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第3回「連歌の会・オンライン茶話会」

2022年1月30日(日)

このブログでも何度か紹介してまいりましたが、高校同期の仲間たちで
楽しんでいる「連歌の会」というサークルがあります。

もともとパソコン上で付句をしてゆくものなので、コロナ禍でも「連歌の会」
の活動そのものは変わりないのですが、以前は年に一度位の割合で
行っていた親睦会の開催は難しくなってしまいました。

それに代わるものとして、一昨年12月、昨年6月と、「オンライン茶話会」
なるリモートでの親睦会を重ねて来ました。今日で3回目です。

宗匠とお呼びする、会の中心となってくださっている方の司会進行の
手際が絶妙ということもあり、毎回「和気藹々」とはこういう雰囲気を
言うのであろう、と思われる楽しい時間を過ごすことが出来ます。
今回もそうでした。

ヨガ、筋トレ、登山、電車通勤の際、駅では階段を使う等々、体力維持
の為、様々な努力を続けておられるお話には、寒いから、と、今は散歩
もさぼりがちな私は、大いに刺激を受けました。

日々俳句を詠む、葉書での二人連歌を楽しんでいる、孫との手紙の
遣り取りをしている、テレビで料理番組を見てそれを実際に作っている
(これは男性の方)、といった、それぞれコロナ禍で、前向きな楽しみを
見出しておられるお話も多く伺えました。笑いに包まれた話題もありま
した。

外出先で階段から落ちた時、近くにいた若い女性が駆け寄って来て手を
差し伸べながら声をかけてくれたそうです。「おじいさん、大丈夫?」
と。それが転んだことよりもショックだったと、冗談っぽくおっしゃっていま
したが、たいしたお怪我もなかったからこそ、笑い話になるのですよね。
確かに若い人から見れば、古稀も過ぎた私たちは「おじいさん、おばあさん」
でしょうが、もし同じ状況で「おばあさん」って言われたら、やっぱりショック
かも・・・。

最後には今後の連歌の会の進め方についてや、このオンライン茶話会の
開催時間についての意見交換もして、予定時間を20分程オーバーした
ところでのお開きとなりました。

       連歌の会
     お一人どうしても上手くアクセスできない方があり、ちょっと
     残念だったのですが、原因も判明したとのメールを頂戴
     しましたので、次回はご一緒に楽しみましょう。


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第11帖「花散里」の全文訳(3)

2022年1月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第18回・通算65回)

1月も残り少なくなってまいりました。年明けにはここまでオミクロン株
が急拡大するとは思っていませんでしたが、今日もまた「過去最多」を
更新。来月になったら減少に転じて欲しいものです。

オンライン「紫の会」は、第3月曜日のクラスに続いて、この第4木曜日
のクラスも、第11帖「花散里」を読み終えました。「花散里」と呼ばれて
いる女君は、この短い巻の、それも最後にちょこっと出てくるだけです
ので、この先源氏とどのように関わっていくのか、まだ全くわからない
まま終わっています。

版本で変体仮名を読む練習をしたので、皆さま、頻出文字については
マスターなさったことと思います。いろんな場で変体仮名を見かけたら、
「あっ、この文字読める!」という体験を楽しんでいただきたいですね。

今月も本文の内容には月曜クラスのほうで触れましたので(⇒こちらから
今日は195頁・12行目~198頁・3行目までの全文訳を記しておきます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)。

あの目的の所は、想像しておられた通り、人影もなく、ひっそりとしている
ご様子をご覧になるにつけても、たいそうしみじみとしたものが感じられ
ます。

先ず麗景殿の女御のお部屋で、桐壺院がご存命中だった頃の昔話を
申し上げなさっているうちに、夜も更けてしまいました。五月二十日の
月が差し昇る頃に、いっそう高い木立の影がずっと暗く見渡されて、
軒端に近い橘の香りが懐かしく匂ってきて、女御のご様子は、御年は
召しておられますが、あくまでお心遣いが行き届き、気品があって可愛げ
のある風情です。桐壺院から格別のご寵愛をお受けになることもありま
せんでしたが、院が親しみやすく、優しい方だとお思いになっていたのに、
などと、源氏の君は思い出されるにつけても、昔のことが次々と思い
浮かんできて、お泣きになりました。
 
ホトトギスが、さっきの中川の女の家の辺りで鳴いていた鳥であろうか、
同じ声で鳴いています。自分の後を追って来たことよ、とお思いになる
のも、優艶な感じがいたしましたよ。「いかに知りてか」などと、ひそやか
にお口ずさみになります。
 
「橘の香をなつかしみ郭公花散里をたづねてぞとふ(昔を思い出させる
橘の香りを懐かしんで、ホトトギスはこの花散る邸を探してやってきました)
昔のことが忘れられない心を慰めるには、やはりこちらにお伺いするべき
でございました。そうすることで、この上なく、苦しみの紛れることもまた
増えることでした。人は時勢に従うものなので、昔の思い出話をぽつり
ぽつりと語り合える人も少なくなってゆきますが、ましてやあなたは私
以上に所在無さを紛らわしようもなくお思いでいらっしゃいましょう」

と、麗景殿の女御に申し上げなさると、今更言うまでもないこのご時世
ですが、しみじみと感慨にふけっておられる女御のご様子が一通りでは
ないのも、お人柄からによるものでしょうか、源氏の君にはなおのこと
しみじみ感じられるのでした。
 
「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」(訪れる人もなく、
荒れてしまったこの家では、昔を偲ばせる橘の花だけが、軒先に咲いて、
あなたをお招きするよすがとなったのでした)

とだけおっしゃったのが、やはり他の女とは違っているなぁ、と思い較べて
おられるのでした。

西面には、さりげなく目立たないようにお振舞いになって、お部屋を訪れ
なさったのも、たまのご訪問の喜びに加え、世にも稀なご立派な源氏の君
のお姿なので、日頃の恨みもきっとお忘れになったことでしょう。源氏の君
が何やかやと、いつものように親し気にお話なさるのも、お心に無いこと
でもないのでありましょう。

かりそめにも、源氏の君が関係を持たれた女君たちは、皆世間一般の
身分ではなく、それぞれにつけて、何の取り柄もない、とお思いになる
お方はいらっしゃらないからでしょうか、憎むこともなく、源氏の君も女君
も気持ちを通い合わせて過ごしていらっしゃるのでした。そうした仲を
不本意だと思う人は、何かと心変わりするのも道理の世の習い、と、
源氏の君は達観しておられました。先程の中川の女も、そんなわけで
心変わりしてしまった人なのでした。
                              第11帖「花散里」 了


イチゴ「あまりん」と「ちぢみほうれん草」

2022年1月26日(水)

昨年も、イチゴ農家さんからの直送便で、美味し~いイチゴを
プレゼントしていただきましたが(その記事は⇒こちらから)、
同じ方が今年もまた送ってくださいました。今回は埼玉特産の
「あまりん」2パックです。

この「あまりん」、その名の通り本当に甘いイチゴです。パックを
開けた瞬間から、あま~いイチゴの香りが鼻をくすぐり、すぐさま
一つお味見。口の中にじゅわーっとイチゴのおいしさが広がり、
一つのつもりが二つになり、更に三つになり・・・これではお味見
とは言わないかな?

「果物の中で何が一番好き?」と訊かれたら、迷わず「イチゴ」と
答える私ですから、出始めから終わりまで、ずっと買っては毎朝
食べていますが、スーパーで買っている限り(しかも贈答用など
には目もくれませんし)、これほど美味しいイチゴに出会うことは
ありません。オミクロン株の激増で滅入りがちな気分が、今日は
ちょっとUPしました。

   あまりん
  食後にまた3粒いただきました。一日に6粒、贅沢ですね。


イチゴの赤とほうれん草の青。色の取り合わせもいいので、ついで
にこちらも。少し前に、訪問先のブログで、「ちぢみほうれん草」の
ことを書いておられる記事を拝見しました。普通のほうれん草よりも
美味しいとのことで、私も買ってみようと思いました。そうしましたら
昨日スーパーで、「広告の品」として、「ちぢみほうれん草」が198円
で売られていました。ハイ、迷わず買い物かごへ。初めてなので、
先ずは基本の「おひたし」にしました。

      ちぢみほうれん草①

   ちぢみほうれん草②
  おっしゃるとおり、普通のほうれん草よりもコクがあって
  美味しいですね。いつ迄売られているかわかりませんが、
  また買って、胡麻和えなども作ってみたいと思います。


今も昔も、貴も賤も

2022年1月24日(月) 溝の口「CD源氏の会」(第8回・通算148回)

「まん延防止等重点措置」が更に18道府県に適用されることになり、
既に適用されている16の都県と合わせて、全国の7割を超える地域
が対象となりました。オミクロン株による感染拡大が続く中、今日の
神奈川県は5,276人と、過去最多を更新。もうスーパーでの買い物と、
病院の受診以外は巣ごもりに徹しています(笑)

録音CDをお送りする形の「源氏講座」も第8回目となり、オンラインの
クラスとの差もだいぶ縮まってきました。4月から会場での再開が可能
になれば、年内で追いつけるのではないかと思っていますが、あまり
推測だけで先のことは言わないほうがいいかもしれませんね。

前回(1/14)のブログで、明石中宮が息子の匂宮を厳しく諫めたことを
取り上げましたが(⇒こちらから)、その後、薫が宮中にいる匂宮のもと
に参上し、宇治へ行こうか行くまいかと迷っている匂宮に、「中宮様の
お叱りは私が引き受けるから、早く宇治へ」と強く勧めて、送り出したの
でした。

その言葉通り、薫が明石中宮のお部屋に顔を出すと、中宮は薫に愚痴
をこぼされます。中宮からすれば弟の薫(中宮は薫の父親は源氏だと
信じているので)だから話しても構わない、と思われたのでしょう。

「匂宮はお出かけになってしまったようね。呆れ果ててものも言えないわ。
人が見たら何と思うでしょう」と、ぼやいた後、「上聞こしめしては、いさめ
きこえぬが言ふかひなき、とおぼしのたまふこそわりなけれ」(帝が匂宮
の行状をお耳になさる度に、「あなたがちゃんとお諫めしないから、一向
に改めようとしないのだ」と、私に矛先を向けておっしゃるのが辛いのよ)
と、こぼされたのです。

でもここを読むと、「あれっ、今だって息子が問題を起こすと、『お前の躾が
悪いから、あいつはいつまで経ってもダメなんだ』って感じで、母親のことを
責めるお父さん、居るんじゃないの?」と、ちょっと可笑しくなります。しかも
これは単に千年の時の隔たりだけではなく、一般庶民の家庭の話でもない
のです。父親は天皇、母親は中宮(皇后と同じ)という最も高貴なご両親の
間で交わされている言葉なのです。

「今も昔も、貴も賤も」。古典の世界には面白い発見がいっぱいあります。


「ぶり大根」

2022年1月20日(木)

今日は大寒。一年で一番寒い頃に相応しく、一昨日から気温が
10度に届かない日が続いていますが、日々氷点下の所のことを
思うと、この程度で「寒い、寒い」と言っては申し訳ありませんね。

大寒の日は「卵」を食べると良いそうですが、その当日鶏が産んだ
卵となると、タイミングよく手に入れるのも、なかなか難しそうです。

そこで、今は寒ぶりの美味しい時季ですし、大根や生姜も使うので、
身体を温めることが出来るかと、今夜のメニューに「ぶり大根」を
加えました。スーパーでも、大寒のおススメ品として、美味しそうな
天然ぶりが売られていました。

もう一つのメニューは、姉が暮に送ってくれた「あしたか牛」で作った
「ビーフストロガノフ」。2パック届いて、1パックはすぐに牛丼で食べ、
もう1パックは冷凍しておいたので、それを使いました。ブリ大根は
写真を撮ったのですが、こちらは食べてから「そうだ、こっちも写真を
撮ればよかった」と気づきました。でももうお腹の中に納まった後(-_-;)。
いずれにせよ、冬至に続き、今夜も和洋ごちゃごちゃに変わりは
ありませんでした(笑)

    ブリ大根
     ブリは塩を振って、しばらく置き、その間に大根を
     茹でます。茹で汁の熱湯をブリに掛け、洗ってから
     煮ると、生臭みが消えて美味しく仕上がる気がします。


「花橘」の持つ意味


2022年1月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第18回・通算65回)

歯止めのかからないオミクロン株による新型コロナの感染拡大。
いよいよ首都圏にも「まん延防止等重点措置」が適用されるよう
です。明後日の湘南台の対面講座は中止となりました。当分は
また、ひたすら巣ごもりで過ごすことになりそうですが、明日は
病院の受診日なので、出掛けざるを得ません。仕方ないですね。

今日はオンラインクラスなので、、コロナに関しての心配は皆無。
それを思うとオンラインで講読会が出来るというのは有難いです。

変体仮名で読む、という試みを取り入れたため、普通に読めば
1回で済むところを、今回を含め3回かかって、第11帖「花散里」を
読み終えました。

この巻につけられた「花散里」という巻名は、麗景殿の女御(花散里
という呼称のつけられている女君の姉)の許を訪れ、先刻、中川の
女の家の辺りで鳴いていたホトトギスと同じ声で鳴くのを耳にした
源氏が、自分をホトトギスになずらえて詠んだ歌から採られています。

「橘の香をなつかしみ郭公花散里をたづねてぞとふ」(懐旧の情を
誘う橘の香に惹かれて、ホトトギスは橘の花の散るこのお邸を
尋ね求めてやってまいりました)

「橘の花」が歌に詠み込まれている場合、当時の人々には共通の
認識がありました。それは「橘の花の香=懐旧の情をそそる」と
いうもので、次の『古今集』の読人しらずの歌を、誰もが知っていた
ことを示しています。

「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(五月を
待って咲く橘の花の香りにふれると、昔の恋人の袖の香りがする)

帥宮敦道親王との恋を綴った有名な歌日記『和泉式部日記』の
冒頭に記された二人の恋のきっかけも、敦道親王が和泉式部に
(和泉式部は、敦道親王の兄・亡為尊親王の恋人だった)、兄を
偲ぶよすがとしての花橘を贈ったことによります。

今回も、変体仮名で本文を読んだため、講読したページ数も僅か
ですので、また全文訳は、27日に纏めて書かせていただくことに
いたします。

二人の母親

2022年1月14日(金) 溝の口「CD源氏の会」(第7回・通算147回)

このクラスのオンライン組の講読会は1月5日でした。その日のブログに
東京でのコロナの感染者数が400人近くになった、と書いていますが、
それからまだ10日足らずなのに、今日は4,000人超となり、ここ神奈川
でも1,000人を超えました。グラフを見てもこれまでにない、切り立った
断崖のような形をしています。

こうなると、月曜日、火曜日と会場での講座が行えたのが奇跡のようで、
このクラスが3月迄CD継続と決まっていることに、今はホッとしています。

そのCD講座も7回目となり、第47帖「総角」の半分位まで読み進みました。

薫の計略で結ばれた匂宮と中の君でしたが、薫の予想通り、匂宮は一夜
でもう、中の君に惚れ込んでしまわれました。

当時の結婚のルールとして、男性は女性の許に、三夜続けて通わねば
なりませんでした。二日目、匂宮はますます中の君に心惹かれます。
そして三日目。自分は大君の拒絶に遭い、悔しい思いを抱えながらも、
そこは几帳面な薫です。八の宮に姫君たちの後見を約束したからには、
匂宮を婿として迎えるため、宮家の対面が保てるよう、その夜の衣装を、
女房たちの物も含めて贈ります。

急なことですし、それをどこで調達したか、というと、母・女三宮のところに
有ったものを拝借したのでした。のちに冬の衣更えの折も薫は、焼失した
三条の宮を新築し終えた際に、と用意された調度類などを、女三宮に願い
出て、八の宮邸に先に廻しています。

今回もその時も、女三宮は薫に、「何のために使うのか」と詮索するような
ことは一切していません。そこまで気が回らないのかもしれませんが、まあ、
薫にすれば、このほうが有難いですよね。

一方の匂宮は、三日目の夜、宮中で母・明石中宮からお説教されます。
「いつまでも独身でプレイボーイの評判を取って、勝手気儘にし過ぎです。
帝(匂宮の父)もご心配になって、お小言をおっしゃっていますよ」と。

第19帖「薄雲」で、あんなにあどけない3歳の女の子だったのが、40年後、
息子の恋愛に干渉する母親となっています。これが女三宮だったら、何も
口出ししたりはしないでしょう。

頼りない母親と、しっかり者の母親。こういう場合は前者のほうが、息子に
とっては気が楽でしょうね。


第39帖「夕霧」に入る

2022年1月11日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算155回 統合105回)

2日連続で会場での講座があるのは、コロナ禍ではなくても珍しい
のですが、オミクロン株の急拡大で、やるか止めるか、というような
状況の中、昨日の溝の口に続き今日も高座渋谷まで出掛け、対面
での講読会を行ってまいりました。

第39帖「夕霧」は、直接的には第37帖「横笛」から続く話で、これ迄
脇役の座に甘んじてきた夕霧(これもこの巻名に因んで後世の人に
よってつけられた呼称)が、主人公として語られる巻です(巻名と呼称
を区別するため、巻名には「 」をつけます)。

「まめ人の名を取りて」(真面目人間という評判を取って)という書き出し
で「夕霧」の巻は始まりますが、夕霧は、我々読者にとっても「まめ人」
との印象の強い人です。初恋の人・雲居雁と引き裂かれた後も、他の
女君とは結婚せず、6年間辛抱強く待って、この純愛を成就させました。
また「野分」の巻で、紫の上のあまりの美しさに胸キュンとなっても、
父・源氏のように、義母と密通したい、などという大それた思いを抱く
ことはありませんでした。

その夕霧が、亡き親友(柏木)の妻・落葉の宮に恋をし、紆余曲折を
経たのち、遂に彼女を強引に手に入れてしまうまでの過程が、冗長と
感じられるほど丹念に描かれているのが「夕霧」の巻です。

『源氏物語』には二人の代表的な「まめ人」が登場します。一人はこの
夕霧。もう一人は「宇治十帖」での薫です。「まめ人」の恋の共通点は
「不器用さ」で、「まめ人の不器用な恋・その1」となるのが「夕霧」の巻
です。

誤解が更なる誤解を生む、という中で展開するストーリーを追いながら、
この先数ヶ月(コロナに妨げられて、休講とならないよう祈りつつ)、
高座渋谷クラスの皆さまとご一緒に「夕霧」の巻を読み進めていきたい
と思います。

約2年ぶりの溝の口での対面講座

2022年1月10日(月)溝の口「紫の会」(会場クラス)(第51回)

今日は「成人の日」。数日前までは雨マークも付いていたのですが、
快晴とまではいかないものの、雨の心配はないお天気になって、
良かったですね。一昨日の夜、開催と決まった溝の口「紫の会」の
対面での講読会に出かけたので、何人かの晴れ着姿の新成人を
見かけました。マスクを付けた晴れ着姿も、後になれば思い出と
なって残ることでしょう。

まだ三が日の頃までは予想もつかなかったコロナの感染急拡大に、
昨日の朝の段階で、参加者が過半数に満たないなら、やはり代表の
方にお話しして中止にしていただこう、と考えておりましたが、21名中
12名の方がご参加とのことで、一方ではビクビクしながら、また一方
では、約2年ぶりに皆さまとお目にかかれるワクワク感を抱きながら
溝の口へと向かいました。

電車も換気のため窓が開けてありましたし、往復座れたので、何かに
手を触れることもなく済みました。会場の部屋も出入口が2ヵ所あり、
その両方が開けたままでしたし、ソーシャルディスタンスも、定員50人
に対し私も含め13人で、十分過ぎるほどでした。

持参した飲み物を口にする時以外はマスクを外さず、終わってからの
テーブルの消毒なども、皆さま丁寧になさっておりました。

3ヶ月のCD講座の後だけに、やはり直にお顔を見ながら話せることの
喜びは一入でしたが、それでもこの先、更に感染が拡大した場合には、
会場での開催はまた難しくなるかもしれません。

オンラインクラスに少しでも追いつきたい、と思うので、従来よりも30分
時間を長くしましたが、最終的には2時間45分という、長丁場になって
しまいました(この辺り、2年経っても少しも変っていない私のおバカさん
ぶりです)。

講読したのは、第11帖「賢木」の桐壺院崩御後の人々の動向について
書かれている箇所で、この内容にまで触れていると、長くなり過ぎるので、
オンラインで講読した時の記事(⇒こちらこちら)と、全文訳(「賢木」(7)
「賢木」(8)賢木(9)」でご覧いただければ、と思います。

次回からは、「賢木」の巻の第3ポイント「藤壺の出家」に繋がるところに
入っていきます。


今月の光琳かるた

2022年1月7日(金)

昨日は日暮れ時まで冷たい雪が降り続き、今日もまだあちらこちらに
白い雪が残っています。それでもお天気はすっかり回復し、青空から
降り注ぐ明るい日差しが心地よい一日となりました。

今年最初の「光琳かるた」は、元日にかるた取りをした時に決めました。

下の孫が「絶対に取る」と決めている札は「これやこの~」「ちはやぶる~」
「きりぎりす~」の3枚です。1回戦では同じチームだったこともあり、順調に
3枚全部getしたのですが、2回戦ではことごとくお兄ちゃんに取られてしまい
ました。私が「末の松山波越さじとは~」と読んだ時、お調子者の下の孫は
「こさじは5g量るもの~」などとダジャレを口にしていたので、「それじゃぁ、
次までに覚えて、必ず取れるようにしておいで」と、上の孫が覚えていない
この歌をレパートリーに加えておくように言いました。

そういえばまだ「今月の光琳かるた」で取り上げていないし、下の句の札に
描かれている絵も松で、1月には相応しいかと思い、この歌を紹介すること
にしたのです(前置きが長くてすみません)。

「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」
                       四十二番・清原元輔
     光琳かるた・42番
(約束しましたよね。お互いに涙に濡れた袖を絞りながら、末の松山を
 決して波が越えることはないように、二人の愛は変わらないと。なのに
 あなたは・・・)

作者・清原元輔は、「梨壺の五人」の一人として、勅撰集である『後撰集』の
撰者を務めた歌人として有名ですが、それ以上に知られているのは、あの
『枕草子』の作者・清少納言の父である、ということでしょうか。

「末の松山波越さじ」というのは、恋人同士が決して心変わりはしない、と
いう誓いの言葉なのですが、これは『古今集』の次の歌に基づくものです。

「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(あなたを差し
おいて浮気心を私が持つようなことがあれば、末の松山をも波が越えて
くるに違いない)

貞観11年(869年)、陸奥国の東方沖を震源とする巨大地震が発生しました
(東日本大震災と同じですね)。この時も、押し寄せた津波で多賀城(宮城県)
一帯は、海のようになったとのことですが、「末の松山」だけは水没せずに
残ったので、あり得ない出来事を「末の松山を波が越す」と言うようになったと、
伝えられています。それを証明するかのように、2011年の東日本大震災の
大津波も、「末の松山」までは達することがなかったそうです。


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