ブルームーン
2020年10月31日(土)
一昨日の十三夜は、同じ関東でも綺麗な十三夜の月が見えた
場所もあったようですが、この辺りは雲に被われてしまって、
その姿を望むことが叶いませんでした。
でも今夜はまた燦然と輝く満月を、東南に面したベランダから
カメラに収めることが出来ました。電気をつけていなくても、
部屋の中まで月の光でうっすらと明るいのです。平安時代って
こんな感じで生活してたのかなぁ、なんて、ちょっと膝を着き、
窓際ににじり出たりして・・・(笑)
同じ月に二度満月となる時、その後のほうを「ブルームーン」と
呼ぶそうで(本来の意味とは異なっているらしいのですが)、
今夜の満月がそれですよね。しかもハロウィンと46年ぶりに
重なったのですから、コロナが無ければどんなに盛り上がって
いたことでしょう。

写真では相変わらずのピンボケお月さまですが、
実際はくっきりと美しく、しばし見とれておりました。
一昨日の十三夜は、同じ関東でも綺麗な十三夜の月が見えた
場所もあったようですが、この辺りは雲に被われてしまって、
その姿を望むことが叶いませんでした。
でも今夜はまた燦然と輝く満月を、東南に面したベランダから
カメラに収めることが出来ました。電気をつけていなくても、
部屋の中まで月の光でうっすらと明るいのです。平安時代って
こんな感じで生活してたのかなぁ、なんて、ちょっと膝を着き、
窓際ににじり出たりして・・・(笑)
同じ月に二度満月となる時、その後のほうを「ブルームーン」と
呼ぶそうで(本来の意味とは異なっているらしいのですが)、
今夜の満月がそれですよね。しかもハロウィンと46年ぶりに
重なったのですから、コロナが無ければどんなに盛り上がって
いたことでしょう。

写真では相変わらずのピンボケお月さまですが、
実際はくっきりと美しく、しばし見とれておりました。
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「アップルパイ」
2020年10月29日(木)
今宵は十三夜。期待していたお月さまは残念ながら雲隠れ。
明後日の十五夜は、46年ぶりにハロウィンと重なるのだとか。
お月さま、お顔を見せてくださいね。
十日ほど前、旅行先の青森からりんごを送ってくださった方が
あり、その中に紅玉りんごも入っていました。最近スーパーなど
ではあまり売られていませんが、アップルパイにはやはり「紅玉」
ですよね。ちなみに私はジャムの中でも「紅玉りんごジャム」が
一番のお気に入りです。
一応材料は揃えたのですが、何やかやとやらなければならない
ことが重なり、りんごは日持ちがするという安心感もあって、後回し
になっていました。
でも昨日、いつも訪問させていただいているブログに美味しそうな
「りんごのタルト」がUPされているのを見て、「明日こそ!」という
気持ちになりました。
そして今日、昔世田谷に住んでいた頃、お友達から教えてもらった
古~いレシピを取り出して、何年ぶりかしら?というアップルパイを
作りました。
オーブンに入れる前、「こんなに薄かったかなぁ?」とは思いましたが、
レシピ通りだし、焼いたら膨らむのかも、とオーブンに入れて待つこと
25分。「あれっ?やっぱりダメだ、ピザみたい!」という、写真を載せる
のも恥ずかしいペチャンコアップルパイとなりました(;´д`)トホホ。

サワークリームを掛けるので、さっぱりとした大人の味の
アップルパイです。りんごをはじめ、素材は良い物なので、
見た目よりはずっと美味しいんですよ(笑)
今宵は十三夜。期待していたお月さまは残念ながら雲隠れ。
明後日の十五夜は、46年ぶりにハロウィンと重なるのだとか。
お月さま、お顔を見せてくださいね。
十日ほど前、旅行先の青森からりんごを送ってくださった方が
あり、その中に紅玉りんごも入っていました。最近スーパーなど
ではあまり売られていませんが、アップルパイにはやはり「紅玉」
ですよね。ちなみに私はジャムの中でも「紅玉りんごジャム」が
一番のお気に入りです。
一応材料は揃えたのですが、何やかやとやらなければならない
ことが重なり、りんごは日持ちがするという安心感もあって、後回し
になっていました。
でも昨日、いつも訪問させていただいているブログに美味しそうな
「りんごのタルト」がUPされているのを見て、「明日こそ!」という
気持ちになりました。
そして今日、昔世田谷に住んでいた頃、お友達から教えてもらった
古~いレシピを取り出して、何年ぶりかしら?というアップルパイを
作りました。
オーブンに入れる前、「こんなに薄かったかなぁ?」とは思いましたが、
レシピ通りだし、焼いたら膨らむのかも、とオーブンに入れて待つこと
25分。「あれっ?やっぱりダメだ、ピザみたい!」という、写真を載せる
のも恥ずかしいペチャンコアップルパイとなりました(;´д`)トホホ。

サワークリームを掛けるので、さっぱりとした大人の味の
アップルパイです。りんごをはじめ、素材は良い物なので、
見た目よりはずっと美味しいんですよ(笑)
オンライン同期会
2020年10月25日(日)
1968年の春に18歳で高校を卒業した私たち。この3月迄で、全員
古稀を迎えたことになります。そこで、4月にホテルでの同期会が
予定されていましたが、コロナ禍で10月25日に延期となりました。
でもコロナはまだまだ退散してくれそうにありません。そんな中、
幹事さんたちが計画してくださったのがオンライン同期会でした。
本来ならホテルで飲食しながら積もる話に盛り上がっているはず
だった今日の夕刻、オンラインでの画面を見ながら参加者同士、
一人ひとりの話に耳を傾けていました。
趣味の話、コロナの話、近況報告。中には温泉宿からご参加という
方もありました。
たとえオンラインでも顔を合わせ、話が交わせるというのは嬉しい
ことで、古稀を元気で迎えられたからこそ、と思うのは、誰しも同じ
だったに違いありません。
オンラインでの同期会は勿論初めてのことで、ここまで漕ぎ着ける
には幹事の皆さま、随分とお骨折り下さったはず。感謝ですね。
会場に集まっての同期会は、「密になって飲食をしながらの会話」
を避けることができないので(だってそれが楽しみなんですもの)、
当面開催は難しいでしょう。
幹事さんは最後に、またオンラインでの同期会を企画したい、と
お話になっていました。頼もしい方々です。

まだ日が沈む前から始まったのですが、2時間はあっという間。
終わった時、辺りはもう真っ暗。皆さま、お疲れさまでした!
1968年の春に18歳で高校を卒業した私たち。この3月迄で、全員
古稀を迎えたことになります。そこで、4月にホテルでの同期会が
予定されていましたが、コロナ禍で10月25日に延期となりました。
でもコロナはまだまだ退散してくれそうにありません。そんな中、
幹事さんたちが計画してくださったのがオンライン同期会でした。
本来ならホテルで飲食しながら積もる話に盛り上がっているはず
だった今日の夕刻、オンラインでの画面を見ながら参加者同士、
一人ひとりの話に耳を傾けていました。
趣味の話、コロナの話、近況報告。中には温泉宿からご参加という
方もありました。
たとえオンラインでも顔を合わせ、話が交わせるというのは嬉しい
ことで、古稀を元気で迎えられたからこそ、と思うのは、誰しも同じ
だったに違いありません。
オンラインでの同期会は勿論初めてのことで、ここまで漕ぎ着ける
には幹事の皆さま、随分とお骨折り下さったはず。感謝ですね。
会場に集まっての同期会は、「密になって飲食をしながらの会話」
を避けることができないので(だってそれが楽しみなんですもの)、
当面開催は難しいでしょう。
幹事さんは最後に、またオンラインでの同期会を企画したい、と
お話になっていました。頼もしい方々です。

まだ日が沈む前から始まったのですが、2時間はあっという間。
終わった時、辺りはもう真っ暗。皆さま、お疲れさまでした!
「野宮の別れ」
2020年10月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第3回・通算50回・№2)
10/12のブログで、「賢木」の巻のポイント①として挙げた「野宮の別れ」。
その時、木曜クラス(10/22)で講読した際に、詳しくお伝えすると予告
しましたので、今日はこの『源氏物語』屈指の名場面について触れて
おきたいと思います。
娘の斎宮に付き添って、御息所が伊勢に下向する日も間近に迫って
きました。源氏はこのまま御息所と逢うことなく別れて、薄情者だと
思われて終わるのも不本意で、9月7日頃に野宮にお出でになりました。
源氏からの度々のお便りに御息所は迷いながらも、全く対面を拒否する
というのも風情に欠けるのではないか、物越しでお目にかかるくらいなら
よいのではないか、と、「人知れず待ちきこえたまひけり」(心密かにお待ち
申し上げておられました)。何と鋭く御息所の心の内を言い当てた表現なの
でしょう。抑えようとしている感情の隙間から漏れ出てくる御息所の思いが
切ないですね。
これに続くのが「景情一致」の名場面となります。少し長くなりますが、やはり
味わっていただくには原文しかありませんので、記しておきます。
「遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへ
つつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこと
とも聞き分かれぬほどに、ものの音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり」
(源氏の君が、遥かな野を分け入りなさるやいなや、とてもしみじみとした
趣が感じられます。秋の花はみなしおれて行き、浅茅が原も枯れて、
かすれた声で鳴く秋虫の音に松風が物寂しく吹き合わせて、何の琴とも
聞き分けられない位に、楽器の音が途切れ途切れに聞こえているのは、
たいそう優雅でありました)。
口語訳と比べて、ここはもう原文に限る、というのがおわかりいただけるの
ではないでしょうか。
嵯峨野の物寂しい晩秋の情景と、途切れ途切れに聞こえて来る楽の音。
密かに源氏の訪れを待ち焦がれている御息所の思いと、源氏に「艶なり」
と感じさせる情趣とが見事に一体化しています。ぜひ声に出して鑑賞して
いただきたい一文です。
野宮は神域であり、男女の逢瀬には相応しくはない場所ですが、源氏は
御息所をかき口説き、御息所も、もう源氏には逢うまいと決心しながらも、
これは心のどこかで待ち望んでいたこと、拒絶し通せるはずもなく、一夜を
共にしたのでした。
間もなく夜明け、別れの時がやってきました。万感胸に迫り、御息所は思い
の丈を言葉にして伝えることも出来ません。ただ歌を一首詠むにとどまり
ました。
「おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫」(ただでさえ、
秋の別れというものは悲しいのに、これ以上鳴く声を添えないでおくれ、野辺
の松虫よ)
この歌を読むと、立ち去って行く源氏を、御簾の内から見送っている御息所の、
言葉も無く、一筋の涙が頬を伝っている姿が思い浮かんでくるのです。
この場面、全文訳の「賢木」(2)、「賢木」(3)、を通してお読みいただければ、
と存じます。
10/12のブログで、「賢木」の巻のポイント①として挙げた「野宮の別れ」。
その時、木曜クラス(10/22)で講読した際に、詳しくお伝えすると予告
しましたので、今日はこの『源氏物語』屈指の名場面について触れて
おきたいと思います。
娘の斎宮に付き添って、御息所が伊勢に下向する日も間近に迫って
きました。源氏はこのまま御息所と逢うことなく別れて、薄情者だと
思われて終わるのも不本意で、9月7日頃に野宮にお出でになりました。
源氏からの度々のお便りに御息所は迷いながらも、全く対面を拒否する
というのも風情に欠けるのではないか、物越しでお目にかかるくらいなら
よいのではないか、と、「人知れず待ちきこえたまひけり」(心密かにお待ち
申し上げておられました)。何と鋭く御息所の心の内を言い当てた表現なの
でしょう。抑えようとしている感情の隙間から漏れ出てくる御息所の思いが
切ないですね。
これに続くのが「景情一致」の名場面となります。少し長くなりますが、やはり
味わっていただくには原文しかありませんので、記しておきます。
「遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへ
つつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこと
とも聞き分かれぬほどに、ものの音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり」
(源氏の君が、遥かな野を分け入りなさるやいなや、とてもしみじみとした
趣が感じられます。秋の花はみなしおれて行き、浅茅が原も枯れて、
かすれた声で鳴く秋虫の音に松風が物寂しく吹き合わせて、何の琴とも
聞き分けられない位に、楽器の音が途切れ途切れに聞こえているのは、
たいそう優雅でありました)。
口語訳と比べて、ここはもう原文に限る、というのがおわかりいただけるの
ではないでしょうか。
嵯峨野の物寂しい晩秋の情景と、途切れ途切れに聞こえて来る楽の音。
密かに源氏の訪れを待ち焦がれている御息所の思いと、源氏に「艶なり」
と感じさせる情趣とが見事に一体化しています。ぜひ声に出して鑑賞して
いただきたい一文です。
野宮は神域であり、男女の逢瀬には相応しくはない場所ですが、源氏は
御息所をかき口説き、御息所も、もう源氏には逢うまいと決心しながらも、
これは心のどこかで待ち望んでいたこと、拒絶し通せるはずもなく、一夜を
共にしたのでした。
間もなく夜明け、別れの時がやってきました。万感胸に迫り、御息所は思い
の丈を言葉にして伝えることも出来ません。ただ歌を一首詠むにとどまり
ました。
「おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫」(ただでさえ、
秋の別れというものは悲しいのに、これ以上鳴く声を添えないでおくれ、野辺
の松虫よ)
この歌を読むと、立ち去って行く源氏を、御簾の内から見送っている御息所の、
言葉も無く、一筋の涙が頬を伝っている姿が思い浮かんでくるのです。
この場面、全文訳の「賢木」(2)、「賢木」(3)、を通してお読みいただければ、
と存じます。
第10帖「賢木」の全文訳(3)
2020年10月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第3回・通算50回・№1)
今月のオンライン「紫の会」は、月曜クラス、木曜クラス、共に第10帖「賢木」
の2回目。128頁・4行目~134頁・1行目までを読みました。その前半部分は
10/12に書きましたので(⇨⇨こちらから)、今回は、後半部分(131頁・13行目
~134頁・1行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
いつでもお逢い出来て、御息所も源氏の君にご執心だったこれまでの
年月は、源氏の君はのんびりと構えて慢心なさっていたがゆえに、
御息所にさほど愛着を感じてはおられませんでした。また源氏の君の
心の中には、どうしたものか、御息所に感心できないことがあるとお思い
になられてからは、しみじみとした思いも冷めていって、このようにお二人
の仲も疎遠になってしまいましたが、久々のご対面が昔を思い出させる
ので、源氏の君は胸に迫って思い乱れなさることがこの上ありません
でした。
これまでのこと、この先のこと、あれこれとお考えになって、源氏の君は
気弱にもお泣きになってしまわれました。御息所は、自分がこのように
心乱れていることを悟られまいと、気持ちを抑えておられるようですが、
耐え切れないご様子なのを、源氏の君はいっそう辛くお感じになり、
やはり伊勢下向は思い留まられるようにと、申し上げなさったようでした。
月も沈んだのでありましょうか、しみじみとした空を眺めながら源氏の君が
かき口説きなさると、御息所の積もり積もっていた辛さも、消えてしまった
にちがいありません。ようやく今はもう、と未練をお断ちになっていたのに、
やはり逢えばこんなことになると想像していた通りになってしまった、と、
御息所は却って動揺して思い乱れておられるのでした。
若い殿上人の君達などが連れ立って、何かにつけ佇んでは心を砕くという
お庭の風情も、実に優艶なたたずまいという点ではどこにも負けない様子
を見せておりました。あらゆる物思いをし尽くしなさったお二人の間で、
交わし合われたさまざまなお話は、筆舌に尽くし難いものでありました。
次第に明けてゆく空の気配は、別れを促すためにわざと作り出したかの
ような風情をみせています。源氏の君が、
「暁の別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな」(明け方に別れて
帰って行くのは、いつだって涙の露に濡れていましたが、今朝はこれまでに
経験したことの無い秋の空の様子であることよ)
と歌を詠みかけて、出て行き難そうに御息所の手を握って躊躇っておられる
のは、とてもおやさしく感じられました。風がたいそう冷ややかに吹いて、
鳴き声も嗄れ嗄れになっている松虫の声も、まるでこの暁の別れを知って
いるかのようで、これといって物思いなど無い者でも、聞き過ごし難い気が
するのに、ましてやどうしようもない程思い乱れておられるお二人では、
却って思い通りのお歌が詠めなかったのでありましょうか。
「おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫」(ただで
さえ、秋の別れというものは悲しいのに、これ以上鳴く声を添えないでおくれ、
野辺の松虫よ)
源氏の君は悔やまれることも多いけれど、今更甲斐もないことなので、
辺りが明るくなってゆくのもきまりが悪く、お帰りになりました。その道中は
露がしとどに置き、源氏の君は涙にくれておられました。
御息所も、到底強い気持ちでいられるわけもなく、源氏の君のお帰りに
なった後、しみじみと物思いに沈んでおられるのでした。ほのかに拝見
なさった月明りの中の源氏の君のご容貌や残り香などを、若い女房たちは
身に沁むばかり、神域であることも忘れて不謹慎な程、褒めちぎっており
ました。「伊勢下向はよんどころない旅路とはいえ、このように素晴らしい
源氏の君のご様子をお見限りして、お別れ申せましょうか」と、女房たちは
訳もなく涙ぐんでおりました。
今月のオンライン「紫の会」は、月曜クラス、木曜クラス、共に第10帖「賢木」
の2回目。128頁・4行目~134頁・1行目までを読みました。その前半部分は
10/12に書きましたので(⇨⇨こちらから)、今回は、後半部分(131頁・13行目
~134頁・1行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
いつでもお逢い出来て、御息所も源氏の君にご執心だったこれまでの
年月は、源氏の君はのんびりと構えて慢心なさっていたがゆえに、
御息所にさほど愛着を感じてはおられませんでした。また源氏の君の
心の中には、どうしたものか、御息所に感心できないことがあるとお思い
になられてからは、しみじみとした思いも冷めていって、このようにお二人
の仲も疎遠になってしまいましたが、久々のご対面が昔を思い出させる
ので、源氏の君は胸に迫って思い乱れなさることがこの上ありません
でした。
これまでのこと、この先のこと、あれこれとお考えになって、源氏の君は
気弱にもお泣きになってしまわれました。御息所は、自分がこのように
心乱れていることを悟られまいと、気持ちを抑えておられるようですが、
耐え切れないご様子なのを、源氏の君はいっそう辛くお感じになり、
やはり伊勢下向は思い留まられるようにと、申し上げなさったようでした。
月も沈んだのでありましょうか、しみじみとした空を眺めながら源氏の君が
かき口説きなさると、御息所の積もり積もっていた辛さも、消えてしまった
にちがいありません。ようやく今はもう、と未練をお断ちになっていたのに、
やはり逢えばこんなことになると想像していた通りになってしまった、と、
御息所は却って動揺して思い乱れておられるのでした。
若い殿上人の君達などが連れ立って、何かにつけ佇んでは心を砕くという
お庭の風情も、実に優艶なたたずまいという点ではどこにも負けない様子
を見せておりました。あらゆる物思いをし尽くしなさったお二人の間で、
交わし合われたさまざまなお話は、筆舌に尽くし難いものでありました。
次第に明けてゆく空の気配は、別れを促すためにわざと作り出したかの
ような風情をみせています。源氏の君が、
「暁の別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな」(明け方に別れて
帰って行くのは、いつだって涙の露に濡れていましたが、今朝はこれまでに
経験したことの無い秋の空の様子であることよ)
と歌を詠みかけて、出て行き難そうに御息所の手を握って躊躇っておられる
のは、とてもおやさしく感じられました。風がたいそう冷ややかに吹いて、
鳴き声も嗄れ嗄れになっている松虫の声も、まるでこの暁の別れを知って
いるかのようで、これといって物思いなど無い者でも、聞き過ごし難い気が
するのに、ましてやどうしようもない程思い乱れておられるお二人では、
却って思い通りのお歌が詠めなかったのでありましょうか。
「おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫」(ただで
さえ、秋の別れというものは悲しいのに、これ以上鳴く声を添えないでおくれ、
野辺の松虫よ)
源氏の君は悔やまれることも多いけれど、今更甲斐もないことなので、
辺りが明るくなってゆくのもきまりが悪く、お帰りになりました。その道中は
露がしとどに置き、源氏の君は涙にくれておられました。
御息所も、到底強い気持ちでいられるわけもなく、源氏の君のお帰りに
なった後、しみじみと物思いに沈んでおられるのでした。ほのかに拝見
なさった月明りの中の源氏の君のご容貌や残り香などを、若い女房たちは
身に沁むばかり、神域であることも忘れて不謹慎な程、褒めちぎっており
ました。「伊勢下向はよんどころない旅路とはいえ、このように素晴らしい
源氏の君のご様子をお見限りして、お別れ申せましょうか」と、女房たちは
訳もなく涙ぐんでおりました。
幸せってなに?
2020年10月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第223回)
7月に、第1火曜日の高座渋谷クラスの講読会ができた時、
第3水曜日の湘南台クラスも開催予定でしたが、その頃には
コロナの感染が再拡大して、結局中止にしていただかざるを
得ませんでした。
ですから今日は8ヶ月ぶりの講読会となりました(コロナ禍では
やたら「○ヶ月ぶり」と書くことが多くなっています)。
前回読んだのはどこまでだったかしら?と思い出すのにも苦労
するほど間が空いてしまったので、いつもより少し丁寧に、2月
に読んだところを復習して次に進みました。
受領階級の常陸介と結婚して、二人の間には大勢の子どもも
生まれましたが、中将の君(浮舟の母)にとっては、宮家の血を
引く浮舟は格別の存在で、何とかして幸せな結婚を、と娘の婚活
に励み、左近の少将を婿に迎えることにしました。ところが財産
だけが目当ての少将が、相手を常陸介の実子(浮舟の異父妹)に
乗り換えたため、母君は浮舟を二条院の中の君(浮舟の異母姉)
に預かってもらうことにしたのでした。
中の君としみじみと語り合う中で、中将の君は浮舟の不運を嘆き、
「私が生きている限りは浮舟の後見をしてやれましょう。でも私が
死んだのち、受領の妻となり、地方暮らしをするようなことになると
思うと悲しくて、いっそ出家させてしまおうかと、思案の末に考えて
おります」と、話します。
我々はこの先の浮舟の運命を知っています。当代切っての貴公子
二人(薫と匂宮)に同時に愛されたがために、自死を決意するまで
追い詰められ、結局助けられて出家をします。一方、この母君は
八の宮に娘(浮舟)を認知してもらえず、最終的に受領の妻となった
女性です。陸奥や常陸での地方住まいも経験しています。
母と娘、どちらの人生のほうが幸せなのだろうか?ここを読んだ時、
ふと立ち止まって考えてみると、常陸介は、無粋だけれども浮気も
せず、中将の君だけを守っている夫です。夫婦喧嘩は絶えずとも、
暮らしに困ることもなく、中将の君は、それなりにしたい放題が
許された生活です。
この二条院で、匂宮と薫を続けて垣間見た母君は、「このような方
と結婚できるなら、織女のように一年に一度の逢瀬でもよい」と、
言っていますが、先々の浮舟の運命が分かっていたら、軽々しく
そのようなことを口にはできなかったでしょう。
人の幸せってなに?『源氏物語』は様々な場面で、それを読者に
問いかけている物語でもあります。
密を避け、マスクをつけ、消毒に気を配り、おしゃべりや飲食も
✕です。それでも皆さま、久々に元気な顔を合わせての講読会を
楽しんでおられるようでしたし、私も帰路、身も心も軽やかになって
いる自分を感じていました。
7月に、第1火曜日の高座渋谷クラスの講読会ができた時、
第3水曜日の湘南台クラスも開催予定でしたが、その頃には
コロナの感染が再拡大して、結局中止にしていただかざるを
得ませんでした。
ですから今日は8ヶ月ぶりの講読会となりました(コロナ禍では
やたら「○ヶ月ぶり」と書くことが多くなっています)。
前回読んだのはどこまでだったかしら?と思い出すのにも苦労
するほど間が空いてしまったので、いつもより少し丁寧に、2月
に読んだところを復習して次に進みました。
受領階級の常陸介と結婚して、二人の間には大勢の子どもも
生まれましたが、中将の君(浮舟の母)にとっては、宮家の血を
引く浮舟は格別の存在で、何とかして幸せな結婚を、と娘の婚活
に励み、左近の少将を婿に迎えることにしました。ところが財産
だけが目当ての少将が、相手を常陸介の実子(浮舟の異父妹)に
乗り換えたため、母君は浮舟を二条院の中の君(浮舟の異母姉)
に預かってもらうことにしたのでした。
中の君としみじみと語り合う中で、中将の君は浮舟の不運を嘆き、
「私が生きている限りは浮舟の後見をしてやれましょう。でも私が
死んだのち、受領の妻となり、地方暮らしをするようなことになると
思うと悲しくて、いっそ出家させてしまおうかと、思案の末に考えて
おります」と、話します。
我々はこの先の浮舟の運命を知っています。当代切っての貴公子
二人(薫と匂宮)に同時に愛されたがために、自死を決意するまで
追い詰められ、結局助けられて出家をします。一方、この母君は
八の宮に娘(浮舟)を認知してもらえず、最終的に受領の妻となった
女性です。陸奥や常陸での地方住まいも経験しています。
母と娘、どちらの人生のほうが幸せなのだろうか?ここを読んだ時、
ふと立ち止まって考えてみると、常陸介は、無粋だけれども浮気も
せず、中将の君だけを守っている夫です。夫婦喧嘩は絶えずとも、
暮らしに困ることもなく、中将の君は、それなりにしたい放題が
許された生活です。
この二条院で、匂宮と薫を続けて垣間見た母君は、「このような方
と結婚できるなら、織女のように一年に一度の逢瀬でもよい」と、
言っていますが、先々の浮舟の運命が分かっていたら、軽々しく
そのようなことを口にはできなかったでしょう。
人の幸せってなに?『源氏物語』は様々な場面で、それを読者に
問いかけている物語でもあります。
密を避け、マスクをつけ、消毒に気を配り、おしゃべりや飲食も
✕です。それでも皆さま、久々に元気な顔を合わせての講読会を
楽しんでおられるようでしたし、私も帰路、身も心も軽やかになって
いる自分を感じていました。
『枕草子』の最も長い段
2020年10月16日(金) オンライン『枕草子』(第3回 通算第44回)
オンライン『枕草子』の3回目。今回から『枕草子』の中で最も
長い第260段に入りました。
この段が執筆された頃には、中の関白家は凋落し、中宮定子も
すでにこの世に亡く、清少納言はただ追憶の中に『枕草子』を
書き綴っていたと思われますが、ここで伝えているのは、正暦
5年(994年)2月に、関白・道隆主催で営まれた「積善寺供養」
の盛儀を回想した、中の関白家の一番晴れがましい場面です。
清少納言が中宮定子に出仕したのは、前年の正暦4年(993年)
10月頃とされていますので、まだ出仕後半年も経っていない
新参の女房だった時の出来事、ということになります。
2月20日(本文では21日となっている)開催の積善寺供養に
先立ち、中宮さまは2月上旬に、宮中から二条の宮に行啓され
ました。ここも父・道隆が定子の里第として新築なさったもので、
一条天皇の寵愛を一身に集める愛娘に対する思い入れの深さ
が、このようなところにも表れていると思います。
さらに道隆は、この行啓に合わせて、造り物の満開の桜の木を
寝殿の階の下に植えさせることまでしました。造花ですから、
一雨降ればそれで台無しになってしまいます。勿論そんなことは
百も承知の上で、こうした贅沢極まる演出を凝らしたところにも、
権力の誇示が窺えるというものです。
実際に雨が降り、汚くなった桜を道隆は家臣たちに片づける
よう命じています。その桜の木の持ち去りの顛末も、面白く
書かれていますが、早くも中宮さまと清少納言の「ツーカーの
仲」ぶりを示すエピソードも記されており、興味深いところです。
そんな中で、「いるいる、今もこんな人」、という話が一つ。
女房たちも晴れの日を前に、準備に勤しみ始め、お互いにその
ことが話題にもなります。どんな衣装や扇にしようか、と話して
いる中で、「まろは、なにか。ただ、あらむにまかせてを」(私は
何にも用意なんかしないわ。普段通りよ)と言う女房がいるの
です。周りの女房たちもわかっていて、「ほらほら、いつもの
秘密主義」と、憎まれ口を叩きます。
パーティーに何を着ていくか、と皆で話していると、しらーっとした
顔で、「私は特別なもの新調したりしないわよ。いつも通りの恰好
で行くわ」なんて言う人、今もいますよね。
この段、まだまだ続きます。来月もよろしくお付き合い下さいませ。
オンライン『枕草子』の3回目。今回から『枕草子』の中で最も
長い第260段に入りました。
この段が執筆された頃には、中の関白家は凋落し、中宮定子も
すでにこの世に亡く、清少納言はただ追憶の中に『枕草子』を
書き綴っていたと思われますが、ここで伝えているのは、正暦
5年(994年)2月に、関白・道隆主催で営まれた「積善寺供養」
の盛儀を回想した、中の関白家の一番晴れがましい場面です。
清少納言が中宮定子に出仕したのは、前年の正暦4年(993年)
10月頃とされていますので、まだ出仕後半年も経っていない
新参の女房だった時の出来事、ということになります。
2月20日(本文では21日となっている)開催の積善寺供養に
先立ち、中宮さまは2月上旬に、宮中から二条の宮に行啓され
ました。ここも父・道隆が定子の里第として新築なさったもので、
一条天皇の寵愛を一身に集める愛娘に対する思い入れの深さ
が、このようなところにも表れていると思います。
さらに道隆は、この行啓に合わせて、造り物の満開の桜の木を
寝殿の階の下に植えさせることまでしました。造花ですから、
一雨降ればそれで台無しになってしまいます。勿論そんなことは
百も承知の上で、こうした贅沢極まる演出を凝らしたところにも、
権力の誇示が窺えるというものです。
実際に雨が降り、汚くなった桜を道隆は家臣たちに片づける
よう命じています。その桜の木の持ち去りの顛末も、面白く
書かれていますが、早くも中宮さまと清少納言の「ツーカーの
仲」ぶりを示すエピソードも記されており、興味深いところです。
そんな中で、「いるいる、今もこんな人」、という話が一つ。
女房たちも晴れの日を前に、準備に勤しみ始め、お互いにその
ことが話題にもなります。どんな衣装や扇にしようか、と話して
いる中で、「まろは、なにか。ただ、あらむにまかせてを」(私は
何にも用意なんかしないわ。普段通りよ)と言う女房がいるの
です。周りの女房たちもわかっていて、「ほらほら、いつもの
秘密主義」と、憎まれ口を叩きます。
パーティーに何を着ていくか、と皆で話していると、しらーっとした
顔で、「私は特別なもの新調したりしないわよ。いつも通りの恰好
で行くわ」なんて言う人、今もいますよね。
この段、まだまだ続きます。来月もよろしくお付き合い下さいませ。
「栗の渋皮煮」
2020年10月14日(水)
毎年この時期、ご近所のお友達が、到来物の立派な栗を
お裾分けしてくださいます。ここ数年、「もう今年が最後かも」
とおっしゃっていますが、今年も戴きました。
栗のお菓子が大好きな私。ただ、昨年の今頃はまだ体調も
回復しておらず、講読会もあり、本の校正にも追われていた
ので、簡単に蒸かしていただいてしまいましたが、今年は
やはり渋皮煮にしよう、と思い、昨夜作りました。
外の硬い皮を剥いた後、重曹を入れて二度茹でこぼすのです
が、どうも重曹が多過ぎたようで、渋皮に傷をつけてしまって
いた2個の栗が割れてしまいました。重曹の量は、半分程で
よかった気がします。
それでも草木も眠る丑三つ時に何とか完成。さすが夜型の私も、
こんな時間にお菓子を作ったのは初めてでしたが、コトコトと
煮ている時間が長いので、その間ずっと読書三昧。図書館から
借りた『蜜蜂と遠雷』の1/3位までを読み進めることができました。

ちょっとお砂糖を控え過ぎたかな、という感じですが、
栗の旨味が十分に楽しめて、これはこれでOKかと。
ボロッと割れてしまいそうで取り扱い要注意です(ノω`*)ノ
毎年この時期、ご近所のお友達が、到来物の立派な栗を
お裾分けしてくださいます。ここ数年、「もう今年が最後かも」
とおっしゃっていますが、今年も戴きました。
栗のお菓子が大好きな私。ただ、昨年の今頃はまだ体調も
回復しておらず、講読会もあり、本の校正にも追われていた
ので、簡単に蒸かしていただいてしまいましたが、今年は
やはり渋皮煮にしよう、と思い、昨夜作りました。
外の硬い皮を剥いた後、重曹を入れて二度茹でこぼすのです
が、どうも重曹が多過ぎたようで、渋皮に傷をつけてしまって
いた2個の栗が割れてしまいました。重曹の量は、半分程で
よかった気がします。
それでも草木も眠る丑三つ時に何とか完成。さすが夜型の私も、
こんな時間にお菓子を作ったのは初めてでしたが、コトコトと
煮ている時間が長いので、その間ずっと読書三昧。図書館から
借りた『蜜蜂と遠雷』の1/3位までを読み進めることができました。

ちょっとお砂糖を控え過ぎたかな、という感じですが、
栗の旨味が十分に楽しめて、これはこれでOKかと。
ボロッと割れてしまいそうで取り扱い要注意です(ノω`*)ノ
「賢木」の巻・四つのポイント
2020年10月12日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第3回・通算50回・№2)
先月は第10帖「賢木」に入りましたが、プロローグのところで横道に
逸れてしまい、結局最初の名場面「野宮の別れ」まで読み進むことが
出来ませんでした。今月、その「景情一致」の名場面を読みましたが、
それに先立ち、「賢木」の巻の四つのポイントについて纏めておきたい
と思います。
ポイント①・・・言うまでもなく、「野宮の別れ」の場面です。間もなく娘の
斎宮に付き添って伊勢に下向する六条御息所を、源氏が野宮に訪ねて
行くのですが、揺れ動く御息所の女心が切なく胸に迫ります。ここに
ついては、木曜クラス(10/22)で講読した際に、詳しくお伝えしましょう。
ポイント②・・・源氏の父・桐壺院の崩御です。「葵」の巻で、既に桐壺帝
は譲位し、朱雀帝の御代となっていました。でもまだ桐壺院の目の黒い
うちは、源氏は安泰でした。しかし、桐壺院が亡くなると、圧倒的な権力
を握るのは朱雀帝を擁する右大臣一派で、源氏を含む左大臣一派は
全面的な後退を余儀なくされます。
ポイント③・・・藤壺の出家。桐壺院の崩御を機に、源氏は再び藤壺への
思慕を抑えがたくなり、藤壺に迫ります。危機を感じた藤壺は、右大臣方
(その筆頭は弘徽殿の女御)に源氏との密事が知られたりすれば万事休す、
で、我が子東宮を護るためには源氏を永遠に拒絶するしかない、と出家を
決意するのでした。
ポイント④・・・朧月夜との密会の発覚。今は尚侍として宮中に出仕しながら、
朱雀帝の寵愛を受ける身となっている朧月夜ですが、源氏との危うい密会は
続いていました。遂に二人の密会の現場を朧月夜の父・右大臣に押さえられ
ます。右大臣は弘徽殿の女御にご注進。さて、源氏の運命や如何に、という
ところで「賢木」の巻が終わることになります。
ドラマチックな展開を見せる第10帖「賢木」。この先皆さまにじっくりと味わって
いただきたいと思います。
本日読みました「野宮の別れ」の場面、前半部分になりますが、全文訳を
ご一読頂ければと存じます。その全文訳は⇨⇨こちらから
先月は第10帖「賢木」に入りましたが、プロローグのところで横道に
逸れてしまい、結局最初の名場面「野宮の別れ」まで読み進むことが
出来ませんでした。今月、その「景情一致」の名場面を読みましたが、
それに先立ち、「賢木」の巻の四つのポイントについて纏めておきたい
と思います。
ポイント①・・・言うまでもなく、「野宮の別れ」の場面です。間もなく娘の
斎宮に付き添って伊勢に下向する六条御息所を、源氏が野宮に訪ねて
行くのですが、揺れ動く御息所の女心が切なく胸に迫ります。ここに
ついては、木曜クラス(10/22)で講読した際に、詳しくお伝えしましょう。
ポイント②・・・源氏の父・桐壺院の崩御です。「葵」の巻で、既に桐壺帝
は譲位し、朱雀帝の御代となっていました。でもまだ桐壺院の目の黒い
うちは、源氏は安泰でした。しかし、桐壺院が亡くなると、圧倒的な権力
を握るのは朱雀帝を擁する右大臣一派で、源氏を含む左大臣一派は
全面的な後退を余儀なくされます。
ポイント③・・・藤壺の出家。桐壺院の崩御を機に、源氏は再び藤壺への
思慕を抑えがたくなり、藤壺に迫ります。危機を感じた藤壺は、右大臣方
(その筆頭は弘徽殿の女御)に源氏との密事が知られたりすれば万事休す、
で、我が子東宮を護るためには源氏を永遠に拒絶するしかない、と出家を
決意するのでした。
ポイント④・・・朧月夜との密会の発覚。今は尚侍として宮中に出仕しながら、
朱雀帝の寵愛を受ける身となっている朧月夜ですが、源氏との危うい密会は
続いていました。遂に二人の密会の現場を朧月夜の父・右大臣に押さえられ
ます。右大臣は弘徽殿の女御にご注進。さて、源氏の運命や如何に、という
ところで「賢木」の巻が終わることになります。
ドラマチックな展開を見せる第10帖「賢木」。この先皆さまにじっくりと味わって
いただきたいと思います。
本日読みました「野宮の別れ」の場面、前半部分になりますが、全文訳を
ご一読頂ければと存じます。その全文訳は⇨⇨こちらから
第10帖「賢木」の全文訳(2)
2020年10月12日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第3回・通算50回・№1)
オンライン「紫の会」は、第10帖「賢木」に入って2回目。今日は128頁・4行目
~134頁・1行目までを読みましたので、その前半部分(128頁・4行目~
131頁・12行目)の全文訳です。後半部分は10/22に書きたいと思います。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
御息所は、六条の自邸にほんのしばらくお出でになる折々もありますが、
とてもこっそりといらしていることなので、源氏の君はそれをお知りになる
ことは出来ません。神域である野宮は、気安くお心の向くままお出かけ
なさるお住まいでもないので、気になりながらも月日は過ぎ去ってしまう
うちに、桐壺院が、たいそう重いご病気というわけではないけれども、
お具合が悪く、時々お苦しみあそばすので、源氏の君は、ますますお心
の休まる間もないのですが、御息所が自分のことを薄情者だと思い込んで
おしまいになるのもお気の毒だし、他人が聞いても情け知らずだと思うの
ではなかろうか、と、気を取り直されて、野宮にお出かけになりました。
今は九月七日頃なので、もう伊勢下向の日も今日明日に迫っていると
お思いになるにつけ、御息所のほうも、気忙しい折ではありますが、
「立ったままでもよいから逢いたい」と、源氏の君から度々お手紙が届いた
ので、御息所はどうしたものかとお悩みにはなるものの、拒絶しては余り
にも控え目過ぎて風情に欠けようから、物越しにお目にかかるくらいは
構わないだろう、と、人知れず源氏の君のご来訪をお待ち申し上げて
おられるのでした。
源氏の君が、遥かな野を分け入りなさるやいなや、とてもしみじみとした
趣が感じられます。秋の花はみなしおれて行き、浅茅が原も枯れて、
かすれた声で鳴く秋虫の音に松風が物寂しく吹き合わせて、何の琴とも
聞き分けられない位に、楽器の音が途切れ途切れに聞こえているのは、
たいそう優雅でありました。
気心の知れた供人を十人余り、御随身も物々しいいで立ちではなく、ひどく
目立たないようになさっていますが、特に気を配って装われた源氏の君の
お姿は、とてもご立派にお見えになるので、お供の風流者たちは、場所柄も
加わって、感じ入っておりました。源氏の君ご自身も、どうして今まで度々
訪れなかったのであろうか、と、過ぎてしまったこれまでを、残念にお思い
でした。
頼りない小柴垣を外囲いにして、板葺きの建物が本当に仮普請で点在して
います。黒木の鳥居などは、さすがに神々しく見渡されて、憚られる様子で
ある上に、神官たちが、あちらこちらで咳払いをして、自分たち同士で話を
している様子なども、風変わりに見えます。火焼屋の火がかすかに光って、
人気も少なくひっそりとして、ここで物思いに打ち沈む御息所が、月日を
送って来られたことを思い遣られると、源氏の君はとてもたまらなく、
しみじみと御息所がおいたわしく感じられるのでした。
源氏の君が北の対の程よい所に立ち隠れなさって、来訪の旨を申し上げ
なさると、管弦の遊びはすべて止めて、女房たちの奥ゆかしい立ち居の気配
が多く聞こえてきます。あれこれと取次ぎの女房を介してのご挨拶ばかりで、
御息所自身は対面なさりそうなご様子でもないので、源氏の君は、とても
不快だとお思いになって、「このような出歩きも、今は身分柄相応しくない状態
になっていることをお察しくださるなら、このような隔てを置いた扱いはお止め
になって、私の胸の内に溜まっておりますことも晴らしたく存じます」と思いを
込めておっしゃいますので、女房たちは、「本当にとても見ていてハラハラする
ほど立ちあぐねていらっしゃいますのに、お気の毒なこと」と、取りなし申し上げ
ます。なので、御息所も「さあ、どうしたものか。こんなことをしていたら女房の
手前もみっともないことだし、源氏の君も『年甲斐もない』とお思いであろう。
かと言って、出て行って対面するのも今更気の引けること」とお考えになると、
ひどく憂鬱なことではあるけれど、冷たい態度を取ろうにもそこまで気丈では
ないので、とかく溜息をつき、ためらいながら、にじり出て来られるご様子は、
とても奥ゆかしいものでした。
源氏の君は、「こちらでは、簀子に上がるくらいはお許しいただけるのでしょう
か」と言って、簀子にお上りになりました。華やかにさし昇った夕月の光の中で、
振舞われる源氏の君のご様子といったら、その美しさはこの上もなく素晴らしう
ございました。幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、
面はゆいほどになってしまったので、榊を少し折ってお持ちになっていたのを、
御簾の中に差し入れて、「この榊の葉の色のように変わらぬ気持ちに導かれて、
神域の垣根も越えてやって来たのでございます。なのに、このお仕打ちは情け
なくて」と、源氏の君が申し上げなさると、御息所は、
「神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ」(この神域である
野宮には人を導く目印の杉もありませんのに、何を間違えて折られた榊なので
しょう)
と、お答えになったので、源氏の君は、
「少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ」(神に仕える
乙女のいる辺りだと思ったので、榊葉の香りが懐かしく、わざわざ捜し求めて
折ってきたのです)
と返歌なさり、この一帯の神域らしい様子は憚られるのですが、御簾だけを
引き被って、下長押に寄り掛かってお座りになっていました。
オンライン「紫の会」は、第10帖「賢木」に入って2回目。今日は128頁・4行目
~134頁・1行目までを読みましたので、その前半部分(128頁・4行目~
131頁・12行目)の全文訳です。後半部分は10/22に書きたいと思います。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
御息所は、六条の自邸にほんのしばらくお出でになる折々もありますが、
とてもこっそりといらしていることなので、源氏の君はそれをお知りになる
ことは出来ません。神域である野宮は、気安くお心の向くままお出かけ
なさるお住まいでもないので、気になりながらも月日は過ぎ去ってしまう
うちに、桐壺院が、たいそう重いご病気というわけではないけれども、
お具合が悪く、時々お苦しみあそばすので、源氏の君は、ますますお心
の休まる間もないのですが、御息所が自分のことを薄情者だと思い込んで
おしまいになるのもお気の毒だし、他人が聞いても情け知らずだと思うの
ではなかろうか、と、気を取り直されて、野宮にお出かけになりました。
今は九月七日頃なので、もう伊勢下向の日も今日明日に迫っていると
お思いになるにつけ、御息所のほうも、気忙しい折ではありますが、
「立ったままでもよいから逢いたい」と、源氏の君から度々お手紙が届いた
ので、御息所はどうしたものかとお悩みにはなるものの、拒絶しては余り
にも控え目過ぎて風情に欠けようから、物越しにお目にかかるくらいは
構わないだろう、と、人知れず源氏の君のご来訪をお待ち申し上げて
おられるのでした。
源氏の君が、遥かな野を分け入りなさるやいなや、とてもしみじみとした
趣が感じられます。秋の花はみなしおれて行き、浅茅が原も枯れて、
かすれた声で鳴く秋虫の音に松風が物寂しく吹き合わせて、何の琴とも
聞き分けられない位に、楽器の音が途切れ途切れに聞こえているのは、
たいそう優雅でありました。
気心の知れた供人を十人余り、御随身も物々しいいで立ちではなく、ひどく
目立たないようになさっていますが、特に気を配って装われた源氏の君の
お姿は、とてもご立派にお見えになるので、お供の風流者たちは、場所柄も
加わって、感じ入っておりました。源氏の君ご自身も、どうして今まで度々
訪れなかったのであろうか、と、過ぎてしまったこれまでを、残念にお思い
でした。
頼りない小柴垣を外囲いにして、板葺きの建物が本当に仮普請で点在して
います。黒木の鳥居などは、さすがに神々しく見渡されて、憚られる様子で
ある上に、神官たちが、あちらこちらで咳払いをして、自分たち同士で話を
している様子なども、風変わりに見えます。火焼屋の火がかすかに光って、
人気も少なくひっそりとして、ここで物思いに打ち沈む御息所が、月日を
送って来られたことを思い遣られると、源氏の君はとてもたまらなく、
しみじみと御息所がおいたわしく感じられるのでした。
源氏の君が北の対の程よい所に立ち隠れなさって、来訪の旨を申し上げ
なさると、管弦の遊びはすべて止めて、女房たちの奥ゆかしい立ち居の気配
が多く聞こえてきます。あれこれと取次ぎの女房を介してのご挨拶ばかりで、
御息所自身は対面なさりそうなご様子でもないので、源氏の君は、とても
不快だとお思いになって、「このような出歩きも、今は身分柄相応しくない状態
になっていることをお察しくださるなら、このような隔てを置いた扱いはお止め
になって、私の胸の内に溜まっておりますことも晴らしたく存じます」と思いを
込めておっしゃいますので、女房たちは、「本当にとても見ていてハラハラする
ほど立ちあぐねていらっしゃいますのに、お気の毒なこと」と、取りなし申し上げ
ます。なので、御息所も「さあ、どうしたものか。こんなことをしていたら女房の
手前もみっともないことだし、源氏の君も『年甲斐もない』とお思いであろう。
かと言って、出て行って対面するのも今更気の引けること」とお考えになると、
ひどく憂鬱なことではあるけれど、冷たい態度を取ろうにもそこまで気丈では
ないので、とかく溜息をつき、ためらいながら、にじり出て来られるご様子は、
とても奥ゆかしいものでした。
源氏の君は、「こちらでは、簀子に上がるくらいはお許しいただけるのでしょう
か」と言って、簀子にお上りになりました。華やかにさし昇った夕月の光の中で、
振舞われる源氏の君のご様子といったら、その美しさはこの上もなく素晴らしう
ございました。幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、
面はゆいほどになってしまったので、榊を少し折ってお持ちになっていたのを、
御簾の中に差し入れて、「この榊の葉の色のように変わらぬ気持ちに導かれて、
神域の垣根も越えてやって来たのでございます。なのに、このお仕打ちは情け
なくて」と、源氏の君が申し上げなさると、御息所は、
「神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ」(この神域である
野宮には人を導く目印の杉もありませんのに、何を間違えて折られた榊なので
しょう)
と、お答えになったので、源氏の君は、
「少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ」(神に仕える
乙女のいる辺りだと思ったので、榊葉の香りが懐かしく、わざわざ捜し求めて
折ってきたのです)
と返歌なさり、この一帯の神域らしい様子は憚られるのですが、御簾だけを
引き被って、下長押に寄り掛かってお座りになっていました。
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