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作者が意識していたのは?

2020年1月30日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第46回・№2)

一昨日の凍えるような寒さから、昨日、今日は解放されて、
春のような暖かさとなりました。考えてみれば、もう立春まで
一週間もないのですね。日もすっかり長くなりました。

本来、第4木曜日が例会のこのクラスですが、今月は会場の
都合で第5木曜日となりました。第2月曜日のクラスに合わせ、
同じ第9帖「葵」の終盤にかかるところを読みました。残り2回で
「葵」の巻を読み終える予定です。

葵の上の亡き後、四十九日までは、と、源氏は左大臣家に籠り、
所在ない日々を送っておりました。既に季節は冬となっています。

時雨の空を眺めながら、源氏が、この風情を分かり合えそうな
朝顔にお手紙を遣わされると、思った通り、薄墨で書かれた
奥ゆかしいお返事が届きました。日頃から親密、と言える間柄
でもなく、むしろ、源氏には朝顔は冷淡にも感じられる相手ですが
(むろん男女の関係はありません)、しかるべき折々には情趣に
満ちた便りを交わすに相応しい女性でした。そこで源氏は思い
ます。

「なほゆゑづきよし過ぎて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの
難も出で来けり」(やはり教養があって風流に過ぎて、人目に立つ
ほどなのは、度が過ぎて欠点も出て来てしまうものなのだ)と。

おそらく、これは直接的には六条御息所のことを言わんとして
書かれたものと考えられますが、「ん?こんな作者の批判、どこか
でも見たような」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そう、『紫式部日記』の中での清少納言について記した文です。

「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかし
だち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬ
こと多かり」(清少納言こそ、偉そうな顔をして得意然としている人。
利口ぶって漢字なんか書き散らしているけど、よく見れば、まだ
不足している点が沢山)に始まり、目立ちたがり屋さんで、何でも
ない時でも風流がって見せるのが癖になってしまっている、と、
こきおろしています。

作者・紫式部の脳裏に、清少納言の存在がよぎり、この一文を
書かせた、なんて深読みし過ぎでしょうか?

本日の講読箇所のストーリーは、1/13の「第9帖「葵」の全文訳(11)
と、先に書きました「第9帖「葵」の全文訳(12)」をお読みいただければ、
と存じます。


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第9帖「葵」の全文訳(12)

2020年1月30日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第46回・№1)

今月の「紫の会」は、間もなく葵の上の正日(四十九日)も近づいた
頃の、残された人々の様子を描いた場面(第9帖「葵」の99頁・14行目
~106頁・8行目迄)を読みました。前半部分は1/13(月)に書きました
ので、今日はその続きの後半部分(103頁・3行目~106頁・8行目)の
全文訳です。(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


やはりとても所在ないので、源氏の君は、朝顔の姫君に、今日のこの
風情は、そうはいってもお分かりいただけるであろう、と推測される姫君
のお人柄なので、すっかり日も暮れているけれど、お便りをなさいました。
文通も間遠でありますが、それが普通となってしまったお手紙なので、
女房たちも気にも留めず、姫君にお見せします。時雨の空の色をした
舶来の紙に、
 
「わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまたへぬれど(とりわけ
今日の夕暮れは涙に袖が濡れております。物思いにふける秋は何度も
経験してまいりましたが)毎年時雨は降っておりますが」

と、書いてありました。ご筆跡などの入念にお書きになっておられるのが、
いつもよりも見所があって、「このままでは済まされぬご様子です」と、
女房たちも申し上げ、姫君ご自身もそう思われるので、「喪に服して
おられるご様子をお察し申し上げながら、こちらからはお便り出来ずに
おりました」と書いて、
 
「秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ」(北の方
に先立たれあそばしたと伺いましてからは、このしぐれの空をどのように
ご覧になっているかと、心中お察し申し上げます)

とだけ、うっすらとした墨の色で、気のせいか奥ゆかしく見えます。何事に
つけてもあとになる程、見まさりする女性は滅多にいない世の中なのに、
冷淡な人こそ却って心惹かれるものと、しみじみとした感じのする姫君の
お人柄なのでした。いつもすげないお扱いではありますが、しかるべき
折々の情趣を逃すことはなさらない、こういう間柄こそお互いにいつまで
も思いやりを持ち続けることができるのであろう、やはり教養があって
風流に過ぎて、人目に立つほどなのは、度が過ぎて欠点も出てきて
しまうものなのだ、若紫をそのようには育てまい、と源氏の君はお思い
になっておりました。

若紫が退屈して恋しく思っていることだろうよと、忘れる時はないけれど、
ただ女親を失くした子を家に残しているような心地がして、会わないで
いる間は気掛りで、でもどのように思っているだろうか、などと気にせず
に済むのが、気楽なことでした。

すっかり日が暮れたので、源氏の君が灯りを近くに点させなさって、
しかるべき女房だけを傍らにはべらせて、お話などをなさっています。
中納言の君という女房は、長年、源氏の君がこっそりと情けをかけて
来られた召人ですが、この服喪期間は却ってそのような色めいたお相手
にはお考えにはなりません。中納言の君はそうした源氏の君のお気持ち
を、お優しいことと拝見していました。

普通の話相手として、うちとけてあれこれとお話になり、「こうして幾日もの
間、以前よりもずっと、どの人とも一緒に過ごして来て、この服喪期間が
終わったら、このようにいつも会うことが出来なくなって、どうして恋しく
思わないことがあろうか。葵の上の死の哀しみは言うまでもないが、
これから先を思い巡らすと、堪らないことが沢山あることだよ」とおっしゃる
と、いっそうみんな泣いて、「ただ闇に閉ざされた気持ちがいたしますのは
仕方ないこととして、あなたさまがふっつりとお見限りになってしまわれる
ことを考えますと、辛うございます」と、最後まで申し上げることも出来ません。

可哀想に、と源氏の君は見渡しなさって、「見限るだなんてことがあるものか。
よほど私を薄情な人間だと思っておいでのようですね。気長に見届けよう、
という人さえいてくれたら、最後には私がどんな人間かご理解いただけま
しょうものを」と言って、灯りをご覧になっている目元の涙に濡れておられる
様子が、とてもお美しうございました。

葵の上が特別可愛がっておられた小さな女童で、両親もすでになく、たいそう
心細そうに思っているのを、もっともなことだと源氏の君はご覧になり、「あてき
は、今は私を頼らねばならないようだね」とおっしゃると、その女童はひどく泣く
のでした。小さい衵を、他の人よりも濃い鈍色に染めて、黒い汗衫を着て、
萱草色の袴を穿いているのも可愛らしい姿です。

源氏の君は、「亡き葵の上を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、若君を
見捨てず、お仕えして下さい。かつての面影もなく、あなた方まで出て行って
しまったら、私もここを訪れるよすががいっそう無くなってしまうだろうからね」
などと、皆がいつまでもここにお仕えするように、というようなことをおっしゃい
ますが、さて、どうしたものか、葵の上が生きておられた頃だって、そうそう
頻繁という訳でもなかったのに、これからは、もっと待ち遠しいご来訪になって
しまわれよう、と思うと、女房たちはいっそう心細くなっておりました。

左大臣は、女房たちの身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な物から、
本当に形見というに相応しい物まで、改まった形にならないように心遣いを
して、皆に分け与えなさったのでした。


二子玉川「梅の花」(溝の口「湖月会」・新年会)

2020年1月27日(月) 溝の口「湖月会」(第139回)

大寒になっても暖冬が続き、「もしかしてこのまま春に?」なんて
考えも、ちらりと頭をもたげましたが、やっぱりそういうわけには
いきませんでした。昨日から気温が下がり始め、それでも今日は
何とか帰宅するまで雨にも雪にもならずに済みましたが、明日は
この辺りでも積雪になる予報が出ています。

このクラスは、一昨年の新年会の日、雪がだんだんひどくなり、
講読会を前半で中止した苦い経験があるので、またそんな事に
なりませんように、と祈っていましたが、今年はすべてを予定通り
終えることが出来てホッとしています。

講読会に先立っての新年会。場所は、ここ数年お馴染みになった
二子玉川の高島屋のレストラン街にある、お豆腐料理の「梅の花」。

牡蠣ご飯以外の11品の先付からデザートに至るまで、お豆腐尽し
で、そのどれもが優しいお味。テーブルの上で作り立てのお豆腐を
取り分けて蟹あんを掛けていただく「ふく福豆腐」も、2回お代わりを
しましたが、最後のデザートがとても印象に残る味で、地味な写真
ではありますが、今日のお食事を代表して・・・。

   DSCF4170.jpg
     左から豆腐ショコラ・黒胡麻しるこ・ひと口麩饅頭 。

麩饅頭もさすがお豆腐料理のお店だけあって、とても美味しかった
のですが、胡麻の香りとお汁粉の甘味とが口の中に広がる黒胡麻
しるこ、絶品でした。

   DSCF4171.jpg
         あっという間の楽しい2時間でしたね。

どこのクラスでもそうですが、今回も御多分に洩れず、新年会の後は
例会会場へ大急ぎの移動となりました。

開始時間ギリギリの14:00到着。『源氏物語』の講読に入りました。

1月10日の記事に書きましたように、八の宮は、薫にはそれとなく自分
の亡き後の娘たちの世話を依頼し、娘たちには生涯をここで送るように、
と、ちぐはぐな遺言を残しました(⇨「八の宮が死守したかったもの」)。

そして、八の宮は女房たちにも安易な手引きなどすることのないよう、
きつく戒めておくのでした。もし、姫君たちのお相手として薫や匂宮と
いった、最上の貴公子が現れなかったら、このような戒めは何ほどの
効力も持たなかったことでしょう。

八の宮や大君にとっては命よりも大事だった「宮家の誇り」も、女房たち
にとっては、現実の生活の前には、殆ど意味のないものだったはずです
から。

明日は山寺に籠るという前日に、こうして女房たちに虚しい釘を刺そう
とする姿は、最後まで娘たちのことが気掛かりで仕方ない(俗世の全て
を捨て去って悟りの境地に至るには程遠い)八の宮の「心の闇」(子を
思う親心)を映していて、哀れです。

毎年、新年会の時に、代表の方から手作りのカルトナージュの作品を、
みんなにお年玉としていただいておりますが、今年はこんなオシャレな
トレイを頂戴しました。

          DSCF4173.jpg
          物を入れるのがもったいないような。


最終章「夢浮橋」に

2020年1月19日(日) 淵野辺「五十四帖の会」(第169回)

このクラスの名称にもなっている『源氏物語』五十四帖の、最後
の帖「夢浮橋」の巻に入りました。マラソンで言えば、ゴールの
ある競技場のトラックを回り始めたというところでしょうか。残りは
あと1回です。

第51帖「浮舟」の終わりには、自ら命を絶つ決意をした浮舟の姿
が描かれていました。

第52帖「蜻蛉」では、薫、匂宮をはじめ、浮舟失踪後の残された
人々の様子が語られ、第53帖「手習」は、「蜻蛉」の巻で死んだ
と思われていた浮舟が、実は横川僧都に助けられて生きており、
俗世との絆を断つために僧都に懇願して出家を遂げ、やがて
それが、明石中宮を通して薫の耳に入った、というところ迄でした。

第54帖「夢浮橋」は、その続きとなります。薫は考えた挙句、事の
仔細を僧都に聞くため、根本中堂の薬師如来の縁日にかこつけて、
横川に僧都を訪ねたのでした。

真相を聞いて思わず涙する薫。そんな薫の浮舟への思いを知ると、
浮舟を出家させてしまったことに後悔の念を禁じ得ない僧都。

しかし、薫は自ら即座に動くことはしません。僧都に仲介を依頼する
のです。初めて浮舟を三条の小家に訪ねた時もそうでした。渋る弁
を説得して、弁に仲介の労を取らせました。薫の世間体を優先させる
態度は最後まで変りません。

結局、僧都は自らが案内をすることは断ったものの、薫が伴っていた
浮舟の異父弟・小君に持たせる手紙を書きました。それも、その日の
うちに持たせればよかったのに、供人が大勢いる(人目が多い)ことを
憚って、一旦自邸に戻り、翌日に届けさせました。

一切をかなぐり捨てて、僧都の話を聞いたその足で、薫自身が小野へ
駆けつけていたなら、少なくとも「夢浮橋」の巻は、こんな幕切れには
ならなかったのではないか、と思われるのですが、その幕切れを含む
残り1/3余りを、次回読んで読了となる予定です。


どちらが真実?

2020年1月17日(金) 溝の口「枕草子」(第40回)

早くも1月半ば過ぎ。ここまで暖冬で推移して来ましたが、明日は
この辺りにも雪の予報が出ています。

今日の「枕草子」は、第225段~第228段までを読みました。

第227段は、長保2年(1000年)の2月20日過ぎ、中宮定子(2月
25日には、道長の娘・彰子が中宮に立后したため、定子は皇后と
なった)が、最後に一条天皇と共に過ごした宮中(前年に内裏が
焼失したので、この時は一条院が今内裏となっていた)での
仲睦まじい様子を記した段です。

「すけただ」という木匠から蔵人になった人物は、「あらはこそ」
(あらすけさん)とあだ名され、そのがさつでどうしようもない人柄を
節を付けた歌にされて、皆から馬鹿にされていました。

一条天皇までが、それを面白がられて節を笛で吹いたりなさるの
でした。清少納言ら女房たちも調子に乗り、天皇さまに、「もっと
大きな音を出してお吹きくださいな。本人が聴きはしませんから」と、
申し上げるのですが、帝は「いや、わからないよ。そうは言っても
きっと聴きつけることだろう」と言って、そっとお吹きになっていました
が、今日は、壺庭を挟んで北側にある定子のお部屋に来ておられた
ので、「ここなら大丈夫だね、よし、思いっきり吹こう」と、おっしゃって
お吹きになりました。それを作者は「いみじうめでたし」(とても素晴ら
しうございました)と、結んでいます。

陽も「うらうらとのどかに照りたる」とあります。一条天皇に寄り添い、
そうした帝のいたずら心を、ほほ笑んでご覧になっている中宮定子
の姿が目に浮かんでくる場面です。

でも、『栄花物語』を読むと、この頃の中宮周辺に、明るさは皆無です。
ご自分がまた懐妊なさったのではないかと、くよくよ悩んでおられる
のです。「今年は厄年で、宿曜(道教の星占い)でも心細いことばかり
なのに、懐妊がはっきりしたら、どんなに心細いことか」とおっしゃって
いた、とあります。『栄花物語』は歴史物語ですが、この懐妊した御子
の出産で定子が命を落とされたことも分かっていて書いていますし、
道長の栄華を書いているのですから、このような表現になっていても
不思議ではありません。

どちらが定子の本当の姿だったのでしょうか?どちらも本当で、作者たち
の視点だけが異なっていたのかもしれませんね。


「プチ・パピヨン」(湘南台クラス・新年会)

2020年1月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第221回)

今年三度目の新年会は、第3水曜日の湘南台クラスです。

場所は、200回記念、昨年の新年会に続き、湘南台駅西口から
徒歩3分のフレンチレストラン「プチ・パピヨン」。 ここも、とても
満足度の高いレストランです。

お料理は、前菜、スープ、メインディッシュ、デザート(ワンドリンク、
パン、コーヒー付)のコース。どのお皿の盛り付けも、オシャレで
綺麗ですので、今日もUPする写真に迷いましたが、やはり本日の
メインディッシュにしました。

   DSCF4161.jpg
   このお店の人気メニュー「ハンバーグステーキ」です。
   あっさりめのソースが美味しくて、パンをおかわりして
   (パンも焼きたてのホカホカで嬉しい)、ソースを付けて
   食べました。付け合わせの野菜も Good!

今日も気がつけば2時間が経過していました。例会の開始時間は
30分遅らせてはありましたが、それでも、もう開始時間が迫って
います。急ぎの記念撮影となりました。

    DSCF4163.jpg
    このクラスが一番長く続いていて、4月には20周年を
    迎えます。

ここも例会会場は、駅を挟んで反対側にあります。駅構内を通り
抜けて、湘南台公民館へと向かいました。

『源氏物語』は、今回より第50帖「東屋」に入りました。導入部では、
大君の面影を宿す浮舟に逢いたい気持ちはあるものの、常陸介の
継娘程度の女に熱心に言い寄るのも、人聞きの悪いことだと世間体
を憚る薫、浮舟の母に、度々薫の気持ちをそれとなく手紙で伝えて
いる弁の君、その手紙を見ても、薫が本気で娘をお望みとはとても
信じ難い浮舟の母。三人のそれぞれの様子が簡単に語られて、
いよいよ『源氏物語』のラストヒロイン・浮舟の物語が始まります。

何としても浮舟には幸せな結婚を、と願う母。そんな母が娘の婚活に
励んだ結果、「この人」と思い選んだ相手は、浮舟が常陸介の継娘だ
とわかると、あっさりと婚約を破棄し、実子の異父妹に乗り換えてしまう
男でした。結婚は親の財産のみが目当てという、打算的な男の考えが
全面的に押し出されていて、これまでにはなかった新しい人物像の登場
も見られる場面です。

次回は、この続きとなります。


父子二代で同じ悲しみ

2020年1月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第46回・№2)

冬晴れの空が広がり、風もなく穏やかな成人の日となりました。

今日はあまり新年には相応しくないのですが、葵の上の七日七日
の法要も終わり、源氏が左大臣邸を去る日も近づいて来た頃の、
第9帖「葵」のしみじみとした場面が続くところを読みました。

葵の上を亡くした父・左大臣の悲しみは筆舌に尽くし難いものでした。
子どもに先立たれるほど辛いことはありません。ましてや葵の上は、
内親王腹の、左大臣家では誰よりも大切にされてきた娘でした。

そして、今はたった一人の同母妹(姉という説もありますが、一応
従来の説に従っておきます)を失った兄として、悲しみにくれながらも、
源氏を慰める役を演じている三位中将(もとの頭中将)の姿が描かれ
ています。

「源氏は左大臣夫妻への義理から、葵の上のもとに、いやいやながら
通って来ていたのであろうと思っていたが、この悲嘆ぶりに接している
と、やはり正妻として誰よりも大切に思っていたのだなぁ」と、改めて
葵の上の死を惜しんでいるのが、ここでの三位中将です。

これから26年後、既に致仕大臣となっている三位中将が、父と同じよう
に最愛の子供に先立たれます。それが柏木です。

「源氏物語」の表現力は、巻が進むにつれて進化しているのを、実感
させられることが多いのですが、「葵」の巻での左大臣と、「柏木」の巻
での致仕大臣の、子を失った嘆きを描いた場面に、それが如実に表れ
ています。

ちょうど来月、高座渋谷のクラスで、そこを読む予定ですので、その時に
詳しくお伝えしたいと思います。

今はまだ、悲しみの中にも余裕のある若い三位中将が、父と同じ立場に
なった時の描写は、もう読者も涙無くしては読めません。

本日講読したところの前半部分のストーリーは、先に書きましたこちら→
「葵」の全文訳(11)をご覧ください。


第9帖「葵」の全文訳(11)

2020年1月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第46回・№1)

年明け初の「紫の会」は、第9帖「葵」の99頁・14行目~106頁・8行目迄
を読みました。葵の上の四十九日も近づいた頃の、源氏や左大臣家の
人々の様子が描かれている場面です。その前半部分(99頁・14行目~
103頁・2行目)の全文訳です。後半は1/30(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


葵の上のご法要も終わってしまいましたが、源氏の君は四十九日までは
そのまま左大臣邸に籠っておいででした。これまでに経験の無いご退屈な
お暮しを気の毒がりなさって、三位の中将(もとの頭中将)は、いつも源氏
の君のもとに参上しては、世間話などをなさるのでした。真面目な話も、
またいつものような好色めいた話も、お聞かせ申し上げてはお慰めになる
折には、あの源典侍こそが、笑い話の種になるようでございました。

源氏の君は、「ああ、お気の毒なこと、お祖母さまのことをそんなに馬鹿に
なさいますな」と、お諫めになるものの、いつも面白いとお思いになって
おられました。あの十六夜の月が、あまり明るくはなかった秋のことや、
その他にも、様々な色事の数々を、互いに残らず言い立ててしまわれる
その挙句の果てには、無常な人の世のことをあれこれと話し合って、泣き
出しなどもなさるのでした。
 
時雨が降って、物思わしい夕暮れ時、中将の君は、鈍色の直衣、指貫を、
薄い鈍色に衣更えして、たいそう男らしくすっきりとして、立派なご様子で
源氏の君のもとに参上なさいました。源氏の君は、西の角の高欄に寄り
掛かって、霜枯れの庭の植え込みをご覧になっている時でした。

風が荒々しく吹いて、時雨がさっと降り注いだ時、涙も時雨と争うような気が
して、「葵の上は雨となり雲となってしまったのであろうか、今はわからない」
と、そっと独り言を言って頬杖をついておられるご様子は、女だったら、この
源氏の君を見捨てて死んでしまう身の魂が、必ずお側に留まってしまうこと
であろうよと、三位の中将は色好みらしい気持ちで、じっとそちらに目を注がれ、
近くにお座りになると、源氏の君は無造作にくつろがれたお姿ながら、直衣の
入れ紐だけをさし直されました。源氏の君は三位中将よりも今少し色の濃い
鈍色の夏の直衣に、紅の光沢のある下襲をお召しになって、地味なお姿で
あるのが、却ってずっと見ていたい気がいたします。中将もしみじみとした
眼差しで、時雨の空をご覧になっておりました。
 
「雨となりしぐるる空の浮雲をいづれのかたとわきてながめむ(時雨の雨と
なって降る空の浮雲のどれを亡き妹のものと見分けてながめることができ
ようか)行方もわからずになってしまったことだ」と、中将が独り言のように
言うのに対し、
 
「見し人の雨となりにし雲居さへいとど時雨にかきくらすころ(亡き妻が雨と
なってしまった空までもが、いっそう時雨降る季節となって、悲しみにかき
暮れる頃となったことだよ)

とおっしゃる源氏の君のご様子にも、葵の上を思う気持ちがよくわかるので、
「わからないものだなぁ、長年さほどではないご愛情だったのに。桐壺院が
いたたまれずご教訓なさる程、父・左大臣の懸命なお世話ぶりもお気の毒な
上に、母・大宮方からの血筋から言っても、切っても切れないご縁があるので、
葵の上をお見捨てになれず、気の進まぬご様子ながら、お過ごしなのであろう
と、おいたわしく見える折々があったのに、本当に大切な正妻としては、格別に
思っておいでだったのだろう、とわかると、三位の中将はいよいよ葵の上の死
が残念に思われるのでした。あらゆることの光が消え失せてしまった気がして、
皆がすっかり塞ぎ込んでいるのでした。

庭の植え込みの枯れた下草の中に、竜胆や撫子などが咲いているのを折ら
せなさって、三位の中将が立ち去られた後で、源氏の君は、若君の乳母の
宰相の君を通して、大宮に
 
「草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋のかたみとぞ見る(下草の枯れた
垣根に残る撫子の花(若君)を、過ぎ去った秋〈今は亡き妻〉の形見と思って
見ています)でもあなたはやはり、我が子よりは美しさは劣る、と思ってご覧に
なるのではないでしょうか」

と、申し上げなさったのでした。本当に若君の無心な笑顔はとてもお可愛らしい
のでした。大宮は吹く風にさえあえなく散ってしまう木の葉よりも、もっと涙もろく
なっていらっしゃるのに、ましてやこのお手紙を見てはこらえきれずにお泣きに
なるのでした。
 
「今も見てなかなか袖を朽すかな垣ほ荒れにしやまとなでしこ(お手紙を頂いた
今も、若君を見て却って涙に袖も朽ちるばかりでございます。垣根も荒れ果てて
しまった〈母親を失った〉撫子〈若君〉なのですから)」


八の宮が死守したかったもの

2020年1月10日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第139回)

このクラスも例年は、1月の講読会の日に新年会があるのですが、
今年はいつもの溝の口の会場「高津市民館」が、何かの都合で
本日使用不可。それで今月の例会会場が、武蔵小杉駅前にある
「中原市民館」となったため、新年会も2月に延期されました。

第46帖「椎本」に入って2回目、八の宮が薫と姫君たち(大君と中の君)
にちぐはぐな遺言を残す場面を中心に読みました。

八の宮は、薫には、「思ひ捨てぬものに数まへたまへ」(お見捨てに
ならない者の数に入れていただきたい〈=妻の一人として扱って
欲しい〉)と、言いました。薫が喜んで、「はい、では大君と結婚させて
いただきたいと思います」と答えてくれれば良かったのですが、薫から
の返事は、「決して疎かに思うことなどございません。私も出家を望む
頼りない身ですが、生きている限り、後見を務めさせていただきます」
という、積極性に欠けるものでした。

このブログでもしばしば触れて来ましたが、八の宮と薫は、互いに
「法の友」(仏法を介しての友)と思っておりますので、どちらも
結婚問題に今一歩、踏み込むことが出来ません。

八の宮は娘たちにはこう言います。「男の甘言に誘われて、この山里
を離れるようなことがあってはなりません。他人とは異なる運命のもと
に生まれたと思って、ここで生涯を終える覚悟をしなさい。世間から
非難されるようなみっともないことにならないのが一番なのです」と。

いくら婚期は過ぎている(大君25歳、中の君23歳)といっても、まだ若い
姫君たちには酷な言葉だと思われますが、八の宮は、「私だけでなく、
亡くなった母上のお顔に泥を塗るようなことをしてはいけません」、とも
言っています。

今はおちぶれているとはいえ、いやしくも宮家。娘たちが好色な男の
餌食となり、たとえ結婚したとしても、飽きられて捨てられた、とあっては、
恰好の「人笑へ(ひとわろえ)」(世間の物笑いの種)となってしまう。
高貴な家柄であればあるほど、スキャンダルのネタにもされ易い。
おちぶれているからこその、八の宮の強い思いだったとも言えましょう。

宮家としての矜持だけは何としても死守せねばならない。それがどんなに
娘たちにとって過酷なことだったとしても(八の宮だって、内心は美貌の
姉妹を、山里に埋もれさせるのは惜しいと思っていたのですから)。

このちぐはぐは遺言が、先々の薫と姫君たちの関係にどのような影響を
及ぼすことになるのか、もつれた閉塞感の中で繰り広げられる話が予感
させられますね。次回、八の宮は、物語の世界から消えて行きます。


「鶯啼庵」(八王子クラス・新年会)

2020年1月9日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第168回)

朝から抜けるような青空が広がり、気温も寒中とは思えない15度まで
上って、過ごし易い一日でした。

八王子クラスは年に一度、新年会の日は、午前中に講読会、午後が
新年会となります。今日も10:00に例会開始。前回より第53帖「手習」
に入りましたが、今回は、僧都や妹尼の尽力でようやく意識のはっきり
した浮舟が、自分が失踪した夜のことを思い出し、話が第51帖「浮舟」
の巻の最後に繋がったあたりを読みました。

11:45迄で例会を終え、送迎バスが来てくれる場所へと向かいました。

このクラスもお分かりのように、あと半年ほどで『源氏物語』54帖すべて
を読み終えることになります。ですから今年が最後の新年会。2007年の
1月から、その年々の幹事さんがお骨折り下さって、14回の楽しい新年会
を重ねて来ました。

ラスト新年会の会場は、八王子郊外の懐石料理の名店「鶯啼庵」。
豊かな自然に包まれて、広大な日本庭園も見事です。
    
    DSCF4141.jpg
          まだ入り口には立派な門松が。

    DSCF4138.jpg
   少し早目に到着したので、庭園に臨む飾り付けも美しい
   ロビーで先に集合写真を撮りました。

    DSCF4144.jpg
   お料理もさすがです。写真も迷うところですが、この綺麗な
   初春らしい先付をご覧頂くことにしました。(蓋を取るのを
   忘れたのですが、紅白の器がなます、手前右が数の子の
   和え物でした。)

新年会には欠かせない詩吟のご披露もしていただき、いろいろな思い出話
に花が咲きました。中でも、2015年に揃って徳川美術館に国宝『源氏物語
絵巻』を観に行った時のことは皆忘れられません。横浜線が止まり、中央線
も異常な遅延で、名古屋に辿り着くまでが大変だったあの日。だからこそ
懐かしさも倍になって蘇って来るのでしょう。

ここで本日のブログは終了となるはずなのですが、実はもう一つ「こいつは
春から縁起がいいわい」ということがありました。帰り際にお年玉のガラガラ
ポンをさせてもらったら、何と、このくじ運の悪い私が「一等賞」。

     DSCF4158.jpg
    「鶯啼庵」の5,000円のお食事券です。これは、この会の
    打ち上げをここでもう一度やりなさい、ってことかな、と
    思っています。

   
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