妻にコスプレ
2019年6月29日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第163回)
台風3号は爪痕を残すことも無く過ぎ去りましたが、その後の蒸し暑さが
堪りません。不快指数の高い日が続いています。
一番先を読んでいるこのクラス、今回で第52帖「蜻蛉」を読み終えました。
残すは「手習」と「夢浮橋」の二帖のみです。
八の宮の娘たち(大君・中の君・浮舟)との恋は、いずれも実らせることの
出来なかった薫ですが、ここにもう一人、女一宮(父・今上帝、母・明石中宮)
という高嶺の花の、叶わぬ恋の相手が登場します。
明石中宮が、父源氏と養母紫の上の追善供養のためになさった法華八講
の後、薫は女一宮を垣間見るチャンスを得ました。白い薄絹の表着を着て、
手に氷を持ちながら、はしゃいでいる女房たちを微笑んでご覧になっている
女一宮は、「ここらよき人を見集むれど、似るべくもあらざりけり」(大勢の
美人を見ているけれど、女一宮とはとても比べようもないのだった)、と、
薫に思わせる、別格の美貌の持ち主でした。
翌朝、薫は妻の女二宮を見て、女一宮とは全然違う、とは思うものの、もしや
垣間見だったりしたせいで、実際以上に良く見えたのかもしれない、と考え、
母に仕える女房に、薄絹の表着を縫って届けるように命じなさいました。
早速届いた着物を、薫は自身で女二宮に着せ、氷まで取り寄せて、女二宮の
手に持たせてみます。
結果は・・・「やっぱり違う。とても女一宮と同じようには見えない」だったのです。
何も知らず、夫にこんなコスプレまでさせられている女二宮がお気の毒ですよね。
それにしても、冷蔵庫の無い時代、冬に氷室に貯蔵しておいて、夏にそこから
取り出して使う氷を、このようにいとも簡単に手に入れることの出来る薫は、
自分がそうした特権を手中にしていることに気付いていたのでしょうか。
台風3号は爪痕を残すことも無く過ぎ去りましたが、その後の蒸し暑さが
堪りません。不快指数の高い日が続いています。
一番先を読んでいるこのクラス、今回で第52帖「蜻蛉」を読み終えました。
残すは「手習」と「夢浮橋」の二帖のみです。
八の宮の娘たち(大君・中の君・浮舟)との恋は、いずれも実らせることの
出来なかった薫ですが、ここにもう一人、女一宮(父・今上帝、母・明石中宮)
という高嶺の花の、叶わぬ恋の相手が登場します。
明石中宮が、父源氏と養母紫の上の追善供養のためになさった法華八講
の後、薫は女一宮を垣間見るチャンスを得ました。白い薄絹の表着を着て、
手に氷を持ちながら、はしゃいでいる女房たちを微笑んでご覧になっている
女一宮は、「ここらよき人を見集むれど、似るべくもあらざりけり」(大勢の
美人を見ているけれど、女一宮とはとても比べようもないのだった)、と、
薫に思わせる、別格の美貌の持ち主でした。
翌朝、薫は妻の女二宮を見て、女一宮とは全然違う、とは思うものの、もしや
垣間見だったりしたせいで、実際以上に良く見えたのかもしれない、と考え、
母に仕える女房に、薄絹の表着を縫って届けるように命じなさいました。
早速届いた着物を、薫は自身で女二宮に着せ、氷まで取り寄せて、女二宮の
手に持たせてみます。
結果は・・・「やっぱり違う。とても女一宮と同じようには見えない」だったのです。
何も知らず、夫にこんなコスプレまでさせられている女二宮がお気の毒ですよね。
それにしても、冷蔵庫の無い時代、冬に氷室に貯蔵しておいて、夏にそこから
取り出して使う氷を、このようにいとも簡単に手に入れることの出来る薫は、
自分がそうした特権を手中にしていることに気付いていたのでしょうか。
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若紫の成長
2019年6月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第39回・№2)
熱帯低気圧が台風3号に変わり、関東に接近中。明日の朝の通勤、
通学の時間帯に影響を及ぼしそうで懸念されます。
今月の「紫の会」の2クラスは、「花宴」の巻の絵に最もよく描かれて
いる、あの源氏と朧月夜の出会いの場面を中心に読みました。
それにつきましては、10日の記事(➞「朧月夜に似るものぞなき」)に
書きましたので、今日は、一年の間に若紫がどのように成長したかを
伝えている場面に触れておきましょう。
花の宴の夜、有明の月に誘われるかのように偶然出会った源氏と
朧月夜。慌ただしい中で、契りを交わした証に扇だけを取り替えて
別れ、おそらく右大臣家の姫君の、五の君か六の君であろう、との
見当まではついたものの、それ以上の詮索は容易ではありません。
源氏は一旦諦めて、二条院へとお帰りになりました。若紫が「紅葉賀」
の巻に登場したのは、前年4月の場面なので、1年近くが経っています。
「紅葉賀」では、源氏に筝の琴を習い、一緒に絵などを見て遊んで
いるうちに夜に入り、源氏がお出かけになろうとすると、若紫は
がっかりして、もう絵を見るのも途中で止めて、うつぶしてしまいます。
そのいじらしさに、源氏も懸命にご機嫌を取りますが、若紫は源氏の
膝を枕にして寝てしまう始末。お出掛けを止めて一緒に食事をする
源氏に、若紫は「さらば寝たまひねかし」(じゃぁ、寝ておしまいになって)
と、言って、もうどこへも源氏が出掛けないように語り掛けていました。
それから10ヶ月の後の若紫は、源氏が夕方お出ましになろうとすると、
「またいつもの」とは思うものの、今はちゃんとしつけられて、「わりなくは
したひまつはさず」(聞き分けなく後を追ってまとわりつくようなことは
なさらない)と、成長ぶりが記されています。
こうした形で、理想の女性へと脱皮して行く若紫の姿を、作者は巧みに
伝えようとしているのでしょうね。
この場面、詳しくは先に書きました➞「花宴」の全文訳(3)をご覧ください。
熱帯低気圧が台風3号に変わり、関東に接近中。明日の朝の通勤、
通学の時間帯に影響を及ぼしそうで懸念されます。
今月の「紫の会」の2クラスは、「花宴」の巻の絵に最もよく描かれて
いる、あの源氏と朧月夜の出会いの場面を中心に読みました。
それにつきましては、10日の記事(➞「朧月夜に似るものぞなき」)に
書きましたので、今日は、一年の間に若紫がどのように成長したかを
伝えている場面に触れておきましょう。
花の宴の夜、有明の月に誘われるかのように偶然出会った源氏と
朧月夜。慌ただしい中で、契りを交わした証に扇だけを取り替えて
別れ、おそらく右大臣家の姫君の、五の君か六の君であろう、との
見当まではついたものの、それ以上の詮索は容易ではありません。
源氏は一旦諦めて、二条院へとお帰りになりました。若紫が「紅葉賀」
の巻に登場したのは、前年4月の場面なので、1年近くが経っています。
「紅葉賀」では、源氏に筝の琴を習い、一緒に絵などを見て遊んで
いるうちに夜に入り、源氏がお出かけになろうとすると、若紫は
がっかりして、もう絵を見るのも途中で止めて、うつぶしてしまいます。
そのいじらしさに、源氏も懸命にご機嫌を取りますが、若紫は源氏の
膝を枕にして寝てしまう始末。お出掛けを止めて一緒に食事をする
源氏に、若紫は「さらば寝たまひねかし」(じゃぁ、寝ておしまいになって)
と、言って、もうどこへも源氏が出掛けないように語り掛けていました。
それから10ヶ月の後の若紫は、源氏が夕方お出ましになろうとすると、
「またいつもの」とは思うものの、今はちゃんとしつけられて、「わりなくは
したひまつはさず」(聞き分けなく後を追ってまとわりつくようなことは
なさらない)と、成長ぶりが記されています。
こうした形で、理想の女性へと脱皮して行く若紫の姿を、作者は巧みに
伝えようとしているのでしょうね。
この場面、詳しくは先に書きました➞「花宴」の全文訳(3)をご覧ください。
第8帖「花宴」の全文訳(3)
2019年6月27日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第39回・№1)
このクラスも第2月曜日のクラスと同じ、第8帖「花宴」の51頁・13行目
~57頁・8行目迄を読みました。前半は10日に書きました「花の宴」の
全文訳(2)をご覧ください。今日は後半の54頁・8行目~57頁・8行目
の全文訳となります。(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
源氏の君のお部屋の桐壺には、女房たちが大勢お控えしていて、目を
覚ました者もいるので、源氏の君のこうした朝帰りを、「何ともご熱心な
お忍び歩きですこと」と、突っつき合いながら、寝たふりをしておりました。
源氏の君はお部屋にお入りになって横になられましたが、眠れません。
「美しい人だったなぁ。弘徽殿の女御の妹君のうちのお一人であろうが、
まだ世馴れていないのは、五の君か六の君であろうよ。帥の宮の北の方
や、頭中将が気に入っていない四の君などが美人だということだが、
むしろその方々だったらもっと面白かったであろうに。六の君は、右大臣
が東宮に入内させるお積りでいられるのに、その君だとしたら、気の毒な
ことになるな。右大臣家の姫君では事面倒だし、詮索してもはっきりは
すまい。あれっきりで終わろうとは思っていない様子だったが、どうして
手紙を交わす手立てを教えずに別れてしまったのであろう」など、あれこれ
思うのも、女に未練があるからなのでしょう。このようなことがあるにつけても、
何よりもあの藤壺の辺りの様子は、どこよりも奥ゆかしく慎み深いことよ、
世にも類ない、と、つい比較してしまわれるのでした。
その日は後宴があって、源氏の君は忙しく一日をお過ごしになりました。
筝の琴の演奏をお務めになりました。昨日の花の宴よりも優美で趣深い
感じがいたしました。
藤壺は明け方に清涼殿の上の御局に参上なさいました。源氏の君は、
あの有明の女(朧月夜)が退出してしまうのではないかと気もそぞろで、
万事に抜かりの無い良清と惟光をつけて、見張りをさせておかれたので、
源氏の君が帝の御前からご退出になると、「只今、北の陣から、予め物陰
に止めてあった何台かの牛車が出て行きました。女御や更衣の実家の
方々がおりました中に、四位の少将や右中弁などが急ぎ出て来て、送って
行きましたので、弘徽殿の女御のご一族のお車であろうと拝見しました。
相当な方々であるご様子が見て取れまして、牛車が三台ほどでござい
ました」と、二人がご報告するにつけても、胸がどきどきなさいます。
どうやってどの姫君と確かめることが出来ようか、右大臣などが聞いて
大げさに婿扱いしたりするのも、如何なものか。まだ相手の姫君の事情を
よく見定めないうちは、深入りするのも面倒なことになりかねない。かと
言って、相手がわからないままでいるのも、また残念なことであろうから、
どうしたらよかろうか、と思いあぐねて、ぼんやりと物思いに耽って横に
なっておられました。
若紫がどんなに退屈しているだろう、もう何日も逢っていないから塞ぎ
込んでいるであろう、といじらしく思い遣っておられます。
あの証拠に取り交わした扇は桜の三重がさねで、濃い色に塗ったほうの
面に霞んだ月を描いて、それを水に映している趣向は、よくあるものですが、
持つ人のたしなみが親しみを覚えさせるほどに使い馴らしてありました。
「草の原をば」と言った時の様子ばかりが心に掛かっておられるので、
「世に知らぬここちこそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて(こんな
思いは今までに味わったことがない。有明の月の行方を途中で見失って
しまったので)」
と、その扇に書きつけて、取ってお置きになりました。
左大臣邸にもご無沙汰になってしまったなぁ、と源氏の君はお思いに
なりますが、若紫のことも心配なので、慰めてやろう、とお考えになって、
二条院へお出でになりました。若紫は見るにつれて、とても可愛らしく
成長しており、愛らしく、利発な気立てはまことに際立っております。
不足なところとて無く、ご自分の思い通りに教育してみよう、と源氏の君
がお思いになるのに適うことでありましょう。ただ男の方が教育なさるので、
少し男馴れしたところが交じるかも知れない、と思われるのが気掛かり
ではございます。
ここ数日のことをお話したり、お琴などをお教えして時を過ごし、夕方
源氏の君がお出かけになるのを、若紫は「いつものお出かけ」と、
残念にお思いですが、今はたいそうよくしつけられて、むやみにあとを
追ってまとわりつくようなことは、なさらなくなっておりました。
このクラスも第2月曜日のクラスと同じ、第8帖「花宴」の51頁・13行目
~57頁・8行目迄を読みました。前半は10日に書きました「花の宴」の
全文訳(2)をご覧ください。今日は後半の54頁・8行目~57頁・8行目
の全文訳となります。(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
源氏の君のお部屋の桐壺には、女房たちが大勢お控えしていて、目を
覚ました者もいるので、源氏の君のこうした朝帰りを、「何ともご熱心な
お忍び歩きですこと」と、突っつき合いながら、寝たふりをしておりました。
源氏の君はお部屋にお入りになって横になられましたが、眠れません。
「美しい人だったなぁ。弘徽殿の女御の妹君のうちのお一人であろうが、
まだ世馴れていないのは、五の君か六の君であろうよ。帥の宮の北の方
や、頭中将が気に入っていない四の君などが美人だということだが、
むしろその方々だったらもっと面白かったであろうに。六の君は、右大臣
が東宮に入内させるお積りでいられるのに、その君だとしたら、気の毒な
ことになるな。右大臣家の姫君では事面倒だし、詮索してもはっきりは
すまい。あれっきりで終わろうとは思っていない様子だったが、どうして
手紙を交わす手立てを教えずに別れてしまったのであろう」など、あれこれ
思うのも、女に未練があるからなのでしょう。このようなことがあるにつけても、
何よりもあの藤壺の辺りの様子は、どこよりも奥ゆかしく慎み深いことよ、
世にも類ない、と、つい比較してしまわれるのでした。
その日は後宴があって、源氏の君は忙しく一日をお過ごしになりました。
筝の琴の演奏をお務めになりました。昨日の花の宴よりも優美で趣深い
感じがいたしました。
藤壺は明け方に清涼殿の上の御局に参上なさいました。源氏の君は、
あの有明の女(朧月夜)が退出してしまうのではないかと気もそぞろで、
万事に抜かりの無い良清と惟光をつけて、見張りをさせておかれたので、
源氏の君が帝の御前からご退出になると、「只今、北の陣から、予め物陰
に止めてあった何台かの牛車が出て行きました。女御や更衣の実家の
方々がおりました中に、四位の少将や右中弁などが急ぎ出て来て、送って
行きましたので、弘徽殿の女御のご一族のお車であろうと拝見しました。
相当な方々であるご様子が見て取れまして、牛車が三台ほどでござい
ました」と、二人がご報告するにつけても、胸がどきどきなさいます。
どうやってどの姫君と確かめることが出来ようか、右大臣などが聞いて
大げさに婿扱いしたりするのも、如何なものか。まだ相手の姫君の事情を
よく見定めないうちは、深入りするのも面倒なことになりかねない。かと
言って、相手がわからないままでいるのも、また残念なことであろうから、
どうしたらよかろうか、と思いあぐねて、ぼんやりと物思いに耽って横に
なっておられました。
若紫がどんなに退屈しているだろう、もう何日も逢っていないから塞ぎ
込んでいるであろう、といじらしく思い遣っておられます。
あの証拠に取り交わした扇は桜の三重がさねで、濃い色に塗ったほうの
面に霞んだ月を描いて、それを水に映している趣向は、よくあるものですが、
持つ人のたしなみが親しみを覚えさせるほどに使い馴らしてありました。
「草の原をば」と言った時の様子ばかりが心に掛かっておられるので、
「世に知らぬここちこそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて(こんな
思いは今までに味わったことがない。有明の月の行方を途中で見失って
しまったので)」
と、その扇に書きつけて、取ってお置きになりました。
左大臣邸にもご無沙汰になってしまったなぁ、と源氏の君はお思いに
なりますが、若紫のことも心配なので、慰めてやろう、とお考えになって、
二条院へお出でになりました。若紫は見るにつれて、とても可愛らしく
成長しており、愛らしく、利発な気立てはまことに際立っております。
不足なところとて無く、ご自分の思い通りに教育してみよう、と源氏の君
がお思いになるのに適うことでありましょう。ただ男の方が教育なさるので、
少し男馴れしたところが交じるかも知れない、と思われるのが気掛かり
ではございます。
ここ数日のことをお話したり、お琴などをお教えして時を過ごし、夕方
源氏の君がお出かけになるのを、若紫は「いつものお出かけ」と、
残念にお思いですが、今はたいそうよくしつけられて、むやみにあとを
追ってまとわりつくようなことは、なさらなくなっておりました。
国宝「源氏物語絵巻」(竹河第一段・第二段)
2019年6月24日(月) 溝の口「湖月会」(第132回)
溝の口の2クラス(第2金曜日と第4月曜日)が講読中の第44帖「竹河」
は、余り読まれることのない巻ですので、「源氏物語」を知っていても、
国宝「源氏物語絵巻」に描かれている「竹河」の巻の二つの場面を
理解している、という人は少ないのではないでしょうか。
来年(2020年)には、東京の「五島美術館」で、名古屋の「徳川美術館」
所蔵のものも合わせて、全て公開される予定ですので、今日は「国宝・
源氏物語絵巻」の竹河第一段・第二段に描かれた場面を、説明させて
いただきたいと思います。

国宝「源氏物語絵巻」竹河第一段・徳川美術館蔵
15歳の正月を迎えた薫が、年賀の挨拶のため、玉鬘邸を訪れます。
玉鬘は「御念誦堂」に居て、薫をそちらに招きます。妻戸口の御簾の
前に座る冠直衣姿の薫。若木の梅の蕾に、まだ鳴き慣れぬ鶯の声。
その初々しい風情に、宰相の君という女房が「もう少し色めいてみて
くださいな」と、からかい気味の歌を詠み掛けると、薫は「私を枯れ木
のようだとご覧になっているのですね。でも恋心はわかっていますよ。
お試しください」と、見事に切り返してみせたのです。15歳はもう大人
ですね。

国宝「源氏物語絵巻」竹河第二段・徳川美術館蔵
同じ年の3月、庭の桜が満開です。幼い頃から取り合いをして来た桜の
木の所有を賭けて、玉鬘の姫君たち(大君と中の君)が、囲碁の勝負を
始めました。ちょうどそこへ大君にご執心の蔵人の少将(夕霧と雲居雁
の息子)がやって来て、渡殿の戸の開いている所から、中をそっと覗き、
大君のあでやかな美しい姿に、いっそう恋心を募らせるのでした。
(左手碁盤を挟んで奥が大君、手前が中の君。右下に蔵人の少将。
正面に華やかに描かれている二人の女性は女房たちです。)
溝の口の2クラス(第2金曜日と第4月曜日)が講読中の第44帖「竹河」
は、余り読まれることのない巻ですので、「源氏物語」を知っていても、
国宝「源氏物語絵巻」に描かれている「竹河」の巻の二つの場面を
理解している、という人は少ないのではないでしょうか。
来年(2020年)には、東京の「五島美術館」で、名古屋の「徳川美術館」
所蔵のものも合わせて、全て公開される予定ですので、今日は「国宝・
源氏物語絵巻」の竹河第一段・第二段に描かれた場面を、説明させて
いただきたいと思います。

国宝「源氏物語絵巻」竹河第一段・徳川美術館蔵
15歳の正月を迎えた薫が、年賀の挨拶のため、玉鬘邸を訪れます。
玉鬘は「御念誦堂」に居て、薫をそちらに招きます。妻戸口の御簾の
前に座る冠直衣姿の薫。若木の梅の蕾に、まだ鳴き慣れぬ鶯の声。
その初々しい風情に、宰相の君という女房が「もう少し色めいてみて
くださいな」と、からかい気味の歌を詠み掛けると、薫は「私を枯れ木
のようだとご覧になっているのですね。でも恋心はわかっていますよ。
お試しください」と、見事に切り返してみせたのです。15歳はもう大人
ですね。

国宝「源氏物語絵巻」竹河第二段・徳川美術館蔵
同じ年の3月、庭の桜が満開です。幼い頃から取り合いをして来た桜の
木の所有を賭けて、玉鬘の姫君たち(大君と中の君)が、囲碁の勝負を
始めました。ちょうどそこへ大君にご執心の蔵人の少将(夕霧と雲居雁
の息子)がやって来て、渡殿の戸の開いている所から、中をそっと覗き、
大君のあでやかな美しい姿に、いっそう恋心を募らせるのでした。
(左手碁盤を挟んで奥が大君、手前が中の君。右下に蔵人の少将。
正面に華やかに描かれている二人の女性は女房たちです。)
ちっぽけなマイホームに満足するなんて・・・
2019年6月21日(金) 溝の口「枕草子」(第33回)
数日前までは「金曜日は雨」の予報でしたが、この辺りは、今日も
雨にはなりませんでした。でも日毎に蒸し暑さが加わって、過ごし
難くなっています。
今回の「枕草子」は、第170段~第176段の途中までを読みました。
どの段も清少納言ワールド全開の面白さで綴られており、さてどこを
取り上げようか、と悩みましたが、「中流貴族の諸君、小市民的な殻
に閉じ籠ること勿れ」と説いた第170段をご紹介しておきたいと思い
ます。
六位の蔵人から五位に叙せられ、「大夫」と呼ばれる身分となると、
直ぐにマイホームを持ちたがるけど、その段階で手に入れられる家
なんてお粗末そのもの。屋根は高価な檜皮葺は無理だから板葺。
塀も築地塀は無理なので、小檜垣という板塀。それでも車宿(車庫)
を設け、牛車(マイカー)を所有して、その牛を繋いで草などを食べ
させているところなんて、ホント、そのチマチマ感が腹立たしいほど。
簾や襖も安っぽい物ばっかりなくせに、庭の手入れは怠らず、泥棒
にでも入られたら大変、と戸締りを厳重にさせているようでは、もう
将来性も見込めず、私はこんなの嫌だわ!
親や親戚縁者の持ち家を借りられるのが一番だけど、たとえそれが
無くたって、知人、友人のツテを頼って、任国へ下って空き家になって
いる受領の家とか、沢山邸をお持ちのお偉いさんの家とか、何かしら
借家物件を探せばいいと思うの。そうしてもっと出世してから、豪邸を
手に入れるべきなのよ。
「余計なおせっかい」とも言われそうな清少納言流の発言が、遠慮会釈
なく書かれている段ですが、この皮肉、今の世にも通じるところがあって、
思わず苦笑したくなりますね。
数日前までは「金曜日は雨」の予報でしたが、この辺りは、今日も
雨にはなりませんでした。でも日毎に蒸し暑さが加わって、過ごし
難くなっています。
今回の「枕草子」は、第170段~第176段の途中までを読みました。
どの段も清少納言ワールド全開の面白さで綴られており、さてどこを
取り上げようか、と悩みましたが、「中流貴族の諸君、小市民的な殻
に閉じ籠ること勿れ」と説いた第170段をご紹介しておきたいと思い
ます。
六位の蔵人から五位に叙せられ、「大夫」と呼ばれる身分となると、
直ぐにマイホームを持ちたがるけど、その段階で手に入れられる家
なんてお粗末そのもの。屋根は高価な檜皮葺は無理だから板葺。
塀も築地塀は無理なので、小檜垣という板塀。それでも車宿(車庫)
を設け、牛車(マイカー)を所有して、その牛を繋いで草などを食べ
させているところなんて、ホント、そのチマチマ感が腹立たしいほど。
簾や襖も安っぽい物ばっかりなくせに、庭の手入れは怠らず、泥棒
にでも入られたら大変、と戸締りを厳重にさせているようでは、もう
将来性も見込めず、私はこんなの嫌だわ!
親や親戚縁者の持ち家を借りられるのが一番だけど、たとえそれが
無くたって、知人、友人のツテを頼って、任国へ下って空き家になって
いる受領の家とか、沢山邸をお持ちのお偉いさんの家とか、何かしら
借家物件を探せばいいと思うの。そうしてもっと出世してから、豪邸を
手に入れるべきなのよ。
「余計なおせっかい」とも言われそうな清少納言流の発言が、遠慮会釈
なく書かれている段ですが、この皮肉、今の世にも通じるところがあって、
思わず苦笑したくなりますね。
六の君の魅力
492019年6月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第214回)
今日もまだ「梅雨の晴れ間」が続いています。
このクラスは、第49帖「宿木」を講読中です。匂宮の正妻が決まり
(夕霧の六の君との結婚)、宇治を捨てて京に出て来た中の君の
心は大きく揺らぎ始めます。
六の君は、宇治十帖において、八の宮の三姉妹のように、物語の
中でその気持ちが語られることもないので、印象としては極めて
薄いのですが、匂宮も心惹かれる女性として描かれています。
六の君の父親は夕霧で、実母は藤典侍(惟光の娘)です。夕霧の
六人の娘たちの中でも、父親の最も自慢の娘がこの六の君でした。
ただ本妻の雲居雁腹ではなく、身分の低い藤典侍腹なので、貴顕
との結婚には障害になると考え、父・源氏が、明石の姫君を紫の上
の養女としたように、夕霧は、六の君を落葉宮の養女にしたのです。
14、5歳での結婚が当たり前の時代にあって、六の君は21、2歳と、
些か婚期を逸した感のある年齢となっておりました。しかし、これが
女盛りの魅力となり、性格も、もの柔らかな優しい人柄だったようで、
窮屈な夕霧家の婿になるのを嫌い、この結婚に消極的だった匂宮も、
初めての夜から「御心ざしおろかなるべくもおぼされざりけり」(ご愛情
もひとかたならぬ思いがなさるのだった)と、六の君をお気に召したの
でした。その証拠に、長いはずの秋の夜が、「ほどなく明けぬ」(すぐに
明けてしまった)と、書かれています。
源氏が、末摘花と過ごした夜は果てしなく長く感じられ、早々に退散を
決め込んで、「夜深う出でたまひにけり」(まだ夜深いうちにお帰りに
なった)というのとは、対照的ですね。
今日もまだ「梅雨の晴れ間」が続いています。
このクラスは、第49帖「宿木」を講読中です。匂宮の正妻が決まり
(夕霧の六の君との結婚)、宇治を捨てて京に出て来た中の君の
心は大きく揺らぎ始めます。
六の君は、宇治十帖において、八の宮の三姉妹のように、物語の
中でその気持ちが語られることもないので、印象としては極めて
薄いのですが、匂宮も心惹かれる女性として描かれています。
六の君の父親は夕霧で、実母は藤典侍(惟光の娘)です。夕霧の
六人の娘たちの中でも、父親の最も自慢の娘がこの六の君でした。
ただ本妻の雲居雁腹ではなく、身分の低い藤典侍腹なので、貴顕
との結婚には障害になると考え、父・源氏が、明石の姫君を紫の上
の養女としたように、夕霧は、六の君を落葉宮の養女にしたのです。
14、5歳での結婚が当たり前の時代にあって、六の君は21、2歳と、
些か婚期を逸した感のある年齢となっておりました。しかし、これが
女盛りの魅力となり、性格も、もの柔らかな優しい人柄だったようで、
窮屈な夕霧家の婿になるのを嫌い、この結婚に消極的だった匂宮も、
初めての夜から「御心ざしおろかなるべくもおぼされざりけり」(ご愛情
もひとかたならぬ思いがなさるのだった)と、六の君をお気に召したの
でした。その証拠に、長いはずの秋の夜が、「ほどなく明けぬ」(すぐに
明けてしまった)と、書かれています。
源氏が、末摘花と過ごした夜は果てしなく長く感じられ、早々に退散を
決め込んで、「夜深う出でたまひにけり」(まだ夜深いうちにお帰りに
なった)というのとは、対照的ですね。
薫、真相を把握
2019年6月16日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第162回)
昨日の、雨で肌寒かったのが嘘のような朝を迎えました。まるで
真夏のような陽射しです。気温もグングン上昇して30℃ラインへ。
たった一日で大きく気温変化する日が、今年は特に多いような気が
します。
第52帖「蜻蛉」に入って3回目。匂宮に続いて薫も浮舟の死について
ほぼ全貌を把握します。
匂宮は、宇治に右近を迎えに遣り、右近の代理としてやって来た侍従
の口から、詳しい事情をお聞きになりました。
薫は、浮舟の死から間もなく1ヶ月になろうとする頃、ようやく宇治へと
足を運び、そこで右近から話を聞いたのでした。
最初は、浮舟が宇治川へ入水した事実を誤魔化すつもりだった右近も、
薫の誠意に心打たれ、ありのままを告げることにしました。
入水などという恐ろしい事を、何故にあのおっとりとした浮舟が思いつく
に至ったのか、薫は更に右近を追求します。右近はまだ匂宮とのことは
話そうとしないので、とうとう薫のほうから「宮の御ことよ」(匂宮のことだよ)
と切り出しました。
右近は、「二条院の中の君の許に浮舟が身を寄せていた時、偶然匂宮
に見つけられたのが事の始まりで、宇治に住むようになって安心していた
のに、この2月頃からしばしばお手紙が届くようになり、浮舟自身は見向き
もしていなかったけれど、無視し続けるのも失礼かと、自分たちが忠告して
一、二度はお返事をなさったようです。それだけです」と、薫に告げました。
匂宮との密通の事実は否定し、主人である浮舟を庇うのは当然ではあり
ますが、そもそも匂宮を薫だと思って浮舟の寝所へと導いてしまった自分
の落ち度も隠したい、というのが右近の本音だったのでしょう。
その辺りは薫も心得ていて「かうぞ言はむかし」(こう言うに決まっている)
と、右近の立場を理解し、それ以上問い詰めることはしませんでした。でも
これで薫には十分だったのです。
薫は、匂宮と自分との板挟みになって悩んだ挙句、近くに川があったため
身を投げたのであろう、と悟り、このような場所に浮舟を放置しておいた
自分が悔やまれるのでした。
昨日の、雨で肌寒かったのが嘘のような朝を迎えました。まるで
真夏のような陽射しです。気温もグングン上昇して30℃ラインへ。
たった一日で大きく気温変化する日が、今年は特に多いような気が
します。
第52帖「蜻蛉」に入って3回目。匂宮に続いて薫も浮舟の死について
ほぼ全貌を把握します。
匂宮は、宇治に右近を迎えに遣り、右近の代理としてやって来た侍従
の口から、詳しい事情をお聞きになりました。
薫は、浮舟の死から間もなく1ヶ月になろうとする頃、ようやく宇治へと
足を運び、そこで右近から話を聞いたのでした。
最初は、浮舟が宇治川へ入水した事実を誤魔化すつもりだった右近も、
薫の誠意に心打たれ、ありのままを告げることにしました。
入水などという恐ろしい事を、何故にあのおっとりとした浮舟が思いつく
に至ったのか、薫は更に右近を追求します。右近はまだ匂宮とのことは
話そうとしないので、とうとう薫のほうから「宮の御ことよ」(匂宮のことだよ)
と切り出しました。
右近は、「二条院の中の君の許に浮舟が身を寄せていた時、偶然匂宮
に見つけられたのが事の始まりで、宇治に住むようになって安心していた
のに、この2月頃からしばしばお手紙が届くようになり、浮舟自身は見向き
もしていなかったけれど、無視し続けるのも失礼かと、自分たちが忠告して
一、二度はお返事をなさったようです。それだけです」と、薫に告げました。
匂宮との密通の事実は否定し、主人である浮舟を庇うのは当然ではあり
ますが、そもそも匂宮を薫だと思って浮舟の寝所へと導いてしまった自分
の落ち度も隠したい、というのが右近の本音だったのでしょう。
その辺りは薫も心得ていて「かうぞ言はむかし」(こう言うに決まっている)
と、右近の立場を理解し、それ以上問い詰めることはしませんでした。でも
これで薫には十分だったのです。
薫は、匂宮と自分との板挟みになって悩んだ挙句、近くに川があったため
身を投げたのであろう、と悟り、このような場所に浮舟を放置しておいた
自分が悔やまれるのでした。
もう一つの形代の物語
2019年6月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第132回)
昨日今日と、梅雨の晴れ間となりましたが、明日はまた終日雨の
予報です。
このクラスは「匂宮三帖」の最後の帖「竹河」を講読中です。次回は
読み終えて、時間があれば、「宇治十帖」に入る予定です。
第44帖「竹河」は、語り手がこれまでとは異なり、故髭黒家に仕えた
年取った女房たちの勝手なおしゃべり、として書かれています。
未亡人となった玉鬘は、娘たちの、とりわけ大君(長女)の縁組に心を
痛めています。
故髭黒は、今上帝の伯父に当たります(髭黒の妹の承香殿の女御が
今上帝の母)。ですから、生前は帝の外戚として、誰よりも権力を
有していました。玉鬘の美貌を受け継いだ大君を入内させたいと願う
のは当然のことであり、帝もそれを望んでおられました。
ところが、その髭黒が急死してしまったことで、事態は一転。今や権力
を手中に収めているのは夕霧で、帝との間に五人もの御子を儲け、
後宮において絶対的な力をも持つ明石中宮は、夕霧の妹です。
髭黒が生きていればこその帝への入内であって、後ろ盾を持たない
大君の入内は、明石中宮の不興を買うだけで、折角ここまで良好に
保ち続けて来た夕霧との関係にもヒビが入りかねません。読者の脳裏
にも、ふと桐壺の更衣のことが過ぎったりしますよね。
母親である玉鬘が悩みつつ、選んだ道は冷泉院への院参でした。
48歳になった玉鬘は今も若さと美貌を失っていません。冷泉院にとって
は、「この御ありさまのなほゆかしう、昔恋しうおぼし出でられければ、
何につけてかはとおぼしめぐらして、姫君の御ことを、あながちに聞こえ
たまふにぞありける」(玉鬘のご様子が今もなお御心にかかって、昔の
ことが恋しく思い出されるので、何を口実にすれば叶えられようか、と
思案なさっった挙句、大君の院参をひたすら申し入れなさいました)で、
「真木柱」の巻において、たった一日の出仕で、そのまま髭黒の自邸に
引き取られてしまった玉鬘が、未だに忘れられない人だったのです。
源氏物語には、多くの「形代」(身代わり)の話が出て来ます。桐壺の更衣
の形代の藤壺、藤壺の形代の若紫(のちの紫の上)、夕顔の形代の玉鬘、
そして玉鬘の形代の大君。さらに「宇治十帖」では、これはもうはっきりと
「形代」と言い切って、大君(八の宮家の長女で、ここでの玉鬘の大君とは
別人)の形代の浮舟が登場します。
さて、玉鬘の形代として冷泉院のもとへ院参した大君のその後は?それは
次回読む所となりますので、またそこでご紹介いたしましょう。
昨日今日と、梅雨の晴れ間となりましたが、明日はまた終日雨の
予報です。
このクラスは「匂宮三帖」の最後の帖「竹河」を講読中です。次回は
読み終えて、時間があれば、「宇治十帖」に入る予定です。
第44帖「竹河」は、語り手がこれまでとは異なり、故髭黒家に仕えた
年取った女房たちの勝手なおしゃべり、として書かれています。
未亡人となった玉鬘は、娘たちの、とりわけ大君(長女)の縁組に心を
痛めています。
故髭黒は、今上帝の伯父に当たります(髭黒の妹の承香殿の女御が
今上帝の母)。ですから、生前は帝の外戚として、誰よりも権力を
有していました。玉鬘の美貌を受け継いだ大君を入内させたいと願う
のは当然のことであり、帝もそれを望んでおられました。
ところが、その髭黒が急死してしまったことで、事態は一転。今や権力
を手中に収めているのは夕霧で、帝との間に五人もの御子を儲け、
後宮において絶対的な力をも持つ明石中宮は、夕霧の妹です。
髭黒が生きていればこその帝への入内であって、後ろ盾を持たない
大君の入内は、明石中宮の不興を買うだけで、折角ここまで良好に
保ち続けて来た夕霧との関係にもヒビが入りかねません。読者の脳裏
にも、ふと桐壺の更衣のことが過ぎったりしますよね。
母親である玉鬘が悩みつつ、選んだ道は冷泉院への院参でした。
48歳になった玉鬘は今も若さと美貌を失っていません。冷泉院にとって
は、「この御ありさまのなほゆかしう、昔恋しうおぼし出でられければ、
何につけてかはとおぼしめぐらして、姫君の御ことを、あながちに聞こえ
たまふにぞありける」(玉鬘のご様子が今もなお御心にかかって、昔の
ことが恋しく思い出されるので、何を口実にすれば叶えられようか、と
思案なさっった挙句、大君の院参をひたすら申し入れなさいました)で、
「真木柱」の巻において、たった一日の出仕で、そのまま髭黒の自邸に
引き取られてしまった玉鬘が、未だに忘れられない人だったのです。
源氏物語には、多くの「形代」(身代わり)の話が出て来ます。桐壺の更衣
の形代の藤壺、藤壺の形代の若紫(のちの紫の上)、夕顔の形代の玉鬘、
そして玉鬘の形代の大君。さらに「宇治十帖」では、これはもうはっきりと
「形代」と言い切って、大君(八の宮家の長女で、ここでの玉鬘の大君とは
別人)の形代の浮舟が登場します。
さて、玉鬘の形代として冷泉院のもとへ院参した大君のその後は?それは
次回読む所となりますので、またそこでご紹介いたしましょう。
朧月夜に似るものぞなき
2019年6月10日 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第39回・№2)
6日のブログに「梅雨入りも間もなくなのか」と書きましたら、聞きつけた
かのように、翌日「梅雨入り」が発表されました。今日で四日目ですが、
まだ梅雨の晴れ間は一日もありません。
今月の「紫の会」の2クラス(第2月曜日と第4木曜日)は、第8帖「花宴」
の源氏と朧月夜との劇的な出会いの場面が中心です。
宮中での「花宴」が果てて、ほろ酔い気分の源氏は「隙あらば」と期待し、
藤壺の辺りをうろついてみますが、どこにもそんな隙はありません。でも、
そのまま引き上げるのも悔しくて、隣の弘徽殿の細殿(西廂)を窺うと、
三番目の戸口が開いていました。源氏がそっと上って覗くと、女房たちも
もう皆ぐっすり眠っている中、並の身分とは思えない一人の若い女性が、
綺麗な声で「朧月夜に似るものぞなき」(朧月夜ほどのものは他にはないわ)
と口ずさみながら、こちらに近づいて来るではありませんか。
源氏がこのチャンスを逃すはずはありません。怖がっている女に源氏は
「まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ」
(私は、何をしても誰も咎め立てする人はいませんから、人をお呼びに
なっても無駄ですよ)と言い放ちます。何という傲慢さでしょう。
でもその声を聞いて、相手が源氏だとわかると、朧月夜のほうも「いささか
なぐさめけり」(少しほっとした)で、むしろ源氏に嫌われたくない、と思うの
でした。
おごれる源氏と、源氏との出会いに喜びさえ感じている奔放な朧月夜、
二人のときめきの後に待ち受けているものは? 先を知らずして、初めて
この場面を読んだら、本当にドキドキしてしまいそうです。
我々が「朧月夜」と呼んでいるこの女性は、本文中では「かの有明」とか
「有明の君」、もしくは「御匣殿」、「尚侍」といった官職名で称されており、
「朧月夜」と呼ばれていることはありません。でも後世の読者が「有明の君」
などとは名付けず、「朧月夜」と称しているのは、やはりこの源氏との出会い
の「朧月夜に似るものぞなき」のインパクトが、如何に強かったかという証
ではないでしょうか。
詳しくは先に書きました全文訳で、この場面全体をお読みいただければ、と
思います。→「花宴の全文訳(2)」
6日のブログに「梅雨入りも間もなくなのか」と書きましたら、聞きつけた
かのように、翌日「梅雨入り」が発表されました。今日で四日目ですが、
まだ梅雨の晴れ間は一日もありません。
今月の「紫の会」の2クラス(第2月曜日と第4木曜日)は、第8帖「花宴」
の源氏と朧月夜との劇的な出会いの場面が中心です。
宮中での「花宴」が果てて、ほろ酔い気分の源氏は「隙あらば」と期待し、
藤壺の辺りをうろついてみますが、どこにもそんな隙はありません。でも、
そのまま引き上げるのも悔しくて、隣の弘徽殿の細殿(西廂)を窺うと、
三番目の戸口が開いていました。源氏がそっと上って覗くと、女房たちも
もう皆ぐっすり眠っている中、並の身分とは思えない一人の若い女性が、
綺麗な声で「朧月夜に似るものぞなき」(朧月夜ほどのものは他にはないわ)
と口ずさみながら、こちらに近づいて来るではありませんか。
源氏がこのチャンスを逃すはずはありません。怖がっている女に源氏は
「まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ」
(私は、何をしても誰も咎め立てする人はいませんから、人をお呼びに
なっても無駄ですよ)と言い放ちます。何という傲慢さでしょう。
でもその声を聞いて、相手が源氏だとわかると、朧月夜のほうも「いささか
なぐさめけり」(少しほっとした)で、むしろ源氏に嫌われたくない、と思うの
でした。
おごれる源氏と、源氏との出会いに喜びさえ感じている奔放な朧月夜、
二人のときめきの後に待ち受けているものは? 先を知らずして、初めて
この場面を読んだら、本当にドキドキしてしまいそうです。
我々が「朧月夜」と呼んでいるこの女性は、本文中では「かの有明」とか
「有明の君」、もしくは「御匣殿」、「尚侍」といった官職名で称されており、
「朧月夜」と呼ばれていることはありません。でも後世の読者が「有明の君」
などとは名付けず、「朧月夜」と称しているのは、やはりこの源氏との出会い
の「朧月夜に似るものぞなき」のインパクトが、如何に強かったかという証
ではないでしょうか。
詳しくは先に書きました全文訳で、この場面全体をお読みいただければ、と
思います。→「花宴の全文訳(2)」
第8帖「花宴」の全文訳(2)
2019年6月10日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第39回・№1)
第8帖「花宴」に入って2回目。今回は51頁・13行目~57頁・8行目迄を
読みました。いつものように後半は第4木曜日(27日)のほうで書きます
ので、今日は前半部分(51頁・13行目~54頁・7行目)の全文訳です。
源氏と朧月夜の運命の出会いの場面です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
上達部がそれぞれ退出し、中宮や東宮もお帰りになってしまったので、
あたりが静まったところに、月がたいそう明るく差し出て風情があるのを、
源氏の君はほろ酔い気分で、そのままでは立ち去り難くお思いになって
おりました。
清涼殿の宿直の人々も寝てしまっており、こんな思い掛けない折に、
もしかしたら具合よく隙もあろうかと、藤壺の辺りを、ひどく人目を忍んで
様子を窺い歩きますが、手引きを頼める女房の局の戸口も閉まっていた
ので、ため息をついて、それでもこのままでは済ませまいと、弘徽殿の
細殿に立ち寄りなさると、三の口が開いておりました。弘徽殿の女御は、
上の御局にそのまま参上なさったので、人少なな様子です。母屋に
通じる枢戸も開いていて、人の気配もしません。こういう油断から男女の
間違いは起こるものなのだよ、と思って、そっと細殿に上ってお覗きに
なりました。
女房たちは皆寝ているようです。そこへ、とても若く美しい声の、普通の
身分とは思えない人が、「朧月夜に似るものぞなき(朧月夜ほどのものは
他にはないわ)」と口ずさんで、こちらにやって来るではありませんか。
源氏の君はとても嬉しくて、とっさに袖を捉えなさいました。女は、恐ろしい
と思っている様子で、「まあ、嫌なこと。どなたなの?」とおっしゃいますが、
源氏の君は「何も怖がられることはありません」と言って、
「深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ(あなたが
夜更けの情趣をおわかりになるのも、この入る月に誘われてのことでしょう
が、そこで私に巡り会うというのも並々ならぬ前世からの約束事だと思われ
ます)」
と言って、女をそっと細殿に抱き下ろして、枢戸は閉めてしまいました。
あまりのことに驚き呆れている様子が、とても親しみを感じさせ可愛い感じ
です。女は震え震え「ここに人が」とおっしゃるけれど、「私は、何をしても
誰も咎め立てする人はいませんから、人をお呼びになっても無駄ですよ。
ただそっとしていらっしゃい」と、おっしゃる声に、源氏の君だったのだ、と
わかって、少しほっとしたのでした。女は辛いとは思っているものの思い遣り
の無い、情のこわい女だとは思われたくない、と思っておりました。
酔い心地がいつもとは違っていたからでしょうか、このまま放してしまうのは
心残りなところへ、女も若くもの柔らかで、はねつけることも知らないので
ありましょう。源氏の君が、いじらしい、とご覧になっているうちに、間もなく
夜が明けて行くので、気が気ではありません。女はましてや、あれこれ
と思い乱れている様子です。
「ぜひお名乗り下さい。このままではどうしてお便りができましょう。あなた
だってこれっきりで終わろうとはまさかお思いではありますまい」とおっしゃる
と、女は
「うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ(不幸な
身の私がこのまま名乗らずに死んでしまったら、あなたは草むすお墓を
探してでも尋ね当てようとは思って下さらないのですか)」
と言う様子が、しっとりと優美でありました。源氏の君は「ごもっともです。
私の言い方が悪かったようですね」と言って、
「いづれぞと露のやどりを分かむまに小笹が原に風もこそ吹け(あなたが
どこの誰かと尋ねている間に世間で噂になり、二人の仲が断たれてしまう
のではないかと心配したのです)ご迷惑だとお思いにならないなら、私も
何の遠慮をいたしましょう。もしや私を騙すおつもりなのではありませんか」
とも言い終わらないうちに、女房たちが起きて騒がしくなり、弘徽殿の女御
を迎えに行ったり、前もって下がって来たりする気配がうるさくなって来たので、
源氏の君は仕方なく、扇だけを証拠として取り換えてお出になりました。
第8帖「花宴」に入って2回目。今回は51頁・13行目~57頁・8行目迄を
読みました。いつものように後半は第4木曜日(27日)のほうで書きます
ので、今日は前半部分(51頁・13行目~54頁・7行目)の全文訳です。
源氏と朧月夜の運命の出会いの場面です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)
上達部がそれぞれ退出し、中宮や東宮もお帰りになってしまったので、
あたりが静まったところに、月がたいそう明るく差し出て風情があるのを、
源氏の君はほろ酔い気分で、そのままでは立ち去り難くお思いになって
おりました。
清涼殿の宿直の人々も寝てしまっており、こんな思い掛けない折に、
もしかしたら具合よく隙もあろうかと、藤壺の辺りを、ひどく人目を忍んで
様子を窺い歩きますが、手引きを頼める女房の局の戸口も閉まっていた
ので、ため息をついて、それでもこのままでは済ませまいと、弘徽殿の
細殿に立ち寄りなさると、三の口が開いておりました。弘徽殿の女御は、
上の御局にそのまま参上なさったので、人少なな様子です。母屋に
通じる枢戸も開いていて、人の気配もしません。こういう油断から男女の
間違いは起こるものなのだよ、と思って、そっと細殿に上ってお覗きに
なりました。
女房たちは皆寝ているようです。そこへ、とても若く美しい声の、普通の
身分とは思えない人が、「朧月夜に似るものぞなき(朧月夜ほどのものは
他にはないわ)」と口ずさんで、こちらにやって来るではありませんか。
源氏の君はとても嬉しくて、とっさに袖を捉えなさいました。女は、恐ろしい
と思っている様子で、「まあ、嫌なこと。どなたなの?」とおっしゃいますが、
源氏の君は「何も怖がられることはありません」と言って、
「深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ(あなたが
夜更けの情趣をおわかりになるのも、この入る月に誘われてのことでしょう
が、そこで私に巡り会うというのも並々ならぬ前世からの約束事だと思われ
ます)」
と言って、女をそっと細殿に抱き下ろして、枢戸は閉めてしまいました。
あまりのことに驚き呆れている様子が、とても親しみを感じさせ可愛い感じ
です。女は震え震え「ここに人が」とおっしゃるけれど、「私は、何をしても
誰も咎め立てする人はいませんから、人をお呼びになっても無駄ですよ。
ただそっとしていらっしゃい」と、おっしゃる声に、源氏の君だったのだ、と
わかって、少しほっとしたのでした。女は辛いとは思っているものの思い遣り
の無い、情のこわい女だとは思われたくない、と思っておりました。
酔い心地がいつもとは違っていたからでしょうか、このまま放してしまうのは
心残りなところへ、女も若くもの柔らかで、はねつけることも知らないので
ありましょう。源氏の君が、いじらしい、とご覧になっているうちに、間もなく
夜が明けて行くので、気が気ではありません。女はましてや、あれこれ
と思い乱れている様子です。
「ぜひお名乗り下さい。このままではどうしてお便りができましょう。あなた
だってこれっきりで終わろうとはまさかお思いではありますまい」とおっしゃる
と、女は
「うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ(不幸な
身の私がこのまま名乗らずに死んでしまったら、あなたは草むすお墓を
探してでも尋ね当てようとは思って下さらないのですか)」
と言う様子が、しっとりと優美でありました。源氏の君は「ごもっともです。
私の言い方が悪かったようですね」と言って、
「いづれぞと露のやどりを分かむまに小笹が原に風もこそ吹け(あなたが
どこの誰かと尋ねている間に世間で噂になり、二人の仲が断たれてしまう
のではないかと心配したのです)ご迷惑だとお思いにならないなら、私も
何の遠慮をいたしましょう。もしや私を騙すおつもりなのではありませんか」
とも言い終わらないうちに、女房たちが起きて騒がしくなり、弘徽殿の女御
を迎えに行ったり、前もって下がって来たりする気配がうるさくなって来たので、
源氏の君は仕方なく、扇だけを証拠として取り換えてお出になりました。
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