桐壺帝の思い
2019年2月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第35回・№2)
冷たい雨の一日で久しぶりに寒さも感じましたが、乾ききった空気には
恵みの雨となりました。
第7帖「紅葉賀」の中盤です。2月に源氏との間の不義の子を出産した
藤壺は、4月になって若宮と共に宮中へ参内しました。帝は、
「あさましきまで、まぎれどころなき御顔つきを、おぼし寄らぬことにしあれ
ば、またならびなきどちは、げにかよひたまへるにこそはと思ほしけり」
(呆れるほど間違いようもない源氏の君にそっくりな若宮のお顔立ちを、
お考えも及ばぬこととて、他に類ない美しい者同士は、なるほど似通って
いるものなのだろう、とお思いになっておられました)
とあって、そのような若宮をこの上なく慈しまれるのでした。
帝はこれまでどの皇子よりも愛情を注ぎながらも、母・桐壺の更衣の
身分の低さゆえに、源氏を東宮に立てることが出来なかったのを残念に
お思いになって来たので、この源氏に生き写しの美しい若宮に立坊の
夢を託そうとなさっていたのです。若宮の生母の藤壺は先帝の姫宮、
しかも后腹という申し分のない出自でした。
同じ光り輝く美しさでも、源氏は母親が更衣であるという「疵(きず)」を
持った「玉」(宝石)でしたが、藤壺所生なら「疵なき玉」と、帝はお考えに
なっておりました。
でも、この若宮は本当に「疵なき玉」と言えるでしょうか。いいえ、
「不義の子」というとんでもない「疵」を持った玉でした。その秘密を
知っているのは源氏と藤壺、手引きをした王命婦の三人と、我々読者
だけ・・・。ですから、これから展開して行く物語に、読者は否が応でも
秘密を共有する立場の者として、巻き込まれてしまうことになるのです。
この部分、詳しくは先に書きました「紅葉賀全文訳(6)」をご参照頂ければ、
と存じます。
冷たい雨の一日で久しぶりに寒さも感じましたが、乾ききった空気には
恵みの雨となりました。
第7帖「紅葉賀」の中盤です。2月に源氏との間の不義の子を出産した
藤壺は、4月になって若宮と共に宮中へ参内しました。帝は、
「あさましきまで、まぎれどころなき御顔つきを、おぼし寄らぬことにしあれ
ば、またならびなきどちは、げにかよひたまへるにこそはと思ほしけり」
(呆れるほど間違いようもない源氏の君にそっくりな若宮のお顔立ちを、
お考えも及ばぬこととて、他に類ない美しい者同士は、なるほど似通って
いるものなのだろう、とお思いになっておられました)
とあって、そのような若宮をこの上なく慈しまれるのでした。
帝はこれまでどの皇子よりも愛情を注ぎながらも、母・桐壺の更衣の
身分の低さゆえに、源氏を東宮に立てることが出来なかったのを残念に
お思いになって来たので、この源氏に生き写しの美しい若宮に立坊の
夢を託そうとなさっていたのです。若宮の生母の藤壺は先帝の姫宮、
しかも后腹という申し分のない出自でした。
同じ光り輝く美しさでも、源氏は母親が更衣であるという「疵(きず)」を
持った「玉」(宝石)でしたが、藤壺所生なら「疵なき玉」と、帝はお考えに
なっておりました。
でも、この若宮は本当に「疵なき玉」と言えるでしょうか。いいえ、
「不義の子」というとんでもない「疵」を持った玉でした。その秘密を
知っているのは源氏と藤壺、手引きをした王命婦の三人と、我々読者
だけ・・・。ですから、これから展開して行く物語に、読者は否が応でも
秘密を共有する立場の者として、巻き込まれてしまうことになるのです。
この部分、詳しくは先に書きました「紅葉賀全文訳(6)」をご参照頂ければ、
と存じます。
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第7帖「紅葉賀」の全文訳(6)
2019年2月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第35回・№1)
第2月曜日のクラス同様、こちらも第7帖「紅葉賀」の3回目。
21頁・11行目~29頁の9行目までを読みました。その後半部分、
27頁・14行目~29頁・9行目までの全文訳です。前半部分に
つきましては、こちらをご覧ください。⇨⇨「紅葉賀全文訳(5)」
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
四月に藤壺は若宮と共に参内なさいました。日数の割には成長が
お早くて、次第に寝返りなどをなさいます。呆れるほど間違いようも
ない源氏の君にそっくりな若宮のお顔立ちを、帝はお考えも及ばぬ
こととて、他に類ない美しい者同士は、なるほど似通っているもの
なのだろう、とお思いになっておられました。帝が若宮をいつくしみ、
大切になさることはこの上もございません。
源氏の君をどの皇子よりもご寵愛になりながら、世間の人のご賛同を
得られそうにもなかったので、立坊も叶わず終わったことを、物足りなく
残念に思われて、源氏の君が臣下としては勿体ないお姿、お顔立ちに
成長して来られたのをご覧になるにつけて、お労しくお思いなのを、
こうした高貴なお方所生の若宮が、源氏の君と同じ美しさでお生まれに
なったので、「疵の無い玉」と思って大切になさるので、藤壺は何につけて
も、気持ちの晴れる時も無く、不安な思いであれこれとお悩みになって
おられました。
例によって源氏の君が藤壺のもとで管弦の遊びなどをなさっている時に、
帝が若宮を抱いてお出ましになり、「私には皇子は大勢いるけれど、
そなただけを、このような幼い時から朝晩見て来た。それ故、その頃が
思い出されるからであろうか、若宮は実にそなたによく似ている。とても
小さい時は、皆ただもうこうしたものであろうか」と言って、若宮をたまらなく
可愛いとお思いになっておられるのでした。
源氏の君は顔色が変わる気がして、恐ろしくも、もったいなくも、嬉しくも、
しみじみとも、様々な感情が交錯する思いがして、涙がこぼれ落ちそうで
ありました。若宮が声を上げたりして笑っておられるのが、とても恐ろしい
程可愛いので、源氏の君は我ながら、この若宮に似ているのなら、自分も
たいそう大切なものとして重んじたい、というお気持ちになられるのは、
自惚れが過ぎると言うものでしょうよ。藤壺はとてもいたたまれない思いに、
汗も流れていらっしゃいました。源氏の君はなまじ若宮を拝見して、却って
気持ちがかき乱れるようなので、退出なさったのでした。
二条院の東の対で横になられて、どうにもならない辛さを静めてから、
左大臣邸に伺おうとお思いになりました。お庭の植え込みが一面に
何となく青々としている中に、撫子の華やかに咲き始めているのを
折らせなさって、王命婦の許にこまごまとお書きになったようでした。
「よそへつつ見るに心はなぐさまで露けさまさるなでしこの花(若宮に
なぞらえて見ても、心は晴れず、却って涙にくれて、露けさが増す
この撫子の花であることよ)若宮がお生まれになったら、と思っており
ましたが、そうなっても何の甲斐もない二人の間柄でしたので」
と、そのお手紙にはありました。ちょうど人がいない時だったのでしょうか、
命婦は藤壺にそれをお見せして、「ただほんの一言だけでもお返事を」と
申し上げると、藤壺も心の内にとても悲しくしみじみと身にしみてお感じに
なっている折から、
「袖濡るる露のゆかりと思ふにもなほ疎まれぬやまとなでしこ」(あなたの
お袖の濡れる露に縁のあるものと思うにつけても、やはりこの大和撫子を
愛おしむ気持ちにはなれません)
とだけ、墨の色も薄く、途中で筆を止めたかのようなお歌を、命婦は喜び
ながら源氏の君に差し上げましたが、いつものことなのでお返事は戴けまい、
と力なくぼんやりと横になっておられた時に届いたので、源氏の君は胸が
ときめいて、たいそう嬉しいにつけても涙がこぼれ落ちるのでした。
第2月曜日のクラス同様、こちらも第7帖「紅葉賀」の3回目。
21頁・11行目~29頁の9行目までを読みました。その後半部分、
27頁・14行目~29頁・9行目までの全文訳です。前半部分に
つきましては、こちらをご覧ください。⇨⇨「紅葉賀全文訳(5)」
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
四月に藤壺は若宮と共に参内なさいました。日数の割には成長が
お早くて、次第に寝返りなどをなさいます。呆れるほど間違いようも
ない源氏の君にそっくりな若宮のお顔立ちを、帝はお考えも及ばぬ
こととて、他に類ない美しい者同士は、なるほど似通っているもの
なのだろう、とお思いになっておられました。帝が若宮をいつくしみ、
大切になさることはこの上もございません。
源氏の君をどの皇子よりもご寵愛になりながら、世間の人のご賛同を
得られそうにもなかったので、立坊も叶わず終わったことを、物足りなく
残念に思われて、源氏の君が臣下としては勿体ないお姿、お顔立ちに
成長して来られたのをご覧になるにつけて、お労しくお思いなのを、
こうした高貴なお方所生の若宮が、源氏の君と同じ美しさでお生まれに
なったので、「疵の無い玉」と思って大切になさるので、藤壺は何につけて
も、気持ちの晴れる時も無く、不安な思いであれこれとお悩みになって
おられました。
例によって源氏の君が藤壺のもとで管弦の遊びなどをなさっている時に、
帝が若宮を抱いてお出ましになり、「私には皇子は大勢いるけれど、
そなただけを、このような幼い時から朝晩見て来た。それ故、その頃が
思い出されるからであろうか、若宮は実にそなたによく似ている。とても
小さい時は、皆ただもうこうしたものであろうか」と言って、若宮をたまらなく
可愛いとお思いになっておられるのでした。
源氏の君は顔色が変わる気がして、恐ろしくも、もったいなくも、嬉しくも、
しみじみとも、様々な感情が交錯する思いがして、涙がこぼれ落ちそうで
ありました。若宮が声を上げたりして笑っておられるのが、とても恐ろしい
程可愛いので、源氏の君は我ながら、この若宮に似ているのなら、自分も
たいそう大切なものとして重んじたい、というお気持ちになられるのは、
自惚れが過ぎると言うものでしょうよ。藤壺はとてもいたたまれない思いに、
汗も流れていらっしゃいました。源氏の君はなまじ若宮を拝見して、却って
気持ちがかき乱れるようなので、退出なさったのでした。
二条院の東の対で横になられて、どうにもならない辛さを静めてから、
左大臣邸に伺おうとお思いになりました。お庭の植え込みが一面に
何となく青々としている中に、撫子の華やかに咲き始めているのを
折らせなさって、王命婦の許にこまごまとお書きになったようでした。
「よそへつつ見るに心はなぐさまで露けさまさるなでしこの花(若宮に
なぞらえて見ても、心は晴れず、却って涙にくれて、露けさが増す
この撫子の花であることよ)若宮がお生まれになったら、と思っており
ましたが、そうなっても何の甲斐もない二人の間柄でしたので」
と、そのお手紙にはありました。ちょうど人がいない時だったのでしょうか、
命婦は藤壺にそれをお見せして、「ただほんの一言だけでもお返事を」と
申し上げると、藤壺も心の内にとても悲しくしみじみと身にしみてお感じに
なっている折から、
「袖濡るる露のゆかりと思ふにもなほ疎まれぬやまとなでしこ」(あなたの
お袖の濡れる露に縁のあるものと思うにつけても、やはりこの大和撫子を
愛おしむ気持ちにはなれません)
とだけ、墨の色も薄く、途中で筆を止めたかのようなお歌を、命婦は喜び
ながら源氏の君に差し上げましたが、いつものことなのでお返事は戴けまい、
と力なくぼんやりと横になっておられた時に届いたので、源氏の君は胸が
ときめいて、たいそう嬉しいにつけても涙がこぼれ落ちるのでした。
元気が貰える音楽会ー65歳からのアートライフー
2019年2月27日(水)
音楽を聴いての感動には様々な形があると思いますが、これほど
元気が貰える音楽会というのも、滅多にない気がいたします。
ブログでも何度か取り上げて来ましたが、この音楽会は、タイトルが
示す通り、出演者全員が65歳以上の方々です。
プログラムに記載されている年齢と、あまりにも若々しいお姿・歌声が
どうしても結びつかず、「本当にこのお歳?」と疑いたくなる方ばかり。
ここでは60代はまだ少年、70代で青年、80代からようやく壮年と呼ぶ
のが相応しいようです。
今回で28回目だそうですが、このコンサートに足を運ぶようになったのは、
3年前の夏に、高校の同期生の一人が出演なさったのがきっかけで、
その彼も、昨年は体調を崩しながら、見事に復活!むしろこれ迄よりも
声の幅も広がり、ゆとりのようなものがプラスされて、ご一緒した同期生
の皆さまと共に、引き込まれていました。
講評の中で、「声=心」とおっしゃった方がありましたが、本当にその人の
心のありようが歌声となって、聴いている人の心に響くのだと実感しました。
会場の横浜市青葉区の区民文化センター「フィリアホール」もウッドの
温もりが心地良い、音響効果の優れた小ホールです。今日もこの会場
を後にする頃は、みんな元気を貰って、前を向いているように見えました。

会場入り口階段下の譜面台に掲示された本日のご案内
音楽を聴いての感動には様々な形があると思いますが、これほど
元気が貰える音楽会というのも、滅多にない気がいたします。
ブログでも何度か取り上げて来ましたが、この音楽会は、タイトルが
示す通り、出演者全員が65歳以上の方々です。
プログラムに記載されている年齢と、あまりにも若々しいお姿・歌声が
どうしても結びつかず、「本当にこのお歳?」と疑いたくなる方ばかり。
ここでは60代はまだ少年、70代で青年、80代からようやく壮年と呼ぶ
のが相応しいようです。
今回で28回目だそうですが、このコンサートに足を運ぶようになったのは、
3年前の夏に、高校の同期生の一人が出演なさったのがきっかけで、
その彼も、昨年は体調を崩しながら、見事に復活!むしろこれ迄よりも
声の幅も広がり、ゆとりのようなものがプラスされて、ご一緒した同期生
の皆さまと共に、引き込まれていました。
講評の中で、「声=心」とおっしゃった方がありましたが、本当にその人の
心のありようが歌声となって、聴いている人の心に響くのだと実感しました。
会場の横浜市青葉区の区民文化センター「フィリアホール」もウッドの
温もりが心地良い、音響効果の優れた小ホールです。今日もこの会場
を後にする頃は、みんな元気を貰って、前を向いているように見えました。

会場入り口階段下の譜面台に掲示された本日のご案内
引き歌の受け止め方
2019年2月25日(月) 溝の口「湖月会」(第128回)
今回からこのクラスも光源氏の物語の最終章・第41帖「幻」の巻に
入りました。
2月8日のほうでも書きましたが、「幻」の巻は、紫の上亡き後の1年を
月次絵のように展開させている巻です。1月の源氏の様子はそちらで
ご紹介しましたので(⇨⇨「春来たれども悲しみは癒えず」)、今日はその
続きの2月、3月の場面から、となります。
旧暦の2月、3月は梅の花、桜の花、と春の花が盛りを迎え、特に春の
花を好んだ紫の上のことを、源氏だけではなく、孫の三の宮(後の匂宮)
も懐かしんでいます。暇に任せてそのまま三の宮と共に、源氏は女三宮
のもとへとお出でになりました。
源氏が「紫の上の住んでいた東の対の山吹が、植えた主が亡くなって
しまった春だとも気づかぬ様子で、例年よりも一段と見事に咲いている」
と、お話になると、女三宮は「谷には春も」とお答えになりました。
これは、清原深養父の「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る
もの思ひもなし」(日の光が届かない谷間には、花咲く春も無縁だから、
咲いた花がすぐに散りはしないか、などという物思いもないことよ)の
歌を引いており、女三宮は尼の自分を卑下して、「春もよそなれば」
(花咲く春も既に出家の身の私とは無縁のことですので)と、答える
つもりで、「谷には春も」と、口にしたかと思われるのですが、源氏の
反応は異なっていました。
源氏は、紫の上を失った悲嘆に暮れての日々を送っているので、結句が
「物思ひもなし」と詠まれているこの歌を女三宮が引いたことに、無神経さ
を感じ、不快感を覚えたのです。
源氏は「紫の上なら、こんな何でもない受け答えをする時でも、先ず相手
の気持ちを慮って、感情を逆撫でするような返事など決してしなかった」と
思い出すにつけ、涙がこぼれるのでした。
「引き歌」を用いての受け答えの場合は、伝えたい核心の部分は引用せず、
その一首の別の部分を引くことが多いので、こうした誤解も往々にして
派生する可能性を秘めていたと思われます。
女三宮が、逆にそんな気の利いた皮肉を口に出来るような人でないことは、
源氏にも分かっていたはずなのに、これでは女三宮がちょっと気の毒な
気がします。紫の上を追慕する以外、何も考えられない今の源氏には、
生前の紫の上のように、どんな場合でも相手の気持ちを慮る、というのは
無理だったのでしょうか。
今回からこのクラスも光源氏の物語の最終章・第41帖「幻」の巻に
入りました。
2月8日のほうでも書きましたが、「幻」の巻は、紫の上亡き後の1年を
月次絵のように展開させている巻です。1月の源氏の様子はそちらで
ご紹介しましたので(⇨⇨「春来たれども悲しみは癒えず」)、今日はその
続きの2月、3月の場面から、となります。
旧暦の2月、3月は梅の花、桜の花、と春の花が盛りを迎え、特に春の
花を好んだ紫の上のことを、源氏だけではなく、孫の三の宮(後の匂宮)
も懐かしんでいます。暇に任せてそのまま三の宮と共に、源氏は女三宮
のもとへとお出でになりました。
源氏が「紫の上の住んでいた東の対の山吹が、植えた主が亡くなって
しまった春だとも気づかぬ様子で、例年よりも一段と見事に咲いている」
と、お話になると、女三宮は「谷には春も」とお答えになりました。
これは、清原深養父の「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る
もの思ひもなし」(日の光が届かない谷間には、花咲く春も無縁だから、
咲いた花がすぐに散りはしないか、などという物思いもないことよ)の
歌を引いており、女三宮は尼の自分を卑下して、「春もよそなれば」
(花咲く春も既に出家の身の私とは無縁のことですので)と、答える
つもりで、「谷には春も」と、口にしたかと思われるのですが、源氏の
反応は異なっていました。
源氏は、紫の上を失った悲嘆に暮れての日々を送っているので、結句が
「物思ひもなし」と詠まれているこの歌を女三宮が引いたことに、無神経さ
を感じ、不快感を覚えたのです。
源氏は「紫の上なら、こんな何でもない受け答えをする時でも、先ず相手
の気持ちを慮って、感情を逆撫でするような返事など決してしなかった」と
思い出すにつけ、涙がこぼれるのでした。
「引き歌」を用いての受け答えの場合は、伝えたい核心の部分は引用せず、
その一首の別の部分を引くことが多いので、こうした誤解も往々にして
派生する可能性を秘めていたと思われます。
女三宮が、逆にそんな気の利いた皮肉を口に出来るような人でないことは、
源氏にも分かっていたはずなのに、これでは女三宮がちょっと気の毒な
気がします。紫の上を追慕する以外、何も考えられない今の源氏には、
生前の紫の上のように、どんな場合でも相手の気持ちを慮る、というのは
無理だったのでしょうか。
巧みな匂宮の慰め術
2019年2月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第210回)
今日は気温が20度近くまで上がり、4月の陽気とのことでしたが、
まだまだ油断はできませんね。
湘南台クラスは第48帖「早蕨」の2回目。大君を失った薫の心は、
年が明けても晴れることなく、新年の行事が一段落したところで、
匂宮を訪ね、胸一つに収めかねる悲しみをしみじみと語るのでした。
初めて月明りの中に大君の姿を垣間見てから(この時は、京に戻った
薫は匂宮に自慢気に宇治の姫君たちの話をして聞かせました)、昨年
冬に大君が亡くなるまでの三年ほどの間のこと、そして今も大君への
思慕の念が絶えない旨を綿々と訴える薫に対し、多情多感な匂宮は、
たとえ他人のことであっても、袖も絞るほどに涙を流し、話甲斐のある
お相手をなさるのでした。
夜も更けて強くなった風が灯りを吹き消してしまっても、お二人は話を
切り上げることなく、心ゆくまで語り合われました。
「ものに心えたまひて、嘆かしき心のうちもあきらむばかり、かつは
なぐさめ、またあはれをもさまし、さまざまにかたらひたまふ御さまの
をかしきに」(物事をよくおわきまえで、悲しみに沈む薫の心の内も
すっきりとするほどに、一方では慰め、また一方では悲しみを忘れ
させようと、あれこれと親身になってお話なさるご様子の巧みさに)
と、聞き上手な匂宮の姿が描写されています。
そんな匂宮に乗せられるようにして、薫も、心の内にわだかまっていた
ものを徐々に吐き出し、「こよなく胸のひまあくここちしたまふ」(この上
なく胸が晴れる気がなさる)のでした。
お育ちの良さから来る鷹揚さと、目の前に居る相手の気持ちに寄り
添おうとする姿勢(これは多くの女性関係の中で培われて来たもの
かと思われる)が、こうした匂宮の人柄を作り上げたのでありましょう。
匂宮に心を寄せたくなる女性の気持ち、この場面からもわかる気が
します。
今日は気温が20度近くまで上がり、4月の陽気とのことでしたが、
まだまだ油断はできませんね。
湘南台クラスは第48帖「早蕨」の2回目。大君を失った薫の心は、
年が明けても晴れることなく、新年の行事が一段落したところで、
匂宮を訪ね、胸一つに収めかねる悲しみをしみじみと語るのでした。
初めて月明りの中に大君の姿を垣間見てから(この時は、京に戻った
薫は匂宮に自慢気に宇治の姫君たちの話をして聞かせました)、昨年
冬に大君が亡くなるまでの三年ほどの間のこと、そして今も大君への
思慕の念が絶えない旨を綿々と訴える薫に対し、多情多感な匂宮は、
たとえ他人のことであっても、袖も絞るほどに涙を流し、話甲斐のある
お相手をなさるのでした。
夜も更けて強くなった風が灯りを吹き消してしまっても、お二人は話を
切り上げることなく、心ゆくまで語り合われました。
「ものに心えたまひて、嘆かしき心のうちもあきらむばかり、かつは
なぐさめ、またあはれをもさまし、さまざまにかたらひたまふ御さまの
をかしきに」(物事をよくおわきまえで、悲しみに沈む薫の心の内も
すっきりとするほどに、一方では慰め、また一方では悲しみを忘れ
させようと、あれこれと親身になってお話なさるご様子の巧みさに)
と、聞き上手な匂宮の姿が描写されています。
そんな匂宮に乗せられるようにして、薫も、心の内にわだかまっていた
ものを徐々に吐き出し、「こよなく胸のひまあくここちしたまふ」(この上
なく胸が晴れる気がなさる)のでした。
お育ちの良さから来る鷹揚さと、目の前に居る相手の気持ちに寄り
添おうとする姿勢(これは多くの女性関係の中で培われて来たもの
かと思われる)が、こうした匂宮の人柄を作り上げたのでありましょう。
匂宮に心を寄せたくなる女性の気持ち、この場面からもわかる気が
します。
オペラ「紫苑物語」
2019年2月17日(日)
水曜日(2月13日)の文楽に続いて、このところちょっと舞台芸術づいて
いるのですが、今日は初台にある新国立劇場で、オペラ「紫苑物語」を
鑑賞してまいりました。舞台で演じられるオペラの鑑賞は何と10年ぶり
です。
石川淳の短編小説「紫苑物語」が、詩人・佐々木幹郎の台本、西村朗の
作曲でオペラ化されたもので、指揮は今シーズンより芸術監督に就任した
大野和士。もちろん世界初演で、パンプレットにも「新国立劇場から世界に
放つ新作オペラ」と記されていて、舞台からもその気迫は十分に伝わって
来ました。
「紫苑物語」は、歌道の家に生まれながら弓の道に魅せられた主人公・宗頼
が、憑かれたかのように殺戮に走り、最後に魔の矢を、宗頼の分身である
平太が彫った磨崖仏に向け放った時、それは宗頼自身も含め、全てを破滅
へと導くことになった、とまあ、一言でいえばそんなお話ですが、現実と異界
が交錯する幻想的な世界を、流麗な文体で描いた不思議な魅力を持つ小説
ですので、ぜひ原作にも触れていただきたいと思います。
オペラ自体は、目には見えないものまで映し出す鏡が使われた舞台装置など、
笈田ヨシ氏の演出も斬新で、出演者の方々も、期待に応えた力量を発揮して
おられたと思います。個人的にはカーテンコールの際、「うつろ姫」を演じた
清水華澄さんに、一番沢山拍手を送ったかな。
平安時代のお話ということで、講読会の皆さまにもこのオペラのご紹介をした
ものの、まだ寒い時期でもあるし、と、私自身は余り乗り気ではなかったのです
が、友人に声を掛けてもらったお蔭で、「それなら行こう」という気になりました。
今は「ああ、やっぱり行って良かった」と、その友人に感謝しています!

ロビーに展示してあった石川淳の直筆原稿の写し

同じくロビーに活けてあった紫苑の花と、ポスター
水曜日(2月13日)の文楽に続いて、このところちょっと舞台芸術づいて
いるのですが、今日は初台にある新国立劇場で、オペラ「紫苑物語」を
鑑賞してまいりました。舞台で演じられるオペラの鑑賞は何と10年ぶり
です。
石川淳の短編小説「紫苑物語」が、詩人・佐々木幹郎の台本、西村朗の
作曲でオペラ化されたもので、指揮は今シーズンより芸術監督に就任した
大野和士。もちろん世界初演で、パンプレットにも「新国立劇場から世界に
放つ新作オペラ」と記されていて、舞台からもその気迫は十分に伝わって
来ました。
「紫苑物語」は、歌道の家に生まれながら弓の道に魅せられた主人公・宗頼
が、憑かれたかのように殺戮に走り、最後に魔の矢を、宗頼の分身である
平太が彫った磨崖仏に向け放った時、それは宗頼自身も含め、全てを破滅
へと導くことになった、とまあ、一言でいえばそんなお話ですが、現実と異界
が交錯する幻想的な世界を、流麗な文体で描いた不思議な魅力を持つ小説
ですので、ぜひ原作にも触れていただきたいと思います。
オペラ自体は、目には見えないものまで映し出す鏡が使われた舞台装置など、
笈田ヨシ氏の演出も斬新で、出演者の方々も、期待に応えた力量を発揮して
おられたと思います。個人的にはカーテンコールの際、「うつろ姫」を演じた
清水華澄さんに、一番沢山拍手を送ったかな。
平安時代のお話ということで、講読会の皆さまにもこのオペラのご紹介をした
ものの、まだ寒い時期でもあるし、と、私自身は余り乗り気ではなかったのです
が、友人に声を掛けてもらったお蔭で、「それなら行こう」という気になりました。
今は「ああ、やっぱり行って良かった」と、その友人に感謝しています!

ロビーに展示してあった石川淳の直筆原稿の写し

同じくロビーに活けてあった紫苑の花と、ポスター
いはで思ふぞ
2019年2月15日(金) 溝の口「枕草子」(第29回)
今回で、テキスト(新潮日本古典集成本)の上巻を読み終えました。
次回からは、いよいよ溝の口の「枕草子」も後半(下巻)に入ります。
上巻の最後の135段と136段、どちらもご紹介しておきたい段なのです
が、やはり「いはで思ふぞ」を外すわけにはまいりませんので、136段
のほうを書くことにいたします。
長徳元年(995年)の4月に中宮定子の父・関白道隆が亡くなって、定子
を取り巻く状況は一変しました。兄・伊周は道長との政争に敗れ、挙句に
翌長徳2年の1月に、弟の隆家と花山院奉射事件を起こし、罪人となって
しまったのです。5月に定子は自らの手で落飾。追い打ちをかけるかの
ように、6月には滞在していた実家の二条宮が焼失し、定子は叔父の
高階明順の邸に身を寄せました。その頃(長徳2年の初秋)の出来事を
書いたのがこの136段です。
伊周と隆家が二条宮に潜伏中に追捕されたことで、道長方に通じている
者が居る、という噂が立ち始め、清少納言に猜疑の目が向けられるように
なりました。
女房仲間が集まって話をしているところに清少納言が顔を出すと、途端に
話すのを止めてしまったり、自分がシカトされているのがたまらなくなって、
清少納言は実家に引きこもってしまったのでした。
中宮さまから再三再四帰って来るように、との仰せ言があっても、いじけて
いた清少納言でしたが、引きこもりも3ヶ月を過ぎた頃、中宮さまからの
お手紙を下女が届けて来ました。
紙には何も書かれておらず、ただ山吹の花びら一枚だけが包まれていて、
それに「いはで思ふぞ」と書かれていたのです。
「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」(心の中には
水が湧くばかりあなたへの思いに溢れております。口に出さない思いの方が、
口に出して言うよりもずっと強いものなのですよ)を引いておられることは
一目瞭然で、さすが清少納言も意地を張っていることが出来ず、間もなく
中宮さまのもとに参上しました。
面白いのは、この歌は誰もが知っている古歌なのに、清少納言は上の句が
その場で思い出せず、向かいに座っていた女の子に教えられた、という
エピソードです。近年、私はこの時の清少納言のようなことばっかりで(*ノωノ)、
危ない領域に入っているんじゃないか、と思うことがしばしばなのですが、
清少納言でもそんなことがあるんなら仕方ないな、と、ここを読むと妙に安心
してしまいます。
中宮さまを褒め称えるのはいつものことだから、と思いがちですが、最初に
書いたように、この頃の中宮定子の置かれた立場を考えると、ご自身が
不遇であろうと、女房清少納言への思いやりを常に持ち続けておられた姿が
浮き彫りになって来ます。悲嘆の中にあっても変らない中宮さまと清少納言の
信頼の絆が感じられ、「枕草子」は敬愛する中宮定子へのオマージュ、との
印象を強くする段だと、私は思っております。
今回で、テキスト(新潮日本古典集成本)の上巻を読み終えました。
次回からは、いよいよ溝の口の「枕草子」も後半(下巻)に入ります。
上巻の最後の135段と136段、どちらもご紹介しておきたい段なのです
が、やはり「いはで思ふぞ」を外すわけにはまいりませんので、136段
のほうを書くことにいたします。
長徳元年(995年)の4月に中宮定子の父・関白道隆が亡くなって、定子
を取り巻く状況は一変しました。兄・伊周は道長との政争に敗れ、挙句に
翌長徳2年の1月に、弟の隆家と花山院奉射事件を起こし、罪人となって
しまったのです。5月に定子は自らの手で落飾。追い打ちをかけるかの
ように、6月には滞在していた実家の二条宮が焼失し、定子は叔父の
高階明順の邸に身を寄せました。その頃(長徳2年の初秋)の出来事を
書いたのがこの136段です。
伊周と隆家が二条宮に潜伏中に追捕されたことで、道長方に通じている
者が居る、という噂が立ち始め、清少納言に猜疑の目が向けられるように
なりました。
女房仲間が集まって話をしているところに清少納言が顔を出すと、途端に
話すのを止めてしまったり、自分がシカトされているのがたまらなくなって、
清少納言は実家に引きこもってしまったのでした。
中宮さまから再三再四帰って来るように、との仰せ言があっても、いじけて
いた清少納言でしたが、引きこもりも3ヶ月を過ぎた頃、中宮さまからの
お手紙を下女が届けて来ました。
紙には何も書かれておらず、ただ山吹の花びら一枚だけが包まれていて、
それに「いはで思ふぞ」と書かれていたのです。
「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」(心の中には
水が湧くばかりあなたへの思いに溢れております。口に出さない思いの方が、
口に出して言うよりもずっと強いものなのですよ)を引いておられることは
一目瞭然で、さすが清少納言も意地を張っていることが出来ず、間もなく
中宮さまのもとに参上しました。
面白いのは、この歌は誰もが知っている古歌なのに、清少納言は上の句が
その場で思い出せず、向かいに座っていた女の子に教えられた、という
エピソードです。近年、私はこの時の清少納言のようなことばっかりで(*ノωノ)、
危ない領域に入っているんじゃないか、と思うことがしばしばなのですが、
清少納言でもそんなことがあるんなら仕方ないな、と、ここを読むと妙に安心
してしまいます。
中宮さまを褒め称えるのはいつものことだから、と思いがちですが、最初に
書いたように、この頃の中宮定子の置かれた立場を考えると、ご自身が
不遇であろうと、女房清少納言への思いやりを常に持ち続けておられた姿が
浮き彫りになって来ます。悲嘆の中にあっても変らない中宮さまと清少納言の
信頼の絆が感じられ、「枕草子」は敬愛する中宮定子へのオマージュ、との
印象を強くする段だと、私は思っております。
文楽の「阿古屋」
2019年2月13日(水)
久々に文楽の醍醐味に触れ、30分程前に帰宅しましたが、未だ
興奮醒めやらず、といったところです。
ちょうど2年前にシネマ歌舞伎で坂東玉三郎さん演じる「阿古屋」を
見て感動しましたが(その記事はこちらから⇨⇨シネマ歌舞伎「阿古屋」)、
今日はまた別の感動に包まれて、一緒に鑑賞した友人と、終わってから
何度「良かったね」、と言い交わしたかしれません。
歌舞伎の場合は、玉三郎さんが一人で、琴・三味線・胡弓の三つの
楽器を弾き分ける演奏技術の高さや、阿古屋という傾城の持つ品格、
恋人景清を思う内面の表出など、玉三郎という役者の魅力で見せる
わけですが、文楽の場合は、「太夫(浄瑠璃の語り)」と「人形遣い」と
「太棹(三味線)」の三位一体の芸術なので、協演の面白さを味わうこと
になるかと思います。
数日前の新聞の「伝統芸能を楽しむ」という記事に、この国立劇場「二月
文楽公演」が取り上げられていて、「阿古屋が抜群」と書かれていましたが、
鑑賞して納得でした。
桐竹勘十郎さんが阿古屋の人形を遣われていたのですが、三つの楽器を
本当に人形が弾いているように見える技量もさることながら、人形の所作
の一つ一つにも、玉三郎さんの阿古屋に優るとも劣らぬ気品が感じられ、
引き込まれました。
この出し物の正式名称は、「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」と言います。
恋人景清の行方を詮議する重忠が、阿古屋が隠し事をしていれば、楽器の
演奏に乱れがあろうと、三つの楽器を弾かせてみるわけですが、景清との
別れを切なく歌い上げる阿古屋の演奏に、偽りの心無し、と許すお話です。

平日の夜にもかかわらず「満員御礼」
この公演なら当然と思えました
久々に文楽の醍醐味に触れ、30分程前に帰宅しましたが、未だ
興奮醒めやらず、といったところです。
ちょうど2年前にシネマ歌舞伎で坂東玉三郎さん演じる「阿古屋」を
見て感動しましたが(その記事はこちらから⇨⇨シネマ歌舞伎「阿古屋」)、
今日はまた別の感動に包まれて、一緒に鑑賞した友人と、終わってから
何度「良かったね」、と言い交わしたかしれません。
歌舞伎の場合は、玉三郎さんが一人で、琴・三味線・胡弓の三つの
楽器を弾き分ける演奏技術の高さや、阿古屋という傾城の持つ品格、
恋人景清を思う内面の表出など、玉三郎という役者の魅力で見せる
わけですが、文楽の場合は、「太夫(浄瑠璃の語り)」と「人形遣い」と
「太棹(三味線)」の三位一体の芸術なので、協演の面白さを味わうこと
になるかと思います。
数日前の新聞の「伝統芸能を楽しむ」という記事に、この国立劇場「二月
文楽公演」が取り上げられていて、「阿古屋が抜群」と書かれていましたが、
鑑賞して納得でした。
桐竹勘十郎さんが阿古屋の人形を遣われていたのですが、三つの楽器を
本当に人形が弾いているように見える技量もさることながら、人形の所作
の一つ一つにも、玉三郎さんの阿古屋に優るとも劣らぬ気品が感じられ、
引き込まれました。
この出し物の正式名称は、「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」と言います。
恋人景清の行方を詮議する重忠が、阿古屋が隠し事をしていれば、楽器の
演奏に乱れがあろうと、三つの楽器を弾かせてみるわけですが、景清との
別れを切なく歌い上げる阿古屋の演奏に、偽りの心無し、と許すお話です。

平日の夜にもかかわらず「満員御礼」
この公演なら当然と思えました
「心の鬼」と「心の闇」
2019年2月11日 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第35回・№2)
いつ雪が降り出してもおかしくないような寒空の下、今日はいつもの
溝の口の高津市民館が使えず、新百合ヶ丘にある麻生市民館まで
出掛けての講読会となりました。
源氏19歳の2月、かねてより懐妊中の藤壺は、無事に男児を出産
しました。源氏との間の不義の子です。
年内にも出産予定のはずが、ここまで延びたのも、もちろん表向きには
帝の御子となっているからで、この出産時期のずれや、生まれた若宮の
お顔がびっくりするほど源氏に生き写しであることに、藤壺は人知れず
心が咎め、苦しくてなりません。原文では「御心の鬼にいと苦しく」と
あります。「心の鬼」とは、「良心の呵責」というような意味です。
片や源氏は、おそらく我が子であろう若宮にひと目会いたいと願いますが、
「心の鬼」に怯える藤壺がそのようなことを承知する訳がありません。
源氏はただ一人事情を知っている王命婦に、
「いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかるなかの隔てぞ」(どの
ような前世からの宿縁で、現世でこのような二人の間に隔てがあるの
でしょうか)
と、苦しい気持ちを吐露します。「この世」には「現世」の意と「子の世」の
意が掛けられています。お二人それぞれの悩みがわかるだけに、王命婦
も源氏にそっけない態度は取れず、
「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇」(若宮
をご覧になっていらっしゃる御方も悩んでおられます。ご覧になれない
御方はまた、どんなにお嘆きのことでございましょう。これが世の人の言う、
子を思う故に迷う心の闇なのでしょうか)
と、そっと申し上げたのでした。
当時は「心の闇」と言えば、「子のことを案ずる親心」という共通の認識が
ありました。それは藤原兼輔によって詠まれた「人の親の心は闇にあらね
ども子を思ふ道にまどひぬるかな」(人の親の心は闇ではないのだが、
子どものことを思うと真っ暗闇の道に迷ってしまうのであるよ)の歌が、
人々の間に浸透していたからなのです。因みにこの歌は、「源氏物語」の
中で最も多く(26回)引き歌として使われており、作者藤原兼輔は紫式部
の曽祖父にあたります。
罪を犯した二人が、「心の鬼」・「心の闇」を抱えたまま、物語は続いて
行きます。
この場面全体の話は、先に書きました⇨⇨「紅葉賀」の全文訳(5)をご参照
くださいませ。
いつ雪が降り出してもおかしくないような寒空の下、今日はいつもの
溝の口の高津市民館が使えず、新百合ヶ丘にある麻生市民館まで
出掛けての講読会となりました。
源氏19歳の2月、かねてより懐妊中の藤壺は、無事に男児を出産
しました。源氏との間の不義の子です。
年内にも出産予定のはずが、ここまで延びたのも、もちろん表向きには
帝の御子となっているからで、この出産時期のずれや、生まれた若宮の
お顔がびっくりするほど源氏に生き写しであることに、藤壺は人知れず
心が咎め、苦しくてなりません。原文では「御心の鬼にいと苦しく」と
あります。「心の鬼」とは、「良心の呵責」というような意味です。
片や源氏は、おそらく我が子であろう若宮にひと目会いたいと願いますが、
「心の鬼」に怯える藤壺がそのようなことを承知する訳がありません。
源氏はただ一人事情を知っている王命婦に、
「いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかるなかの隔てぞ」(どの
ような前世からの宿縁で、現世でこのような二人の間に隔てがあるの
でしょうか)
と、苦しい気持ちを吐露します。「この世」には「現世」の意と「子の世」の
意が掛けられています。お二人それぞれの悩みがわかるだけに、王命婦
も源氏にそっけない態度は取れず、
「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇」(若宮
をご覧になっていらっしゃる御方も悩んでおられます。ご覧になれない
御方はまた、どんなにお嘆きのことでございましょう。これが世の人の言う、
子を思う故に迷う心の闇なのでしょうか)
と、そっと申し上げたのでした。
当時は「心の闇」と言えば、「子のことを案ずる親心」という共通の認識が
ありました。それは藤原兼輔によって詠まれた「人の親の心は闇にあらね
ども子を思ふ道にまどひぬるかな」(人の親の心は闇ではないのだが、
子どものことを思うと真っ暗闇の道に迷ってしまうのであるよ)の歌が、
人々の間に浸透していたからなのです。因みにこの歌は、「源氏物語」の
中で最も多く(26回)引き歌として使われており、作者藤原兼輔は紫式部
の曽祖父にあたります。
罪を犯した二人が、「心の鬼」・「心の闇」を抱えたまま、物語は続いて
行きます。
この場面全体の話は、先に書きました⇨⇨「紅葉賀」の全文訳(5)をご参照
くださいませ。
第7帖「紅葉賀」の全文訳(5)
2019年2月11日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第35回・№1)
第7帖「紅葉賀」の3回目。21頁・11行目~29頁の9行目までを読みました。
その前半部分、21頁・11行目~26頁・13行目までの全文訳です。後半は
2/28に「紅葉賀」の全文訳(6)として書く予定です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
源氏の君が宮中から左大臣邸に退出なさると、葵の上は例によって
端正に取り澄ましていらして、心優しく素直なご様子も無く窮屈なので、
源氏の君が「せめて今年からでも、少し夫婦らしく態度を改められる
お気持ちが見えましたら、どんなに嬉しいことでしょう」などと申し上げ
なさいますが、葵の上は、源氏の君がわざわざ二条院に女性を迎え
取って大切にしておられるという噂をお耳になさってからは、その人を
重々しく扱おうとお考えに違いないと、ますます親しみも持てず気詰まり
に思っておられるのでありましょう。そんな葵の上の気持ちにはわざと
気づかぬふりをして、冗談などおっしゃる源氏の君のご様子に、葵の上
も強情を張り通せず、お返事などを申し上げなさるところは、やはり
他の人とは格別に異なり優れておられました。
四歳ほど年長でいらっしゃるので、大人でいらして、気後れがするほど、
女盛りで非の打ち所がない感じでいらっしゃいます。「一体この方の
どこに不足がおありだというのだろう。自分の余りにも不届きな浮気
沙汰ゆえに、このように恨まれ申すことだよ」と、源氏の君は反省なさる
のでした。
同じ大臣と申し上げる中でも、世間の声望が重々しくていらっしゃる
左大臣が、北の方である内親王腹に儲けなさった一人娘として大切に
お育てになっておられるので、そのため葵の上はこの上もなく気位が
高くて、源氏の君が少しでもおろそかになさると、けしからぬこと、と
お思いになるのを、源氏の君のほうは、なにもそこまで崇める必要も
あるまい、といった態度をいつもお取りになるので、それが二人の御心
の隔てとなっていたのでありましょう。
左大臣も、源氏の君のこうした頼りにならないお心を、恨めしいとは
お思いになりながらも、源氏の君を拝見なさる時は、恨みも忘れて、
大切にお世話申し上げていらっしゃるのでした。
翌朝、源氏の君がお出かけになろうとしておられるところに顔を出されて、
源氏の君がお召し物を身に付けていらっしゃると、有名な石帯をご自身で
お持ちになってお出でになり、お着物の後をお直しするなど、御沓も手に
取らんばかりにお世話をなさっているのが、とてもお労しうございました。
源氏の君が「この帯は内宴などもあるようでございますので、その様な
時に使わせて頂きましょう」などとおっしゃると、左大臣は「なに、その時
にはもっと良いものがございます。これはただ目新しい感じのものです
から」と言って、無理に着用させなさいました。
本当にあれこれと大切にお世話申し上げて、そのお姿を拝見している
と生き甲斐が感じられて、たまさかのお通いでも、このような方を婿として
自分の邸に出入りさせて眺めることが出来る以上の幸せはあるまい、と、
左大臣は源氏の君をご覧になっているのでした。
源氏の君はそう方々にもお出かけにならず、宮中、東宮御所、一院の
おられる朱雀院程度で、その他には、藤壺のおられる三条の宮に
お出でになりました。「今日はまた格別お美しくていらっしゃいますこと」
と、女房たちが褒めそやしているのを、藤壺は几帳の隙間から、ちらりと
ご覧になるにつけても、胸をお痛めになることが多いのでした。
藤壺のご出産が、十二月も過ぎてしまったのが気掛かりであるにつけ、
この一月にはいくら何でも、と、三条の宮でお仕えしている人たちも
お待ち申し上げ、帝におかれても、しかるべきお心づもりをなさって
おりましたが、何事もなくて、二月になりました。物の怪のしわざでは
ないか、と世間の人もうるさくお噂申しているのを、藤壺はひどく辛い
思いで、このお産の遅れによって、きっと我が身を滅ぼすことになるに
違いない、と、危惧なさるので、ご気分もたいそう苦しくて、お具合が
よくありません。源氏の君はいよいよそれと思い当たられて、安産祈願
のご祈祷などを、誰のためと事情は明かさずにあちらこちらのお寺に
ご依頼になっておりました。人の世が無常であるにつけても、このまま
はかない仲で終わってしまうのであろうか、とあれこれお嘆きになって
いたところ、二月の十日過ぎに、男御子がお生まれになったので、
これまでの心配もすっかり消えて、帝も三条の宮の方々もお喜びで
ございました。
よくぞ生き長らえたものだ、と思うと、情けないことではありますが、
弘徽殿の女御などが、呪うようなことをおっしゃっていると聞いたので、
自分が死んだとお聞きになったら、物笑いの種になろう、と気を強く
お持ちになって、次第に少しずつ快方にお向かいになりました。帝が早く
若宮をご覧になりたいというお気持ちは、この上ないものでございました。
源氏の君の密かなお気持ちとしても、若宮のことがたいそう気掛かりで、
人のいない時を見計らって、「帝が若宮をご覧になりたがっておられます
ので、先ず私が拝見して、奏上いたしましょう」と申し上げなさいますが、
「まだ見苦しい頃ですから」と言ってお見せにならないのも、当然のこと
でございます。実は、もう呆れるほど、珍しいと思われるくらいに、源氏の
君に生き写しでいらっしゃる様子は、もう紛れもないことでありました。
藤壺は良心の呵責にさいなまれ、女房たちが拝見しても不審に思うで
あろうはずの出産時期のずれを、おかしいと気づかぬことがあろうか。
たいしたこともない些細な事でさえ、欠点を探し出そうとするこの世間で、
どんな悪い噂が終いには漏れ出てしまうことであろうか、と思い続けて
おられると、我が身ばかりが何とも情けなく思われるのでした。
源氏の君は、王命婦に時たまお会いになって、切ない言葉の限りを尽く
されますが、何の甲斐もあろうはずはございません。若宮のご様子を、
源氏の君がどうしてもご覧になりたいとおっしゃるので、「どうしてそんな
にまで無理をおっしゃるのでしょう。そのうち自然とご覧になれますで
しょうに」と申し上げながらも、思い悩んでいる様子は、王命婦とて並々
ならぬものがありました。憚り多いことなので、正面切っておっしゃる
ことも出来ず、「一体いつになったら直接お話申せようか」と言って
お泣きになるご様子が痛々しうございました。
「いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかるなかの隔てぞ(どの
ような前世からの宿縁で、現世でこのような二人の間に隔てがあるの
でしょうか)こんなことはとても納得できない」
と、源氏の君はおっしゃいます。命婦も、藤壺の思い悩んでおられる
ご様子などを拝見しているので、源氏の君をそっけなく突き放すことも
出来ずにおりました。
「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇
(若宮をご覧になっていらっしゃる御方も悩んでおられます。ご覧に
ならないあなたさまはまた、どんなにお嘆きのことでございましょう。
これが世の人の言う、子を思う故に迷う心の闇なのでしょうか)
おいたわしくも心休まる時の無いお二人でいらっしゃいますこと」
と、命婦は、そっと申し上げました。このようなことばかりで、どうしよう
もなく、源氏の君はお帰りになるものの、藤壺は世間の口の端の
うるさいことだからと、こうした源氏の君のご来訪を無茶なことだと
お思いにもなり、おっしゃりもして、王命婦のことも、昔お目を掛けて
おられたようには、気を許してお側にお近づけになりません。人目に
立たないように自然な態度で接してはおられますが、気に入らない、
とお思いになっている時もあるようなので、命婦はひどく心外な感じの
することもあるようでした。
第7帖「紅葉賀」の3回目。21頁・11行目~29頁の9行目までを読みました。
その前半部分、21頁・11行目~26頁・13行目までの全文訳です。後半は
2/28に「紅葉賀」の全文訳(6)として書く予定です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
源氏の君が宮中から左大臣邸に退出なさると、葵の上は例によって
端正に取り澄ましていらして、心優しく素直なご様子も無く窮屈なので、
源氏の君が「せめて今年からでも、少し夫婦らしく態度を改められる
お気持ちが見えましたら、どんなに嬉しいことでしょう」などと申し上げ
なさいますが、葵の上は、源氏の君がわざわざ二条院に女性を迎え
取って大切にしておられるという噂をお耳になさってからは、その人を
重々しく扱おうとお考えに違いないと、ますます親しみも持てず気詰まり
に思っておられるのでありましょう。そんな葵の上の気持ちにはわざと
気づかぬふりをして、冗談などおっしゃる源氏の君のご様子に、葵の上
も強情を張り通せず、お返事などを申し上げなさるところは、やはり
他の人とは格別に異なり優れておられました。
四歳ほど年長でいらっしゃるので、大人でいらして、気後れがするほど、
女盛りで非の打ち所がない感じでいらっしゃいます。「一体この方の
どこに不足がおありだというのだろう。自分の余りにも不届きな浮気
沙汰ゆえに、このように恨まれ申すことだよ」と、源氏の君は反省なさる
のでした。
同じ大臣と申し上げる中でも、世間の声望が重々しくていらっしゃる
左大臣が、北の方である内親王腹に儲けなさった一人娘として大切に
お育てになっておられるので、そのため葵の上はこの上もなく気位が
高くて、源氏の君が少しでもおろそかになさると、けしからぬこと、と
お思いになるのを、源氏の君のほうは、なにもそこまで崇める必要も
あるまい、といった態度をいつもお取りになるので、それが二人の御心
の隔てとなっていたのでありましょう。
左大臣も、源氏の君のこうした頼りにならないお心を、恨めしいとは
お思いになりながらも、源氏の君を拝見なさる時は、恨みも忘れて、
大切にお世話申し上げていらっしゃるのでした。
翌朝、源氏の君がお出かけになろうとしておられるところに顔を出されて、
源氏の君がお召し物を身に付けていらっしゃると、有名な石帯をご自身で
お持ちになってお出でになり、お着物の後をお直しするなど、御沓も手に
取らんばかりにお世話をなさっているのが、とてもお労しうございました。
源氏の君が「この帯は内宴などもあるようでございますので、その様な
時に使わせて頂きましょう」などとおっしゃると、左大臣は「なに、その時
にはもっと良いものがございます。これはただ目新しい感じのものです
から」と言って、無理に着用させなさいました。
本当にあれこれと大切にお世話申し上げて、そのお姿を拝見している
と生き甲斐が感じられて、たまさかのお通いでも、このような方を婿として
自分の邸に出入りさせて眺めることが出来る以上の幸せはあるまい、と、
左大臣は源氏の君をご覧になっているのでした。
源氏の君はそう方々にもお出かけにならず、宮中、東宮御所、一院の
おられる朱雀院程度で、その他には、藤壺のおられる三条の宮に
お出でになりました。「今日はまた格別お美しくていらっしゃいますこと」
と、女房たちが褒めそやしているのを、藤壺は几帳の隙間から、ちらりと
ご覧になるにつけても、胸をお痛めになることが多いのでした。
藤壺のご出産が、十二月も過ぎてしまったのが気掛かりであるにつけ、
この一月にはいくら何でも、と、三条の宮でお仕えしている人たちも
お待ち申し上げ、帝におかれても、しかるべきお心づもりをなさって
おりましたが、何事もなくて、二月になりました。物の怪のしわざでは
ないか、と世間の人もうるさくお噂申しているのを、藤壺はひどく辛い
思いで、このお産の遅れによって、きっと我が身を滅ぼすことになるに
違いない、と、危惧なさるので、ご気分もたいそう苦しくて、お具合が
よくありません。源氏の君はいよいよそれと思い当たられて、安産祈願
のご祈祷などを、誰のためと事情は明かさずにあちらこちらのお寺に
ご依頼になっておりました。人の世が無常であるにつけても、このまま
はかない仲で終わってしまうのであろうか、とあれこれお嘆きになって
いたところ、二月の十日過ぎに、男御子がお生まれになったので、
これまでの心配もすっかり消えて、帝も三条の宮の方々もお喜びで
ございました。
よくぞ生き長らえたものだ、と思うと、情けないことではありますが、
弘徽殿の女御などが、呪うようなことをおっしゃっていると聞いたので、
自分が死んだとお聞きになったら、物笑いの種になろう、と気を強く
お持ちになって、次第に少しずつ快方にお向かいになりました。帝が早く
若宮をご覧になりたいというお気持ちは、この上ないものでございました。
源氏の君の密かなお気持ちとしても、若宮のことがたいそう気掛かりで、
人のいない時を見計らって、「帝が若宮をご覧になりたがっておられます
ので、先ず私が拝見して、奏上いたしましょう」と申し上げなさいますが、
「まだ見苦しい頃ですから」と言ってお見せにならないのも、当然のこと
でございます。実は、もう呆れるほど、珍しいと思われるくらいに、源氏の
君に生き写しでいらっしゃる様子は、もう紛れもないことでありました。
藤壺は良心の呵責にさいなまれ、女房たちが拝見しても不審に思うで
あろうはずの出産時期のずれを、おかしいと気づかぬことがあろうか。
たいしたこともない些細な事でさえ、欠点を探し出そうとするこの世間で、
どんな悪い噂が終いには漏れ出てしまうことであろうか、と思い続けて
おられると、我が身ばかりが何とも情けなく思われるのでした。
源氏の君は、王命婦に時たまお会いになって、切ない言葉の限りを尽く
されますが、何の甲斐もあろうはずはございません。若宮のご様子を、
源氏の君がどうしてもご覧になりたいとおっしゃるので、「どうしてそんな
にまで無理をおっしゃるのでしょう。そのうち自然とご覧になれますで
しょうに」と申し上げながらも、思い悩んでいる様子は、王命婦とて並々
ならぬものがありました。憚り多いことなので、正面切っておっしゃる
ことも出来ず、「一体いつになったら直接お話申せようか」と言って
お泣きになるご様子が痛々しうございました。
「いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかるなかの隔てぞ(どの
ような前世からの宿縁で、現世でこのような二人の間に隔てがあるの
でしょうか)こんなことはとても納得できない」
と、源氏の君はおっしゃいます。命婦も、藤壺の思い悩んでおられる
ご様子などを拝見しているので、源氏の君をそっけなく突き放すことも
出来ずにおりました。
「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇
(若宮をご覧になっていらっしゃる御方も悩んでおられます。ご覧に
ならないあなたさまはまた、どんなにお嘆きのことでございましょう。
これが世の人の言う、子を思う故に迷う心の闇なのでしょうか)
おいたわしくも心休まる時の無いお二人でいらっしゃいますこと」
と、命婦は、そっと申し上げました。このようなことばかりで、どうしよう
もなく、源氏の君はお帰りになるものの、藤壺は世間の口の端の
うるさいことだからと、こうした源氏の君のご来訪を無茶なことだと
お思いにもなり、おっしゃりもして、王命婦のことも、昔お目を掛けて
おられたようには、気を許してお側にお近づけになりません。人目に
立たないように自然な態度で接してはおられますが、気に入らない、
とお思いになっている時もあるようなので、命婦はひどく心外な感じの
することもあるようでした。
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