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貯金は終わりましたが・・・

2021年8月30日(月)

コロナの第5波もピークアウトしたのかな?という感じもしますが、
まだまだ安心できる状況ではありません。

2018年の8月に、上野で「世界バレエフェスティバル」を観た後、
次回はAプロ、Bプロ、両方が観られるように、と、毎月1,500円
ずつ3年間貯金することにしました(その時の記事は⇒こちらから)。

こういうことは几帳面な私です。毎月1,500円を箱に入れては、
その月の数字を○で囲み、2021年8月の公演を楽しみにして
きました。

ところがコロナです。去年の春にコロナ禍が始まった頃は、まだ
1年半も先のことだから大丈夫、と楽観しておりましたが、今年
の2月に公演スケジュールが発表になると、さすがに悩みました。
それもブログ記事にしましたね(⇒こちらから)。

結局、貯金仲間と相談の上、今年の「世界バレエフェスティバル」
は見送ることにしました。今となればこの選択は正解でした。

さて、その1,500円貯金は滞りなく終了しました。次回は2024年
です。私もこの年に「後期高齢者」となります。Aプロ、Bプロ、
両方のチケットが買えるお金は貯まったけれど、猛暑のさなか、
上野まで2回足を運ぶ体力が残っているか、今度はそれが心配
です。

     貯金
    貯金仲間の皆さま、3年後こそ有効に使いたいですね。


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新しいパソコン

2021年8月29日(日)

8月も残り少なくなりました。もう1年の2/3が終わってしまうことに
なるのですね。

だいぶ前からパソコンの液晶部分が怪しくなって、「いつ壊れても
おかしくない」状態でしたが、何とか壊れる前に新しくすることが
出来ました。これまで使ったパソコンは7年半の間に、キーボード
の「A」や「O」など、よく使うキーの文字がすっかり消えておりました。

そもそも機械に弱い人間ですので、さほど使いこなせてはいない
と思いますが、今や生活必需品には違いありません。私はパソコン
で出来ることはパソコンで、になってしまうため、昨年11月に買った
スマホが未だに苦手で困ります(;´д`)

    パソコン①
  さあこのパソコン、これから先いつまで役立ってくれるのかな?
  またキーボードの文字が消えるまでよろしくお願いしますよ。


左大臣家も後退

2021年8月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第13回・通算60回 №2)

桐壺院の崩御によって、政界の勢力図は大きく変化しました。
退位したといっても、即位した若い息子の朱雀帝よりも、力を
有していた桐壺院です。その院が亡くなったことで、今は帝を
擁する右大臣一派(右大臣は朱雀帝の外祖父)が、すべての
権力を手中に収め、政治を操るようになったのです。

出家した藤壺が疎外されるのは勿論のこと、源氏に仕える人も、
当然得るべき官職に就けずにいました。

桐壺院の右腕として長く政界トップの座に君臨していた左大臣に
とって、そうした情勢が心地よいわけはありません。左大臣の座
にあっても、おそらく思うに任せぬことばかりだったのでしょう。
自ら、左大臣の座を降りてしまわれました。

左大臣家の嫡男は三位の中将(もとの頭中将)です。これまでは
順調に官位も上がっておりましたが、ここへ来て出世街道から
外されてしまいます。でも本人は「源氏ほどの人だって干されて
しまってるんだから」と、案外気にもせず、源氏のもとを訪れては
遊びや、昔話に興じて、共に時を過ごしているのでした。

こういう態度、好感が持てるのですよね。私は、『源氏物語』の中
の男君へのファン投票があれば、この人に1票を投じます。

第1帖の「桐壺」から第40帖の「御法」に至るまでの長きにわたり
登場し続けているので、追々、紹介していける場面もあろうかと
思います。

ただこの方、通称がないのでとても不便です。「惟光」とか「良清」
とか、本名で書かれているのは受領階級以下で、上級貴族は
官職名でしか書いてないので、面倒なんですよね。最初の「桐壺」
では「蔵人少将」、「頭中将」を経て、今「三位の中将」。このあと、
第12帖「須磨」で、危険を冒して須磨に源氏を訪ねる頃には
「宰相中将」になっています。その後もどんどん呼称は変わって
いきますが、一般的には若き日のまま、「頭中将」と呼ばれる
ことが多いようです。

話が少し横道に逸れましたが、本日の購読箇所の後半部分を
先の「賢木の全文訳(21)」に書きましたので、詳しい話の内容は
そちらでご覧いただければ、と思います(⇒こちらから)。


第10帖「賢木」の全文訳(21)

2021年8月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第13回・通算60回・№1)

もう暦の上で秋を迎えてから二十日になりますが、今日はこの辺りでも
36℃の猛暑日となりました。一度戻り梅雨のような涼しい数日があった
だけに、この暑さは一段と応えます。明日も続くようですので、熱中症に
注意して過ごしたいですね。

今月のオンライン「紫の会」は、175頁・10行目~180頁・12行目までを
読みました。前半部分は月曜クラス(8/9)に書きましたので(⇨⇨こちら)、
今日は後半部分の178頁・3行目~180頁・12行目までの全文訳です。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

司召の頃、藤壺に仕えている人は、賜るべき官職も得ず、普通の道理
から考えても、中宮の年給としても、必ずあるはずの位階昇進などさえ
なかったりして、嘆く者たちが大勢おりました。藤壺が出家なさったから
といって、早々と中宮の位を退き、御封などが停止されるものでもござい
ませんが、出家されたことを口実に変わることが沢山ありました。

全てかねてより執着を断っておられた俗世のことですが、藤壺に仕える
人々が、暮らしの拠り所を失ったように悲しんでいる様子をご覧になるに
つけても、藤壺が動揺なさる折々もありますものの、我が身を捨てても、
東宮のご即位が無事に遂げられたならば、とだけお思いになりながら、
仏道修行に勤しんでおられるのでした。

人知れず東宮の身に危うく不吉なことが起こりはしないかと、お案じ
申し上げなさることがあるので、自分が仏道修行に励むことに免じて、
東宮の罪を軽くしてお許しください、とお祈りなさることで、全ての辛い
ことをお慰めになっておられました。源氏の君も、そのようでいらっしゃる
のだろうとご拝察になって、ごもっともだとお思いになっていました。

源氏の君に仕える人たちも、また同様に、辛い目にばかり遭うので、
源氏の君は世間を面白くなく思われて、引き籠っていらっしゃいました。

左大臣も公私に渡り、打って変わった世間の有様に、憂鬱になられて、
左大臣職を辞す旨を上表なさいましたが、帝は、桐壺院が、左大臣を
格別重々しい御後見と思って末永く天下の守りとせよ、と申し残された
ご遺言をお思いになるにつけて、左大臣を捨てがたい者だとお考えに
なっておられたので、上表しても何にもならないことだと、度々お取り
上げになりませんでしたが、左大臣は無理に辞意を申し上げなさって、
引退なさいました。今はいっそう右大臣の一族ばかりが、重ね重ね
ご栄進なさることはこの上ございません。国家の重鎮と目されていた
左大臣が、このように隠遁なさったので、帝も心細く思われ、世間の人
も、心ある者は皆嘆き悲しんだのでした。

左大臣のご子息たちは、どの方も皆、人柄が好ましく世に用いられて、
楽しそうにやっておられたのに、すっかり元気をなくして、三位中将など
も、このご時世を嘆きふさぎ込んでいる様子は、この上もございません。
あの右大臣家の四の君のもとにも、相変わらず途絶えがちにお通いに
なるので、右大臣家にとっては心外なお扱いだとして、気を許した婿の
数の中にも入れておられません。

思い知れというわけでしょうか、この度の司召にも昇進から漏れてしまわれ
ましたが、たいして気にもしていません。源氏の君のような優れた方が、
こう静かにお過ごしでいらっしゃるにつけて、世の中は頼りにならないものだ
と分かるにつけ、自分の不遇はましてや無理もない、とお思いになって、常に
源氏の君のところに通っていらしては、学問も遊びも一緒になさっております。

昔も常軌を逸するほどに、張り合いなさったのを、三位中将は思い出されて、
お互いに今でもちょっとしたことにつけても、それでもやはり張り合って
いらっしゃいます。

春秋の御読経は当然のこととして、臨時にも様々な尊い法会などを源氏の君
はおさせになっておりました。またすることも無く暇のありそうな博士たちを
召集して、漢詩作りや韻塞などのような気楽な遊びの類などをもするなど、
気儘に振舞って、朝廷への出仕も滅多になさらず、好き勝手に遊び興じて
おられるのを、世間では、源氏の君が朝廷への不満から出仕しないのでは、
などと面倒なことを次第に口にする人々もあるようでした。


秋へ

2021年8月23日(月)

「足底腱膜炎」になって(その記事は⇨⇨こちら)、散歩も
長い時間は出来ませんが、今日は二十四節気の「処暑」。
暑さも収まってくる頃とされていますし、午後3時頃には
空も少し曇って来たので(雷注意報が出ていましたが)、
20分程、近くの線路沿いの道を歩きました。傘を持って
出ましたが、帰宅するまで雷の気配はありませんでした。

踵が着く度に多少の痛みはありますが、土踏まずに
整形外科で貰ったクッションを当てているので、これ位
の歩行なら、問題ありません。膝のためにも歩くことは
必要ですしね。

まだ薄の穂が出ているとは思っていませんでしたが、
出始めた穂を風になびかせている姿を見て、季節が
秋へと移っていることに気付かされました。

「お好きな服は?」=秋の七草の覚え方です。

お=おみなえし、す=すすき、き=ききょう、な=なでしこ
ふ=ふじばかま、く=くず、は=はぎ

    すすき①
   スマホを薄に向けていたら、ちょうど電車が
   横を通り過ぎて行きました。


オンライン『枕草子』最終回

2021年8月20日(金) オンライン『枕草子』(第13回 通算第54回)

2016年10月に溝の口の会場でスタートした『枕草子』の講読会は、
あと一年ほどで読了、というところでコロナ禍に見舞われ、昨年3月
より休講を余儀なくされ、今日に至っています。来月より再開を予定
したものの、それもここへ来ての感染の急拡大で延期となりました。
会場で受講なさる皆さまは、今しばらくお待ちくださいね。

休講になって4ヶ月ほど経った頃、オンライン講座の話が持ち上がり、
最初は「えっ、オンライン?こんなIT音痴の七十婆さんに出来るわけ
ないでしょ」と、尻込みしていた私も、訊けば案外簡単そうなので、
文字通り一念発起して、Zoomを使ってのオンライン講座を始めること
にいたしました。オンライン『枕草子』は昨年8月から全13回で、本日
無事完読に至りました。

跋文に関しての問題点(そもそも『枕草子』の「枕」の意味は?)など、
幾つか取り上げておきたいこともありますが、今日は最後に皆さまの
感想をお伺いしましたので、そちらをご紹介しておきたいと思います。
本文につきましては、会場でもう一度読みますので、その時に。

先ずリモートでの講座に関しては、何と言っても会場へ足を運ばずに
済むので、とても楽であること(特に遠方の方にとっては)、また画面
に全員が映っているので、皆が身近に感じられ、会場ではなかなか
覚えられない顔と名前がわかるようになった、等々の利点が上げら
れると共に、やはり会場での立体感ある中での講座が好き、という
ようなお声も上っておりました。

『枕草子』という作品については、実に様々な読後感をお聞かせ
いただきました。全部をここにご紹介しきれないのですが、全員が
『源氏物語』も受講されているので、『源氏物語』との比較において
お話くださったことも沢山ありました。

総じて『源氏物語』(作者の紫式部をも含めて)の重厚さに比べて、
「爽やか」、「素直」、「歯切れが良い」、「たとえ差別表現をしていても
どこか可愛い」、「中宮定子への思いなどを知るとキャピキャピだけ
ではない面も窺える」と、概ね好意的に評価されているようでした。

また、『源氏物語』はあくまでフィクションなので、宮中生活の臨場感、
情景描写、日常生活のリアルさの魅力を、『枕草子』の中に感じて
おられる方も多くありました。

その他、『枕草子』を背景に映像化して欲しいとか、『鉛筆で枕草子』
というテキストをお求めになり、『枕草子』の書写をなさっていると
おっしゃった方もいらして、皆さまが『枕草子』をそれぞれの思いの中
できっちりと読み込んでおられることに、私は感激しました。

初めての試みで、ご迷惑をおかけすることも多々あったかと思います
が、最後までオンライン『枕草子』にお付き合い下さった皆さま、本当に
有難うございました!!


バスク風チーズケーキ

2021年8月17日(火)

各地に被害をもたらした長雨も今日で一区切り。明日からは青空
が広がり、併せて残暑も復活となるようです。この数日の涼しさに
慣れた身体には応えそうですね。

日々訪問させていただいているブログで、「バスク風チーズケーキ」
がUPされている記事を何度か見かけて、一度作ってみたいと思い
ながら、なかなか実行出来ずにいましたが、今日の午後、ようやく
チャレンジしました。

このチーズケーキは、ボール一つに材料を全部入れて泡立て器で
混ぜるだけ、というのがいいですね。クリームチーズも、生クリーム
も、200gずつなので、一箱ポンとボールに空けるだけ。楽でした。

オーブンに入れて230度で23分、200度で17分。初めてにしては
なかなか上出来だと思っていますが・・・。

  バスク風チーズケーキ
   冷蔵庫に入れて冷やしてからいただくそうなので、
   明日以降のほうが良いのでしょうが、さっきひと口
   だけ味見をしてみました。ハイ、美味しいです!


お気楽な匂宮

2021年8月13日(金) 溝の口「オンライン源氏の会」(第14回・通算154回)

本日もまた新型コロナの感染者数は過去最多、災害級と報じられて
います。前線の停滞による梅雨末期のような大雨も、西日本を中心
に降り続いているようですが、明日からは関東にも影響が出てきそう
です。どこにも大きな災害の爪痕を残さないで、と祈っております。

災害級と言えば、本日のオンライン「源氏の会」も、そうだったかも
しれません。普段は1時間余り経ったところで10分程の休憩を入れ、
2時間で終了(これはほとんど延長になってしまっていますが・・・💦)
としています。それが今日はあれこれと皆さまとお話を交わしている
うちに、もう残り時間が20分弱になり、じゃぁこのまま休憩なしで
まいりますね、と続けた挙句、終わった時間は30分超過、となって
いました。

オンラインの利点の一つに、話題を参加者全員で共有できる、と
いうのがあるかと思いますが、ついつい時間をも顧みず、🙇

前回読んだ匂宮の宇治への紅葉狩の一件(⇨⇨こちらから)。これに
よって大君は生きる気力さえ失う程の心に痛手を被りました。

一方匂宮は、宇治への紅葉狩の目的が女性に逢うためだったと、
帝や中宮(匂宮の両親)の知るところとなり、匂宮には禁足が命じ
られました。

時は時雨の季節、匂宮は姉・女一の宮の部屋を訪れ、『伊勢物語』
の絵などを見て、所在なさを紛らわせています。女一の宮は同母弟
の匂宮から見ても格別の女性ですが、冷泉院の女一の宮となら
中の君は太刀打ちできよう、と、すぐさま中の君を恋しく思い出して
います。でも、現状を打破して中の君に逢いに行く具体策を講じよう、
とするわけではありません。根がプレイボーイですから、女一の宮に
仕える新参の女房にちょっかいを出したりもする有様です。

当の中の君に対しても勿論のことですが、大君の苦しみを知る読者
からすれば、この匂宮のお気楽さは腹立たしくも感じられます。

この上なく高貴な女一の宮を登場させて、宇治の姫君たちとの差を
際立たせていますが、このあと物語を読み進めて浮舟が登場すると、
今度は同じ父親(八の宮)でありながら、中の君と、父親に認知して
もらえなかった浮舟との差が際立つようになります。

身分による女性たちの格差、この時代の厳しい現実が垣間見えて
くる物語です。


暗い年明け

2021年8月9日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第13回・通算60回・№2)

新型コロナの第5波は全く先の見えない状況となっております。
溝の口の会場クラスも9月に全面再開させるつもりで、これまで
各クラスの代表の方々とも話を進め、私もそれなりの準備をして
まいりましたが、先月末より急拡大しているデルタ株なるものが、
空恐ろしい感染力を発揮し、ワクチン接種前の状態に、我々を
引き戻してしまいました。再開はまたしても、この先の様子を
見て、ということになりそうです。

オンライン「紫の会」は、第10帖「賢木」の終盤に入っております。
残り2回で読み終えるところまできました。

桐壺院の一周忌の後、藤壺は誰に相談することも無く、突然の
出家を遂げました。この決断が唯一東宮を護ることの出来る手段
と判断したが故でした。

それが12月10日過ぎの出来事で、間もなく新年を迎え、桐壺院
の諒闇も明けて、世の中は正月の行事に華やいでいます。でも、
そうしたことと無縁になった藤壺は、新たに建てたお堂で仏道に
専念しておられました。

桐壺院の御在世中は、所狭しと年賀に訪れていた上達部たちも、
隣接する右大臣家への挨拶の為、わざわざ三条の宮(藤壺邸)の
前の道を避けて集まっている様子です。それも当然のこととはいえ、
藤壺は言いようのない寂しさを感じているのでした。

このあたりの描写も、人の心の動きを上手く捉えていて見事です。

そんな来客もないところへ、源氏が訪ねてきます。源氏の目にも
尼の住まいとなった三条の宮はしんみりとした様子に映りますが、
一方では、奥ゆかしさも感じられるのでした。

藤壺と歌を詠み交わし、涙が堪え切れない源氏は、その姿を女房
たちに見られるのもきまり悪く、早々に退出しました。

藤壺に従い尼となった老女房たちは言います。「すべてが思いの
ままになっておられた頃は、『この方には人の世の機微などお分り
にはなるまい』と、周囲からも思われていらしたけど、今は思慮深く
なられて、しんみりとした感じまでするようになられたのは、何だか
おいたわしくもありますわね」と。

あの「紅葉賀」・「花宴」(18歳~20歳)の驕り高ぶっていた青年源氏
の姿を、我々も思い出しますね。

この場面につきましては、詳しくは先に書きました全文訳をご一読
頂ければ、と思います(⇨⇨こちらから)。


第10帖「賢木」の全文訳(20)

2021年8月9日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第13回・通算60回・№1)

台風10号はたいしたことなく遠ざかって行きましたが、台風9号から
温帯低気圧に変わったその低気圧が発達して、このあたりも風が
吹き荒れて、今も強すぎる風の為、窓を開けることができません。

今日は藤壺出家後、諒闇も明けての新年、右大臣一派の勢力が
いっそう強まる中、藤壺、源氏をはじめ、左大臣家の人々も不遇を
かこつようになった、という箇所を読みました。

テキストでは、175頁・10行目~180頁・12行目までとなりますが、
今回の全文訳は、その前半部分(175頁・10行目~178頁・2行目)
です。後半は木曜クラス(8/26)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


年も改まったので諒闇が明け、宮中の辺りでは様々な新年の行事
が華やかに行われ、内宴や踏歌があるとお聞きになるにつけても、
しみじみと物寂しく、藤壺は仏のお勤めをひっそりと行いながら、
来世のことだけをお考えなので、来世は頼もしく、煩わしかった事も
遠ざかっていくようにお思いになっていました。

普段の御念誦堂はそのままにして、特別に建てられたお堂が、
西の対の南の方角に、少し離れてあるのに、藤壺はお渡りになって、
格別の仏道修行をなさっておられます。源氏の君が参上なさいました。

年が改まった印となる行事も無く、三条宮はひっそりとして、中宮職
の役人で親しい者だけが、うなだれて、そう思って見るせいでしょうか、
ひどく思い沈んでいるように思えました。白馬(あおうま)だけはやはり
昔と変わりないので、女房たちが見物しました。

以前は所狭しと参集なさっていた上達部なども、三条宮の前の道を
避けて通り過ぎては、向かいの右大臣邸にお集まりになるのを、世
の常とはいえ、藤壺はしみじみと物寂しくお思いになっていたところに、
源氏の君が千人にも匹敵しそうな立派なご様子で懇ろに訪ねてきて
くださったのを見ると、わけもなく涙ぐまれるのでした。

源氏の君も、とてもしんみりとした様子で、あたりを見回しなさって、
すぐにはものもおっしゃいません。今までとは一変したお住まいの有様
で、御簾の縁、御几帳も青鈍色で、隙間隙間からちらりと見えている
薄鈍色や梔子色の袖口などが、却って優美で、奥ゆかしくお感じに
なります。一面に融けた薄氷や岸の柳の、自然の風景だけは季節を
忘れぬ様子などを、あれこれついぼんやりとご覧になって、「むべも
心ある」(なるほど奥ゆかしい尼がすんでおられたのだなぁ)と、密かに
口ずさんでおられるのは、この上なく優美でありました。
 
「ながめかるあまのすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島」
(物思いに沈んでおられる尼のお住まいだと見るやいなや、先ず涙が
こぼれ落ちるこの名高い松が浦島であることよ)

と、源氏の君が藤壺に申し上げなさると、奥深くも無く、場所の殆ど
を仏間になさっている御座所なので、少し身近にいらっしゃる感じで、
「ありし世のなごりだになき浦島に立ち寄る波のめづらしきかな」
(昔の名残さえもすっかり無くなってしまったここへ立ち寄ってくださる
方があるとは、珍しいことでございます)

と、藤壺が取り次ぎの女房におっしゃる声も微かに聞こえるので、
源氏の君はこらえておられますが、涙がほろほろとこぼれ落ちたの
でした。世を悟りすました尼君たちが、御簾の内から自分の姿を見て
いるであろうのも、きまりが悪いので、言葉少なく源氏の君は退出
なさいました。

「なんとお歳に添えて、またとなくご立派におなりあそばすこと。何の
不安もなく世に栄え、時流に乗っていらした時は、そうした人は皆一様
に、何によって人の世の機微がおわかりになるだろうと、周囲から推し
図られておいででしたが、今はたいそうひどく沈着になられて、取るに
足らないことにつけても、しんみりとした気配までがお加わりになった
のは、なんだかおいたわしくも思えますわね」などと、年老いた尼女房
たちは、泣きながら源氏の君をお褒め申し上げておりました。

藤壺も思い出されることが多々あるのでした。


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