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中止、中止に・・・

2020年2月27日(木)

こんな明るい時間にブログを書くことなど滅多にありませんが、
本来、今頃は講読会の最中であるはずの溝の口の「紫の会」
(第4木曜日クラス)の例会が、新型コロナウイルスの感染拡大
を受けて、中止になったからです。

明日の「栄花物語」(これは私は受講する側ですが)も、一昨日、
中止の連絡をうけましたし、明後日の淵野辺「五十四帖の会」の
納会も、一週間ほど前に中止のお知らせがありました。

来月の旧職場の仲間たちとの集まりも中止、今しがた3月5日に
例会予定の八王子クラスの幹事さんからも、お問い合わせを
頂きました。

先日のブログに記した通り、個人旅行(神戸への墓参と京都御所
での高御座の見学)も、当然中止です。

日々春の気配が感じられるようになって、心弾む季節であるはず
なのに、今は、気持ちが外に向かなくなっています。

いつになったら、この気の滅入る新型コロナウイルス禍から抜け
出せるのでしょうか。一日も早くその日が来ますように・・・。


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薫の心遣い

2020年2月24日(月) 溝の口「湖月会」(第140回)

新型コロナウイルスの感染拡大は、まったく先の見えない状態に
なってきて、不安は高まる一方です。体調もだいぶ回復したので、
来月京都で公開される高御座を、両親のお墓参りがてら見学して
こよう、と姉と相談していましたが、見送ることにしました。

今月の溝の口の「第2金曜日クラス」と「湖月会」は、第46帖「椎本」
の3回目。八の宮が亡くなり、残された姫君たち(大君と中の君)の
途方にくれる姿を中心に読みました。

既に述べた通り、八の宮は自分亡き後、娘たちの後見を薫に依頼
したものの、はっきりと了解を取り付けたわけでもなく、薫もまた、
大君との結婚を望みながら、その意思をはっきりと八の宮に伝える
ことなく、八の宮は亡くなってしまわれたのでした。

それでも、父宮という唯一無二の後ろ盾を失った姫君たちの庇護者
となってくれるのは薫しかいません。薫自身は、大君との結婚を前提
として、姫君たちの後見人となるのを望んでいますが、今は姫君の
気持ちを推し測り、八の宮の法要なども、宮家としてのプライドが
保てるよう細やかな心遣いをしています。

その一例が、阿闍梨にお願いしている七日ごとの法要へのお布施
です。お経を読んで供養していただくには、当然お布施が必要です。
それも宮家ともなれば、相応の恥ずかしくないことをしなければなり
ません。

姫君たちは、これまでずっと全てを父宮任せで生きて来ているので、
経済的不如意もさることながら、こうした場合何をすれば良いのかも
分からなかったことでしよう。

薫は、そのお経のお布施としてお寺に納める衣料なども、姫君たち
に露骨なお布施の肩代わりと思わせないため、山荘に仕えている
年老いた女房たちの衣料という形にして贈るのでした。

優柔不断で、世間体ばかりを気にし、男らしさに欠ける薫ですが、
こうした思い遣りや誠実さにも、人一倍秀でたところのある人だった
ことを伝えている場面かと思われます。


本名では呼ばない

2020年2月21日(金) 溝の口「枕草子」(第41回)

スーパーの棚からマスクが全部消えてしまってだいぶ経ちますが、
未だにゼロ状態が続いています。私は普段からマスク派なので、
数十枚の買い置きはありましたが、この状態が長く続くと、そちらの
心配も出てきそうです。

今日の「枕草子」は、第229段~第244段までを読みました。この辺り、
ずっと短い類聚章段の続くところですが、第244段は、その中では
比較的詳しく、「言葉遣い」に対する作者の所見が述べられている段
です。

手紙文はもとより、話し言葉が「なめし」(失礼、不作法)と感じられる
場合のあれこれを指摘しています。「ぞんざいな口の利き方」、「自分
の身内に尊敬語を使うこと」、これらは今の時代でも気になる言葉遣い
だと思います。

最後に、身分の高い人に対しては本名では呼ばない、ということに
触れています。殿上人や良家のご子息を本名で呼ぶのは、帝や中宮
の前だけで、他では官職名で呼ぶのが慣例となっていたようです。

『源氏物語』を読んでいても、これはわかりますね。惟光、良清、など、
本名が書かれているのは受領階級の人たちで、高貴な方々は、皆
官職名で書かれています。ですから後世の人が、わかり易くするため、
「夕霧」、「柏木」、「薫」といった通称をつけたのでありましょう。

通称がなく、一貫して官職名の「頭中将」(次が三位中将・・・最後が
「故致仕大臣」)は、「今は内大臣、最初、頭中将と呼ばれていた人
ですよね」てな具合で、とっても面倒です(これは余談でした🙇)。


浮舟の母の結婚観

2020年2月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(222回)

新型肺炎に対する不安もさることながら、花粉の飛散も始まって、
仕事から帰ってくると、くしゃみ、鼻水、目の痒みが、段々とひどく
なってきました。

湘南台クラスは、第50帖「東屋」に入って2回目。常陸介の財産
だけが結婚の目的である少将は、浮舟が継娘と知るや婚約を
破棄し、実子の異父妹のほうに乗りかえてしまいました。

それを知った浮舟の母君と乳母の嘆きは並大抵ではありませんが、
乳母は、こうなったら薫の申し出を受けるべきだ、と進言します。

それを聞いた母君は、即座にその提案を否定して言います。

薫には、皇女の妻がいらっしゃる。中の君だって世間では「幸ひ人」
と言われているが、匂宮は夕霧の六の君の婿となられ、中の君は
物思いに沈んでおられる。自分の経験からしても、八の宮は上品な
方だったけれど、私を人並みには扱ってくださらなかった。それに
引きかえ、常陸介は田舎臭くてがさつな男だけれど、私一人を守り
続けてくれている。だから今まで続いているのだ、と。

確かに「幸ひ人」(本来そうなれるはずもない境遇に恵まれた女君)
と言われた紫の上や、中の君のことを考えると、源氏には紫の上と
女三宮、匂宮には中の君と夕霧の六の君、というふうに、二心ある
男君の妻であって、他人の目に「幸ひ人」と映る姿は、苦悩と忍耐の
上にはじめて成り立つものだ、ということを、読者も承知しています。

この浮舟の母の結婚観も、匂宮や薫の姿を目にした途端、どこかに
すっとんでしまうのですが、こうしたこれまでの上流貴族の視点から
少しずれたところで語られる話が随所に見られる「東屋」は、どこか
現実的な息遣いが感じられ、ある意味新鮮な巻でもあります。


祝ってもらいました!

2020年2月16日(日)

新型コロナウイルスによる肺炎、ニュースで報じられる度に
不安が募りますが、今は一日も早く、終息の兆しが見えて
くることを願うばかりです。

昨年の9月8日に「木登り豚になって」と題して書いた記事の
本が、ようやく今月出版の運びとなりました。

今日は、息子たちがその出版記念のお祝いをしてくれました。

場所は中央林間駅の小田急線側に出て、徒歩1分程のところに
あるカジュアルイタリアン「Hal」(ハル)。私は初めて行きましたが、
なかなかの人気店で、平日でも予約なしでは入店が難しいとか。

   DSCF4193.jpg
    11:30ぴったりに開店。私たちが一番乗りでした。
    お店のスタッフもとても感じがいいです。

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    孫たちもお気に入りだという「渡り蟹のトマトクリーム
    スパゲティ」。すごくいいお味~。このソース、パンに
    つけて食べても美味しいだろうなぁ、と思いました。
    ピザも、真鯛のカルパッチョもvery good!人気店
    なのも頷けます。

食事の前に、孫から花束を渡されて、「まあ、嬉しい!」と思って
いたら、最後のデザートになって、またまたこんなサプライズが。

    DSCF4196.jpg
      嫁がレストランに依頼してくれていたとのこと。
    

        DSCF4185.jpg
      装画、題字は高校同期生お二人のお力添えで。
          綺麗な表紙に仕上がっています。


鷺沼「とうふ屋うかい」(溝の口・金曜クラス 新年会)

2020年2月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第140回)

先月は、いつもこのクラスの例会を行っている溝の口の会場を
確保することができなかった為、一ヶ月延期になった新年会
でしたが、今日、田園都市線の鷺沼駅から徒歩5分程のところ
にある「とうふ屋うかい鷺沼店」で開催されました。

店内に一歩足を踏み入れると、街中にこんな江戸情緒あふれる
お店があることに感激します。畳にテーブルと椅子が置かれた
お部屋からは、庭園が見渡され、ゆったりとくつろいだ気分の
中で、美味しいお食事と楽しいお喋りに興じました。

  DSCF4189.jpg
 最初に出て来た「季節の盛り込み」。どのお料理も満足度
 の高いものでしたが、特に美味しくいただいたのが、右下
 の「焼胡麻豆腐」。ねっとりとした風味豊かな焼胡麻豆腐と
 味噌ダレとの相性が抜群。

新年会の時はどのクラスでも同じですが、今日もあっという間に
2時間が経っており、ここは例会会場の溝の口まで電車で移動
しなければなりませんので、慌ただしく記念撮影をしてお開きと
なりました。

  DSCF4192.jpg
 このクラスは『源氏物語』の講読会の中で一番の大所帯。
 新年会の会場にも毎年、代表の方が腐心してくださって
 います。

開始予定時間を20分近く遅れての例会となりましたが、今月から
第46帖「椎本」の後半に入りました。

「俗聖」と称されるほど仏道に傾倒しておられた八の宮ですが、
結局この世に残される娘たちのことが案じられてならない「心の闇」
に捉われたまま、宇治の山寺でお亡くなりになりました。

父宮を看取ることもなく先立たれてしまった大君と中の君は、
これまで八の宮の庇護下で、何の処世術も身につけることなく、
過ごして来ました。この先、生きていく自信も持てず、もう父宮の後
を追いたい、と願うばかりでしたが、寿命というものは、思いのまま
にはならないもの。これから二人をどのような運命が待ち受けて
いるのかと、初めて読む読者たちの気を揉ませるところです。
あれこれと想像しながら読み継いでいく楽しみは、千年前も今も
変らないことでありましょう。

次は?次は?と、最後まで読者を惹きつけ続ける『源氏物語』って、
やっぱりすごいですよね。

次回で「椎本」の巻を読み終える予定です。


源氏、左大臣邸を去る

2020年2月10日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第47回・№2)

新型コロナウイルスによる肺炎は、一向に収束に向かう気配が
見えませんね。今は花粉も飛び始め、マスクをつける人が多くなる
季節ではありますが、電車に乗ると半分以上の人がマスクをして
います。私は以前から、真夏の暑い時期以外は、いつもマスクを
して外に出ています(花粉症対策・風邪予防+日焼け防止・すっぴん
隠し)が、こんなにマスク着用者を目にするのは初めてです。

溝の口の「紫の会」は、第9帖「葵」の終盤に差し掛かってきました。

葵の上の四十九日まではと、左大臣邸に留まって喪に服していた
源氏ですが、いつまでもこんなふうにぼんやりと引き籠っている
わけにもいかない、と思い、ご心配になっている父・桐壺院の許に
参上するというのを、表向きの理由として、左大臣邸を出て行くこと
になさいました。

こうなる日が来ることはわかっていたものの、左大臣夫妻(葵の上
のご両親)はもとより、大勢仕えている女房たちも、寂しさを隠し
切れません。

葵の上のおられた頃も、途絶えがちなお通いでしたが、それでも
いつかは源氏が葵の上のもとで落ち着いてくださるだろう、という
期待を、左大臣家では誰もが抱いていました。残された若君(夕霧)
がいらっしゃるのだから、これからも源氏の訪れが皆無になるとは
思えないものの、もう、そのお姿を度々拝見することもなかろう、と
思うと、源氏が左大臣邸から出て行かれることは、葵の上を失った
悲しみに匹敵する悲しみとなっているのでした。

ここには、左大臣が「朝夕の光失ひては」とお嘆きの通り、源氏は
左大臣家にとって文字通り「光」だったことが綴られています。

源氏が院の御所を訪問した後、場面は二条院へと移り、一転して
パッと明るくなります。その様子は第4木曜日のクラスで講読した
時にお伝えしたいと思います。

本日ご紹介しましたところ、詳しくは先に書きました全文訳でお読み
いただければ、と存じます。→第9帖「葵」の全文訳(13)


第9帖「葵」の全文訳(13)

2020年2月10日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第47回・№1)

2月の「紫の会」の講読箇所は、第9帖「葵」の106頁・9行目~114頁・
11行目迄です。葵の上亡き後、左大臣家で喪に服していた源氏が、
左大臣家を出て、久々に若紫の居る二条院に戻って行ったところ迄
を読みました。その前半部分(106頁・9行目~110頁・1行目)の全文訳
です。後半は2/27(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


源氏の君は、こうして左大臣邸に引き籠って、ぼんやりと日を送ってばかり
いるわけにもいかないとお思いになり、桐壺院のもとに参上なさいます。

牛車を引き出して、前駆追う者たちが参集する頃、この悲しい別れを心得て
いるかのような時雨が降り注いで、木の葉を誘う風が慌ただしく吹き払って
しまったので、源氏のお側にお仕えしている女房たちは、わけもなくたいそう
心細くて、多少は涙の乾く間もあった袖が、皆また源氏の君とのお別れの
辛さに袖を濡らしてしまうのでした。夜にはそのまま二条院にお泊りになる
はずだ、ということで、家来たちも、二条院で源氏の君をお待ち申し上げる
つもりなのでしょう、それぞれ出て行くので、今日限りで源氏の君のご来訪
が途絶えるわけではないはずですが、この上なくもの悲しく感じられます。

左大臣も大宮も、今日の様子に、また悲しさを改めてお感じになっておられ
ます。源氏の君は、大宮のもとに、ご挨拶のお手紙を差し上げなさいました。
「桐壺院より、どうしているかと心配なさっているお言葉がございましたので、
今日、参上いたします。ほんのちょっと外出するにつけましても、よくぞここ
まで生き長らえていたことよ、と、ただもう悲しみがこみ上げてまいりまして、
ご挨拶申し上げるのも却って辛うございますので、そちらにも参上せずに
失礼いたします」と書かれていたので、大宮はますます悲しくなって、涙に
くれて目も見えなくなり、沈み込んでお返事もお書きになれません。左大臣
が、すぐにこちらにお出でになりました。左大臣もひどく堪え難そうにお思い
のようで、涙を拭うお袖も目からお放しになりません。そのお姿を拝見する
女房たちも、とても悲しいのでした。

源氏の君が、人の世のことを様々思い続けられて、お泣きになる様子は、
しみじみと哀れ深いお姿ながら、とても優雅でお美しくていらっしゃいました。
左大臣はようやく涙を抑えられて、「年を取りますと、それほどではないこと
でさえ、涙もろくなるものですが、ましてや、涙の乾く時とて無く思い乱れて
おります心を、とても静められませんので、他人が見ても、とてもだらしなく、
気弱な姿と目に映りましょうから、院などへもお伺い出来ないのでござい
ます。お話のついでに、そのようにとりなしてご奏上ください。余命幾ばくも
ございませぬ老いの果てに、子に取り残されたのが辛いのでございますよ」
と、強いて気を静めておっしゃる様子が、とてもお辛そうでした。

源氏の君も、度々鼻をかんで、「後れたり先立ったりする人の命の定めなさ
は、この世の常と承知しておりますものの、直接我が身のこととして感じられ
ます悲しみは、この上ないものでございます。院にもこの有様を奏上いたし
ましたなら、推し測ってくださいましょう」と、申し上げなさいます。左大臣が、
「さあ、時雨も止む間がなさそうでございますから、日が暮れぬうちに」と、
急かし申し上げなさいました。
 
源氏の君が辺りを見廻しなさると、御几帳の後や、襖の向こうなどの開け
放された所に、女房が三十人ほど押し合うようにして、濃い色や薄い色の
喪服を着て、皆とても心細そうに、涙に沈みながら集まっているので、それ
をしみじみとした思いでご覧になります。

左大臣は「あなたがお見捨てになるはずもない若君もここにはいらっしゃる
のだから、何かと機会があればお立ち寄りくださいましょう、などと言って
なぐさめておりますが、一途に思慮の足りない女房たちは、あなたが今日を
限りとしてお見捨てになってしまう古巣だと思って塞ぎ込み、故人との永遠
の別れの悲しみよりも、ただ折に触れて親しくお仕えして来た年月の名残が
尽きかねて、嘆いているのですが、それも尤もなことではございます。打ち
解けて我が家に居てくださることはございませんでしたが、それでもいつかは、
と、女房たちにもあてにならない期待を抱かせておりましたが、ほんに心細い
夕暮れでございます」と言ってまたお泣きになるのでした。

源氏の君は「何とも浅はかな女房たちの嘆きでございますことよ。おっしゃる
通り、どうあろうともいつかは私の気持ちもお分かりいただけよう、と呑気に
構えておりました頃は、自然とご無沙汰している折もございましたでしょうが、
却って今は何を頼りにしてご無沙汰することが出来ましょうか。今にお分かり
いただけましょう」と言って出て行かれるのを左大臣はお見送りなさってから、
源氏の君と葵の上が使っておられたお部屋にお入りになると、お部屋の飾り
つけをはじめ、以前と変わったところはないけれど、まるで蝉の抜け殻を
見ているような虚しい気がなさるのでした。


『源氏物語』五十四帖完読・第1号!

2020年2月8日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第170回)

ついにこの日がやって来ました。本日淵野辺クラスで、『源氏物語』
五十四帖の全てを読み終えました~\(^o^)/

14年と2ヶ月、いろんなことがありました。私事で恐縮ですが、
初孫誕生の知らせを受けたのが、この「五十四帖の会」の帰り道
でした。その孫も、この春から中学生になります。

また、東日本大震災の翌日が例会に当たったことも。どうなるの
かな?と思って幹事さんに問い合わせましたら、「やります」との
ことで、いつもと同じように出掛けました。さすがにこの時は、
参加者も少なく余震も頻繁にあって、早目に切り上げとなりました
が、そんなこんなで、この14年余、1回も抜けることなく、月に一度
のペースで読み続けた結果が、今日の完読に繋がりました。

作品を深く掘り下げて論じる、というのには程遠い、雑談の多い
講読会で、どれほどの知識も授けて差し上げられませんでしたが、
第1帖「桐壺」の「いづれの御時にか~」に始まり、第54帖「夢浮橋」
の最後「とぞ本にはべめる」までの全文を、一文字も抜かさず音読
した、ということだけは、皆さまの誇りにしていただいて良いと思って
おります。

原稿用紙にして2,000枚を遥かに超える原文を読み通したことに、
参加した意義を感じていただければ幸せです。


最高齢の登場人物

2020年2月6日(木) 八王子「源氏物語を読む会」(第169回)

予報通り、寒波の到来となりました。例会を終えて16時20分頃、
八王子駅前の電光掲示板の温度に目を遣ると、3℃。それでも
今日は日差しがあったので、その分寒さを感じずに済みました。

第53帖「手習」に入って3回目。このクラスもゴールまでにおそらく
半年はかからないだろう、というところまで来ました。これからは
回を重ねるごとに名残惜しさが募っていきそうです。

『源氏物語』の登場人物で、年齢が記されている人を見ると、この
「手習」の巻の大尼君(横川僧都や妹尼の母君)が最高齢では
ないかと思われます。

冒頭の横川僧都の紹介文の中に、「八十(やそぢ)あまりの母」と
あり、八十過ぎであることがわかります。

老人、老女、古人、などと、いかにも年寄りっぽく書かれていても、
せいぜい5、60代であることが多く、「いやだ、私より若いじゃない」
とガックリなことも多いのですが、さすがに80代という人は、この
大尼君(母尼)の他にはいません。今の感覚なら、確実に100歳を
超えていると考えてよいでしょう。

亡き娘の婿であった中将が、娘の身代わりと思って親身に世話を
している浮舟と結婚してくれることを願っている妹尼は、中将を無視
し続ける浮舟に成り代って歌を詠みかけ、中将を引き留めます。
その気になる中将、さてどうなっていくのか、というところで、この
母尼の登場となります。

もう孫娘の婿であった中将のことも「誰とも思ひ分かぬなるべし」
(誰だとも分かっていないらしい)とあります。認知症なのです。

中将の笛と妹尼の琴の琴の合奏は趣があり、母尼もこの夜ばかりは
宵のうちから寝てしまうこともなく、自分も和琴の名手だったとしゃしゃり
出て、中将の笛の調子に合わせることもなく、自分の弾きたいように
弾き、自己陶酔している有様でした。これに興ざめして、中将も帰って
行きました。

次回読む場面になりますが、妹尼の留守中に中将に言い寄られ、
母尼の部屋に逃げ込んだ浮舟は、母尼たちの大鼾に恐怖心を覚え、
夜中に目を覚ました母尼が浮舟に気づいて、「おや?これは誰だ?」
と、しわがれ声で言うのを聞くに及び、もう自分が今にも食べられて
しまいそうな気になります。

おそらく浮舟は、このような年寄りをこれまで一度見たことがなかった
のだと考えられます。それだけこの時代は、真の老人が少なかった、
ということでありましょう。


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