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「色彩」から「香り」へ

2019年4月12日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第130回)

雪がちらつくほどの寒さとなった水曜日からすればマシなのですが、
今日もまだ4月とは思えない寒い一日でした。明日からは、ようやく
平年並みの気温に戻るようです。

先月で第二部までを読み終えた溝の口の第2金曜日と第4月曜日
のクラスですが、今月から第三部に入り、先ずは「匂宮三帖」と
呼ばれている第42帖~第44帖までの最初の帖「匂兵部卿」の巻を
読みました。

この巻は光源氏が登場する最後の巻「幻」から8年の空白期間を
置き、「幻」で6歳だった薫が14歳のところから始まります。

第二部までの主人公だったのは「光源氏」です。文字通り光り輝く
彩り豊かな存在でした。それが第三部の主人公となる薫(表向きの
父親は源氏、実際の父親は柏木)となると、あでやかな色彩を失い、
替わって身に付けているのが、持って生まれた芳香となっています。

登場人物の呼称も、「薫」・「匂宮」と嗅覚的なものを象徴しており、
同じような場面を比較しても、第二部までの視覚的な表現から、
第三部では嗅覚的な表現に移行しているのがわかります。

昨年の12月19日の記事で、第三部における「死者の美」が嗅覚的
に捉えられていることを書き、続けて12月24日には、第二部での
「死者の美」が視覚的に描かれていることを取り上げております。

ご参考までにご覧の上、両者を比較してくだされば、これから読み
進めて行く「宇治十帖」の世界の特徴の一つがお分かり頂けるの
ではないか、と思います。
(その二つの記事はこちらから→「第三部における死者の美」
「第二部における死者の美」


旧交を温めたひと時 in 横浜

2019年4月9日(火)

今を去ること半世紀余り。高校2年生の夏、私は父の転勤に伴い、
都立高校から山口県の県立高校に転校しました。

初めての土地、知る人も無い転校先で、心細くて「どうしよう」と
思っていた時、優しく声を掛けて学校生活にいち早く融け込める
よう手を差し伸べてくれた一人の同級生がいました。

それから高校卒業までの一年半、無二の親友を得て、私は楽しい
学校生活を送ることが出来たのです。

ほぼ同じ頃に結婚しましたが、以来彼女はずっと長崎在住。私は
静岡で4年間を過ごした後、東京で暮らすようになり、今も首都圏に
住んでおります。

今日は何と10年ぶりでした。刺繍のお仲間と横浜に来られたのを
機に、私と会うための時間を作ってくださいました。

グランドインターコンチネンタルホテル内の和食の店「なだ万」で、
ランチを共にしながら、積もる話に花を咲かせ、その後また場所を
移してコーヒーを飲みながら、計4時間、お喋りに興じました。
4時間ともなると、「ひと時」とは言わないかもしれませんね(笑)。

私が一度も行ったことがなくて一番行きたいのは長崎です。長崎の
話もいろいろと聞き、改めてぜひ実現させたいと思いました。

    DSCF3910.jpg
   本日いただいた「春らんまん」と名付けられたコース料理
   の中から「造里」と「旬菜」。この他に「先付」「吸物」「煮物」
   「焼物」「食事」「デザート」が供され、いずれも目と舌の両方
   で楽しめるお料理でした。
   
 

老女を巡る茶番劇

2019年4月8日 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第37回・№2)

今日は入学式の学校が多かったようですね。桜の花もそれを
慮ってか、まだあちらこちらで綺麗に咲いていました。

第7帖「紅葉賀」も終盤に入りました。

前回ご紹介しました「源典侍」という、一人の好色な老女官、何と
源氏と頭中将という当代きってのイケメン二人といい仲になって
しまいましたが、やはり源氏のほうにぞっこんなのでした。

源氏も、人に知られたら恥ずかしいと思うようなお婆さんなら相手に
しなければいいのに、と思うのですが、そこが源氏の優しさ、とでも
言いますか、些かの好奇心も手伝って、この夜も源典侍と床を共に
しておりました。

一度源氏をぎゃふんと言わせてやりたい、と思っていた頭中将は、
二人が一緒に居るところを見つけて、チャンス到来、とばかり忍び
込み、源氏を脅してやろうと考えます。

はじめ源氏は、この闖入者が頭中将とは思わず慌てふためき、
脱いでいた直衣だけを手にして、屏風の後に隠れますが、やがて
太刀まで抜いて、わざと大げさに振舞うのが頭中将だと気づくと、
腕を抓り上げ、「何やってんだよ、私はこの直衣を着て帰るよ」と
出て行こうとすると、そうはさせじとする頭中将と直衣を引っ張り合い、
源氏も負けじと頭中将の帯を解いて引っ張り合う始末。

挙句の果てには、どちらも見られないような格好になって連れ立って
お帰りになりました。

源典侍は、源氏が頭中将と分からずにいる時は、真剣に二人の間に
入って、頭中将に取りすがっていましたが、頭中将が太刀を抜くに
及んでは、自分のせいで二人の若い男が諍いをしていると信じて、
「あが君、あが君」(あなた様、あなた様、お願いやめて)と手をすり
合わせて懇願する始末でした。

今日読んだ場面は、もう笑いの連続です。おそらく「源氏物語」全編を
通して一番滑稽なお話ではないでしょうか。

詳しくは先に書きました「紅葉賀の全文訳(9)」をご覧ください。


第7帖「紅葉賀」の全文訳(9)

2019年4月8日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第37回・№1)

第7帖「紅葉賀」も5回目、あと少しを残すだけとなりました。今回は
36頁の12行目~43頁の6行目までを読みました。その前半部分の
全文訳です。区切りの都合上、こちらの前半が長くなり、25日の後半
が短くなりますが、我慢してお読みいただければ、と存じます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)


頭中将も、他の人よりははるかに優れたお方なので、典侍はつれない
源氏の君の代りの慰めに、とは思いましたが、やはり逢いたいのは
源氏の君お一人だったとか。とんでもない選り好みでございますわね。

典侍は頭中将との仲をひどく隠しているので、源氏の君は、二人の仲を
ご存知ではありませんでした。源氏の君をお見かけしては、典侍が真っ先に
恨み言を申し上げるのを、年寄りなのが可哀想なので、喜ばせてやろう、
とお思いになりますが、その気になれないおっくうさに、随分と日数が経って
しまいましたが、夕立があって、その名残の涼しい宵闇に紛れて、温明殿の
あたりを様子を窺いながら歩き回っておられると、この典侍が琵琶を実に
見事に弾いておりました。帝の御前での殿方の管弦の演奏に加わったりして、
琵琶にかけてはこの上ない名手なので、つれない人を恨めしくも思っていた
折とて、とてもしみじみと聞こえました。「瓜作りになりやしなまし」(瓜作りに
なってしまおうか)と、声はとても趣深く歌うのが、少し嫌な気がします。鄂州
にいたという昔の人も、このようにしみじみと弾いたのであろうか、と、耳に
留めてお聞きになりました。弾き終わって、典侍はとてもひどく思い乱れて
いる様子です。源氏の君が、「東屋」をそっと歌いながらお近づきになると、
典侍は「押し開いて来ませ」と、歌い添えたのも、他の女とは勝手が違う気が
します。

「立ち濡るる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそきかな(訪ねて来て
雨だれに濡れる人もいない東屋に嫌な雨だれが軒から落ちて来ることよ)」

と、嘆いているのを、源氏の君は自分一人がこんな恨み言を聞かされねば
ならない筋合いではないけれど、「困ったことだ、どうしてここまでしつこいのか」
と、お思いでした。
 
「人づまはあなわづらはし東屋のまやのあまりも馴れじとぞ思ふ(人妻は
何とも面倒なことです。あまり親しくはすまいと思います)」

と言って、このまま立ち去ってしまいたいけれど、それもあまり素っ気ないか
と思い返して、相手に合わせて、少し軽薄な冗談などを言い交わして、これも
時には目新しい気分になられるのでした。

頭中将は、源氏の君がひどく真面目くさった態度をお取りになって、いつも
自分を非難なさるのがしゃくなので、源氏の君には、素知らぬふりをしながら
こっそりとお通いになっている女性が沢山おられるようなのを、何とか現場を
押さえてやろう、とずっと思っていたところ、この典侍との逢瀬の場を見つけた
気持ちはとても嬉しいものでした。

このような機会に少し脅してお心を惑わせ、「どうです、懲りましたか」と言おう
と思って、源氏の君を油断させ申し上げておりました。風がひんやりと吹いて、
次第に夜が更けて行く頃に、二人共少しうとうととしている様子なので、
頭中将がそっと中に入って来ると、源氏の君は気を許してお眠りになるような
気分ではないので、すぐにその気配を聞きつけて、それが頭中将だとは思いも
寄らず、未だに源典侍を忘れがたく思っているという修理大夫であるに違いない、
とお思いになると、修理大夫のような年配者に、こんなみっともないことをしている
ところを見つけられるのは体裁が悪いので「やれ、面倒なことだ。もう帰るよ。
いい人が来ることははっきりと分かっていただろうに、情けないことに私を騙し
なさるなんて」と言って、直衣だけを手に取って、屏風の後にお隠れになりました。

頭中将はおかしいのを我慢して、源氏の君が引き回された屏風の傍に近づいて、
ばたばたと畳み寄せて、わざと大げさに音を立てると、典侍は、年寄りのくせに、
ひどく気取った色っぽい女で、以前にもこうしたことでハラハラすることが何度か
あったため、馴れたもので、ひどく気が動転しながらも、源氏の君をどんな目に
遭わせるつもりなのか、と、辛くて、ぶるぶる震えながら、頭中将にしっかりと
取りすがっておりました。

源氏の君は、自分が誰とも知られることなく出て行きたいとお思いになりますが、
だらしない格好で、冠なども歪んだまま走っている後姿を想像すると、とても
馬鹿げて見えることだろう、とためらっておられました。頭中将は、何とか
源氏の君に自分だと知られまいとして、ものも言わず、ただたいそう怒っている
様子を装って、太刀を引き抜くと、典侍は「あなた様、あなた様、お願い」と、
頭中将に向かって手を擦り合わせるので、頭中将は危うく吹き出しそうになって
しまいます。好感の持てそうな若々しく振舞っているうわべだけは、まあそれなり
なのですが、五十七、八にもなる女が、恥も外聞もなく大声を出して騒いでいる
様子や、美男この上ない二十歳位の若者たちの間に挟まれて怯えているのは、
何とも不格好なことでありました。

頭中将はこのように別人を装って、怖そうな様子を見せますが、源氏の君は
却って目ざとく頭中将だとお気づきになって、「私だと知って、わざとやっている
んだな」と馬鹿馬鹿しくなりました。「頭中将に違いない」とお分かりになると、
ひどくおかしくなって、太刀を抜いた腕を掴んで、たいそう強くつねり上げられた
ので、頭中将はくやしいものの、こらえ切れなくなって吹き出しました。

「真面目な話、これは正気の沙汰かね。うっかりふざけたことも出来ないね。
さあ、この直衣を着よう」とおっしゃいますが、頭中将は源氏の君の直衣を
しっかりと掴んでお放し申しません。「それならそちらも一緒に」と言って、
源氏の君が頭中将の帯を解いてお脱がせになると、頭中将は脱ぐまいと
逆らうので、二人共、何かと強く引っ張り合ううちに、直衣の縫い合わせの
無い部分が、ほろほろと引き切れてしまいました。頭中将が
 
「つつむめる名やもり出でむ引きかはしかくほころぶる中の衣に(あなたが
隠そうとなさっている浮名も漏れ出てしまうことでしょう。引っ張り合
ってこんなにほころびてしまった二人の仲のために)これを上に着たら、
人目に立つことでしょう」

と言います。源氏の君は、
 
「かくれなきものと知る知る夏衣きたるを薄き心とぞ見る(あなた自身の
浮名も隠し切れないものになると知りながら、のこのことやって来るとは
思い遣りのないことですね)」

と返歌をして、お互い恨みっこ無しのだらしない姿にされて、連れ立って
お帰りになりました。


「衣かたしき今宵もや」

2019年4月4日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第159回)

花冷えが続いたおかげで、今年の桜は、「花の命は結構長い」と
なったようですが、今日から気温が上昇に転じ、明日はまた20度
にまで達するとの予報です。この週末がお花見のラストチャンスで
しょうか。

八王子クラスは第51帖「浮舟」に入って3回目。あの「宇治十帖」屈指
の名場面、浮舟が匂宮に抱かれて小舟で宇治川を渡るところまでを
読みました。

この時、匂宮が雪の中も顧みず、宇治へと出掛けて行ったのは、薫が
口ずさんだ「衣かたしき今宵もや」に触発されてのことでした。

2月10日頃に宮中で「作文の会」(漢詩を作る会)が催され、その時、
匂宮の宿直所に皆が集まり、薫も居たのですが、一人そっと口にした
のが「衣かたしき今宵もや」だったのです。

これは、古今集にある「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ
宇治の橋姫」(敷物の上に衣の片袖だけを敷いての一人寝で、今夜も
寂しく私を待っているのであろうか宇治の橋姫は)という古歌を引いて
おり、宇治十帖では三度目の引用となります。

最初は「橋姫」の巻で、薫が大君に贈った歌です。この歌の「橋姫」が
巻名にもなっています。

「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしずくに袖ぞ濡れぬる」(宇治の橋姫
のようなあなたのお気持ちを察しますと、浅瀬にさす棹のしずくに袖を
濡らすように、私も涙で袖を濡らしております)

次は「総角」の巻で、匂宮が中の君と結ばれて、三日目の夜を過ごして
詠んだ後朝の歌です。

「中絶えむものならなくに橋姫のかたしく袖や夜半に濡らさむ」(二人の
仲は絶えるものではないのに、橋姫のように片敷きの袖を、あなたは
夜半に涙でぬらすのであろうか)

そしてこの薫の独り言になります。匂宮は一人寝の浮舟をこれほど思い
遣っているのは自分だけの積りだったのに、薫も同じ気持ちだったのだ、
と思うと、浮舟が薫を差し置いて、自分にそれ以上の愛情を抱いてくれる
自信が無くなり、居ても立ってもいられない思いに駆られて宇治へと赴く
行動に走ったのでした。

また、ここで浮舟が「橋姫」に比えられているというのは、最初の大君、
二番目の中の君、と並んで、浮舟が「宇治の橋姫」(=宇治の物語の
ヒロイン)としての資格を有したことも意味していると考えられます。


ちょっとだけ古典文法(34)

2019年4月2日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算137回 統合87回)

今回で助動詞が終わります。その最後の助動詞は「比況」・「例示」の助動詞
「ごとし」です。「比況」とは、ある一つの事実が、他のものに似ていると示すこと
で、「例示」とは、多くの中から、あるものを例として示すことです。

覚えなければならない基本事項(「意味」・「活用型」・「接続」)の確認をしましょう。

★覚えることその①⇨「意味」・・・「比況」(まるで~のようだ・~と同様である)
                    「例示」(例えば~のような・~などの)

◎年月は、流るるごとし。(年月は、まるで水が流れるようだ。)→「比況」
・・・年月という一つの事実が水の流れに似ていることを示しています。

◎和歌・管弦・往生要集ごとき抄物を入れたり。(例えば和歌・管弦・往生要集
ような抄物をいれている。)→「例示」・・・多くの抄物の中から特に「和歌」・
「管弦」・「往生要集」を取り上げて例として示しています。

※「ごとし」は「~のごとし」と現代でも使っていますので、意味においては
自然に理解できているのではないかと思います。

★覚えることその②⇨「活用型」・・・「形容詞型」

 語   未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形   活用型
ごとし  ごとく   ごとく  ごとし  ごとき   ○     ○   形容詞型    
 
★覚えることその③⇨「接続」・・・体言・活用語の連体形、助詞の「が」・「の」に付く

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「源氏物語」の講読のほうは、五十四帖中、ここが最もハラハラドキドキ
しながらではないか、と思われる場面を読みました。

源氏が女三宮の体調不良を案じて六条院を訪れておられる時に、柏木
からの手紙が届き、源氏がちょっと席を外された隙に、小侍従はそれを
女三宮にお見せしました。

女三宮が読んでいるところに源氏が戻って来られたので、女三宮は
慌てて御茵(お座布団)の下に挟んでお隠しになった上、隠したことを
お忘れになってしまったのです。

翌朝、その手紙は源氏によって見つけられ、柏木と女三宮の密通事件は、
源氏の知るところとなってしまいました。

人は「そうあって欲しくない」という事実を突き付けられた時、何とかして
それを否定できる材料はないか、と探し求めるものですが、ここでは
小侍従と源氏の、そうした祈りにも似た気持ちが実にリアルに描かれて
います。

小侍従は、自分が昨日受け取った柏木からの手紙と同じ色の手紙を、
源氏が読んでおられるのを目撃して、心臓の鼓動が耳に届く程ドキドキ
しながら、柏木の手紙は女三宮がお隠しになったはずだから、今源氏が
お読みになっているのは、偶然同じ色の紙に書かれた別のものだわ、
と、無理に思おうとしています。

源氏は、二条院に手紙を持ち帰り、これは女房などが、わざと柏木の
筆跡を真似て書いた物ではないか、どこかに柏木からの手紙ではない、
という証拠は見つけられないか、と繰り返し柏木の手紙を読み返される
のですが、読めば読むほど、柏木の女三の宮に対する切ない思いを
知ることになるだけなのでした。

これら緊迫した筆致は、何度読んでも圧巻です。


新元号「令和」

2019年4月1日(月)

5月の改元に向けて、新元号が「令和」と発表されました。

「和」は「昭和」をはじめ、元号の中では度々使われているので、
目にも馴染んだ文字ですが、「令」には「ほおーっ!」という新鮮さ
を感じました。

「令和」は「大化」から数えて248番目の元号で、これまではずっと
出典は漢籍によるものだったのが、初めて「万葉集」という日本の
古典に由来するとのこと。やはり、同じ古典文学(時代は少しずれ
ますが)に携わっている者としては、嬉しい気がいたしますね。

もうすでにあちらこちらで解説もお読みになったかと思いますが、
一応、出典に触れておきます。

原文は漢文で書かれていますので、書き下し文にしたものを掲載
します。

梅花の歌三十二首、并せて序(この「序」の部分が出典です)

天平二年正月十三日に、帥老(そちのおきな)の宅に萃(あつ)まりて、
宴を申(の)ぶ。
時に、初春の月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風(やはら)ぐ。
梅は鏡前の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を
薫(かを)らす。(小学館「日本古典文学全集」萬葉集(2)より)

意味は、大体次のようになります。

天平2年(730年)1月13日に、大宰の帥・大伴旅人の邸宅に集まって、
宴会が繰り広げられる。
折しも、初春の良い月で、辺りの気配は心地よく風は穏やかである。
梅は鏡の前の白粉で装った美女のように花開き、蘭は匂い袋のように
良い香りを漂わせている。

「令和」がその元号の通り、「良き穏やかな」時代となりますように。

「平成の平と令和の和で平和 戦なき世の続くを願ふ」(ばーばむらさき)


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