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「源氏物語のあらすじ」・・・第10帖「賢木」(その1)

2020年11月29日(日)

11月も明日でお終いですし、今月のオンライン「紫の会」の講読箇所迄で、
第10帖「賢木」の最初のポイント「野宮の別れ」に関する場面を読み終え
ましたので、ここで一度「かなり詳しいあらすじ」をまとめておきたいと思い
ます。

全文訳の、2020年9月24日の「賢木」(1)、10月12日の「賢木」(2)
10月22日の「賢木」(3)、11月9日の「賢木」(4)、11月26日の「賢木」(5)
に該当する部分となります。

「源氏物語のあらすじ」・・・第10帖「賢木」(その1)は⇨⇨こちらから


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六条御息所の年齢の矛盾

2020年11月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第4回・通算51回・№2)

いよいよ六条御息所が斎宮となった娘(のちの秋好中宮)に
付き従って伊勢に下向する日となりました。「発遣の儀」(天皇
が斎宮を伊勢に送り出す儀式)のために、参内なさる斎宮と
共に、御息所も10年ぶりに宮中を訪れました。そこでの御息所
の年齢の記述です。

「十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。
三十にてぞ、今日また九重を見たまひける」(16歳で亡き東宮の
もとに入内し、20歳で東宮に先立たれなさいました。そして30歳に
なって、今日また内裏をご覧になったのでした)

源氏は今23歳。「ふーん、御息所は源氏より7歳年上なんだぁ」と
納得して読んでしまえば、別に何でもないのですが、「あれ?これ
っておかしくない?」と思い始めると、どう説明しようとしても無理な
矛盾が存在していることがわかります。

ちょっとややこしい説明になりますが、ここでは前の東宮は10年前
に亡くなっているということですよね。「桐壺」の巻で源氏の異母兄
(朱雀帝・母は弘徽殿の女御)が東宮に立ったのは源氏が4歳の時、
となっています。10年前の源氏なら13歳のはずです。

源氏が4歳で朱雀帝が立太子した時には、既に東宮は亡くなっていて、
空席状態だったと考えるのが自然かと思われます。だからこそ弘徽殿
の女御も、第一皇子である我が子を差し置いて、源氏が東宮の座に
就くのではないかと気を揉んでいたのでありましょう。

縦しんば前東宮の死を機に、朱雀帝が立坊したとしても、源氏4歳の時、
御息所は20歳だったということになって、その年の差16歳になってしまい
ます。「賢木」での御息所の年齢を39歳にする必要が出て来ます。逆に
「賢木」の通り、御息所を30歳とすると、今の源氏は14歳となってしまい、
どう考えてもあり得ない話です。

この矛盾を解決しようと、研究者たちがいろんな説を立てていますが、
「これだ!」という決定的なものはありません。

もう平安時代にタイムスリップして、紫式部さんに「どうしてこんなことに
なったの?」と訊くしかないんじゃないでしょうか(笑)。

皆さまここを読んで、「変だ」とは気付かれなかったとのことです。年立て
にいちいち拘らず、その巻その巻で、受け入れて読んでいけば良いの
ではないか、と私は考えています(ずるいかもしれませんが)。

本日の講読箇所の内容は、先に書きました第10帖「賢木」の全文訳(5)
お読みいただければ、と思います。


第10帖「賢木」の全文訳(5)

2020年11月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第4回・通算51回・№1)

今月のオンライン「紫の会」(木曜クラス)は、月曜クラス同様、
第10帖「賢木」の134頁・2行目~138頁・11行目迄を読みました。
前半部分の全文訳は11月9日に書きましたので(⇨⇨こちらから
今日は後半部分の136頁・9行目~138頁・11行目までの全文訳
となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

十六日、斎宮は桂川で禊をなさいます。長奉送使などや、その他の
上達部も、家柄もよく、世間の評判の高い人たちを帝はお選びに
なりました。桐壺院のご意向もあったからでございましょう。斎宮が
野宮をご出発になる時に、源氏の君は、いつものように尽きせぬ
思いを書き記してお届けなさいました。

「言葉にして申し上げるのも畏れ多い斎宮のお前に」と書き、木綿に
結び付けて、

「鳴る神だにこそ(雷神でさえ、思う仲を割いたりはしませんのに)
  八洲もる国つ御神も心あらば飽かぬわかれの仲をことわれ(この
  国をお守りくださる神様も、情けがおありならば、心ゆかぬ別れを
  する二人の仲を、お分かりください)
思いますに、満たされぬ思いがいたしますことよ」

と、ありました。斎宮方では取り込んでいる時でしたが、お返事を
なさいました。斎宮の詠まれた御歌を、女別当にお書かせになった
ものでした。
 
 「国つ神そらにことわる仲ならばなほざりごとをまづやたださむ」
 (国つ神が、空から二人の仲をお裁きになるのなら、あなたの
  いい加減なお言葉を先ずは糺されることでしょう)

源氏の君は斎宮の出発のご様子が見たくて、宮中にも参内したいと
お思いでしたが、御息所にうち捨てられた格好で見送るのも、体裁の
悪い感じがなさるので、思い留まられて、所在なく物思いに沈んで
おられました。斎宮のお返事が大人びているのを、微笑んでご覧に
なっていました。「お歳の割には風情もお分かりのようだな」と、お心
が動くのでした。源氏の君には、このように普通とは違った厄介な恋に
必ず心惹かれる御癖がおありで、いくらでも拝見できた斎宮の幼い頃
のお姿を見ず仕舞いになってしまったのが残念だけれど、無常なこの
世のことだから、対面することもあるに違いなかろうよ、とお思いに
なっていました。

斎宮は奥ゆかしく、風雅なご様子でいらっしゃるので、物見車もこの日は
多うございました。申の時(午後四時頃)に、宮中にご到着になりました。
御息所は、御輿にお乗りになるにつけても、父の大臣が中宮にとお望み
になって、大切に世話をしてお育てになられた有様が打って変わって、
年長けて再び宮中をご覧になるにつけても、こみ上げて来るものの全て
を、無性に悲しくお思いになっておりました。十六歳で亡き東宮のもとに
入内し、二十歳で東宮に先立たれなさいました。そして三十歳になって、
今日また内裏をご覧になったのでした。
 
 「そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちにものぞ悲しき」(その昔
  のことを今日は心にかけまいとこらえているけれど、心の中は悲しくて
  たまらない)

斎宮は十四歳におなりでした。とても可愛らしくていらっしゃるお姿を、
きちんと装い立てて差し上げなさったのは、たいそう不吉なほどに美しく
お見えになるので、帝はお心が惹かれて、別れの櫛を挿しておあげになる
時、しみじみと胸に迫って、涙をお流しになりました。

斎宮が大極殿から出て来られるのをお待ち申し上げて、八省院の築地の
外に立て連ねている女房たちの出車の袖口の色合いも、目新しい趣向で
奥ゆかしい様子なので、殿上人たちも、私的な別れを惜しんでいる者が
沢山おりました。暗くなってから出発なさって、二条大路より洞院大路を
折れなさる時、ちょうど二条院の前なので、源氏の君もひどく切なくお思い
になって、榊につけて、
 
 「ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれじや」(私を
  振り捨てて今日伊勢に下向なさっても、鈴鹿川を渡る頃、きっと後悔の
  涙の波に袖を濡らされぬことでありましょう)

と、申し上げなさいましたが、とても暗く慌ただしい折だったので、翌十七日、
逢坂の関の向こうからお返事がありました。
 
 「鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず伊勢まで誰か思ひおこせむ」(私が
 泣いているかいないかなどと、伊勢に行った先まで誰が思い遣ってくれる
 というのでしょうか)

と、言葉少なにお書きになっているのが、殊更ご筆跡もたいそう教養が滲み
出ていて上品なので、お歌にしんみりとしたところが少しおありだったら
いいのに、と、源氏の君はお思いでした。霧がとても深く降りて、ただならぬ
風情の明け方に、ぼんやりと物思いにふけって独り言をおっしゃるのでした。

 「行くかたをながめもやらむこの秋は逢坂山を霧な隔てそ」(あの方の行く手
  をぼんやりと眺めていよう。だからお願いだ、霧よ、この秋は逢坂山の辺り
  を隠して隔てないでおくれ)

西の対の紫の上のもとにもお渡りにならず、源氏の君は誰のせいでもなく、
もの寂しい思いでぼんやりとお過ごしになっておられました。ましてや旅の空
の御息所は、どんなにお心の乱れることが多かったでありましょう。


洋梨のタルト

2020年11月23日(月)

3月以降、孫たちと一度も食事を共にすることなく過ごしてきましたが、
このところの新型コロナの感染状況からすると、おそらくもう年内は
無理でしょう。せめてみんなの大好きな洋梨のタルトくらいは作って
やりたいと思い、一昨日洋梨を買ってきて、昨夜それをシロップ煮に
しました。

そして今日、タルトを焼きました。今年はラ・フランスが大き目でしたが、
4個分シロップ煮を用意したので、隙間が無いほどに洋梨をたっぷりと
使いました。そのせいで、焼いたら生地が外側に溢れてしまい、円型が
ちょっといびつな出来上がりです(-_-;)

      DSCF4410.jpg
       明日、隣町に住んでいる孫たちのもとに届けます
      

中宮サロンの自負

2020年11月20日(金) オンライン『枕草子』(第4回 通算第45回)

感染拡大の一途を辿る新型コロナの感染者数。あの緊急事態宣言の
頃が何となく蘇ってまいります。今回は寒くなる冬場に向かっていると
いうのが、いっそうの不安材料となっています。

会場での例会をこの先どうするか、今日も高座渋谷クラスの役員さん
からお問い合わせのメールがありました。オンライン講座はその点では
何も心配せずに済むので気が楽です。

今日は、前回に続き第260段を読みました。来月でこの段を読み終えたい
と思います。

正暦5年(994年)に、中宮定子の父である関白道隆が催した積善寺供養
のことを、その前後も含め記した、『枕草子』の最も長い段ですが、この
行事には、中宮定子と、一条天皇の母君である女院(東三条院詮子)の
お二人も行啓なさいました。積善寺は女院や道隆の父・兼家が建立した
お寺なので、女院も参列なさったのでありましょう。

積善寺供養の当日、先ずは女院ご一行を道隆らがお迎えに上がり、
その後、中宮さまご一行と二条大路で合流して積善寺へと向かったの
ですが、作者は、その両方を比べての思いを綴っています。

女院は既に出家なさっていますので、側近の女房たちも出家しており、
女院の唐車(最高級の牛車)に続く4台の牛車は尼車です。続く10台は
尼車ではありませんが、装束の色合いなども全体的に地味な感じが
します。でも、それが「なまめかしう、をかしきこと、かぎりなし」(上品で
優美な素晴らしさは、この上ありませんでした)と、清少納言の目には
映りました。

二条大路でお待ちしていた中宮さまの女房たちの乗った牛車は20台。
作者は、自分が女院の女房車の様子に感嘆したように、女院方の女房
たちも、中宮さまの女房車を「『をかし』と見るらむかし」(きっと「素晴らしい」
と見ていることでしょうよ)と、最後に「かし」まで付けて、念を押して書いて
います。

中宮サロンの一員である清少納言にとって、女院サロンの女房たちに
何ら遜色を感じなかったということは、自負心を満足させる出来事だったに
違いありません。この場合を考えても、女主人同士の間にはライバル心など
存在しなくとも、女房たちの間には、それぞれのサロンとしての対抗意識の
働くのが当時の姿であり、この短い一文にも、その辺りの心理が窺えるか
と思われます。


初めての浮舟の心情

2020年11月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第224回)

新型コロナの感染者の増加も気になる中(でもまだ今日の全国での
感染者数が2200人を超えるとまでは知りませんでした)、先月に続き
湘南台での講読会に出掛けました。

駅に着いたら、改札口付近に大勢の人が・・・嫌な予感・・・やっぱり。
途中駅の人身事故で電車は運転見合わせ中。仕方なく、振替輸送を
使って40分遅刻で会場に到着しました。

そのため、今日は浮舟が初めて匂宮と出会う場面を読む予定でしたが、
そこまで辿り着けずに終わってしまいました。第50帖「東屋」を少し読み
進めただけですが、このあたりの話は、浮舟の母君が中心となって
展開しています。

中の君を頼り、浮舟を連れて二条院へやって来て、一緒に滞在していた
母君ですが、結婚間もない娘(浮舟の異父妹)もいる家を勝手に空けて
いることに腹を立てている夫の常陸介が、迎えの牛車を寄越したのを機
に、浮舟を中の君に託して一人帰って行きました。

ここで初めて浮舟の思いが語られます。

「いと心細く、ならはぬここちに、立ち離れむを思へど、今めかしくをかしく
見ゆるあたりに、しばしも見馴れたてまつらむと思へば、さすがにうれしくも
おぼえけり」(とても心細く、生まれてこのかた一度も離れたことがない母君
との別れを寂しく思う浮舟ですが、一方で、華やかで趣深く目に映る二条院
で、しばらくの間でも、姉君のお傍に居させていただけると思うと、それは
それでやはり嬉しくも感じられるのでした)

これまで婚約者に裏切られ、異父妹に乗り換えられた時も、浮舟の心情が
語られることはありませんでした。母親と一緒に居られない寂しさと同時に、
今まで自分が知らなかった上流貴族の華やかな生活を、優しい姉の許で
体験できる若い娘の喜びが、読者の知る初めての浮舟の心情ということに
なります。

湘南台のクラスはこの先、来年2月までは休講にすることが決まりました。
春を迎える頃、コロナが収まって、またみんなで元気に顔を合わせられる
ことを願いつつ、ちょっと早いのですが「どうぞ良いお年を」と言いながら、
会場を後にしたのでした。


大君の孤立化

2020年11月13日(金) 溝の口「オンライン源氏の会」(第5回・通算145回)

秋口以降、ニュースでもトップに取り上げられることがなくなっていた
新型コロナが、連日全国での最多感染者数を更新するようになり、
再びニュースでトップに報じられるようになりました。横ばい状態なら、
少し前向きに、と思っていたのが、また萎み始めてしまっています。

溝の口の「源氏の会」(「金曜クラス」と「湖月会」)のオンライン講座も
今日で5回目となり、第47帖「総角」をゆっくりと読み進めています。

八の宮家の女房たちは、宮のご存命中でさえ豊かな暮らしは望めない
状態だったのに、ましてや今は、先々どうなってしまうのか、姫君たちは
もとより、自分たちの暮らし向きに関しても不安でいっぱいです。だから
大君が薫と結婚をして京へ移られるのを、願ってもないことと望んで
います。女房の立場からすれば、それは当然のことでありましょう。

このままでは女房が薫を手引きして、無理矢理結婚させられてしまう
のではないか、と危機感を抱く大君は、自分の代わりに妹の中の君を
薫と結婚させ、自分はその後見に徹しようと考えます。薫が心底誰を
求めているか、ということを考慮しようとはしていません。薫には、妹を
私と「同じことに思ひなしたまへ」(同じことだと思っていただきたい)と、
女房の弁に訴えます。

弁はそれを聞き、「その件は薫に申し上げもしているけれど、薫は考え
直す気持ちもお持ちでないし、中の君には、匂宮がご執心なのだから
匂宮と結婚していただきたい。そうすればそちらの後見もちゃんとします、
とおっしゃっています」と、大君を説得しようとします。さらに、「父宮が
おっしゃっていたのは、なまじな男との結婚はすべきでない、ということ
で、薫との結婚は望んでおられたはず。薫、匂宮という当代きっての
貴公子お二人とのご縁組など、ご両親が揃っておられる方でも難しい
ことです。薫との結婚を拒絶して出家なさったところで、仙人のように
雲や霞を食べて生きていけるわけでもないでしょうに」と、長々と申し
上げるのでした。大君はこれをとても不快に感じて、うつ伏してしまい
ました。

確かに、最後の「出家しても仙人のような暮らしができるわけでもない
のに」というのは、女房の立場で出過ぎた発言だと思われますが、弁
の意見のほうが常識的で、大君の考え方は、いくら父宮に代わり宮家
の矜持を保つことを、自分の使命にしているとはいえ、余りにも頑なで
客観性に欠ける気がしませんか。

拙著をお読みくださった方が、「第二部までのヒロインに対しては、すごく
思い入れが感じられるけど、宇治十帖のヒロインには、筆を走らせ過ぎて
いる感じがした」との感想をお寄せくださいました。今、「賢木」と「総角」を
並行して読んでいて思うのは、六条御息所にはあれほど共感できるのに、
宇治十帖の女君たちには、誰にも共感できない自分がいるということです。
皆さまが宇治十帖のヒロインたちに対してどのようにお感じになるか、色々
伺ってみたいところです。


八王子クラスからの「メッセージノート」

2020年11月11日(水)

10月1日の中秋の名月の夜、八王子の「源氏物語を読む会」が
コロナ禍のせいで、結局最後の4回は顔を合わせることなく、
読了となったことをこのブログでもご報告しました(その記事は
⇨⇨こちらから)。

いつになるかわからない全員揃っての打ち上げ会を待っている
状態が続いていますが、昨日、品名欄に「メッセージノート」と
記されたレターパックが、送られてきました。

今月の第1木曜日に、皆さま八王子のいつも例会を行っていた
会場にお集まりになって、それぞれの思いを書いてメッセージ
ノートを作ってくださったとのこと。

       DSCF4383.jpg
        これがそのメッセージノートです
               ↓開いてみると
  DSCF4389.jpg
 『源氏物語』の可愛いシールがいっぱい!思わず笑みが
浮かんできましたが、皆さまからのメッセージを読んでいる
うちに、万感胸に迫り涙が止まらなくなりました。

『源氏物語』を最初から最後まで原文で読み通せたことが皆さまに
とっての「宝物」なら、私にとっての「宝物」は、皆さまとの出会い、
そしてこの「メッセージノート」、ということになりましょう。


効果的な表現「何ともおぼされず」

2020年11月9日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第4回・通算51回・№2)

ついついテレビのニュースを見てしまったアメリカの大統領選挙も
終りましたが、その間に、日本でもまたコロナの感染が、北海道を
中心に急速に広がってきており、これから冬に向かってどうなって
ゆくのか、気掛かりなところです。

オンライン「紫の会」(月曜クラス)は、第10帖「賢木」のポイント①
として挙げた「野宮の別れ」を今回で読み終えました。

源氏が野宮に六条御息所を訪ねたのは9月7日頃のことでした。
御息所が娘の斎宮と共に伊勢に向かって出立する9月16日が
迫ってきます。今更どうすることもできないので、源氏はせめても、
と思い、数々のお餞別を贈ります。御息所をはじめとして、お供を
する女房たちの分も併せての旅装束、旅路で必要なお道具類の
あれこれを、この上なく立派に整えて差し上げたのでした。

表題の「何ともおぼされず」(何ともお思いになりませんでした)は、
これらの品々を受け取った御息所の気持ちです。

この場面で、これほど的確で効果的な表現が他にありましょうか。

たったこれだけですが、御息所が本当に源氏に対して望んでいた
ことが読者には痛いほどよくわかります。御息所が望んでいたのは
物ではありません。心です。こんな豪華極まるお餞別で、物質面の
厚意を見せてもらっても、少しも嬉しいはずはなく、御息所が源氏に
求めていたのは、ひたすら「愛」だったのです。

本日講読した部分の前半の全文訳を先に書きましたので、この辺り
の話の流れをご確認いただければ、と思います(⇨⇨こちらからどうぞ)。


第10帖「賢木」の全文訳(4)

2020年11月9日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第4回・通算51回・№1)

今月のオンライン「紫の会」は、第10帖「賢木」の3回目となります。
今日は134頁・2行目~138頁・11行目迄を読みましたので、その
前半部分に当たる(134頁・2行目~136頁・8行目)の全文訳です。
後半部分は11/26に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

源氏の君からの後朝の文は、いつもよりも情がこもっているので、
御息所のお気持ちも靡きそうな程ですが、また今更思い迷われる
ことでもないので、もうどうしようもありません。源氏の君は、さほど
深く思っておられないことでも、恋のためには女に対して殺し文句を
並べ続けなさるようなお方ですから、ましてや並々の愛人とは思って
おられなかった間柄のお方が、こうして別れて行こうとなさるのを、
残念だともお気の毒だとも思い悩まれておられたのでありましょう。

源氏の君は、御息所の旅のお支度はもとより、女房たちの旅装束まで、
それに何くれと旅に必要なお道具類なども、贅を尽くして目新しい様に
仕立てて、お餞別に差し上げなさいましたが、御息所はそれに対して
何ともお思いではありませんでした。

軽率で情けない評判ばかりを世間に流して、呆れ果てるような我が身
の有様を、今更のように伊勢下向が近づくにつれて、寝ても覚めても
お嘆きになっておられました。斎宮は、幼いお気持ちで、はっきりと
しなかった母君のご出発が、このように決まっていくのを、嬉しいと
だけお思いになっていました。

世間の人は、斎宮に母親が付き添って下向するのは先例のないこと
と非難したり、同情したり、あれこれと取り沙汰申し上げていたようです。
何事も、人からとやかく批判されたりすることのない身分の者は、気楽
なものです。むしろ世間から抜きん出たような身分のお方のご動向は、
窮屈なことが多いものでございました。

十六日、斎宮は桂川で禊をなさいます。長奉送使などや、その他の
上達部も、家柄もよく、世間の評判の高い人たちを帝はお選びになり
ました。桐壺院のご意向もあったからでございましょう。斎宮が野宮を
ご出発になる時に、源氏の君は、いつものように尽きせぬ思いを書き
記してお届けなさいました。
「言葉にして申し上げるのも畏れ多い斎宮のお前に」と書き、木綿に
結び付けて、

「鳴る神だにこそ(雷神でさえ、思う仲を割いたりはしませんのに)
 『八洲もる国つ御神も心あらば飽かぬわかれの仲をことわれ』(この
国をお守りくださる神様も、情けがおありならば、心ゆかぬ別れをする
二人の仲を、お分かりください)思いますに、満たされぬ思いがいたし
ますことよ」

と、ありました。斎宮方では取り込んでいる時でしたが、お返事を
なさいました。斎宮の詠まれた御歌を、女別当にお書かせになった
ものでした。

「国つ神そらにことわる仲ならばなほざりごとをまづやたださむ」(国つ
神が、空から二人の仲をお裁きになるのなら、あなたのいい加減な
お言葉を先ずは糺されることでしょう)

源氏の君は斎宮の出発のご様子が見たくて、宮中にも参内したいと
お思いでしたが、御息所にうち捨てられた格好で見送るのも、体裁の
悪い感じがなさるので、思い留まられて、所在なく物思いに沈んで
おられました。斎宮のお返事が大人びているのを、微笑んでご覧に
なっていました。「お歳の割には風情もお分かりのようだな」と、お心
が動くのでした。源氏の君には、このように、普通とは違った厄介な
恋に必ず心惹かれる御癖がおありで、いくらでも拝見できた斎宮の
幼い頃のお姿を見ず仕舞いになってしまったのが残念だけれど、
無常なこの世のことだから、対面することもあるに違いなかろうよ、
と、お思いになっていました。


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