年の瀬・2019
2019年12月30日(月)
令和最初の年も、残り一日と少しになりました。
今年もいろいろなことがありました。
5月1日、御代替わりと共に、「令和」の時代が幕を開けました。
昨年は6月中に梅雨が明け、その後のとてつもない猛暑に
辟易した夏を送りましたが、今年は7月下旬まで梅雨が明けず、
冷夏かな、と思いきや、またまた記録的な猛暑の到来となり
ました。
そして秋には台風が相次いで襲来し、豪雨による未曽有の
被害をもたらしました。
11月以降は、比較的穏やかな中で推移しておりますが、
12月に入ってからは、気温の乱高下が著しく、これは明日の
大晦日まで続くようです。
個人的には、4月に古稀を迎え、「そうか、『古来稀なり』と
言われたところまで無事に到達したのだ」との感慨を抱いたの
ですが、その後、70歳になることはこういうことなのか、と思い
知らされるような体調不良に陥り、気持ちが萎えそうになること
もありました。
でもそんな時、講読会に出掛け、皆さまと一緒に『源氏物語』に
向かい合っていると、不思議と身体の不調を忘れていることが
出来ました。
主治医から専門医を紹介され受診した結果が、三日前に出て、
「経過観察」となり、ホッとしています。この間、多くの方々に
ご心配をおかけしましたが、ご安心いただける報告が出来て
良かったです。
秋が終わる頃、義母が天寿を全うしてあの世へと旅立ちました。
ですので、年明けのご挨拶は控えさせていただきます。
この一年も拙いブログにお付き合い下さって、有難うございました。
皆さまどうぞよいお年をお迎えくださいませ。
令和最初の年も、残り一日と少しになりました。
今年もいろいろなことがありました。
5月1日、御代替わりと共に、「令和」の時代が幕を開けました。
昨年は6月中に梅雨が明け、その後のとてつもない猛暑に
辟易した夏を送りましたが、今年は7月下旬まで梅雨が明けず、
冷夏かな、と思いきや、またまた記録的な猛暑の到来となり
ました。
そして秋には台風が相次いで襲来し、豪雨による未曽有の
被害をもたらしました。
11月以降は、比較的穏やかな中で推移しておりますが、
12月に入ってからは、気温の乱高下が著しく、これは明日の
大晦日まで続くようです。
個人的には、4月に古稀を迎え、「そうか、『古来稀なり』と
言われたところまで無事に到達したのだ」との感慨を抱いたの
ですが、その後、70歳になることはこういうことなのか、と思い
知らされるような体調不良に陥り、気持ちが萎えそうになること
もありました。
でもそんな時、講読会に出掛け、皆さまと一緒に『源氏物語』に
向かい合っていると、不思議と身体の不調を忘れていることが
出来ました。
主治医から専門医を紹介され受診した結果が、三日前に出て、
「経過観察」となり、ホッとしています。この間、多くの方々に
ご心配をおかけしましたが、ご安心いただける報告が出来て
良かったです。
秋が終わる頃、義母が天寿を全うしてあの世へと旅立ちました。
ですので、年明けのご挨拶は控えさせていただきます。
この一年も拙いブログにお付き合い下さって、有難うございました。
皆さまどうぞよいお年をお迎えくださいませ。
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見なければよかった・・・源氏の思い
2019年12月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第45回・№2)
今年最後の講読会となりました。特に秋以降、体調不良に見舞われ
ながらも、なんとか休講無しで、この一年も除夜の鐘と同じ数の108回
の講読会(「源氏物語」96回、「枕草子」12回)をこなすことができました。
これも偏にご参加くださった皆さまのおかげです。
今月の「紫の会」は、第9帖「葵」の後半、葵の上の死と、残された人々
の様子を記したところを読みました。
葵の上を失い、生前夫婦としての絆を深めることができなかったことを
悔やむ源氏ですが、それでも、葵の上は、そうした早世する運命だった
のだ、と諦めざるを得ません。
一方、葵の上との車争いに端を発し、生霊となって葵の上を死に至ら
しめた六条御息所からも、弔問のお手紙が届きます。紙の色、筆跡、
文面、手紙が付けてある花の枝に至るまで、全てにおいて行き届いた
御息所からの手紙だけに、さすがに、投げ捨てる気はしません。でも、
あの時の生霊となった御息所のことを思い出すと、その弔問のお便り
自体が、白々しく感じられます。
ここで源氏は、「何にさることを、さださだとけざやかに見聞きけむ」
(どうしてあんなことをまざまざと見聞してしまったのだろう)と残念に
思います。御息所を厭わしく感じることを打ち消すことは出来ない、でも、
妻を死に追いやった犯人として責め切ることも出来ない、それが源氏の
御息所への感情なのです。
ですから、御息所が娘の斎宮と一緒に野宮にお移りになり、その風流さに
心惹かれて殿上人たちが日参しているとの噂が伝わって来ると、源氏は
「もし世の中に飽き果てて下りたまひなば、さうざうしくもあるべきかなと、
さすがにおぼされけり」(もし自分との仲に見切りをつけて伊勢に下向して
しまわれたなら、物足りなくなることだろうなぁと、さすがにお思いになって
いた)、となるのですよね。
『源氏物語』では、女君たちの苦しみ、哀しみに比べて、男君たちは総じて
身勝手に映ります。それは作者が、現実社会で痛感していたからなのかも
しれません。
本日の講読箇所のストーリーは、12/9の「葵の巻・全文訳(9)」と、今日
先に書きました「葵の巻・全文訳(10)」を併せてお読みいただければ、と
存じます。
今年最後の講読会となりました。特に秋以降、体調不良に見舞われ
ながらも、なんとか休講無しで、この一年も除夜の鐘と同じ数の108回
の講読会(「源氏物語」96回、「枕草子」12回)をこなすことができました。
これも偏にご参加くださった皆さまのおかげです。
今月の「紫の会」は、第9帖「葵」の後半、葵の上の死と、残された人々
の様子を記したところを読みました。
葵の上を失い、生前夫婦としての絆を深めることができなかったことを
悔やむ源氏ですが、それでも、葵の上は、そうした早世する運命だった
のだ、と諦めざるを得ません。
一方、葵の上との車争いに端を発し、生霊となって葵の上を死に至ら
しめた六条御息所からも、弔問のお手紙が届きます。紙の色、筆跡、
文面、手紙が付けてある花の枝に至るまで、全てにおいて行き届いた
御息所からの手紙だけに、さすがに、投げ捨てる気はしません。でも、
あの時の生霊となった御息所のことを思い出すと、その弔問のお便り
自体が、白々しく感じられます。
ここで源氏は、「何にさることを、さださだとけざやかに見聞きけむ」
(どうしてあんなことをまざまざと見聞してしまったのだろう)と残念に
思います。御息所を厭わしく感じることを打ち消すことは出来ない、でも、
妻を死に追いやった犯人として責め切ることも出来ない、それが源氏の
御息所への感情なのです。
ですから、御息所が娘の斎宮と一緒に野宮にお移りになり、その風流さに
心惹かれて殿上人たちが日参しているとの噂が伝わって来ると、源氏は
「もし世の中に飽き果てて下りたまひなば、さうざうしくもあるべきかなと、
さすがにおぼされけり」(もし自分との仲に見切りをつけて伊勢に下向して
しまわれたなら、物足りなくなることだろうなぁと、さすがにお思いになって
いた)、となるのですよね。
『源氏物語』では、女君たちの苦しみ、哀しみに比べて、男君たちは総じて
身勝手に映ります。それは作者が、現実社会で痛感していたからなのかも
しれません。
本日の講読箇所のストーリーは、12/9の「葵の巻・全文訳(9)」と、今日
先に書きました「葵の巻・全文訳(10)」を併せてお読みいただければ、と
存じます。
第9帖「葵」の全文訳(10)
2019年12月26日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第45回・№1)
「紫の会」の第4木曜日クラスは、第2月曜日クラスと同じところを
読みました(92頁・3行目~99頁・13行目迄)。前半部分の全文訳
は、12/9に書きましたので(こちらからどうぞ)、今日は後半部分
(96頁・3行目~99頁・13行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君は二条院にさえ、ほんのちょっともお帰りにならず、しみじみと
心から思い嘆いて、勤行を真面目になさりながら、日々を過ごしておられ
ます。
あの六条御息所は、斎宮が初斎院となった左衛門の司にお入りになった
ので、いっそう厳重なご潔斎をなさっていることを口実に、源氏の君は
お手紙の遣り取りもなさいません。源氏の君は御息所のことで、つくづく
嫌だと思われるようになった男女の仲も、今はすべてが厭わしくおなりに
なって、このような妨げになる若君さえ生まれていなければ、望み通りの
出家姿にもなれようものを、とお思いになるにつけて、先ず、二条院の
西の対の姫君(若紫)が、さびしくお過ごしであろうご様子が、即座に
思い出されるのでありました。
夜は御帳台の中で源氏の君はお一人でお休みになるので、宿直を務める
女房たちが周りを取り巻いて控えておりますが、お側が寂しくて、「時しも
あれ」(生きている人に対してさえ恋しくてならない秋に人は死んでよいもの
であろうか)と、源氏の君は寝覚めがちでいらっしゃいますので、声の良い
僧ばかりを選んで侍らせておられる念仏が行われる暁方などは、切なくて
忍び難いのでした。
深い秋の風情のまさっていく風の音が、身にしみることだなあと、源氏の君
が、馴れない独り寝に明かしかねていらっしゃる夜明けの霧が立ち込めて
いる時に、菊の咲き始めた枝に、濃い青鈍色の紙に書いた手紙をつけて、
誰とも告げず、そっと置いて立ち去った者がおりました。随分と洒落て気が
利いているなぁ、と思ってご覧になると、御息所のご筆跡でした。
「ご遠慮してお便りも差し上げずにおりました日頃の私の気持ちはお分かり
いただけましょうか、
人の世をあはれときくも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ(人が亡くなられ
たと聞いてこの世を無常と思うにつけても、残されたあなたの袖はどんなに
涙で濡れていることかとお察しいたしております)
只今の空の様子に忍びかねまして」
と書かれておりました。いつもより見事にお書きになっているなぁと、流石に
その手紙を下に置きかねてご覧になるものの、素知らぬ顔をしてご弔問など
なさることだ、と嫌な気がします。かといって、このまま全くお便りを差し上げ
ないのもおいたわしいし、御息所のお名に傷がつくことになってしまおう、と、
思い乱れておられます。
亡くなった葵の上は、どうあってもそうなる運命でいらっしゃったのであろうが、
どうしてあんなことをまざまざと見聞してしまったのだろうと、残念でならない
以上、やはり自分でも御息所を疎ましく思う気持ちを思い直すことがお出来
にならなかったのでしょうね。
斎宮のご潔斎にも差し障りがあろうか、などと源氏の君は長くためらって
おいででしたが、わざわざくださったお手紙にお返事をしないのは思い遣り
に欠けるのではないかと、紫の鈍色ががった紙に、
「すっかり日が経ちましたけれど、あなたのことを疎かに存じ上げている訳
ではございませんが、ご遠慮してお便りも差し上げずにいる私の気持ちは、
それならお分かりいただけていると思いまして。
とまる身も消えしもおなじ露の世に心置くらむほどぞはかなき(生き残った
者も死んだ者も、いずれも同じ露のようにはかなく消えるこの世に、執着を
持つのは虚しいことでありましょう)
あなたもその執着をお忘れくださいませ。ご覧いただけないかと思います
ので、こちらもこれだけで」
と、申し上げなさいました。
御息所はご自宅においでの時だったので、こっそりとご覧になり、源氏の君
がそれとなく仄めかしていらっしゃる様子を、良心の呵責ではっきりとお悟り
になって、やはりそうだったのか、とお思いになるにつけてもとても堪らない
のでした。
「やはりこの上なくつらい身の上だったのだ、このような噂が広まっては、
桐壺院もなんと思われよう。亡き東宮が同じご兄弟という中でも、お互い
にたいそう仲良くしていらして、この斎宮のことも、こまごまと桐壺院に
ご依頼申し上げなさったので、亡き東宮の代わりにご自分がそのまま
お世話申し上げよう、と桐壺院がいつもおっしゃり、ずっと宮中でお暮し
なさい、と度々御息所におっしゃってくださったのさえ、とんでもないことと
考えてもみなかったのに、桐壺院のお申し出を固辞した心とは裏腹に、
年甲斐もなく源氏の君とのことで物思いをし、とうとう情けない評判まで
流してしまうに違いないと、悶々としておられると、未だにお身体もいつも
のようではなくておいででした。
けれど、御息所は大方のところ、奥ゆかしく風雅な方だとの評判が昔から
名高くていらっしゃるので、野宮にお移りになった時も、風情ある洒落た
趣向を多く凝らして、殿上人たちで風流な者たちなどは、朝夕嵯峨野の
露を分けて野宮を訪れるのをその頃の仕事にしている、などとお耳に
なさるにつけても、源氏の君は「無理もないことだ、たしなみはどこまでも
深いお方なのに、もし自分との仲に見切りをつけて、伊勢に下向して
しまわれたなら、物足りなくなることだろうなぁと、」と、さすがにお思いに
なっておりました。
「紫の会」の第4木曜日クラスは、第2月曜日クラスと同じところを
読みました(92頁・3行目~99頁・13行目迄)。前半部分の全文訳
は、12/9に書きましたので(こちらからどうぞ)、今日は後半部分
(96頁・3行目~99頁・13行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君は二条院にさえ、ほんのちょっともお帰りにならず、しみじみと
心から思い嘆いて、勤行を真面目になさりながら、日々を過ごしておられ
ます。
あの六条御息所は、斎宮が初斎院となった左衛門の司にお入りになった
ので、いっそう厳重なご潔斎をなさっていることを口実に、源氏の君は
お手紙の遣り取りもなさいません。源氏の君は御息所のことで、つくづく
嫌だと思われるようになった男女の仲も、今はすべてが厭わしくおなりに
なって、このような妨げになる若君さえ生まれていなければ、望み通りの
出家姿にもなれようものを、とお思いになるにつけて、先ず、二条院の
西の対の姫君(若紫)が、さびしくお過ごしであろうご様子が、即座に
思い出されるのでありました。
夜は御帳台の中で源氏の君はお一人でお休みになるので、宿直を務める
女房たちが周りを取り巻いて控えておりますが、お側が寂しくて、「時しも
あれ」(生きている人に対してさえ恋しくてならない秋に人は死んでよいもの
であろうか)と、源氏の君は寝覚めがちでいらっしゃいますので、声の良い
僧ばかりを選んで侍らせておられる念仏が行われる暁方などは、切なくて
忍び難いのでした。
深い秋の風情のまさっていく風の音が、身にしみることだなあと、源氏の君
が、馴れない独り寝に明かしかねていらっしゃる夜明けの霧が立ち込めて
いる時に、菊の咲き始めた枝に、濃い青鈍色の紙に書いた手紙をつけて、
誰とも告げず、そっと置いて立ち去った者がおりました。随分と洒落て気が
利いているなぁ、と思ってご覧になると、御息所のご筆跡でした。
「ご遠慮してお便りも差し上げずにおりました日頃の私の気持ちはお分かり
いただけましょうか、
人の世をあはれときくも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ(人が亡くなられ
たと聞いてこの世を無常と思うにつけても、残されたあなたの袖はどんなに
涙で濡れていることかとお察しいたしております)
只今の空の様子に忍びかねまして」
と書かれておりました。いつもより見事にお書きになっているなぁと、流石に
その手紙を下に置きかねてご覧になるものの、素知らぬ顔をしてご弔問など
なさることだ、と嫌な気がします。かといって、このまま全くお便りを差し上げ
ないのもおいたわしいし、御息所のお名に傷がつくことになってしまおう、と、
思い乱れておられます。
亡くなった葵の上は、どうあってもそうなる運命でいらっしゃったのであろうが、
どうしてあんなことをまざまざと見聞してしまったのだろうと、残念でならない
以上、やはり自分でも御息所を疎ましく思う気持ちを思い直すことがお出来
にならなかったのでしょうね。
斎宮のご潔斎にも差し障りがあろうか、などと源氏の君は長くためらって
おいででしたが、わざわざくださったお手紙にお返事をしないのは思い遣り
に欠けるのではないかと、紫の鈍色ががった紙に、
「すっかり日が経ちましたけれど、あなたのことを疎かに存じ上げている訳
ではございませんが、ご遠慮してお便りも差し上げずにいる私の気持ちは、
それならお分かりいただけていると思いまして。
とまる身も消えしもおなじ露の世に心置くらむほどぞはかなき(生き残った
者も死んだ者も、いずれも同じ露のようにはかなく消えるこの世に、執着を
持つのは虚しいことでありましょう)
あなたもその執着をお忘れくださいませ。ご覧いただけないかと思います
ので、こちらもこれだけで」
と、申し上げなさいました。
御息所はご自宅においでの時だったので、こっそりとご覧になり、源氏の君
がそれとなく仄めかしていらっしゃる様子を、良心の呵責ではっきりとお悟り
になって、やはりそうだったのか、とお思いになるにつけてもとても堪らない
のでした。
「やはりこの上なくつらい身の上だったのだ、このような噂が広まっては、
桐壺院もなんと思われよう。亡き東宮が同じご兄弟という中でも、お互い
にたいそう仲良くしていらして、この斎宮のことも、こまごまと桐壺院に
ご依頼申し上げなさったので、亡き東宮の代わりにご自分がそのまま
お世話申し上げよう、と桐壺院がいつもおっしゃり、ずっと宮中でお暮し
なさい、と度々御息所におっしゃってくださったのさえ、とんでもないことと
考えてもみなかったのに、桐壺院のお申し出を固辞した心とは裏腹に、
年甲斐もなく源氏の君とのことで物思いをし、とうとう情けない評判まで
流してしまうに違いないと、悶々としておられると、未だにお身体もいつも
のようではなくておいででした。
けれど、御息所は大方のところ、奥ゆかしく風雅な方だとの評判が昔から
名高くていらっしゃるので、野宮にお移りになった時も、風情ある洒落た
趣向を多く凝らして、殿上人たちで風流な者たちなどは、朝夕嵯峨野の
露を分けて野宮を訪れるのをその頃の仕事にしている、などとお耳に
なさるにつけても、源氏の君は「無理もないことだ、たしなみはどこまでも
深いお方なのに、もし自分との仲に見切りをつけて、伊勢に下向して
しまわれたなら、物足りなくなることだろうなぁと、」と、さすがにお思いに
なっておりました。
カーテンの洗濯
2019年12月24日(火)
去年の今頃、カーテンの洗濯で、レールからカーテンを外し、
洗ってまた取り付ける、その作業をしたら、「胸鎖関節炎」
なるものを起こし、整形外科のお世話になりました。
毎年この時期、お歳暮で戴く「喜多方ラーメン」が大好物の
孫たちに、お昼ご飯でラーメンを食べさせますが、今年は
カーテンの取り外しと取り付けを、その時にやって欲しい、
と頼んでいました。
6年生の上の孫は、入って来るなり、「カーテン外しとくから、
ばーばはラーメン作って」と、もう何も指示せずとも、サッサと
カーテンを外していきます。4年生の下の孫も、兄の指図の
もと、結構頑張ってくれました。
取り外しは全部終わっても、洗濯機で1回に洗える枚数は
限られているので、3時に友達と遊ぶ約束をしている孫たち
は、最初に洗った分を取り付けたところで時間切れ。それでも
随分助かりました。
帰ろうとして、玄関のドアスコープが見えなくなってるね、と
いう話になりました。私が「そうなの、だいぶ前からガラスが
毀れちゃったみたい」と言うと、上の孫が「ばーば、ガラスが
毀れたりしてるんじゃないよ。クモの巣が付いてるだけだよ」
と言って、つま楊枝とティッシュで、器用に綺麗に取り除いて
くれました。
12歳というのは、もうこんなに頼りになる歳なのですね。
入れ替わるようにして、仕事から帰って来た嫁が、助っ人に
馳せ参じてくれました。今年のカーテンの洗濯、私はとっても
楽をさせてもらったので、腕も肩も全く痛くありません。孫たち、
嫁に感謝、感謝です。
去年の今頃、カーテンの洗濯で、レールからカーテンを外し、
洗ってまた取り付ける、その作業をしたら、「胸鎖関節炎」
なるものを起こし、整形外科のお世話になりました。
毎年この時期、お歳暮で戴く「喜多方ラーメン」が大好物の
孫たちに、お昼ご飯でラーメンを食べさせますが、今年は
カーテンの取り外しと取り付けを、その時にやって欲しい、
と頼んでいました。
6年生の上の孫は、入って来るなり、「カーテン外しとくから、
ばーばはラーメン作って」と、もう何も指示せずとも、サッサと
カーテンを外していきます。4年生の下の孫も、兄の指図の
もと、結構頑張ってくれました。
取り外しは全部終わっても、洗濯機で1回に洗える枚数は
限られているので、3時に友達と遊ぶ約束をしている孫たち
は、最初に洗った分を取り付けたところで時間切れ。それでも
随分助かりました。
帰ろうとして、玄関のドアスコープが見えなくなってるね、と
いう話になりました。私が「そうなの、だいぶ前からガラスが
毀れちゃったみたい」と言うと、上の孫が「ばーば、ガラスが
毀れたりしてるんじゃないよ。クモの巣が付いてるだけだよ」
と言って、つま楊枝とティッシュで、器用に綺麗に取り除いて
くれました。
12歳というのは、もうこんなに頼りになる歳なのですね。
入れ替わるようにして、仕事から帰って来た嫁が、助っ人に
馳せ参じてくれました。今年のカーテンの洗濯、私はとっても
楽をさせてもらったので、腕も肩も全く痛くありません。孫たち、
嫁に感謝、感謝です。
もしかしてその笛は?
2019年12月23日(月) 溝の口「湖月会」(第138回)
平成の時には今日は天皇誕生日でした。令和となった今年はもう
平日です。
このクラスは、第2金曜日クラスと足並みを揃えていますので、同じ
箇所(第46帖「椎本」の冒頭部分)を読みました。
初瀬詣の帰途、宇治に立ち寄った匂宮一行は、夕霧の別荘(今の
平等院辺りと考えられている)を宿とし、夕方から管弦の遊びが
始まりました。
その楽の音色は、宇治川の対岸にある八の宮邸にも聞こえてきます。
八の宮が昔を懐かしんで耳を澄ましておられると、見事な横笛の音が
届いて来て、八の宮は「誰が吹いているのだろう。源氏の君(八の宮の
兄)の横笛は情趣に富み、心そそられる音色だった。これはもっと澄み
切った格別の風情がある。致仕の大臣(柏木の父)の一族の笛の音に
似ているようだ」と、独り言をおっしゃるのでした。
読者はここで、この笛を吹いているのは当然薫だ、と察しが付きます。
そして、もしかしてこれは、あの柏木の遺愛の横笛ではないか、との
思いを巡らす方もいらっしゃるのではないでしょうか。
第39帖「横笛」で、夕霧が、柏木の未亡人・落葉の宮の母(一条御息所)
から横笛を貰い受けた夜、夢枕に立った柏木は「その笛を伝えたい人は
他にいる」と告げました。夕霧が父・源氏にその話をすると、思い当たる
ところのある源氏は、自分がその笛は預かろう、と言いましたね。
あれからあの笛はどうなったのか、おそらく源氏が薫に与えたであろう
ことは想像できるのですが、ここで「ああ、きっとあの笛だろう」とわかり
ます。
でもまだはっきりそうだ、と言っているわけではありません。最終的に
それがわかるのは、第49帖「宿木」で、今上帝の女二の宮と結婚した
薫が、藤の宴の席で、見事に横笛を吹き立てた時です。ここで作者は、
その笛が柏木の遺愛の笛であることを、読者にも知らせます。
今回読んだ場面が、この「宿木」の巻の場面に繋がる伏線になっている
のですね。
平成の時には今日は天皇誕生日でした。令和となった今年はもう
平日です。
このクラスは、第2金曜日クラスと足並みを揃えていますので、同じ
箇所(第46帖「椎本」の冒頭部分)を読みました。
初瀬詣の帰途、宇治に立ち寄った匂宮一行は、夕霧の別荘(今の
平等院辺りと考えられている)を宿とし、夕方から管弦の遊びが
始まりました。
その楽の音色は、宇治川の対岸にある八の宮邸にも聞こえてきます。
八の宮が昔を懐かしんで耳を澄ましておられると、見事な横笛の音が
届いて来て、八の宮は「誰が吹いているのだろう。源氏の君(八の宮の
兄)の横笛は情趣に富み、心そそられる音色だった。これはもっと澄み
切った格別の風情がある。致仕の大臣(柏木の父)の一族の笛の音に
似ているようだ」と、独り言をおっしゃるのでした。
読者はここで、この笛を吹いているのは当然薫だ、と察しが付きます。
そして、もしかしてこれは、あの柏木の遺愛の横笛ではないか、との
思いを巡らす方もいらっしゃるのではないでしょうか。
第39帖「横笛」で、夕霧が、柏木の未亡人・落葉の宮の母(一条御息所)
から横笛を貰い受けた夜、夢枕に立った柏木は「その笛を伝えたい人は
他にいる」と告げました。夕霧が父・源氏にその話をすると、思い当たる
ところのある源氏は、自分がその笛は預かろう、と言いましたね。
あれからあの笛はどうなったのか、おそらく源氏が薫に与えたであろう
ことは想像できるのですが、ここで「ああ、きっとあの笛だろう」とわかり
ます。
でもまだはっきりそうだ、と言っているわけではありません。最終的に
それがわかるのは、第49帖「宿木」で、今上帝の女二の宮と結婚した
薫が、藤の宴の席で、見事に横笛を吹き立てた時です。ここで作者は、
その笛が柏木の遺愛の笛であることを、読者にも知らせます。
今回読んだ場面が、この「宿木」の巻の場面に繋がる伏線になっている
のですね。
どうしてのこのこ出掛けて来たのだろう
2019年12月20日(金) 溝の口「枕草子」(第39回)
今週は、暖(月)‐寒(火)‐暖(水)‐寒(木)‐暖(金)と、見事に
暖かな日と寒い日が交互になっていますが、明日からは寒‐寒
となるようです。今日のような青空の広がる暖かな日が、年の瀬
には嬉しいのですけどね。
本年最後の「枕草子」は、第220段~第224段までを読みました。
今日のところは、どの段も全部ご紹介しておきたい要素があって、
どこにしよう、としばらくテキストとにらめっこしていましたが、結局、
最初に読んだ第220段にしました。
でも、ちょっとだけ他の段のことも先に書かせていただきますね。
第221段は、清少納言が出仕してまだ1年にも満たない、中宮定子
が一番幸せだった頃の、二人の間で交わされた打てば響く機知の
応酬を記した段ですが、ここでの面白さは、絵文字を使ったメール
を思わせる手紙の遣り取りでしょう。
第222段~第224段までの3段は、中宮定子の晩年(この頃には
道長の娘・彰子が中宮になっていたので、定子は皇后に押し上げ
られていた)の悲哀が切なく胸を打つ段です。作者は定子の不幸を、
直接的には一切『枕草子』に書かない姿勢を貫いているだけに、
この3段は、その背景にあるものを汲み取って読んでいただきたい
と思います。
さて話を戻して第220段です。清少納言は、賀茂の祭の行列見物に
行く時には、牛車の下簾なども新調して、ビシッと決めて出かける
ことに意義を見出しています。ところが、用意周到に準備したつもり
が、自分よりもさらに立派な下簾を付けている牛車を見かけると、
「何しに」(どうしてのこのこ出掛けて来たのだろう)と後悔し、敗北感
を味わうことになるのです。
これは『源氏物語』の「葵」の巻で、斎院御禊の行列の見物に出掛け
た際、車争いとなって、六条御息所が、葵の上の従者から、牛車を
毀された上、侮辱の言葉を浴びせられて、「何に来つらむ」(どうして
のこのこ出掛けて来たのだろう)と、思う場面と似ています。訳せば
同じになるのですが、基因するところは全く異なっています。御息所
の場合はプライドですが、清少納言の場合は単なる見栄、ですよね。
このあたりを比較しながら読むと、面白さが倍増しようかと思われる
段なのですが、いかがでしょうか。
今週は、暖(月)‐寒(火)‐暖(水)‐寒(木)‐暖(金)と、見事に
暖かな日と寒い日が交互になっていますが、明日からは寒‐寒
となるようです。今日のような青空の広がる暖かな日が、年の瀬
には嬉しいのですけどね。
本年最後の「枕草子」は、第220段~第224段までを読みました。
今日のところは、どの段も全部ご紹介しておきたい要素があって、
どこにしよう、としばらくテキストとにらめっこしていましたが、結局、
最初に読んだ第220段にしました。
でも、ちょっとだけ他の段のことも先に書かせていただきますね。
第221段は、清少納言が出仕してまだ1年にも満たない、中宮定子
が一番幸せだった頃の、二人の間で交わされた打てば響く機知の
応酬を記した段ですが、ここでの面白さは、絵文字を使ったメール
を思わせる手紙の遣り取りでしょう。
第222段~第224段までの3段は、中宮定子の晩年(この頃には
道長の娘・彰子が中宮になっていたので、定子は皇后に押し上げ
られていた)の悲哀が切なく胸を打つ段です。作者は定子の不幸を、
直接的には一切『枕草子』に書かない姿勢を貫いているだけに、
この3段は、その背景にあるものを汲み取って読んでいただきたい
と思います。
さて話を戻して第220段です。清少納言は、賀茂の祭の行列見物に
行く時には、牛車の下簾なども新調して、ビシッと決めて出かける
ことに意義を見出しています。ところが、用意周到に準備したつもり
が、自分よりもさらに立派な下簾を付けている牛車を見かけると、
「何しに」(どうしてのこのこ出掛けて来たのだろう)と後悔し、敗北感
を味わうことになるのです。
これは『源氏物語』の「葵」の巻で、斎院御禊の行列の見物に出掛け
た際、車争いとなって、六条御息所が、葵の上の従者から、牛車を
毀された上、侮辱の言葉を浴びせられて、「何に来つらむ」(どうして
のこのこ出掛けて来たのだろう)と、思う場面と似ています。訳せば
同じになるのですが、基因するところは全く異なっています。御息所
の場合はプライドですが、清少納言の場合は単なる見栄、ですよね。
このあたりを比較しながら読むと、面白さが倍増しようかと思われる
段なのですが、いかがでしょうか。
薫にとっての浮舟の存在価値
2019年12月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第220回)
昨日は寒い一日でしたが、今日は最高気温が20℃近くまで上がって
10月の陽気に。明日はまた真冬の寒さになるとのこと。師走に入って
からのこの気温の乱高下、一体どうなっているのでしょうか。
湘南台クラスは年内で第49帖「宿木」を読み終えたい、と思っており
ましたが、予定通りそこまで進みました。
「宿木」の最後で、初めて浮舟が姿を現します。薫が宇治に山寺の
御堂の工事状況を確認に行ったついでに、八の宮邸に一人残って
いる弁の尼を訪ねると、ちょうど初瀬詣の帰途、宇治に中宿りのため
やって来た浮舟一行と一緒になります。
中の君に存在を知らされ、弁の尼に素性を聞いた八の宮の隠し子と
偶然にも来合わせた薫は、腰が痛くなるまで、立ったまま身じろぎも
せず(襖の向こうにいる浮舟に気配を悟られないよう、細心の注意を
払っている)、襖の穴から浮舟を観察し続けます。なるほど大君に姿
かたちがとてもよく似ています。
「ただ今もはひ寄りて、『世の中におはしけるものを』と言ひなぐさめまほし」
(今すぐにでも側に寄って、「あなたは生きていらしたのですね」と言って
なぐさめてあげたい)と、浮舟の中に薫が見ているのは亡き大君です。
玄宗皇帝は楊貴妃の魂だけしか探し当てることが出来なかったけれど、
この人は大君とは別人でも、心を慰めることが出来るほどよく似ている、
と薫は考えます。
そして弁の尼と会った後、わざと独り言のようにして、
「貌鳥の声も聞きしにかよふやとしげみをわけて今日ぞ尋ぬる」(大君に
似た美しい人の声も、昔聞いた大君の声に似ているであろうかと、草の
茂みを分けて今日ここまで尋ねて来ました)
と歌を詠み、薫の意を体した弁の尼がこれを浮舟に伝えた、というところ
で「宿木」は終わっています。
中の君にその存在を告げられた時から、薫にとっての浮舟は、大君の
「形代」(身代わり)でしたが、垣間見しながら思っていることや、最後の
歌からしても、薫の中に浮舟自身の存在価値は皆無です。
このような形で登場した女君がどのような運命を辿ることになるのか、
いよいよ「宇治十帖」のハイライト、「浮舟」をヒロインとした物語が、
ここから始まります。
昨日は寒い一日でしたが、今日は最高気温が20℃近くまで上がって
10月の陽気に。明日はまた真冬の寒さになるとのこと。師走に入って
からのこの気温の乱高下、一体どうなっているのでしょうか。
湘南台クラスは年内で第49帖「宿木」を読み終えたい、と思っており
ましたが、予定通りそこまで進みました。
「宿木」の最後で、初めて浮舟が姿を現します。薫が宇治に山寺の
御堂の工事状況を確認に行ったついでに、八の宮邸に一人残って
いる弁の尼を訪ねると、ちょうど初瀬詣の帰途、宇治に中宿りのため
やって来た浮舟一行と一緒になります。
中の君に存在を知らされ、弁の尼に素性を聞いた八の宮の隠し子と
偶然にも来合わせた薫は、腰が痛くなるまで、立ったまま身じろぎも
せず(襖の向こうにいる浮舟に気配を悟られないよう、細心の注意を
払っている)、襖の穴から浮舟を観察し続けます。なるほど大君に姿
かたちがとてもよく似ています。
「ただ今もはひ寄りて、『世の中におはしけるものを』と言ひなぐさめまほし」
(今すぐにでも側に寄って、「あなたは生きていらしたのですね」と言って
なぐさめてあげたい)と、浮舟の中に薫が見ているのは亡き大君です。
玄宗皇帝は楊貴妃の魂だけしか探し当てることが出来なかったけれど、
この人は大君とは別人でも、心を慰めることが出来るほどよく似ている、
と薫は考えます。
そして弁の尼と会った後、わざと独り言のようにして、
「貌鳥の声も聞きしにかよふやとしげみをわけて今日ぞ尋ぬる」(大君に
似た美しい人の声も、昔聞いた大君の声に似ているであろうかと、草の
茂みを分けて今日ここまで尋ねて来ました)
と歌を詠み、薫の意を体した弁の尼がこれを浮舟に伝えた、というところ
で「宿木」は終わっています。
中の君にその存在を告げられた時から、薫にとっての浮舟は、大君の
「形代」(身代わり)でしたが、垣間見しながら思っていることや、最後の
歌からしても、薫の中に浮舟自身の存在価値は皆無です。
このような形で登場した女君がどのような運命を辿ることになるのか、
いよいよ「宇治十帖」のハイライト、「浮舟」をヒロインとした物語が、
ここから始まります。
下北沢「明日香」
2019年12月17日(火)
このブログでも度々記事にしてまいりました年3回の旧職場の
講師仲間による懇親会。今回は私に幹事が回って来たので、
下北沢にある日本料理の店「明日香」をランチの場所に選び
ました。
ここは前回の幹事の折に、高校同期の友人たちと下見に行き、
皆さまからもOKが出て、「では予約して帰りましょう」の段階で、
その時も今日と同じ火曜日だったのですが、通常定休日の
月曜日が、祝日などで営業の場合は、火曜日が代休になる
とのこと。ちょうどその火曜日に当たっていました。それなら
次回にぜひ、と思っていた処です。
下北沢駅の小田急線南西口から僅か30mの所にあるのですが、
渋谷駅同様、この駅もすっかり様変わりして、改札口の位置も
以前とは違うところになってしまいました。私も、前回とは異なり、
改札口を出て反対方向に行きましたが、殆ど皆さま、迷って
しまわれたようです。分かり難い場所にしてすみませんでした。
床暖房の効いた椅子席の個室が用意されて、美味しいお料理が
次々に運ばれてまいりました。このお店のお料理も、一つ一つが
とても丁寧に作られていて、料理人の方のプロの心意気が感じ
られるものばかりでした。供された七品、今日は忘れず全部写真に
収めましたので、どれをUPしようかと迷いましたが、とりわけ美味しく
感じられた二品を。

自家製の厚揚げ豆腐と鯛のお椀。厚揚げ豆腐はふっくら、
鯛の身が柔らかくて美味。すっきりとしたお出しも◎

大きな土鍋で炊き出された五目ご飯。何人かはお代わり
しましたが(もちろん私も)、まだ沢山残り、お土産用にした
ものを戴かれた方も。
いつものことながら時の経つのも忘れて、舌鼓を打ち、お喋りに
興じた2時間余でした。
心配していた雨もお昼前に上がって、傘も使わずに済みました。
最後に恒例の顔がはっきりと分からない集合写真です。

このブログでも度々記事にしてまいりました年3回の旧職場の
講師仲間による懇親会。今回は私に幹事が回って来たので、
下北沢にある日本料理の店「明日香」をランチの場所に選び
ました。
ここは前回の幹事の折に、高校同期の友人たちと下見に行き、
皆さまからもOKが出て、「では予約して帰りましょう」の段階で、
その時も今日と同じ火曜日だったのですが、通常定休日の
月曜日が、祝日などで営業の場合は、火曜日が代休になる
とのこと。ちょうどその火曜日に当たっていました。それなら
次回にぜひ、と思っていた処です。
下北沢駅の小田急線南西口から僅か30mの所にあるのですが、
渋谷駅同様、この駅もすっかり様変わりして、改札口の位置も
以前とは違うところになってしまいました。私も、前回とは異なり、
改札口を出て反対方向に行きましたが、殆ど皆さま、迷って
しまわれたようです。分かり難い場所にしてすみませんでした。
床暖房の効いた椅子席の個室が用意されて、美味しいお料理が
次々に運ばれてまいりました。このお店のお料理も、一つ一つが
とても丁寧に作られていて、料理人の方のプロの心意気が感じ
られるものばかりでした。供された七品、今日は忘れず全部写真に
収めましたので、どれをUPしようかと迷いましたが、とりわけ美味しく
感じられた二品を。

自家製の厚揚げ豆腐と鯛のお椀。厚揚げ豆腐はふっくら、
鯛の身が柔らかくて美味。すっきりとしたお出しも◎

大きな土鍋で炊き出された五目ご飯。何人かはお代わり
しましたが(もちろん私も)、まだ沢山残り、お土産用にした
ものを戴かれた方も。
いつものことながら時の経つのも忘れて、舌鼓を打ち、お喋りに
興じた2時間余でした。
心配していた雨もお昼前に上がって、傘も使わずに済みました。
最後に恒例の顔がはっきりと分からない集合写真です。

三組めの男性コンビ
2019年12月13日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第138回)
昨日の最高気温は18℃、今日の最高気温は9℃。たった一日で
半分にまで下がってしまうなんて!何を着ようか、と悩んでしまい、
体調管理も大変です。
溝の口の第2金曜日のクラスと第4月曜日の「湖月会」は、今月から
第46帖「椎本」です。
『源氏物語』では、第一部、第二部、第三部、それぞれに男性コンビ
が登場します。第一部では「源氏」と「頭中将」、第二部では「夕霧」と
「柏木」、そして第三部では「薫」と「匂宮」です。
源氏の父(桐壺帝)と頭中将の母(大宮)は兄妹、夕霧の母(葵の上)
と柏木の父(頭中将)も兄妹(これは近年、姉弟説が有力になって
来ていますが)、薫の母(女三の宮)と匂宮の父(今上帝)も兄妹です。
つまりこの三組は、すべて従兄弟同士、という血の繋がりがあります。
源氏も夕霧も薫も、正妻はコンビである男性の妹、という似通った
状況設定がなされており、三組共、無二の親友として強い友情で
結ばれている一方、源氏と頭中将、薫と匂宮にはライバル意識も
顕著です。
友情のほうが前面に押し出されているのは、第二部の夕霧と柏木で、
この二人の間には、一人の女性を巡ってライバル意識をむき出しに
する場面などはありません。
源氏と頭中将の場合は、「末摘花」、「源典侍」といった、滑稽さを伴う
女性を対象にした時、ライバル心が発揮されていますが、それは
笑い話の内に付すことが出来る類のものです。
しかし、第三部の薫と匂宮となると、その女性を巡ってのライバル心も
深刻さが増します。
対照的な性格の薫と匂宮。「橋姫」では殆ど語られることのなかった
匂宮が、この「椎本」の巻では冒頭から参入してきます。
薫が大君・中の君を垣間見る→好色な匂宮にそれを話して羨ましがらせ、
好奇心をそそる→匂宮が初瀬詣の帰途、宇治に寄り、八の宮の姫君に
歌を贈る→中の君が返事を書き、以後二人の間で文通が始まる
といった、無理のないストーリー展開の中で、匂宮も交えた宇治の恋物語
が始まろうとしています。今はその前夜、といったところでしょうか。
昨日の最高気温は18℃、今日の最高気温は9℃。たった一日で
半分にまで下がってしまうなんて!何を着ようか、と悩んでしまい、
体調管理も大変です。
溝の口の第2金曜日のクラスと第4月曜日の「湖月会」は、今月から
第46帖「椎本」です。
『源氏物語』では、第一部、第二部、第三部、それぞれに男性コンビ
が登場します。第一部では「源氏」と「頭中将」、第二部では「夕霧」と
「柏木」、そして第三部では「薫」と「匂宮」です。
源氏の父(桐壺帝)と頭中将の母(大宮)は兄妹、夕霧の母(葵の上)
と柏木の父(頭中将)も兄妹(これは近年、姉弟説が有力になって
来ていますが)、薫の母(女三の宮)と匂宮の父(今上帝)も兄妹です。
つまりこの三組は、すべて従兄弟同士、という血の繋がりがあります。
源氏も夕霧も薫も、正妻はコンビである男性の妹、という似通った
状況設定がなされており、三組共、無二の親友として強い友情で
結ばれている一方、源氏と頭中将、薫と匂宮にはライバル意識も
顕著です。
友情のほうが前面に押し出されているのは、第二部の夕霧と柏木で、
この二人の間には、一人の女性を巡ってライバル意識をむき出しに
する場面などはありません。
源氏と頭中将の場合は、「末摘花」、「源典侍」といった、滑稽さを伴う
女性を対象にした時、ライバル心が発揮されていますが、それは
笑い話の内に付すことが出来る類のものです。
しかし、第三部の薫と匂宮となると、その女性を巡ってのライバル心も
深刻さが増します。
対照的な性格の薫と匂宮。「橋姫」では殆ど語られることのなかった
匂宮が、この「椎本」の巻では冒頭から参入してきます。
薫が大君・中の君を垣間見る→好色な匂宮にそれを話して羨ましがらせ、
好奇心をそそる→匂宮が初瀬詣の帰途、宇治に寄り、八の宮の姫君に
歌を贈る→中の君が返事を書き、以後二人の間で文通が始まる
といった、無理のないストーリー展開の中で、匂宮も交えた宇治の恋物語
が始まろうとしています。今はその前夜、といったところでしょうか。
葵の上の死
2019年12月9日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第45回・№2)
「紫の会」は、第9帖「葵」の後半に入っています。本日読んだところの
最初で、葵の上が亡くなります。男性陣が皆宮中に出掛けてしまい、
祈祷の僧侶たちを呼び寄せる間もありませんでした。力ある者不在に
乗じて憑りついた物の怪にあっけなく命を奪われてしまったのです。
葵の上の生涯を振り返ってみましょう。
桐壺帝の信任が厚い左大臣を父に、その桐壺帝の妹を母に、左大臣家
の長女として誕生しました。大切に育てられ、16歳で4歳年下の源氏と、
父親同士の政略によって結婚しました。藤壺を慕う源氏は、お嬢さま育ち
で取り澄ました葵の上に馴染めず、葵の上も気位が高いだけに、そうした
源氏に寄り添おうとせず、ずっと夫婦関係は冷え切っていました。
結婚から10年経って、葵の上は懐妊しました。折から生じた六条御息所
との車争い。葵の上の従者たちの働いた狼藉によってひどくプライドを
傷つけられた御息所は、やがて生霊となって葵の上に憑りつき、ついに
死に至らしめてしまいました。葵の上、享年26。
権勢家左大臣が、后腹の内親王との間に儲けた姫君で、天下の光源氏
の正妻、となれば、誰もが羨む境遇です。でも幸せとはそうしたものでは
ない、と葵の上が教えてくれています。
源氏との間に一度の歌の贈答もなく(「源氏物語」の中で、葵の上は一首
の歌も詠んでいません)、若い命を終えてしまいました。六条御息所が
「葵」「賢木」の両巻で、源氏と6回の歌の贈答をしているのとは対照的です。
葵の上の唯一の救いは、夕霧という忘れ形見を残すことができたことと、
死の直前に源氏とわずかながらも心をかよわすことができたことだと思い
ます。因みに夕霧は、「宇治十帖」では50代に入り、時の権力者として君臨
しています。子沢山でもあり、葵の上は産んだ子どもは1人ですが、孫は
12人にもなっています。
我々はこの女君を「葵の上」と呼んでいますが、彼女の名前が「葵」だった
わけではありません(いかにも名前らしいですけどね)。この「葵」の巻で
クローズアップされ、そして亡くなってしまうので、巻名の「葵」が呼称と
なっているのです。
葵の上の死から葬送、残された人たちの思い、詳しくは「葵の全文訳(9)」を
お読みいただければと思います。
「紫の会」は、第9帖「葵」の後半に入っています。本日読んだところの
最初で、葵の上が亡くなります。男性陣が皆宮中に出掛けてしまい、
祈祷の僧侶たちを呼び寄せる間もありませんでした。力ある者不在に
乗じて憑りついた物の怪にあっけなく命を奪われてしまったのです。
葵の上の生涯を振り返ってみましょう。
桐壺帝の信任が厚い左大臣を父に、その桐壺帝の妹を母に、左大臣家
の長女として誕生しました。大切に育てられ、16歳で4歳年下の源氏と、
父親同士の政略によって結婚しました。藤壺を慕う源氏は、お嬢さま育ち
で取り澄ました葵の上に馴染めず、葵の上も気位が高いだけに、そうした
源氏に寄り添おうとせず、ずっと夫婦関係は冷え切っていました。
結婚から10年経って、葵の上は懐妊しました。折から生じた六条御息所
との車争い。葵の上の従者たちの働いた狼藉によってひどくプライドを
傷つけられた御息所は、やがて生霊となって葵の上に憑りつき、ついに
死に至らしめてしまいました。葵の上、享年26。
権勢家左大臣が、后腹の内親王との間に儲けた姫君で、天下の光源氏
の正妻、となれば、誰もが羨む境遇です。でも幸せとはそうしたものでは
ない、と葵の上が教えてくれています。
源氏との間に一度の歌の贈答もなく(「源氏物語」の中で、葵の上は一首
の歌も詠んでいません)、若い命を終えてしまいました。六条御息所が
「葵」「賢木」の両巻で、源氏と6回の歌の贈答をしているのとは対照的です。
葵の上の唯一の救いは、夕霧という忘れ形見を残すことができたことと、
死の直前に源氏とわずかながらも心をかよわすことができたことだと思い
ます。因みに夕霧は、「宇治十帖」では50代に入り、時の権力者として君臨
しています。子沢山でもあり、葵の上は産んだ子どもは1人ですが、孫は
12人にもなっています。
我々はこの女君を「葵の上」と呼んでいますが、彼女の名前が「葵」だった
わけではありません(いかにも名前らしいですけどね)。この「葵」の巻で
クローズアップされ、そして亡くなってしまうので、巻名の「葵」が呼称と
なっているのです。
葵の上の死から葬送、残された人たちの思い、詳しくは「葵の全文訳(9)」を
お読みいただければと思います。
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