物語」のほうに参加して下さっている、私の高校同期で絵を描いて
おられる方にお願いをして、その場面を絵にしていただきました。

三尺の几帳を立てたるに、帽額の下にただすこしぞある、外に立てる人と
内にゐたる人ともの言ふが、顔のもとに、いとよくあたりたるこそ、をかしけれ。
丈の高く、短からむ人などや、いかがあらむ。なほ世の常の人は、さのみあらむ。
(戸口には三尺の几帳が立ててあるが、御簾の帽額の下と几帳の間には、少しだけ
空間(隙間)がある。外に立っている男と室内の女房が話をする時に、この隙間が
二人の顔のところにぴったりと当たっているのも面白い。背が高すぎたり、低すぎたり
する人は、どうだろうか(ぴったりというわけにはいかないかもしれない)。でも、普通の
背丈の人は、きっと目が合うに違いない。)
如何ですか?文字だけではとっさに理解し難い場面ですが、この絵のおかげで紙芝居
のように分かり易くなりました。
上には御簾があり、下には几帳が置いてあるので、外の男性からは女性の目だけしか
見えませんが、女性のほうからは男性の頭から足元まで、すっかり見えるはずです。
「あら、この人、私のタイプだわ!」とか、「ダメダメ、こういう男は」とか、女性側には
「男の品定め」が可能でしたが、外から目元だけを見ている男性側はどう思っていた
のでしょうね。目元だけでも男性の心をときめかす女性はいたのでしょうか。やはり
目元よりも、清少納言のような、ウイットに富んだ会話が楽しめる女性のほうが
好まれた気もしますが・・・。
11月も後半です。このところ急速に寒さが加わっており、冬がそこまでやって
来ているのを感じます。
今回は、第67段「おぼつかなきもの」から第73段「職の御曹司におはしますころ」
までを、読みました。日記的章段、類聚章段、随想章段、全ての章段が含まれて
いて、全部が類聚章段だった前回とは異なり、バラエティーに富んだ面白さが
ありました。
その中で、第72段は、宮中で女房たちが局(部屋)として賜っている細殿(ここでは
中宮定子がお住まいになっている登花殿の西廂を指す)での殿上人との交流の
楽しさなどを活写している段なのですが、文字だけでは状況が分かり難いところも
あるので、「源氏物語」のほうに参加して下さっている、私の高校同期で絵を描いて
おられる方にお願いをして、その場面を絵にしていただきました。

三尺の几帳を立てたるに、帽額の下にただすこしぞある、外に立てる人と
内にゐたる人ともの言ふが、顔のもとに、いとよくあたりたるこそ、をかしけれ。
丈の高く、短からむ人などや、いかがあらむ。なほ世の常の人は、さのみあらむ。
(戸口には三尺の几帳が立ててあるが、御簾の帽額の下と几帳の間には、少しだけ
空間(隙間)がある。外に立っている男と室内の女房が話をする時に、この隙間が
二人の顔のところにぴったりと当たっているのも面白い。背が高すぎたり、低すぎたり
する人は、どうだろうか(ぴったりというわけにはいかないかもしれない)。でも、普通の
背丈の人は、きっと目が合うに違いない。)
如何ですか?文字だけではとっさに理解し難い場面ですが、この絵のおかげで紙芝居
のように分かり易くなりました。
上には御簾があり、下には几帳が置いてあるので、外の男性からは女性の目だけしか
見えませんが、女性のほうからは男性の頭から足元まで、すっかり見えるはずです。
「あら、この人、私のタイプだわ!」とか、「ダメダメ、こういう男は」とか、女性側には
「男の品定め」が可能でしたが、外から目元だけを見ている男性側はどう思っていた
のでしょうね。目元だけでも男性の心をときめかす女性はいたのでしょうか。やはり
目元よりも、清少納言のような、ウイットに富んだ会話が楽しめる女性のほうが
好まれた気もしますが・・・。
宇治川を挟んでの明と暗
2017年11月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(通算195回 統合49回)
このクラスは、今回より第46帖「椎本」に入りました。
前年の秋、薫から宇治の姫君たちの話を聞かされ、好色な匂宮は宇治へ行く
機会を窺っておられたのでしょう。ずっと昔にお立てになった願果たし、という
口実のもと、二月の二十日過ぎに、長谷寺に詣で、その帰途、宇治に泊まる
ことになさいました。いよいよ匂宮の、宇治の物語への参入です。
八の宮邸とは宇治川を挟んだ対岸に、夕霧が父の源氏から伝領した別荘が
あり、ここを夕霧が宿として提供しました。
八の宮邸は、今の宇治上神社辺りの場所が想定されており、夕霧の別荘は
今の平等院がモデルとされています。
大勢の供人を従え、薫の迎えを受けて、匂宮一行は賑々しく夕霧の別荘に
お入りになりました。
川風に乗って、管弦の遊びの音が、八の宮邸にも届きます。八の宮は、もう
遥か昔のこととなってしまった宮中の管弦の遊びを思い出されるにつけても、
美しく成長した姫君たちを、山里に埋もれたままで終わらせたくない、とお考え
になっていました。
どうせなら薫を婿にしたい、と内心ではお思いでしたが、仏道に傾倒している
薫にそのような気持ちはあるまいし、今時の軽薄な若者ではお話にもならない、
と、八の宮は思い悩まれておりました。
それに引きかえ、対岸のお宿では、興に乗った一夜を過ごした匂宮が、
明日は帰京かと、名残惜しくお思いでした。
あれこれと物思いに捉われ、春の短夜さえ長く感じられる八の宮と、楽しい
旅寝にあっという間に夜が明けてしまう気のする匂宮を対比させることで、
その明と暗が見事に描き分けられています。
現在でも、宇治川の北側(宇治上神社側)と南側(平等院側)では、その明るさ
と申しますか、賑わいの違いは歴然としていますが、当時から有力者の別荘は
南側に集中していたようです。
このクラスは、今回より第46帖「椎本」に入りました。
前年の秋、薫から宇治の姫君たちの話を聞かされ、好色な匂宮は宇治へ行く
機会を窺っておられたのでしょう。ずっと昔にお立てになった願果たし、という
口実のもと、二月の二十日過ぎに、長谷寺に詣で、その帰途、宇治に泊まる
ことになさいました。いよいよ匂宮の、宇治の物語への参入です。
八の宮邸とは宇治川を挟んだ対岸に、夕霧が父の源氏から伝領した別荘が
あり、ここを夕霧が宿として提供しました。
八の宮邸は、今の宇治上神社辺りの場所が想定されており、夕霧の別荘は
今の平等院がモデルとされています。
大勢の供人を従え、薫の迎えを受けて、匂宮一行は賑々しく夕霧の別荘に
お入りになりました。
川風に乗って、管弦の遊びの音が、八の宮邸にも届きます。八の宮は、もう
遥か昔のこととなってしまった宮中の管弦の遊びを思い出されるにつけても、
美しく成長した姫君たちを、山里に埋もれたままで終わらせたくない、とお考え
になっていました。
どうせなら薫を婿にしたい、と内心ではお思いでしたが、仏道に傾倒している
薫にそのような気持ちはあるまいし、今時の軽薄な若者ではお話にもならない、
と、八の宮は思い悩まれておりました。
それに引きかえ、対岸のお宿では、興に乗った一夜を過ごした匂宮が、
明日は帰京かと、名残惜しくお思いでした。
あれこれと物思いに捉われ、春の短夜さえ長く感じられる八の宮と、楽しい
旅寝にあっという間に夜が明けてしまう気のする匂宮を対比させることで、
その明と暗が見事に描き分けられています。
現在でも、宇治川の北側(宇治上神社側)と南側(平等院側)では、その明るさ
と申しますか、賑わいの違いは歴然としていますが、当時から有力者の別荘は
南側に集中していたようです。
夕顔の素性、明らかになる
2017年11月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第20回・№2)
夕顔の急死にショックを受けて、病の床に臥せってしまった源氏でしたが、
一ヶ月余りが経ち、すっかり回復して、のどかな夕暮れに、右近を呼んで、
語らうのでした。
そこで、初めて右近の口から、夕顔の素性が明らかにされます。
それによると、夕顔の父親は三位の中将でしたが、両親は既に他界して
しまっていること。父に先立たれたのちに、当時はまだ蔵人の少将だった
頭中将が三年ほど通って来られていたけれど、去年の秋ごろ、本妻方から
脅迫めいた嫌がらせが聞こえて来たので、一旦は西の京に住む乳母の所
に身を寄せて、そこからもう少し山里に移ろうとしたところ、方塞がりだった
ので、あの五条の家に住んでいた時に、源氏と出会った、ということでした。
源氏は、「ああ、やっぱり夕顔は、あの雨夜の品定めで、頭中将が語った
常夏の女だったのだ」と、わかり、その折に聞いた子供のことを、右近に
尋ねます。右近は一昨年の春に生まれた可愛い女の子だと答えます。
源氏は、ぜひその子を自分の許に引き取りたい、と言いますが、それが
実現するのは、ずぅーと先、20年近くも後のことです。
源氏が、夕顔の年齢を訊くと、19歳だと右近は答え、自分は夕顔の早くに
亡くなった乳母の娘だと言います。母親の死後、三位の中将が、娘の夕顔
と共に育てて下さったことを思うと、どうして一人生き残ってしまったのだろう、
と、嘆きます。
この源氏が夕顔の遺児を引き取りたいと願ったことと、右近が通常の乳母子
以上に夕顔を頼りに生きて来たことは、のちの玉鬘の出現の大事な伏線と
なっているのを、ちょっと頭の隅に留めておいて頂けたら、と思います。
季節は晩秋となっています。夕暮れの風も冷たく感じられる中で、源氏と
右近は、夕顔を偲び合っておりました。
ここまでが本日読んだ部分の前半になります。後半は空蝉と軒端の荻の
話です。それは23日の木曜クラスのほうでご紹介したいと思います。
詳しくは、下に書きました全文訳をご参照くださいませ。
夕顔の急死にショックを受けて、病の床に臥せってしまった源氏でしたが、
一ヶ月余りが経ち、すっかり回復して、のどかな夕暮れに、右近を呼んで、
語らうのでした。
そこで、初めて右近の口から、夕顔の素性が明らかにされます。
それによると、夕顔の父親は三位の中将でしたが、両親は既に他界して
しまっていること。父に先立たれたのちに、当時はまだ蔵人の少将だった
頭中将が三年ほど通って来られていたけれど、去年の秋ごろ、本妻方から
脅迫めいた嫌がらせが聞こえて来たので、一旦は西の京に住む乳母の所
に身を寄せて、そこからもう少し山里に移ろうとしたところ、方塞がりだった
ので、あの五条の家に住んでいた時に、源氏と出会った、ということでした。
源氏は、「ああ、やっぱり夕顔は、あの雨夜の品定めで、頭中将が語った
常夏の女だったのだ」と、わかり、その折に聞いた子供のことを、右近に
尋ねます。右近は一昨年の春に生まれた可愛い女の子だと答えます。
源氏は、ぜひその子を自分の許に引き取りたい、と言いますが、それが
実現するのは、ずぅーと先、20年近くも後のことです。
源氏が、夕顔の年齢を訊くと、19歳だと右近は答え、自分は夕顔の早くに
亡くなった乳母の娘だと言います。母親の死後、三位の中将が、娘の夕顔
と共に育てて下さったことを思うと、どうして一人生き残ってしまったのだろう、
と、嘆きます。
この源氏が夕顔の遺児を引き取りたいと願ったことと、右近が通常の乳母子
以上に夕顔を頼りに生きて来たことは、のちの玉鬘の出現の大事な伏線と
なっているのを、ちょっと頭の隅に留めておいて頂けたら、と思います。
季節は晩秋となっています。夕暮れの風も冷たく感じられる中で、源氏と
右近は、夕顔を偲び合っておりました。
ここまでが本日読んだ部分の前半になります。後半は空蝉と軒端の荻の
話です。それは23日の木曜クラスのほうでご紹介したいと思います。
詳しくは、下に書きました全文訳をご参照くださいませ。
第四帖「夕顔」の全文訳(11)
2017年11月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第20回・№1)
本日講読しました第四帖「夕顔」(168頁・1行目~176頁・1行目)の
前半部分(168頁・1行目~173頁・9行目まで)の全文訳です。
後半は11/23(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
九月二十日頃に、源氏の君はすっかりご回復になって、たいそうひどく
おやつれになられましたが、却ってとても優雅でいらして、ともすれば
物思いに沈んで声を立てて泣いておられました。それをお見かけして
怪しむ女房もいて、「物の怪のせいじゃないかしら」などど言う者も
ございました。
源氏の君は右近を呼び出して、のどかな夕暮れにお話などをなさって、
「やはりどう考えても腑に落ちないのだ。彼女はなぜ、どこの誰とも
知られぬように、と、自分のことを隠しておられたのか。本当に海士の子
であっても、あれほど私が思っているのに気づかず、隠し立てをなさって
いるのが辛かった」と、おっしゃると、右近が「どうしてあくまでお隠し
申されることがございましょう。あの短い間のどんな折に、それほどでも
ないお名前をお知らせすることが出来ましたでしょうか。最初から奇妙な
思いも寄らないお通いでございましたから、『現実のこととは思えない』と
おっしゃって、あなた様がお名前を隠しておられることも、『きっと源氏の君
に違いないわ』と申し上げなさりながらも、『本気ではないので、ごまかして
いらっしゃるのでしょう』と、情けないこととお思いでいらっしゃいました」と
申し上げるので、「お互いにつまらぬ意地の張り合いをしていたものだなぁ。
私はそんなふうに隠しておくつもりはなかったのだよ。ただ、このように
誰からも許されないような忍び歩きなどは、まだ経験したことがなかった
ものだから。帝がご忠告なさるのをはじめとして、憚られることが多い身で、
ちょっと女に冗談を言っても、窮屈なことに、周囲の噂がうるさい身の上
なのに、あのふとした夕方から、なぜか忘れられなくて、無理をして通って
行ったのも、こうなる定めがあったからなのだろう、と思うと、せつなくも、
また逆に恨めしくも思われることです。こんなにはかなく終わる仲だったに
しては、どうしてあんなに心の底からいとしく思えるお方だったのだろう。
さあ、もっと詳しく話しておくれ。今はもう、何を隠そうと言うのだ。七日七日
の仏の絵を描かせても、このままでは誰のため、と心の中に思えばよいのか
わからない」と源氏の君がおっしゃると、右近は、「私が何をお隠し申しましょう。
ご自身が心に秘め続けておられたことを、お亡くなりになってから、口軽く
申しては、と思っているだけでございます。ご両親様は早くにお亡くなりに
なりました。お父上は三位の中将と申し上げておりました。娘御をとても
可愛いものとお思いでいらしたのですが、ご自身のご出世も思うに任せない
とお嘆きのようでしたところに、お命までままならずお亡くなりになったのち、
ふとしたきっかけで、頭中将がまだ少将でいらっしゃった時、お通いあそばす
ようになって、三年ほどはご愛情もあるご様子でお通いになっておられました
が、昨年の秋ごろ、右大臣家からたいそう恐ろしいことが聞こえてまいりました
ので、ものをむやみに怖がられるご性分で、どうしようもなく怯えなさって、
西の京の、乳母が住んでおりますところに、こっそりと身をお隠しになりました。
そこも随分むさ苦しくてお住みになり難かったので、山里に移ろうとお考えに
なったのですが、今年からそちらは方塞がりでございましたため、方違へ、と
いうことで、あの賤しいお住まいにいらしたところ、あなた様がお見つけになった
ことを、お嘆きのご様子でした。人並み外れて引っ込み思案でいらして、他人に
物思わし気な様子を見られるのを、恥ずかしいこととお思いになられて、いつも
さりげないふうにして、お目通り申し上げておられたようでございます」と、話出した
ので、「ああ、やっぱりそうだった」と思い合わせなさって、いっそう夕顔に対する
いとおしさがつのりました。「幼い子を行方知れずにした、と頭中将が嘆いていた
のは、そんな子供がいたのか」と源氏の君はお尋ねになりました。右近は「はい、
一昨年の春にお生まれになりました。女の子で、とても可愛らしくて」と話します。
「その子はどこにいるのか。誰にもそうだとは知らせないで、私に引き取らせて
おくれ。あっけなく亡くなってしまって悲しくてならないあの人を偲ぶ形見となれば、
どんなに嬉しいことだろう」と、おっしゃいます。「あの頭中将にも知らせるべきだが、
どうしようもない恨み言を言われるに違いない。どちらにしても、私が養育をして
不都合なことをあるまいから、その一緒にいる乳母などにも、他所に連れて
行くようにうまく言いつくろって、ここに連れて来てくれ」と、源氏の君は右近に
相談を持ちかけられるのでした。右近は、「そうなればほんとうに嬉しゅうござい
ます。姫君があの西の京でお育ちになるのはお気の毒でございますもの。
五条の家ではちゃんとお世話できる人がいないというので、あちらにおられます」
と申し上げました。
夕暮れの静かな折に、空の様子もとてもしみじみとして、お庭の植え込みも
すっかり枯れてしまい、虫の声も鳴き弱って、紅葉が次第に色づいている
ところなど、絵に描いたように風情があるのを、右近は見渡して、「思い掛けず
結構なお勤めをすることになったものよ」と、あの夕顔の宿を思い出すのも
恥ずかしいことでした。竹の中で、家鳩という鳥が、太い声で鳴くのをお聞きに
なって、あの廃院でこの鳥が鳴いたのを、夕顔がひどく恐ろしいと思っていた
様子が、ありありと目に浮かんでいとしく思い出されるので、源氏の君は
「女君はいくつでいらしたのですか。妙に普通の人とは違って、今にも消え入り
そうにお見えだったのは、このように長く生きられないからだったのだね」と、
おっしゃいます。右近は「十九におなりだったでしょうか。私右近は、亡くなった
乳母が後に残してまいりましたので、三位の君がかわいがって下さって、
姫君のお側から離さずお育てくださったことを思い出しますと、どうして
一人この世に残っていられましょう。「いとしも人に」と申すように、悔やまれて
なりません。見るからにはかない感じでいらしたお方を、頼りにして長の年月を
過ごして来たことでございます」と申し上げるのでした。
「そのはかない感じが可愛いのだよ。しっかりしていて我の強い女は、全く
好きにはなれないものだ。私自身がてきぱきと出来ず、しっかりとしていない
せいか、女はただ素直で、うっかりすると男に騙されそうでいて、そのくせ
慎み深く、夫には付いて行くというのが、可愛くて、自分の思い通りに
教育して共に暮らしたら、情もふかまることだろう」などとおっしゃるので、
右近は、「そうしたお好みにはぴったりでいらしたのに、と思うにつけましても、
残念なことでございます」と言って泣くのでした。空が曇って来て、風もひんやり
と感じられるので、源氏の君はひどくしんみりと物思いに耽りなさって、
「見し人の煙を雲とながむればゆふべの空もむつましきかな」(契りを交わした
あの人を葬った煙があの雲になったのだと思って眺めると、夕方の空も慕わしく
感じられることだよ)
と、独り言をおっしゃいますが、右近はお返事を申し上げることもできません。
このように今、夕顔が源氏の君とご一緒にいらっしゃるのだったら、と思うに
つけても、胸がいっぱいになるのでした。源氏の君は耳にうるさく聞こえた砧の
音までも恋しく思い出されて、「まさに長き夜」と口ずさんで横になられました。
本日講読しました第四帖「夕顔」(168頁・1行目~176頁・1行目)の
前半部分(168頁・1行目~173頁・9行目まで)の全文訳です。
後半は11/23(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
九月二十日頃に、源氏の君はすっかりご回復になって、たいそうひどく
おやつれになられましたが、却ってとても優雅でいらして、ともすれば
物思いに沈んで声を立てて泣いておられました。それをお見かけして
怪しむ女房もいて、「物の怪のせいじゃないかしら」などど言う者も
ございました。
源氏の君は右近を呼び出して、のどかな夕暮れにお話などをなさって、
「やはりどう考えても腑に落ちないのだ。彼女はなぜ、どこの誰とも
知られぬように、と、自分のことを隠しておられたのか。本当に海士の子
であっても、あれほど私が思っているのに気づかず、隠し立てをなさって
いるのが辛かった」と、おっしゃると、右近が「どうしてあくまでお隠し
申されることがございましょう。あの短い間のどんな折に、それほどでも
ないお名前をお知らせすることが出来ましたでしょうか。最初から奇妙な
思いも寄らないお通いでございましたから、『現実のこととは思えない』と
おっしゃって、あなた様がお名前を隠しておられることも、『きっと源氏の君
に違いないわ』と申し上げなさりながらも、『本気ではないので、ごまかして
いらっしゃるのでしょう』と、情けないこととお思いでいらっしゃいました」と
申し上げるので、「お互いにつまらぬ意地の張り合いをしていたものだなぁ。
私はそんなふうに隠しておくつもりはなかったのだよ。ただ、このように
誰からも許されないような忍び歩きなどは、まだ経験したことがなかった
ものだから。帝がご忠告なさるのをはじめとして、憚られることが多い身で、
ちょっと女に冗談を言っても、窮屈なことに、周囲の噂がうるさい身の上
なのに、あのふとした夕方から、なぜか忘れられなくて、無理をして通って
行ったのも、こうなる定めがあったからなのだろう、と思うと、せつなくも、
また逆に恨めしくも思われることです。こんなにはかなく終わる仲だったに
しては、どうしてあんなに心の底からいとしく思えるお方だったのだろう。
さあ、もっと詳しく話しておくれ。今はもう、何を隠そうと言うのだ。七日七日
の仏の絵を描かせても、このままでは誰のため、と心の中に思えばよいのか
わからない」と源氏の君がおっしゃると、右近は、「私が何をお隠し申しましょう。
ご自身が心に秘め続けておられたことを、お亡くなりになってから、口軽く
申しては、と思っているだけでございます。ご両親様は早くにお亡くなりに
なりました。お父上は三位の中将と申し上げておりました。娘御をとても
可愛いものとお思いでいらしたのですが、ご自身のご出世も思うに任せない
とお嘆きのようでしたところに、お命までままならずお亡くなりになったのち、
ふとしたきっかけで、頭中将がまだ少将でいらっしゃった時、お通いあそばす
ようになって、三年ほどはご愛情もあるご様子でお通いになっておられました
が、昨年の秋ごろ、右大臣家からたいそう恐ろしいことが聞こえてまいりました
ので、ものをむやみに怖がられるご性分で、どうしようもなく怯えなさって、
西の京の、乳母が住んでおりますところに、こっそりと身をお隠しになりました。
そこも随分むさ苦しくてお住みになり難かったので、山里に移ろうとお考えに
なったのですが、今年からそちらは方塞がりでございましたため、方違へ、と
いうことで、あの賤しいお住まいにいらしたところ、あなた様がお見つけになった
ことを、お嘆きのご様子でした。人並み外れて引っ込み思案でいらして、他人に
物思わし気な様子を見られるのを、恥ずかしいこととお思いになられて、いつも
さりげないふうにして、お目通り申し上げておられたようでございます」と、話出した
ので、「ああ、やっぱりそうだった」と思い合わせなさって、いっそう夕顔に対する
いとおしさがつのりました。「幼い子を行方知れずにした、と頭中将が嘆いていた
のは、そんな子供がいたのか」と源氏の君はお尋ねになりました。右近は「はい、
一昨年の春にお生まれになりました。女の子で、とても可愛らしくて」と話します。
「その子はどこにいるのか。誰にもそうだとは知らせないで、私に引き取らせて
おくれ。あっけなく亡くなってしまって悲しくてならないあの人を偲ぶ形見となれば、
どんなに嬉しいことだろう」と、おっしゃいます。「あの頭中将にも知らせるべきだが、
どうしようもない恨み言を言われるに違いない。どちらにしても、私が養育をして
不都合なことをあるまいから、その一緒にいる乳母などにも、他所に連れて
行くようにうまく言いつくろって、ここに連れて来てくれ」と、源氏の君は右近に
相談を持ちかけられるのでした。右近は、「そうなればほんとうに嬉しゅうござい
ます。姫君があの西の京でお育ちになるのはお気の毒でございますもの。
五条の家ではちゃんとお世話できる人がいないというので、あちらにおられます」
と申し上げました。
夕暮れの静かな折に、空の様子もとてもしみじみとして、お庭の植え込みも
すっかり枯れてしまい、虫の声も鳴き弱って、紅葉が次第に色づいている
ところなど、絵に描いたように風情があるのを、右近は見渡して、「思い掛けず
結構なお勤めをすることになったものよ」と、あの夕顔の宿を思い出すのも
恥ずかしいことでした。竹の中で、家鳩という鳥が、太い声で鳴くのをお聞きに
なって、あの廃院でこの鳥が鳴いたのを、夕顔がひどく恐ろしいと思っていた
様子が、ありありと目に浮かんでいとしく思い出されるので、源氏の君は
「女君はいくつでいらしたのですか。妙に普通の人とは違って、今にも消え入り
そうにお見えだったのは、このように長く生きられないからだったのだね」と、
おっしゃいます。右近は「十九におなりだったでしょうか。私右近は、亡くなった
乳母が後に残してまいりましたので、三位の君がかわいがって下さって、
姫君のお側から離さずお育てくださったことを思い出しますと、どうして
一人この世に残っていられましょう。「いとしも人に」と申すように、悔やまれて
なりません。見るからにはかない感じでいらしたお方を、頼りにして長の年月を
過ごして来たことでございます」と申し上げるのでした。
「そのはかない感じが可愛いのだよ。しっかりしていて我の強い女は、全く
好きにはなれないものだ。私自身がてきぱきと出来ず、しっかりとしていない
せいか、女はただ素直で、うっかりすると男に騙されそうでいて、そのくせ
慎み深く、夫には付いて行くというのが、可愛くて、自分の思い通りに
教育して共に暮らしたら、情もふかまることだろう」などとおっしゃるので、
右近は、「そうしたお好みにはぴったりでいらしたのに、と思うにつけましても、
残念なことでございます」と言って泣くのでした。空が曇って来て、風もひんやり
と感じられるので、源氏の君はひどくしんみりと物思いに耽りなさって、
「見し人の煙を雲とながむればゆふべの空もむつましきかな」(契りを交わした
あの人を葬った煙があの雲になったのだと思って眺めると、夕方の空も慕わしく
感じられることだよ)
と、独り言をおっしゃいますが、右近はお返事を申し上げることもできません。
このように今、夕顔が源氏の君とご一緒にいらっしゃるのだったら、と思うに
つけても、胸がいっぱいになるのでした。源氏の君は耳にうるさく聞こえた砧の
音までも恋しく思い出されて、「まさに長き夜」と口ずさんで横になられました。
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