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コロナ禍での数え日

2020年12月30日(水)

数え日となってから、いっそうコロナの感染拡大は厳しさを増しており、
今日はここ神奈川県でも432人の感染発表がありました。少し前なら、
東京都でも驚くような数字ですが、その東京は944人で、1,000人に
迫ろうとしています。

2月の初めに拙著を出版し、『源氏物語』完読第1号のクラスも出て、
夏にはそれに続くクラスもある予定でしたし、今年は良き一年になると
思っていました。それが間もなく「新型コロナ」という未知のウィルスの
出現によって、まったくこれまで経験をしたことのない、先の見えない
長~いトンネルの中に押し込められてしまったのです。

緊急事態宣言の後、一度は下火になったものの、すっかり収まることは
なく第2波、そして今回の大きな第3波です。

講読会も3月以降、ずっと休講状態のクラスが多く、そんな中、読了間近
だった八王子クラスからは、毎月一回、資料を受け取って家庭学習で
読み終えたい、とのご要望があり、7月から10月までその形で、読了に
漕ぎ着けました。

また、溝の口の講座は、オンラインをご希望の方々と、夏頃からZoomで
少しづつ読み進めておりますが、対面での講座再開を待ってくださって
いる皆さまが大勢おられますので、湘南台、溝の口、高座渋谷、どの
クラスも早く安心して継続的に会場での講読会ができる状態になって
欲しいと、日々祈っております。

そんなこんなで、ブログネタも不足気味ですが、2015年3月~2020年12月
までで、トータル930記事を書きました。来年には1,000記事に到達したいと
思います。

今年も拙いブログにお付き合い戴き、有難うございました。来年こそ明るい
年となって欲しいですね。うん、きっとなるでしょう。


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嫌な予感

2020年12月24日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第5回・通算52回・№2)

新型コロナの感染拡大が続く中で、今日の東京都の感染者数は
888人とまたまた過去最多を更新しました。数字としては末広がり
の縁起の良い数ですが、とても喜べる状況ではありません。

3月以降、会場で行えた例会は、高座渋谷と湘南台での合わせて
5回のみ。本日のオンライン講座で、今年の仕事納めとなりました。

でも今の私にとっては、このオンライン講座が唯一の外部との繋がり
なので(それ以外には、病院の先生だけ?)、皆さまと顔を合わせ、
リモートながらお話できることを、とても有難く思っております。

さて、今日のタイトルの「嫌な予感」とは何か、と申しますと、この先
の源氏の運命に対しての、ということになります。

弘徽殿の女御所生の第一皇子(朱雀帝)に譲位した後も、政治の
実権を握っていたのは桐壺院でした。ですから源氏も安泰で、
桐壺帝の御代と何ら変わりなく過ごせていたのです。

ところが桐壺院の崩御で、政情は一変しました。権勢は朱雀帝を
擁する右大臣一派へと完全に移ってしまったからです。帝の外祖父・
右大臣と、その娘の弘徽殿の大后の思うままに世の中が動くように
なり、これまでずっと煮え湯を飲まされた形となっていた弘徽殿の
大后(弘徽殿の女御は天皇の母となったので、大后と呼ばれるように
なっています)は、やっとリベンジのチャンスがやって来た、と狙い
始めています。

朱雀帝の寵愛が深い朧月夜は、源氏のことが忘れられず、源氏も
またこうした危うい恋には燃える癖があるので、二人は今もこっそりと
恋文を交わしています。それに続くのが次の一文です。

「院のおはしましつる世こそ憚りたまひつれ、后の御心いちはやくて、
かたがたおぼしつめたることどもの報いせむとおぼすべかめり」
(桐壺院のご存命中こそ世間を憚っておいででしたが、弘徽殿の大后
のご気性は激しくて、これまであれこれ悔しく思い詰めてこられたこと
の復讐をしたい、とお考えになっておられたようです)。

朧月夜がらみで、源氏の身に何か悪いことが降りかかってくるのでは
ないか、この先のストーリーを知らなくても、そんな予感を抱かせる
書きっぷりですね。

こうした際立った伏線の使い方も、紫式部という作家の力量を示して
いるかと思われます。

先に書きました第10帖「賢木」の全文訳(7)で、ストーリーを追って
お読みいただければ、と存じます。


第10帖「賢木」の全文訳(7)

2020年12月24日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第5回・通算52回・№1)

今日で今年の読み納めとなりました。12/14の月曜クラスと同じく、
第10帖「賢木」の138頁・12行目~145頁・1行目迄を読みましたので、
その後半部分に当たる(142頁・5行目~145頁・1行目)の全文訳と
なります。前半部分は第10帖「賢木」の全文訳(6)をご覧ください
(⇨⇨こちらから)。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

藤壺は、三条の宮にお移りになります。お迎えには兄の兵部卿の宮
(紫の上の父)が参上なさいました。雪が舞い散り、風が激しく吹いて、
院の御所が次第に人影がまばらになってひっそりとしている所に、
源氏の君が藤壺の御殿に参上なさって、昔の思い出話を申し上げ
なさいます。

お庭の五葉の松が雪に萎れて、下葉が枯れているのをご覧になって、
兵部卿の宮がお詠みになった歌、
「蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ下葉散りゆく年の暮かな」(木陰が
広いのでそれを頼りにしていた松は枯れてしまったのであろうか。
下葉も 散ってゆく年の暮れであることよ)
たいした歌でもございませんが、その折にふさわしくてしみじみと感じ
られ、源氏の君のお袖は涙でひどく濡れたのでした。池の一面に氷が
張っているのを見て源氏の君は、
「さえわたる池の鏡のさやけきに見なれしかげを見ぬぞかなしき」(氷の
張りつめた池の面は鏡のようにさやかであるのに、そこに映る見慣れた
影〈桐壺院〉の見えないのが悲しい)
と、心に浮かんだことをそのまま歌になさったので、あまりにも幼い読み
ぶりでございましたよ。王命婦は、
「年暮れて岩井の水もこほりとぢ見し人かげのあせもゆくかな」(年が
暮れて、岩井の水もすっかり凍り、見馴れていた人影も次第に消えて
いくことですよ)
と、詠みました。

その折、いろんな人がとても沢山の歌を詠みましたが、そればかりを
書き続けても仕方ないのでここまでにいたします。

中宮がご実家にお移りになる儀式に変わりはありませんが、心なしか
もの悲しくて、藤壺にとってはご実家の三条の宮が、戻って来て他人の
家のような気がなさるにつけても、桐壺院のご存命中は常にお傍にいて
里下がりをすることもなかったので、その長い年月のことをあれこれと
思い出されていたことでありましょう。

年も改まりましたが(源氏の君二十四歳)、諒闇の為世間全体が華やかさ
に欠け、ひっそりとしております。ましてや源氏の君は、物憂くて二条院に
籠っていらっしゃいます。

除目の頃などは、桐壺院のご在位中は言うまでもなく、ご退位後も毎年
変わることなく二条院の辺りには、所狭しと立ち混んでいた馬や牛車も
少なくなって、宿直をする者の姿も殆ど見かけなくなり、親しい使用人たち
だけが、特に急ぐ用事もなさそうにしているのをご覧になるにつけ、今後は
こんなふうになるのだな、と思いやられて、何事もつまらなくお感じになって
おられました。

御匣殿(朧月夜)は、二月に尚侍に就任なさいました。桐壺院の御喪に
服して、そのまま尼になられた尚侍の後任でありました。朧月夜はお家柄
もよく姫君らしいお暮らしぶりで、人柄もとても優れておられるので、女御、
更衣が大勢集っておられる中でも、格別の寵愛を受けておられました。

弘徽殿の大后は、お里においでになることが多くて、宮中に参内なさった
時のお部屋には梅壺をお使いになるので、弘徽殿には朧月夜がお住まい
になります。登花殿が弘徽殿に埋もれてしまっていたので、こちらに移り
晴れ晴れしくなって、女房たちなども大勢参集して、当世風で華やかにして
いらっしゃいますが、朧月夜のお心の中では、思いも掛けなかった源氏の君
とのあれこれを忘れ難くお嘆きになっておられました。たいそうこっそりと
恋文を交わし合っておられるのは、相変わらず同じようでございました。

源氏の君は世間の噂にでもなったらどんなことになるだろう、とお思いに
なりながら、いつもの障害のある恋には燃える御癖がおありなので、今に
なって却ってお気持ちも高まっていたのでありましょう。

桐壺院のご存命中こそ世間を憚っておいででしたが、弘徽殿の大后は、
ご気性が激しくて、これまであれこれ悔しく思い詰めてこられたことの
復讐をしたい、とお考えになっておられたようです。事に触れて不具合な
ことばかりが起こってくるので、源氏の君はこうなるであろうとお思いに
なってはいましたが、これまで経験なさったことも無い世の中の辛さに、
世間に交わろうともお思いにならないのでした。


my手帳

2020年12月21日(月)

少し前のことになりますが、いつも訪問させていただいているブログに
「手帳の選び方と活用法」という記事があって、「そのうちmy手帳のこと、
拙ブログでも紹介しようかな、と、この記事を読んで思いました」と、
コメントしました。

「そのうち」は、どうしても後回しになり、このままでは年内にUPせずに
終わってしまう、と、冷蔵庫の掃除が済んだところで、パソコンを開け
ました。

手帳を使い始めてどれくらい経つのかなぁ?都心に通勤していた頃から
だと思うので、もう40年近くになるでしょうか。この手帳一筋で愛用して
います。

コレクトのプログラムという手帳です。何が一番気に入っているかというと、
薄くてコンパクトなところです。バッグの中身はできるだけ軽くしたい。でも
必要な物だけのつもりでも、何やかやと重くなってしまいます。ですから、
この手帳も、これ以上薄い物、軽い物はないだろう、ということで使い始め
ました。

薄くても、先ず見開きに年間カレンダー、続いて「年齢・和暦・西暦・干支
早見表」が付いていて、ちょっと調べたい時などにも便利です。

様々な覚書を記しておけるこれも超薄型の「メモノート」(15年位前に一度
だけ買い替え)と一緒に、皮の手帳カバーに挟んで使っています。
手帳カバーは、最初に買い求めた銀座の伊東屋で、ネームも入れてもらい
ました。

今は手帳愛好者は減っているといいますが、私はやはり「手帳派」です。
コロナ禍で殆ど出掛けることなく過ごしていますが、10月の末、来年の手帳
を買うために(もちろん、出掛けたら他に買い物もしますけど)、東急ハンズ
に足を運びました。

             DSCF4422.jpg
           長年のうちに傷だらけの手帳カバー

          DSCF4428.jpg
      今年の5月のページ。書き込んでいた仕事の予定は
      すべてキャンセルになって消しています

      

思い出せば切なくて

2020年12月18日(金) オンライン『枕草子』(第5回 通算第46回)

このオンライン『枕草子』の会のお試しミーティングを行った7月17日は、
ちょうど新型コロナの第2波がピークに向かおうとしていた頃で、「今日
東京では293人と、もう300人に迫っています」と、書いています。今の
東京は、三日連続で600人を超え、昨日は822人と過去最多でした。
基礎疾患持ちの高齢者である私は、引き続きひたすら自粛生活ある
のみです。

と、これは『枕草子』の内容とは関係のない前置きでした。

10月から3回に渡って読んでまいりました『枕草子』で最も長い第260段
を、区切りよく、年内最後の今回で読み終えました。

正暦5年(994年)、中の関白家の最盛時、中宮定子の父・道隆が催した
華々しいイベント「積善寺供養」を、後に作者が回想して記した段です。

当時まだ出仕して半年も経っていない新参女房だった清少納言は、この
晴れがましい行事に、中宮サロンの一員として参加できた喜びを存分に
味わい、中の関白家(特に中宮定子)に対して、敬愛の念を深めた事柄
を、次から次へと思い出すままに綴っています。

そして、結末の一文。「されど、そのをり、『めでたし』と見たてまつりし御事
どもも、今の世の御事どもに見たてまつり比ぶるに、すべて、一つに申す
べきにもあらねば、もの憂くて、多かりし事どもも、みなとどめつ」(けれど、
その折に「素晴らしい」と見申し上げたあれこれの出来事も、今の世の
中の関白家のご様子と見比べ申しますと、何もかも同じように申し上げる
ことも出来ないので、憂鬱になって、まだまだ沢山あった出来事も、みんな
書くのを止めました)。

この直前に書かれているのが、積善寺供養の翌日、道隆が中宮さまの許
においでになり、昨日はあんなに良い天気だったのに、今日雨になった
ことに触れて、「これで私は運の強さが証明されましたよ。どんなものです」
と、自慢なさり、得意満面だったご様子を伝えている場面です。

これを書いて作者は、ハッと夢から覚めたような気持ちになったのでしょう。
ご自分の強運を自慢なさっていたけれど、その後の現実はどうだった?
僅か1年後に関白・道隆自身が43歳で亡くなってしまい、嫡男・伊周は道長
との政争に敗れ、おまけに弟の隆家と共に、花山院奉射事件まで起こして、
中の関白家は凋落の一途を辿ることになってしまったではありませんか。

あの頃と比べて今は、と思った時、作者は言いようもない寂寥感に捉われた
に違いありません。それがこの結末の一文となったのだと考えられます。

それでも、中の関白家衰退の事実には敢て筆を及ぼしていません。これまで
にも書きましたが、それが『枕草子』全般にわたる作者の意地の見せどころ
だったと思われるのです。


今年二度目の「洋梨のタルト」

2020年12月17日(木)

「洋梨のタルト」は一年に一回、のつもりだったのですが、三日前、
お隣の方から昨年に引き続き、特大サイズの立派な山形産の
ラ・フランスを頂戴しました。今年はもう一回作るしかないなぁ、と
思い、今日再度「洋梨のタルト」を焼きました。

続けて焼くと、前回、「パートシュクレが少し甘すぎたかな」とか、
「アーモンドクリームが溢れてしまった」、といった反省点を、まだ
記憶しているので、それを活かすことが出来て、今回のほうが、
見た目も、味もちょっとUPした気がしています。

    20201217_163658.jpg
      明日はお隣にお持ちして、息子の家にも、
      もう一度届ける予定です。


桐壺院の遺言

2020年12月14日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第5回・通算52回・№2)

先程の全文訳のところでも書きましたが、オンライン「紫の会」は、
今回より、第10帖「賢木」の2番目のポイントとなる「桐壺院の崩御」
の話へと読み進みました。

源氏23歳の10月、桐壺院の病は重くなり、朱雀帝(源氏の異母兄)
は、院の御所へと行幸になりました。天皇がわざわざ上皇御所へ
お渡りになる、というのは、これが最後のご対面であることを意味
していました。

桐壺院は帝に対し、様々なご遺言をなさいます。東宮のこと、続いて
源氏のことをおっしゃいました。

「源氏を重用し、どんな些細なことも彼に相談して、決してないがしろ
にすることのないように。源氏は人の上に立ち、天下を治めてゆける
人間だ。しかし、そうなれば世が乱れることにもなりかねないと思い、
親王にもせず、臣下として朝廷を補佐させようと考えたのだ。だから
この私の意向を無にしてはならない」と。

帝はとても気弱で優しい方です。父院のご遺言に「さらに違へきこえ
さすまじきよしを、かへすがへす聞こえさせたまふ」(決してお言葉に
背くつもりはございませんと、何度も何度も父院にお約束申し上げ
なさる)のでした。

この桐壺院のご遺志は、後々とても大きな意味を持つことになります。

帝は父院のご遺言を遵守したいとお考えでしたが、母・弘徽殿の大后や、
祖父・右大臣の意図に逆らえず、良心の呵責に苦しむことになります。

やがて夢枕に立った桐壺院の霊に睨まれた朱雀帝は、眼病を患うように
なってしまわれ、天変地異、右大臣の死、弘徽殿の大后の体調不良と
続くと、これは父院の遺言を違えた祟りと怯え、ついに須磨に謫居した
源氏の召還を決意なさるに至ります。

結果として、源氏が須磨(この時には明石に移り住んでいる)から京へと
帰って来る契機となる力を持つことになったのが、この桐壺院の帝への
遺言であるということを、そこで読者は知ることになるのです。

この場面も含め、本日の講読箇所の前半は、第10帖「賢木」の全文訳(6)
でお読みいただければ、と存じます。


第10帖「賢木」の全文訳(6)

2020年12月14日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第5回・通算52回・№1)

先月迄で、第10帖「賢木」の一つ目のポイントとなる「野宮の別れ」を
読み終えて、今月からは二つ目のポイント「桐壺院の崩御」の話へと
入りました。今日は138頁・12行目~145頁・1行目迄を読みましたので、
その前半部分に当たる(138頁・12行目~142頁・4行目)の全文訳を
下記に書きます。後半部分は12/24に書く予定です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)。

桐壺院のご病気は、十月になると、たいそう重くなられました。世間では
院のことを惜しみ申し上げない人はありません。帝(朱雀帝)もお嘆きに
なり、院の御所へと行幸なさいました。桐壺院はご衰弱のご様子ながら、
東宮のことを何度も何度も帝にご依頼なさって、続いて源氏の君のこと
について、「私の在世中と変わらず、事の大小に関係なく隠し事をせず、
何事にも補佐役とお考えください。歳の割にはしっかりしており、必ず
世の中を治めて行ける相をもった人です。だからこそ面倒なことになろう
かと、親王にもせず、臣下として朝廷の補佐役をさせようと考えたのです。
この私の意向を無になさいますな」と、しみじみと胸を打つご遺言を多々
なさいましたが、表向きのことを女が口にするものではございませんので、
このように少しお伝えするだけでも気の引ける思いがいたします。

帝もとても悲しいとお思いになり、決してお言葉に背くことはしない、と繰り
返しお誓いになりました。帝はご容貌もとてもお美しく、成長なさるにつれて
ご立派におなりあそばすのを、桐壺院は嬉しく、頼もしくご覧になっており
ました。行幸には決められた時間があり、帝が急ぎお帰りになるにつけても、
院はなまじお目にかかったがために、いっそうお悲しみの種が多くなったの
でした。

東宮もご一緒に、とお考えでしたが、たいそうな騒ぎになるので、日を変えて
お出でになりました。五歳というお歳にしては、大人びて可愛らしいご様子で、
父院を恋しく思い申し上げていた挙句のご対面なので、ただもう無心に嬉しい
とお思いになって、父院をご覧になる御様子は、実にいじらしうございました。

中宮(藤壺)が涙に沈んでおられるのを、桐壺院はご覧なさるにつけても、
様々に御心を乱されておられました。院は東宮にあれこれ先々のことを
お教え申し上げさないますが、まだとても頑是ないお年頃なので、心配で
悲しいと院は拝見なさっておられました。

源氏の君にも、朝廷にお仕えするにあたっての心構えや、この東宮の後見
をなさるべきことなどを、繰り返しおっしゃるのでした。東宮は夜が更けてから
お帰りになりました。延臣たちが残らずお供をして大騒ぎをしている様子は、
帝の行幸にも引けを取らないものでした。まだ物足りなく思われるところで
東宮がお帰りになるのを、桐壺院はたいそう残念にお思いになっておられ
ました。

弘徽殿の大后も院の御所へお見舞いに参上するおつもりでしたが、藤壺が
そのようにずっと桐壺院のお傍におられるのにこだわられて、ためらって
おられるうちに、院はたいしてお苦しみなさることもなく、ご崩御なさいました。
足も地につかない様子で驚き戸惑う人が大勢おりました。

桐壺院はご譲位なさったというだけのことで、天下の政治を取り仕切って
おられたこともご在位中と同じでいらっしゃったので、帝はたいそうお若くて
いらっしゃる上に、外祖父の右大臣がとても性急で意地悪なお方なので、
その右大臣の思うままになってしまいそうな世の中を、どうなるのだろう、と、
上達部や殿上人は皆思い嘆いておりました。
 
藤壺や源氏の君などは、ましてや人一倍何も考えられないほどで、源氏の君
が七日ごとの法要などをお勤めになる御様子も、大勢の親王たちの中にあって、
特に優れていらっしゃるのを、当然のことながら、おいたわしい限りと、世間の
人も見申し上げておりました。喪服姿で地味にしていらっしゃるにつけても、
源氏の君はこの上なく美しく、お辛そうでございました。去年は葵の上、そして
今年は桐壺院と、続けてこのような身近な方々の死に遭遇されて、この世も
たいそう味気ないものとお思いになりますが、このような機会にも真っ先に
出家をお考えになりますが、また一方では、出家の妨げとなることも多々
おありなのでした。
 
四十九日までは、女御や御息所たちは、皆院の御所にそのままおいでに
なりましたが、四十九日が過ぎてしまうと、散り散りにご退出なさいます。
師走の二十日なので、辺り一体も年の暮れで、世の中の終わりを告げる
かのような暗い空模様であるにつけても、ましてや晴れることのない藤壺の
御心中でありました。

藤壺は弘徽殿の大后のお心の内もご存知なので、大后が欲しいままに
なさるであろう今後が、立つ瀬も無く住み辛くなろうことをお思いになる
以上に、長年ずっと寄り添ってお仕えした桐壺院の御様子を思い出されぬ
時もおありではありませんでしたが、このまま院の御所においでになるわけ
にもいかないので、皆それぞれにご退出なさるにあたっては、悲しいことが
この上ないのでございました。


同じような状況ではありますが・・・

2020年12月11日(金) 溝の口「オンライン源氏の会」(第6回・通算146回)

なかなかコロナの感染拡大が収まりを見せない中、師走を迎えて、
オンライン講座の4クラスも、今日を皮切りにそれぞれ年内最後の
講読会となります。

このクラスは、第47帖「総角」の中盤に差し掛かるところを読んで
います。

正面から口説いても、まともに取り合ってくれない大君。薫はとうとう、
弁の君に、「今宵ばかり、大殿籠るらむあたりにも、忍びてたばかれ」
(今夜だけは、大君がおやすみになっておられる所へ、こっそりと
手引きしてくれ)と頼み、大君のもとに忍び込む手はずを整えたの
でした。

いざ薫が忍び込むと、まんじりともせずにいた大君は、その気配を
いち早く察知して、壁と屏風の隙間に身を隠しました。部屋に一人
取り残されたのは、大君と一緒に寝ていた妹の中の君です。

よく似た場面がずっと前にもあったような・・・。そうなんです。第3帖
「空蝉」で、源氏の侵入を知った空蝉が、継娘の軒端の荻を残して、
一人身を隠したシーンとダブりますよね。

その時源氏はどうしたか?「人違いです」ではいくら何でも相手の
女性に失礼というもの。ですから、「私がここを訪れていたのは、
ずっとあなたに逢いたかったからなのです」と、得意のリップ
サービスで、軒端の荻を喜ばせます。自分を避けて逃げ出した
空蝉を恨みながらも、先刻垣間見た時のこの女の容姿を思い出し、
「まぁ、いっか」となってしまいました。

薫の場合はどうだったでしょう。最初は大君が一人で寝ている、と
心ときめかしたのですが、そのうちにやはり別人だと気づきます。
驚き、困惑している中の君に、薫は手を出しません。中の君は可憐さ
では大君に勝り、この人も他の男のものにしてしまうのは惜しいと
思いながらも「なほ本意の違はむ、くちをしくて、うちつけに浅かりけり
ともおぼえたてまつらじ」(やはり、本来思っている人と思いを遂げられ
ないのは、残念で、大君に一時のいい加減な気持ちだったと思われ
ますまい)と、中の君には優しく語りかけて一夜を過ごしたのでした。

軽い源氏と重い薫。ここに物語の深化を見ることもできようかと思い
ます。

源氏の行動は単純ですが、薫は自分の行動の一つひとつに理屈を
つけようとします。その思考の過程が、心理小説的な要素の一因と
なっているとも言えましょう。


紅葉

2020年12月8日(火)

長引くコロナ禍での生活で疲れている人間を、慰めようとしている
のか、今年の紅葉は、殊の外綺麗な気がします。

この辺りの紅葉はだいたい12月に入ってからです。居住している
マンションの敷地内の楓も、1週間位前から「色づき始めたなぁ」と
思っておりましたが、今日、初めてスマホで写真を撮ってみました。

       20201209紅葉③
       スマホを買い物バッグに入れていたので、
       すぐに撮ることができました。
       やっぱりスマホって便利なのですね、とは
       超初心者の感想です。


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