紫の上の結婚
2020年8月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第1回・通算48回・№2)
先週よりはマシだけどまだ高い気温。先週よりマシだけどまだ多い
感染者数。これらがストンと下がるのは、いつになるのでしょうか。
まぁ、猛暑のほうは、それでもあと数日の辛抱かと思いますが・・・。
「紫の会」は先週の月曜クラスに続いて、今日は木曜クラスのほうで、
初めてのオンライン例会を行いました。講読箇所は月曜クラスと同じ
です。
10歳の冬、半ば誘拐のような形で、源氏に二条院へと連れて来られた
若紫でした。それから丸4年、もうよかろう、と源氏は若紫と新枕を交わし、
若紫は源氏の妻・紫の上となりました。
その時の紫の上の驚き、羞恥心、悔しさ、が巧みな文章で描かれて
いることは8/17に書いた通りです(その記事は⇨⇨こちらから)。
この先、紫の上は43歳の秋に亡くなるまで、終生源氏の最愛の妻と
して過ごしますが、後半生は苦渋に満ちたものとなります。
それは紫の上が32歳の春、僅か14、5歳の女三の宮(父は源氏の兄・
朱雀院)が、源氏のもとに降嫁してきたからです。
既に20年以上、源氏と共に暮らして来た紫の上ですが、皇女の女三の宮
に身分は及びませんし、何よりもネックとなったのは、源氏と正式な結婚を
していなかったということでした。
当時の正式な結婚は、男性が女性の許に三夜続けて通い、そこで「露顕」
(ところあらわし)という、結婚披露宴にあたるものが行われ、初めて二人の
結婚が世間にも認知されました。ところが、源氏と紫の上の結婚は所謂
「野合」(やごう)と呼ばれるもので、今で言うなら事実婚、ということになり
ましょうか。
女三の宮が六条院に降嫁して来たころには、その実績からして、本人も
世間も、紫の上を正妻のように見なしていましたが、それはあくまで「正妻格」
であって「正妻」ではなかったのです。
それでも、女三の宮にその座を譲り、ひたすら耐え忍ぶことで六条院の平和
と秩序を守ろうとした紫の上でしたが、自らが病に倒れたことをきっかけに、
もろくも崩れ去ってしまいました。
第二部の「若菜上」以降、苦悩の中にあっても、常に周囲への気遣いを
最優先させて生きようとする紫の上が描かれます。「若紫」の巻で、初めて
源氏の前に姿を見せた時のあのあどけなさ、そして無垢な少女から大人の
女性になった時の、源氏に拗ねて見せるこの場面、第二部でも思い出して、
ぜひ重ね合わせて読んでいただきたいところです。
本日読みましたところの後半部分、詳しくは第9帖「葵」の全文訳(17)を
ご覧くださいませ。
先週よりはマシだけどまだ高い気温。先週よりマシだけどまだ多い
感染者数。これらがストンと下がるのは、いつになるのでしょうか。
まぁ、猛暑のほうは、それでもあと数日の辛抱かと思いますが・・・。
「紫の会」は先週の月曜クラスに続いて、今日は木曜クラスのほうで、
初めてのオンライン例会を行いました。講読箇所は月曜クラスと同じ
です。
10歳の冬、半ば誘拐のような形で、源氏に二条院へと連れて来られた
若紫でした。それから丸4年、もうよかろう、と源氏は若紫と新枕を交わし、
若紫は源氏の妻・紫の上となりました。
その時の紫の上の驚き、羞恥心、悔しさ、が巧みな文章で描かれて
いることは8/17に書いた通りです(その記事は⇨⇨こちらから)。
この先、紫の上は43歳の秋に亡くなるまで、終生源氏の最愛の妻と
して過ごしますが、後半生は苦渋に満ちたものとなります。
それは紫の上が32歳の春、僅か14、5歳の女三の宮(父は源氏の兄・
朱雀院)が、源氏のもとに降嫁してきたからです。
既に20年以上、源氏と共に暮らして来た紫の上ですが、皇女の女三の宮
に身分は及びませんし、何よりもネックとなったのは、源氏と正式な結婚を
していなかったということでした。
当時の正式な結婚は、男性が女性の許に三夜続けて通い、そこで「露顕」
(ところあらわし)という、結婚披露宴にあたるものが行われ、初めて二人の
結婚が世間にも認知されました。ところが、源氏と紫の上の結婚は所謂
「野合」(やごう)と呼ばれるもので、今で言うなら事実婚、ということになり
ましょうか。
女三の宮が六条院に降嫁して来たころには、その実績からして、本人も
世間も、紫の上を正妻のように見なしていましたが、それはあくまで「正妻格」
であって「正妻」ではなかったのです。
それでも、女三の宮にその座を譲り、ひたすら耐え忍ぶことで六条院の平和
と秩序を守ろうとした紫の上でしたが、自らが病に倒れたことをきっかけに、
もろくも崩れ去ってしまいました。
第二部の「若菜上」以降、苦悩の中にあっても、常に周囲への気遣いを
最優先させて生きようとする紫の上が描かれます。「若紫」の巻で、初めて
源氏の前に姿を見せた時のあのあどけなさ、そして無垢な少女から大人の
女性になった時の、源氏に拗ねて見せるこの場面、第二部でも思い出して、
ぜひ重ね合わせて読んでいただきたいところです。
本日読みましたところの後半部分、詳しくは第9帖「葵」の全文訳(17)を
ご覧くださいませ。
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第9帖「葵」の全文訳(17)
2020年8月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第1回・通算48回・№1)
今月よりオンラインでの例会を始めた溝の口の「紫の会」ですが、会場での
例会と同じように、月曜日クラスと木曜日クラスに分けましたので、今日の
木曜クラスは先週の月曜クラスと同じ、114頁・12行目~120頁・13行目迄を
読みました。その後半部分(118頁・1行目~120頁・13行目)の全文訳です。
前半は8/17の「葵」の全文訳(16)をご覧ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君は紫の上のご機嫌を取りあぐね、今初めて盗み出して来た人の
ような感じがするのもとても面白くて、「長年可愛いと思って来た気持ちは、
結ばれてからの感情に比べたら、ほんの一部分にも当たらない程だった、
人の心とは何ておかしなものなのだろう。今は一夜でも絶え間を置くのは
たまらないことであろう」と、お思いです。
お命じになった餅を、惟光は、こっそりとたいそう夜が更けるのを待って、
持参しました。少納言の乳母は年輩の者だから、紫の上がきまり悪くお思い
になろうか、と惟光は察しよく気を遣って、少納言の娘の弁という者を呼び
出して、「これをそっと差し上げてください」と言って香壺の筥を一つ差し
入れました。「これは間違いなく枕元にお持ちすべきお祝いの品でござい
ます。ゆめゆめ疎略にお扱いになりませぬよう」、と惟光が言うと、弁は
妙なことだと思いますが、「『あだ』(浮気)なんてこと、まだ存じませんのに」
と言って受け取るので、惟光は、「真面目な話、今はそんな『あだ』なんて
言葉は謹んでくださいよ。まさか使いはしないでしょうが」と言いました。
弁はまだ年若く、事情も深く察することが出来ないので、紫の上の許に持参
して、枕元の御几帳から差し入れましたが、源氏の君は、いつものように、
三日夜の餅の意味を紫の上に教えなさったことでしょうよ。
女房たちは知ることが出来ずにいましたが、翌朝、この筥を下げさせなさった
ので、お側近くにお仕えしている者たちは、お二人が夫婦の契りを交わされた
のだと思い合わせることがあれこれとありました。御皿なども、惟光はいつの
間に調達したのでしょう、花足の台のとても綺麗なのを用意して、餅の状態も
趣向を凝らし、とても美しく整えてありました。少納言の乳母は、よもやこれ程
までにしてくださることはなかろう、と思い申し上げていたのに、源氏の君の
ご配慮がしみじみと恐れ多く、行き届かない点のないお気持ちが嬉しくて、
先ず涙が出て来るのでした。「それにしても、内々に私たちにお命じ下されば
よかったのにね。あの人(惟光)も、どう思ったでしょう」と、女房たちは囁き
合っているのでした。
それからというものは、源氏の君は宮中にしろ、院の御所にしろ、ほんの
ちょっと参上なさっている間でさえ、落ち着かず、いつも紫の上の面影が
ちらついて恋しくてならないので、「妙な気持ちだなぁ」と、我ながらお思い
になっておりました。
お通いになっている女君たちからは、恨めしそうに、お便りを差し上げたり
なさることもあるので、源氏の君は、気の毒だとお思いになるお方もござい
ますが、結ばれたばかりの紫の上のことが気掛かりで、「一夜たりとも間を
置くことなどできようか」とお辛く思われて、他の女性の所へ通うのは億劫で、
専ら体調がすぐれない、ということになさって、「妻を亡くしたばかりで、この世
のことが厭わしく思われますので、この時期をやり過ごしてから、お目にかかり
ましょう」といったお返事だけをなさりながら、お過ごしになっておられました。
御匣殿(朧月夜)がやはり源氏の君にばかり心を寄せておられるので、右大臣
は、「なるほど、それもまた、あのような重々しくていらした本妻もお亡くなりに
なったようだから、源氏の君の正妻に納まることに、何の不足があろう」と
おっしゃいますが、弘徽殿の大后は、とても源氏の君を憎くお思いになって、
「宮仕えもしっかりとさえなさるなら、何も不都合はございますまい」と、朧月夜
の入内を熱心にお考えでした。源氏の君も、朧月夜への愛情は並々では
なかったので、残念だとはお思いですが、今は紫の上以外の女に心を分ける
気もなさらず、浮気などして何になろう。こんなにも短い人生のようだから、
このまま紫の上を妻に思い定めよう、おんなの怨みも受けないようにしよう、と、
六条御息所の一件以来、いっそう危ないことと懲り懲りしたお気持ちになって
おられました。
その六条御息所のことは、とてもお気の毒ではありますが、本当に正妻として
お頼り申し上げることになったら、必ず上手く行かないであろう、これまで通り、
愛人関係で大目に見て下さるのなら、しかるべき折にお便りを交わし合う相手
としては相応しいであろう、などと、さすがに全く御息所をお見限りにはなれず
にいらっしゃるのでした。
今月よりオンラインでの例会を始めた溝の口の「紫の会」ですが、会場での
例会と同じように、月曜日クラスと木曜日クラスに分けましたので、今日の
木曜クラスは先週の月曜クラスと同じ、114頁・12行目~120頁・13行目迄を
読みました。その後半部分(118頁・1行目~120頁・13行目)の全文訳です。
前半は8/17の「葵」の全文訳(16)をご覧ください。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君は紫の上のご機嫌を取りあぐね、今初めて盗み出して来た人の
ような感じがするのもとても面白くて、「長年可愛いと思って来た気持ちは、
結ばれてからの感情に比べたら、ほんの一部分にも当たらない程だった、
人の心とは何ておかしなものなのだろう。今は一夜でも絶え間を置くのは
たまらないことであろう」と、お思いです。
お命じになった餅を、惟光は、こっそりとたいそう夜が更けるのを待って、
持参しました。少納言の乳母は年輩の者だから、紫の上がきまり悪くお思い
になろうか、と惟光は察しよく気を遣って、少納言の娘の弁という者を呼び
出して、「これをそっと差し上げてください」と言って香壺の筥を一つ差し
入れました。「これは間違いなく枕元にお持ちすべきお祝いの品でござい
ます。ゆめゆめ疎略にお扱いになりませぬよう」、と惟光が言うと、弁は
妙なことだと思いますが、「『あだ』(浮気)なんてこと、まだ存じませんのに」
と言って受け取るので、惟光は、「真面目な話、今はそんな『あだ』なんて
言葉は謹んでくださいよ。まさか使いはしないでしょうが」と言いました。
弁はまだ年若く、事情も深く察することが出来ないので、紫の上の許に持参
して、枕元の御几帳から差し入れましたが、源氏の君は、いつものように、
三日夜の餅の意味を紫の上に教えなさったことでしょうよ。
女房たちは知ることが出来ずにいましたが、翌朝、この筥を下げさせなさった
ので、お側近くにお仕えしている者たちは、お二人が夫婦の契りを交わされた
のだと思い合わせることがあれこれとありました。御皿なども、惟光はいつの
間に調達したのでしょう、花足の台のとても綺麗なのを用意して、餅の状態も
趣向を凝らし、とても美しく整えてありました。少納言の乳母は、よもやこれ程
までにしてくださることはなかろう、と思い申し上げていたのに、源氏の君の
ご配慮がしみじみと恐れ多く、行き届かない点のないお気持ちが嬉しくて、
先ず涙が出て来るのでした。「それにしても、内々に私たちにお命じ下されば
よかったのにね。あの人(惟光)も、どう思ったでしょう」と、女房たちは囁き
合っているのでした。
それからというものは、源氏の君は宮中にしろ、院の御所にしろ、ほんの
ちょっと参上なさっている間でさえ、落ち着かず、いつも紫の上の面影が
ちらついて恋しくてならないので、「妙な気持ちだなぁ」と、我ながらお思い
になっておりました。
お通いになっている女君たちからは、恨めしそうに、お便りを差し上げたり
なさることもあるので、源氏の君は、気の毒だとお思いになるお方もござい
ますが、結ばれたばかりの紫の上のことが気掛かりで、「一夜たりとも間を
置くことなどできようか」とお辛く思われて、他の女性の所へ通うのは億劫で、
専ら体調がすぐれない、ということになさって、「妻を亡くしたばかりで、この世
のことが厭わしく思われますので、この時期をやり過ごしてから、お目にかかり
ましょう」といったお返事だけをなさりながら、お過ごしになっておられました。
御匣殿(朧月夜)がやはり源氏の君にばかり心を寄せておられるので、右大臣
は、「なるほど、それもまた、あのような重々しくていらした本妻もお亡くなりに
なったようだから、源氏の君の正妻に納まることに、何の不足があろう」と
おっしゃいますが、弘徽殿の大后は、とても源氏の君を憎くお思いになって、
「宮仕えもしっかりとさえなさるなら、何も不都合はございますまい」と、朧月夜
の入内を熱心にお考えでした。源氏の君も、朧月夜への愛情は並々では
なかったので、残念だとはお思いですが、今は紫の上以外の女に心を分ける
気もなさらず、浮気などして何になろう。こんなにも短い人生のようだから、
このまま紫の上を妻に思い定めよう、おんなの怨みも受けないようにしよう、と、
六条御息所の一件以来、いっそう危ないことと懲り懲りしたお気持ちになって
おられました。
その六条御息所のことは、とてもお気の毒ではありますが、本当に正妻として
お頼り申し上げることになったら、必ず上手く行かないであろう、これまで通り、
愛人関係で大目に見て下さるのなら、しかるべき折にお便りを交わし合う相手
としては相応しいであろう、などと、さすがに全く御息所をお見限りにはなれず
にいらっしゃるのでした。
噂話って楽しいわよね
2020年8月21日(金) オンライン『枕草子』(第1回 通算第42回)
先月お試しミーティングを済ませ、今月からオンラインでの『枕草子』の
講読会もスタートしました。
コロナの感染者数も高止まりしていますし、何と言ってもこの猛暑なので、
自宅に居ながら講読会が出来るのは、有難いですね。
会場での例会の場合は、一斉に声を合わせて音読していただいているの
ですが、オンラインでは声を合わせるのは難しく、一人ひとり順番に読んで
いただくことになりました。『源氏物語』のほうもそうなのですが、初めての
試みにも拘らず、皆さま本当にスラスラとお上手に読まれるので、予め
割り振りがしてあるとはいえ、「お見事!」と拍手したくなります。
今日は第245段~第255段までを読みましたが、その中から清少納言
ならではの隠し立てのない正直な物言いに、思わずクスッと笑ってしまう
第252段をご紹介しておきましょう。
「いかでか、いはではあらむ」(どうして言わずにいられようか)、とは何か、
というと、「人のうへ」(他人の噂話)なのだそうです。これほどしゃべりたく
なるものは他には無い、と言っています。あまり褒められた行為ではないし、
本人の耳に入ったら恨まれるかもしれないから、まずいことだ、と認めても
います。
千年前も今も変らない人間の本性のようなものなのでしょうが、それを
このようにすんなりと「わかっちゃいるけどやめられないのよね」と書ける
のは、清少納言だからこそでしょう。
紫式部は『紫式部日記』の中で、すごく理屈っぽい分かり難い文章で、
「人を非難するのは、たやすいことだけど、自分のことは棚に上げて、
そんなことをすると、浅はかさが露見するものだ」と、慎重な物言いを
しています(それにしては、清少納言のことなど滅茶苦茶悪く書いて
ますけどね⇨⇨関連記事はこちらから)。
仲間と一緒に、そこに居ない人の噂話をして楽しむ清少納言。仲間には
加わらず、一歩引いたところで、そうした面白がって噂話に興じている
人間をじっと観察している紫式部。
思うままを口にするのがエッセイストとしての資質で、じっくりと洞察して
構想を練るのがストーリーテラーの資質とするなら、ここはそうした適性に
ついても、なるほどと思える段なのではないでしょうか。
先月お試しミーティングを済ませ、今月からオンラインでの『枕草子』の
講読会もスタートしました。
コロナの感染者数も高止まりしていますし、何と言ってもこの猛暑なので、
自宅に居ながら講読会が出来るのは、有難いですね。
会場での例会の場合は、一斉に声を合わせて音読していただいているの
ですが、オンラインでは声を合わせるのは難しく、一人ひとり順番に読んで
いただくことになりました。『源氏物語』のほうもそうなのですが、初めての
試みにも拘らず、皆さま本当にスラスラとお上手に読まれるので、予め
割り振りがしてあるとはいえ、「お見事!」と拍手したくなります。
今日は第245段~第255段までを読みましたが、その中から清少納言
ならではの隠し立てのない正直な物言いに、思わずクスッと笑ってしまう
第252段をご紹介しておきましょう。
「いかでか、いはではあらむ」(どうして言わずにいられようか)、とは何か、
というと、「人のうへ」(他人の噂話)なのだそうです。これほどしゃべりたく
なるものは他には無い、と言っています。あまり褒められた行為ではないし、
本人の耳に入ったら恨まれるかもしれないから、まずいことだ、と認めても
います。
千年前も今も変らない人間の本性のようなものなのでしょうが、それを
このようにすんなりと「わかっちゃいるけどやめられないのよね」と書ける
のは、清少納言だからこそでしょう。
紫式部は『紫式部日記』の中で、すごく理屈っぽい分かり難い文章で、
「人を非難するのは、たやすいことだけど、自分のことは棚に上げて、
そんなことをすると、浅はかさが露見するものだ」と、慎重な物言いを
しています(それにしては、清少納言のことなど滅茶苦茶悪く書いて
ますけどね⇨⇨関連記事はこちらから)。
仲間と一緒に、そこに居ない人の噂話をして楽しむ清少納言。仲間には
加わらず、一歩引いたところで、そうした面白がって噂話に興じている
人間をじっと観察している紫式部。
思うままを口にするのがエッセイストとしての資質で、じっくりと洞察して
構想を練るのがストーリーテラーの資質とするなら、ここはそうした適性に
ついても、なるほどと思える段なのではないでしょうか。
「若紫」から「紫の上」になる
2020年8月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第1回・通算48回・№2)
溝の口の「紫の会」も、今月からオンラインでの講座を開始しました。
今日がその1回目です。オンラインでは一度に20人は多い感じがしますし、
これまでも、第2月曜日と第4木曜日の二クラスに分けてやってきたので、
オンライン参加の人数はちょうど一クラス分位ですが、従来通り二クラスで
行うことにしました。
本日の講読箇所の中心は、若紫が紫の上(「上」というのは、貴人の妻に
対する敬称)となり、一夜明けたのちの紫の上の羞恥心からくる困惑、
これまで父か兄のように慕って来た源氏に裏切られた思いからくる嫌悪感、
それが見事に活写された場面です。
若紫が源氏に引き取られてちょうど4年が経ち、若紫も14歳になっています。
これまでただ可愛い少女、として慈しんできた源氏も、夫婦となる機が熟した、
と考えます。
ある日、源氏は早くに起きて、紫の上(ここから呼称を「紫の上」とします)は
いつまで経っても起きてこない、という朝がありました。
これまでもずっと二人は同じ御帳台(天蓋付きのベッド)で寝ていたので、
女房たちもこの日を境に夫婦関係になった、とは気づいていません。
源氏がご自分のお部屋(東の対)にお渡りになってから、紫の上は思います。
「かかる御心おはすらむとは、かけてもおぼし寄らざりしかば、などてかう
心憂かりける御心を、うらなくたのもしきものに思ひきこえけむと、あさましう
おぼさる」(源氏にこんなことをなさるお心があったとは、思いも寄らなかった
ことだけに、紫の上は、どうしてこんないやらしいお心を、疑いもせず、心底
お頼りする気になっていたのであろう、と、とてもあきれたことにお思いでした)。
必要な通過儀礼であったとは言え、純真無垢な少女にとって、気持ちの整理
がつかない初体験の驚きと悔しさが、実に鮮やかに表出されていると思います。
お昼頃になって、源氏がこちら(西の対)にいらしても、紫の上は、夜着を頭
から被って、汗びっしょりになって寝ています。源氏が残して行かれたお歌にも
勿論返歌などありません。あれこれとご機嫌を取ろうとしても、紫の上は一言
の返事もせず、ご機嫌が直る様子は全く見られませんでした。その紫の上の
拗ねている姿は、源氏の目に「らうたし」「らうたげなり」と映るのでした。
繰り返し「らうたし」(ああ、なんて可愛いんだ、という心情表現)を使うことで、
源氏が新妻となった紫の上を愛しく思う気持ちが、読者に直に伝わってきます。
この場面を詳しくお読みいただくには、先に書きました全文訳(⇨⇨こちらから)を
ご覧くださいませ。
溝の口の「紫の会」も、今月からオンラインでの講座を開始しました。
今日がその1回目です。オンラインでは一度に20人は多い感じがしますし、
これまでも、第2月曜日と第4木曜日の二クラスに分けてやってきたので、
オンライン参加の人数はちょうど一クラス分位ですが、従来通り二クラスで
行うことにしました。
本日の講読箇所の中心は、若紫が紫の上(「上」というのは、貴人の妻に
対する敬称)となり、一夜明けたのちの紫の上の羞恥心からくる困惑、
これまで父か兄のように慕って来た源氏に裏切られた思いからくる嫌悪感、
それが見事に活写された場面です。
若紫が源氏に引き取られてちょうど4年が経ち、若紫も14歳になっています。
これまでただ可愛い少女、として慈しんできた源氏も、夫婦となる機が熟した、
と考えます。
ある日、源氏は早くに起きて、紫の上(ここから呼称を「紫の上」とします)は
いつまで経っても起きてこない、という朝がありました。
これまでもずっと二人は同じ御帳台(天蓋付きのベッド)で寝ていたので、
女房たちもこの日を境に夫婦関係になった、とは気づいていません。
源氏がご自分のお部屋(東の対)にお渡りになってから、紫の上は思います。
「かかる御心おはすらむとは、かけてもおぼし寄らざりしかば、などてかう
心憂かりける御心を、うらなくたのもしきものに思ひきこえけむと、あさましう
おぼさる」(源氏にこんなことをなさるお心があったとは、思いも寄らなかった
ことだけに、紫の上は、どうしてこんないやらしいお心を、疑いもせず、心底
お頼りする気になっていたのであろう、と、とてもあきれたことにお思いでした)。
必要な通過儀礼であったとは言え、純真無垢な少女にとって、気持ちの整理
がつかない初体験の驚きと悔しさが、実に鮮やかに表出されていると思います。
お昼頃になって、源氏がこちら(西の対)にいらしても、紫の上は、夜着を頭
から被って、汗びっしょりになって寝ています。源氏が残して行かれたお歌にも
勿論返歌などありません。あれこれとご機嫌を取ろうとしても、紫の上は一言
の返事もせず、ご機嫌が直る様子は全く見られませんでした。その紫の上の
拗ねている姿は、源氏の目に「らうたし」「らうたげなり」と映るのでした。
繰り返し「らうたし」(ああ、なんて可愛いんだ、という心情表現)を使うことで、
源氏が新妻となった紫の上を愛しく思う気持ちが、読者に直に伝わってきます。
この場面を詳しくお読みいただくには、先に書きました全文訳(⇨⇨こちらから)を
ご覧くださいませ。
第9帖「葵」の全文訳(16)
2020年8月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第1回・通算48回・№1)
本日より開始の「オンライン紫の会」、114頁・12行目~120頁・13行目までを
読みました。その前半部分(114頁・12行目~117頁・14行目)の全文訳です。
後半は8/27(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
若紫が、何事につけても理想的にすっかり成長なさって、とても素晴らしい、
とばかりお見えになるので、源氏の君は、もう夫婦の契りを結んでも
似つかわしくないことはない、と思い込まれて、結婚を匂わすことなどを、
折々話して気を引いてごらんになりますが、若紫は全くお分かりではない
ご様子でした。
源氏の君は暇に任せて、ただ西の対で若紫相手に、碁を打ったり、偏つぎ
などをしながら、一日をお過ごしになっているうちに、若紫の気性が、利発で
魅力があり、何でもない遊びをしていても、可愛らしい仕草をしてお見せに
なるので、男女の仲になることを考えていなかった年月こそ、ただそうした
可愛らしさばかりを感じていたけれど、もう我慢できなくなって、可哀想では
ありますが、どういうことだったのでしょうか、傍目にはその辺りの事情を
お見分け出来かねる間柄でいらっしゃったので、源氏の君は早くに起き
なさって、紫の上は一向にお起きにならない朝がございました。
女房たちが、「どうしてこんな風でいらっしゃるのかしら。ご気分がお悪いの
でしょうか」と、拝見して嘆いておりますと、源氏の君は東の対にお出でに
なるとのことで、硯箱を御帳台の中に差し入れて出て行かれました。
女房たちがいない間に、紫の上がやっと頭をもたげなさると、引き結んだ
手紙が枕元に置いてありました。何気なく開けてご覧になると、
「あやなくも隔てけるかな夜をかさねさすがに馴れし夜の衣を」(訳もなく、
あなたと結ばれることもなく、隔てを置いた夜を重ねて着たことです。そうは
言うものの、今まで幾夜も一緒に夜の衣を共にした仲ですのに)
と、筆に任せて書き流されたような文でした。源氏の君にこんなことをなさる
お心があろうとは、思いも寄らなかったことだけに、紫の上は、どうしてこんな
いやらしいお心を、疑いもせず、心底お頼りする気になっていたのであろう、
と、とてもあきれたことにお思いでした。
源氏の君はお昼頃に西の対にお渡りになって、「お加減がお悪いそうですが、
どんなご気分ですか。今日は碁も打たないで、物足りないことだね」と言って、
覗きなさると、紫の上は、いっそうお召し物を引き被って横になっておられ
ました。女房たちは引き下がって控えているので、源氏の君は、紫の上の
側にお寄りになって、「どうしてこんなに気詰まりなお扱いをなさるのですか。
案外冷たいお方だったのですね。女房たちも、どんなに変だと思っている
でしょう」と言って、夜着をめくってご覧になると、紫の上は汗びっしょりで、
額髪もひどく濡れておりました。「おや、いけない。これはとても不吉なこと
ですよ」と言って、源氏の君は、あれこれとご機嫌をお取りになりますが、
紫の上は本当にひどいとお思いなので、一言のお返事もなさいません。
「よしよし。もう決してお目にかかりますまい。私はとってもきまりが悪いよ」
と、恨み言をおっしゃって、硯箱の蓋を開けてご覧になりましたが、返歌も
ないので、うぶなご様子だなぁ、と、可愛くご覧になって、源氏の君は、
一日中御帳台の中にお入りになりお慰めになりますが、ご機嫌が直らない
紫の上のご様子は、いっそう可愛らし気でありました。
その夜になって、邸内では、亥の子餅を紫の上に差し上げました。
源氏の君が喪に服しておられるので、大げさにはせず、西の対の紫の上
のところにだけ、しゃれた檜破籠程度にいれたものなどを、色とりどりに
して持参したのをご覧になって、源氏の君は、西の対の南面に惟光を
お呼びになって、「この餅を、こんなに沢山仰々しくはせずに、明日の暮に
こちらに持参せよ。今日は縁起の良くない日だからね」と、照れ笑いを
見せながらおっしゃいます。惟光は察しのいい男なので、すぐに事の
次第を理解しました。惟光は詳細を承ることもせず、「まことに、愛敬の
はじめは、吉日を選んで召し上がるべきでございます。それにしても、
子の子餅はいくつご用意すればよろしうございましょう」と、真面目な
顔で申すので、「この三分の一位でよかろうよ」と、源氏の君が
おっしゃると、惟光はすっかり呑み込んで、立ち去って行きました。
「物慣れた様子だなぁ」と、源氏の君はお思いでした。惟光は誰にも
相談せず、自分の手作りと言わんばかりに、自宅で用意したのでした。
本日より開始の「オンライン紫の会」、114頁・12行目~120頁・13行目までを
読みました。その前半部分(114頁・12行目~117頁・14行目)の全文訳です。
後半は8/27(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
若紫が、何事につけても理想的にすっかり成長なさって、とても素晴らしい、
とばかりお見えになるので、源氏の君は、もう夫婦の契りを結んでも
似つかわしくないことはない、と思い込まれて、結婚を匂わすことなどを、
折々話して気を引いてごらんになりますが、若紫は全くお分かりではない
ご様子でした。
源氏の君は暇に任せて、ただ西の対で若紫相手に、碁を打ったり、偏つぎ
などをしながら、一日をお過ごしになっているうちに、若紫の気性が、利発で
魅力があり、何でもない遊びをしていても、可愛らしい仕草をしてお見せに
なるので、男女の仲になることを考えていなかった年月こそ、ただそうした
可愛らしさばかりを感じていたけれど、もう我慢できなくなって、可哀想では
ありますが、どういうことだったのでしょうか、傍目にはその辺りの事情を
お見分け出来かねる間柄でいらっしゃったので、源氏の君は早くに起き
なさって、紫の上は一向にお起きにならない朝がございました。
女房たちが、「どうしてこんな風でいらっしゃるのかしら。ご気分がお悪いの
でしょうか」と、拝見して嘆いておりますと、源氏の君は東の対にお出でに
なるとのことで、硯箱を御帳台の中に差し入れて出て行かれました。
女房たちがいない間に、紫の上がやっと頭をもたげなさると、引き結んだ
手紙が枕元に置いてありました。何気なく開けてご覧になると、
「あやなくも隔てけるかな夜をかさねさすがに馴れし夜の衣を」(訳もなく、
あなたと結ばれることもなく、隔てを置いた夜を重ねて着たことです。そうは
言うものの、今まで幾夜も一緒に夜の衣を共にした仲ですのに)
と、筆に任せて書き流されたような文でした。源氏の君にこんなことをなさる
お心があろうとは、思いも寄らなかったことだけに、紫の上は、どうしてこんな
いやらしいお心を、疑いもせず、心底お頼りする気になっていたのであろう、
と、とてもあきれたことにお思いでした。
源氏の君はお昼頃に西の対にお渡りになって、「お加減がお悪いそうですが、
どんなご気分ですか。今日は碁も打たないで、物足りないことだね」と言って、
覗きなさると、紫の上は、いっそうお召し物を引き被って横になっておられ
ました。女房たちは引き下がって控えているので、源氏の君は、紫の上の
側にお寄りになって、「どうしてこんなに気詰まりなお扱いをなさるのですか。
案外冷たいお方だったのですね。女房たちも、どんなに変だと思っている
でしょう」と言って、夜着をめくってご覧になると、紫の上は汗びっしょりで、
額髪もひどく濡れておりました。「おや、いけない。これはとても不吉なこと
ですよ」と言って、源氏の君は、あれこれとご機嫌をお取りになりますが、
紫の上は本当にひどいとお思いなので、一言のお返事もなさいません。
「よしよし。もう決してお目にかかりますまい。私はとってもきまりが悪いよ」
と、恨み言をおっしゃって、硯箱の蓋を開けてご覧になりましたが、返歌も
ないので、うぶなご様子だなぁ、と、可愛くご覧になって、源氏の君は、
一日中御帳台の中にお入りになりお慰めになりますが、ご機嫌が直らない
紫の上のご様子は、いっそう可愛らし気でありました。
その夜になって、邸内では、亥の子餅を紫の上に差し上げました。
源氏の君が喪に服しておられるので、大げさにはせず、西の対の紫の上
のところにだけ、しゃれた檜破籠程度にいれたものなどを、色とりどりに
して持参したのをご覧になって、源氏の君は、西の対の南面に惟光を
お呼びになって、「この餅を、こんなに沢山仰々しくはせずに、明日の暮に
こちらに持参せよ。今日は縁起の良くない日だからね」と、照れ笑いを
見せながらおっしゃいます。惟光は察しのいい男なので、すぐに事の
次第を理解しました。惟光は詳細を承ることもせず、「まことに、愛敬の
はじめは、吉日を選んで召し上がるべきでございます。それにしても、
子の子餅はいくつご用意すればよろしうございましょう」と、真面目な
顔で申すので、「この三分の一位でよかろうよ」と、源氏の君が
おっしゃると、惟光はすっかり呑み込んで、立ち去って行きました。
「物慣れた様子だなぁ」と、源氏の君はお思いでした。惟光は誰にも
相談せず、自分の手作りと言わんばかりに、自宅で用意したのでした。
第9帖「葵」の全文訳(15)
2020年8月17日(月)
この全文訳は、7月に「紫の会」木曜クラスの2月分の例会を会場で
読んだ時に書くつもりでしたが、7月の終わり頃には新型コロナの
感染が再び拡大して、会場での講読会は中止となり、残ってしまった
部分です。6月25日の第9帖「葵」の全文訳(14)の続きとなります。
オンラインでの例会を開始する前に、ここだけを書いておくべきでした
が、忘れておりました。今日、オンラインで、その先を読みましたので、
こちらを先に書いておきます(113頁・1行目~114頁・11行目まで)。
2月例会分の最後の1/4となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
二条院では部屋部屋を掃き清めて、男も女も源氏の君のお帰りをお待ち
申し上げておりました。上席の女房たちも皆参上して、我も我もと着飾り、
化粧をしているのを見るにつけても、あの左大臣家で、ずらりとい並び、
悲しみに沈んでいた女房たちの様子が、源氏の君にはしみじみと思い
出されるのでありました。装束をお召換えになって、若紫の居る西の対へ
とお出でになりました。
西の対では、冬支度に変わったお部屋の飾りつけが、明るくくっきりと
見えて、美しい若女房や女童の身なりや姿が見苦しくなく整えてあって、
少納言の乳母の采配ぶりは、行き届かないところがなく、奥ゆかしいと、
源氏の君はご覧になりました。
若紫は、とても可愛らしく着飾っていらっしゃいます。源氏の君が、
「長い間お目にかからないうちに、すっかり大人っぽくなられましたね」と
言って、小さな御几帳を引き上げてご覧になると、横を向いて恥じらって
おられる若紫のご様子は、何一つ不足なところはありません。火影に
浮かぶ横顔、頭の形など、ただもう、あの思いの限りを尽くしてお慕い
申し上げているお方にそっくりに成長して行くことであるよ、とご覧になる
と、源氏の君はとても嬉しくお思いでした。
近くにお寄りになって、会えなくて気掛かりだった時のことをあれこれ
申し上げなさって、「留守中のお話をゆっくりと申し上げたいが、喪に
服していた場所から帰って来たばかりで、縁起も良くないと思われます
ので、しばらく他で休息してから、また参りましょう。これからはいつでも
お会い申せましょうから、もう私に飽きてしまって、嫌だとまでお思いに
なるかもしれない」と、こまやかにお話申されるのを、少納言の乳母は
嬉しく聞きながらも、やはり不安に思い申し上げています。高貴な秘密の
お通い所も沢山おありのようだから、また面倒な権門の姫君が、葵の上
に代わって出て来られるかもしれない、と思っているのは、憎らしい気の
回しようですこと。
源氏の君はご自分のお部屋にお出でになって、中将の君という女房に、
おみ足などを気楽に揉ませて、おやすみになりました。翌朝、若君(夕霧)
のもとに、お手紙を遣わされました。しみじみとしたお返事をご覧になるに
つけても、限りなく悲しいことばかりが書かれております。源氏の君は、
たいそう所在なく、物思いに耽りがちですが、ちょっとしたお出歩きも億劫に
お思いになられて、女性のもとを訪れる気にもなれずにいらっしゃいました。
この全文訳は、7月に「紫の会」木曜クラスの2月分の例会を会場で
読んだ時に書くつもりでしたが、7月の終わり頃には新型コロナの
感染が再び拡大して、会場での講読会は中止となり、残ってしまった
部分です。6月25日の第9帖「葵」の全文訳(14)の続きとなります。
オンラインでの例会を開始する前に、ここだけを書いておくべきでした
が、忘れておりました。今日、オンラインで、その先を読みましたので、
こちらを先に書いておきます(113頁・1行目~114頁・11行目まで)。
2月例会分の最後の1/4となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
二条院では部屋部屋を掃き清めて、男も女も源氏の君のお帰りをお待ち
申し上げておりました。上席の女房たちも皆参上して、我も我もと着飾り、
化粧をしているのを見るにつけても、あの左大臣家で、ずらりとい並び、
悲しみに沈んでいた女房たちの様子が、源氏の君にはしみじみと思い
出されるのでありました。装束をお召換えになって、若紫の居る西の対へ
とお出でになりました。
西の対では、冬支度に変わったお部屋の飾りつけが、明るくくっきりと
見えて、美しい若女房や女童の身なりや姿が見苦しくなく整えてあって、
少納言の乳母の采配ぶりは、行き届かないところがなく、奥ゆかしいと、
源氏の君はご覧になりました。
若紫は、とても可愛らしく着飾っていらっしゃいます。源氏の君が、
「長い間お目にかからないうちに、すっかり大人っぽくなられましたね」と
言って、小さな御几帳を引き上げてご覧になると、横を向いて恥じらって
おられる若紫のご様子は、何一つ不足なところはありません。火影に
浮かぶ横顔、頭の形など、ただもう、あの思いの限りを尽くしてお慕い
申し上げているお方にそっくりに成長して行くことであるよ、とご覧になる
と、源氏の君はとても嬉しくお思いでした。
近くにお寄りになって、会えなくて気掛かりだった時のことをあれこれ
申し上げなさって、「留守中のお話をゆっくりと申し上げたいが、喪に
服していた場所から帰って来たばかりで、縁起も良くないと思われます
ので、しばらく他で休息してから、また参りましょう。これからはいつでも
お会い申せましょうから、もう私に飽きてしまって、嫌だとまでお思いに
なるかもしれない」と、こまやかにお話申されるのを、少納言の乳母は
嬉しく聞きながらも、やはり不安に思い申し上げています。高貴な秘密の
お通い所も沢山おありのようだから、また面倒な権門の姫君が、葵の上
に代わって出て来られるかもしれない、と思っているのは、憎らしい気の
回しようですこと。
源氏の君はご自分のお部屋にお出でになって、中将の君という女房に、
おみ足などを気楽に揉ませて、おやすみになりました。翌朝、若君(夕霧)
のもとに、お手紙を遣わされました。しみじみとしたお返事をご覧になるに
つけても、限りなく悲しいことばかりが書かれております。源氏の君は、
たいそう所在なく、物思いに耽りがちですが、ちょっとしたお出歩きも億劫に
お思いになられて、女性のもとを訪れる気にもなれずにいらっしゃいました。
薫の目に映る二人の姫君
2020年8月14日(金) 溝の口「オンライン源氏の会」(第2回・通算142回)
連日の猛暑でテレビに映る日本列島の地図は真っ赤っか。今日も
各地で40度に迫る最高気温を記録しています。下旬までこの状態
が続くそうで、今は新型コロナもさることながら、熱中症にも最大限
の注意を要するようですね。
オンラインでの「源氏の会」、今日が2回目の例会となりました。
会場で読んでいるなら先月分と今月分、併せて1回分となるところ
ですが、オンラインではそれを2回に分けて講読、今回で第46帖
「椎本」を読み終えました。
「椎本」の最後は、八の宮が亡くなった翌年の夏、涼を求めて宇治へ
出掛けた薫が、襖の穴から大君、中の君の姿をつぶさに垣間見る
場面となっています。
先ずは中の君。すらりとした容姿、髪はたっぷりと長く、表情も可憐で、
もの柔らかなおっとりとした風情は、女一の宮もこんな感じなのでは、
と薫に連想させるほどです。女一の宮は今上帝と明石中宮の第一皇女
で、文字通りの京でのトップレディですから、ここで読者は、中の君が
宇治のような山里に育ちながらも、京の上流社会で通用する資質が
備わっているのを、薫の目を通して知ることになります。
一方の大君は、より上品で優雅に見えます。たしなみ深く、奥ゆかしさが、
今風の言葉を借りるなら「半端ない」のです。父宮亡き後「八の宮家」を
背負う立場となり、気苦労を重ねているせいか、髪も少し抜け落ち、
痩せ細って痛々しい感じがします。でも、既に大君を理想の女性として
思い描いていることも多分に作用していると考えられましょうが、この
垣間見で、薫の大君への思慕の念は決定的なものとなりました。
源氏が初めて若紫を垣間見た場面同様、ここでは薫の目がテレビカメラ
のような役割を果たす形で描かれています。
「橋姫」・「椎本」で、次々と布石が打たれてきた「宇治十帖」での新たな
恋の物語、次の「総角」の巻から大きなうねりとなって展開していきます。
次回は、「総角結び」の実演講習もしていただく予定です。
連日の猛暑でテレビに映る日本列島の地図は真っ赤っか。今日も
各地で40度に迫る最高気温を記録しています。下旬までこの状態
が続くそうで、今は新型コロナもさることながら、熱中症にも最大限
の注意を要するようですね。
オンラインでの「源氏の会」、今日が2回目の例会となりました。
会場で読んでいるなら先月分と今月分、併せて1回分となるところ
ですが、オンラインではそれを2回に分けて講読、今回で第46帖
「椎本」を読み終えました。
「椎本」の最後は、八の宮が亡くなった翌年の夏、涼を求めて宇治へ
出掛けた薫が、襖の穴から大君、中の君の姿をつぶさに垣間見る
場面となっています。
先ずは中の君。すらりとした容姿、髪はたっぷりと長く、表情も可憐で、
もの柔らかなおっとりとした風情は、女一の宮もこんな感じなのでは、
と薫に連想させるほどです。女一の宮は今上帝と明石中宮の第一皇女
で、文字通りの京でのトップレディですから、ここで読者は、中の君が
宇治のような山里に育ちながらも、京の上流社会で通用する資質が
備わっているのを、薫の目を通して知ることになります。
一方の大君は、より上品で優雅に見えます。たしなみ深く、奥ゆかしさが、
今風の言葉を借りるなら「半端ない」のです。父宮亡き後「八の宮家」を
背負う立場となり、気苦労を重ねているせいか、髪も少し抜け落ち、
痩せ細って痛々しい感じがします。でも、既に大君を理想の女性として
思い描いていることも多分に作用していると考えられましょうが、この
垣間見で、薫の大君への思慕の念は決定的なものとなりました。
源氏が初めて若紫を垣間見た場面同様、ここでは薫の目がテレビカメラ
のような役割を果たす形で描かれています。
「橋姫」・「椎本」で、次々と布石が打たれてきた「宇治十帖」での新たな
恋の物語、次の「総角」の巻から大きなうねりとなって展開していきます。
次回は、「総角結び」の実演講習もしていただく予定です。
オンライン「紫の会」のお試しミーティング
2020年8月10日(月)
今日はこの夏(暦の上では秋を迎えていますけどね)一番の暑さを
記録したとのことで、全国177の地点で猛暑日を観測したそうです。
昨年も、一昨年も、「記録的な猛暑」と言っていましたが、それが
普通になっていく気がします。やはりこれも地球温暖化の仕業なの
でしょうか。
本来第2月曜日は、溝の口「紫の会」の例会日です。でも、新型コロナ
で会場での再開は未だ目途の立たない状態が続いています。溝の口
の『源氏物語』の先行クラスに続いて、こちらも今月からオンラインでの
講座を始めることになりました。これで「枕草子の会」と併せて、三つの
講読会でオンラインクラスがスタートします。
それに先立ち、本日お試しミーティングを行いました。既にオンラインで
繋がるのが初めてではない方も多くなったので、お試しミーテイングも
回を重ねるごとにスムーズに話し合いが出来るようになってきました。
今日が初めての方には、一部トラブルも生じましたが、来週から始まる
本番の例会までには問題も解決していると思います。
オンライン「紫の会」は、これまでの対面でやっていた時と同様、2クラス
に分けて進めていきます。1週間後の月曜日と、第4木曜日の27日が
第1回目になります。
月に4回のオンライン講座がスタートしたことで、ブログでの『源氏物語』
や『枕草子』に関する記事もまた復活出来そうです(コロナの前に比べる
と少ないですけれど・・・)。
今日はこの夏(暦の上では秋を迎えていますけどね)一番の暑さを
記録したとのことで、全国177の地点で猛暑日を観測したそうです。
昨年も、一昨年も、「記録的な猛暑」と言っていましたが、それが
普通になっていく気がします。やはりこれも地球温暖化の仕業なの
でしょうか。
本来第2月曜日は、溝の口「紫の会」の例会日です。でも、新型コロナ
で会場での再開は未だ目途の立たない状態が続いています。溝の口
の『源氏物語』の先行クラスに続いて、こちらも今月からオンラインでの
講座を始めることになりました。これで「枕草子の会」と併せて、三つの
講読会でオンラインクラスがスタートします。
それに先立ち、本日お試しミーティングを行いました。既にオンラインで
繋がるのが初めてではない方も多くなったので、お試しミーテイングも
回を重ねるごとにスムーズに話し合いが出来るようになってきました。
今日が初めての方には、一部トラブルも生じましたが、来週から始まる
本番の例会までには問題も解決していると思います。
オンライン「紫の会」は、これまでの対面でやっていた時と同様、2クラス
に分けて進めていきます。1週間後の月曜日と、第4木曜日の27日が
第1回目になります。
月に4回のオンライン講座がスタートしたことで、ブログでの『源氏物語』
や『枕草子』に関する記事もまた復活出来そうです(コロナの前に比べる
と少ないですけれど・・・)。
今日は友人と楽しみました
2020年8月4日(火)
大学のクラスメイトであり、職場の同僚でもあった友人とは、これまで
年に数回顔を合わせて語り合えるのが楽しみな間柄でした。ところが
今年は春からコロナで一度も会えないまま、時折のメールに近況を
知るだけで過ごしてきましたが、先日メールを遣り取りした際、この
ブログでも紹介した「リモートカフェタイム」のことを伝えたところ、
「やりましょう」ということになりました。
折角の「カフェタイム」なのだから、と、それぞれおやつの用意をする
ことも約束しました。

友人のおやつは、アイスコーヒーに手作りのババロア。
美味しそう!写真は彼女のスマホで写して送ってもらい
ましたが、リモートではお味見までは無理😢う~ん残念。

おやつを提案したのは私なのに、こちらは既製品のみ。
戴き物のゴディバのチョコレートと、六花亭の「めんこい
大平原」(COOPの宅配で、これが出たら必ず買っている
お気に入り菓子の一つ)。ちょっと安直で恥ずかしい!
「こうして顔を見ながらお話出来るのは、やはり電話とは違う良さが
あるわよね」と言い、「次回は大学時代の他の友人たちにも声を
掛けてまたやりましょうよ」ということで意見が一致。
外は猛暑となっていましたが、1時間半の「リモートカフェタイム」
(スミマセン、命名者の許可無しで使ってしまって!)を楽しんだ
真夏の昼下がりでした。
大学のクラスメイトであり、職場の同僚でもあった友人とは、これまで
年に数回顔を合わせて語り合えるのが楽しみな間柄でした。ところが
今年は春からコロナで一度も会えないまま、時折のメールに近況を
知るだけで過ごしてきましたが、先日メールを遣り取りした際、この
ブログでも紹介した「リモートカフェタイム」のことを伝えたところ、
「やりましょう」ということになりました。
折角の「カフェタイム」なのだから、と、それぞれおやつの用意をする
ことも約束しました。

友人のおやつは、アイスコーヒーに手作りのババロア。
美味しそう!写真は彼女のスマホで写して送ってもらい
ましたが、リモートではお味見までは無理😢う~ん残念。

おやつを提案したのは私なのに、こちらは既製品のみ。
戴き物のゴディバのチョコレートと、六花亭の「めんこい
大平原」(COOPの宅配で、これが出たら必ず買っている
お気に入り菓子の一つ)。ちょっと安直で恥ずかしい!
「こうして顔を見ながらお話出来るのは、やはり電話とは違う良さが
あるわよね」と言い、「次回は大学時代の他の友人たちにも声を
掛けてまたやりましょうよ」ということで意見が一致。
外は猛暑となっていましたが、1時間半の「リモートカフェタイム」
(スミマセン、命名者の許可無しで使ってしまって!)を楽しんだ
真夏の昼下がりでした。
今月の光琳かるた
2020年8月1日(土)
新型コロナの感染拡大が続く中での8月となりました。でも、東京都で
200人を超えた、と聞いた時は「ええっ!そんなに急に増えちゃったの」
と驚いたのに、今日472人、と言われても、「あっ、そう」という感じなのが
不思議です。
7月の『栄花物語』の講読会は中止になりましたが、あれば、通雅と当子
内親王の悲恋の話を読むことになったと思うので、今月はそれにまつわる
この歌を取り上げました。
「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな」
六十三番・左京大夫通雅

(今はもう、「あなたのことは諦めましょう」と、ただその一言だけを、
せめて人づてではなく、直接あなたに言う手段があったらいいのに)
作者・藤原道雅は、関白道隆を祖父に、その嫡男で権中納言伊周を
父に(伊周は2年後には21歳の若さで内大臣に出世)、正暦3年(992年)
に誕生しました。道隆にとっては目に入れても痛くない初孫で、「枕草子」
(第99段)にも、その可愛い姿が記されています。
長徳元年(995年)2月、中宮定子(通雅の叔母にあたる)の登花殿に
中の関白家の人々が一堂に会した折、松君(道雅の幼名)も父親に
連れられてやってきます。祖父・道隆の膝に抱かれた松君は、周囲に
居る清少納言たち女房からも「可愛い、可愛い」と、もてはやされて
いました。 しかし、この日から僅か2ヶ月後に道隆が死去、父・伊周は
道長との政争に敗れて、中の関白家は急速に没落し、道雅は不遇の
うちに成長期を過ごすこととなりました。彼が19歳の寛弘7年(1010年)、
父・伊周も失意の内に亡くなってしまい、その後、道雅は政治の第一線
から遠ざけられたまま、参議にも中納言にも就任することなく、生涯を
送ったのでした。
「世が世なら関白家の御曹子」、道雅の胸には鬱屈した思いがあった
からか、素行が悪く、世評も芳しくありませんでした。そんな道雅が、
生涯にただ一度この切ない名歌を詠み、悲恋の主人公として歴史に
名を留めたのです。
彼が恋仲になったのは、三条天皇の第1皇女当子内親王。12歳で斎宮
に卜定され、長和3年(1016年)、父帝の譲位に伴い退下して京に戻った
ところでした。この時道雅25歳、当子内親王16歳でした。当時内親王は
原則として独身を通すべきだと考えられており、ましてや斎宮経験者とも
なればなおさらのことで、凋落した中の関白家の、しかも悪評高い通雅
など論外の相手でありました。翌年にはスキャンダルとして世間に広まり、
三条院の耳にも入ってしまいました。三条院は激怒、道雅を手引きした
乳母は追放され、当子内親王には見張りが付けられて、二人の恋には
事実上の終止符が打たれました。そして詠まれたのがこの歌でした。
結局当子内親王は尼となり、僅か23歳の若い身空でこの世を去りました。
通雅には個人の歌集もなく、名だたる歌人ではありません。しかしこの
「引き裂かれた恋の絶唱」は、かくも人の心に響く名歌を生んだのです。
田辺聖子さんも、「百人一首の中でも屈指の名歌ではないかと思う」と
言われています。
新型コロナの感染拡大が続く中での8月となりました。でも、東京都で
200人を超えた、と聞いた時は「ええっ!そんなに急に増えちゃったの」
と驚いたのに、今日472人、と言われても、「あっ、そう」という感じなのが
不思議です。
7月の『栄花物語』の講読会は中止になりましたが、あれば、通雅と当子
内親王の悲恋の話を読むことになったと思うので、今月はそれにまつわる
この歌を取り上げました。
「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな」
六十三番・左京大夫通雅

(今はもう、「あなたのことは諦めましょう」と、ただその一言だけを、
せめて人づてではなく、直接あなたに言う手段があったらいいのに)
作者・藤原道雅は、関白道隆を祖父に、その嫡男で権中納言伊周を
父に(伊周は2年後には21歳の若さで内大臣に出世)、正暦3年(992年)
に誕生しました。道隆にとっては目に入れても痛くない初孫で、「枕草子」
(第99段)にも、その可愛い姿が記されています。
長徳元年(995年)2月、中宮定子(通雅の叔母にあたる)の登花殿に
中の関白家の人々が一堂に会した折、松君(道雅の幼名)も父親に
連れられてやってきます。祖父・道隆の膝に抱かれた松君は、周囲に
居る清少納言たち女房からも「可愛い、可愛い」と、もてはやされて
いました。 しかし、この日から僅か2ヶ月後に道隆が死去、父・伊周は
道長との政争に敗れて、中の関白家は急速に没落し、道雅は不遇の
うちに成長期を過ごすこととなりました。彼が19歳の寛弘7年(1010年)、
父・伊周も失意の内に亡くなってしまい、その後、道雅は政治の第一線
から遠ざけられたまま、参議にも中納言にも就任することなく、生涯を
送ったのでした。
「世が世なら関白家の御曹子」、道雅の胸には鬱屈した思いがあった
からか、素行が悪く、世評も芳しくありませんでした。そんな道雅が、
生涯にただ一度この切ない名歌を詠み、悲恋の主人公として歴史に
名を留めたのです。
彼が恋仲になったのは、三条天皇の第1皇女当子内親王。12歳で斎宮
に卜定され、長和3年(1016年)、父帝の譲位に伴い退下して京に戻った
ところでした。この時道雅25歳、当子内親王16歳でした。当時内親王は
原則として独身を通すべきだと考えられており、ましてや斎宮経験者とも
なればなおさらのことで、凋落した中の関白家の、しかも悪評高い通雅
など論外の相手でありました。翌年にはスキャンダルとして世間に広まり、
三条院の耳にも入ってしまいました。三条院は激怒、道雅を手引きした
乳母は追放され、当子内親王には見張りが付けられて、二人の恋には
事実上の終止符が打たれました。そして詠まれたのがこの歌でした。
結局当子内親王は尼となり、僅か23歳の若い身空でこの世を去りました。
通雅には個人の歌集もなく、名だたる歌人ではありません。しかしこの
「引き裂かれた恋の絶唱」は、かくも人の心に響く名歌を生んだのです。
田辺聖子さんも、「百人一首の中でも屈指の名歌ではないかと思う」と
言われています。
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