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今月の光琳かるた

2019年9月28日(土)

「光琳かるた」の入れ替えも「豚の木登り」のためにすっかり滞ってしまい、
2ヶ月半近く経ってしまいました。

「今月」と言っても、すぐに「来月」なのですが、あえて今日、この歌を選んで
UPしたのは、本当なら今頃、宇治を散策しているはずだったからです。

9月に入って、何とか木登り豚も演じ切ってホッとしたせいか、猛暑の中で
ちと無理を重ねたのがたたったのか、半ば頃から体調が今一つすぐれず、
楽しみにしていた京都旅行も不安になって、同行予定の姉に相談し、私一人
今回は見送ることにしました。

と、長い前置きになりましたが、その「宇治」を詠んだ歌をご紹介します。

「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」
                             八番・喜撰法師
     DSCF4066.jpg
(私の草庵は京の東南の方向にあって、このように悠然と暮らして
 いる。なのに、「世を憂く宇治山」と人は言っているようだ)

喜撰法師は「六歌仙」〈喜撰法師・小野小町(九番)・僧正遍昭(十二番)・
在原業平・(十七番)文屋康秀(二十二番)・大伴黒主〉の一人ですが、
「六歌仙」とは、「古今集仮名序」において「近き世にその名聞えたる」と
して紀貫之が挙げた六人の歌人のことを指します。ただし、貫之がこの
六人を「歌仙」と呼んだわけではなく、「六歌仙」は後世の呼びならわしです。

「百人一首」では、七番の「安倍仲麿」までが奈良時代の歌人で、八番の
「喜撰法師」からが平安時代の歌人となります。

「源氏物語」の最後の十帖は「宇治」を舞台にしているので、「宇治十帖」と
呼ばれていますが、そこに住んでいる「八の宮」(光源氏の弟にあたる)の
造型にも影響を及ぼした歌だと言われています。

第三句の「しかぞ住む」には二通りの解釈があり、一つは「悠然と出家生活
を楽しんでいる」とするもの、もう一つは下の句に繋がる解釈で、「このように
心憂くわびしく暮らしている」とするものです。ここでは気分を明るくする前者
で解釈しておきました。

「私はこれでいいと思っているのだから、外野で余計なことは言わんでくれ」
って、心境でしょうか。今の私は「宇治(うじ)に行けずに憂し(うし)」なんです
けど・・・。


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大人になる日も近く

2019年9月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第42回・№2)

昨日、今日と秋晴れの空が広がりましたが、彼岸を過ぎても日中は
夏日が続いています。

溝の口の「紫の会」は、第9帖「葵」に入って2回目ですが、最初の山場
となる「車争い」の場面から読み始めました。ここは、9月9日の記事、
「圧巻の車争いの場面」で取り上げましたので、今日は、若紫のこれから
を予感させる出来事に触れておきたいと思います。

「若紫」の巻での若紫は10歳でした。それから4年、「葵」の巻では14歳に
なっています。まだ実際に夫婦としては結ばれておらず、若紫は自分たち
はそうした仲だと思って過ごして来ているので、近い将来源氏と契りを
交わすことになるだろう、とは考えていません。

一方の源氏には、そろそろ機が熟して来たことを意識した言動が窺える
ようになっています。

その一つとして、源氏が、紫の上付きの女童たちに「女房」と呼びかけて
いることが挙げられましょう。

賀茂の祭の当日、源氏は若紫と牛車に同乗して見物に出かけるのですが、
その時に、「女房出で立つや」(女房たちは出掛けるのかな)と、女童を
一人前の女房として扱う姿勢を見せています。続いて、「まづ女房出でね」
(先ず女房が出ておいで)と、同様の使い方がされています。

これは、女童たちを大人扱いすることで、間もなくお仕えしているご主人
(若紫)のことも、大人扱いする心積もりがあると、知らしめている気が
いたします。

「生ひゆくすゑはわれのみぞ見む」(若紫の将来は私だけが見届けよう)
と歌に詠んでいるのも、やはりそうした気持ちの表れではないでしょうか。

二人が新枕を交わすのは、葵の上が亡くなった後の、この巻の終わりに
なりますが、その時の若紫の反応がまた何とも可愛いのです(あら、また
予告しちゃった!ごめんなさい)。

次回からが、「葵」の巻のクライマックスとなります。

本日の記事につきましては、詳しくは先に書きました「葵の全文訳(4)」で、
お読みいただければ、と存じます。


第9帖「葵」の全文訳(4)

2019年9月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第42回・№1)

こちらのクラスも第2月曜日のクラスと同じく、第9帖「葵」に入って2回目。
全文訳の前半は9月9日の「葵の全文訳(3)」に書きましたので、今日は
講読箇所(69頁・11行目~77頁・9行目)のうちの後半部分(73頁・10行目
~77頁・9行目)の全文訳となります。


祭の日の行列を、葵の上は見物なさいません。源氏の君は、あの御車の所争い
の件を、そのままご報告する人があったので、御息所がとても可哀想で情けない
話だとお思いになり、「葵の上は、やはり惜しいことに重々しい方ではいらっしゃる
が、何事にも情けが無く素っ気ない所がおありになる余り、ご本人はそんな風に
お考えになったわけではないだろうが、こうした妻妾の間柄は、優しい心遣いを
交わし合うべきものだともお考えにならないご意向を受けて、次々と下々の者が
そのような狼藉を働いたのであろうよ、御息所はご性格がとても奥ゆかしく風雅で
いらっしゃるのに、どんなにか嫌な思いをなさったことであろう」と、お気の毒で、
六条の御息所邸にお出かけになりましたが、斎宮がまだご実家においでになる
ので、榊への憚りを口実にして、御息所は打ち解けてご対面になろうともなさい
ません。源氏の君は、もっともなことだ、とお思いになりながら、「何としたことか、
お互いによそよそしくしないでいただきたいものだよ」と、つい呟いておしまいに
なるのでした。

賀茂の祭の当日、源氏の君は左大臣邸を離れて二条院へお出でになり、祭見物
にいらっしゃいます。西の対の若紫の許へお渡りになって、惟光に牛車の準備を
お命じになりました。「女房たちは出掛けるのかな」とおっしゃって、若紫がとても
可愛らし気におめかししていらっしゃるのを、にっこりと微笑んで見ておられます。

「あなたは、さあ、いらっしゃい。私と一緒に見物しましょうね」と言って、御髪が
いつもよりも美しく見えるのをお撫でになり、「随分長いことお切りになっていない
ようだが、今日は吉日のはずだったね。」と、暦博士をお呼びになって、髪を切る
のに良い時刻を調べさせなどなさっている間に、「先ず女房が出ておいで」と
おっしゃって、女童たちの可愛らしい姿をご覧になっておられます。とても可愛い
髪の裾をみな綺麗に切り揃えて、それが浮紋の表袴に垂れかかっている具合が、
くっきりと見えます。

「あなたの御髪は、私が削ぐことにしよう」とお始めになりましたが、「いやに沢山
あるものだねぇ。この先どれほど長くなるというのだろう」と、切り揃えるのに難儀
なさっておりました。「とても髪が長い人も、額髪は少し短くしているようだけれど、
全く後れ毛がないのもあまり風情がないでしょう」と言って、削ぎ終り、「千尋」と
寿ぎなさるのを、少納言の乳母は、しみじみと恐れ多いことと拝見しているの
でした。

「はかりなき千尋の底の海松ぶさの生ひゆくすゑはわれのみぞ見む(測ることも
出来ないほど深い海底に生える海松ぶさが伸びて行くように、あなたの髪の
伸びて行くその行く末は、私だけが見届けることにいたしましょう)」

と源氏の君がおっしゃると、若紫が
 
「千尋ともいかでか知らむさだめなく満ち干る潮ののどけからぬに」(千尋、と
おっしゃるけれど、どうして私にはその深さがわかりましょう。定めなく満ち干る
潮のように落ち着いてはいらっしゃらないあなたのお心ですもの)」

と、返歌を何かの紙に書きつけておられるご様子は、大人びた様子でありながら、
如何にも子供っぽくて可愛らしいのを、源氏の君は素晴らしい、とお思いになって
おりました。

今日も一条大路には物見車がぎっしりと停まっています。左近の馬場の辺りで
牛車を停めかねて、源氏の君が「上達部たちの車が多くて、物騒がしい場所だ
なあ」と、駐車するのを躊躇っておられると、まずまずの上等な女車で、今にも
溢れんばかりの人が乗っている車から扇を差し出して、源氏の君の供人を招き
寄せて、「ここに車をお停めになりませんか。場所をお譲りいたしましょう」と、
申し上げる女がおりました。

「どんな数寄者なのだろうか」とお思いになって、場所もほんに良い所なので、
牛車を近づけさせなさって、「どうやって確保なさった場所なのか妬ましい限りで」
と、源氏の君がおっしゃると、趣味の良い檜扇の端を折って、そこに
 
「はかなしや人のかざせるあふひゆゑ神のゆるしのけふを待ちける(虚しいこと。
他の方が髪に挿してらっしゃる「葵」なのに、あなたと「逢ふ日」を神様もお許し
くださる今日だと思って待っていただなんて)注連が張ってある中には入って
行けませんわ」

と書いてある筆跡を思い出されると、あの典侍でした。「何とまあ、年甲斐も無く
今風を気取っていることだなぁ」と、その憎らしさに、源氏の君は素っ気なく、
 
「かざしける心ぞあだにおもほゆる八十氏人になべてあふひを(葵をかざして
今日の逢瀬を待っていたというあなたの心はいい加減なものだと思われます。
だってあなたは誰彼となく大勢の人に逢う人ですから)」

と返歌なさいました。典侍は「ひどい」と思って、
 
「くやしくもかざしけるかな名のみして人だのめなる草葉ばかりを(悔やまれる
ことに葵をかざしてしまったことですわ。「あふひ」というのは名ばかりで、空しい
期待を抱かせる草葉に過ぎないものでしたのに)」

と申し上げました。源氏の君が女性と同乗して、簾さえもお上げにならないのを、
面白くないと思う女たちは大勢いました。「先日の御禊の日は正装していらした
けれど、今日はくつろいだ感じでお出掛けになっていることだわ。いったい誰なん
でしょう。源氏の君とご一緒に乗られるほどなら綺麗な人でしょうね」と、女たちは
推測しておりました。張り合いの無い典侍とのかざし問答だったな、と源氏の
君は物足りなくお思いでしたが、源典侍のように厚かましくない人は、女性
が同乗なさっているのに気が引けて、ちょっとしたお返事も気楽に申し上げる
のは面映ゆかったことでしょうね。


昔物語に出てくるような・・・

2019年9月23日(月) 溝の口「湖月会」(第135回)

先週、今週と続けての三連休。学校や会社勤めがあれば、こうした
連休にも敏感でいられるのですが、講読会は平日、休日には拘らず
決まった週の決まった曜日に行っていますので、電車が休日ダイヤ
であることを忘れていたり、帰宅後も郵便受けを見て、「あれっ?何で
夕刊が来てないの?」と思ったりしてしまいます。

そんな「秋分の日」の例会でしたが、このクラスも第2金曜日のクラス
と同様、「宇治十帖」に入って2回目、第45帖「橋姫」を読んでいます。

薫が宇治の八の宮の許に通い始めて三年目の晩秋、たまたま八の宮
の不在中に訪れた薫が初めて八の宮家の姫君たち(大君と中の君)を
垣間見るところを中心に読みました。国宝「源氏物語絵巻」をはじめ、
数多くの源氏絵に描かれている有名な場面です。

薫は、宇治川の荒々しい水音や川風に、こんな場所で、男手で育て
られている姫君たちなのだから、「世の常の女しくなよびたるかたは
遠くや」(世間並みの女らしい嫋やかさには欠けているのではないか)
と想像をして、足掛け三年になるこの時まで、たいして興味を抱くことも
なく過ごしてきました。

ところが、琵琶と筝の琴の合奏に惹かれて、姫君たちの部屋の近くに
案内を乞い、そこから垣間見た姫君たちの様子に驚かされます。

「女らしさに欠けるのでは」なんて、とんでもない!このような山里に
住む女性とは思えない風情を湛え、魅力的です。

薫は、昔物語には、思い掛けない山里などで美女を見つける話が必ず
出て来るけれど、そんなのは物語上の作り話にすぎない、と思っていた
だけに、衝撃を受け、姫君たちに心惹かれます。

ようやく「宇治十帖」が恋の物語として舵を切り始めました。

それにしても、「源氏物語」だってフィクションなのに、こんな鄙びた所に
美女を発見することが実際にあるとは思わなかった、と、まるで現実の
ことのような書きぶり。相変わらず紫式部さん、心憎いですね。


六位の男は可哀想!

2019年9月20日(金) 溝の口「枕草子」(第36回)

今、(第36回)と書いて、「ええっ?もう『枕草子』を読み始めて3年も
経ったの?」と、びっくり。まだ2年位のつもりでした。年月が経つの
って、どうしてこんなに早いのでしょう。

今回は第189段~第203段までを読みました。段数にすると随分沢山
読んだ感じがしますが、第190段以下は、「島は、八十島。浮島。・・・」
といった「何々は+固有名詞の羅列」がほとんどなので、さほど読み
進んだ、というわけではありません。同じ「類聚章段」なのですが、
第189段だけは、「心にくきもの」(奥ゆかしいもの)を、かなり長い文章
で綴った段です。

当時は、女房の局(自室)に夜、男性が忍んで来ることは日常茶飯事
だったようです。自室と言っても、廊下のような所に几帳などを立てて
仕切っているだけなので、プライバシーなどというものはありません。

当の二人は、几帳の影に添い臥して目立たないようにしていますが、
薄明りに浮かぶ頭の恰好などは、ちょっと覗かれたりすると、隠しようも
なかったのです。

男が脱いだ衣類が、几帳に引っ掛けてあるので、こちら側からも、その
上着の色などはわかります。相手の男が、五位以上の殿上人や六位
でも掬塵〈きくじん〉の袍の着用を許された蔵人なら、まあ許容範囲だと、
作者は考えています。

でもそれが、ただの六位の者が着る緑衫(浅葱色)だったら、馬鹿にして、
その袍を足元のほうへ丸め込んでしまって、明け方近く帰ろうとする時に
慌てさせてやりたい、などと、とんでもない悪さを思いついたりするのです。

こんな身分による差別、今ならハラスメントとして大問題になりそうな話
ですが、この時代はそれがまかり通っていました。

父・源氏の教育方針で、六位からスタートさせられた夕霧が、雲居雁の
乳母に「めでたくとも、もののはじめの六位宿世よ」(せっかくの結婚の
お相手が、六位風情なんてご縁ではねぇ)と侮辱され、夕霧の場合は
それが発奮材料にもなりましたが、平安貴族社会の六位の男たち、女
からも見下されて、可哀想だったと思います。


スマートに切り抜ける中の君

2019年9月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第217回)

昨日の予報では、今日は一気に気温が10度下がり、15時頃からは
大雨になるとのことだったのですが、実際に下がった気温は5度位。
雨も例会が終わって帰宅する16時頃は、ほんの小雨が降っている
程度で、予報もこんなふうに外れるのは嬉しいですね。

湘南台クラスは第49帖「宿木」の後半に入っています。まだ浮舟本人
は登場していませんが、中の君の口を通してその存在が薫に、そして
読者にも知らされました。

薫の執拗な懸想を何とかかわしたい中の君は、八の宮の隠し子という
父親にとっての恥を薫に話す決意をします。

上京後、母親と共に二条院へ挨拶に来た異母妹(浮舟)は、不思議な程
大君によく似ていました。いまだに大君を忘れかねて、自分への恋慕も
それ故と承知している中の君は、この異母妹なら、薫が求めている「昔
おぼゆる人形(ひとがた)」(亡き大君を偲ぶ人形)になれると思い、人に
聞かれぬよう、薫のほうににじり寄り、勘違いした薫が、几帳の下から手
を取るのをわずらわしく感じながらも、ここが勝負どころだ、と、そのままに
して、浮舟の話を始めたのでした。

「いかさまにしてかかる心をやめて、なだらかにあらむ」(どうにかして薫の
こうした自分への懸想を止めさせて、何事も無くこれからもお付き合いして
いこう)、つまり中の君は、薫と深い仲になるのなどもっての外だが、他に
頼る人のいない自分が、匂宮夫人としての立場を守るために、薫は絶対
必要な庇護者だから失うわけにはいかない、と考えていたのです。

宇治にいた頃の中の君では、到底ここまで頭が回らなかったはずです。
京の上流貴族社会で暮らすうちに身に付いた、と思える見事な処世術。
良く言えば聡明、悪く言えばしたたか、これが都会に生きる女の知恵と
いうものだったのでしょう。

じゃぁ、知恵を持たない浮舟はどうするの?それはまだ先のお話です。


道心の理由

2019年9月13日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第135回)

一昨日までの猛暑が嘘のように、昨日から急に涼しくなりました。
最高気温が30度を切るとこんなに楽なんだ、と思いますね。

このクラスは、「宇治十帖」の最初の巻・第45帖「橋姫」に入って
2回目です。

宇治の山寺の阿闍梨から話を聞き、俗聖として暮らす八の宮に
興味を持った薫が、仏法の友として八の宮を求め、やがて宇治に
通うようになります。親交が深まるにつれ、八の宮への敬愛の念も
深まっていく薫ですが、そもそも仏道を志す理由が、八の宮と薫と
では全く異なっています。

八の宮は若い頃から仏教に傾倒していたわけではありません。
弘徽殿の大后の、源氏を失脚させる陰謀に利用され、源氏復権の
後は失意の日々を送る身となってしまいました。しかも北の方の死、
京の邸の焼失、と、次々不幸に襲われ、それが厭世観となって、
宮は仏道へと導かれることになった、と考えられます。これはよくある
パターンと言えましょう。

一方の薫は、八の宮が「なにゆえに?」と不思議がるほど、傍から
見ると道心の理由がわからない人です。若くして父親を亡くすと出世
の道も閉ざされ(玉鬘の息子たちがそうでした)、苦労することが多い
のですが、薫の場合は、薫を自分の弟だと思い込んでいる冷泉院、
夕霧、更には伯父である帝にまで庇護されており、将来も約束された
何一つ不自由の無い身、と他人の目には映っています。

でも薫は物心ついた時から、自分の出生に疑念を抱き、誰に相談
することも出来ない悩みだけに、仏道を志すことで救いを求めていた
のです。

「やっぱり薫って好きじゃないけど可哀想。『源氏物語』の中で、一番
同情してしまう男君なんですよね」、と、ここで話が横道に逸れてしまい
ました。

「皆さまは一番好きな男君と女君、一番嫌いな男君と女君、一番同情
すべき男君と女君、一番恵まれた男君と女君、それぞれ誰だと思われ
ますか?読み終わる時にアンケートを取ってみたいですね」、と言って
から、いや、これって面白いかも、と、本気でアンケートのことを考えて
いる私です。

読み終わってからでなくても結構です。「私はこの男君、女君を挙げるわ」
と思われる方、教えていただけませんか。


圧巻の車争いの場面

2019年9月9日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第42回・№2)

台風15号は、関東に大きな被害をもたらして通り過ぎて行きました。
今日の講読会では、台風の事後処理のため、26日のほうに振替
希望をなさった方がお二人ありました。

しかも、その後の猛暑たるや、とても9月とは思えない36度にまで
気温が上がり、疲れる一日でした。

溝の口の「紫の会」は、第9帖「葵」に入って2回目。「源氏絵」にも
数多く描かれている、名高い「車争い」の場面を中心に読みました。

葵の上一行が御禊の行列見物にお出かけになったのは、すでに
日も高く差し昇ってからだったので、当然牛車を停める場所はもう
ありませんでした。朝早くから出て来ている牛車を強引に押しのけ
なければならず、その対象として目を付けたのが、こともあろうに
六条御息所の牛車だったのです。

この巧みな時間設定と状況設定が、圧巻の車争いの場面を生み
出していくことになります。

若い従者たちはすでに酒に酔っており、分別を失ってもおりました。
御息所の従者は、「場所を空けろ」という葵の上の従者の理不尽な
要求を拒否します。しかし相手が御息所の牛車だとわかった葵の上
の従者は、「愛人のくせして生意気な」と、御息所を侮辱します。
葵の上の供人の中には御息所に同情している者もおりましたが、
面倒なことには関わりたくない、と知らん顔をしているのでした。
これも千年経っても変らない人の心理ですよね。

結局、御息所は牛車も自身のプライドもずたずたにされてしまい
ました。来なければ良かった、と思いつつ、それでも、この日
源氏の姿を見なかったら心残りであっだだろう、と思う御息所の
女心が哀しく、切ないです。

やがてこの時受けた屈辱に耐えきれなくなった御息所が生霊と
なり、葵の上に憑りついて死に至らしめることになるのですが、
次回からが、その「葵」の巻の眼目となるところを読むことになり
ます。

車争いの場面、詳しくは先に書きました「葵の巻・全文訳(3)」
ご覧くださいませ。


第9帖「葵」の全文訳(3)

2019年9月9(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第42回・№1)

第9帖「葵」に入って2回目。今日はこの先のストーリー展開の基盤となる
有名な「車争い」の場面から読みましたので、全文訳の前半はそこが
中心となります。講読箇所(69頁・11行目~77頁・9行目)のうちの前半
部分(69頁・11行目~73頁・9行目)の全文訳です。後半部分は26日(木)
に書きます。

日が高くなってから、改まったお支度もなさらずにお出かけになりました。
ぎっしりと牛車が立ち並んでいるので、葵の上のご一行は、美しい牛車を
何台も連ねたまま、停める場所を探しあぐねておりました。

身分ある方々の女車が多くて、車副の人のいない所に停めようと、他の車
を立ち退かせたりしている中に、網代車で少し使い古したのが、下簾の具合
なども趣味がよく、乗り手は奥に引っ込んでいて、下簾の端から少し見える
袖口、裳の裾、汗衫などの色合いがとても綺麗で、殊更お忍びであることが
はっきりと分かる牛車が二台ありました。

「これは、けっして、そのように押しのけたりして良い御車ではありません」と
言い張って、手を触れさせようとしません。どちら側も、若い者たちが酒に酔い
過ぎて騒ぎ立っている時のことは、とても制止できるものではありません。
葵の上の年配の供人たちは「そんなことするな」と言いますが、押しとどめる
ことはできませんでした。

この御車は、斎宮の母君である六条御息所が、物思いに乱れている心の
慰めにもなろうかと、そっと見物にお出でになっていたのでした。御息所方は、
さりげなくよそおっていましたが、葵の上方には、自然と御息所の一行だと
いうことが分かりました。「そんな程度の者に、大きな口をたたかせるな。
源氏の大将殿のことを笠に着ているんだろう」などと、葵の上の従者が言う
のを、中には源氏の君の供人もいたので、御息所のことをお気の毒だと思い
ながらも、仲裁するものも面倒なことになるので、素知らぬ顔をしておりました。

とうとう葵の上方の牛車が何台も乗り入れたので、御息所の御車は葵の上の
お供の車の後に押しやられて、何も見えなくなってしまいました。腹立たしい
ことは言うまでも無く、このようなお忍びの姿を自分だと知られてしまったのが、
たいそう悔しくてなりません。榻などもみな押し折られて轅をつまらない車の
轂に掛けてあるのでひどく体裁が悪く、残念で、どうして物見になど出掛けて
来たのだろう、と思うけれど今更仕方ありません。御息所は見物しないで帰ろう、
となさいますが、抜け出す隙間もない上に、人々が「行列がお見えになったぞ」
と言うので、こうなってもやはり薄情な方のお通りが待たれるのも、女心の弱さ
でありましょうか。「笹の隈」さえも無いからでしょうか、源氏の君がすげなく
過ぎなさるにつけても、却って物思いの限りを尽くされるのでした。

ほんにいつもよりも趣向を凝らした多くの牛車の、我も我もと乗り込んだ女性たち
の袖口が、こぼれ出ている下簾の隙間のあちこちにも、源氏の君は何食わぬ顔
ながら、微笑んでちらりと視線を投げかけておられることもありました。葵の上の
御車はすぐにそれと分かるので、真面目な顔をしてお通りになります。源氏の君
のお供の人々も恭しく敬意を表しながら通り過ぎて行くのを、御息所は気圧されて
しまった我が有様が、たまらなく嘆かわしくていらっしゃいました。
 
「かげをのみみたらし川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる(あの方の
お姿を他所ながら見るだけの積りだったのに、冷たいお仕打ちに我が身の辛さ
がいっそう思い知られることよ)」

と、涙がこぼれ落ちるのをお供の女房が見るのも恥ずかしいけれど、あの源氏の
君のまばゆい程のお姿やお顔立ちが、晴れの場でいっそう輝いておられるのを
見なかったならば、やはり心残りであったろう、とお思いなのでした。

供奉の人々はそれぞれの身分に応じて、装束や供回りを、たいそう気を配って
整えていると見える中でも、上達部は格別立派だったのですが、源氏の君お一人
の輝くばかりの美しさに圧倒されてしまったようでした。大将の臨時の随身に、
殿上人である将監などがお役を務めるのは通例のことではなく、特別の行幸など
の時のことですが、今日は右近の蔵人の将監がお仕えしていました。その他の
随身たちも、顔立ちや姿が眩いばかりの者どもが揃えてあって、このように世間
から尊重されておられる源氏の君のご様子には、草木も靡かないものはないよう
でした。壺装束などという姿をした女たちで賤しからぬ者や、また尼になって世を
捨てた者どもなども、倒れたり転んだりしながら、見物に出て来ているのも、いつも
なら「よせばいいのに、ああみっともない」と見えるのですが、今日は無理もない
ことだ、と思われました。口元がすぼんで、髪を着物の中にたくし込んだ賤しい女
たちが、手を合わせて額に当、源氏の君を拝み申し上げてもおりますし、また間の
抜けた下賤な男までが、自分の顔がどんなにおかしいかも知らずに満面に笑みを
浮かべているのでした。源氏の君が全く目にお留めになりそうもない、つまらない
受領の娘までもが、精一杯飾り立てた牛車に乗り、わざとらしく気取っているのも
また、それぞれに面白い見物でありました。

ましてや、源氏の君がここかしこにお忍びでお通いになっている女君たちは、ただ
もう人知れず、人数にも加えて貰えぬ嘆きのまさる方も、多うございました。

式部卿の宮は桟敷でご覧になっていました。成長するにつれ眩いまでに美しく
なって行く源氏の君のご容貌であることよ、鬼神などに魅入られなければよいが、
と、不吉な思いに捉われておられました。式部卿の宮の姫君(朝顔)は、もう長年
お手紙を差し上げておられる源氏の君のお気持ちが普通の男性とは違うので、
源氏の君のご容貌がたとえ平凡であっても心惹かれるところでしょうが、ましてや
どうしてこんなに素晴らしい御方なのか、とお気持ちは惹かれるのでした。それでも、
これ以上親しくお逢いしようとまではお考えにはなりません。傍らの若い女房たちは、
聞き苦しいまでに源氏の君を口々にお褒め申しておりました。

 

木登り豚になって

2019年9月8日(日)

刻々と台風15号が接近していますが、今はまだ青空が広がっています。
先程、予告編のような物凄い雨が突然降り出し、またすぐにパッと止み
ました。明日の明け方頃がピークになるとのことなので、今夜は少し早目
に寝るほうがよさそうです。

「my日記」も本当に久しぶりです。もうこの一ヶ月は、ブログの更新も
講読会の記録だけで手いっぱいで、何もかもが回らなくなっていました。

それと言うのも、私が木登り豚になったからです。

1年半ほど前、溝の口の第2金曜クラスの例会の後、何人かの方と一緒
にお茶を飲んでいる時でした。話のきっかけは思い出せないのですが、
それまでに書き溜め、このクラスの皆さまには、時折読んでもいただいて
いた「源氏物語」の女君たちを紹介した原稿を、ある方から、「本にして
出版したらいいのに」、と勧められました。

周りにいらした皆さまも「それがいい、それがいい」とおっしゃるものです
から、そうなんです、「豚もおだてりゃ木に登る」で、登ってみようかな、と
いう気分になってしまいました。

それでもまだ漠然とした話だったのですが、もともとこれは所属している
短歌結社の歌誌に連載させていただいたものなので、先生(主宰者)の
奥様がご参加になっている八王子クラスの例会の折に、「もしそのような
ことになった時には、先生に序文をお願い出来るでしょうか」とお伺いした
ところ、奥様は「大丈夫だと思いますよ」とおっしゃってくださいました。

その翌日、奥様からお電話があって、先生がもう序文の執筆を開始されて
いるとのこと。ああ、もうこの豚は木の下でウロウロしている場合じゃない、
登るしかないんだ、と覚悟を決めました。

先生のご紹介で出版社も決まり、昨年の8月、編集担当の方に初めて
お会いして、出版までの段取りも教えていただきました。

「私も来年は古稀を迎えるからその記念にもなるし、講読会のクラスも、
淵野辺と八王子は2020年前半で読み終えられそうだから、それまでに
一冊の本の形にして皆さまにお渡し出来るのは嬉しいこと」、と思い、
2019年末の完成を目途に取り組むことにしました。

編集の方が提示してくださった予定では、入稿は2019年の8月中。
まだ一年ありました。

「たゆまるるもの、遠きいそぎ」(油断してしまうもの、まだ先の準備)、
と清少納言も言っています。たゆみ過ぎている間に、月日は容赦なく
流れて行ってしまいました。

梅雨が明け、猛暑との戦いもさることながら、原稿の手直しが追いつき
ません(もっと簡単なことと、いささか甘く考えておりました)。日頃から
高い血圧ですが、160を超えた時はさすがにショックでした。びっくりして
測り直すと更に上がって170。もう測らないほうがいいと思って止めました。

それでも、いろんな方から援護射撃を頂いて、9月5日の夕方、無事に
入稿を済ませて来ました。

猿やリスなら難無くササッと登れてしまう低木でも、やはり豚にはしんどい
木登りでした。


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