fc2ブログ

「鯛素麺」

2018年4月29日(日)

今年のGWは、5月1日と2日が休みなら9連休になるとのことで、
海外旅行を楽しんでおられる方も多いようです。

私は、と言えば、いつもと変わらないので、GWという実感も全く
ありません。GWというのは、お勤めや学校があってこそ有難くも
あり、実感できるものなのでしょう。

夏日が続いていますので、今夜は「初素麺」にしてもいいなぁ、
と思いながら、夕方近所のスーパーへ買い物に行きました。

鮮魚売り場に美味しそうな天然真鯛の切り身が並んでいました
ので、それを買って来て「初素麺」は「鯛素麺」にしました。

鯛にちょっと塩を振って焼き、素麺の上に載せます。錦糸卵、
椎茸の甘辛煮、みょうがや大葉、おろし生姜と言った薬味も
添えて、冷汁を注げば出来上がり。夏が来た、って感じです。

  DSCF3460.jpg
  お行儀は悪いのですが、鯛の身をほぐし、全部混ぜて
  食べるのが私流の美味しい食べ方です。


スポンサーサイト



若紫のあどけなさ

2018年4月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第25回・№2)

何度も申し上げていることですが、第二部での苦悩する大人の
女性としての紫の上と、「若紫」の巻でのあどけない少女の姿は
余りにも差があり過ぎて、それゆえにいっそう第二部における
紫の上に読者は同情を覚えるのではないかと思われます。

今回読みましたところの若紫(のちの紫の上)も、思わず吹き出して
しまいそうなあどけない姿が描き出されています。

北山から京に戻っている尼君を見舞った源氏は、自らの死期が
迫っていることを悟った尼君から「将来お気持ちが変らなければ、
若紫を妻の一人として目を掛けていただきたい」と、依頼されます。

ようやく若紫引き取りに希望が出て来た源氏は、若紫とも言葉を
交わして、もう一歩前に進みたいと思い、「かのいはけなうものし
たまふ御一声、いかで」(あのあどけない方のお声を一言なりとも、
ぜひ)と願い出られるのですが、女房たちは、「いえもう、何も
お分かりではないご様子で、ぐっすりとおやすみになっておられ
まして」と答えます。その途端、あちらからパタパタと足音を立てて
若紫がやって来て、「おばあさま、北山のお寺にいらした源氏の君
がお出でになっているんですって。どうしてご覧にならないの」と
言います。女房たちは、とてもバツの悪いことだと思って、「しいーっ、
静かに」と若紫を制しますが、「だって、おばあさまが、源氏の君を
見たら気分の悪いのも良くなった、っておっしゃっていたから、
私そう言ったのよ」と、若紫は得意気にしゃべり続けるのでした。

源氏はとても可愛らしい、と思いますが、女房たちが困り切っている
ので、聞かなかったふりをして、真面目なお見舞いの言葉を言い
置いてお帰りになりました。「なるほど、子供っぽい様子だったなあ。
だけど、しっかり教育してやろう」と、考えている源氏でした。

18歳にしては随分おじさんな感じのする源氏と、10歳にしては随分
幼い感じのする若紫なのですが、ここから22年後の32歳になった
紫の上が、女房に寝返りの気配さえ感づかれまい、と眠れぬ夜を
過ごすようになる辺りを読むと、この天真爛漫な少女期の姿が
思い出されてなりません。

詳しい話の流れは、先に書きました「全文訳(9)」をご参照ください。


第五帖「若紫」の全文訳(9)

2018年4月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第25回・№1)

今日は「若紫」の巻の212頁・6行目~221頁・1行目迄を読みました。
4/9に前半部分(212頁・6行目~216頁・8行目)の全文訳を書きました
ので、こちらは後半部分(216頁・9行目~221頁・1行目)の全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

あの山寺の尼君は、少し良くなられて北山から京へお帰りになりました。
京のお住まいを尋ねて、源氏の君から時折お便りがありました。尼君から
のお返事が若紫の幼さを繰り返すばかりなのも当然のことと思われる上に、
ここ幾月かは、以前にも増して藤壷に対する物思いで、他の事どころでは
なく日が過ぎて行きました。

秋の終わり頃、源氏の君はたいそう寂しくて溜息をおつきになっておられ
ました。月が美しい夜、お忍びの通い所に、ようやく思い立ってお出かけに
なりますが、時雨模様で雨がぱらぱらと降ってまいりました。お出でになる
所は六条京極のあたりで、宮中からなので少し遠い感じがしていると、
途中に荒れ果てた家で、木立がとても年代を経ていて、うっそうと見えて
いる所がありました。例によってお供として離れることのない惟光が、
「亡くなった按察使の大納言の家でございます。先日ついでがあって
立ち寄ってみましたら、あの尼君はたいそうお弱りになってしまわれた
ので、心配で何も手に着かない、と少納言の乳母が申しておりました」
と申し上げますと、「それはお気の毒な。お見舞いすべきであったのに、
どうしてそうと報告しなかったのか。中に入って来意を告げよ」とおっしゃる
ので、惟光は使いの者を邸内に遣って、案内を乞わせました。わざわざ
このように源氏の君がお立ち寄りになったことと使いの者に言わせたため、
その者は中に入って「このようにお見舞いにお出でになりました」と言います
ので、女房たちは驚いて、「それは困ったことです。ここ数日来、尼君は
すっかり回復の見込みもおぼつかなくなっておられるので、お目にかかる
ことも難しうございましょう」と言うけれども、お帰し申し上げるのも恐れ多い
ということで、南の廂の間を取り片づけて、源氏の君をお入れ申し上げました。

女房が、「大変むさ苦しいところではございますが、せめてお見舞いの御礼
だけでも申し上げたいとのことでございまして。ぶしつけにこのような奥まった
お席にご案内申し上げてしまいました」と申し上げます。本当にこのような
お席は普通とは違っているとお思いになります。

源氏の君は「いつもお伺いしようと思いながら、すげなくおあしらいになる
ばかりですので、遠慮されまして。ご病気が重くていらっしゃることも伺って
おりませんでしたのは、迂闊なことで」など申し上げなさいます。「気分が
優れないのはいつものことでございますが、もはや命も限りの有様となり
まして、とても恐れ多くもお立ち寄りくださいましたのに、直接お話申し上げる
ことも叶わない状態でございまして。おっしゃっております例のことは、万が一
にもお気持ちがお変わりにならないようでしたら、姫君がご成長の暁には、
きっと一人前に扱ってやってくださいませ。ひどく心細い状態でこの世に残して
おくことが、私の極楽往生の障りになろうかと思われることでございます」
などと、尼君は源氏の君に申し上げなさったのでした。
 
病床がとても近いので、心細そうな尼君のお声がとぎれとぎれに聞こえて
来て、尼君は「本当に恐れ多いことでございます。せめて姫君が御礼の
一言も申し上げられる年頃ならよかったのに」とおっしゃっていました。
おいたわしいことと源氏の君はお聞きになって「どうしていい加減な気持ち
で、こんな好色めいた振舞いをお目に掛けられましょうか。どのような前世
からの因縁なのか、初めてお姿を拝見した時から、しみじみと愛しく感じられ
ますのも不思議な程で、この世だけのご縁とも思えません」などおっしゃって、
「このままでは伺った甲斐も無い気がいたしますので、あのあどけない方の
お声を一言なりとも、ぜひ」とおっしゃると、女房が「いえもう、何もお分かり
ではないご様子で、ぐっすりとおやすみになっておられまして」と申し上げて
いる丁度その時、あちらからやって来る足音がして、「おばあさま、北山の
お寺にいらした源氏の君がお出でになっているんですって。どうしてご覧に
ならないの」とおっしゃるのを、女房たちは、とてもバツの悪いことだと思って、
「しいーっ、静かに」と申し上げております。

若紫は「だって、おばあさまが、源氏の君を見たら気分の悪いのも良くなった、
っておっしゃっていたから、私そう言ったのよ」と、自分は大したことを知って
いるのだと思って、得意気におっしゃいます。源氏の君はとても可愛らしい、
とお聞きになりましたが、女房たちが困り切っているので、聞かないふりを
して、真面目なお見舞いの言葉を言い置かれてお帰りになりました。
「なるほど、子供っぽい様子だったなあ。だけど、しっかり教育してやろう」と
お思いでした。

翌日も、源氏の君は心をこめてお見舞いを申し上げなさいます。いつもの
ようにその中に小さく引き結んだ手紙をお入れになって
 
「いはけなき鶴の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ(あどけない
鶴の一声を聞きましてから、葦の間を行き悩む舟は切ない思いでおります)
同じ人をいつまでも慕い続けるだけなのでしょうか」

と、わざと子供らしくお書きになっているのも、たいそう見事なので、「そのまま
お手本に」と、女房たちは若紫に申し上げたのでした。少納言の乳母がお返事
を申し上げました。
 
「お見舞いを戴きました尼君は、今日一日も持ちこたえられそうにない
有様で、これから山寺に移るところでございまして、このようにわざわざ
お見舞いを下さった御礼は、あの世からでも申し上げることにいたしましょう」

と書いてありました。源氏の君はたいそう悲しいとお思いになります。

秋の夕暮れは、ましてや、心が休まる時とてなく、恋い焦がれておられる
お方(藤壺)のことが頭から離れないので、無理にでもそのゆかりの人を
求めたいお気持ちが募られるのでありましょう。「消えむ空なき」(死ぬに
死ねない)と尼君が歌に詠まれた夕べが思い出されて、若紫のことが
恋しくも、また、手に入れたら期待外れかもしれない、とさすがに不安でも
ありました。

「手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草」(この手に
摘み取って早く見たいものだ。あの紫草〈藤壺〉にゆかりのある野辺の
若草〈若紫〉を)


「リストランテ コルテジーア」と「根津美術館」

2018年4月25日(水)

先週来、今日はマークがついていて、残念な日となって
しまうのかなぁ、と気を揉んでおりましたが、お昼頃表参道に
着いた時には、殆ど傘も不用になっていました。「よしよし」と、
気持ちもになって、「リストランテ コルテジーア」に向かいました。

骨董通りからちょっと入った所にあるイタリアンのお店で、私も
初めてでしたが、今日の目的地「根津美術館」に近く、ネットでの
評判も良さそうだったので、ここを予約しました。

追加料金1,600円はかかるけれど、この時期、このお店でしか
味わえないという「ヴォンゴレ・ビアンコ」に、四人共惹かれて
注文しました。大皿に盛られて運ばれて来たものが、手際よく
取り分けられて一人前になりました。

  DSCF3453.jpg
  大粒の極上のアサリと、太めのしっかりしたパスタの
  組み合わせ。塩も白ワインも使わず、味はアサリから
  出る旨味だけとのこと。その旨味が「さすが~」でした。
  

ゆっくりとおしゃべりに興じながら美味しい物をいただく幸せランチ
を済ませて外に出ると、もう雨はすっかり上がって、陽射しが眩しい
くらいになっていました。

毎年この時期に「根津美術館」では、尾形光琳の名画中の名画、
「燕子花図屏風」が公開されます。もう何十年も前のことになりますが、
初めてこの絵を見た時に覚えた鳥肌が立つほどの感動は、今も
忘れられません。江戸時代にこれほど斬新で大胆な筆致と構図を
持った作品が描かれていることに衝撃を受け、以来、度々足を運ぶ
ようになりました。「伊勢物語」の第九段「八つ橋」を題材にした、所謂
留守文様の絵であることを知ってからは、ますますこの絵が好きに
なりました。

今回の展覧会は、弟の尾形乾山の作品のほうが多く出展されており、
乾山の陶芸家としての魅力も存分に堪能することが出来ました。

      光琳と乾山ポスター


そして、お庭に出れば、こちらもカキツバタが見頃となって
おりました。今年は気温が高いせいでしょうね、例年よりも
1週間位早いようです。
 
  DSCF3455.jpg

  DSCF3457.jpg


最後に、駅へ向かう途中で、友人からお薦めメールを貰っていた
「グラニースミス」のアップルパイを皆で買って、楽しい一日の〆と
しました。


まめ人の不器用な恋

2018年4月23日(月) 溝の口「湖月会」(第118回)

第2金曜日のクラスで、止めておけばいいものを、無理に次の「夕霧」の
巻に入りましたので、こちらも足並みを揃えるため、やはり「鈴虫」講読の
後、「夕霧」を1頁だけ読みました。完全にこの分が時間オーバーとなり
ました。皆さま申し訳ありません。

第39帖「夕霧」は、オペラの間奏曲のような「鈴虫」を挟んで、直接的には
第37帖「横笛」に繋がる巻です。

自他ともに認める「まめ人」(真面目人間)の夕霧は、親友・柏木の遺言を
忠実に守り、未亡人となった落葉の宮(女二宮)が母(一条の御息所)と
寂しく暮らす一条の宮を見舞い続けるうちに、次第に落葉の宮に心惹かれ
始めました。「横笛」の巻はそこまででしたが、「夕霧」の巻ではその先の
一部始終が語られることになります。

最初の1頁には、夕霧の気持ちが書かれています。

柏木が亡くなってから足掛け三年、夕霧には落葉の宮のお人柄が理想的な
方だと思えるようになって来て、世間的には柏木の遺言を忘れずに遂行して
いるように見せながら、何とか落葉の宮を手に入れたい、と望んでいます。

落葉の宮とその母・一条の御息所は、初めから懸想びた態度も見せず、ずっと
変らず親切に訪れて来てくれる夕霧に、信頼を寄せるようになっていました。
ですから夕霧は「これだけ深い心遣いをお見せしておけば、そのうち落葉の宮
は自分に心を開いても下さるであろう」と考えていました。

が、ここに大きな両者の意識の差があったのです。

皇女は生涯独身を通すのが建前であった時代に、落葉の宮は柏木に降嫁し、
しかも、女三宮しか眼中にない夫からは愛情を掛けられることもなく、早々と
未亡人になってしまいました。落葉の宮は結婚に失望しているのです。
その上、夕霧は亡き夫の妹(雲居の雁)の夫なのですから、周囲の者たちの
非難は必定ですし、夕霧の懸想は、落葉の宮にとって迷惑以外の何物でも
ありませんでした。

でも「まめ人」は、そんな落葉の宮の思いに気付きません。いよいよ本格的に
始動する堅物夕霧の不器用な恋に、私たちもしばらく付き合ってまいりましょう。


中の関白家の絶頂期

2018年4月20日(金) 溝の口「枕草子」(第19回)

今日は電車に乗ると冷房がガンガン効いていて、もう春は終わり、
夏になっていることを実感させられた一日でした。日曜日までは
気温が25度を超える夏日が続くそうですね。

今回の「枕草子」は、第85段~第88段までを読みましたが、中心は
中宮さまが五節の舞姫をお出しになった時のお話でした。

「五節」というのは、毎年「新嘗祭」(新天皇となった時のみ「大嘗祭」と
なる)の折に、11月の中の丑・寅・卯・辰の四日間にわたって行われた
宮廷行事で、メインとなるのは最終日の辰の日に催される「豊明節会」
で披露される「五節の舞」でした。

五節の舞姫は、新嘗祭の場合は公卿から二人、受領から二人、献じられ
ていましたが、正暦4年(993年)の五節には、中宮さまが舞姫をお出しに
なりました。

傅(かしづき)と呼ばれる舞姫の付き添い人は通常八人ですが、中宮さま
の舞姫には十二人。女御や御息所にお仕えしている女房は選ばない、と
いう常識にも捉われず選出されていました。

しかも、豊明節会の当日、神事に奉仕する男性が着用する「小忌衣(おみ
のころも)」を、下仕の女にまで、全員にお着せになったのでした。予告なし
で、居合わせた人々を驚かすこの計らいに、殿上人も上達部も「おおーっ」
となり、効果は満点でした。かかった費用も半端ではなかったと思いますが。

常寧殿に設けられた五節の舞姫の局(つぼね)は、舞姫が出て行くとすぐに
片づけられてしまうものですが、ここも中宮さまから「片づけられてしまうと、
中まで見透かされるような格好で傅たちがみっともないことになってしまって
おかしいです。夜までずっとそのままにしておきたいと思います」とお言葉が
あったので、その通りになりました。

また第一日目の「帳台の試」という、帝が常寧殿において五節の舞姫の稽古
をご覧になる行事の折にも、進行係の蔵人が、「舞姫と一緒に部屋に入れる
のは整髪係と童女二人」と限って厳しく取り仕切っているところに、中宮さまの
女房は二十人もで戸を押し開けてなだれ込んで、蔵人に「何だ、こんな無茶を
して」と嘆かせています。

関白道隆の威光を背景に、怖いものなしの中宮定子と、その女房たち。

それもそのはず、正暦4年(993年)の11月頃と言えば、定子は正暦元年
(990年)1月に入内して4年近く、他にはライバルとなる女御は皆無で、
一条天皇の寵愛は独り占め状態。父・道隆も関白の座に就いて3年余。
中の関白家がすべてを手中に収めていた時期だったのです。

しかし、この中の関白家の絶頂期は残り1年半、長徳元年(995年)4月の
関白道隆の死で終焉を迎えました。享年43歳。

歴史に「もしも」はないのですが、もしも道隆が道長の歳(62歳)まで生きて
いたら、歴史は間違いなく変わっていたと思います。


旬の味覚ー筍ー

2018年4月19日(木)

我が家は大の筍好き。三月半ばのまだ手のひらに載る位の
大きさの時から買い始め、もう五回買いました。

去年はその手のひらサイズの時だけがまあまあで、以後は
買っても買っても全然筍の香りも旨味も無いものばかり。
ガッカリした年でした。

今年は買う度に大きくなり、美味しくなって、当たり年なんだなぁ、
と喜んでいましたが、今日戴いた筍は、それはもうこれまでの
五回はいったい何だったんだろう、と思うほどの別格の美味しさ
でした。

お昼前に、高校の同期生から「今、筍掘って来たから、これから
届けるよ」と、嬉しい電話があって、届けてくださった筍です。
すぐに圧力鍋で茹でて水に晒し、夕方に調理しました。
ただ柔らかいだけではなく、口の中で香りが弾けるような食感。
たまりません。

「毎年筍堀りに行っている」と伺い、貰ったという友人も一緒の
時に、「いいな、いいな」と、散々羨ましがったのを覚えていて
下さったようです。何でも意思表示をしておくって大事ですね。

丁度月曜日に、これも戸塚にお住いの方が、お庭の山椒を
わざわざ届けてくださったので、バッチリ筍料理を引き立てて
くれました。

   DSCF3447.jpg
        今夜は煮物と、ご飯と、若竹汁で。
           明日は何にしようかな。


200回記念のランチ

2018年4月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第200回)

ブログを初めて書いた日に、「2000年からスタートした講読会も、
最初は小さな丸いテーブルを囲んで、参加者はたった3人でした。」
と記しましたが、これが湘南台クラスの始まりです。2000年4月26日
とノートに記録しています。

それから18年、今回200回目に達しました!!

初めの頃は8月と12月は休んでいましたので、年平均をすると11回に
なりますね。年12回行うようになってからの休講は、2005年5月に
突発性難聴を発症し入院した時の1回だけです。以来、右耳の聴力は
ゼロに近く、不自由と言えば不自由ですが、お蔭様でこうして講読会を
続けることが出来ています。

第1回目からご参加くださっている方がお一人、5回目からがお一人、
6回目からがお一人、皆さま長いお付き合いとなりました。

200回目を迎えた喜びを皆で分かち合うため、今日は講読会の前に、
湘南台駅西口から徒歩3分位のところにあるフレンチレストラン
「プチパピヨン」で、お祝いのランチをいたしました。

「本日はご予約のお客様のみ」と書かれているお店の中に入ると、
半個室にテーブルセッティングがしてあり、落ち着いたアットホームな
雰囲気の中で、前菜、スープ、メイン、デザートに、パンとコーヒーの
コース料理を美味しくいただきました。

ナイフやフォークもランチにありがちな1本で使い回すのではなく、
お料理ごとに新しいものが用意されていました。お味も良くて、
「これからは時々ここを使いましょう」と、幹事さんもおっしゃって
いました。

    DSCF3430.jpg
         メインディッシュの「真鯛のポアレ」
         甘酸っぱい野菜ソースが美味!

    DSCF3438.jpg
      こちらは感激のサプライズ。皆さまから素敵な
     「スワロフスキー」のボールペンを頂戴しました!

    DSCF3434.jpg
      200回はまだ道半ば。共にゴールを目指して
      この先も読み続けてまいりましょう!!

今日の気分としては、これで解散、だったのですが、いえいえ、ちゃんと
200回目の講読会も、30分時間をずらして実施しました。

第47帖「総角」の前半、八の宮の一周忌を控えて、薫は宇治を訪ねます。
今夜はここに泊まって、大君とゆっくり語り合いたい、と思っている薫は
日が暮れても帰ろうとはせず、ぐずぐずしていました。大君は薫を素っ気
なくあしらうことも出来ず、御簾と屏風だけを隔てた状態で対面しました。

やがて大君が「気分が悪いので」と言って奥へ入ろうとすると、とうとう
我慢出来なくなった薫は、屏風を押しのけて中へと入って行きました。

薫はこの機会に思いを遂げるつもりでしたが、喪服姿の大君が余りにも
悲嘆にくれる様子に接し、仏前から漂って来る名香や樒の香りにも、
ハッと気付かされて、結局、何も手出しをしないまま一夜を過ごしたの
でした。

これが薫が大君と結ばれるチャンスを逃した第一回目になります。
二度目のチャンス、三度目のチャンス、薫は大君にどのようにアプローチ
しようとするのでしょう。果たして二人は結ばれるのでしょうか。
初めて読む読者には、緊張感に満ちた場面が続いて行くところです。


二千円札の裏側

2018年4月13日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第118回)

講読会で使っている「新潮日本古典集成」の「源氏物語」は全8冊で、
「鈴虫」までが5冊目に入っており、「夕霧」からが6冊目となっています。

先月、「鈴虫」の前半を読んで、残りが微妙なところになってしまい、今月
「鈴虫」だけでは少し時間が余りそうな気もしたので、結構な重さとなるため
申し訳ないと思いつつ、二冊ご持参下さるようお願いしました。

「鈴虫」を読み終え、次の「夕霧」の巻についての紹介をして(これがちょっと
余分な話をし過ぎたんですね)、ちらっと時計を見たら、「マズイ!5分前」。
でも、二冊持って来ていただいたからには、多少なりとも読まなくては、と、
「夕霧」の最初の1頁だけを読みました。意地になっていたみたいで、何だか
今になると恥ずかしいです(*ノωノ)

ところで、「鈴虫」は短い巻なのですが、国宝「源氏物語絵巻」に二段残されて
いて、丁度今回その両方の場面を読みました。

今は殆ど見かけなくなってしまいましたが、2000年に発行された二千円札の
裏には、この国宝「源氏物語絵巻・鈴虫」の第一段の詞書と、第二段の絵が
印刷されています。

       二千円札
      親子と名乗り合うことの許されない冷泉院(左)と源氏(右)
      右の円内は、「紫式部日記絵巻」の寛弘5年(1008年)10月
      17日の条に描かれている「紫式部」。

         詞書は、下記の部分の赤色のところとなります。

                  すゝむし        
           十五夜のゆふくれに佛のおまへ
           に宮おはしてはしちかくなかめ
           たまひつゝ念殊したまふわかき
           あまきみたち二三人はなたてま
           つるとてならすあかつきのおとみつ
           のけはひなときこゆるさまかはりたる
           いとなみにいそきあへるいとあわれな
           るにれいのわたりたまひてむしのね
           いとしけくみたるゝゆうへかな
           とて我もしのひてうち誦んし給へる


4月28日(土)~5月6日(日)迄、上野毛の「五島美術館」で、年に一度の
国宝「源氏物語絵巻」の特別展示があります。同館が所蔵する「鈴虫」の
第一段・第二段、「夕霧」、「御法」が公開されます。まだご覧になったことの
ない方は、この機会にいかがでしょうか。


料紙制作の実演を見学

2018年4月11日(水)

先週、高座渋谷の「源氏の会」の折に、長く古筆のかな書をなさって
おられる方から、相模大野の「ユニコムプラザさがみはら」で今日から
15日まで開催の「かな書展」のご案内を頂きました。これまでも何度か
伺って、ため息の出るような美しい古筆の臨書や倣書の数々を見せて
いただきましたが、今回はそれに加えて、講師の先生が料紙制作の
実演をなさるとのことで、これはぜひにと思い、相模大野在住の大学の
クラスメイトだった友人と一緒に、見学会に参加させていただきました。

一枚の具引紙が出来る工程だけでも、気が遠くなるほどの細かい
手作業の連続で、裏ドーサ、表ドーサと呼ばれる膠液を刷毛で塗る
作業、その紙を枠にピーンと弛まないように貼る作業、一瞬たりとも
気を抜くことの出来ない緊張感が要求される手仕事だと思いました。

更に、その具引紙に、赤・青・黄の三色の絵の具を微妙な配合で
作り出した色を掛ける作業、雲母が光に反射した時に現れる美しさを
加える「雲母(きら)刷り」、「箔」という所謂金銀砂子の加工技術などを
ご披露頂き、美しい料紙が出来るまでの秘密に触れたかのような楽しい
時間を過ごしました。

もっと時間があれば、「揉紙」や「継紙」の技術も見せて頂けたのかな、
と思うと二時間では足りない気がしました。またの機会が待ち望まれ
ます。

      DSCF3410.jpg
          料紙の加工に使われる材料や道具

      DSCF3414.jpg
     色掛けした具引紙に砂子をまぶし、箔を載せた加工紙

          DSCF3416.jpg
          金銀砂子の色紙に書かれたかな書


訪問者カウンター