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三井記念美術館ー三井家のおひなさまー

2019年3月30日(土)

花冷えは続いているものの、心配していた雨にもならず、予定していた
「三井家のおひなさま」を、「岩崎家のお雛さま」(その記事は→こちら
を見に行ったメンバーに姉も加わって、4人で鑑賞してまいりました。

「姉からの贈り物(part2)」と題してブログにも書いた服装で、私にしては
ちょっと気取って出かけました。

都心の桜はこの週末が満開のようです。「三越」と「三井記念美術館」の
間の通りも「江戸桜通り」と名付けられているだけあって、今が見頃の
桜並木が続いておりました。
      
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さて、重厚な「三井記念美術館」の建物に入ると、今日も心弾ませて
くれるお雛さまたちが出迎えてくれました。

ワクワクしながら会場を巡りましたが、今回の展覧会では、三井家ゆかり
のご婦人方のお雛さまもさることながら、やはり「人間国宝・平田郷陽の
市松人形」のコーナーが、印象的でした。

人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午、七夕、重陽、の五節句や、「衣装比べ」
(数え切れない程の色とりどりの人形の着物が掛かっている)の景を見ている
と、四季折々、こうした人形を飾って楽しむことが出来れば、心も豊かになれる
だろうなぁ、と思いました。

            三井のおひなさま
                会期は残り一週間です


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好色な老女の登場

2019年3月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第36回・№2)

我が家の眼下に見える小さな公園の桜も、五、六分咲きとなりましたが、
今日は風の冷たさが身にしみる花冷えの一日でした。

第7帖「紅葉賀」では、藤壺が不義の子を出産するという、とても重苦しい
出来事が語られるので、その緩衝材として考えられたのか、一人の老女
を巡って、源氏と頭中将が茶番劇を繰り広げる話が挿入されています。

この老女、典侍という女官としての高い地位にあり、家柄もよく、教養もあり、
上品で、琵琶にかけては名手の域にありながら、ただ一つ、色恋の道だけは
年老いた今なお「現役」という芳しくない評判を取っておりました。

源氏はそうした典侍のアンバランスさに好奇心を抱き、ちょっかいを出した
ものの、さすがに人に知られるのは相手が余りにもお婆さんなので憚られる
のでしたが、典侍のほうは二人の間柄を不自然とも思っていませんでした。

二人の戯れているところを帝が垣間見られ、女房たちの噂にも上るようになる
と、それを聞きつけた頭中将が、これまた「年甲斐もない色好みというものを
見届けてみたい」と興味を持って、典侍といい仲になってしまったのでした。

時に典侍57、8歳、源氏19歳です。いくら現代の飛んでる女性でもこの年齢差
は「わおーっ!」ですよね。早婚の当時ですと、息子どころか、孫の年恰好の
男性を相手にしていることになります。

でも典侍のこの感覚、滑稽ではありますが、しぼんで行く一方の私から見ると
何やら羨ましく、少し活力を分けて欲しいくらいです。

次回はその茶番劇の場面を読むことになりますので、一緒に笑って頂ければ
と存じます。

本日読みましたところの詳細は、こちらからどうぞ→「紅葉賀の全文訳(8)」


第7帖「紅葉賀」の全文訳(8)

2019年3月28日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第36回・№1)

木曜クラスのほうも第7帖「紅葉賀」の4回目です。29頁の10行目~
36頁の11行目までを読みました。前半部分は3/11に書きましたので、
今日は33頁の8行目から36頁の11行目までの全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)


帝はかなりお年を召されておられますが、こうした女性のことにかけては、
無関心ではおいでになれず、采女や女蔵人などでも、容貌が美しく、才気
のある人を特に大事にしてお目をかけられたので、気の利いた女房が大勢
お仕えしているこの頃でございました。

源氏の君が僅かでもちょっかいを出したりなさいますと、女が靡かないこと
など滅多にありませんので、珍しくも無いとお思いなのか、本当に源氏の君
は、不思議な程女房に対して好色なお振舞いはなさらないようだと、試しに
源氏の君の気を引くようなことを言い掛ける女房などもいるようですが、源氏
の君は気分をこわさない程度に適当にあしらって、本気で深入りなさらない
のを、実に物足りない、と思い申し上げている女房もおりました。

たいそう年老いた典侍で、家柄も立派で、才気もあり、上品で、人望も高いの
ですが、とても浮気っぽい性格で、そちら方面では軽々しい人がいますのを、
こんなに年を取るまで、どうしてそうもふしだらでいるのだろうか、と、源氏の君
は不思議にお思いになったので、冗談を言って試してご覧になると、典侍は
不似合いな事とも思わないのでした。呆れた、とお思いになりながらも流石に
こうした女も面白くて、お逢いにもなりましたが、人がこのことを耳にするのも
相手があまりにもお婆さんなので、素知らぬ態度をお取りになると、典侍の
ほうは、ひどく辛いと思っておりました。

帝の御整髪に典侍は奉仕しておりましたが、それが終わったので、帝は御装束
係の人を呼んで、そこをお出ましになられた後、典侍以外には誰もいなくて、
一人いつもよりも小綺麗で、姿や髪かたちも優美で、装束も着こなしもとても
華やかで洒落て見えるのを、源氏の君は「何とも若作りな」と、苦々しくご覧に
なるものの、「どんな気でいるのだろうか」と、さすがに見過ごせなくて、裳の裾を
引っ張って注意をお引きになると、蝙蝠扇で見事に絵が描いてあるのをかざして
顔を隠し、振り返った眼差しは精一杯の流し目なのですが、眼のふちがげっそりと
黒ずんで落ち込み、たいそう肉が削げて皺だらけでした。年に似合わぬ派手な
扇だな、と、源氏の君はご覧になって、ご自分が持っておられた扇と取り替えて
ご覧になると、赤い紙で、顔にその色が染まってしまいそうな位濃い赤で、小高い
森の絵が金泥で塗りつぶしてありました。

その端のほうに、筆跡はひどく古めかしいのですが、なかなか風情もある字で、
「森の下草老いぬれば」などと書いてあるのを、「書くに事欠いて、いやな趣向だ
なぁ」と笑いながら、「ここに描かれている絵は『森こそ夏の』といったふうだね」と、
何かとおっしゃるにつけても、相手が不似合いなので、誰かに見られるのでは
ないか、と気になりますが、女のほうはそうとも思い寄らずに、
 
「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむさかり過ぎたる下葉なりとも(あなたがお出で
くださるのなら喜んでお相手いたしますわ、こんなお婆さんでよろしければ)」

という様子は、この上なく色っぽいのでありました。
 
「笹分けば人やとがめむいつとなく駒なつくめる森の木がくれ(あなたの許へと
行ったなら、人が咎めるでしょう。いつでもあなたには他の男性が馴れ親しんで
いるらしいから)面倒だからね」

と言ってお立ちになるのを、お袖を捉えて、「まだこんな辛い思いをしたことは
ございませんわ。こうまでなってあなた様に捨てられたら、いい恥さらしでござい
ます」と言って泣く様子は、とても大げさでした。源氏の君が「そのうちお話しよう。
心は掛けているけど、思うに任せないのだよ」と言って振り切って出て行かれる
のを、典侍は懸命に取りすがって、「どうせ私は『橋柱』ですもの」と、恨み言を
言い掛けるのを、帝がお召換えを終わられて、襖の隙間から覗いておられました。

似合わない二人の仲だなあ、とひどくおかしく思われて、「女には目も向けない、
と女房たちがいつも困っているようだが、それでもお前のことは見過ごさなかった
のだな」と言ってお笑いになるので、典侍は照れくさい気もするのですが、恋しい人
とのことなら、濡れ衣でも着たがる連中もおりますので、それと同じ気持ちからか、
たいして弁解も申し上げません。

女房たちも「意外なことだわ」と、取り沙汰しているのを、頭中将が聞きつけて、女に
関しては抜け目のない性分で、「まだあの女のことは思いつかなかったなぁ」と思うと、
典侍の幾つになっても止むことのない好色心を見てみたくなったので、典侍といい仲
になってしまいました。


光の君、平成と共に去りぬ

2019年3月25日(月) 溝の口「湖月会」(第129回)

溝の口の第2金曜日クラスと、この「湖月会」は、今月で「源氏物語」の
第二部までを読み終えました。光源氏を主人公とした物語はここ迄で、
この後、所謂「匂宮三帖」と呼ばれる繋ぎの三帖を挟んで、「宇治十帖」
へと読み進んで行くことになります。

光源氏を語った最後の巻、第41帖「幻」は、前年に紫の上を亡くした
源氏が、ひたすら彼女を追慕して過ごした一年を描き、大晦日、漸く
出家を遂げる心の準備が整ったところで終わっています。

「もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年もわが世もけふや尽きぬる」
(物思いの中で過ぎて行く月日も分からなくなっているうちに、今年も
私の人生も今日で終わってしまうのだろうか)

と、年明けと同時に俗世を離れる決意を暗示した独詠が、光源氏の
詠んだ最後の歌です。

表題の「光の君、平成と共に去りぬ」は、講読会の最後にお一人の方
がおっしゃった、まさに言い得て妙の発言を使わせていただきました。

一週間後には新しい元号が発表となります。「光の君」が平成の元号と
ともに姿を消すことに、何か不思議な巡り合わせを感じている今夜です。


姉からの贈り物(part2)

2019年3月23日(土)

初夏を思わせるような昨日の陽気から、最高気温が12度も下がって、
また冬の寒さに戻ってしまった一日となりました。開花した桜も驚いて
震えていることでしょう。

先日、初めて姉と公開のコメントで遣り取りをした際、「私も古稀が
目の前まで来ています」と書きましたら、数日後、「古稀になるんだ
からと思ってばーばむらさきに相応しい色のスカーフを奮発したよ」
という電話がありました。

昨年の極寒の時に、暖かブランケットをプレゼントして貰い、それは
この冬もずっと重宝しました。(その記事はこちら→「姉からの贈り物」

そして今度は薄手の軽やかなシルクのスカーフが届き、お洒落な
クリップも同封されていました。

嬉しくなって、スカーフに合う服を新調したいな、という気分になり、
マルイで買い物をすると「マルコとマルオの7日間」という10%OFF
の期間中でもあるし、と思い、WORLDのお店の店員さんにスカーフ
を見せて、ぴったり合う服を選んで貰いました。

やはりこのスカーフが一番引き立つ色は白で、生地はトロンとした
材質の物がいいですね、と言われ、それにしました。

私のほうは、姉が古稀の時など全く頓着なく過ぎてしまいましたので、
何だか申し訳ない気もしています。喜寿が来る時には必ず忘れずに
するからね。

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        30日に「三井家のおひなさま」を姉も一緒に
        見に行く予定ですので、この組み合わせで
        行けたら、と思っています。


匂宮からの難しい注文

2019年3月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第211回)

このクラスは第48帖「早蕨」を今回で読み終えました。

「早蕨」は、姉・大君の喪中の中で新年を迎えた中の君が、二月に
匂宮によって京の二条院に引き取られ、三月、薫が花盛りの二条院
を訪れた際、匂宮から難しい注文をつけられて困惑しているところ迄
を描いて幕を閉じています。

その難しい注文と言うのは、中の君の薫への接し方です。

西の対(中の君の住まい)で、薫が一番外側の簀子に座らされている
のを見て、匂宮は「行き届いたお世話をしてくださっている方(薫)を、
そんな他人行儀な扱いをしては罰が当たるというものでしょう。もっと
近くで、昔話でもしみじみとなさったらよいのに」と、おっしゃるものの、
「そうは言っても、あまり気をお許しになるのもまた如何なものか。彼は
心の内に疑わしい気持ちを秘めていそうですからからね」と逆のことを
言って、釘を刺すのもお忘れではありませんでした。

根っから好色な匂宮は、そうした男女の機微には敏感で、薫の中の君
への懸想も感じ取っておられるがゆえに、こうした発言となって表れる
ことになったのでしょう。

我儘なお坊ちゃま気質の匂宮は、思ったことはストレートに口にされる
ので、それが中の君への無理難題ともお思いになっていないようです。

「とかくやと、かたがたにやすからず聞こえなしたまへば、苦しうおぼされ
けり」(ああだこうだと、何かにつけて薫と中の君との仲を疑うような発言
をなさるので、中の君は辛くお思いになるのでした)

と結ばれている巻末。この先、浮舟が登場して来ることを知らない当時の
読者には、これからの中の君の運命(二人の男性の狭間で苦しむのでは?)
が気になって仕方がないところだったと思われます。


GRILL UKAI MARUNOUCHI &銀座松屋「シルバニアファミリー展」

2019年3月18日(月)

昔勤めていた職場の講師仲間の懇親会は年に3回ありますので、
こうした集まりの中では頻度が高いほうかと思います。

昨年の春から会場は同じ「GRILL UKAI MARUNOUCHI」です。
トータル的に見て、ここが一番いい、と4人続けて幹事さんがチョイス
なさっただけあって、これ以上のお店を見つけるのはなかなか難しい
のではないかと思われる、お料理、サービス、料金、ロケーション、の
全てが揃ったレストランです。

今回も「玉葱のスープ」から、最後の例によってお好きなだけどうぞ
の「デザート」(はい、今日も6種類、全部いただきました!)まで、
どれもどれも美味しかったです。中でもイチオシの一皿はこれ。

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   前菜で供された、海老を極薄の春巻きの皮で巻いた一品。
   ちょっと甘酸っぱいソースとの相性も抜群でした。

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    今日はお二人の方が春らしい色目の和服姿でご参加。
    弾む会話に更に彩を添えてくださいました。

ただでさえ方向オンチの上、滅多に出掛けない東京駅の辺りは
殊更不案内で、ここから銀座までの道筋が分からない私。都心に
慣れておられる方々に「銀座松屋」まで連れて行って頂きました。
只今開催中の「シルバニアファミリー展」が見たかったからです。

私はドールハウス的なものが大好き。きっとお雛様を見るのが好きな
のもそのせいかと思います。

ウィークデーにも拘らず、この前の静嘉堂文庫美術館とは異なり、
大勢の人で混雑していました。

1985年発売の「シルバニアファミリー」は、世界中で親しまれている
ドールハウスですが、販売された人形の累計数は1億5千万体以上に
のぼっているそうです。今回の展覧会では国内で販売された1,000点
以上の品が展示されており、30年余の「シルバニアファミリー」の変遷
を垣間見ることもできました。例えば洗濯機なども、ローラーで絞る
タイプから、二槽式、全自動、ドラム式へと進化しているのです。

所々に撮影可のコーナーがありましたので、その中からの3点です。
     
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しばしメルヘンの世界を楽しんでまいりました。


薫の取った手段

2019年3月16日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第159回)

このクラスは、第51帖「浮舟」も終盤です。

薫は4月10日に浮舟を京の新築した家に迎え取ると知らせて来ております。
そうなってしまったらもう浮舟とのことは万事休す、と焦った匂宮は、夫が
遠国の国司となった乳母一家が下向する3月28日の夜、その空き家に
浮舟を移そうと画策し、こちらも浮舟にそのつもりでいるように、と言って
来られました。

このように期限が決められた中での選択を迫られて、いよいよ浮舟は
追い詰められ、自死以外に残された道はない、という決断に至るのです。

ところで先月、「秘密を知った薫はどうしたか?知られた浮舟はどうなるのか?」
(その記事はこちら→「秘密の露見」)と書きましたが、薫の取った手段は、
匂宮が近づけないように、浮舟の居る宇治の山荘の警護の強化を図る
ことでした。

薫は、この辺りの荘園に従事する者たちを束ねている家来の内舎人に、
「近頃、宇治の女君に仕える女房の所に氏素性の分からぬ男が通って
来ていると言うではないか。お前たちの職務怠慢であろう」と厳重な注意を
与えたのでした。勿論これは、匂宮が浮舟の許に通っていることをわざと
誤魔化して言っているのは明白で、内舎人から聞かされた右近は、震え
上がっておりました。

匂宮は薫に知られたことに気付いておられず、3月28日の京への移転を
促しても浮舟からの返事がないのに業を煮やして、自ら宇治へお出かけに
なりますが、この厳重な警護に阻まれて浮舟に逢うことは出来ませんでした。

残り3ページ弱の所で、今日は時間切れ。姿を消す前の最後の浮舟を描いた
場面は次回読むことになりました。そのあと続けて第52帖「蜻蛉」に入る予定
です。段々と大詰めが近づいてまいります。


パワフルな熟女

2019年3月15日(金) 溝の口「枕草子」(第30回)

今日から下巻に入りました。今回は第146段~第151段までを
読みましたが、全てがいわゆる「類聚章段」で、特に「~げなもの」
と、「婉曲的な観察記録」が多いところでした。「むつかしげなるもの」
(煩わしそうなもの)「苦しげなるもの」(辛そうなもの)「羨ましげなるもの」
(羨ましそうなもの)といった具合です。

その中の一つ「羨ましげなるもの」(第151段)には、私も羨ましく思える
パワフルな熟女が登場します。

伏見稲荷神社の祭の日、清少納言はまだ夜が明けない内に出掛けた
のですが、稲荷山の半分位歩いたところで、既に10時頃になってしまい、
完全にバテてしまいました。休んでもしんどくて、涙までもが出て来る
情けない有様でいたところ、四十過ぎ位の、旅姿も整えていない、着物の
裾をからげただけの女が、「私は今日は七度詣をしてるんですよ。もう
三度お参りしました。あと四回、どおってことないわ。午後二時頃には
終わっちゃうわね」と、道で出会った人に話しかけて、フットワークも軽く、
下りて行ったのでした。

京の街中で見かけたら全く目立たないただのおばさん(当時は40歳から
長寿の祝いをしたのですから、おばあさん、というほうが正しいかも)
なのに、この時ばかりは、清少納言も「これが身に、ただ今ならばや」
(この女の身に、今すぐなりたいわ)と思われた、というものです。

貴族の女性が自分の足で外を歩くなど極めてまれな時代、清少納言の
ように、ちょっと歩いただけで「もうダメ」が当たり前だったかと思われます。
熟女になってもパワフルなのは、下々の者なればこそ。普段は下々の者
に対しては手厳しい作者ですが、こんなふうに本音を吐露しているのは、
余程応えていたんでしょうね。

このパワフル熟女、もしかしたら清少納言の姿を横目で見て、こちらは内心
「ほら、貴族のお方はこれだもの」と、優越感を抱いて、いっそう足取りも
軽やかになったのかもしれません。


細分化したカテゴリへの振り分け終了!

2019年3月12日(火)

10日の記事で、「カテゴリの細分化」まで出来たのはいいけれど、
360ある「源氏物語の講読会」の記録を、一つ一つ振り分ける作業
には時間がかかりそう、とぼやきましたが、11日の「紫の会」にご参加
の方から、「このやり方で試してみてください」と、本日メールを戴き
ました。

日中は二ヶ月に一度の病院の予約が入っていたので、夜になってから
チャレンジしてみました。すると・・・纏めて振り分けることが出来たんです!
やっぱりおバカな私が知らないだけでした(-_-;)(-_-;)

これで「源氏物語の講読会」は、各クラスごとに見ていただくことが可能に
なりました。「源氏物語」の流れも前後せず、「ちょっとだけ古典文法」の
シリーズも、「高座渋谷クラス」を開いてくだされば、連続してご覧になれ
ます(文法だけ見たいなんて人はいない!?)。

クラス単位のブログの書籍化のご希望があったからこそ、また一括振り
分けの方法をご教示頂けたからこそ、出来たことで、皆さまに助けられて
の講読会であることに、改めて感謝している今夜です。


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