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レアチーズケーキ

2018年6月29日(金)

昨日の「もしかして梅雨明け?」が冗談ではなく、本当に梅雨が明けて
しまいました。まだ6月です。これから先の長い夏が思い遣られます。

先月、上の孫の誕生日会に「みかんぜりー」を作って行く約束をして
いたところ、直前に孫から「みかんゼリーじゃなくて、チーズケーキに
して貰える?」という電話がかかって来てました。「ごめんね、材料が
ないし、そんなに直ぐには無理だから、夏の間に1回作るから、今回は
みかんゼリーにして」と答えて了解させたので、明日我が家に来るのに
合わせて、レアチーズケーキを作りました。

このケーキは息子が小さい頃、お友達を呼んで誕生日会をする時など、
「チーズケーキがいい」と言うので、よく作っていました。そういう事から
遠ざかって久しく、チーズケーキも記憶の彼方に消えかかった2年ほど前、
一度息子からリクエストがあって作りましたが、孫たちは別に喜んでいる風
でもなかったので、それ以来チーズケーキのことは、また忘れておりました。

先日の電話も、最初は息子が孫にかけさせたのでは、と思ってみたりも
しましたが、どうもそうではないらしく、孫が憶えていたこと自体不思議なの
ですが、とりあえず、明日のデザートに作りました。

     DSCF3571.jpg
      ホントにこれでいいのかな?でもばーばが作れる
      チーズケーキはこれしかないので・・・。


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行方不明になってしまった娘

2018年6月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第27回・№2)

もしかして梅雨明け?と疑いたくなるような真夏日の昨日、今日です。

「紫の会」は両クラス共、今月で第5帖「若紫」を読み終えました。
今日は最後の部分となります。

6/11の記事で、明日になれば若紫は父である兵部卿の宮の邸に引き
取られると知った源氏が、夜が明ける前に二条院へ連れて来てしまった
ところまでをご紹介しました。

源氏の行動は突拍子もないものでしたが、若紫は間もなく源氏になつき、
一風変わった父娘のような間柄のまま、二条院での生活にも慣れて行く
様子を伝えてこの巻は終了します。

ただ一人、困惑状態のまま置き去りとなるのが、若紫の父・兵部卿の宮
です。源氏が若紫を連れ去った後、お約束通り、若紫をお迎えに来られ
ました。残った女房たちは、少納言の乳母に固く口止めされていて、
「少納言が姫君を連れ出してどこかに隠してしまった」と、教えられた
言葉を宮に伝えるばかりでした。

兵部卿の宮からすれば、源氏が二条院へ娘を連れて行っただなんて、
夢にも考えられないことなので、女房たちの言葉を信じ途方に暮れます。

「もし行方がわかったら知らせよ」と、言い置いて泣く泣くお帰りになり、
尼君の兄・北山の僧都の許にもお尋ねになりましたが、結局手がかりは
得られないまま娘とは生き別れとなってしまいました。

詳しくは先に書きました全文訳(13)をご参照ください。

また先々の話をしてしまいますが、兵部卿の宮が、若紫が二条院に居る
ことを知るのは「葵」の巻の終盤で、ここからちょうど四年後のことになり
ます。二条院に女性が引き取られた、という噂を耳になさっても、相手は
妙齢の女性だと思うのが普通で、まさか年端も行かぬご自分の娘だとは
想像すらなさらなかったのでありましょう。

来月から「紫の会」は第6帖「末摘花」に入ります。


第五帖「若紫」の全文訳(13)

2018年6月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第27回・№1)

今月読みました「若紫」の巻231頁・14行目~241頁・8行目迄の
後半部分(236頁・8行目~241頁・8行目)の全文訳です。
前半部分は6/11(月)の「若紫」の全文訳(12)をご覧ください。
第5帖「若紫」は今回で終了です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

夜が明けて行くのにつれて、少納言の乳母が見渡しますと、御殿の造りや、
部屋の室礼などは、改めて言うまでもなく、庭の白砂も真珠を重ねたかの
ように見えて、光り輝くような気がするので、自分が場違いなところに居て
きまり悪いと思っていましたが、こちらには女房たちもお仕えしていないの
でした。たまの訪問客などがあった折に使う対の屋だったので、男たちが
御簾の外に控えておりました。このように女の人をお迎えになった、と、
ちらりと耳にした人は「いったい誰なんだろう。ご自邸にお迎えになるから
には、並々のご愛情ではないのだろう」と、ひそひそ噂をしているのでした。

洗面用具や、朝食などを西の対にお運びいたします。源氏の君は陽が高く
なってからお起きになって、「女房がいなくては不便だろうから、しかるべき
人たちを夕方になってからお呼び寄せになるとよい」とおっしゃって、東の対
に女童を呼びに行かせなさいました。「小さい者だけが特別に来るように」と
いうことだったので、たいそう可愛らしい様子で、四人参上しました。

若紫はお着物にすっぽりとくるまって横になっておられるのを、源氏の君は
無理に起こして「こんなふうに、いつまでも私に情けない思いをさせないで
ください。いい加減な男はこんなには親切ではないはずですよ。女は素直
なのが良いのです」などと、もう今から教え申しておられました。

若紫のご容貌は、遠くで見ていた時よりもたいそう美しくて、源氏の君は
優しくお相手をなさりながら、面白い絵や、おもちゃなどを東の対に取りに
行かせてお見せ申し上げ、若紫の気に入ることをあれこれとなさっておられ
ます。若紫がだんだんと起き上がって絵などをご覧になると、濃い鈍色の
喪服で糊気が落ちて張りが無くなったものを重ねて着て、無邪気ににっこり
などしてお座りなのが、とても可愛らしいので、源氏の君も思わず微笑まれて
ご覧になっていました。

源氏の君が東の対へといらしたので、若紫は端近な所まで出て行って、
庭の木立や、池の方などを覗きなさると、霜枯れの庭の植え込みがまるで
絵に描いたように趣があって、見たこともない四位、五位の人々が入り乱れ、
ひっきりなしに出入りしていて、ほんとうに素晴らしいお邸だわ、とお思い
でした。いろいろな屏風などに描かれているたいそう見事な絵を見ながら
気を紛らわせておられるのも、たわいないことでございましたよ。

源氏の君は二、三日宮中へも参内なさらず、若紫を手なづけようと相手を
なさっております。そのまま手本に、とお思いなのか、心に思いつくままの
古歌や、絵などをあれこれと書いては、ご覧に入れておられました。とても
見事にたくさんお書きになりました。「武蔵野といへばかこたれぬ」(ゆかりの
人だと思うとつい恨み言も言いたくなる)と源氏の君が紫色の紙にお書きに
なったのは、墨の跡が格別に素晴らしいので、若紫は手に取ってご覧に
なっていました。その脇に少し小さく、
 
「ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを」(まだ
あなたと共寝はしていませんが、いとしくてなりません。逢おうにも逢えない
武蔵野の紫草〈藤壺〉のゆかりの人なので)

と、書いてありました。源氏の君が「さあ、あなたもお書きなさい」と言うと、
「まだ上手に書けないの」と言って見上げなさったのが、無邪気で可愛らし気
なので、にっこりとして、「下手でも全く書かないのはいけません。お教えしま
しょうね」とおっしゃると、横を向いてお書きになる手つきや筆をお取りになって
いる様子があどけないのも、いとしくてたまらなく思われるので、源氏の君は
我ながら不思議なことだ、とお思いでした。「書き損なっちゃった」と恥ずかし
がってお隠しになるのを、無理にご覧になると
 
「かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ」
(恨み言をおっしゃる訳を知らないので、気掛かりなことです。私はいったい
どんな草のゆかりなのでしょうか)

と、とても幼い筆跡ですが、将来の上達が思い遣られて、ふっくらと書いて
いらっしゃいました。亡き尼君の筆跡に似ておりました。今風のお手本で
練習なさったならば、とても上手におなりだろう、と源氏の君はご覧になって
います。人形なども、特別に御殿を沢山作り並べて、一緒に遊びながら、
源氏の君にとっては、この上もない憂さ晴らしとなっているのでした。

あちらのお邸に残った女房たちは、兵部卿の宮がお出でになって若紫の
行方を問い質されたのに、お返事の仕様もなくて、皆困ったのでした。
「しばらくは人に知らせまい」と源氏の君もおっしゃいますし、少納言の乳母も
そう思うので、絶対に口外しないよう、申し遣ったのでした。女房たちが、ただ、
「行方もわからないように少納言が連れ出してお隠ししてしまったのです」と
だけ兵部卿の宮に申し上げさせたので、兵部卿の宮も仕方がないとお思いに
なり、「亡き尼君も私のところに姫がお移りになることを、ひどくお嫌なことだと
お思いだったので、乳母がとても出過ぎた一途な心遣いから、穏便に『お渡し
するのは困ります』などとは言わないで、自分の一存で、連れ出して落ちぶれ
させてしまうのであろう」と、泣きながらお帰りになりました。

「もし、姫の行方が分かったなら、知らせよ」と、兵部卿の宮がおっしゃるのも
女房たちには煩わしく、兵部卿の宮は北山の僧都のもとにもお尋ね申され
ましたが、行方は知れなくて、惜しい程だった若紫のご器量などが恋しく、
悲しいとお思いでした。宮の北の方も、若紫の母君を憎いと思い申し上げ
なさった気持ちも失せて、自分が母親代わりとなってこの子を自分の思い通り
に育ててやろうとお思いになっていたのと違ってしまい、残念だとお思いで
ありました。

二条院の西の対には次第に女房が参集いたしました。お遊び相手の女童、
児たちは、たいそう珍しいしゃれたこちらの御殿のご様子なので、無邪気に
皆で遊んでおりました。若紫は、源氏の君がご不在だったりして寂しい夕暮れ
時などだけは、尼君を恋慕い申し上げなさって、泣いたりもなさいますが、
父宮のことは特に思い出されることもございませんでした。もともと父宮とは
ご一緒にお過ごしにはなっておられないので、今はただ、この継父である
源氏の君をたいそう馴れ親しみ申し上げなさっております。

源氏の君がよそからお帰りになりますと、すぐにお出迎えして、懐かし気に
うちとけたお話をして、源氏の君の懐の中にお座りになり、少しも親しめない
とも、きまりが悪いとも思っておられないのは、これはこれとして、とても可愛
らしく思えるものでありました。女としての分別がつき、何かと面倒な関係に
なってしまうと、こちらとしても少ししっくりしない点も出て来るのではないかと、
気持ちに隔たりが生じ、相手の女もともすれば男を恨むようになって、意外な
もめ事が自然と起こって来るものですが、この若紫はとても可愛い遊び相手
でした。

実の娘などでもまた、これ位の歳になると、父親に打ち解けて振舞い、
心の隔ても無い様子で一緒に寝起きなど、とても出来ないであろうに、
これは本当に風変わりな秘蔵の娘だ、と源氏の君はお思いのようで
ございました。
                              第五帖「若紫」了

こじれる時というものは・・・(2)

2018年6月25日(月) 溝の口「湖月会」(第120回)

第2金曜日のクラスに続いて、こちらのクラスもめでたく丸10年の
120回目を迎えました。来月からは11年目に入りますが、頑張って
皆でゴールを目指したいと思います。

6/8のほうで、「こじれる時というものは・・・(1)」と題し、誤解が誤解を
生み、事態がどんどん悪い方向へと進んで行く話の発端となる部分を
ご紹介しました。

何事もないまま一夜が明けて帰って行く夕霧の姿を、御息所の祈祷に
携わっている僧侶たちに目撃され、それを気の利かない律師が御息所
に告げてしまいました。

真意を質したいと落葉の宮にお会いになったものの、母と娘は互いに
何も言えず、御息所はそれなら不本意ではあるけれど、いっそ夕霧を
婿として正式に迎えるほうが、まだしも世間体は良かろうとお考えに
なるのでした。

今日はその続きとなります。

御息所がそのように心弱りなさっているところに夕霧からの手紙が届き
ました。御息所がご覧になると「あなたからあんなに冷たくされると開き
直ってどうとでもなれ、と振舞ってしまいそうな気になります」と、書かれて
いて、「せくからに浅さぞ見えむ山川の流れての名をつつみ果てずは」
(どうせ浮名が立つのは防ぎようがないのですから、私を拒み通そうと
するのは利口なやり方とは思えませんが)と、添えられている歌もやや
ふざけた書きぶりです。

当時は男が三夜続けて通って来て初めて結婚が成立するわけですから、
二日目の今夜、こんな手紙だけが届いて本人はやって来そうにもない、
ということは、このままでは娘は世間の笑い者になってしまうだけだ、と
御息所は心を痛め、もう筆を持つのもままならぬ身体に鞭打って、
「女郎花しをるる野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ」(女郎花
〈落葉の宮〉の嘆きしおれている野辺〈この小野の山荘〉を、いったい
どこだと思ってただ一夜の宿となさったのでしょう)と、夕霧宛に手紙を
したためられました。

受け取った夕霧がこれを読んで直ちに小野に駆けつけていれば、最悪の
事態は避けられたのですが、事がこじれる時というのは、全てが上手く
行かなくなるものなのですよね。

この先はあの国宝「源氏物語絵巻」夕霧の段に描かれている有名な場面と
なりますので、それは来月のお楽しみです。


水晶玉に映っていたなら・・・

2018年6月22日(金)

以前に別の場所で開催されていた「栄花物語」の講読会で、
第6巻「かがやく藤壺」から第8巻「はつはな」迄を読みましたが、
その後、溝の口で再び「かがやく藤壺」からスタートしたので、
次の第9巻「いはかげ」に入るのを待って、先月からメンバーに
加えていただきました。受講する側での参加は楽です。

「いはかげ」は一条天皇の崩御を中心に書かれている巻ですが、
ご病気の一条天皇が譲位なさろうとするところから始まります。
東宮(のちの三条天皇)が天皇に即位されるのは問題ないとして、
次の東宮を第一皇子の敦康親王(母・中宮定子)にするか、道長の
娘の彰子が産んだ第二皇子・敦成親王にするかは、様々な思惑が
絡むことでした。

一条天皇としては、敦康親王を東宮に立てたいお気持ちだったし、
中宮彰子も父道長に敦康親王を推挙しますが、道長としては、
自分の目の黒いうちに敦成親王を東宮の座、引いては天皇の座に
つけたいのは当然で、結局、東宮は敦成親王(のちの後一条天皇)
に決まりました。

確かに祖父・道隆、母・定子、伯父・伊周、と、後ろ盾になってくれる
はずの人は既になく、敦康親王が東宮となっても、それはいばらの
道だったかもしれません。しかしながら、天武朝以降、中宮(皇后)
所生の第一皇子で立太子出来なかったのは、敦康親王ただ一人で、
それを思うと、希望を断たれた時の敦康親王の気持ちは如何ばかり
だったでしょう。

道長がここで敦康親王を東宮に立てていれば、その度量の大きさが、
後々の世まで高く評価されたに違いありません。

敦康親王は20歳で亡くなっています。ゆえに、この時僅か4歳の
敦成親王を東宮に立てなくとも、道長が外戚としての力を振るう
時代は到来したのですが、先は見えないのがこの世の定め。
道長が未来を映す水晶玉を見ることが出来ていたならもっと男を
上げていたかも、などと考えているうちに、ブログに書いて見たく
なりました。


薫のプライド

2018年6月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第202回)

「梅雨の晴れ間」は昨日だけ。今日はまた鬱陶しく、気温も低めの
一日となりました。

今このクラスが読んでいる第47帖「総角」は長い巻ですが、中盤に
差し掛かり、これからが読み応えのあるところとなります。

大君に逃げられて、一人残された中の君と何事もないままの一夜を
過ごした薫は、中の君さえ結婚してしまえば、薫を中の君と結婚させ
ようとお考えの大君も諦めて、自分との結婚を承知して下さるだろう
と、かねてより中の君にご執心の匂宮を宇治に案内し、中の君の
部屋に忍び込ませることにしました。

事は薫の思い通りに運び、その間に薫は大君と対面します。後で
匂宮を中の君に逢せたことが分かって大君に恨まれるのも、と思い、
薫は「匂宮がついて来られたので嫌とは言えず」ということにして、
今、匂宮が中の君のもとにおいでなのを白状しました。

大君はあまりのことに呆れ果て、諦めて薫のものになってくださる
どころか、ますます心を閉ざし、ついに三回目となるこの夜も、薫は
大君と結ばれることなく終わってしまったのです。

夜が明け切らないうちに京へと帰って行く二人の気持ちは対照的です。
初めて逢った中の君に匂宮は強く惹かれ、この先の逢瀬が難しいだけに、
「一夜も逢わずにいられようか」とお悩みの様子です。六条院へと帰邸し、
薫はそんな匂宮を「並々ならぬご熱意ですね」とひやかしながら「しるべの
をこがましさを、いと妬くて、愁へもきこえたまはず」(案内をした自分の
ほうが本意を遂げられなかった馬鹿らしさを思うと、くやしくて、匂宮に
愚痴をお聞かせもなさいません)という有様でした。

好色な匂宮は、まさか一晩中一緒に過ごしながら、薫と大君が何も
なかっただなんて思ってもおられないことだけに、いくら親友と言えども、
ここで本当のことを打ち明けるには、さすがに薫としては、プライドが
許さなかったのでありましょう。


浮舟の母・中将の君

2018年6月16日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第150回)

昨日来の梅雨寒ですが、今日はいっそう風が冷たく感じられる一日と
なりました。

このクラスは第50帖「東屋」に入って2回目。「源氏物語」の最後の
ヒロイン浮舟は登場しているものの、まだ「東屋」の前半では、殆ど
心情が語られることもなく、中心となっているのは母親の中将の君です。

浮舟の母親は、八の宮の北の方の姪にあたりますが、両親が早くに
亡くなったのか、血縁を頼って八の宮家に女房として仕えていました。
北の方亡き後、八の宮の召人(めしうど/お手つきの女房)となって
浮舟を産みましたが、八の宮は浮舟を娘として認めず、中将の君も
疎んじられてしまいました。八の宮家に居づらくなった中将の君は
浮舟を連れて出て行き、受領の後妻におさまったのでした。

こうした経緯を持つ中将の君の心理は複雑です。自分も今は紛れも
なく属している中流貴族の受領階級を、上流貴族社会を経験した者と
して蔑む一方で、自らの辛い体験を通して、上流貴族男性に対する
強い不信感も持ち続けておりました。

だからこそ、浮舟の縁談が破談となった時、薫の申し出を受けては、
と乳母が進言しても、身分違いの縁組は身を滅ぼすものと言って、
即座に退けたのでしょう。

ところが、二条院で匂宮の姿を垣間見るや、高貴な男性に対する
不信感はあっさりと覆り、「この御ありさま容貌を見れば、織女ばかり
にても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな」
(この匂宮のご様子、ご容貌を見ると、たとえ織女のように一年に一度
の逢瀬であっても、こんなふうにお逢いすることが出来るなら、どんなに
素晴らしいことであろう)と、思うようになっていました。

若君を挟んで仲睦まじい匂宮と中の君の姿を目の当たりにして、
中将の君は浮舟だってこのような高貴な方のお側に並んだとしても
見劣りはすまい、と、娘の結婚に高い理想を抱くようになりました。

認められなかったとはいえ、浮舟は何といっても八の宮の血を引いて
おり、言わば中の君とは同等ではないか、という中将の君に内在する
意識がここに顕在化して来たと考えることも出来ましょう。

こうした母親の心の揺れは、これから先の浮舟の心の揺れを予感させ、
いよいよ浮舟と匂宮の出会いの場に繋がって行くことになるのです。


清少納言の歌が寡作なわけ

2018年6月15日(金) 溝の口「枕草子」(第21回)

「梅雨寒」と言うのでしょうか、雨に加えて気温も上がらず、久々に
肌寒さを感じる一日となりました。明日まではこのような状態が続く
ようです。

前回読みかけた第94段、とても長い段ですが、今回、残り全部を
読み終えました。

中宮さまが職御曹司にいらした長徳4年(998年)の5月、旧暦なので、
ちょうど今と同じ「梅雨」(五月雨)の頃となります。

退屈しのぎに、清少納言たちは松ヶ崎へとホトトギスの声を聞きに
出掛けました。道中、中宮さまの伯父にあたる高階明順(あきのぶ)の
家に立ち寄ります。うるさいほどホトトギスの鳴く声も聞こえていたの
ですが、歓待を受けて大はしゃぎをし、歌を詠むのも忘れているうちに、
雨が降り出してしまいました。

「歌はどうするの?」「いいわよ、帰り道で詠めば」といった具合で、咲き
乱れている卯の花で牛車を飾り立て、帰路につきました。せっかくの
「花牛車」を、誰か噂してくれるような人に見せたくて、一条殿に住む
藤原公信(きんのぶ)に使者を遣わしました。慌てて出て牛車を追い
かけて来た公信でしたが、土御門(上東門)まで来たところで、雨が
土砂降りに。公信は卯の花の一枝を手に取ってお帰りになりました。

職御曹司に戻ると、中宮さまからは当然歌のご催促がありましたが、
これこれでまだ詠めていません、と答えるしかない清少納言でした。

そうこうしているうちに、公信から先程の卯の花に付けた手紙が届き、
返歌をしなければ、と同僚女房と押し付け合っていたところ、ひどい
雷雨となって、またしても歌どころではなくなったのです。

雷が鳴りやんだ頃にはもう夜。帝からのお見舞いの使者の相手なども
しなければなりませんし、今日は歌には縁のない日なんだな、と思って
おりました。

二日後、清少納言は中宮さまに、自分が歌を詠みたくない理由を
語ります。それは歌人の家系に生まれた限り、やはり、人並み以上の
歌を詠みたい、つまらない歌を、ただ元輔(清少納言の父)の娘という
だけで、人に先んじて詠んだりすれば、それは著名な歌人であった父や、
曽祖父(清原深養父)の名を汚すことになる、というものでした。

中宮さまもお笑いになりながら、「じゃぁ、お前の好きにするがいい。
もう私は歌を詠め、とは言わないから」とおっしゃったのでした。

その後、庚申の夜に、中宮さまの兄・伊周が、夜通し女房たちに歌を
詠ませる企画をなさった折も、伊周の要請にもかかわらず、清少納言は
「私は中宮さまの許可を戴いているから詠みませんわ」と仲間に
加わらないのでした。

清少納言ほどの感性の持ち主なら、歌を詠むことなど難しくあるまい、
と思われますし、実際、「百人一首」にも採られていますので、意外な
気もするのですが、彼女は本当に歌は申し訳程度にしか詠んでいません。
「清少納言集」という私家集に残されている歌は、本によって多少の差は
ありますが、35首前後に過ぎません。

これほどまでに寡作なのは、やはり「有名歌人の娘」というプレッシャー
が大きくのしかかっていたからでありましょう。でも、そのおかげで、
三十一文字の枠には収まらない活き活きとした文章で、随筆という
新たなジャンルの担い手になれたことを思うと、人間何が幸いするか
わかりませんね。


若紫、二条院へ

2018年6月11日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第27回・№2)

台風の影響による大雨も、出掛ける頃には傘もたいして濡れないほどに
なっていて、助かりました。

本日で、溝の口「紫の会・月曜クラス」は、第5帖「若紫」を読み終えました。

源氏が葵の上の許を訪れておられる時、惟光が来て、若紫が明日
父宮の邸に引き取られることになった件を知らせます。

先日来られた父宮(兵部卿の宮)が、一人残された若紫の姿を見て、
このままここに置いておくことは出来ない、とお思いになってお帰りに
なったことは、5/24の記事で書きました。「迎えに来る」と若紫に
お約束なさった通り、父宮も行動を起こされたのでした。

源氏はしばし、どうしたものかと悩みます。兵部卿の宮に先んじて
若紫を二条院に連れて行こう、とは思うものの、まだ幼い少女を
自邸に囲うような真似をしては世間体も悪かろう、とか、父宮に後で
そのことを知られたら何と思われよう、などと、あれこれ思案を巡らし
ますが、やはりこのチャンスを逃したら、悔やんでも悔やみきれない
ことになるだろう、と決心して、まだ夜が明けないうちに、若紫を
故按察使大納言邸から連れ出してしまったのです。

今なら警察沙汰になるような源氏のやり方ですが、これによって
若紫の運命は決まったのです。この時若紫10歳、43歳で亡くなるまで、
途中源氏が須磨・明石に退居していた二年余りを除き、終生、源氏と
共に人生を歩むこととなりました。

他人は紫の上を「幸い人」と称しました。果たしてそう呼ぶことが
出来るのでしょうか。私たち読者は、紫の上の命が尽きる「御法」の
巻まで読み終えた時、必然的にこの問題に向かい合わざるを得ない
ように、作者・紫式部は物語を展開して行くのです。

源氏が若紫を自邸に引き取るまでの過程を述べたこの場面、詳しくは
先に書いた「全文訳(12)」をご覧ください。


第五帖「若紫」の全文訳(12)

2018年6月11日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第27回・№1)

今回読みました「若紫」の巻の231頁・14行目~241頁・8行目迄の
前半部分(231頁・14行目~236頁・7行目)の全文訳です。
後半部分は6/28(木)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

源氏の君は左大臣邸にいらっしゃいましたが、例によって葵の上はすぐにも
お逢いになりません。源氏の君は何となく面白くない思いで、和琴をすが掻き
にして「常陸には田をこそ作れ」という歌を、とても優雅な声で口ずさんでおられ
ました。

惟光が参上したので、呼び寄せてあちらの様子をお尋ねになります。これこれと
申し上げたので、源氏の君は残念にお思いになり、若紫が兵部卿の宮邸に
移ってしまったら、そこからわざわざこちらへ迎え取るのも、好色めいたことで
あろう、年端もゆかぬ少女を盗み出したと、非難されるであろう、父宮がお連れに
なる前に、しばらく人にも口止めをして二条院に連れて来よう、とお考えになって、
「夜が明ける前にあちらへ行こう。車の支度はそのままで、随身の一人、二人に
待機しているように申し付けておけ」とおっしゃいました。惟光は承知して退出
しました。
 
源氏の君は「どうすればよいのか、世間に知れたら如何にも色恋沙汰のように
思われることであろう。相手がせめて男女の仲を理解できて、女が男と心を
通い合わせてしたことだ、と推測されるようなら、それは世間によくあることだ。
あとで父宮にこのことが知れた場合も、具合が悪く、言い訳も出来ぬことだ」と、
思い悩まれますが、かと言ってこの機会を逃したら悔やんでも悔やみきれない
ことと、まだ夜も暗いうちにお出かけになりました。

葵の上はいつものように気も進まぬご様子で、ご機嫌も悪うございます。
源氏の君が「二条院にどうしてもしておかねばならないことがあるのを
思い出しまして。すぐに引き返して参りましょう」と言ってお出になったので、
お側の女房たちも気がつきませんでした。ご自分のお部屋のほうで、直衣
などはお召しになり、惟光だけを馬に乗せてお出でになりました。

門を叩かせなさると、事情も知らない者が開けたので、牛車をそっと引き入れ
させて、惟光が妻戸を叩いて咳ばらいをすると、少納言の乳母は惟光だと
察知して出て参りました。惟光が「ここに源氏の君がお出でです」と言うと、
少納言の乳母は「幼いお方はおやすみになっております。どうしてこんなに
夜深いうちにお帰りなのですか」と、どこかの女の所からの帰りについでに
お立ち寄りになったのだと思って言います。源氏の君が「兵部卿の宮邸に
お移りになるそうですが、その前に申し上げておこうと思いまして」と
おっしゃると、「何事でございましょうか。姫君はどんなにかはきはきした
お返事を申し上げなさることでしょう」と言って、笑って控えておりました。

源氏の君が廂の間にお入りになるので、少納言の乳母はとても困って
「気を許してみっともない年寄りどもが寝ておりますのに」と申し上げます。
源氏の君が「姫君はまだお目覚めではないでしょうな。どれ、私が目を
覚まして差し上げよう。これほどの朝霧を知らずに寝ているなんて」と言って、
御帳台にお入りになるので、「あれ」とお止めする間もありませんでした。

若紫は何も知らずに寝ていたのを、抱き起こしなさったので、目を覚まして
父宮がお迎えにいらしたと、寝ぼけて思っておられました。源氏の君が
髪を撫でつけなどなさって、「さあ、いらっしゃい。父宮の御使いで参りましたよ」
とおっしゃると、「父宮ではなかった」と、びっくりして、怖い、と思っていらっしゃる
ので、「ああ、情けない。私も父宮と同じですよ」と言って、抱きかかえてお出に
なると、大輔や少納言などは「これはどうしたこと」と、申し上げます。「ここには
しょっちゅう伺えないのが気掛かりだから、気の置けない所にお迎えしたい、と
申し上げたのに、情けないことに兵部卿の宮邸にお移りになるそうなので、
そうなったらましてやお話も申し上げ難くなってしまうだろうから。誰か一人
お供されよ」とおっしゃつたので、少納言の乳母は気も動転して「今日はまことに
不都合でございましょう。父宮がお出でになりましたら、どのように申し上げれば
よろしいのでございましょう。自然と時が経って、そうなられるご縁でいらっしゃる
なら、どうとでも思し召し次第でございましょうが、何とも不意のお仕打ちでござい
ますので、私共女房の立場も無くなってしまいます」と申し上げますと、「それなら
よし、女房たちは後からでも来ればよい」と言って牛車を寝殿にお寄せになるので、
驚きあきれて、どうしたものかと途方に暮れておりました。

若紫も様子がおかしい、と思ってお泣きになります。少納言の乳母はお止めの
仕様もないので、昨夜縫った着物を手に持って、自分も適当な着物に着替えて
牛車に同乗しました。

二条院は近いので、まだ明るくならないうちにお着きになって、西の対の屋に
牛車を寄せてお降りになります。源氏の君は若紫を軽々と抱いて降ろしなさい
ました。少納言の乳母が「やはり、どうにも夢を見ているようでございますが、
いったいどうすればよろしいものやら」とためらっていると、源氏の君が「それは
あなたの気持ち次第でしょう。ご本人はもうこちらにお移し申したので、あなたが
帰ろうというのなら、お送りしますよ」とおっしゃるので、しかたなく乳母も降りました。

少納言の乳母は急なこととて、茫然としたまま、胸の波立ちも収まりません。
父宮がどのようにお思いになり、なんとおっしゃるだろうか、姫君はこの先
どうなっておしまいなのだろうか、とにもかくにも、頼りとする方々に先立たれ
なさったのが不運なのだ、と思うと、涙が止まらないのを、さすがに新生活の
始まりに縁起でもない、と思って我慢しているのでした。

西の対は普段はお使いになっていない対の屋なので、御帳台などもござい
ません。源氏の君は惟光を呼んで、御帳台や屏風などを、あちらこちらに
用意をおさせになりました。几帳の帷子を下したり、御座所をちょっと整える
だけで済むので、東の対に夜着を取りに行かせなさって、おやすみになり
ました。

若紫は、とても気味悪くて、どうなさるおつもりなのか、と、身体が震えて
ならないけれど、さすがに声を立ててお泣きになることもできません。
「少納言と一緒に寝る」とおっしゃる声がとても幼いのでした。源氏の君は
「今はもう、そんなふうにおやすみになってはいけませんよ」と、教え申し上げ
なさるので、若紫はとても悲しくて泣きながら横になられました。少納言の乳母は
横になる気もせず、どうしたらよいかわからないままずっと起きて座っておりました。


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