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浮舟の物語が再始動

2019年8月31日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第165回)

8月も今日で終わりです。もう1年の2/3が過ぎてしまったことに
なります。は、はやすぎるぅ~。

今年の8月ほど一心不乱に一ヶ月を送ったのは、おそらく70年の
人生の中で初めてのことだったかと・・・(ん?ちと大袈裟かな)。
ですから、ブログの更新も、最低限の講読会の記録だけになって
しまいました。なぜこんなことになったのかは、近いうちにご報告
させていただくつもりですが、まだもう少しだけ、この生活が続き
ます。

回を追う毎にゴールが近づいて来るこのクラスは、第53帖「手習」
を講読中ですが、今回のところで、第51帖「浮舟」のラストシーンに
話が繋がり、浮舟の物語が再始動します。(「浮舟」の巻のラストは
こちら

横川の僧都の加持祈祷のお蔭で物の怪が退散し、意識がはっきりと
した浮舟が、宇治川への入水を決行しようと部屋を抜け出したところ
から、失踪当夜を回想します。

一旦は強く決心した入水も、風や川音の荒々しさに怖気づき、簀子
の端に腰かけて「鬼でも何でも私を食べ殺して欲しい」と他力本願に
なってしまっていました。すると美しい男が現れて、「さあ、私の所へ
いらっしゃい」と言って、自分を抱くような気がしたので、「あっ、宮さま」
と思ったあたりから何が何だか分からなくなり、見知らぬ場所に置き
去りにされ泣いていた、というところで、記憶も途切れてしまっており
ました。

でもこれで読者にも、失踪後から、宇治の院の大木の根元で僧都ら
によって発見されるまでの浮舟の足取りが、朧げながら分かります。

浮舟が匂宮だと錯覚した男は、憑りついた物の怪だったのですが、
浮舟にとっては、抱かれて宇治川を渡ったことが忘れられない思い出
となっており、匂宮だと幻視したのでありましょう。現実的に考えるなら、
浮舟は匂宮に抱かれたと錯覚したまま、夢遊病者のように宇治橋を
渡り、宇治の院まで辿り着いて倒れていたのではないか、と思われる
のですが、いかがでしょうか。


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薫の興味の対象

2019年8月26日(月) 溝の口「湖月会」(第134回)

「処暑」の頃から、本当に暑さも遠のいて凌ぎ易くなりました。でも、
これも明後日までのようで、木曜日からはまた厳しい残暑が復活
するそうです。

このクラスも第2金曜日のクラスと同じように、今月から「宇治十帖」
に入りました。第45帖「橋姫」です。

先ずはプロローグ的な八の宮の紹介を中心に、薫が初めて宇治の
山寺の阿闍梨から八の宮の話を聞き、興味を覚えるところまでを
読みました。

京の邸が焼失して、宇治の山里に移り住んだ八の宮にとっては、
阿闍梨の存在が唯一の救い、と言っても過言ではなかったでしょう。
八の宮は阿闍梨に師事して、ますます仏道に傾倒していき、阿闍梨
もまた、八の宮の生き方に感銘を受けておりました。

阿闍梨が京に出て来たついでに冷泉院のもとに立ち寄り、八の宮
の話をした時、薫も傍に居て一緒に聞きました。

幼い頃から、自分の出生に疑念を抱いて出家を願っている薫は、
「俗聖」と呼ばれている八の宮に心惹かれ、会ってみたいと思います。
宇治へと帰る阿闍梨に、ぜひ八の宮に教えを乞いたい、と、仲介を
依頼しました。

この時、阿闍梨は八の宮の二人の姫君の琴の合奏の素晴らしさなど
も話しましたが、姫君たちに興味を持ったのは49歳になる冷泉院の
ほうで、「もし八の宮亡き後、自分が生きていたら、朱雀院が愛娘の
女三宮を、弟の源氏に託されたように、八の宮も、弟の自分に姫君
たちを託して欲しい」と、おっしゃるのでした。

20歳の薫のほうが若い女性に興味を示さず、逆なのが面白いですね。

その薫が、大君(八の宮の長女)にひたむきな慕情を抱くきっかけと
なる垣間見(国宝源氏物語絵巻「橋姫」の場面)迄に、足掛け三年の
月日を要します。匂宮なら、即座に姫君にアタックしていたでしょう。

このように心に弱さを秘めた薫を主人公として展開する恋物語が、
源氏の恋と異質であるのは当然です。再生した「源氏物語」を、
しっかりと味わって読んでいただきたいと思います。


大宮のその一言が・・・

2019年8月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第41回・№2)

昨日に比べると随分過ごし易くなりました。一日でこんなにも違うもの
なのかなぁ、と思います。今夜はエアコンを止めて外からの自然の風に
当たっていられるのが嬉しいです。

溝の口の「紫の会」は、今月から第9帖「葵」に入りました。

第2月曜日のクラスのほうでご紹介した通り、「葵」は源氏にとって新たな
時代の幕開けとなる巻です。➞(8月12日・「次なるステージへ」

これまで正面から描かれることのなかった二人の女君(六条御息所と
葵の上)が、物語の表舞台に登場して来ることも「次なるステージへ」で
記しました。

六条御息所は源氏との関係に悩んでいます。かたや葵の上は結婚して
10年経っての初めてのご懐妊。左大臣家の方々はもとより、決して夫婦
仲が良いとは言えない源氏にとっても、やはり嬉しいことで、どうしても
御息所のことは、「おぼしおこたるとはなけれど、とだえ多かるべし」(疎か
にお思いなのではないけれど、途絶えが多くなっていたでありましょう)と
ならざるを得ませんでした。

斎院も交代し、桐壺院の女三の宮(母は弘徽殿の大后)が新斎院として
お立ちになりました。賀茂の祭が近づき、それに先立つ斎院の御禊の日、
源氏も特別に供奉することとなります。

その源氏の晴れ姿を見るために、貴賤を問わず、一条大路には所狭しと、
物見車が立て込んで大騒ぎになっていました。

もともとこうした祭見物にはさほど興味もなく、ましてや今は悪阻で体調も
すぐれない時期ですから、葵の上は出掛けるつもりはありませんでした。

ところが、若い女房たちは、わざわざ地方から源氏を見るために出て来る
者までいるというのに、北の方ともあろう葵の上が、ご覧にならないなんて
あんまりだ、と、言います。それをお耳になさった大宮(葵の上の母親)が、
「今日はご気分も良さそうだし、あなたが行かないと女房たちもつまらない
ようよ」とおっしゃって、牛車の用意をお命じになったため、急遽、葵の上は
出掛けることになりました。

フィクションの「源氏物語」に「たら・れば」もないだろう、と言われそうですが、
すぐにそれを考えてしまうのがバカな私です。

この時大宮がもし、女房たちを諫めて「今は一番大事な時期なのだから、
人混みに出掛けるなんてとんでもないこと」と、止めていたら、あの車争いは
避けられ、六条御息所の生霊のために葵の上が命を落とすことも無かった
だろうに、と思うのです。

今日の記事、詳しくは先に書きました「第9帖「葵」の全文訳(2)」をご一読
くださいませ。


第9帖「葵」の全文訳(2)

2019年8月22日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第41回・№1)

第2月曜日のクラスと同様に、こちらのクラスも今月から第9帖「葵」に
入りました。今日は65頁・1行目~69頁・10行目を読みましたが、その
前半部分(65頁・1行目~67頁・11行目迄)の全文訳は、8月12日に
書きましたので➞「第9帖「葵」の全文訳(1)」、今回は残りの後半部分
(67頁・12行目~69頁・10行目迄)です。

(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)


左大臣家の葵の上は、このような源氏の君の浮気なお心を面白くないと
お思いですが、余りにも大っぴらなご様子が、お話にもならないからで
ありましょうか、深くもお恨み申し上げなさいません。ご懐妊のため、
お辛い様子でご気分もすぐれず、心細げにしておいででした。

葵の上のおめでたを、源氏の君も珍しく、いとしいと、お思いになって
おられました。左大臣家では、どなたも皆嬉しいものの、不吉な場合の
ことなども案じられて、さまざまな物忌みをおさせになるのでした。

こうした間、源氏の君はいっそうお心が休まる時とて無く、御息所のことを
疎かにするおつもりはないのですが、途絶えが多くなっていたことでござい
ましょう。

そのころ、斎院も退下なさって、替わって弘徽殿大后腹の女三宮がお立ち
になりました。桐壺院と大后が、とても大切になさっている宮なので、斎院と
いう特別なご身分におなりになるのを、たいそう辛くお思いでしたが、他の
宮には適当な方がおいでにならず、儀式などは規定通りの神事なのですが、
盛大で世間も騒いでおりました。

賀茂の祭の折には、規定の公的行事の他に加わることも多く、見所もこの上
ないものでした。これも斎院のご人徳によると思えました。

御禊の日は、上達部などが決められた人数で供奉なさる行事ではありますが、
声望が格別で、容貌の美しい方ばかりが選ばれ、下襲の色、表の袴の紋、
馬の鞍までも、みな立派に整えられました。特別の勅命により、源氏の君も
供奉なさることになりました。それを見物しようと、物見の牛車の準備を
人々はしておりました。

一条大路は、ぎっしりと物見車が立て込んで怖い程に大騒ぎになっています。
所々に設けられた桟敷は、それぞれが精一杯趣向を凝らした飾りつけや、
女房たちの出衣までもが、たいそうな見物となっておりました。

葵の上は、このような祭見物などへのお出かけもほとんどなさらない上に、
今はご懐妊中でご気分も悪いことなので、そのおつもりもなかったのですが、
若い女房たちが、「さあ、どうしたものでしょう、私たちだけでこっそりと見物
するのでは、冴えないことですわ。普通の人でさえ、今日の見物には、
大将殿(源氏の君)を目当てに、賤しい田舎者までもが拝見しようとしている
らしいのです。遠い地方から妻子を引き連れて京までやって来ると言うのに、
奥方さまがご覧にならないのは、あんまりなことではございませんか」と
言うのを、大宮がお聞きになって、「今日はちょうどご気分も良さそうです。
あなたが行かないと、女房たちもつまらないようですよ」と言って、急に
牛車のご用意のお触れをお回しになって、見物なさることになりました。


浮舟登場までの道のり

2019年8月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第216回)

35度以上の猛暑日から解放されたとは言え、湿度が高くて蒸し暑さが
応えます。まだまだ秋の爽やかさには程遠い昨日、今日です。

湘南台クラスは第49帖「宿木」の中盤から後半にかけての辺りを読んで
います。次回、初めて浮舟の存在が中の君の口から薫に告げられる所
を読むことになろうかと思いますが、それが唐突な出現にならぬよう、
今は用意周到なプロセスを踏んでいる、といったところでしょうか。

先月の講読箇所で、薫が中の君に急接近。中の君はこのままでは危ない
と感じました。薫は、あんなに愛していた姉・大君とも遂に結ばれずに
終わった人なのだから、まさか自分に迫って来ることはあるまい、と、
中の君は少々甘い考え方をしていたことに気付きます。

こうなったら薫は頼れない、やはり匂宮に嫌われないよう付いて行くしか
ない、と中の君は悟り、匂宮も中の君の身体から匂う薫の移り香に嫉妬し、
ライバル心も手伝って、中の君をより愛しく思うようになります。

そんな夫婦の思いを余所に、一人中の君への思いを募らせるのは薫です。
薫は粘着的性質ですから、思い込んだら執拗です。それで中の君は、
自分への執着を逸らす手段として、浮舟の話をするのです。

なぜこんなにくどい程の道のりを必要とするのか、というと、それは浮舟の
存在そのものが父・八の宮の恥なので、中の君とすれば、出来れば薫に
知られたくなかったはずなのです。それでも中の君が浮舟の話を持ち出す
必要性の構築に、作者も腐心したのでしょう。

「源氏物語」が、後になればなるほど深化していることを実感させる一因と
して、こうしたプロットの説得性を挙げることも出来ようかと思います。


野分のまたの日

2019年8月16日(金) 溝の口「枕草子」(第35回)

台風10号の本体は既に遠ざかっているのですが、進路が直線ではなく、
大きな半円を描くような形になったので、今日は一日中強風域から出る
ことが出来ず、関東では風が吹き荒れました。明日からはまた猛烈な
暑さになるそうです。いやはや疲れますね。

今回の「枕草子」は、第181段から第188段までを読みましたが、意図した
わけでもないのに、何ともタイムリーな「野分のまたの日(台風の翌日)」の
ことを書いた段(188段)が含まれていました。

その冒頭部分です。

「野分のまたの日こそ、いみじうあはれに、をかしけれ。立蔀、透垣などの
乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など
吹き折られたるが、萩・女郎花などの上に、横ろばひ伏せる、いと思はず
なり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと
吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。」
(台風の翌日はとってもしみじみとした趣があるわね。立蔀や透垣などが
乱れている上に、庭の植え込みなどもすごく辛そうな感じ。大きな木々も
倒れ、枝などの風に吹き折られたのが、萩や女郎花などの上に横倒しに
なっている様子は、もう想定外の光景よ。でも、格子の枠組みの一マス毎
に木の葉を、わざと嵌め込んだかのように、いちいち念入りに吹き入れて
あるのは、荒々しかった風の仕業とは思えないわ。)

特に秀逸なのは、「格子の壺などに」以下の部分です。格子の枠の一マス
一マスに、風によって舞い散った木の葉の貼り付いている様子が、わざと
手を加え、一枚ずつ嵌め込んだのではないか、と思わせる芸術性を醸し
出している、というもの。

「源氏物語」の「野分」の巻にも、野分(台風)の翌朝の様子を記した場面が
あります。文学的情趣に富んだ表現となると、紫式部に軍配が上るでしょうが、
この見事な観察眼と、小粋な表現は、紫式部には無い、清少納言独自のもの
でありましょう。


次なるステージへ

2019年8月12日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第41回・№2)

先週来、ずっと「あと一日」と思って我慢して来た猛暑ですが、まだ
解放されていません。明日は少し気温が下がるようですが、週末には
また猛暑日が復活するようです。今年もなかなか厳しいですね。

溝の口の「紫の会」は、今月から第9帖「葵」に入りました。

第8帖「花宴」までで、光源氏の最初のステージが終了し、「葵」の巻
からは次なるステージに移ります。

二十歳までの源氏は、時代の寵児としてもてはやされ、小憎らしいほど
自信に満ちていましたが、ここからは違ってきます。試練の時の始まり
です。

先ず、「花宴」と「葵」の間には二年間の空白があり、その間に源氏の父・
桐壺帝が譲位し、東宮(弘徽殿の女御所生の第一皇子)が天皇(朱雀帝)
となっています。当然、政情は一変し、「桐壺帝ー左大臣ー源氏」の勢力は
後退、「朱雀帝ー右大臣ー弘徽殿の女御」側の勢力が増大しています。
源氏がこの状況を、「よろづもの憂く」(すべてのことが憂鬱に)感じられる、
というところから、「葵」の巻は書き起こされています。

それでもまだ、桐壺院の目の黒いうちは、源氏も安泰です。

次に、これまで「夕顔」、「若紫」、「末摘花」の巻において、「六条わたり」に
住んでいる源氏の愛人として、チラチラと書かれていた「六条御息所」が、
いきなり物語の前面に躍り出てきます。

六条御息所は亡くなった東宮の妃だった方で、知性と教養に溢れる文句なし
の貴婦人です。しかし、源氏が御息所に夢中だった時期は、遠に終わって
いました。御息所は源氏が自分を重荷に感じ始めていることを悟っており、
一人娘が朱雀帝の即位に伴い斎宮に選ばれたことから、一緒に伊勢に
下向しようか、とも思い悩んでいます。

この巻で初めて物語の前面に登場して来るという意味では、源氏の正妻・
葵の上も同じです。源氏と結婚して既に10年、ここで葵の上は初めて懐妊
します。

賀茂の祭の御禊の日の車争いから、葵の上が亡くなるまでの六条御息所と
葵の上の対決、「葵」の巻の読みどころとなります。どうぞご堪能ください。

本日の講読箇所の前半部分(「葵」の巻のプロローグ的なところ)の全文訳を
先に書きましたので➞第9帖「葵」の巻の全文訳(1)を併せてご覧頂ければ、
と思います。


第9帖「葵」の全文訳(1)

2019年8月12日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第41回・№1)

今月から第9帖「葵」に入りました。1回目の今日は、65頁・1行目~
69頁・10行目を読みましたので、その前半部分(65頁・1行目~67頁・
11行目迄)の全文訳です。残りの後半部分は8/22(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

御代替わりがあって後、源氏の君はすべてのことが憂鬱に感じられて、
ご身分の尊さも加わったせいか、軽々しいお忍び歩きも憚られ、あちら
こちらの女君が待ち遠しさの嘆きを募らせていらっしゃる、その報いで
ありましょうか、相変わらずつれない藤壺のお心を、ただもう果てしなく
思い嘆いておられました。

桐壺帝が御譲位なさってからは、藤壺は以前にも増して始終、桐壺院と
まるで臣下のご夫婦のように、ご一緒においでになるのを、新たに皇太后
になられた弘徽殿の女御は、不快にお思いになっておられるのか、宮中に
ばかりお控えになっているので、藤壺は院の寵愛を競う人も無く、気楽な
ご様子です。

桐壺院は機会があるごとに、管弦の遊びなどを、趣向を凝らして、世間の
評判になる程盛大に催されて、ご在位中よりも却って退位後の今のご様子
のほうが素晴らしくお見えになるのでした。ただ、宮中におられる東宮の
ことを、たいそう恋しく思い申し上げていらっしゃいました。東宮には後見役
がいないのを、気掛りにお思いになって、源氏の君に万事ご依頼なさるに
つけても、源氏の君は、気の咎める思いはするものの、嬉しいとお思いで
ありました。

そうそう、そう言えば、あの六条御息所がお産みになった、亡くなられた
東宮の姫君が、斎宮にお決まりになりました。源氏の君のお心も、とても
頼りには出来そうもないので、姫君の幼いご様子の気掛かりさに託けて、
伊勢に下向してしまおうか、と御息所は予てよりお思いになっておりました。

桐壺院も二人の仲をお耳になさって、「亡き東宮がとても大事にして寵愛
しておられたのに、軽々しく普通の女と同じように扱っているというのが
気の毒だ。斎宮のことも、私の皇女たちと同列に考えているので、どちらに
つけても、御息所を疎略に扱わないのがよかろう。気の向くに任せて、
このような好色めいたことをする者は、ひどく世間の非難を受けることに
なりかねない」などと、ご機嫌が悪いので、源氏の君も我ながら、仰せの
通りだ、と納得されることなので、恐縮の体でお控えになっておりました。

さらに院が、「相手の女性に恥をかかせるようなことをせず、誰に対しても
穏やかに接して、女の怨みを買ったりするではないぞ」と、おっしゃるに
つけても、もしも院が、自分の藤壺に対する大それた思慕の情を聞きつけ
られた時には、いったいどうなることかと、恐ろしいので、身も縮まる思いで
退出なさいました。
 
またこのように、桐壺院のお耳にも入り、ご注意を仰せになるにつけても、
御息所のご体面上も、自身のためにも、いかにも色めいていて心苦しい
ので、いっそう捨てておけず、申し訳ないこととはお思いになるものの、
源氏の君は、まだ表立っては、きちんとした妻としての扱いをして差し上げ
ないのでした。

御息所も不釣り合いなお歳の違いに引け目をお感じになって、気を許さない
様子なので、源氏の君はそれに遠慮しているような態度を取っておられます。
桐壺院のお耳にも入り、世間の人にも知れ渡ってしまっているのに、さほど
深いとも思えない源氏の君のお心のつれなさを、御息所はひどく思い嘆いて
おられました。

こうした御息所の噂をお聞きになるにつけても、朝顔の姫君は、何としても
御息所の二の舞は踏むまい、と固く決心なさって、これまではくださっていた、
お便りに対する形ばかりのお返事も、今はほとんどございません。かと言って、
すげなく、相手に気まずい思いをさせるようなあしらいはなさらぬご様子を、
源氏の君も、やはりこの方は他の女性とは違っている、と思い続けて
いらっしゃるのでした。


「宇治十帖」に入る!

2019年8月9日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第134回)

数日前から、あと一日の我慢、あと一日の我慢、と思いながら、連日
35度の猛暑日と付き合ってきましたが、そのあと一日が、なかなか
終わりになりません。明日もまだ「あと一日」が続くようです。これで
ホントに最後にして欲しいのですが・・・。

溝の口の第2金曜日と第4月曜日のクラスは、先月で「匂宮三帖」を
読み終え、今月からいよいよ「宇治十帖」です。

「宇治十帖」は、「橋姫」の巻から始まりますが、あの「匂宮三帖」の
もたつきが一挙に解消されて、宇治を舞台とする新しい「源氏物語」
の世界が構築されていきます。

宇治十帖の主人公は薫です。表向きは、源氏が正妻女三の宮との
間に儲けた息子、ということになっていますが、ご存知のように、実の
父親は柏木です。

幼い頃から自分の出生に疑問を抱き仏道に傾倒しているという、源氏
のようなスーパースターとは一線を画す、全く新しいタイプの主人公が
設定され、ヒロインとなる女性にも、新しいタイプが用意されています。

「橋姫」の冒頭では、いきなり「世にかずまえられたまはぬ」(世間から
忘れ去られてしまっている)桐壺帝の八の宮のことが語り出されます。

八の宮がなぜそうなったのか、と言えば(この話もここで初めて明かさ
れるのですが)、もう40年程も前、源氏が須磨に謫居した頃、弘徽殿の
大后が、当時の東宮(のちの冷泉帝)を廃して、八の宮を東宮に据え、
源氏を完全に政界から追放しようと画策して失敗。以後、何の罪もない
八の宮も、兄源氏から遠ざけられて、源氏~夕霧へと権力の座が受け
継がれていく中、八の宮家は没落の一途を辿るしかなかったのです。

八の宮には不幸が重なって、北の方が中の君を出産後亡くなり、更には
京の邸も火事で焼失してしまいました。

宇治の山荘で暮らし始めた八の宮は、仏教に帰依しながら、二人の娘
の養育に勤しむ日々を送っていました。

この八の宮の存在を知った薫が宇治へ通い始めるようになり、やがて
大君に思慕の念を抱くようになるのですが、その過程が実に緻密に
計算されていて、読者を無理なく二人の出会いへと導いています。

唐突な出会いとならぬよう、紙面も多く割かれていますので、今日の
講読会ではまだそこまで行けませんでした。薫が初めて宇治の姫君を
垣間見る場面は、次回のお楽しみとなります。


ちょっとだけ古典文法(38)

2019年8月6日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算141回 統合91回)

梅雨明けからまだ1週間余りなのに、連日の猛暑のせいか、梅雨明けがずっと
前のことのように感じられます。今日も35度の猛暑日となりました。明日の予報
も35度です。今年は台風も立て続けに発生しており、気の抜けない真夏の日々
です。あれっ?そんなこと言ってるうちに、もう明後日は立秋ではありませんか!

「ちょっとだけ古典文法」も終りが近づいてきました。

助詞の最終回です。終助詞(文末に付いて、禁止、願望、強意、詠嘆などの
意味を添える助詞)と、間投助詞(文中や文末に付いて、詠嘆を示したり、
語調を整えたりする助詞)です。

★終助詞
1、禁止
①「な・・・動詞の終止形〈ラ変動詞の場合は連体形〉に付く。
 ◎あやまちすな。心して降りよ。(失敗するな。注意して降りなさい。)

②(な・・・禁止の副詞)~「そ」・・・動詞の連用形〈カ変・サ変動詞の場合は
  未然形〉に付く。
 ◎それがしにそのことな聞かせそ。(その者にそのことを聞かせるな。)

2、願望
①「ばや」・・動詞の未然形に付いて、「~したい」という自分自身の願望を表す。
 ◎今しばしここにあらばや。(もうしばらくここにいたい。)

②「なむ」・・・動詞、助動詞の未然形に付いて、他に「~してほしい」と
  あつらえ望む。この「なむ」のポイントは「未然形に付く」です。
 ◎「惟光、とく参らなむ」と思す。(「惟光が早く参上してほしい」とお思いになる。)

③「てしが(か)」・「にしが(か)」・「てしが(か)な」・「にしが(か)な」・・・連用形に
  付いて、「~したいものだ」という、「ばや」よりも、やや遠慮がちな自己の
  願望を表わす。
 ◎かぐや姫を得てしがな。(かぐや姫を手に入れたいものだ。)

④「もがな」(「もが」・「もがも」・「がな」)・・・種々の語について「~だったら
  いいのになあ」という、反実仮想的な希望を表す。
 ◎世の中にさらぬ別れのなくもがな(この世に避けられぬ別れ〈死別〉が
  なかったらいいのになあ)

3、強意(念を押す)・・・体言・連体形に付く「ぞ」と、種々の語に付く「かし」
  がある。「ぞかし」の形で用いられることも多い。
◎これは知りたることぞかし。(これは知っていることでしたよ。)

4、詠嘆・・・体言・連体形に付く「か」・「かな」・「かも」と、種々の語に付く
  「な」・「は」・「も」・「よ」があり、「~だなあ」「~なことよ」という、「詠嘆」を
  表す。終助詞の場合は文末に来る。
 ◎これを見るは、うれしな。(これを見るのは嬉しいことだなあ。)

★間投助詞・・・「や」・「よ」・「を」(「~だなあ」・「~なことよ」)
 ◎閑かさや岩にしみ入る蝉の声(なんと静かなことよ。蝉の声が岩に
   しみ込んでいくようだ)
--------------------------------------------------------------
「源氏物語」のほうは、ようやく長大な「若菜下」を読み終えて、次の「柏木」に
少し入りました。このあたりが「源氏物語」五十四帖の中で、最も読み応えが
あるところだと、個人的には思っております。

作者紫式部の筆は、人の苦悩する姿を映し出す時に最も冴える気がします。

女三宮の降嫁による紫の上の苦悩。やがてそれが病に倒れるという事態を
引き起こし、柏木と女三宮の密通を呼ぶきっかけともなってしまいました。
密事が源氏に知られ、追い詰められた柏木は、遂に死の床に臥す身となり
ます。

第36帖「柏木」は、死を目前にした柏木の長い心中思惟から始まります。
柏木は言わば「負け組」の人間です。無謀な恋と命を引き換えにしてしまう
馬鹿な男です。でも、その命が消えようとしている柏木の内面に、作者が
「柏木こそあはれを体現した男」であることを証明するかのように寄り添った
形で筆を進めた結果が、登場人物のみならず、読者にも柏木を惜しむ
気持ちを起こさせるのだと思います。


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