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懐かしの場所へ

2019年4月29日(月) 

「平成」もいよいよ一日を残すだけとなった今日、ご近所のお友達と
懐かしの場所を散策してしてまいりました。

お付き合いが始まってかれこれ20年になろうかと思われますが、
これ迄あまり昔のことを話す機会がなかったのか、先月、初めて
お互いに「世田谷区下馬」という所に住んでいたことを知りました。

同じ下馬、といっても丁目は異なり、最寄り駅も東横線で一駅離れる
のですが、二人共何だかとても懐かしくなり、「一緒に行きましょう」と
いう話になりました。

先ずは「三軒茶屋」まで行って、腹ごしらえです。彼女がいろいろと
調べてくれて、茶沢通りに面した駅近の「ぺスケリア」というイタリアン
で「ホリデーランチ」をいただきました。

    DSCF3950.jpg
    私が頼んだメインディッシュの「鮮魚と野菜のグリル」。
    真鯛、鯖、海老、烏賊の4種類もの魚介類。少し塩気が
    強いかな、と感じましたが、添えてあるバジルソースが
    美味しくて、たっぷりと付けていただきました。

お腹がいっぱいになったところで、バスに乗り、本日の目的地「駒繋神社」
へと向かいました。お友達にとっての懐かしの場所は、神社に隣接した
公園で、当時は公園の前に蛇崩川が流れており、彼女は6歳までしか
住んでいなかったので、ブランコに乗ると川に落っこちそうな気がして
いたそうです。

私が世田谷に住んでいたのは、昭和51年から平成2年までの14年間で、
ちょうど子育てをしていた時期と重なります。ですから毎年の初詣は
もとより、息子のお宮参りや七五三も「駒繋神社」でお世話になりました。
初詣の帰りに、その公園で遊んだこともありました。その頃にはもう川は
暗渠となり、遊歩道に変っていました。

      DSCF3952.jpg
          ひと気もなく、静かな「駒繋神社」の境内

住宅街を歩いて、14年の歳月を過ごしたマンションの前へ。外壁の色が
すっかり変わっていましたが、佇まいは30年前と変わりなく、とても懐かしく
感じました。殆どのお店が替わってしまった商店街を抜け、「学芸大学」駅
近くにある洋菓子店の「マッターホーン」へ。ここで今日一番の人出を見ました。
ケーキを求める人で店内は長蛇の列。いつの間にこんな行列の出来る店に
なったのかしら?でも、知っているお店の多くが消えてしまっていた中での
嬉しい現象でした。

       DSCF3964.jpg
       店内にはカフェも併設されていますが、この混雑に
       お茶は諦めて、買い物だけで帰宅の途につきました。

雨にもならず、カンカン照りでもなく、薄曇りの散策日和。楽しい一日を有難う、
と、お友達に感謝です。


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茶番劇から一夜明けて

2019年4月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第37回・№2)

今日の「紫の会」が、平成最後の講読会となりました。

同じことなら平成の終わりに、第7帖「紅葉賀」も読み終えられると
良かったのですが、それは来月になります。

源典侍という一人の老女官を巡って茶番劇を繰り広げた源氏と
頭中将でしたが(その場面はこちらから→「老女を巡る茶番劇」)、
一夜明けると、源典侍から、あとに残っていた指貫や帯などが
源氏の許に届けられました。えっ、源氏の君、ズボン(指貫)も
穿かずに帰って来たのですね。

帯は頭中将のものでした。源氏の直衣の端袖は頭中将が持ち
帰っており、「これを先ず縫い付けなさいませ」と包んで寄越しました。

お互いに相手の着ている物の一部を手に入れて、この勝負はまあ
引き分けということで決着を見ましたが、源氏は頭中将にあのような
老女との密会の現場を押さえられたことを残念に思っておられるの
でした。

日が高くなってから、清涼殿に伺候して、二人共、昨夜のことなど
なかったかのような顔で職務に励んでおりました。頭中将が人の
居ない時に近寄って来て「隠し事はもうこりごりでしょう?」と得意気に
言うと、「忍んで来ながらそのまま帰った人こそお気の毒なことです」
と言い返す源氏でしたが、最後には「これは二人だけの秘密だよ」で、
了解し合いました。

のちに、「朝顔」の巻になって再びこの源典侍が登場します。「紅葉賀」
から13年後の源氏32歳の時のことですから、源典侍は70歳位(あら、
今の私と同じじゃないですか!)。まあ今なら90代位の感覚で読めば
いいでしょうが、どうなっていると思われますか?楽しみに待ってて
ください。

今日ご紹介した話は、先に書きました「紅葉賀」の全文訳(10)で、
通してお読みいただければ、と存じます。


第7帖「紅葉賀」の全文訳(10)

2019年4月25日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第37回・№1)

第4木曜日のクラスも第7帖「紅葉賀」の5回目。第2月曜日と同じ、
36頁の12行目~43頁の6行目までを読みました。その後半部分
(41頁・7行目~43頁・6行目)の全文訳です。区切りの都合上、
前半が長くなりましたので、本日の後半部分は短くなっております。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)


源氏の君はとても残念なことに頭中将に見つけられてしまったことだと
思いながら横になっておられました。

源典侍は呆れたことになったと思って、あとに残っていた指貫や帯などを、
翌朝源氏の君のもとにお届け申し上げました。

「うらみてもいふかひぞなきたちかさね引きてかへりし波のなごりに(お恨み
しても何の甲斐もございません。お二人がお揃いでお帰りになってしまった
そのあとでは)涙も枯れ果ててしまいました」

と書いてありました。源氏の君は「恥知らずな」とご覧になるにつけても
憎らしいけれど、昨夜どうしようもないと途方に暮れていたのもさすがに
可哀想に思われて、
 
「あらだちし波に心は騒がねど寄せけむ磯をいかがうらみぬ(荒々しかった
波〈頭中将〉には心が騒ぐこともありませんが、その波を引き寄せた磯〈源典侍〉
をどうして恨まずにいられましょうか)」

とだけ、書いてお返事をなさいました。帯は頭中将のものでした。ご自分の
直衣の色よりも濃い色だとわかり、比べて見ていると、源氏の君の直衣の
端袖も無くなっていました。「みっともないことだな。女性のことで夢中になる
男は、なるほど馬鹿げたことも起こしがちだろう」と、いよいよ自重しなければ、
という気がなさいました。

頭中将が宿直所から「これを先ず縫い付けなさいませ」と言って、端袖を
包んで寄越したのを、「どうやって持って行ったのだろう」と思うと、面白く
ありません。この頭中将の帯を手に入れてなかったなら、口惜しいことに
なったであろう、とお思いになりました。その帯の色をした紙に包んで、
 
「なか絶えばかことやおふとあやふさにはなだの帯は取りてだに見ず」
(源典侍との仲が途絶えたら、私のせいだと恨まれようかと、この縹の
帯は手に取ってさえも見ておりません)

と歌を添えて届けさせなさいました。折り返し頭中将からは、
 
「君にかく引き取られぬる帯なればかくて絶えぬるなかとかこたむ
(あなたにこのように引き取られてしまった帯(典侍)ですから、
こうして二人の仲は絶えてしまったとお恨みいたしましょう)あなたは
この恨みをお逃れにはなれますまい」

と、書かれた返事がまいりました。

日が高くなってから、それぞれ清涼殿の殿上の間に参上なさいました。
源氏の君がたいそう落ち着いて、昨夜のことなど素知らぬ顔をして
おられるので、頭中将もひどくおかしく思いますが、公務が多忙で、
奏上や宣下に追われる日だったので、たいそうきちんとまじめくさって
いるのを見るにつけても、お互いにやにやせずにはいられませんでした。

頭中将は人がいない時を見計らって近寄って来て、「隠し事はもうこりごり
でしょうね」と言って、如何にも得意そうに横目を使っています。源氏の君は、
「どうしてそんなことがあるものですか。折角忍んで来ながらそのまま帰った
人こそお気の毒なことです。しかし実のところ、ままならぬ男女の仲だよ」と、
口裏を合わせて、お互いに「他言無用」と、口止めをし合ったのでした。


五本目の筍

2019年4月24日(水)

そろそろ今年は終わりかな、と思いながら昨日買い物に行ったところ、
まだ美味しそうな筍を売っていたので、また一本買ってしまいました。

今日は前回とは別のメニューにしたかったので、「筍寿司」と「そぼろ煮」
にしました。筍の味を楽しみたいので、お寿司の具には筍と胡麻だけ。
上に海苔と錦糸卵と紅生姜をトッピング。勿論山椒も欠かせません。
戴いた山椒が冷蔵庫の野菜室でまだ元気です。

そぼろ煮は、鶏ムネ肉の挽肉を使い、土佐煮よりも薄味に仕上げました。
こちらにも山椒を数枚。山椒があるのとないのとで、これほど違って来る
料理は、筍以外にはないかもしれませんね。

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             「筍寿司」と「そぼろ煮」

十四歳の深い悩み

2019年4月22日(月) 溝の口「湖月会」(第130回)

第2金曜日のクラスに続いて、こちらも今回から第三部に入りました。

先ずは、第二部と「宇治十帖」の橋渡し的な役割を果たしている
「匂宮三帖」の最初の巻、第42帖「匂兵部卿」を読みました。

この巻では源氏亡き後、次世代を代表する薫と匂宮が紹介されて
います。

「源氏物語」の男君たちのファン投票をすれば、薫は、ワースト3の
中に入るのではないか、と思われる程、人気の無い人物です。
優柔不断で、じれったく、自分のしたことを後悔ばかりして、結局
好きになった女性を誰一人手に入れることの出来なかった情けない
男です。

でも、その根源にある彼の苦悩を知れば、ファンにはなれないまでも、
同情の余地は少なからずあると思います。

「幼ごこちにほの聞きたまひしことの、をりをりいぶかしう、おぼつかなう
思ひわたれど、問ふべき人もなし」(子供心にちらっと耳になさったことが、
折に触れて気に掛かり、ずっと不安な気持ちを抱えて来たけれど、訊ける
人もいない)とあり、幼い頃から自分の出生の秘密を感じ取っていて、
それを誰に確かめることも出来ないまま、元服期を迎えてしまった、と
いう薫の深い悩みが語られています。

「おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬわが身ぞ」
(気になって仕方ない。一体誰に訊けば良いのだろう。どのようにして
この世に生まれ、この先どうなって行くのか、全くわからない我が身で
あることよ)

ようやく青年期に達して14歳で元服した薫ですが、こんなに辛く苦しい
思いを独り呟いている姿は何とも哀れではありませんか。私はこの歌を
思い出す度、薫に味方してあげたくなってしまうのです。


古稀を祝ってもらいました

2019年4月20日(土)

先日無事に70歳となった私ですが、今日は息子夫婦が記念のお祝いを
してくれました。

とは言っても、そこは実質重視の息子たち、ランチは息子一家が住む
東林間にある料理屋「兆治」という、居酒屋風のお店でした。

下手に格好つけて行こうものなら浮いてしまいそうな店内で、ランチメニュー
はすべて1,000円前後という、超リーズナブルな価格設定。

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   私がいただいた「兆治らんち」。お刺身、天婦羅、茶碗蒸し、
   サラダ、ご飯、お味噌汁、お漬物、一口わらび餅まで。
   お刺身がとても新鮮で美味しい!抜群のコスパです。

我々が食事をしている途中で、まだ1時前なのに、もうおかみさんが暖簾を
下してしまいました。帰る時、入り口には「本日のランチは完売しました」との
表示が。地元では、知る人ぞ知る、人気店なのですね。ここはまた行きたい、
と思います。

暑くも寒くもなく、穏やかに降り注ぐ日差しの中を歩いて、息子の家へと向かい
ました。その間に、私がずっと食べたいと思いながらまだ一度も食べていない
洋菓子店のケーキを、嫁が自転車を飛ばして買って来てくれました。
そのケーキとコーヒーをご馳走になり、陽が西に傾く頃、車で送って貰って、
我が家に帰ってきました。

     DSCF3937.jpg
        誕生日プレゼントの「プリザーブドフラワー」。
        帰宅後早速、玄関に飾りました。

 

「なるほど、そうよね」

2019年4月19日(金) 溝の口「枕草子」(第31回)

今日はコートが邪魔なくらいの初夏を感じさせる陽気となりました。

溝の口の「枕草子」は、テキストの下巻に入って2回目、第152段から
第154段の途中までを読みました。

第153段に書かれているのは「心もとなきもの」。口語では「心もとない」
と言うと、「頼りなくて不安だ」という意になりますが、古語での「心もとなし」
は、「じれったい」気持ちを表します。

千年前のことですから、事柄自体は今では無いものも多いのですが、
感覚としては「なるほど、そうよね」と共感できることばかりです。

例えば、恋人からの手紙。封など軽くしてあればすぐに開けて見られる
のに、固くしっかりと糊付けされていると、開封に手間取り、じれったくって
堪らなくなります。

薄暗いところで針に糸を通そうとしても、老眼の目には辛くて、ちょうど
若い人などが通りかかると、「ねぇ、ちょっとお願い」と頼むのだけれど、
その人も、要領が悪いのか、気ばかり急いてとんと捗らないとなると、
「ああっ、もう、頼まなきゃ良かった」と、イライラじれったくなってしまう
お話。

牛車で物見に出かけようとしている時に、家族が「ちょっと先に使わせて。
すぐに戻って来るから」と言いながら、なかなか帰って来なくて、もう見たい
行列が始まってしまうような時のじれったさは、情けなさまでが加わります。
これなど、乗用車に置き換えてみると、今でもありそうな事ではありませんか。

それから、一緒に牛車に乗せてあげる人を迎えに行っても、すぐに出て
来ないで散々待たされたりすると、もうじれったくてイライラし、「いい加減に
しないと置いて行っちゃうわよ」と言いたくなる気分、これもわかりますよね。

最後に、体調が悪い時とか、心配事がある時に、夜明け待つ間が、「いと
心もとなし」(すごくじれったい)と書かれています。今だってそうでしょう。

他にも、出産、育児、歌の贈答など、当時の女性の生活全般に渡って、
思うように事が運ばず、イライラしながらじれったく思う場面を取り上げていて、
読めばどれも「なるほど、そうよね」なのですが、それを文章で表現するのは
やはり凡人では出来ない技だと思います。


気乗りがしない縁談

2019年4月17日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第212回)

このクラスは今月から第49帖「宿木」に入りました。

第48帖「早蕨」は、匂宮によって京へと迎え取られた中の君が、
宇治から二条院へと移り住んだところまでが描かれていました。

「宿木」の巻は、そのまま舞台を京に移し、時間を少し戻して、
薫や匂宮に縁談が生じるところから語り始められます。

今上帝は、母を亡くした女二宮の婿として薫に白羽の矢を立てられ
ます。夕霧も、自慢の娘・六の君の婿には薫を、と目論んでいました
が、帝が婿にとご所望である以上、薫は断念せざるを得ず、最初に
考えていた匂宮に再び的を定め、やがて結婚の運びとなって行きます。

ところでこの縁談には、薫も匂宮にも喜びや期待感はありません。

薫には大君という忘れ得ぬ女性があり、帝から直接女二宮の降嫁を
仄めかされても、少しも嬉しくはなく、これが后腹(中宮所生)の女一宮
なら話は別だが、などと大それたことを考えているのでした。同じ皇女
でも、ワンランク上の相手を望むというあたりが、実父・柏木のDNAを
受け継いでいるなぁ、と思わせます。

匂宮も、右大臣(夕霧)家の婿になると、これまでのような自由気儘な
生活は許されず、お堅い夕霧が岳父では何かと窮屈であろうと、この
縁談には気が進みません。が、母・明石中宮に説得され、「まあ権力者
の夕霧を敵に回すのも得策ではないな」というところで、承知した話
でした。

結果として、結婚後も薫は女二宮に満足することはなく、一方の匂宮は
思った以上の女性であった六の君に心惹かれることになります。

宇治では大君を絶望の淵に追いやることになった匂宮の縁談ですが、
京ではこれが普通の結婚であり、むしろ宇治の山里に住む没落宮家の
娘との結婚のほうが異常であることを、我々も都が舞台となって視点が
変った時に理解出来る仕組みとなっています。巧みな構成ですね。


やっぱりこの時期は・・・筍

2019年4月15日(月)

新元号の発表から早半月、4月もどんどん過ぎて行きます。

今の時期、どんなに忙しくても買ってしまうのが筍です。
今回で3本目。筍のサイズは買う度に少しずつ大きくなって
いますが、実は今日買い物に行ったら、すごく立派な筍が
出ていて、続けて4本目もゲット。もう茹で終わりました。

今年は筍が不作、と耳にしましたが、買って来た筍はどれも
美味しいです。これまでの2本で写真を撮らなかったのは、
筍には付き物の山椒が余りにもお粗末だったからです。
スーパーで数枚パックされた物を買ったので、最初からもう
少しひからびた状態でした。手のひらに乗せてポンと叩くと、
葉がポロポロと落ちてしまったり・・・。

それが数日前、昨年も頂戴しましたが、戸塚の方がお家の
お庭の山椒の葉を、水分をたっぷりと含ませて、綺麗に包装
をして送ってくださったのです。でも、その日は良い筍が出て
いなくて、結局使わせていただくのは今日になりました。

お料理は「筍ご飯」、「土佐煮」、「若竹汁」と、一番一般的な
取り合わせです。

  DSCF3914.jpg

明日は4本目を使って、別のメニューにしようと思っています。


姿を消した浮舟

2019年4月13日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第160回)

先月、第51帖「浮舟」の3ページ程を残したところで時間切れとなり、
今日は先ず、それを読み終えて、次の第52帖「蜻蛉」に入りました。

「浮舟」の巻の最終回は、夢見が悪かったとのことで、浮舟の身の上
を案じた母君の手紙が届く所から始まりました。

浮舟は、母に対しては辞世の歌を詠み、また母同様に自分の身を
案じている乳母にも、この思いの一端でも伝えられたら、と願いつつ、
実際には一言も口に出来ないでいるのでした。

右近も浮舟の側で横になり、浮舟が薫を選ぼうと、匂宮を選ぼうと、
自分は浮舟に従うつもりであることを訴え、物思いに沈む浮舟を
励まそうとしておりました。

そして「萎えたる衣を顔におしあてて、臥したまへりとなむ」(浮舟は
糊気の落ちた着物を顔に押し当てて、横になっておられた、という
ことです)と書かれて、「浮舟」の巻は幕を閉じています。

母君、乳母、右近、それぞれに浮舟の身を案じながらも空回りして
いる姿を映し出し、それによっていっそう孤絶した浮舟の悲しみが
表出される描き方です。流れ落ちる涙と、嗚咽が漏れるのを着馴れた
着物で押さえていると思われる浮舟が、失踪前の最後の姿となります。

続く「蜻蛉」の巻は、浮舟が姿を消してしまい大騒ぎになっている宇治
の様子を語るところから始まります。

この巻では浮舟は最後まで不在のままです。浮舟は死んだ、と考え
られる中での、薫、匂宮をはじめ、右近、侍従、母君ら、周囲の人々の
動きや思惑が、巧みな描写で展開して行きます。

しばらくは浮舟の登場しない、しかしながら読み応え十分な「蜻蛉」の
巻をご一緒に味わっていただければ、と存じます。


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