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筍とツナ缶のパスタ

2021年4月29日(木)

4月24日に「筍ご飯」の記事を書いた際、もう一度筍を買うチャンスが
あったら、訪問先のブログにあった「筍とツナ缶のパスタ」に挑戦したい、
と記しましたが、はい、買えました、5本目の筍。そして今夜作りました。

ネットで検索したら、いくつもの「筍とツナ缶のパスタ」のレシピが出て
きましたが、お醤油の量からして、おそらくこれかな、と思われるのを、
台所でスマホで見ながら作っていきました。ガラケーから替えて5ヶ月、
やっとスマホにも慣れてきたところです。

   20210429_筍とツナ缶のパスタ
   コンソメとお醤油の和洋折衷味ですが、筍とツナに
   不思議とマッチして、なかなかいい感じです。この先、
   筍料理の一つに加えたいと思います。


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ピンクムーン

2021年4月26日(月)

午後6時40分頃、暗くなったので、東南に面した窓のカーテンを
閉めようと窓辺に寄ると、まぁ、綺麗な満月が掛かっているでは
ありませんか!

これはカメラに収めておきたいと、スマホを持ってベランダに出て
撮影。今日は日中かなり風が強く、塵埃が吹き飛ばされたので
しょうね。澄みきった群青色の空に、くっきりと浮かぶ丸い月は、
「さぁ、私を見てコロナ禍の嫌なことはしばし忘れなさい」と地上に
向かって語りかけているかのようでした。

居間に戻って、「ニュース7」を見ようとテレビを点けると、ちょうど
「おかえり天気」のお姉さんが、ピンクムーンの話をしていました。
4月の満月は、ピンク色の花が咲くのに合わせて「ピンクムーン」
というのだそうです。月がピンク色になるわけではありません。
実際の満月は明日の日中らしいのですが、今夜の月も満月として
見てよいのではないか、とのことでした。

ん?ピンクムーン?どことなくなまめかしい呼び名だけど、折角
写真も撮ったのだし、一応ブログにUPしておくことにしました。

    20210426ピンクムーン
   5枚撮った写真は全てピンボケ😢スマホだから?
   それとも私の腕が悪いから?その両方?


筍ご飯

2021年4月24日(土)

このところ、訪問させていただいている何人かの方のブログ上に、
立て続けに「筍ご飯」がUPされていて、「ああ、食べたいなぁ」と
なりました。

筍とツナ缶を使ったパスタも紹介されていて、今年4本目の筍で
この新メニューに挑戦しようかな、と思っていたのですが、やはり
見ると食べたくなる「筍ご飯」です。今夜作ってしまいました(´∀`)

   20210424筍ご飯

もう今年の筍もそろそろ終わりですが、週明けにまだ売っていたら、
最後の1本を買って、今度こそ「筍とツナ缶のパスタ」にチャレンジ
したいですね。


紫野の『源氏物語』ゆかりの場所

2021年4月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第9回・通算56回 №2)

オンライン講座は、どのクラスもゆっくりと読み進んでおります。
会場クラスのほうが再開した時に、できるだけ短い期間で調整
したいからなのですが、逆にここでお話している余談を、会場では
省略してテンポアップする必要がありますので、最近はブログに
余談をUPすることが多くなりました(それにしても余談が多過ぎて、
いつも時間が大幅にオーバーしてるじゃありませんか!とお叱りを
受けそうですが)。

藤壺の拒絶で半ば鬱病的になった源氏は、ずっと自邸に引き籠って
いましたが、あまりにも所在ないので、秋の紫野の美しい景色も
見がてら、雲林院に参詣して、伯父(母・桐壺の更衣の兄)の律師が
籠っている寺坊にしばらく滞在することにしました。ここで「雲林院」が
出てきたことから余談が始まり、この辺りの『源氏物語』ゆかりの場所
巡りの話となりました。

先ず、千本通を北に上って引接寺(いんじょうじ)を目指します(この
千本通が平安京のメインストリートの朱雀大路に当ります。現在の
千本通は特別な通りではありませんが、当時は幅が84mもある、
文字通りの大路でした)。

引接寺は通称「千本ゑんま堂」と言われ、ここには「紫式部供養塔」
があります。そこから蘆山寺通りに入り、少し歩いて左に折れ、また
右に折れた所に「櫟谷七野神社」(いちいだにななのじんじゃ)という
小さな神社があり、ここが「斎院跡」とされています。「賀茂齋院跡」
と書かれた石碑以外に、往時を偲ぶ何かがある訳でもなく、「ここに
斎院御所があったのね」という感じです。私は方向音痴ということも
ありますが、何度行ってもすんなりと「櫟谷七野神社」に辿り着ける
ことはありません(-_-;)。

そこから「雲林院」を目指しますが、雲林院は目立たない小さなお寺
ですので、「大徳寺」を目指して、北大路通りを挟んで南側にあると
思って行くとわかり易いです。でも、平安時代の「雲林院」は、今の
「大徳寺」一帯の場所にあったので、場所の確認だけなら「大徳寺」
でもよいのかな、と思います。雲林院にまつわる話などもしましたが、
ここに書くと長くなりますので、(Wikipedia)でご覧ください⇨⇨こちらから

最後は、その近くの紫式部のお墓にお参りをします。北大路通りから
堀川通を少し南下した、島津製作所の一角にあります。お墓のある
ところだけ、島津製作所の塀がコの字になっていて、通りから直接
墓所へと入って行けます。小野篁のお墓と並んでいます。ここが本当
に紫式部のお墓なのかは疑問ですが、やはり『源氏物語』の作者と
思うと、機会あるごとにお参りして手を合わせたくなるのです。

雲林院滞在中の源氏の様子は、先に記した第10帖「賢木」の全文訳
(13)⇨⇨こちらから、にお目通しいただければ、と存じます。


第10帖「賢木」の全文訳(13)

2021年4月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第9回・通算56回・№1)

今月のオンライン「紫の会」は、154頁・1行目~160頁・8行目までを
読みましたが、今日はその後半部分(158頁・3行目~160頁・8行目)
の全文訳を掲載します。前半部分は⇨⇨こちらから
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


源氏の君は、東宮のことをとても恋しく思い申し上げておられますが、
藤壺の心外なまでの自分に対するつれなさを、時々は藤壺も思い知る
ように見せつけて差し上げよう、と、東宮に会いたいのを我慢しながら
お過ごしになっていると、体裁が悪い程所在なく思われるので、秋の
紫野もご覧になりがてら、雲林院に参詣なさいました。

亡き母・御息所(桐壺の更衣)のご兄弟の律師が籠っておられるお寺で、
経典などを読み勤行しようとお思いになって、二、三日滞在なさっている
と、しみじみと心に染み入ることが多うございました。紅葉が次第に色づき
渡り、秋の野がたいそう雅やかに美しいのをご覧になって、住み慣れた
自邸(二条院)も忘れてしまいそうにお思いになります。

法師たちで学才のある者ばかりを呼び集めて、論議をさせてお聞きに
なります。場所柄、一際この世の無常をお思いになって夜を明かされても、
やはりつれない人(藤壺)こそ、恋しく思い出される明け方の月の光の中
で、法師たちが閼伽をお供えしようとして、からからと鳴らしては、菊の花、
濃く薄く色づいた紅葉などを、折り散らしているのも些細なことではあります
が、こうした御仏にお仕えする営みは、現世の生活も退屈ではなく、来世
ではまた、極楽往生が叶うかと、頼り甲斐がありそうでした。それに比べて、
何とも情けない我が身を持て余していることだよ、などと思い続けておられる
のでした。律師が、とても尊い声で「念仏衆生摂取不捨」と、声を長く引いて
唱えておられるのが、たいそう羨ましいので、自分はどうして出家できない
のであろうか、とお考えになるにつけ、先ず紫の上のことが気になって
思い出されなさるのも、本当に困ったお心でございましたよ。

いつにない長い日数留守にしているのも、しきりに気掛かりに思われなさる
ので、源氏の君は紫の上に、お手紙だけは度々差し上げていらっしゃるよう
です。
 「俗世が捨てられるであろうかと、試しに求めてやってきた仏に対する道
 ではありますが、所在なさも慰め難く、心細さも募る一方でして。まだ仏の
 教えを聴き残していることがありますので、ぐずぐずとしておりますが、
 あなたはどうお過ごしですか」
などと、陸奥紙に気を張らずに書いておられるのまで素晴らしうございました。
 「浅茅生の露のやどりに君をおきて四方の嵐ぞ静心なき」(浅茅生に置く
 露のようなはかない俗世にあなたを置いて、四方から吹きつける嵐の音を
 聞いている私は、あなたが気掛かりで落ち着きません)
など、心をこめてお書きになっているので、ご覧になった紫の上もお泣きに
なりました。お返事は、白い薄様に、
 「風吹けばまづぞ乱るる色かはる浅茅が露にかかるささがに」(風が吹くと
 真っ先に乱れるのは、枯れて色の変わった浅茅に置く露にかかった蜘蛛の 
 糸であることよ)
とだけ書かれていました。「ご筆跡はたいそう趣深く上手くなる一方だな」と、
独り言を言って、可愛い人だ、と微笑みなさいます。いつも手紙の遣り取りを
なさるので、紫の上の筆跡は、自分の筆跡にとてもよく似ており、それに
もう少し優美な女らしさが加わっておられる、とご覧になっていました。何事に
つけても、拙いところなく育て上げたものだ、と、源氏の君はお思いになって
おられました。


悲劇への発端

2021年4月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第225回)

このクラスも5ヶ月ぶりの対面講座開催となりました。11月に、
2月までの休講を決めて、3月から再開としたのですが、3月は
まだ緊急事態宣言中で、会場の公民館が閉鎖されていました。
今は開館になってはいますが、コロナの感染者数はその時よりも
はるかに多くなっています。

今回は第50帖「東屋」のターニングポイントとなる、匂宮と浮舟の
出会いの場面を読みました。

浮舟の母・中将の君は娘の婚活に励み、左近少将に白羽の矢を
当てました。ところが少将のお目当ては常陸介の財産のみ。浮舟
が常陸介の実子でないとわかると、あっさりと実子(浮舟の異父妹)
のほうに乗り換えてしまいました。

少将が異父妹の婿として通って来る家に浮舟を置いておくには
忍びず、母君は、浮舟を異母姉にあたる中の君に預けることにし、
二条院へと連れて行ったのでした。

普段は物置のように使われている西の対の西廂で、浮舟は息を
潜めるようにして過ごしていましたが、たまたま匂宮に見つかって
しまうことになります。

二条院に帰邸していた匂宮が夕方西の対を訪れると、生憎中の君は
洗髪中。若君もお昼寝中とあって、手持無沙汰の匂宮は、西の対の
中をウロウロ。そこで偶然浮舟を発見し、ちょっといい女と見れば手を
出さずにいられない匂宮は、すぐさま言い寄ります。

匂宮は浮舟に興味を抱き、素性が知りたいとしつこく迫るのですが、
丁度宮中から母の明石中宮のお具合が悪くなられたことを知らせる
使者がやって来たことで、浮舟は難を逃れることが出来ました。

でも、ここで匂宮は美しい浮舟という女の存在を知り、しかも思いを
遂げられず、素性もわからぬまま、中途半端な状態で終わったため、
匂宮は余計浮舟に未練を残すことになったのでしょう。

中の君は浮舟を薫に、と考え、薫もその気になりかけています。そこに
匂宮が絡んで来そう、という予測はつきますよね。

浮舟の悲劇の始まり、とも言える匂宮との邂逅。ここから「宇治十帖」は
新たな展開を迎えることになります。「宇治十帖」のハイライトが近づいて
いますので、コロナの感染がこれ以上拡大して、また例会がストップしまう
ことなく、浮舟の物語を継続的に読んでゆけるよう、願っています。


鶏の唐揚げとピーマンの炒め物

2021年4月19日(月)

季節の料理でも何でもない、日常のお惣菜をわざわざブログに
UPしたのは、ちょっとしたいきさつがあってのことです。

3月の終わり頃、日々訪問させていただいている方のブログに、
「何十年ぶりかに鶏の唐揚げを作った」という記事があり、それを
読んで、「鶏の唐揚げは、比較的よく作ります。一番多いのは、
ピーマンを炒めて、お酒とお醤油で味をつけ、そこに唐揚げを
入れて絡めた料理かな?」と、コメントを付けさせていただきました。

そうしましたら、1週間ほど前に、その方が、「絡める」というのを
どのように解釈すればよいのか迷いながらお作りになったところ、
今一つしっくりこない仕上がりになってしまわれた、と再びブログの
記事になさっていたので、こちらからも「ピーマンを炒めた後、お酒と
お醤油で味をなじませ、それでもタレがまだだいぶ残っているので、
鶏の唐揚げをそこに加えると、タレが唐揚げに絡んで照りが出る
ような感じになります」と「絡める」の意味を記し、「今度作った時に、
一度ブログにUPしようかと思います」と、再度コメントしました。

「ブログUPを期待しています」との返信を戴いたので、お調子者です
からその気になって、今夜のUPとなった次第です。

   20210419唐揚げとピーマンの炒め物①
   普段は調味料の計量などせず、適当に、なのですが、
   今日は初めて量って入れました。お酒を大さじ3と1/2、
   お醤油を小さじ2、にしましたが、まぁ、だいたいいつもと
   変わらない味になりました。鶏肉の下味は塩麹のみです。


リアル・船路の光景

2021年4月16日(金) オンライン『枕草子』(第9回 通算第50回)

コロナのワクチン接種券が、当初は3月下旬より発送予定だったのが、
実際に3月になると、4月中旬以降、高齢者施設への入居者から順次
発送、一般の高齢者はその後で時期は未定、と変わりました。今は
6月末までに高齢者への接種は完了となっていますが、本当に終わる
のでしょうか?

「予定通りには進まない」、これは何もワクチン接種に限った話では
ありません。オンライン「枕草子」も、あと何回で読了となるか、凡その
目途が立つ所まで来たので、先月予定を立ててみました。その段階
では7月でしたので、ちょっとスピードアップすれば6月で終われるかも
しれない、そして7月から会場でのクラスが再開出来ればベストかな、
と思ってました。ところが、3月、4月、実際に読んでみると、少しずつ
遅れが出て来ております。7月も無理かもしれません。ちょっと余談を
控えれば実現可能なのに、と分かっているのですが、ついつい・・・💦

今月のオンライン「枕草子」は、第283段~第289段までを読みました。

第286段には、おそらく作者が体験したのであろうと思われる船旅での
光景のあれこれが記されています。

静かでのどかな海が、急に荒れ出す恐怖に始まり、水夫たちの動き、
二人並んで櫓を押す大型船で外側に立っている者の危険性、などを
手に汗を握りながら観察しています。

妻戸や格子もある屋形船に乗っての航海は、水面すれすれに走行して
いるところなどを見なければ、小さな家の中にいるようだし、港に停泊
した際には、夜景の美しさなども目にすることができた、とあります。
今ならクルーズ船といったところでしょうか。

それでも、足が地面に着いている陸路に比べると船路は怖いと記し、日々
海に潜っている海女の命懸けの作業には、同情の目を向けています。
自分は潜らず舟の上から命綱の操作だけをしている男に対して「酷い!」
と憤っているところで、この段は終わっています。

実にリアルな描写で綴られているのが印象的です。『源氏物語』は
あれほどの長編で、玉鬘などは九州から船で上京しているのですから、
海上の光景も描かれてしかるべきと思われますが、ほとんど書かれて
いません。

おそらく紫式部は長い船旅の経験がなかったのでしょう。父の任国にも
同行していますが、越前ですから陸路で往復したものと思われます。
一方、清少納言のほうは、父・元輔が周防守として赴任しているので、
その時まだ少女だった作者も、一緒に船で瀬戸内海を周防に向けて
下ったのだと考えられます。子どもの頃に脳裏に刻まれた鮮明な船路
の記憶、それがこの段に結実したと言えましょう。


『史記』と『源氏物語』

2021年4月12日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第9回・通算56回・№2)

桐壺院の崩御後、再び源氏に迫られて、藤壺は事実(東宮が源氏
との間の不義の子)が発覚するのを恐れ、源氏を避け、東宮を守る
手段としては、自分が出家するしかない、と考えるに至ります。

今、宮中で権力を握っているのは、朱雀帝の外祖父・右大臣と、
母・弘徽殿の大后です。特に弘徽殿の大后は、藤壺のせいで中宮
の座に就けなかった恨みもあり、隙あらば藤壺や東宮を追いやって
しまいたい、と狙っていることがわかっているだけに、藤壺は極度に
恐れています。

「戚夫人の見けむ目のやうにはあらずとも、かならず人笑へなることは
ありぬべき身にこそあめれ」(戚夫人がされたほどの酷い目にあうことは
ないとしても、必ず世間の物笑いの種となるようなことが起こるに違い
ないわが身なのであろう」と、藤壺は思っているのでした。

「戚夫人」というのは、漢の高祖・劉邦の寵妃で、我が子趙王の立太子
を望んだことで、劉邦の糟糠の妻・呂后の深い恨みを買いました。高祖
亡き後、呂后は戚夫人を囚え、手足を切断、目をくり抜き、耳を焼き、
唖になるまで薬を飲ませ、厠に閉じ込め「人彘(ひとぶた)」と呼ばせた、
と『史記』の「呂后本紀」に記されています。身の毛立つような残虐な話
です。

呂后の息子・孝恵帝は気弱で心優しく、異母弟の趙王を庇ってやって
いましたが、孝恵帝の留守中に、母・呂后は、趙王を毒殺してしまい
ました。

この『史記』の「高祖・呂后・孝恵帝・戚夫人・趙王」の関係は、そのまま
『源氏物語』の「桐壺院・弘徽殿の大后・朱雀帝・藤壺・東宮」の関係に
設定されている、と古来言われています。

確かに、『源氏物語』の人間関係や性格設定などに、紫式部が『史記』
の影響を受けたのは間違いないでしょう。

『史記』は中国の書物ですから、もちろん全文漢文で書かれており、
ちゃんと読みこなすには、当時でも訓読の指導が必要だったそうです。
でも、漢学は男性の学問ですから、女性の紫式部が理解して、それを
自作の中に取り入れただなんて、やっぱり只者ではありませんね。

紫式部の父・為時は漢学者で、紫式部が子どもの頃、自宅で弟に漢籍
を教えていた時、傍で聞いていた紫式部のほうが早く覚えてしまうので、
「この子が男だったら良かったのに」と何度も言っていた、と『紫式部日記』
に書かれています。

本日読みましたところは、先に全文訳を記しておりますので、そちらを
ご参照くださいませ⇨⇨第10帖「賢木」全文訳(12)


第10帖「賢木」の全文訳(12)

2021年4月12日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第9回・通算56回・№1)

オンライン「紫の会」は、第10帖「賢木」後半に入り、全文訳のブログUPも
12回目となりました。

今回は、154頁・1行目~160頁・8行目までを読みましたが、今日はその
前半部分(154頁・1行目~158頁・2行目)の全文訳を掲載します。残りは
4/22のほうで書きたいと思います。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

藤壺に拒絶された源氏が、拗ねて引き籠り状態となり、藤壺は危機感を
募らせて尼となる決意をし、東宮に面会にいらした、というところ迄です。


夜がすっかり明けてしまったので、王命婦と弁が二人して、このままでは
大変なことになる、と必死で申し上げ、藤壺は半ば死んでいるかのご様子
がおいたわしいので、「こんなお扱いを受けながら、それでもまだこの世に
生き永らえているとあなたのお耳に入るのも恥ずかしいので、このまま
死んでしまおうかとも存じますが、それもまた来世での往生を妨げる罪に
違いないことで」などと、源氏の君が藤壺に申し上げなさるのも、気味悪い
程思い詰めておられるのでした。
 「逢ふことのかたきを今日に限らずは今幾世をか嘆きつつ経む(お逢い
 することの難しさが今日限りではなくずっと続くのなら、私はこの先、
 生まれ変わる世々を、幾世嘆きながら過ごすことになるのでしょう)
 この私の執念があなたの往生の妨げとなっても困りましょう」
と申し上げなさると、さすがに藤壺も溜息をおつきになって、
 「ながき世のうらみを人に残してもかつは心をあだと知らなむ」(未来永劫
 の恨みを私に残すと言われましても、一方ではそんなお気持ちは浮気心
 に過ぎないと気付いて欲しいものです)
と、つまらない浮気沙汰のようにわざとおっしゃるご様子が、言いようもなく、
素晴らしく思えますが、藤壺の思っておられるところを慮るにしても、また
源氏の君ご自身のためにも、これ以上留まることは憚られるので、正気も
失せたように、退出なさいました。

何の面目あってまた藤壺にお目にかかれようか、藤壺が私に対して気の毒
なことをした、と、お気づきになるようにと思って、源氏の君はお便りを差し
上げることもなさいません。全く宮中や東宮御所にも参内なさらず、二条院
にお籠りになって、寝ても覚めても、本当にひどい藤壺のお心であることよ、
と、みっともないほど恋しくて悲しいので、気力も失せてしまったのか、気分
も悪いようにお感じになっておられます。

何となく心細く、どうして自分は俗世で生き長らえているのであろうか、だから
こそ辛さも増すのだ、と、出家を思い立たれるにつけては、この紫の上が
とても可愛らしい様子で、しみじみと源氏の君をお頼りになっていらっしゃる
のを、振り捨てて出家するのは、極めて難しいことでありました。

藤壺も、あの夜のことがあとを引いて、お具合が悪くていらっしゃいます。
源氏の君が、このようにわざとらしく自邸に籠って、お便りもなさらないのを、
王命婦などはお気の毒に思い申し上げているのでした。藤壺も、東宮の
ためをお考えになると、唯一後見として頼れる源氏の君が、お心を隔て
られるようなことになっては困るし、この世を虚しいものと思うようになられ
たら、源氏の君は一途に出家を思い立たれるかもしれない、と、さすがに
辛くお思いだったのでございましょう。

このような源氏の君の懸想が絶えないならば、ますます厳しい今の世に、
情けない噂までもきっと立てられてしまうことになろう、弘徽殿の大后が
けしからぬことだとおっしゃっている中宮の位も退いてしまおう、と次第に
決心をお固めになりました。桐壺院が東宮の将来のために、とお考えに
なり、おっしゃったことが並大抵のご配慮ではなかったことを思い出される
につけても、すべてのことが、昔とはすっかり変わってゆく世の中のようだ、
戚夫人が受けたようなひどい目には遭わないまでも、必ず世間の物笑い
の種になることが起こるに違いない身の上なのであろう、などと、藤壺は
世の中が厭わしく過ごし難く思われるので、出家することをご決意なさい
ましたが、東宮にお目にかからないまま尼姿になってしまうことは悲し
く思われて、こっそりと宮中に参内なさいました。

源氏の君は、普段ならたいしたことではなくても、お気が付かれぬ事が
ないほどよくご奉仕なさいますのに、お具合の悪いことを口実にして、
お供にも参上なさいませんでした。供人の派遣など、一通りのお世話は
いつもと変わりませんでしたが、すっかりふさぎ込んでしまわれたこと、
と、事情を知っている女房たちは源氏の君をお気の毒に思っておりました。

東宮はたいそう愛らしく成長なさって、母・藤壺の参内を珍しく嬉しいこと
とお思いになって、まつわり申し上げなさるのを、藤壺は、愛しいとご覧
なさるにつけても、思い立たれた出家の決心が鈍りがちにはおなりです
が、宮中の様子をご覧になっても、世間の有様は悲しいまでにはかなく、
移り変わってしまったことが多いのでした。弘徽殿の大后の御心もとても
厄介で、藤壺がこのように宮中に出入りなさるにつけても、居心地が悪く、
何かにつけて辛いので、このような状態では東宮のお身の上も案じられ、
悪いことが起こりはしないかとあれこれ思い乱れなさって、「長い間お目に
掛からないうちに、わたしの顔かたちが今とは違ってしまって嫌な感じに
変わりましたなら、どうお思いになるでしょう」と、おっしゃると、東宮は
藤壺のお顔をじっとご覧になって、「式部のようにですか。どうしてあんな
ふうになられることがありましょう」と、笑いながらおっしゃいます。藤壺は
どうしようもなく胸が締めつけられて、「あの者は、年老いておりますので
醜いのです。そうではなくて、髪は式部よりも短くて、黒い着物などを着て、
夜居の僧のような姿になりましょう、ということですから、あなたとお目に
掛かることもいっそう間遠になるはずです」と言ってお泣きになるので、
東宮は真顔になって、「お出でくださらない時は恋しくて仕方ないのに」
と言って、涙の零れ落ちるのを恥ずかしいとお思いになり、さすがに横を
向かれると、その御髪はゆらゆらと美、しく、目元がやさしく匂い立つ
ような風情がおありになる御様子は、ご成長なさるにつけて、ただもう
源氏の君のお顔をそっくりそのままお移ししたようでありました。歯が
少し欠けて、口の中が黒くなっており、微笑んでおられるそのほんのりと
したお可愛らしさは、女にして拝したいと思う程、お綺麗です。本当に
これほどまでに源氏の君に似ておられるのが辛いと、唯一の欠点に
思われるのも、世間の口やかましさが空恐ろしく感じられるのでした。


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