「文化のみち二葉館」・「徳川園」・「徳川美術館」
2018年11月29日(木)
11月3日~12月16日まで名古屋の「徳川美術館」で開催されている
特別展「源氏物語の世界ー王朝の恋物語ー」に行ってまいりました。
姉と二人での欲張り日帰り旅行で、13:08に名古屋に到着してから
18:35の帰りの新幹線に乗るまで、バスに乗っている間以外は一度も
座らず、食事どころかお茶も飲まず、見て、見て、見て、の半日でした。
昼食も、新幹線の中で済ませるところからスタート。「お昼のお弁当は
私に任せて」という姉の言葉に甘えて、私はお茶だけ持って新横浜駅
から乗車。途中三島から姉が乗車して来たのですが、もう12時近いから、
ということで、すぐさまお弁当を広げました。

「あじひものまぶし弁当」(朝日新聞の全国版で美味しい駅弁として
称賛されたそうです)だけかと思っていたら、姉らしくあれこれおまけ
付き。名物「みしまコロッケ」に「いちご大福」に「コーヒー」まで。もう、
お腹いっぱい!!
名古屋駅からは、今回も洋館好きの姉がここへも寄りたい、というので、
日本の女優第1号の川上貞奴と電力王福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)が
大正9年から同15年までの6年間を過ごした「文化のみち二葉館」にバス
で向かいました。

モダンな外観です

大広間の窓を彩るステンドグラスも素敵!
「文化のみち二葉館」から5分程北へ歩いて「白壁」というバス停から
「徳川園新出来」までまたバスで移動。ちょうど15:00位に徳川園に
着きました。折から紅葉も見頃とのことで、チケットを買って、明るい
うちに徳川園のほうを先に廻りました。

写真では色が綺麗に出ないのが残念なのですが、実際の紅葉は
鮮やかな赤が眩しいほどで、結構大勢の人が訪れていて、数組の
結婚式の記念撮影にも出会いました。
ここからが今日のメインの徳川美術館の特別展の鑑賞です。
国宝の「源氏物語絵巻」や「初音の調度」をはじめとして、中古から
近世に至るまでの、源氏物語の写本、注釈書、絵画作品(今回は
これが特に見応えあり)、工芸品などが展示されており、まさに
「見れども飽かず」で、17:00の閉館ギリギリまでじっくりと鑑賞しました。
「国宝源氏物語絵巻」は、保存のし易さを考えて、昭和の初期に額面装
にされたのですが、それが却って、本紙が常時空気にさらされるなどの
問題があるとして、再び巻物装に戻されて展示されておりました。詞書と
絵が繋がっていて、やはりこれが本来の姿なのだろう、と思いました。
期間中入れ替えがあり、只今は「竹河」(二)、「宿木」(二)、「宿木」(三)
が展示されています。
それにしても、「源氏物語」が、公家ばかりではなく、武家の間にも浸透し、
さらには版本によって庶民にも普及して、絵画作品だけをとっても、絵巻、
屏風、画帖、「風流やつし」の浮世絵に至るまで、実に様々な形で、人々に
愛され続けて来た物語であることを、改めて思い知らされる機会となった
展覧会でした。
単に字面を追うだけではない楽しさに溢れていますので、「源氏物語」に
興味をお持ちの方にはぜひ足を運んでいただきたいですね。
「百聞は一見に如かず」と申しますし・・・。

11月3日~12月16日まで名古屋の「徳川美術館」で開催されている
特別展「源氏物語の世界ー王朝の恋物語ー」に行ってまいりました。
姉と二人での欲張り日帰り旅行で、13:08に名古屋に到着してから
18:35の帰りの新幹線に乗るまで、バスに乗っている間以外は一度も
座らず、食事どころかお茶も飲まず、見て、見て、見て、の半日でした。
昼食も、新幹線の中で済ませるところからスタート。「お昼のお弁当は
私に任せて」という姉の言葉に甘えて、私はお茶だけ持って新横浜駅
から乗車。途中三島から姉が乗車して来たのですが、もう12時近いから、
ということで、すぐさまお弁当を広げました。

「あじひものまぶし弁当」(朝日新聞の全国版で美味しい駅弁として
称賛されたそうです)だけかと思っていたら、姉らしくあれこれおまけ
付き。名物「みしまコロッケ」に「いちご大福」に「コーヒー」まで。もう、
お腹いっぱい!!
名古屋駅からは、今回も洋館好きの姉がここへも寄りたい、というので、
日本の女優第1号の川上貞奴と電力王福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)が
大正9年から同15年までの6年間を過ごした「文化のみち二葉館」にバス
で向かいました。

モダンな外観です

大広間の窓を彩るステンドグラスも素敵!
「文化のみち二葉館」から5分程北へ歩いて「白壁」というバス停から
「徳川園新出来」までまたバスで移動。ちょうど15:00位に徳川園に
着きました。折から紅葉も見頃とのことで、チケットを買って、明るい
うちに徳川園のほうを先に廻りました。

写真では色が綺麗に出ないのが残念なのですが、実際の紅葉は
鮮やかな赤が眩しいほどで、結構大勢の人が訪れていて、数組の
結婚式の記念撮影にも出会いました。
ここからが今日のメインの徳川美術館の特別展の鑑賞です。
国宝の「源氏物語絵巻」や「初音の調度」をはじめとして、中古から
近世に至るまでの、源氏物語の写本、注釈書、絵画作品(今回は
これが特に見応えあり)、工芸品などが展示されており、まさに
「見れども飽かず」で、17:00の閉館ギリギリまでじっくりと鑑賞しました。
「国宝源氏物語絵巻」は、保存のし易さを考えて、昭和の初期に額面装
にされたのですが、それが却って、本紙が常時空気にさらされるなどの
問題があるとして、再び巻物装に戻されて展示されておりました。詞書と
絵が繋がっていて、やはりこれが本来の姿なのだろう、と思いました。
期間中入れ替えがあり、只今は「竹河」(二)、「宿木」(二)、「宿木」(三)
が展示されています。
それにしても、「源氏物語」が、公家ばかりではなく、武家の間にも浸透し、
さらには版本によって庶民にも普及して、絵画作品だけをとっても、絵巻、
屏風、画帖、「風流やつし」の浮世絵に至るまで、実に様々な形で、人々に
愛され続けて来た物語であることを、改めて思い知らされる機会となった
展覧会でした。
単に字面を追うだけではない楽しさに溢れていますので、「源氏物語」に
興味をお持ちの方にはぜひ足を運んでいただきたいですね。
「百聞は一見に如かず」と申しますし・・・。

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紫の上の「御法」
2018年11月26日(月) 溝の口「湖月会」(第125回)
第2金曜クラスと足並みを揃えて進んでおりますので、このクラスも
今回より第40帖「御法」に入りました。
43歳の春を迎えた紫の上は、もはや我が身が余命幾ばくもないこと
を悟っています。
思えば紫の上が初めて「源氏物語」に登場した時(第5帖「若紫」)に、
祖母の尼君が「私がもう今日、明日とも知れない命なのに、あなたは
何にも考えずに雀の子を追いかけているなんて」と、当時10歳だった
紫の上に語りかける場面がありました。あの折、「犬君が雀の子を
逃がしちゃった」と言ってべそをかいていた少女が、年齢的にも祖母と
同じくらいになり(尼君は四十余ばかりとあります)、同じようにまもなく
自分の命が尽きると考えていることにも、感慨深いものがありますね。
出家を願っても源氏に許して貰えない紫の上は、花の盛りに二条院で
自らの発願である法華経千部の供養を行いました。
巻名の「御法」(みのり)は、法会の翌日、紫の上と花散里との間で贈答
された歌、
「絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にとむすぶ中の契りを」
(もうこれが私のこの世での最後の法会でしょうが、現世でも来世でも
結ばれるあなた〈花散里〉とのご縁を頼もしく思っております)
によるもので、本来「御法」は、「法」(仏の教え)に「御」という敬意を
添えた形ですが、転じて「法会」のことも指すようになりました。
その後、この法会を機会に源氏は尊い仏事をあれこれとさせて、紫の上
の病平癒を祈願なさいましたが、その甲斐もなく、暑い夏の頃ともなると、
もう傍で看病している女房たちでさえ、悲嘆にくれるような病状になって
おられました。
次回、季節は秋となり、いよいよ紫の上が最期の時を迎えます。しみじみと
この哀切極まる場面を鑑賞したいと思います。
第2金曜クラスと足並みを揃えて進んでおりますので、このクラスも
今回より第40帖「御法」に入りました。
43歳の春を迎えた紫の上は、もはや我が身が余命幾ばくもないこと
を悟っています。
思えば紫の上が初めて「源氏物語」に登場した時(第5帖「若紫」)に、
祖母の尼君が「私がもう今日、明日とも知れない命なのに、あなたは
何にも考えずに雀の子を追いかけているなんて」と、当時10歳だった
紫の上に語りかける場面がありました。あの折、「犬君が雀の子を
逃がしちゃった」と言ってべそをかいていた少女が、年齢的にも祖母と
同じくらいになり(尼君は四十余ばかりとあります)、同じようにまもなく
自分の命が尽きると考えていることにも、感慨深いものがありますね。
出家を願っても源氏に許して貰えない紫の上は、花の盛りに二条院で
自らの発願である法華経千部の供養を行いました。
巻名の「御法」(みのり)は、法会の翌日、紫の上と花散里との間で贈答
された歌、
「絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にとむすぶ中の契りを」
(もうこれが私のこの世での最後の法会でしょうが、現世でも来世でも
結ばれるあなた〈花散里〉とのご縁を頼もしく思っております)
によるもので、本来「御法」は、「法」(仏の教え)に「御」という敬意を
添えた形ですが、転じて「法会」のことも指すようになりました。
その後、この法会を機会に源氏は尊い仏事をあれこれとさせて、紫の上
の病平癒を祈願なさいましたが、その甲斐もなく、暑い夏の頃ともなると、
もう傍で看病している女房たちでさえ、悲嘆にくれるような病状になって
おられました。
次回、季節は秋となり、いよいよ紫の上が最期の時を迎えます。しみじみと
この哀切極まる場面を鑑賞したいと思います。
源氏の悪ふざけ
2018年11月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第32回・№2)
第2月曜日のクラス同様、こちらの第4木曜日のクラスも今回で
第6帖「末摘花」までを読み終え、来月から第7帖「紅葉賀」に入り
ます。
年が改まり(源氏19歳)、末摘花の許を訪れた源氏が二条院へ
戻って来て、若紫を相手に遊んでいる場面で、「末摘花」の巻は
終わります。
荒れ果てた葎の宿に寂しく住んでいる美女との出会いを期待した
源氏の夢は、ものの見事に打ち砕かれてしまいました。
二条院で、可愛い若紫を相手に、源氏は絵を描いて遊びます。
鼻の赤い女の絵を描き、更にご自分の鼻にも紅を付けて、若紫に
「私がこんな変な顔になったらどうしましょう?」と言い、拭う真似
だけをして「ああ、とれなくなっちゃった」と真面目くさっておっしゃる
のでした。
本気にしてそれを拭おうとする若紫。まだ兄妹のような間柄ですが、
お二人はお似合いのご夫婦のようでした、と書かれています。
私はこの場面の源氏が以前から嫌いで、今もそれは変わりません。
性格や教養なら、本人の努力次第で変わることも可能でしょうが、
持って生まれた容姿はどうすることも出来ません。それをこんな
悪ふざけの対象にするなんて、許せない源氏です。末摘花が
可哀想ではありませんか。
自分の美貌に自信たっぷりで、誰からも褒めそやされることが
当たり前になっている源氏には、そうではない者の心の傷みなど
「分かれ」、というほうが無理だったのかもしれません。
「末摘花」の巻の最後は「かかる人々の末々、いかなりけむ」(この
ような方々の将来は、どうなられたことでしょう)と、意味深長な一文
で結ばれています。末摘花、若紫はもちろんのこと、このような驕り
高ぶった青年源氏の将来も、皆さん見ていてくださいね、と、作者が
読者に投げかけているような気がします。
この場面、詳しくは先に書きました「末摘花の全文訳(10)」をご覧に
なってくださいませ。
第2月曜日のクラス同様、こちらの第4木曜日のクラスも今回で
第6帖「末摘花」までを読み終え、来月から第7帖「紅葉賀」に入り
ます。
年が改まり(源氏19歳)、末摘花の許を訪れた源氏が二条院へ
戻って来て、若紫を相手に遊んでいる場面で、「末摘花」の巻は
終わります。
荒れ果てた葎の宿に寂しく住んでいる美女との出会いを期待した
源氏の夢は、ものの見事に打ち砕かれてしまいました。
二条院で、可愛い若紫を相手に、源氏は絵を描いて遊びます。
鼻の赤い女の絵を描き、更にご自分の鼻にも紅を付けて、若紫に
「私がこんな変な顔になったらどうしましょう?」と言い、拭う真似
だけをして「ああ、とれなくなっちゃった」と真面目くさっておっしゃる
のでした。
本気にしてそれを拭おうとする若紫。まだ兄妹のような間柄ですが、
お二人はお似合いのご夫婦のようでした、と書かれています。
私はこの場面の源氏が以前から嫌いで、今もそれは変わりません。
性格や教養なら、本人の努力次第で変わることも可能でしょうが、
持って生まれた容姿はどうすることも出来ません。それをこんな
悪ふざけの対象にするなんて、許せない源氏です。末摘花が
可哀想ではありませんか。
自分の美貌に自信たっぷりで、誰からも褒めそやされることが
当たり前になっている源氏には、そうではない者の心の傷みなど
「分かれ」、というほうが無理だったのかもしれません。
「末摘花」の巻の最後は「かかる人々の末々、いかなりけむ」(この
ような方々の将来は、どうなられたことでしょう)と、意味深長な一文
で結ばれています。末摘花、若紫はもちろんのこと、このような驕り
高ぶった青年源氏の将来も、皆さん見ていてくださいね、と、作者が
読者に投げかけているような気がします。
この場面、詳しくは先に書きました「末摘花の全文訳(10)」をご覧に
なってくださいませ。
第6帖「末摘花」の全文訳(10)
2018年11月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第32回・№1)
こちらのクラスも「末摘花」の巻の最終回で、本文は276頁・6行目~
283頁・10行目迄を読みました。その後半部分(279頁・14行目~
283頁・10行目)の全文訳です。前半部分は11/12(月)のほうを
ご覧ください。 (頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
一月の上旬の数日を過ぎて、今年は男踏歌があるはずだから、例によって
あちらこちらで音楽の練習をなさっているので、物騒がしいけれど、あの寂しい
常陸の宮邸が気の毒に思い遣られるので、七日の白馬の節会が終わって、
源氏の君は夜になって帝の御前から退出なさいましたが、ご自分のお部屋の
桐壺にお泊りになっていることにして、夜が更けるのを待って常陸の宮邸に
お出でになりました。
ここもいつもの様子よりは、雰囲気が活気づいていて、世間並みに感じられ
ました。姫君も、少しもの柔らかな様子を身に付けていらっしゃいます。「どう
だろうか、姫君もこれまでとは異なり、見違えるように変わっておられたなら」
と、源氏の君は思い続けておられました。
日が昇る頃に、わざとぐずぐずしてお帰りになります。東の妻戸を押し開けると、
向かいにある渡殿が、屋根も無く壊れているので、日差しが近くまで射し込んで、
雪が少し降った光に、たいそうくっきりとお部屋の中までが見えます。姫君が、
源氏の君が直衣などをお召しになるのを見遣って、少しにじり出て来られて、
横で物に寄りかかっておられる頭の様子は、こぼれ出ている黒髪がとても
素晴らしいのでした。
一つ年を取ったせいで、改善された点が見つけられたら、とお思いになって、
源氏の君は格子を引き上げなさいました。前に気の毒なことをしたのに懲りて、
格子をすっかりお上げにはならず、脇息を押し寄せてその上に格子をもたせ
かけて、鬢のほつれなどをお整えになります。どうしようもなく古くさい鏡台の、
唐櫛匣や掻上の筥などを女房が取り出しました。さすがに男性用のお道具が
ちらほら見えるのを、源氏の君は、しゃれていて面白い、ご覧になりました。
姫君のお召し物が今日は世間並みに見えるのは、暮れに源氏の君が贈られた
箱のものをそのままお召しになっているからでした。源氏の君はそうとはお気づき
にならず、しゃれた模様のついた目につく表着だけをご覧になって「おやっ?」と
お思いになっておられました。
「せめて今年からでも、お声を少し聞かせてくださいな。待たれる鶯の初音は
ともかくとして、あなたのご様子が改まるのを拝見したいのですよ」とおっしゃる
と「さへづる春は」と、やっとのことで声を震わせて口になさいました。「ほら、
やっぱり一つ年を取られた証拠ですね」とお笑いになって、「夢かとぞ見る」と
口ずさんで出ていらっしゃるのを、見送って物に寄りかかっておられました。
口を覆った横顔から、やはりあの「末摘花(赤い鼻)」がたいそう鮮やかに
出っ張っていました。源氏の君はみっともないことだ、と思っておいででした。
二条院にお出でになると、若紫が、とても可愛らしい幼い姿で、同じ紅でも
こんなに親しみを感じさせる色もあったんだなぁ、と見える袿の上に、無地の
桜襲の細長をしなやかに着こなして、あどけない様子でいらっしゃるのが、
この上なく可愛らしいのでした。
古風なおばあさまがお育てになっていた名残で、お歯黒もまだしていなかった
のですが、源氏の君がお化粧をさせなさったので、眉がくっきりとしたのも、
可愛らしく気品がありました。自ら求めて、どうしてこんな辛い男女関係に
かかずらうのか、このような気掛かりな人と一緒にいることもしないで、と
源氏の君はお思いになりながら、いつものように若紫と一緒に人形遊びを
なさいます。
若紫は絵などを描いて色をお付けになります。あれこれと上手に面白がって
描き散らされるのでした。源氏の君も描き添えなさいます。源氏の君は髪が
たいそう長い女をお描きになって、鼻に紅を付けてご覧になると、絵に描いた
人物でも見たくもない感じがするのでした。
自分のお姿の鏡台に映っているのがとても美しいのをご覧になって、ご自身の
手で紅を鼻にお付けになって赤くつややかにしてご覧になると、こんなに美しい
お顔でも、そんなふうに赤い鼻が混じってしまっては見苦しいのも当然であり
ました。若紫がそれを見て、ひどくお笑いになります。「私がこんなおかしな顔に
なったらどうしましょう」とおっしゃると、若紫は「嫌ですわ」と答えて、そのまま
染みついてしまうのではないかと、心配しておられました。
拭く真似をして、「ちっとも取れないね。つまらないいたずらをしたものだよ。帝が
どんなふうにおっしゃることだろう」と、たいそう真面目くさっておっしゃるので、
若紫は本当にお気の毒だとお思いになって、近寄って拭いなさると、源氏の君は
「平中のようにこの上に色を加えないでくださいよ。赤いのはまだ我慢できましょう」
と戯れておられるご様子は、とてもお似合いとご夫婦とお見えになりました。
日がたいそううららかであるところに、いつかと待ちかねて霞渡っている梢たちの、
花の咲くのが待ち遠しい中にも、梅は蕾がほころびかかっているのが、ひと際目に
つくのでした。階隠のもとの紅梅は、たいそう早く咲く花で、色づいておりました。
「紅の花ぞあやなくうとまるる梅の立ち枝はなつかしけれど(紅の花がわけもなく
厭わしく思われます。紅梅の高々とした枝には心惹かれるのだけれど)
いやはや」
と、どうしようもなくため息をおつきになっておりました。このような方々の将来は、
どうなられたことでしょう
第六帖「末摘花」 了
こちらのクラスも「末摘花」の巻の最終回で、本文は276頁・6行目~
283頁・10行目迄を読みました。その後半部分(279頁・14行目~
283頁・10行目)の全文訳です。前半部分は11/12(月)のほうを
ご覧ください。 (頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
一月の上旬の数日を過ぎて、今年は男踏歌があるはずだから、例によって
あちらこちらで音楽の練習をなさっているので、物騒がしいけれど、あの寂しい
常陸の宮邸が気の毒に思い遣られるので、七日の白馬の節会が終わって、
源氏の君は夜になって帝の御前から退出なさいましたが、ご自分のお部屋の
桐壺にお泊りになっていることにして、夜が更けるのを待って常陸の宮邸に
お出でになりました。
ここもいつもの様子よりは、雰囲気が活気づいていて、世間並みに感じられ
ました。姫君も、少しもの柔らかな様子を身に付けていらっしゃいます。「どう
だろうか、姫君もこれまでとは異なり、見違えるように変わっておられたなら」
と、源氏の君は思い続けておられました。
日が昇る頃に、わざとぐずぐずしてお帰りになります。東の妻戸を押し開けると、
向かいにある渡殿が、屋根も無く壊れているので、日差しが近くまで射し込んで、
雪が少し降った光に、たいそうくっきりとお部屋の中までが見えます。姫君が、
源氏の君が直衣などをお召しになるのを見遣って、少しにじり出て来られて、
横で物に寄りかかっておられる頭の様子は、こぼれ出ている黒髪がとても
素晴らしいのでした。
一つ年を取ったせいで、改善された点が見つけられたら、とお思いになって、
源氏の君は格子を引き上げなさいました。前に気の毒なことをしたのに懲りて、
格子をすっかりお上げにはならず、脇息を押し寄せてその上に格子をもたせ
かけて、鬢のほつれなどをお整えになります。どうしようもなく古くさい鏡台の、
唐櫛匣や掻上の筥などを女房が取り出しました。さすがに男性用のお道具が
ちらほら見えるのを、源氏の君は、しゃれていて面白い、ご覧になりました。
姫君のお召し物が今日は世間並みに見えるのは、暮れに源氏の君が贈られた
箱のものをそのままお召しになっているからでした。源氏の君はそうとはお気づき
にならず、しゃれた模様のついた目につく表着だけをご覧になって「おやっ?」と
お思いになっておられました。
「せめて今年からでも、お声を少し聞かせてくださいな。待たれる鶯の初音は
ともかくとして、あなたのご様子が改まるのを拝見したいのですよ」とおっしゃる
と「さへづる春は」と、やっとのことで声を震わせて口になさいました。「ほら、
やっぱり一つ年を取られた証拠ですね」とお笑いになって、「夢かとぞ見る」と
口ずさんで出ていらっしゃるのを、見送って物に寄りかかっておられました。
口を覆った横顔から、やはりあの「末摘花(赤い鼻)」がたいそう鮮やかに
出っ張っていました。源氏の君はみっともないことだ、と思っておいででした。
二条院にお出でになると、若紫が、とても可愛らしい幼い姿で、同じ紅でも
こんなに親しみを感じさせる色もあったんだなぁ、と見える袿の上に、無地の
桜襲の細長をしなやかに着こなして、あどけない様子でいらっしゃるのが、
この上なく可愛らしいのでした。
古風なおばあさまがお育てになっていた名残で、お歯黒もまだしていなかった
のですが、源氏の君がお化粧をさせなさったので、眉がくっきりとしたのも、
可愛らしく気品がありました。自ら求めて、どうしてこんな辛い男女関係に
かかずらうのか、このような気掛かりな人と一緒にいることもしないで、と
源氏の君はお思いになりながら、いつものように若紫と一緒に人形遊びを
なさいます。
若紫は絵などを描いて色をお付けになります。あれこれと上手に面白がって
描き散らされるのでした。源氏の君も描き添えなさいます。源氏の君は髪が
たいそう長い女をお描きになって、鼻に紅を付けてご覧になると、絵に描いた
人物でも見たくもない感じがするのでした。
自分のお姿の鏡台に映っているのがとても美しいのをご覧になって、ご自身の
手で紅を鼻にお付けになって赤くつややかにしてご覧になると、こんなに美しい
お顔でも、そんなふうに赤い鼻が混じってしまっては見苦しいのも当然であり
ました。若紫がそれを見て、ひどくお笑いになります。「私がこんなおかしな顔に
なったらどうしましょう」とおっしゃると、若紫は「嫌ですわ」と答えて、そのまま
染みついてしまうのではないかと、心配しておられました。
拭く真似をして、「ちっとも取れないね。つまらないいたずらをしたものだよ。帝が
どんなふうにおっしゃることだろう」と、たいそう真面目くさっておっしゃるので、
若紫は本当にお気の毒だとお思いになって、近寄って拭いなさると、源氏の君は
「平中のようにこの上に色を加えないでくださいよ。赤いのはまだ我慢できましょう」
と戯れておられるご様子は、とてもお似合いとご夫婦とお見えになりました。
日がたいそううららかであるところに、いつかと待ちかねて霞渡っている梢たちの、
花の咲くのが待ち遠しい中にも、梅は蕾がほころびかかっているのが、ひと際目に
つくのでした。階隠のもとの紅梅は、たいそう早く咲く花で、色づいておりました。
「紅の花ぞあやなくうとまるる梅の立ち枝はなつかしけれど(紅の花がわけもなく
厭わしく思われます。紅梅の高々とした枝には心惹かれるのだけれど)
いやはや」
と、どうしようもなくため息をおつきになっておりました。このような方々の将来は、
どうなられたことでしょう
第六帖「末摘花」 了
最期に見せた女ごころ
2018年11月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第207回)
暖かな晩秋だと思っておりましたが、さすがに11月下旬ともなると、
朝晩はめっきり冷え込むようになり、今朝は今シーズン初めて暖房を
点けました。
湘南台クラスは第47帖「総角」の終盤に入っています。
匂宮は宇治へと紅葉狩りに来ながら、結局は中の君の許を訪れない
まま帰京してしまい、その上夕霧の六の君との縁談も進んでいるとの
こと。
自分が父宮の遺言を守れず、妹も守れず、宮家の誇りも守れなかった
ことに、大君は不食(ふじき)の病となり、もはや明日をも知れぬ命と
なってしまいました。
11月になり、幾分体調もよろしいようだ、と聞き、五、六日音沙汰なしに
過ごした薫は、「五節」も近づく多忙な中、やはり大君のことが気になって
宇治にお出でになると、既に大君は危篤状態に陥っておりました。
薫は大君を看取る覚悟を決め、枕元に付き添います。大君は袖で顔を
覆ってはいるものの、あの薄情な匂宮と比べて、穏やかで安心できる
薫の人柄にしみじみとした思いも抱くのでした。
「むなしくなりなむのちの思ひ出でにも、心ごはく、思ひ隈なからじと
つつみたまひて、はしたなくもえおし放ちたまはず」(自分が死んだ後の
思い出にまで、強情で、思い遣りに欠ける女だった、とは思われたくない、
と気になさって、薫を素っ気なく押しのけたりはお出来になれません)
せめて薫の思い出の中ではいい女でいたい、これが死期に臨んで初めて
見せた大君の切ない女ごころだったのです。
来月は、溝の口クラスでは紫の上が、湘南台クラスでは大君が臨終を迎え
ます。作者が登場人物の死を描くのに、殊更力を注いでいるのが紫の上と
大君です。偶然ではありますが、同じ月にその二人の最期の場面を読む
ことに何か不思議なものを感じています。
暖かな晩秋だと思っておりましたが、さすがに11月下旬ともなると、
朝晩はめっきり冷え込むようになり、今朝は今シーズン初めて暖房を
点けました。
湘南台クラスは第47帖「総角」の終盤に入っています。
匂宮は宇治へと紅葉狩りに来ながら、結局は中の君の許を訪れない
まま帰京してしまい、その上夕霧の六の君との縁談も進んでいるとの
こと。
自分が父宮の遺言を守れず、妹も守れず、宮家の誇りも守れなかった
ことに、大君は不食(ふじき)の病となり、もはや明日をも知れぬ命と
なってしまいました。
11月になり、幾分体調もよろしいようだ、と聞き、五、六日音沙汰なしに
過ごした薫は、「五節」も近づく多忙な中、やはり大君のことが気になって
宇治にお出でになると、既に大君は危篤状態に陥っておりました。
薫は大君を看取る覚悟を決め、枕元に付き添います。大君は袖で顔を
覆ってはいるものの、あの薄情な匂宮と比べて、穏やかで安心できる
薫の人柄にしみじみとした思いも抱くのでした。
「むなしくなりなむのちの思ひ出でにも、心ごはく、思ひ隈なからじと
つつみたまひて、はしたなくもえおし放ちたまはず」(自分が死んだ後の
思い出にまで、強情で、思い遣りに欠ける女だった、とは思われたくない、
と気になさって、薫を素っ気なく押しのけたりはお出来になれません)
せめて薫の思い出の中ではいい女でいたい、これが死期に臨んで初めて
見せた大君の切ない女ごころだったのです。
来月は、溝の口クラスでは紫の上が、湘南台クラスでは大君が臨終を迎え
ます。作者が登場人物の死を描くのに、殊更力を注いでいるのが紫の上と
大君です。偶然ではありますが、同じ月にその二人の最期の場面を読む
ことに何か不思議なものを感じています。
恋は盲目?!
2018年11月18日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第155回)
このクラスは第51帖「浮舟」に入って2回目。物語が佳境に近づいて
来ました。おそらく次回は、あの宇治の朝霧橋のたもとに建っている
モニュメントのシーンを読むことになると思います。
今日はその入り口となる、匂宮が薫だと騙って浮舟の寝所に入り
込み、そこで二人が恋に落ちて行く場面を読みました。
前年の秋、偶然二条院で見つけて迫りながらも、思いを遂げること
の出来なかった浮舟とようやく結ばれたのですから、今は匂宮は
完全にのぼせ上がっています。
匂宮の目には浮舟は「見れども見れども飽かず、そのことぞと
おぼゆる隈なく、愛敬づきなつかしくをかしげなり」(どんなに見て
いても見飽きることはなく、どこにも欠点と思われるところもなくて、
愛らしくて親しみが感じられ、女らしい風情がある)と映ります。
ですが、これはあくまで匂宮の浮舟観であって現実はそうではない、
と作者は書き加えます。
「さるは、かの対の御方には似劣りなり。大殿の君のさかりに匂ひ
たまへるあたりにては、こよなかるべきほどの人を、たぐひなう
おぼさるるほどなれば、まだ知らずをかしとのみ見たまふ」(ですが
実のところ、あの中の君には似ているけれど劣っています。夕霧の
姫君〈六の君〉の女盛りの匂い立つような美しさの近くで見たならば、
お話にならないようなレベルの人なのに、今はもうこれ以上の女は
いない、と思っておられる時なので、こんないい女に初めて逢えて
嬉しい、とご覧になっているのです)。
冷静に判断すれば、どう見ても中の君や六の君よりも劣る浮舟を
最上の女に見せているのは、言うなれば「恋は盲目」「痘痕も靨」的
心理が働いていたからなのですよ、と、皮肉な目で匂宮の理不尽な
恋を批評しています。読者も「そうなんだ、そうだよね」と、ちょっと
現実に引き戻されるところです。この物語中の気の利いたスパイス、
心憎い演出ですね。
このクラスは第51帖「浮舟」に入って2回目。物語が佳境に近づいて
来ました。おそらく次回は、あの宇治の朝霧橋のたもとに建っている
モニュメントのシーンを読むことになると思います。
今日はその入り口となる、匂宮が薫だと騙って浮舟の寝所に入り
込み、そこで二人が恋に落ちて行く場面を読みました。
前年の秋、偶然二条院で見つけて迫りながらも、思いを遂げること
の出来なかった浮舟とようやく結ばれたのですから、今は匂宮は
完全にのぼせ上がっています。
匂宮の目には浮舟は「見れども見れども飽かず、そのことぞと
おぼゆる隈なく、愛敬づきなつかしくをかしげなり」(どんなに見て
いても見飽きることはなく、どこにも欠点と思われるところもなくて、
愛らしくて親しみが感じられ、女らしい風情がある)と映ります。
ですが、これはあくまで匂宮の浮舟観であって現実はそうではない、
と作者は書き加えます。
「さるは、かの対の御方には似劣りなり。大殿の君のさかりに匂ひ
たまへるあたりにては、こよなかるべきほどの人を、たぐひなう
おぼさるるほどなれば、まだ知らずをかしとのみ見たまふ」(ですが
実のところ、あの中の君には似ているけれど劣っています。夕霧の
姫君〈六の君〉の女盛りの匂い立つような美しさの近くで見たならば、
お話にならないようなレベルの人なのに、今はもうこれ以上の女は
いない、と思っておられる時なので、こんないい女に初めて逢えて
嬉しい、とご覧になっているのです)。
冷静に判断すれば、どう見ても中の君や六の君よりも劣る浮舟を
最上の女に見せているのは、言うなれば「恋は盲目」「痘痕も靨」的
心理が働いていたからなのですよ、と、皮肉な目で匂宮の理不尽な
恋を批評しています。読者も「そうなんだ、そうだよね」と、ちょっと
現実に引き戻されるところです。この物語中の気の利いたスパイス、
心憎い演出ですね。
今となっては・・・
2018年11月16日(金) 溝の口「枕草子」(第26回)
今回の「枕草子」は、第116段~第123段までを読みました。
どの段にも清少納言らしい筆致が見られ、さて今日のブログにはどこを、
と思案しましたが、やはり最後の2行、「まいて、この後の御ありさまを
見たてまつらせたまはましかば、『ことわり』と、おぼしめされなまし」
(ましてや、この後の道長さまのご威勢を中宮さまが拝見なさったなら、
私が言ったことを「もっともだ」とお思いになったでしょうに)に、ついホロリ
とさせられて、第123段にしました。
この段は、先ず中宮定子の父・関白道隆の威厳に満ちた姿の回想から
始まります。誰もが関白殿のお通りともなるとひれ伏す中、作者は、宮の
大夫(道長)は豪気なお方だから「居させたまふまじきなめり」(跪くおつもり
はないだろう)、と思っておりました。ところが道隆が戸口から出て歩き
出されると、道長はさっと跪いたのでした。
そして時が移り、道隆は既に亡く命日がやって来ます。若い女房たちが、
亡き関白さまのご立派さにあやかりたい、と言って、お祈りをしている
中納言の君(中宮付きの女房)の数珠を借り受けようとしたり、賑やかに
やっています。その様子を微笑みながらご覧になっている中宮さまに、
清少納言が、あの道長の跪いた時のことを何度も繰り返して申し上げる
ので、「いつだってお前はファンだから、そのことばっかりね」と、お笑いに
なりました。
更に時が流れ、もう今はその中宮さまもお亡くなりになって、道長が権勢を
ふるう時代となっています。そこで書かれているのが、最初にご紹介した2行、
となるわけです。
直接的ではないだけに、いっそう清少納言の定子に対する、ひいては「中の
関白家」に対する敬愛の念が感じられ、切なくなります。
この定子没後の回想があるのとないのとでは、読後感が全く異なるであろう、
と思われる段でした。
今回の「枕草子」は、第116段~第123段までを読みました。
どの段にも清少納言らしい筆致が見られ、さて今日のブログにはどこを、
と思案しましたが、やはり最後の2行、「まいて、この後の御ありさまを
見たてまつらせたまはましかば、『ことわり』と、おぼしめされなまし」
(ましてや、この後の道長さまのご威勢を中宮さまが拝見なさったなら、
私が言ったことを「もっともだ」とお思いになったでしょうに)に、ついホロリ
とさせられて、第123段にしました。
この段は、先ず中宮定子の父・関白道隆の威厳に満ちた姿の回想から
始まります。誰もが関白殿のお通りともなるとひれ伏す中、作者は、宮の
大夫(道長)は豪気なお方だから「居させたまふまじきなめり」(跪くおつもり
はないだろう)、と思っておりました。ところが道隆が戸口から出て歩き
出されると、道長はさっと跪いたのでした。
そして時が移り、道隆は既に亡く命日がやって来ます。若い女房たちが、
亡き関白さまのご立派さにあやかりたい、と言って、お祈りをしている
中納言の君(中宮付きの女房)の数珠を借り受けようとしたり、賑やかに
やっています。その様子を微笑みながらご覧になっている中宮さまに、
清少納言が、あの道長の跪いた時のことを何度も繰り返して申し上げる
ので、「いつだってお前はファンだから、そのことばっかりね」と、お笑いに
なりました。
更に時が流れ、もう今はその中宮さまもお亡くなりになって、道長が権勢を
ふるう時代となっています。そこで書かれているのが、最初にご紹介した2行、
となるわけです。
直接的ではないだけに、いっそう清少納言の定子に対する、ひいては「中の
関白家」に対する敬愛の念が感じられ、切なくなります。
この定子没後の回想があるのとないのとでは、読後感が全く異なるであろう、
と思われる段でした。
非常識な贈り物
2018年11月12日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第32回・№2)
5回に渡って読んでまいりました第6帖「末摘花」は、今回で終了です。
前回は、年の暮に源氏の許に大輔の命婦がやって来て、何ともバツが
悪そうに末摘花からの手紙を源氏に見せると、そこには「唐衣君が心の
つらければ袂はかくぞそほちつつのみ」(あなたのお心が冷たいので、
私の袂はこのようにただ涙に濡れるばかりでございます)と、歌が書かれ
ていた、というところまでを読みました。
今日はその続きで、末摘花の詠んだ歌に「唐衣」・「袂」・「かくぞ」(この
ように)などの言葉がどうして使われているのか意味がわからず、源氏が
首を傾げている場面からスタートしました。
歌を見せてしまったからには、もう命婦は末摘花からの贈り物を出さない
訳にはまいりません。
「これは姫君(末摘花)が源氏の君の元旦用のお召し物に、ということで、
ご用意なさったもので」と言って取り出したのは、今様色(濃い紅梅色)の
どうしようもなく艶の無くなった古めかしい直衣でした。おそらくお父様の
常陸の宮がお召しになっていたものなのでしょう。
末摘花のこの贈り物は、二重に非常識と言えるものでした。
一つ目は、通い婚の夫の面倒は妻側で見るものではありましたが、源氏
にはれっきとした葵の上、という正妻があり、こうした正月の衣装などは、
正妻が用意するものでした。すっかり正妻気取りで源氏に衣装を届け
させること自体が非常識極まりないことだったのです。
二つ目は、末摘花の選んだ衣装が源氏もびっくりするほどセンスの良い
物なら、それはそれで許されることだったのかもしれません。ところが、
贈られて来たのは、差し出す命婦が恥じ入るほどの酷いものでした。
でも、ここまで愚直な姫君だと、却って源氏は無視できず、正月明けには
末摘花のもとを訪れて一夜を明かしています。
さあ、末摘花はこの先どうなって行くのでしょう?「帚木系」(玉鬘系)の話は
ここで一旦打ち切られ、再び末摘花がヒロインとして登場するのは第15帖
「蓬生」の巻で、その間に10年の歳月が流れます。
5回に渡って読んでまいりました第6帖「末摘花」は、今回で終了です。
前回は、年の暮に源氏の許に大輔の命婦がやって来て、何ともバツが
悪そうに末摘花からの手紙を源氏に見せると、そこには「唐衣君が心の
つらければ袂はかくぞそほちつつのみ」(あなたのお心が冷たいので、
私の袂はこのようにただ涙に濡れるばかりでございます)と、歌が書かれ
ていた、というところまでを読みました。
今日はその続きで、末摘花の詠んだ歌に「唐衣」・「袂」・「かくぞ」(この
ように)などの言葉がどうして使われているのか意味がわからず、源氏が
首を傾げている場面からスタートしました。
歌を見せてしまったからには、もう命婦は末摘花からの贈り物を出さない
訳にはまいりません。
「これは姫君(末摘花)が源氏の君の元旦用のお召し物に、ということで、
ご用意なさったもので」と言って取り出したのは、今様色(濃い紅梅色)の
どうしようもなく艶の無くなった古めかしい直衣でした。おそらくお父様の
常陸の宮がお召しになっていたものなのでしょう。
末摘花のこの贈り物は、二重に非常識と言えるものでした。
一つ目は、通い婚の夫の面倒は妻側で見るものではありましたが、源氏
にはれっきとした葵の上、という正妻があり、こうした正月の衣装などは、
正妻が用意するものでした。すっかり正妻気取りで源氏に衣装を届け
させること自体が非常識極まりないことだったのです。
二つ目は、末摘花の選んだ衣装が源氏もびっくりするほどセンスの良い
物なら、それはそれで許されることだったのかもしれません。ところが、
贈られて来たのは、差し出す命婦が恥じ入るほどの酷いものでした。
でも、ここまで愚直な姫君だと、却って源氏は無視できず、正月明けには
末摘花のもとを訪れて一夜を明かしています。
さあ、末摘花はこの先どうなって行くのでしょう?「帚木系」(玉鬘系)の話は
ここで一旦打ち切られ、再び末摘花がヒロインとして登場するのは第15帖
「蓬生」の巻で、その間に10年の歳月が流れます。
第6帖「末摘花」の全文訳(9)
2018年11月12日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第32回・№1)
「末摘花」の巻の最終回、本文は276頁・6行目~283頁・10行目迄を
読みました。その前半部分(276頁・6行目~279頁・13行目)の全文訳
です。後半部分は11/22(木)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
どうしてこんな歌が贈られて来たのか訳が分からず首をかしげていらっしゃい
ますと、命婦は、風呂敷の上に衣箱の重そうで古風なのを置いて、源氏の君
の前に押し出しました。
「これをどうして気恥ずかしく思わないことがございましょう。けれど、姫君が
元旦のお召し物ということで、わざわざご用意なさったようですのに、きまり
悪く思われるようにはお返し出来ません。勝手に手許にしまっておきますのも、
姫君のお気持ちを無にしたことになりましょうから、ともかくもお目に掛けてから、
と思いまして」と申し上げますと、「しまい込んでしまわれたら辛いことだったろう
よ。濡れた私の袖を枕にして、乾かしてくれる人もいない私にはとても嬉しい
お気持ちです」とおっしゃって、他には何もおっしゃることが出来ません。
「それにしても呆れた歌の詠みぶりだ。これこそがご自身で詠まれた限界なの
であろう。普通なら侍従が手直しをするところなのだろうが、他にはまたそうした
ことを教える先生もいないのだろう」と、どうしようもない、とお思いでした。姫君が
精魂込めて歌を詠もうとなさったことを想像なさると、「実に恐れ多いこと、とは
このような歌のことをいうのだろう」と、苦笑しながらご覧になっておられるご様子
を、命婦は顔を赤らめて拝見しておりました。
今様色の、許し難い程艶の無い古めいた直衣で、裏も表も同じように濃い色の
物が、ひどくありふれた感じで、端々を見せています。呆れ果てた、と思われて、
この手紙を広げながら、端にいたずら書きをなさるのを、命婦が傍から見ていると、
「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖に触れけむ(親しみを感じる色
でもないのに、どうしてこの紅花に手を触れたのであろう)色の濃い花だとは見た
けれども」
などと書き散らしておられます。命婦は、紅花をけなされたのにはやはり何かわけ
があるらしい、と、月の光の中で時折お見受けする姫君のお顔を思い合わせると、
お気の毒ではありますが、おかしくも思ったのでした。
「紅のひと花衣うすくともひたすら朽す名をし立てずは(紅の一度染めの衣の色の
ようにご愛情が薄くても、全く姫君の立つ瀬がなくなるような評判だけはお立てに
ならないで頂きたく存じます)辛いお二人の間柄ですこと」
と、たいそうひどく物慣れた様子で一人つぶやくのを、優れた歌というわけでは
ないけれど、姫君もせめてこの程度の通りいっぺんの歌でも詠めたらいいのに、
と、かえずがえすも残念にお思いになっておりました。姫君のご身分を思うと胸が
痛むので、評判を落とす噂が立つのはさすがにお気の毒なことでありました。
人々が参上するので、源氏の君は「これは取り隠すことにしようよ。こんなことは
まともな人間のすることだろうか」と、ため息をおつきになるのでした。命婦は、
どうしてこんな物を源氏の君のお目に掛けたのかしら。自分までが思いやりが
ないみたいだ、と、とても恥ずかしくて、そっと退出いたしました。
翌日、命婦が清涼殿でお控えしていると、台盤所に源氏の君が顔をお出しに
なって、「ほら、昨日の返事だ。変に余計な気を遣ってしまったよ」と言って、
手紙を投げ込まれました。女房たちは何事かしら、と見たがっておりました。
源氏の君が「たたらめの花の色のごと、三笠の山のをとめをば捨てて」と、
口ずさみながら出ていらしたのを、命婦はひどくおかしいと思いました。事情を
知らない女房たちは、「何を一人笑なさってるの?」と、口々に命婦を責め立てる
のでした。命婦が「何でもないわ。寒い霜の朝に、掻練好きの花の色がお目に
留まったのでしょう。ポツリポツリと口になさった歌の意味の気の毒なこと」と言うと、
「無理なこじつけですこと。私たちの中には色づいた鼻をしている者もいないよう
ですのに。左近の命婦や肥後の采女がまじっていたのかしら」などと、納得できず
に言い合っているのでした。
命婦が源氏の君からのお返事をお届けすると、常陸の宮邸の女房たちは集まって
それを見て感嘆しておりました。
「逢はぬ夜をへだつるなかの衣手にかさねていとど見もし見よとや」(あなたに逢わ
ない夜が重なっておりますのに、二人の仲を隔てる袖をさらに重ねて見なさい、と
いうおつもりで、この衣を贈って来られたのですか)
と、白い紙にさりげなくお書きになったのが、却って趣がございました。
大晦日の夕方、あの衣箱に、源氏の君にお召し物に、と人が献上した装束一式、
葡萄染の織物のお召し物、また山吹襲か何か、いろいろな色のものを入れて、
命婦が常陸の宮邸にお届けしました。先日差し上げたお召し物の色合いを
良くない、とご覧になったのだろうと、見当はつくものの、老女房たちは、
「あれだって、紅の重々しいものでございましたよ。いくら何でも見劣りはしない
でしょうに」と、品評しておりました。「お歌だってこちらから差し上げたのは、筋が
通ってしっかりとしていました。ご返歌のほうは、ただしゃれているだけですわ」など
と、口々に言っているのでした。姫君も、あの歌は並々ならぬ努力の末に詠まれた
ものなので、手控えに書きつけてお残しになったのでした。
「末摘花」の巻の最終回、本文は276頁・6行目~283頁・10行目迄を
読みました。その前半部分(276頁・6行目~279頁・13行目)の全文訳
です。後半部分は11/22(木)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
どうしてこんな歌が贈られて来たのか訳が分からず首をかしげていらっしゃい
ますと、命婦は、風呂敷の上に衣箱の重そうで古風なのを置いて、源氏の君
の前に押し出しました。
「これをどうして気恥ずかしく思わないことがございましょう。けれど、姫君が
元旦のお召し物ということで、わざわざご用意なさったようですのに、きまり
悪く思われるようにはお返し出来ません。勝手に手許にしまっておきますのも、
姫君のお気持ちを無にしたことになりましょうから、ともかくもお目に掛けてから、
と思いまして」と申し上げますと、「しまい込んでしまわれたら辛いことだったろう
よ。濡れた私の袖を枕にして、乾かしてくれる人もいない私にはとても嬉しい
お気持ちです」とおっしゃって、他には何もおっしゃることが出来ません。
「それにしても呆れた歌の詠みぶりだ。これこそがご自身で詠まれた限界なの
であろう。普通なら侍従が手直しをするところなのだろうが、他にはまたそうした
ことを教える先生もいないのだろう」と、どうしようもない、とお思いでした。姫君が
精魂込めて歌を詠もうとなさったことを想像なさると、「実に恐れ多いこと、とは
このような歌のことをいうのだろう」と、苦笑しながらご覧になっておられるご様子
を、命婦は顔を赤らめて拝見しておりました。
今様色の、許し難い程艶の無い古めいた直衣で、裏も表も同じように濃い色の
物が、ひどくありふれた感じで、端々を見せています。呆れ果てた、と思われて、
この手紙を広げながら、端にいたずら書きをなさるのを、命婦が傍から見ていると、
「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖に触れけむ(親しみを感じる色
でもないのに、どうしてこの紅花に手を触れたのであろう)色の濃い花だとは見た
けれども」
などと書き散らしておられます。命婦は、紅花をけなされたのにはやはり何かわけ
があるらしい、と、月の光の中で時折お見受けする姫君のお顔を思い合わせると、
お気の毒ではありますが、おかしくも思ったのでした。
「紅のひと花衣うすくともひたすら朽す名をし立てずは(紅の一度染めの衣の色の
ようにご愛情が薄くても、全く姫君の立つ瀬がなくなるような評判だけはお立てに
ならないで頂きたく存じます)辛いお二人の間柄ですこと」
と、たいそうひどく物慣れた様子で一人つぶやくのを、優れた歌というわけでは
ないけれど、姫君もせめてこの程度の通りいっぺんの歌でも詠めたらいいのに、
と、かえずがえすも残念にお思いになっておりました。姫君のご身分を思うと胸が
痛むので、評判を落とす噂が立つのはさすがにお気の毒なことでありました。
人々が参上するので、源氏の君は「これは取り隠すことにしようよ。こんなことは
まともな人間のすることだろうか」と、ため息をおつきになるのでした。命婦は、
どうしてこんな物を源氏の君のお目に掛けたのかしら。自分までが思いやりが
ないみたいだ、と、とても恥ずかしくて、そっと退出いたしました。
翌日、命婦が清涼殿でお控えしていると、台盤所に源氏の君が顔をお出しに
なって、「ほら、昨日の返事だ。変に余計な気を遣ってしまったよ」と言って、
手紙を投げ込まれました。女房たちは何事かしら、と見たがっておりました。
源氏の君が「たたらめの花の色のごと、三笠の山のをとめをば捨てて」と、
口ずさみながら出ていらしたのを、命婦はひどくおかしいと思いました。事情を
知らない女房たちは、「何を一人笑なさってるの?」と、口々に命婦を責め立てる
のでした。命婦が「何でもないわ。寒い霜の朝に、掻練好きの花の色がお目に
留まったのでしょう。ポツリポツリと口になさった歌の意味の気の毒なこと」と言うと、
「無理なこじつけですこと。私たちの中には色づいた鼻をしている者もいないよう
ですのに。左近の命婦や肥後の采女がまじっていたのかしら」などと、納得できず
に言い合っているのでした。
命婦が源氏の君からのお返事をお届けすると、常陸の宮邸の女房たちは集まって
それを見て感嘆しておりました。
「逢はぬ夜をへだつるなかの衣手にかさねていとど見もし見よとや」(あなたに逢わ
ない夜が重なっておりますのに、二人の仲を隔てる袖をさらに重ねて見なさい、と
いうおつもりで、この衣を贈って来られたのですか)
と、白い紙にさりげなくお書きになったのが、却って趣がございました。
大晦日の夕方、あの衣箱に、源氏の君にお召し物に、と人が献上した装束一式、
葡萄染の織物のお召し物、また山吹襲か何か、いろいろな色のものを入れて、
命婦が常陸の宮邸にお届けしました。先日差し上げたお召し物の色合いを
良くない、とご覧になったのだろうと、見当はつくものの、老女房たちは、
「あれだって、紅の重々しいものでございましたよ。いくら何でも見劣りはしない
でしょうに」と、品評しておりました。「お歌だってこちらから差し上げたのは、筋が
通ってしっかりとしていました。ご返歌のほうは、ただしゃれているだけですわ」など
と、口々に言っているのでした。姫君も、あの歌は並々ならぬ努力の末に詠まれた
ものなので、手控えに書きつけてお残しになったのでした。
今年も作りましたー洋梨のタルトー
2018年11月11日(日)
一週間ほど前にフルーツの詰め合わせを戴きました。その中に、
洋梨が二つ入っていて、「やはりこれはタルトを作るしかないなぁ」
と、去年に引き続き「洋梨のタルト」を焼きました。
木曜日の夜に洋梨をコンポートにしましたが、金曜日は「源氏の会」
があったので、そのまま冷蔵庫で寝かせ、昨夜タルトにしました。
取り掛かったのが深夜に近かったので、焼き上がった時にはもう
今日になっていました。
今回は洋梨を二個買い足して、二種類の違う洋梨を使ったので、
色も、大きさも、柔らかさも異なっていたため、凸凹がひどくて、
見た目は去年よりも悪いです。でも、去年は洋梨の表面に残った
水分が生地にまで染み込んで、洋梨の周囲がベトっとした感じに
なってしまったのですが、今年はそこは気をつけたので、食感は
今年のほうが良いと思います。なかなか上出来、と呼べるものを
作るのは難しいですね。

見た目イマイチの今年の洋梨のタルト
一週間ほど前にフルーツの詰め合わせを戴きました。その中に、
洋梨が二つ入っていて、「やはりこれはタルトを作るしかないなぁ」
と、去年に引き続き「洋梨のタルト」を焼きました。
木曜日の夜に洋梨をコンポートにしましたが、金曜日は「源氏の会」
があったので、そのまま冷蔵庫で寝かせ、昨夜タルトにしました。
取り掛かったのが深夜に近かったので、焼き上がった時にはもう
今日になっていました。
今回は洋梨を二個買い足して、二種類の違う洋梨を使ったので、
色も、大きさも、柔らかさも異なっていたため、凸凹がひどくて、
見た目は去年よりも悪いです。でも、去年は洋梨の表面に残った
水分が生地にまで染み込んで、洋梨の周囲がベトっとした感じに
なってしまったのですが、今年はそこは気をつけたので、食感は
今年のほうが良いと思います。なかなか上出来、と呼べるものを
作るのは難しいですね。

見た目イマイチの今年の洋梨のタルト
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