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秋刀魚ご飯

2018年10月29日(月)

ここ数日、爽やかな秋晴れが続いています。

これまで「秋刀魚」と言えば塩焼き一辺倒の我が家でしたが、
先月、ご近所のお友達(渋皮煮を作った大きな栗をくださった方)
から、「秋刀魚ご飯は生臭みも全然なくて美味しいわよ」と、教えて
いただきました。

鯛飯は時折作りますが、秋刀魚ご飯はこれまで食したこともなく、
この歳にして初めてのチャレンジとなりました。

本当に美味しいです!病み付きになって、もう3回も作ってしまい
ました。これも秋の炊き込みご飯の定番となりそうです。

   DSCF3678.jpg
お米2合に焼いた秋刀魚2匹を入れて炊飯。炊き上がってから
一度秋刀魚を取り出し身をほぐしてから、ご飯に戻し混ぜました。


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理想と現実とのギャップ

2018年10月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第31回・№2)

雪の積もった寒い朝、源氏は末摘花の容姿をつぶさに見てしまいました。
胴長で痩せさらばえた身体、象の鼻を連想させる長い鼻、しかもその先が
赤く色づいていて、顔色も悪い。唯一の取り柄は髪の毛くらい。・・・(容姿)

口元を袖で隠している格好も、笏を手にした儀式官のように臂を張って、
野暮ったくてぎこちない。・・・(所作)

歌を詠み掛けても即座に返歌が出来ず、照れ笑いをしているだけ。・・・(才気)

源氏の夢は無残にも砕かれてしまいました。

邸はどこまでも荒れ果てており、松に積もった雪が山里のような風情を
醸し出しているだけに、源氏は、あの「雨夜の品定め」で、左馬頭たちが
話していたように、このような「葎の門」(荒れ果てた宿)に一人住む、
気の毒な身の上の可愛い女と恋に落ち、気掛かりでならない、という
状況になれば、「あるまじきもの思ひ」(あってはならない物思い=藤壺へ
の思慕の念)も、それに紛らわすことができたであろうに、と思うのでした。

美女との出会いに恰好の荒れ果てた宿にも拘らず、容姿も所作も才気も
すべてに劣る末摘花がここに居るという現実。理想と現実との大きな
ギャップを見せつけられてショックを受けた源氏でしたが、自分以外の男
ならきっと我慢できるはずがない、こうした縁も亡き常陸親王(末摘花の父)
のお導きかと思い、実用面での援助は惜しみませんでした。

来月で「末摘花」の巻は読了予定です。

記事内容の詳細は、先に書きました「末摘花」の全文訳(8)をご覧頂ければ、
と存じます。


第6帖「末摘花」の全文訳(8)

2018年10月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第31回・№1)

今日は「末摘花」の巻の269頁・10行目~276頁・5行目迄を読みました。
前半部分(269頁・10行目~272頁・10行目)の全文訳は、10/8のほうで
書きましたので、後半部分(272頁・11行目~276頁・5行目)の全文訳と
なります。(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

牛車を寄せた中門が、たいそうひどく歪んでよろけていて、夜目にはそうと
はっきりわかってはいても、何かと目立たぬことも多かったのですが、明るい
中で見ると、とても気の毒な程寂しく荒れ果てているのに、松の雪だけが
綿を着たように暖かそうに降り積もっているのが、山里のような気がして
情趣をそそられるので、あの雨夜の品定めの折に左馬頭たちが言っていた
「葎の門」とはこのようなところだったのであろうよ、本当に労しく可愛気の
ある女をここに住まわせて、心配で恋しくてならない、というような恋がしたい、
そうすれば、あってはならない物思いは、それによって紛れることだろうと、
理想的な恋の舞台となりそうな住まいには似合わない姫君のご様子が、
お話にならない、と思いながら、自分以外の男なら、なおさら我慢できるまい、
こうして通うようになったのは、亡き常陸の親王が、姫君のことが気掛かりで、
身に添え置きなさった魂の導きなのだろう、と源氏の君はお考えになって
おりました。

橘の木が雪に埋もれているのを、御随身を呼んで払わせなさいます。それを
羨やむような顔で、松の木がひとりでに起き返って、さっとこぼれ落ちる雪も、
「空から白波が越えて来るようだ」と見ると、さほど深い味わいは無くとも、
おかしくない程度に受け答えの出来る人がいて欲しいものだ、とご覧になる
のでした。
 
牛車が出て行くはずの門がまだ開いていなかったので、鍵の番人を捜し出した
したところ、おじいさんでたいそうみすぼらしい男が出て来ました。娘なのか、孫
なのか、どっちつかずの年頃の女が、着ている物は雪に映えて汚れが目立ち、
たいそう寒そうな様子で、おかしな入れ物に、火をほんの少し入れて、袖で囲う
ようにして持っておりました。おじいさんは、一人で門を開けられないので、女が
傍に寄って手を貸している様子は、とても不格好でした。源氏の君の供人が
近寄って開けたのでした。
 
「ふりにける頭の雪を見る人も劣らずぬらす朝の袖かな(老人の頭に積もった
雪のような白髪を見る私もそれに劣らず涙で濡らしている朝の袖であることよ)
若者は身を包むだけの着物も無い」

と口ずさまれると、鼻の色が赤くなって、たいそう寒そうに見えた姫君のお顔が
とっさに思い出されて苦笑いなさるのでした。頭中将に姫君の赤鼻を見せたなら、
どんなことを譬えて言うだろう、いつも様子を探りに来ているから、そのうちに
この姫君とわたしとの関係も知られよう、と思うとやり切れなくお思いになって
おりました。

姫君が世間並みの普通の容貌ならば、忘れ去ってしまうところを、あの容姿を
さだかにご覧になってからは、却ってしみじみと気の毒に思われて、真面目な
様子で、始終訪れなさいます。黒貂の皮ならぬ絹や、綾や、綿など、老女房らの
着るべき衣類や、あの鍵番のおじいさんの為にまで、身分の上下を問わず、
配慮して差し上げなさるのでした。このようなこまごまとした実用的な贈り物を
しても、姫君が恥ずかしそうではないので、源氏の君は気が楽で、実用面での
お世話役として力になろうとお考えになって、普通とは異なった、男女の仲と
しては考えられない遠慮のない援助もなさるのでした。
 
あの空蝉が、くつろいで碁を打っていた宵に見た横顔は、「たいそうひどい容貌
だったけれど、たしなみ深さに欠点が隠されて残念だとは思えなかったのだよ、
常陸宮の姫君は空蝉に劣るはずもない身分の方なのに、ほんとうに女の良し悪し
は身分の上下にはよらないものだったんだなぁ、空蝉は気立てが滑らかで、癪に
障るほどしっかりした人だったけれど、こちらが負けた形で終わってしまったことよ」
と何かにつけて思い出しておられました。

年も暮れました。源氏の君が宮中でご自分のお部屋である桐壺においでになる
と、大輔の命婦がやって参りました。整髪をなさる時などには、色めいた関わりは
抜きで気楽ではあるものの、冗談などをおっしゃっては身近に召し使っておられる
ので、お呼びが無くても、申し上げるべきことがある時には源氏の君のもとに参上
するのでした。

「妙なことがございますが、申し上げないのもひねくれているようで、思案に余り
まして」と、命婦が意味ありげに笑ってはっきりと申し上げないので、「どんなこと
なのだ。私に遠慮することなどあるまいと思うが」とおっしゃると、「どうして遠慮
などいたしましょう。私自身の問題でしたら、恐れ多くとも真っ先に申し上げます。
これは、どうも申し上げ難いことでして」と、ひどく勿体ぶっているので、「またいつも
の気を持たせる素振りをして」と憎みなさいます。命婦は「あの常陸の宮家の姫君
からのお手紙で」と言って、取り出しました。源氏の君が「それならましてやこれは
隠して置いてよいものではなかろう」と言ってお受け取りになるにつけても、命婦は
胸がつぶれる思いがしておりました。

厚ぼったい陸奥紙にお香だけは深く焚きしめておられました。あの姫君にしては
よくぞ手紙を書きおおせていらっしゃいました。歌も
 
「唐衣君が心のつらければ袂はかくぞそほちつつのみ」(あなたのお心が冷たい
ので、私の袂はこのように涙で濡れております)

と、書きおおせてありました。


帰る実家のある幸せ

2018年10月22日(月) 溝の口「湖月会」(第124回)

第2金曜日のクラスと同じく、こちらも今回で第39帖「夕霧」の巻を
読み終えました。

何度も何度も落葉の宮をかき口説きながら不首尾に終わっていた夕霧
が、やっと思いを遂げた頃、夫の浮気に堪忍袋の緒が切れた雲居の雁は、
子どもたちを連れて実家である致仕大臣家へ帰ってしまいました。

帰って来るよう、たびたび手紙を持たせて使者を遣わしても、雲居の雁は
返事一つ寄越しません。舅の手前もあり、夕霧が迎えに行くと、部屋には
子どもたちとその乳母、年老いた女房たちが居るだけで、雲居の雁は、
ちょうど里下がり中の弘徽殿の女御(雲居の雁の異母姉・冷泉院の女御)
のところに遊びに行ってしまっていました。

夕霧が、短慮な行動を責めると、「何も私だけが我慢することはないと思って
のことだわ」と、雲居の雁は言い返します。結局、夕霧は雲居の雁を説得し
切れず、スゴスゴと一人引き上げる破目になりました。

この場面を読むと、帰る実家のある女君は恵まれていると思います。

紫の上のように帰る実家も無く、夫しか頼れる人がいない女君は、心の中に
強い葛藤を抱えながら、それを表に出すことも出来ず、遂には心身を病んで
行くしかなかったのですから。

また気立ても、雲居の雁は、素直で、明るくて、鷹揚なところが、誰からも
愛されるキャラクターだったようです。

14歳の時に夕霧と引き裂かれ、父邸に連れて行かれて以来、ここが実家と
なったのですが、本来なら継母にいじめられても仕方のない立場にありながら、
そのような様子も無く、異母姉ともこうしてとても仲良くしていることを思うと、
憎めない性格(得な性格ですよね)だったことが分かります。

大宮に可愛がられ、「おばあちゃん子」の良さをたっぷりと身に付けていた気が
する雲居の雁です。


十三夜

2018年10月21日(日)

9月24日の「十五夜」に続き、今日10月21日の「十三夜」も
月を見ることが出来て、願った通り、片見月(片月見とも)
とならずに済みました。

「十五夜」のほうは、半ば諦めていたのがラッキーなことに
綺麗に見えた、と言う感じでしたが、今日は朝から快晴。
大いに期待して、和菓子屋さんで月見団子も購入しました。

「十三夜」は「栗名月」とも申しますので、栗ご飯も用意しました
が、息子一家が夕飯に来てバタバタしているうちに、写真も
撮らないまま、食べ終わってしまいました(-_-;)

    DSCF3673.jpg
  「十五夜」と同じ南東のベランダから望んだ「十三夜」の月

    DSCF3670.jpg
  13個の小さなお団子、少しずつ皆で分けていただきました


紫式部の夫の話

2018年10月19日(金) 溝の口「枕草子」(第25回)

2015年4月24日の記事(カテゴリ:紫式部日記の講読会)でも取り上げました
が、紫式部は自身の日記で、清少納言を見苦しい程までに酷評しています。

「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、まな
書きちらしてはべるほども、 よく見れば、まだいとたらぬことおほかり。かく、
人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、 行くすゑうたてのみ
はべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれに
すすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさま
にもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。」
【現代語訳】
(清少納言は得意顔をして偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字
を書きちらしておりますのも、よくよく見ればまだ未熟な点が沢山。このように
人とは違うのよ、と思い、そうしたがる人は、きっと後には見劣りがし、行く末は
悪くなるばかりですから、風流ぶっていてそれが身についてしまった人は、全く
殺風景なつまらない時でも、しみじみと感動しているように振舞い、興あることも
見逃さないようにしているうちに、自然とよくない軽薄な態度にもなるのでしょう。
そんな軽薄になってしまった人の最後が、どうしてよいことがありましょう。)

まるで呪詛しているようで、怖いほどの文で結んでいます。一面識もないはずの
清少納言を、紫式部がここまで憎悪した理由は千年経った未だに謎です。でも、
今講読会でテキストにしている「新潮日本古典集成・枕草子」の校注をなさった
萩谷朴先生は、今日読んだ第114段に書かれている紫式部の夫・藤原宣孝の
御嶽詣の逸話の記述が、原因だとされています。

御嶽詣の前には潔斎をし、ことさら粗末な浄衣姿で参詣するのが常識だった
この時代に、宣孝は「そんなみすぼらしい格好で参詣しても、権現さまがお喜び
になることはあるまい」と言って、行き交う人々が皆びっくりするような、ど派手な
格好で参詣したのですが、何とその二ヶ月後、辞任した筑前守の後釜に任ぜられ
たので、世間も唖然。「いやぁ、言ってた通りになるなんてねぇ」と評判になったと
いう話です。

本来、この段は「あはれなるもの」(しみじみと感じられるもの)を述べていた
のですが、「御嶽精進」(御嶽詣の前の潔斎)の話から、「そうそう、御嶽詣と
言えばね」と、「あはれなるもの」から横道に逸れた話として書いたものです。

これが、最初に書いた「紫式部日記」の清少納言酷評の原因かどうか、萩谷説
には賛否両論あると思います。私個人としては、紫式部が宣孝と結婚する8年も
前の事ですし、それも先日「今月の光琳かるた」で紹介した正岡子規の躬恒批判
ほどの過激なものでもなく、この宣孝の話が直接の原因とは考え難いのですが、
皆さまはどのようにお考えでしょうか。


罪な女房の噂話

2018年10月17日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第206回)

風も無く、爽やかな秋そのものの一日となりました。このような日が
しばらく続いて欲しいと思いますが、明日からは段々と寒さが増して
来るそうですね。

湘南台クラスは、第47帖「総角」の終盤に差し掛かっています。

宇治へ紅葉狩にやって来ながら、八の宮邸へと足を運ぶことの
出来なかった匂宮を、妹(中の君)への裏切りと思い込んだ大君は、
病の床に臥すまでになってしまいました。さらに追い打ちをかけた
のが、一人の女房の噂話でした。

薫が宇治を訪ねているうちに、従者の一人が八の宮家の若い女房と
恋仲になりました。そこで寝物語に匂宮の話を始めます。禁足を命じ
られて、宮中にずっと閉じ籠っておられること。右大臣(夕霧)家の
姫君と年内にも結婚のご予定らしいが、ご本人は気乗りがせず、
新参の女房にちょっかいを出したりして、ご両親(帝と明石中宮)の
いいつけにも素直にはお従いにならないご様子であること、などを
語りました。これを聞いた若い女房は早速女房仲間に、自分は京の
大ニュースを知っているとばかり、自慢します。

10月4日に書いた二条院に仕える女房と共通するものがあります。
ただ、あちらは浮舟との婚約を一方的に破棄した少将の噂話で、
さほど重大な波紋を投げかけるような話題ではありませんでした。

でも、こちらは違います。ただでさえ、中の君が匂宮に弄ばれて捨て
られたのでは、と気に病んでいる大君を決定的に打ちのめします。
やはり妹は匂宮がれっきとした正妻を迎えるまでの慰みものでしか
なかったのだと、大君はいよいよ生きて行く力を失ったのでした。

別に悪気のない女房同士の他愛ないおしゃべりです。それが一人の
女性を、間接的であるにせよ死に追い込む要因となってしまうとは。
特別なこともない偶然が、大きな意味を持つ出来事となる、というのは、
この場合に限ったことではなく、いつの世にもあり得る話だと思います。
こうした偶然の一つにも、作者の巧みな設定が垣間見えて、心憎い
ばかりです。


今月の光琳かるた

2018年10月16日(火)

このところ「光琳かるた」の入れ替えが遅れ気味で、今月も既に半ばを
過ぎてしまいました。

パラパラと暦をめくっておりましたら、今年は明日10月17日が旧暦の
9月9日、「重陽の節句」(菊の節句)に当たります。明日は「源氏の会」
がありますので、今日の内に「菊」に因んだこの歌をご紹介しておきたい
と思います。

「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」
                           二十九番 凡河内躬恒
    DSCF3668.jpg
 (もし折るならば当て推量で折ってみようか。初霜が置いてどこに
  あるのか分からなくなっている白菊の花を)

「重陽の節句」はもともと中国の節句でしたが、それが我が国に伝わると、
邪気を払い長寿を願って、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わし、「菊の
節句」として定着しました。また「着せ綿」と言って、前夜、菊の花に真綿を
置いて露を含ませ、それで顔や身体を拭うと、アンチエイジング効果がある
ともされていました。ただし、当時の菊は白か黄色の小菊で、豊富な色や
大輪の菊は、近世以降の品種改良によるものです。

作者の凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は、「古今集」の撰者の一人で
あり、紀貫之と並び称されるこの時代を代表する歌人ですが、落ちぶれた
とはいえ名門の中央氏族である紀氏に比べ、河内国の古代氏族凡河内氏
の末裔の躬恒は、一段と身分が低かったと思われます。そのため、両親の
出自も、躬恒自身の生没年も未詳です。

この歌は、「源氏物語」の「夕顔」の巻で詠まれている有名な「心あてに
それかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」(当て推量ではありますが、
あなた様かと思います。白露の光が加わって輝きを増した夕顔の花なので)
の下地にもなり、名歌として伝えられていた歌だったのですが、明治になると、
短歌革新を目指した正岡子規にケチョンケチョンにけなされています。

「この躬恒の歌、百人一首にあれば誰も口ずさみ候へども、一文半文のねうち
も無之(これなき)駄歌に御座候。この歌は嘘の趣向なり。初霜が置いた位で
白菊が見えなくなる気遣無之(きづかいこれなく)候。趣向嘘なれば趣も糸瓜
(へちま)も有之不申(これありもうさず)・・・」 (「五たび歌よみに与ふる書」)

とまあ、ひどいものです。どうせ嘘を詠むなら「百人一首・6番」の家持の歌、
「かささぎのわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」くらい
壮大な嘘を詠め、と言っています。

今は躬恒のような歌も、子規のような考え方も、どちらも歌の個性として
認められています。


落葉の宮の心の変化

2018年10月12日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第124回)

一歩外に出ると風がひんやりと感じられ、帰りにちょっとスーパーに
寄って買い物をしている内にすっかり日が暮れてしまう、そんな秋の
深まりを覚える季節となりました。

第39帖「夕霧」の最終回。小野から一条の宮に連れ戻されてもなお
夕霧を拒絶し塗籠へと逃げ込んだ落葉の宮でしたが、三日目の夜、
その塗籠でようやく夕霧は思いを果たしました。

ん?どこに書いてあるの?そう、例によって男女が結ばれる場面は
どこにも書いてありません。暗い塗籠にも朝日の気配が感じられる
ようになった、と時間の経過を記して暗示しているだけです。

でも、落葉の宮の心の変化に、読者はハッとさせられます。目の前
の夕霧は「限りもなうきよげなり」(この上もなく綺麗である)という姿
を見せているだけに、落葉の宮は思います。

「故君の異なることなかりしだに、心の限り思ひあがり、御容貌まほ
におはせずと、ことのをりに思へりしけしきをおぼし出づれば、まして
かういみじうおとろへにたるありさまを、しばしにても見忍びなむや」
(亡き夫の柏木が、特別美男というわけでもなかったのに、それでも
思い上がって、私のことを不美人だと何かにつけて思っていた様子
を思い出されると、ましてやこんなにひどく衰えてしまった私のことを、
この夕霧がちょっとの間でも我慢できるだろうか)。

これが女ごころと言うものでしょうか。相変わらずの作者の筆の巧みさ
に唸らされるところでもありますね。

ただ、落葉の宮にも誤解があります。柏木は別に思い上がっていて
落葉の宮を美人ではない、と見下していたわけではなく、彼には
女三宮のことしか関心がなかったので、落葉の宮の目にはそう
映っただけなのでしょう。こうした人の心のずれも、この落葉の宮の
心内語は伝えていると思います。


三度目となりました~栗の渋皮煮~

2018年10月10日(水)

今年もご近所のお友達から大きくて立派な栗を頂戴しました。
この栗を見ると、どうしても渋皮煮にして食べたくなるのです。

一昨年、昨年、に続けて三度目の渋皮煮への挑戦となりました。
少しは慣れて来たはずですが、なかなか思うような仕上がりとは
まいりません。今年は甘味不足で中途半端な味になってしまい
ました。それでも皮を剥く手順などはだいぶ手際よくなった気が
します。

毎年、「源氏の会」の例会時に、栗の渋皮煮を振舞って下さる方が
ありますが(今年もすでにご馳走になりました)、そのレベルへの
到達となると一体いつのことやら・・・。まあ、今の私としてはこの
程度で良しとしましょう。

    DSCF3661.jpg
     これが今年の完成品。美味しそうに見えますか?


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