年の瀬・2021年
2021年12月30日(木)
明日はいよいよ大晦日。コロナ禍であろうと何であろうと、月日の流れは
変わることなく、というか、年々速くなっている気がいたします。
特に毎年数え日となると、「ああ、時間よ止まれ」とか「自分が二人欲しい」
とか、あり得ないことを望んでは、口走ってしまう有様です。
昨年末一番の反省点として、「年賀状を書き残したまま年を越してしまった
こと」と書き記しています。なのに少しも反省出来ていなくて(学習能力ゼロ)、
今年も同じ状況となっているのです。源氏講座関係の皆さまへの年賀状は、
本日投函を済ませましたが、親戚、友人、知人宛のものは、まだ一枚も
出せていません。また三が日中の投函となりそうです(;´д`)トホホ。
仕事面では、やはりコロナに翻弄された一年でした。オンラインクラスは
二年目となり、軌道に乗った感がありますが、会場では一度も例会を
開けないまま年を越すクラスのほうが多く、全面再開への期待は来年に
持ち越しとなりました。
オミクロン株拡大の不安も高まっておりますが、一方では、3回目のワクチン
接種や、飲み薬の承認といった、備えのほうも進んできているようなので、
来年こそはコロナ禍という長い長いトンネルから抜け出せるのではないかと、
思っています(去年も同じようなことを書いて、結局抜け出せなかったのだから、
あまりこういう希望的観測は、書かないほうがいいのかな?)。
大晦日から「年越し寒波」に見舞われるそうです。大雪の所は大変でしょうね。
皆さまも、お気をつけになって、どうぞ良い御年をお迎えくださいませ。
本年も拙ブログにご訪問頂き、有難うございました。来たる年もまた、よろしく
お願いいたします。
明日はいよいよ大晦日。コロナ禍であろうと何であろうと、月日の流れは
変わることなく、というか、年々速くなっている気がいたします。
特に毎年数え日となると、「ああ、時間よ止まれ」とか「自分が二人欲しい」
とか、あり得ないことを望んでは、口走ってしまう有様です。
昨年末一番の反省点として、「年賀状を書き残したまま年を越してしまった
こと」と書き記しています。なのに少しも反省出来ていなくて(学習能力ゼロ)、
今年も同じ状況となっているのです。源氏講座関係の皆さまへの年賀状は、
本日投函を済ませましたが、親戚、友人、知人宛のものは、まだ一枚も
出せていません。また三が日中の投函となりそうです(;´д`)トホホ。
仕事面では、やはりコロナに翻弄された一年でした。オンラインクラスは
二年目となり、軌道に乗った感がありますが、会場では一度も例会を
開けないまま年を越すクラスのほうが多く、全面再開への期待は来年に
持ち越しとなりました。
オミクロン株拡大の不安も高まっておりますが、一方では、3回目のワクチン
接種や、飲み薬の承認といった、備えのほうも進んできているようなので、
来年こそはコロナ禍という長い長いトンネルから抜け出せるのではないかと、
思っています(去年も同じようなことを書いて、結局抜け出せなかったのだから、
あまりこういう希望的観測は、書かないほうがいいのかな?)。
大晦日から「年越し寒波」に見舞われるそうです。大雪の所は大変でしょうね。
皆さまも、お気をつけになって、どうぞ良い御年をお迎えくださいませ。
本年も拙ブログにご訪問頂き、有難うございました。来たる年もまた、よろしく
お願いいたします。
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薫、三度目の機会も逃してしまう
2021年12月27日(月) 溝の口「CD源氏の会」(第6回・通算146回)
10月から、会場での講座の再開を待っておられる方を対象に、月に
2回(第2金曜日と第4月曜日)、CD講座と称して、私が一人で音読と
解釈を吹き込み、それをCDに書き込んでお送りする新たな方法に
取り組んでまいりました。
始めてみればあっという間の3ヶ月で、既に6回目になる、というのが
信じられません。オミクロン株による感染再拡大も懸念されますので、
このクラスでは、来年3月まで、あと6回、このCD講座を続けることに
なりました。その間に出来るだけオンラインクラスに追いつけるよう、
努力したいと思っております(足並みが揃う迄には、無理がありそう
ですが・・・)。
さて、年内最後となった今回は、何とか大君と結婚したいと願う薫の
考え出した策略が、結局は目論見どおり事が運ばなかった、という
第47帖「総角」の中盤に差し掛かるあたりを読みました。
薫の熱心な求婚にも、弁の理に適った説得にも応じようとしない大君
は、妹の中の君を薫と結婚させて、自分は親代りとしてその後見役に
徹したい、と願っておりました。
それなら中の君が別の人と結婚してしまえば、大君も諦めて自分との
結婚を考えてくれるのではないか、と薫は考えます。中の君には前々
からご執心の匂宮に、早く仲を取り持ってくれ、と散々急かされている
ことだし、中の君なら匂宮もきっと満足なさるに違いない、との確信も
あるので、薫はこの計画を実行するため、匂宮を伴って宇治へ赴いた
のでした。
匂宮に薫を装わせて、弁に中の君の許へと案内させます。一方で薫は
大君に面会を求めます。大君は、薫が中の君との結婚承諾の挨拶に
来たと思って、襖一枚を隔てて対面しますが、襖の狭間から、薫に袖を
捉えられた挙句、告げられた事実に、「今すこし思ひよらぬことの、目も
あやに心づきなくなりて」(一段と思いも寄らない話をされて、眩暈がし
そうな不快感に襲われて)、大君はひたすら薫を恨みますが、それでも
「こしらへむと思ひしづめて」(何とか薫をなだめすかそうと冷静になって)、
「ことはりをいとよくのたまふ」(物の道理をことわけておっしゃる)その態度
に、薫は気後れして、とうとう三度目の機会も不首尾に終わったのでした。
このように、目論見どおりにならないのは、何も薫に限ったことではなく、
今でもよくあることで、特に練りに練った計画であればあるほど、本人に
とっては、残念この上ないことに違いありません。しかも薫の場合、これが
ラストチャンスだったのです。
中の君が匂宮と結ばれたことで、話は次のステージへと進んでまいります。
新年の「CD源氏の会」は、そこからとなりますので、引き続きよろしくお願い
いたします。
10月から、会場での講座の再開を待っておられる方を対象に、月に
2回(第2金曜日と第4月曜日)、CD講座と称して、私が一人で音読と
解釈を吹き込み、それをCDに書き込んでお送りする新たな方法に
取り組んでまいりました。
始めてみればあっという間の3ヶ月で、既に6回目になる、というのが
信じられません。オミクロン株による感染再拡大も懸念されますので、
このクラスでは、来年3月まで、あと6回、このCD講座を続けることに
なりました。その間に出来るだけオンラインクラスに追いつけるよう、
努力したいと思っております(足並みが揃う迄には、無理がありそう
ですが・・・)。
さて、年内最後となった今回は、何とか大君と結婚したいと願う薫の
考え出した策略が、結局は目論見どおり事が運ばなかった、という
第47帖「総角」の中盤に差し掛かるあたりを読みました。
薫の熱心な求婚にも、弁の理に適った説得にも応じようとしない大君
は、妹の中の君を薫と結婚させて、自分は親代りとしてその後見役に
徹したい、と願っておりました。
それなら中の君が別の人と結婚してしまえば、大君も諦めて自分との
結婚を考えてくれるのではないか、と薫は考えます。中の君には前々
からご執心の匂宮に、早く仲を取り持ってくれ、と散々急かされている
ことだし、中の君なら匂宮もきっと満足なさるに違いない、との確信も
あるので、薫はこの計画を実行するため、匂宮を伴って宇治へ赴いた
のでした。
匂宮に薫を装わせて、弁に中の君の許へと案内させます。一方で薫は
大君に面会を求めます。大君は、薫が中の君との結婚承諾の挨拶に
来たと思って、襖一枚を隔てて対面しますが、襖の狭間から、薫に袖を
捉えられた挙句、告げられた事実に、「今すこし思ひよらぬことの、目も
あやに心づきなくなりて」(一段と思いも寄らない話をされて、眩暈がし
そうな不快感に襲われて)、大君はひたすら薫を恨みますが、それでも
「こしらへむと思ひしづめて」(何とか薫をなだめすかそうと冷静になって)、
「ことはりをいとよくのたまふ」(物の道理をことわけておっしゃる)その態度
に、薫は気後れして、とうとう三度目の機会も不首尾に終わったのでした。
このように、目論見どおりにならないのは、何も薫に限ったことではなく、
今でもよくあることで、特に練りに練った計画であればあるほど、本人に
とっては、残念この上ないことに違いありません。しかも薫の場合、これが
ラストチャンスだったのです。
中の君が匂宮と結ばれたことで、話は次のステージへと進んでまいります。
新年の「CD源氏の会」は、そこからとなりますので、引き続きよろしくお願い
いたします。
第11帖「花散里」の全文訳(2)
2021年12月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第17回・通算64回)
オンラインでの講座は、これで年内最後となりました。
「紫の会・木曜クラス」は、月曜クラスと同様、第11帖「花散里」の2回目
です。
今回も活字本で音読と解釈、その後変体仮名で文字を一字ずつ追って
読み、最後に本日の講読箇所の全文訳を読み上げる形で進めました。
本文の内容には月曜クラスのほうで触れておきましたので(⇒こちらから)、
今日は194頁・2行目~195頁・11行目までの全文訳を記しておきたいと
思います(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)。
これといった身支度もなさらず、目立たないようにして、先払いなどもなく、
こっそりと中川の辺りを通り過ぎられると、こんじまりとした家で、木立など
が風情ありげで、良い音色の琴をあづまの調子に合わせて、掻き合わせ、
賑やかに弾いているのが聞こえてきました。
それが源氏の君のお耳に留まって、門に近い建物なので、牛車から少し
身を乗り出して中をご覧になると、大きな桂の木を吹きすぎる風に、賀茂
の祭の頃が思い出されて、何となく辺りの様子に風情が感じられ、たった
一度だけお通いになった女の家だとお気づきになりました。お気持ちが
動いて、随分時が経ったけれど覚えているだろうか、と気は引けるけれど、
行き過ぎ難そうに躊躇っておられた、丁度その時、ホトトギスが鳴き渡った
のでした。まるでこの家を訪れよ、とお勧め申し上げているかのようで、
御車を戻していつものように、惟光に案内を請わせなさいました。
「をちかへりえぞ忍ばれぬ郭公ほのかたらひし宿の垣根に」(昔に立ち返
って、郭公が我慢できずに鳴いております。ほんのちょっとお逢いした家の
垣根のところで)
寝殿と思われる建物の、西の端に女房達が座っていました。以前にも聞い
たことのある声なので、惟光は咳払いをして、相手の様子を窺って、源氏の
君のお歌を伝えました。若々しい女房達の気配がして、どなたかしら、と、
いぶかしがっているようでした。
「郭公こととふ声はそれなれどあなおぼつかな五月雨の空」(郭公が訪れて
鳴く声は、確かに昔のあの声ですが、五月雨の空が曇っているので、どうも
はっきりいたしません)
わざと分からないふりをしている、と思ったので、惟光は、「よしよし、家を
間違えたのかもしれませんね」と言って、出て行くのを、女は内心では、
恨めしくも残念にも思っておりました。源氏の君も「そのように遠慮せねば
ならないことなのだろうよ、無理もない」と思われるので、それ以上は流石に
何も言えないのでした。
この程度の身分の女としては筑紫の五節が可愛い女だったなぁ、と、先ず
は思い出されておりました。どんな女に対しても、お心の休まる時もなく、
苦しそうでございました。
年月が経っても、やはりこのように、昔関わった女のことをお忘れにならない
ので、却って大勢の女たちの物思いの種となっているのでした。
オンラインでの講座は、これで年内最後となりました。
「紫の会・木曜クラス」は、月曜クラスと同様、第11帖「花散里」の2回目
です。
今回も活字本で音読と解釈、その後変体仮名で文字を一字ずつ追って
読み、最後に本日の講読箇所の全文訳を読み上げる形で進めました。
本文の内容には月曜クラスのほうで触れておきましたので(⇒こちらから)、
今日は194頁・2行目~195頁・11行目までの全文訳を記しておきたいと
思います(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)。
これといった身支度もなさらず、目立たないようにして、先払いなどもなく、
こっそりと中川の辺りを通り過ぎられると、こんじまりとした家で、木立など
が風情ありげで、良い音色の琴をあづまの調子に合わせて、掻き合わせ、
賑やかに弾いているのが聞こえてきました。
それが源氏の君のお耳に留まって、門に近い建物なので、牛車から少し
身を乗り出して中をご覧になると、大きな桂の木を吹きすぎる風に、賀茂
の祭の頃が思い出されて、何となく辺りの様子に風情が感じられ、たった
一度だけお通いになった女の家だとお気づきになりました。お気持ちが
動いて、随分時が経ったけれど覚えているだろうか、と気は引けるけれど、
行き過ぎ難そうに躊躇っておられた、丁度その時、ホトトギスが鳴き渡った
のでした。まるでこの家を訪れよ、とお勧め申し上げているかのようで、
御車を戻していつものように、惟光に案内を請わせなさいました。
「をちかへりえぞ忍ばれぬ郭公ほのかたらひし宿の垣根に」(昔に立ち返
って、郭公が我慢できずに鳴いております。ほんのちょっとお逢いした家の
垣根のところで)
寝殿と思われる建物の、西の端に女房達が座っていました。以前にも聞い
たことのある声なので、惟光は咳払いをして、相手の様子を窺って、源氏の
君のお歌を伝えました。若々しい女房達の気配がして、どなたかしら、と、
いぶかしがっているようでした。
「郭公こととふ声はそれなれどあなおぼつかな五月雨の空」(郭公が訪れて
鳴く声は、確かに昔のあの声ですが、五月雨の空が曇っているので、どうも
はっきりいたしません)
わざと分からないふりをしている、と思ったので、惟光は、「よしよし、家を
間違えたのかもしれませんね」と言って、出て行くのを、女は内心では、
恨めしくも残念にも思っておりました。源氏の君も「そのように遠慮せねば
ならないことなのだろうよ、無理もない」と思われるので、それ以上は流石に
何も言えないのでした。
この程度の身分の女としては筑紫の五節が可愛い女だったなぁ、と、先ず
は思い出されておりました。どんな女に対しても、お心の休まる時もなく、
苦しそうでございました。
年月が経っても、やはりこのように、昔関わった女のことをお忘れにならない
ので、却って大勢の女たちの物思いの種となっているのでした。
冬至の定番「かぼちゃのいとこ煮」
2021年12月22日(水)
今日は一年で一番昼の時間が短くなる冬至です。明日からまた
少しずつ昼の時間が長くなるのだと思うと、何となく嬉しいもの
ですね。
冬至の日の夕食の一品は、毎年「かぼちゃのいとこ煮」です。
かぼちゃと小豆を一緒に煮るだけですが、我が家ではこれが
冬至の定番料理です。
でもこれは主菜にはならないので、別に何か用意しなければ
なりません。今年は「ちょっと合わないなぁ」と思いながらも、
芝エビとカニ缶(スーパーで売っている一番安い紅ズワイガニ
のほぐし身)を使ったグラタンにしました。和洋混ぜこぜですが、
レストランではないのだし、家庭料理ならこんなのもありかな、
ということで・・・。
それに、日々訪問させていただいている方のブログに、冬至は
「ん」の付くものを食べると「運」が呼び込める、という記事が紹介
されていましたし。
夕食で「かぼちゃ=なんきん」、「グラタン」、食後に「みかん」。
これでトリプルの「運」が呼び込めるはず、です(笑)

今日は一年で一番昼の時間が短くなる冬至です。明日からまた
少しずつ昼の時間が長くなるのだと思うと、何となく嬉しいもの
ですね。
冬至の日の夕食の一品は、毎年「かぼちゃのいとこ煮」です。
かぼちゃと小豆を一緒に煮るだけですが、我が家ではこれが
冬至の定番料理です。
でもこれは主菜にはならないので、別に何か用意しなければ
なりません。今年は「ちょっと合わないなぁ」と思いながらも、
芝エビとカニ缶(スーパーで売っている一番安い紅ズワイガニ
のほぐし身)を使ったグラタンにしました。和洋混ぜこぜですが、
レストランではないのだし、家庭料理ならこんなのもありかな、
ということで・・・。
それに、日々訪問させていただいている方のブログに、冬至は
「ん」の付くものを食べると「運」が呼び込める、という記事が紹介
されていましたし。
夕食で「かぼちゃ=なんきん」、「グラタン」、食後に「みかん」。
これでトリプルの「運」が呼び込めるはず、です(笑)

大きな意味をもつ伏線二つ
2021年12月20日(月) CD「紫の会」(第3回 通算50回)
今日も寒いけれど、澄み切った青空の広がる、師走らしい一日
でした。明日は気温が5度上昇するとの予報、しばらくぶりに
暖かな日が戻ってきそうです。
溝の口の「紫の会」は、来年1月から会場での講座を再開させる
ことになりました。昨年の2月以来、ほぼ2年ぶりです。よって、
この録音CDによる講座も今回で終了となりますが、コロナ感染
のリバウンド、という事態が生じた場合は、休講の延長とせざる
を得ませんので、あくまで予定という段階です。
オンラインクラスと足並みが揃うまでにはまだだいぶ時間が掛かる
と思われますので、少しずつ差を詰めるため、会場クラスは時間を
30分長くしてやっていくつもりです。
今回は、いよいよ斎宮と共に、六条御息所が伊勢に下向して行く
ところから、桐壺院が崩御されたあたりまでを録音しました。ここに
二箇所、後々の重要な伏線となることが記されています。どちらも
朱雀帝がらみの場面です。
一つ目は「発遣の儀」(天皇が斎宮を伊勢へと送り出すための儀式)
で、朱雀帝が美しい斎宮の姿に「御心動きて」(お心が惹かれて)、
「別れの櫛」を挿して差し上げる際には、胸に迫り、涙までお流しに
なった、というところ。
約6年後、朱雀帝の退位に伴い、斎宮も退下して京へと戻って来ます。
間もなく御息所は亡くなり、残された娘(斎宮)の後見を引き受けた
源氏は、朱雀院の気持ちを知りながら、藤壺と諮って9歳も年下の
冷泉帝(源氏と藤壺の不義の子)に入内させてしまいます。
二つ目は桐壺院の帝への遺言です。院は「何事も源氏を補佐役として
力を合わせて天下を治めるように」と言い、「その心違へさせたまふな」
(その私の意向を無になさいますな)と強く念を押されたのでした。でも、
母・弘徽殿大后や祖父・右大臣が、それを良しとするはずもありません。
気が弱く、心根の優しい朱雀帝は、父院の遺言を遵守出来ないことに
苦しみ、結局はこの遺言が源氏を須磨から呼び戻す契機となる、大きな
力を持つことになります。
先々のネタバレ的な話までしてしまうのは、これからお読みになる方の
楽しみを奪うことになっているのかもしれませんが、ここをお読みになる
時に、そうか、「賢木」の巻の記述が、こんなに大きな意味を持っていた
のだ、と気づいていただきたく、行き過ぎた予告編を、今日の録音でも
してしまいました(-_-;)
今日も寒いけれど、澄み切った青空の広がる、師走らしい一日
でした。明日は気温が5度上昇するとの予報、しばらくぶりに
暖かな日が戻ってきそうです。
溝の口の「紫の会」は、来年1月から会場での講座を再開させる
ことになりました。昨年の2月以来、ほぼ2年ぶりです。よって、
この録音CDによる講座も今回で終了となりますが、コロナ感染
のリバウンド、という事態が生じた場合は、休講の延長とせざる
を得ませんので、あくまで予定という段階です。
オンラインクラスと足並みが揃うまでにはまだだいぶ時間が掛かる
と思われますので、少しずつ差を詰めるため、会場クラスは時間を
30分長くしてやっていくつもりです。
今回は、いよいよ斎宮と共に、六条御息所が伊勢に下向して行く
ところから、桐壺院が崩御されたあたりまでを録音しました。ここに
二箇所、後々の重要な伏線となることが記されています。どちらも
朱雀帝がらみの場面です。
一つ目は「発遣の儀」(天皇が斎宮を伊勢へと送り出すための儀式)
で、朱雀帝が美しい斎宮の姿に「御心動きて」(お心が惹かれて)、
「別れの櫛」を挿して差し上げる際には、胸に迫り、涙までお流しに
なった、というところ。
約6年後、朱雀帝の退位に伴い、斎宮も退下して京へと戻って来ます。
間もなく御息所は亡くなり、残された娘(斎宮)の後見を引き受けた
源氏は、朱雀院の気持ちを知りながら、藤壺と諮って9歳も年下の
冷泉帝(源氏と藤壺の不義の子)に入内させてしまいます。
二つ目は桐壺院の帝への遺言です。院は「何事も源氏を補佐役として
力を合わせて天下を治めるように」と言い、「その心違へさせたまふな」
(その私の意向を無になさいますな)と強く念を押されたのでした。でも、
母・弘徽殿大后や祖父・右大臣が、それを良しとするはずもありません。
気が弱く、心根の優しい朱雀帝は、父院の遺言を遵守出来ないことに
苦しみ、結局はこの遺言が源氏を須磨から呼び戻す契機となる、大きな
力を持つことになります。
先々のネタバレ的な話までしてしまうのは、これからお読みになる方の
楽しみを奪うことになっているのかもしれませんが、ここをお読みになる
時に、そうか、「賢木」の巻の記述が、こんなに大きな意味を持っていた
のだ、と気づいていただきたく、行き過ぎた予告編を、今日の録音でも
してしまいました(-_-;)
ぬか漬けの素
2021年12月17日(金)
今年も残り2週間。だんだんと押し迫ってきております。あれやこれやと
やらねばならぬことはあるのですが、なかなか思うように捗らないのが
毎年ながらの年末です。
今日のブログネタは、いつも訪問させていただいているブログに載せて
おられたのを見ての真似っこなのですが、これ=「ぬか漬けの素」、凄く
いいですね。
血圧が高くなってから、呪文のように「減塩、減塩」と言っており、外食を
しても、お漬物の類は残すことが多くなりました。でも、たまにはぬか漬け
も食べたくなるものです。
最初は行きつけのスーパーで、漬物売り場をはじめ、調味料売り場や
乾物類の売り場まで、ぐるっと廻って探したけれどチューブ入りのものは
見当たらず。諦めて、夜ネットで検索したら、カルディで販売されている
とのこと。なあ~んだ、スーパーの2Fに行けばよかったんだ、とわかり、
早速翌日、2Fのカルディでgetしてきました。
ラップを広げて胡瓜2本分の25gを量って絞り出しました。25gで塩分は
2.7g。漬け置く時間の目安は、8~32時間とのことですが、もともと漬物
は浅漬けが好きだし、ちょっと早目の6時間で冷蔵庫から出し、ぬかを
洗い流してカットしました。私にはこれで十分です。どれ位塩分が抑え
られたかはわかりませんが、胡瓜1本程度なら許容範囲かな、と。
冬場は特に血圧の上がりやすい時季ですし、美味しいから言って、調子
に乗り過ぎないように気をつけたいと思いますが、次は蕪を漬けてみたい
ですね。


こんなに簡単に、しかも本格的なぬか漬けができるだなんて!
今年も残り2週間。だんだんと押し迫ってきております。あれやこれやと
やらねばならぬことはあるのですが、なかなか思うように捗らないのが
毎年ながらの年末です。
今日のブログネタは、いつも訪問させていただいているブログに載せて
おられたのを見ての真似っこなのですが、これ=「ぬか漬けの素」、凄く
いいですね。
血圧が高くなってから、呪文のように「減塩、減塩」と言っており、外食を
しても、お漬物の類は残すことが多くなりました。でも、たまにはぬか漬け
も食べたくなるものです。
最初は行きつけのスーパーで、漬物売り場をはじめ、調味料売り場や
乾物類の売り場まで、ぐるっと廻って探したけれどチューブ入りのものは
見当たらず。諦めて、夜ネットで検索したら、カルディで販売されている
とのこと。なあ~んだ、スーパーの2Fに行けばよかったんだ、とわかり、
早速翌日、2Fのカルディでgetしてきました。
ラップを広げて胡瓜2本分の25gを量って絞り出しました。25gで塩分は
2.7g。漬け置く時間の目安は、8~32時間とのことですが、もともと漬物
は浅漬けが好きだし、ちょっと早目の6時間で冷蔵庫から出し、ぬかを
洗い流してカットしました。私にはこれで十分です。どれ位塩分が抑え
られたかはわかりませんが、胡瓜1本程度なら許容範囲かな、と。
冬場は特に血圧の上がりやすい時季ですし、美味しいから言って、調子
に乗り過ぎないように気をつけたいと思いますが、次は蕪を漬けてみたい
ですね。


こんなに簡単に、しかも本格的なぬか漬けができるだなんて!
求愛の手順を踏まない薫
2021年12月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第228回)
昨日の凍えるような寒さから解放され、今日は快晴。気温も12月の
半ばにしては高めだし、ラッキーと思っていたら、何と小田急江ノ島線
人身事故で運転見合わせ、のメールが・・・。
昨年もコロナ禍になってからたった2回しかできなかった例会のうち1回
が、やはり小田急線の人身事故で、今日と同じく40分皆さまをお待たせ
しての開始となったのを思い出しました。
結局3:30終了予定の講座が終わったのは4:10近く。辺りは薄暗くなり
始めていました。それでも、湘南台クラスも無事に10月から3ヶ月続けて
例会ができて、一年の締め括りとしては良かった、と思っています。
第50帖「東屋」も終盤です。晩秋の頃、薫は宇治に出かけた際、弁に
「二条院に居るという浮舟に私のことを伝えて欲しい」と言い出します。
弁が、今は三条の小家に移っていると言うと、薫は急に積極的になって、
「それなら、その三条の小家に出向いて仲介の労を取ってくれまいか」と、
弁に依頼します。「既に出家した尼の身で、そうした俗世の男女のこと
に関わるのは気が引ける」という弁に、薫はいつになく無理強いをして、
「明後日、迎えの牛車を派遣するので頼む」と、強引に事を運ぶのでした。
薫にすれば、浮舟が自邸の三条の宮に近い、隠れ家のようなところに
いるほうが、二条院にいるよりも近づき易い、と判断をして、積極的に
なったのでありましょう。
しぶしぶ引き受けた弁が、「それでは先に、浮舟に歌を贈っておいて
くださいませ」と言うと、薫は「右大将ともあろう者が、常陸介の娘ふぜい
に言い寄っていると世間で取り沙汰されてもなぁ」と、承知しなかったの
です。
この時代の求愛は、男性が女性に対して歌を贈るところから始まるのが、
通常のルールだったのですが、薫はその手順を踏もうとしていません。
浮舟をまともな恋の相手とは見ていないからで、彼女はあくまで大君の
形代に過ぎない、ということが、こうした薫の態度からも窺えます。
薫は言った通りの日の早朝、宇治に牛車を差し向け、弁は三条の小家を
訪れました。その夜、薫も三条の小家にやって来て、浮舟と一夜を共に
したのでした。
大君の時は、あれほど相手の気持ちを尊重していた薫が、浮舟の場合は、
歌も贈らず、いきなりやって来て、あっさりと浮舟の部屋に入り込んでいます。
偶然見かけて手を出そうとする匂宮も、このような形で浮舟を手に入れた
薫も、浮舟自身の人格など全く無視しています。八の宮が認知していれば、
宮家の姫君であったはずの浮舟なのに。
来年に持ち越しとなった「東屋」の最終回。ここから舞台は再び宇治となり、
「宇治十帖」も佳境を迎えることとなります。
昨日の凍えるような寒さから解放され、今日は快晴。気温も12月の
半ばにしては高めだし、ラッキーと思っていたら、何と小田急江ノ島線
人身事故で運転見合わせ、のメールが・・・。
昨年もコロナ禍になってからたった2回しかできなかった例会のうち1回
が、やはり小田急線の人身事故で、今日と同じく40分皆さまをお待たせ
しての開始となったのを思い出しました。
結局3:30終了予定の講座が終わったのは4:10近く。辺りは薄暗くなり
始めていました。それでも、湘南台クラスも無事に10月から3ヶ月続けて
例会ができて、一年の締め括りとしては良かった、と思っています。
第50帖「東屋」も終盤です。晩秋の頃、薫は宇治に出かけた際、弁に
「二条院に居るという浮舟に私のことを伝えて欲しい」と言い出します。
弁が、今は三条の小家に移っていると言うと、薫は急に積極的になって、
「それなら、その三条の小家に出向いて仲介の労を取ってくれまいか」と、
弁に依頼します。「既に出家した尼の身で、そうした俗世の男女のこと
に関わるのは気が引ける」という弁に、薫はいつになく無理強いをして、
「明後日、迎えの牛車を派遣するので頼む」と、強引に事を運ぶのでした。
薫にすれば、浮舟が自邸の三条の宮に近い、隠れ家のようなところに
いるほうが、二条院にいるよりも近づき易い、と判断をして、積極的に
なったのでありましょう。
しぶしぶ引き受けた弁が、「それでは先に、浮舟に歌を贈っておいて
くださいませ」と言うと、薫は「右大将ともあろう者が、常陸介の娘ふぜい
に言い寄っていると世間で取り沙汰されてもなぁ」と、承知しなかったの
です。
この時代の求愛は、男性が女性に対して歌を贈るところから始まるのが、
通常のルールだったのですが、薫はその手順を踏もうとしていません。
浮舟をまともな恋の相手とは見ていないからで、彼女はあくまで大君の
形代に過ぎない、ということが、こうした薫の態度からも窺えます。
薫は言った通りの日の早朝、宇治に牛車を差し向け、弁は三条の小家を
訪れました。その夜、薫も三条の小家にやって来て、浮舟と一夜を共に
したのでした。
大君の時は、あれほど相手の気持ちを尊重していた薫が、浮舟の場合は、
歌も贈らず、いきなりやって来て、あっさりと浮舟の部屋に入り込んでいます。
偶然見かけて手を出そうとする匂宮も、このような形で浮舟を手に入れた
薫も、浮舟自身の人格など全く無視しています。八の宮が認知していれば、
宮家の姫君であったはずの浮舟なのに。
来年に持ち越しとなった「東屋」の最終回。ここから舞台は再び宇治となり、
「宇治十帖」も佳境を迎えることとなります。
女性に関する源氏の姿勢
2021年11月13日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第17回・通算64回)
オンライン「紫の会」で、先月から始めた第11帖「花散里」を変体仮名で
読む試み、今月は2回目です。前回に比べると、変体仮名を読む速度も
上がってきたので、本文も少し多く進めました。こちらが何も言わなくても、
もうすんなりと読んでおられる声が、パソコンを通して聞こえてくるように
なり、慣れてこられたことがはっきりと伝わってまいりました。それでも文字
を一字ずつ追っていますので、さほど読み進められるわけではありません。
全文訳も2回に分ける程の量もないので、これは木曜クラス(23日)のほう
で書くことにして、今日は講読した所の内容に触れるだけにしておきたい
と思います。
25歳の夏、源氏は梅雨の晴れ間に、ふと思い出した麗景殿の女御の妹
の三の君(花散里)を訪ねようと、お出かけになりました。
その途中、中川(中川は現在は無くなっており、当時は今の京都御苑の
東側に沿って流れていた)の辺りを通り過ぎる時、琴の音に惹かれ、牛車
の中から少し身を乗り出してご覧になると、そこが嘗て一度だけ通った女
の家だと思い出されたのでした。
惟光を介して歌を詠みかけた源氏に対して女は「ことさらにたどる」(わざと
誰だかわからないふりをする)歌を返して来たので、惟光はそのまま引き
下がって出て行きました。内心では源氏が今頃になって訪ねて来たのを、
「ねたうもあはれにも思ひけり」(恨めしくもしみじみとも思っていた)のでした
が、源氏が再び訪れることもない間に、別の男が通うようになっていたところ
で無理はない、と、源氏も惟光も察しておりました。
この程度の身分の女なら「筑紫の五節」が可愛かったなぁ、と思い出したりも
しています。そもそも花散里だって、いつも通っている女君ではありません。
このように、源氏は「見しあたり、情け過ぐしたまはぬにしも、なかなかあまた
の人のもの思ひぐさなり」(昔の女のことを、お忘れにならないが為に、却って
多くの女たちの物思いの種となっていた)ということなのです。
どんな女性に対しても、決して捨ててしまうことはしない、という源氏の姿勢、
如何なものでしょうか?女の立場からすれば「蛇の生殺し」のような状態で、
すっきりと決着がつかないまま長い間放っておかれるというのも、そりゃぁ、
物思いの種になるでしょう、と思いますよね。
オンライン「紫の会」で、先月から始めた第11帖「花散里」を変体仮名で
読む試み、今月は2回目です。前回に比べると、変体仮名を読む速度も
上がってきたので、本文も少し多く進めました。こちらが何も言わなくても、
もうすんなりと読んでおられる声が、パソコンを通して聞こえてくるように
なり、慣れてこられたことがはっきりと伝わってまいりました。それでも文字
を一字ずつ追っていますので、さほど読み進められるわけではありません。
全文訳も2回に分ける程の量もないので、これは木曜クラス(23日)のほう
で書くことにして、今日は講読した所の内容に触れるだけにしておきたい
と思います。
25歳の夏、源氏は梅雨の晴れ間に、ふと思い出した麗景殿の女御の妹
の三の君(花散里)を訪ねようと、お出かけになりました。
その途中、中川(中川は現在は無くなっており、当時は今の京都御苑の
東側に沿って流れていた)の辺りを通り過ぎる時、琴の音に惹かれ、牛車
の中から少し身を乗り出してご覧になると、そこが嘗て一度だけ通った女
の家だと思い出されたのでした。
惟光を介して歌を詠みかけた源氏に対して女は「ことさらにたどる」(わざと
誰だかわからないふりをする)歌を返して来たので、惟光はそのまま引き
下がって出て行きました。内心では源氏が今頃になって訪ねて来たのを、
「ねたうもあはれにも思ひけり」(恨めしくもしみじみとも思っていた)のでした
が、源氏が再び訪れることもない間に、別の男が通うようになっていたところ
で無理はない、と、源氏も惟光も察しておりました。
この程度の身分の女なら「筑紫の五節」が可愛かったなぁ、と思い出したりも
しています。そもそも花散里だって、いつも通っている女君ではありません。
このように、源氏は「見しあたり、情け過ぐしたまはぬにしも、なかなかあまた
の人のもの思ひぐさなり」(昔の女のことを、お忘れにならないが為に、却って
多くの女たちの物思いの種となっていた)ということなのです。
どんな女性に対しても、決して捨ててしまうことはしない、という源氏の姿勢、
如何なものでしょうか?女の立場からすれば「蛇の生殺し」のような状態で、
すっきりと決着がつかないまま長い間放っておかれるというのも、そりゃぁ、
物思いの種になるでしょう、と思いますよね。
良識ある女房の見解
2021年12月10日(金) 溝の口「CD源氏の会」(第5回・通算145回)
今、このCDクラスでは第47帖「総角」の前半を、オンラインクラスでは
同じ「総角」の終盤を読んでおりますので、11月22日の記事はCDクラス、
12月1日の記事はオンラインクラス、そして今日はまたCDクラスと、話
が進んだり戻ったりすることになり、申し訳ありません。
前回(11/22⇒こちらから)は、大君が弁に語った非婚の論理を中心に
書きましたが、最後に「今の我々からすると、弁の考え方が一番常識的
な気がするのですが、次回はその弁が、大君を説得しようとするところ
から読んでいくことになります」と記しました。ですから、今回は弁の見解
を取り上げておきたいと思います。
ここも原文をそのまま載せると長くなり過ぎるので、少し要約した現代語
で、ご紹介します。
「姫様(大君)のご意向は、重々承知いたしておりますが、中納言様(薫)
は、『とてもそんな風に考え直すことなど出来ない。中の君には匂宮が
ご執心だから、私はそのお世話をさせていただきたいと思っております』
とおっしゃっております。このような結構な縁組は、ご両親が揃っておられ、
あれこれ奔走なさったところで望める話ではございません。このままで
おられたら、とてもご将来が心配でございます。亡き父上様も、中納言様
とのご結婚はお望みでしたから、ご遺言に背くことにはなりません。後見
してくださる方に先立たれて、路頭に迷うようなことになってしまうのは、
身分を問わずによくあることです。あれほどご立派なお方(薫)が真心を
こめて熱心におっしゃってくださることを、無下にお断りになってしまって、
お望み通り出家なさったとしても、仙人のような暮らしはお出来になります
まいに」
と、弁は大君を説得しようと試みました。最後の「行いの本意をとげたまふ
とも、さりとて雲霞をやは」(予てからお望みの出家を遂げられたところで、
雲や霞を食べて生きてはいけないでしょうに)の部分は、ご主人様に対して
僭越な発言かとも思われますが、その他は極めて常識的な見解と言えるの
ではないでしょうか。
それでも、くどくどと説得しようとする弁を、大君は、「いと憎く心づきなしと
おぼして、ひれ伏したまへり」(とても憎く不快に思われて、うつぶして
しまわれた)のでした。
一般的な考え方とは乖離した大君の姿は、余りにも頑なで、哀れでさえ
ありますが、その一方で、透き通ったような崇高さも感じられます。そこには
こうした比較によって、大君の特異性を際立たせる効果も作用している
気がいたします。
今、このCDクラスでは第47帖「総角」の前半を、オンラインクラスでは
同じ「総角」の終盤を読んでおりますので、11月22日の記事はCDクラス、
12月1日の記事はオンラインクラス、そして今日はまたCDクラスと、話
が進んだり戻ったりすることになり、申し訳ありません。
前回(11/22⇒こちらから)は、大君が弁に語った非婚の論理を中心に
書きましたが、最後に「今の我々からすると、弁の考え方が一番常識的
な気がするのですが、次回はその弁が、大君を説得しようとするところ
から読んでいくことになります」と記しました。ですから、今回は弁の見解
を取り上げておきたいと思います。
ここも原文をそのまま載せると長くなり過ぎるので、少し要約した現代語
で、ご紹介します。
「姫様(大君)のご意向は、重々承知いたしておりますが、中納言様(薫)
は、『とてもそんな風に考え直すことなど出来ない。中の君には匂宮が
ご執心だから、私はそのお世話をさせていただきたいと思っております』
とおっしゃっております。このような結構な縁組は、ご両親が揃っておられ、
あれこれ奔走なさったところで望める話ではございません。このままで
おられたら、とてもご将来が心配でございます。亡き父上様も、中納言様
とのご結婚はお望みでしたから、ご遺言に背くことにはなりません。後見
してくださる方に先立たれて、路頭に迷うようなことになってしまうのは、
身分を問わずによくあることです。あれほどご立派なお方(薫)が真心を
こめて熱心におっしゃってくださることを、無下にお断りになってしまって、
お望み通り出家なさったとしても、仙人のような暮らしはお出来になります
まいに」
と、弁は大君を説得しようと試みました。最後の「行いの本意をとげたまふ
とも、さりとて雲霞をやは」(予てからお望みの出家を遂げられたところで、
雲や霞を食べて生きてはいけないでしょうに)の部分は、ご主人様に対して
僭越な発言かとも思われますが、その他は極めて常識的な見解と言えるの
ではないでしょうか。
それでも、くどくどと説得しようとする弁を、大君は、「いと憎く心づきなしと
おぼして、ひれ伏したまへり」(とても憎く不快に思われて、うつぶして
しまわれた)のでした。
一般的な考え方とは乖離した大君の姿は、余りにも頑なで、哀れでさえ
ありますが、その一方で、透き通ったような崇高さも感じられます。そこには
こうした比較によって、大君の特異性を際立たせる効果も作用している
気がいたします。
秋好中宮の物語の終結
2021年12月7日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算154回 統合104回)
先月末から騒がれ始めたコロナの新変異株「オミクロン」ですが、
幸いまだ日本では拡がっておらず、高座渋谷のクラスは、10月、
11月、12月と、3回続けて例会を行うことができました。
「徳川美術館」で観てきた「国宝 源氏物語絵巻」の話も、少しした
かったのですが、今日は余談抜きで講読に入り、第38帖「鈴虫」を
読み終えました。今月でこの巻を読み終えたかったのには、12月
という区切りの良さもありましたが、一番の理由は、テキストにして
いる「日本古典集成」の『源氏物語』(全8巻)の5巻目が「鈴虫」で
終わり、次の「夕霧」からが6巻目になるからです。本は重いので、
二冊を一度に持って来ていただくのは、避けたいと思っていました。
「鈴虫」の巻は、女三の宮の密通事件の後日談的な要素の色濃い
巻ですが、最後は秋好中宮の姿を映し出して、幕を閉じています。
冷泉院の許を訪れた源氏は、上皇御所で一緒にお住いの秋好中宮
のお部屋に顔を出されます。「いと若うおほどかなる御けはひ」(とても
若々しく、おっとりとしたご様子)ですが、秋好中宮も41歳。当時では
既に初老の域に入っています。
中宮は源氏と対面できた機会に、出家の願望を伝えます。やはり
恩義ある源氏の許可なしに出家は出来ない、とお考えでした。
源氏は即座に反対します。中宮は「深うも汲みはかりたまはぬなめり
かしと、つらう思ひきこえたまふ」(私の気持ちを深く汲み取っては
下さらないようだ、と辛く思い申し上げなさる)のでした。
秋好中宮の真意はどこにあるのか、というと、母・六条御息所が未だ
成仏できず、死霊となって源氏の前に現れた、という噂を耳にして
悲しくなり、母のために仏道修行に専念したい気持ちが深まったから
なのですが、源氏に許してもらえる訳もなく、六条御息所の追善供養を
熱心に営みながら、「いとど心深う、世の中をおぼし取れるさまになり
まさりたまふ」(いっそう思い澄まして、この世をお悟りになったご様子に
なっていらっしゃる)で、「鈴虫」の最後は結ばれています。
光源氏を主人公とする物語の終焉も近づき、六条院の女性たちの物語
も終結に導こうとする作者の意図が感じられる、秋好中宮のエピソード
です。
「鈴虫」の巻で、女三の宮と秋好中宮の話が一段落しました。花散里は
夕霧の養母、明石の上も明石の女御の後見として、それぞれ次世代に
関わる役割を担っているので、終わらせる必要はありません。残るは
紫の上です。それが語られるのは、「夕霧」の巻を挟んで第40帖「御法」
となります。
先月末から騒がれ始めたコロナの新変異株「オミクロン」ですが、
幸いまだ日本では拡がっておらず、高座渋谷のクラスは、10月、
11月、12月と、3回続けて例会を行うことができました。
「徳川美術館」で観てきた「国宝 源氏物語絵巻」の話も、少しした
かったのですが、今日は余談抜きで講読に入り、第38帖「鈴虫」を
読み終えました。今月でこの巻を読み終えたかったのには、12月
という区切りの良さもありましたが、一番の理由は、テキストにして
いる「日本古典集成」の『源氏物語』(全8巻)の5巻目が「鈴虫」で
終わり、次の「夕霧」からが6巻目になるからです。本は重いので、
二冊を一度に持って来ていただくのは、避けたいと思っていました。
「鈴虫」の巻は、女三の宮の密通事件の後日談的な要素の色濃い
巻ですが、最後は秋好中宮の姿を映し出して、幕を閉じています。
冷泉院の許を訪れた源氏は、上皇御所で一緒にお住いの秋好中宮
のお部屋に顔を出されます。「いと若うおほどかなる御けはひ」(とても
若々しく、おっとりとしたご様子)ですが、秋好中宮も41歳。当時では
既に初老の域に入っています。
中宮は源氏と対面できた機会に、出家の願望を伝えます。やはり
恩義ある源氏の許可なしに出家は出来ない、とお考えでした。
源氏は即座に反対します。中宮は「深うも汲みはかりたまはぬなめり
かしと、つらう思ひきこえたまふ」(私の気持ちを深く汲み取っては
下さらないようだ、と辛く思い申し上げなさる)のでした。
秋好中宮の真意はどこにあるのか、というと、母・六条御息所が未だ
成仏できず、死霊となって源氏の前に現れた、という噂を耳にして
悲しくなり、母のために仏道修行に専念したい気持ちが深まったから
なのですが、源氏に許してもらえる訳もなく、六条御息所の追善供養を
熱心に営みながら、「いとど心深う、世の中をおぼし取れるさまになり
まさりたまふ」(いっそう思い澄まして、この世をお悟りになったご様子に
なっていらっしゃる)で、「鈴虫」の最後は結ばれています。
光源氏を主人公とする物語の終焉も近づき、六条院の女性たちの物語
も終結に導こうとする作者の意図が感じられる、秋好中宮のエピソード
です。
「鈴虫」の巻で、女三の宮と秋好中宮の話が一段落しました。花散里は
夕霧の養母、明石の上も明石の女御の後見として、それぞれ次世代に
関わる役割を担っているので、終わらせる必要はありません。残るは
紫の上です。それが語られるのは、「夕霧」の巻を挟んで第40帖「御法」
となります。
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