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それぞれの立場でのそれぞれの思い

2022年2月28日(月) 溝の口「CD源氏の会」(第10回・通算150回)

2月も今日でお終い。つまり1年の1/6が過ぎ去ったということですね。
年明けとともにコロナの第6波が押し寄せて来て、この1ヶ月半程は、
また巣ごもりに徹した日々を送ってまいりました。それでも時の流れ
は変わることなく、というより、いっそう速くなっている気がするのは
私だけでしょうか?

来月までの予定のCD「源氏の会」ですが、月に2回のペースでやって
おりますので、オンラインクラスとの差も随分と縮まり、第47帖「総角」
も残り1/4程度のところまで読み進みました。

中の君と結ばれた匂宮ですが、思うように宇治へ通うことも出来ない
ので、「紅葉狩」を口実に、中の君との逢瀬を楽しむつもりで、宇治へ
と逍遥にお出かけになりました。ところがそれを知った母・明石中宮が
大勢の供人を派遣してこられたため、匂宮は身動きが取れなくなり、
結局中の君の許を訪れることなく、京へお帰りになってしまいました。

その後、この事件を巡って、それぞれの立場での思いが語られている
のですが、宇治十帖の心理小説的な面白さを存分に味わえる箇所と
なっていますので、大君、中の君、薫、中宮、匂宮、の順でご紹介して
おきたいと思います。

先ずは宇治側の立場で、大君から。大君は今回のことで、匂宮ほどの
高貴なお方でもこんな身勝手な行動を取られた(都の論理からすれば、
宇治へ出掛けることのほうが身勝手な行動なのですが)と思い込み、
男性全てに対しての不信感を強くして、自分も薫と結婚すれば、同様の
裏切りに遭うに違いない、と考えています。宮家としての矜持を保てなく
なる「人笑へ」(世間の物笑いの種)となることに気を病み、拒食症に
陥ってしまいました。

では当事者である中の君はどうでしょう。もちろんすぐ傍まで来ながら、
素通りされてしまったショックは隠しきれないのですが、そこには既に
夫婦としての信頼関係も芽生えており、「おぼつかなきも、わりなき障り
こそはものしたまふらめ」(案じられてならないものの、よんどころのない
差し障りがおありになったのだろう)と、自らを慰めようとしていました。

京側の人たちは、というと、薫は、匂宮と夕霧の六の君との縁談の噂も
耳にし、自分が匂宮と中の君を結び付けたことを後悔し始めています。
こんなことになるのなら、匂宮に譲ったりせず、大君も、中の君も、自分
のものにすればよかった、と。「えっ、そんなのあり?」と今の私たちは
思いますが、神話などでも姉妹と同時に結婚する話はあり、当時の人は
さほど違和感を覚えなかったのでしょう。

匂宮の母である明石中宮は、「御心につきておぼす人あらば、ここに参
らせて、例ざまにのどやかにもてなしたまへ」(気に入っている人がいる
なら、私の所に仕えさせて、普通に穏やかにお扱いなさい)と、中の君を
中宮の女房にして情けをかければよい(つまり召人にしなさい)、と完全
に上から目線です。

匂宮は、中の君を召人待遇にする気などはさらさらなく、むしろ自分が
将来即位するようなことになれば、中宮の座に据えてやりたい、とまで
思っています。それでも、両親に禁足を命じられ、姉の女一宮のもとで
つれづれを紛らわし、そこの女房にちょっかいなど出して過ごしておられ
ました。

宇治の姫君たち、とりわけ大君の命をすり減らすまでの心痛を思う時、
京側の立場にある人たちの思いには、腹立たしさも感じますが、これが
それぞれ置かれた立場の違いというものなのでしょう。

今のウクライナ情勢を引き合いに出すのもズレているかもしれませんが、
自分と逆の立場にある人の心に少しでも寄り添う気持ちが持てたなら、
戦は避けることが出来るのではないかと、この場面を読みながらふと思い、
CDにもそんな話を録音してしましました(-_-;)


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「白イチゴ」

2022年2月26日(土)

ようやく「名のみの春」からの脱出時がやって来たようです。

イチゴの色は?と訊かれると、通常思い浮かぶのは「赤」、
ですよね。

でも、昨年の2月(もう1年前になりますね)に、訪問先のブログ
で紹介されている記事を見て、それ以来ずっと気になっていた
のが「白イチゴ」です。

スーパーでたまに見掛けることはあっても、お値段も普通の
赤いイチゴの倍くらいしますし、やはり「イチゴは赤」という
固定観念に邪魔されて、これまで手を出せずにおりました。

それが昨夕、ちょっと離れたスーパーへ行ったら、白イチゴが
赤いイチゴとあまり変わらないお値段で売られていました。
「おススメです」と書かれた札も添えられているし、ハイ、やっと
買いました!

今朝、早速食べてみました。先日頂戴した「あまりん」のような
凝縮した旨味はありませんが、そこそこ甘く、酸味とのバランスも
悪くはありません。赤いイチゴと紅白で、おめでたい時に使うのも
よいかな、と思います。

     白イチゴ①
        佐賀県産。「白桜」と書かれています。
    
     白いちご②
 見た目は少し硬そうに見えますが、食べると柔らかいです。       


「須磨」の巻のモチーフとなっている歌

2022年2月24日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第19回・通算66回・№2)

この厳しい余寒も今日まで、との天気予報が嬉しく感じられます。
3回目のワクチン接種の副反応もすっかり治まって、今日はいつも
と変わらず、オンラインクラスの皆さまと、楽しく『源氏物語』を読み
ました。

今月、来月は、第3月曜日と第4木曜日が同じ週になるのですが、
オンライン「紫の会」は両クラス共、第12帖「須磨」に入りました。

第3月曜日のほうで、源氏が須磨への退去を決意するまでの経緯を
述べましたので、今日は作者紫式部が、この巻きを執筆するに当たり、
モチーフにしたであろうと思われる歌をご紹介しておきます。

「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ」
(もしたまさかにでも、私のことを問う人があったなら、須磨の浦で涙を
流して侘しく暮らしていると答えておくれ)(在原行平・『古今集』巻18)

『古今集』には次のようなこの歌の詞書があります。「田村の御時に、
事にあたりてつの国の須磨といふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに
侍りける人につかはしける」(田村の御時=文徳天皇の御代に、何か
事件に関係して、摂津の国の須磨という所に謫居しておりました時に、
宮中におります人に遣わした歌)。

この詞書と歌が、源氏の須磨での侘び住まいそのものと言っても
過言ではなく、逆にこれが無かったなら、紫式部は源氏の須磨流謫を
『源氏物語』に取り入れることは思いつかなかったかも知れない、と
考えられます。

「わくらば」というと、通常「病葉(朽ちた葉)」を思い浮かべますが、この
場合の「わくらば」は、漢字で書くと「邂逅」で、意味は「たまさか・まれ」
となります。「藻塩垂る」或いは「塩垂る」は、海藻の表面に海水を掛け、
塩を晶出させる時に、水分がポタポタと落ちる様子から、涙を流して
泣く例えとしてよく使われました。

行平がいつ、どんな事件があって、須磨に謫居したかは、はっきりと
わかっていませんが、おそらく850年代の前半であろうと思われるので、
『源氏物語』が書かれた時点より150年位前の出来事だったようです。

行平と須磨との話は、「今月の光琳かるた」でもご紹介しておりますので、
そちらをご参照頂ければ、と思います(⇒こちらから)。

本日の講読箇所の全文訳につきましては⇒こちらから


第12帖「須磨」の全文訳(2)

2022年2月24日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第19回・通算66回・№1)

第3月曜日のクラス同様、今月からこちらのクラスも第12帖「須磨」に
入りました。本日は、講読箇所(201頁・1行目~205頁・11行目迄)の
後半部分(203頁・12行目~205頁・11行目)の全文訳を書きます。
前半部分は、2/21の全文訳でご覧ください(⇒こちらから)。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


ご出発の二、三日前に、夜に紛れて源氏の君は致仕大臣(もとの左大臣)邸
をお訪ねになりました。粗末な網代車に乗って、女車を装って隠れてお入りに
なるのも、たいそうしみじみと悲しく、こんなみじめな形で致仕大臣邸を訪問
するなんて、まるで夢を見ているようだと思われます。

葵の上と過ごした部屋は、見るからに寂し気で荒れた感じがして、若君(夕霧)
の乳母たちや、葵の上に仕えていた女房の中で、お暇を取らずにいる者は皆、
こうして源氏の君がお出でになったのを珍しく思って集まって来て、源氏の君を
拝見するにつけても、大してわきまえがあるわけでもない若い女房たちまでもが、
世の無常を思い知らされて、涙にくれておりました。若君はとても可愛らしくて、
はしゃいで走ってこられました。「長らく会わずにいたのに私を忘れないのは
感心なことだ」と言って、膝にお抱きになるご様子に、皆、涙を堪えられない様
でございました。
 
致仕大臣がこちらへいらして、源氏の君とお会いになりました。「所在無く引き
籠っておられるところに、何ということもない昔話でも、二条院へとお伺いして
申し上げようと存じておりましたが、我が身の病が重いという理由で、朝廷にも
出仕せず、左大臣の位も返上申し上げましたのに、私事では勝手に出歩いて
いると、世間の評判も悪く取り沙汰されそうですので、もう今は退官しており、
世の中に気兼ねをせねばならない身でもございませんが、厳しい世間がひどく
恐ろしいのでございます。このようなあなたの悲運を拝見するにつけましても、
長生きはいとわしく思われる世の末でございますよ。天と地を逆さまにしても、
こんなことになろうとは思いも寄らなかった今のご様子を拝見いたしますと、
万事がまことに不愉快でなりません」と、申し上げなさって、ひどく涙にくれて
いらっしゃるのでした。
 
「どんなことでも全て、前世からの報いでございますので、結局は私の至らなさ
のゆえでございます。特別な理由で官爵を取り上げられることもなく、たいした
ことのない咎にかかわった場合でさえ、朝廷のお咎めにより謹慎している者が、
いつもと変わらぬ様子で生活しているというのは、罪の重いことだと異国でも
しているとのことですので、遠流に処すべきだとの決定もあると耳にもいたし
ますし、特別な重罪に当たることになっているのでしょう。良心に恥じることは
ないのだからと、素知らぬ顔で日を送りますのもたいそう気の引けることが多く、
今以上の大きな辱めを受けぬ先に、都の生活から身を引こうと思う気持ちに
なりました」などと、切々と致仕大臣に申し上げなさいました。


「3回目のワクチン接種」と「甘酒」

2022年2月23日(水)

一昨日のオンライン講座の後、新型コロナの3回目のワクチン接種を
受けて来ました。2回目の時は翌日に高熱が出たので、今回もそれは
覚悟していました。当日は、夜ブログの更新をしている間に腕の痛み
が出てきましたが、この程度の副反応なら、何ともありません。それが
寝床に入って、まだ寝付けない時からムカムカし始め、段々と強くなり、
「イヤだ、どうしよう。いっそ吐いてしまったほうが楽になるかしら?」と
思いながらも、必死に我慢し続けました。一睡も出来ないでいるうちに
夜が明けて、それでも吐き気は治まらす、お昼近くになって、ようやく
水分が取れるようになり、そのうち吐き気を感じなくなりました。

逆に今回発熱のほうは38度まで届かず、解熱剤のお世話にもならずに
済みました。想定外の副反応に見舞われましたが、回復は前回よりも
早く、今日はもう普通に家事もこなせ、夕食後に甘酒も作りました。

もう20日ほど前に、「甘酒」の作り方を紹介しておられるブログを拝見して、
ちょうど粕汁を作った残りの酒粕を冷凍していたので、すぐに作るつもり
だったのですが、例によってグズグズと重い腰。でも、本日、その方の
ブログに、再度甘酒をお作りになったとの記事が・・・。「今ですよ」の声が
聞こえてきました。手間のかかる酒粕を溶かすところで、フードプロセッサー
を使ってしまった手抜きの甘酒です(-_-;)

       甘酒①
     出来立てのホヤホヤ。思っていたよりも沢山できました。
      
       甘酒②
     早速湯呑に注ぎいただきま~す。濃さも甘さも程よくて、
     しばらくの間「甘酒」が楽しめそう。      


源氏、須磨への退去を決意

2022年2月21日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第19回・通算66回・№2)

今回から「紫の会」のオンラインクラスは、第12帖「須磨」に入りましたが、
「須磨」の巻はひと言で言うなら、「光源氏の人生のどん底-須磨流謫-
が語られる巻」ということになりましょう。

青年源氏の最も輝いていたのが「紅葉賀」~「花宴」にかけての18歳~
20歳の頃。21歳の時に父・桐壺帝が退位して、源氏の異母兄・朱雀帝
の御代となります。源氏不遇時代の幕開けともなったわけですが、まだ
桐壺院のご在世中は、その御威光に護られて安泰な日々を送ることが
出来ました。ところが源氏23歳の年(第10帖「賢木」)、桐壺院が崩御。
政治の権力は、一気に朱雀帝の外祖父・右大臣と、その娘で、朱雀帝の
母である弘徽殿の大后の掌握するところとなりました。源氏はもとより、
これ迄桐壺院とタッグを組んで、政界の中心に君臨していた左大臣への
風当たりも強くなり、左大臣はその位を返上して隠居してしまいました。

こうした中で源氏は、政敵右大臣の娘であり、朱雀帝が最も寵愛している
朧月夜との密会を重ね、ついにその現場を右大臣に押さえられて、それを
知った弘徽殿の大后の怒りは頂点に達しました。これが源氏25歳の夏の
出来事で、「須磨」の巻は翌年(源氏26歳)の晩春から始まります。

既に源氏は官位を剥奪されており、このままでは流罪が決定しそうだと
いうことで、自ら須磨へと退き、災禍が東宮にまで及ばぬ配慮をしたの
でした。

では、源氏はなぜ自発的退去先として須磨を選んだのでしょうか。先ず、
「人しげく、ひたたけたらむ住まいは、いと本意なかるべし」(人の大勢
いる賑やかな所の住まいは不本意であろう)と考えます。これは当然
ですよね。でも「都を遠ざからむも、故里おぼつかなかるべき」(都から
遠く離れてしまうのも、京のことが気がかりでならないであろう)、と、
散々悩んだ末に選んだのが「須磨」でした。

「須磨」は「摂津の国」の西の境に位置しています。「摂津の国」は「畿内」
です。これが「明石」となると、もう「畿内」ではない「播磨の国」となります。
今の我々からすれば、「須磨」も「明石」もさほど違いがあるようには思え
ないのですが、当時の都人からすると、「畿内」か「畿外」かでは、大きく
異なっており、源氏が上記の基準に照らし合わせた時、条件に一番合う
のが「須磨」だった、ということになるのでしょう。

「須磨」の巻の前半は、京に残る人々に源氏が別離の思いを伝える場面
が中心となり、後半は須磨での源氏の生活と、それに伴う心情が、情感
豊かに描かれています。

「須磨返り」と言って、「須磨」の巻まで来ると、『源氏物語』を読むのに挫折
してしまう現象があるそうなのですが、それは勿体ない!確かにこの先は
まだ長いし、「もういいや」という気になるのかもしれませんが、読めば読む
ほど面白くなるのが『源氏物語』なのですから、「須磨返り」とは無縁で、
読み進めていただきたいと思います。


第12帖「須磨」の全文訳(1)

2022年2月21日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第19回・通算66回・№1)

「紫の会」のオンラインクラスは、今月から第12帖「須磨」に入りました。
今日は「須磨」の巻の概説にかなりの時間を割きましたし、また私事で
申し訳なかったのですが、3回目のワクチン接種に早めに来て欲しいと、
予約したクリニックから連絡があり、時間延長は全くできない状況だった
ので、読んだのは201頁・1行目~205頁・11行目迄と、少なめです。
その前半部分(201頁・1行目~203頁・11行目)の全文訳となります。
後半部分は、第4木曜日(2/24)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


世の中の情勢がとても煩わしく、具合の悪いことばかりが増えていくので、
無理に素知らぬふりをして過ごしていても、これよりも酷いことになるかも
しれない、と源氏の君は思われるようになりました。あの須磨は、昔こそ
都の貴人の別荘などもあったけれど、今は、たいそう人里離れ物寂しくて、
海人の家さえ稀になっている、とお聞きになるけれど、人が多く賑やかな
場所の住まいは、とても不本意でありますし、だからと言って、都を遠く
離れるのも、京のことが気がかりでならないだろうと、人目に具合が悪い
ほど、思い乱れておられました。
 
すべてのことを、過去未来について思い続けなさると、悲しいことがとても
様々にあるのでした。辛いものだと思い捨てた世の中も、今はこれ迄、と
住み慣れた都を離れてしまうのだとお思いになると、とても捨て難いことが
沢山ある中でも、紫の上が、明け暮れ日が経つにつれて一層思い嘆いて
おられるご様子が、おいたわしく可哀想で、別れても巡り巡ってまた必ず
逢える、とお思いになるにしても、やはり一日、二日の間、紫の上と別々に
過ごす時々でさえ、気掛かりなものに思われ、紫の上も、ひたすら心細く
思っておられるのに、何年間、どれ位の間、という期限のある旅路という
訳でもなく、再会を誓って別れて行くのも、無常の世なのだから、そのまま
永遠の別れとなる旅立ちにでもなりはしないかと、源氏の君は大層悲しく
思われるので、こっそりと一緒に連れて行こうか、と思い寄られることも
ありますが、あのような心細い海辺の、波風より他に訪れる人もなさそうな
所に、こんなにもいじらしいご様子の方を、お連れなさるというのも、大層
不似合いで、ご自分の気持ちとしても、却って思い悩む種になるであろう、
などと思い返されるのを、紫の上は、「どんなに辛い旅路でもお連れ頂ける
のでさえあれば」と、それとなく仄めかして、恨めしそうにお思いになって
おりました。
 
あの花散里にも、源氏の君がお通いになることはたまさかでありますが、
心細く、物寂しいお暮しぶりなのを、源氏の君のご援助に頼って過ごして
いらっしゃるので、思い嘆かれるご様子もごもっともなことでございました。
おたわぶれ程度でも、ほんの僅か逢って契りを交わされた女君たちは、
密かな物思いに心を乱される方々が多いのでした。

藤壺からも、世間の噂はまたどんなふうに取り立てることであろうかと、
我が身のために警戒なさっているものの、人目を忍びながらお見舞い
のお手紙が途絶えなくありました。昔、こんな風に、互いに心を通わし、
しみじみとしたお気持ちをお見せくださっていたならどんなに嬉しかった
であろうに、と、源氏の君がふと思い出されるにつけても、このように様々、
ただ物思いの限りを尽くさねばならない、藤壺とのご縁だったのだなぁ、
と源氏の君は辛く思い申し上げておられました。

三月二十日過ぎの頃に、都をお離れになりました。世間には、いつご出発
ともお知らせにならず、ただお傍にお仕えし慣れた者だけを七、八人、お供
として連れて、とてもひっそりとご出発になりました。しかるべき女君たちに、
お手紙だけをそっと差し上げなさいましたが、相手の女君が、切なく偲んで
くださるように言葉を尽くしてお書きになったお手紙は、きっと拝見し甲斐も
あったにちがいないでしょうが、その折は気が動転していて、はっきりと
聞いて置かないままになってしまいました。


「源氏物語のあらすじ」・・・第11帖「花散里」

2022年2月19日(土)

午前中は薄陽が差していたのですが、午後になると雲が広がり始め、
関東南部のこの辺りはこれから雨になるとの予報です。相変わらず、
厳しい余寒も続いています。

明後日(2/21)のオンライン「紫の会」では、今月から次の第12帖「須磨」
に入ります。またギリギリのタイミングとなってしまいましたが、ここで
第11帖「花散里」の粗筋をまとめておきます。「花散里」は短い巻なので、
粗筋はこの1回だけです。

全文訳では、2021年11月25日の「花散里」(1)、12月23日の「花散里」(2)
2022年1月27日の「花散里」(3)に該当する部分となります。

「源氏物語のあらすじ」・・・第11帖「花散里」は⇨⇨こちらから


「バスク風チーズケーキ」と「如月の望月」

2022年2月17日(木)

先日来、訪問先のブログで「あんりんパイ」(あんことりんごのパイ)、
「アップルパイ」と、次々美味しそうなパイを焼いておられる記事を
拝見し、昨秋の「洋梨のタルト」から一度もお菓子作りをしていない
私も大いに刺激を受け、「やっぱりバスク風チーズケーキだけは
作ろう」と、やっとこさ重い腰(見かけ上の話ではありませんよ)を
上げました。

実を言うと、夏にバスク風チーズケーキを作った際、とても簡単で
しかも美味しいのが気に入って、また作ろう、とスーパーでチーズ
が20%OFFの時を狙ってクリームチーズを買い込んだのでした。
ところが10月以降、仕事が忙しくなったこともあり、ずっとそのまま
冷蔵庫に入れっ放し。暫く前に確認したら、「あらっ、賞味期限が
近い!」で、取り敢えず生クリームを買って材料を揃えたのですが、
それでもすぐに作らないでいたところ、ブロ友さん達の美味しそうな
パイの記事、となった次第です。

    20220217チーズケーキ
    焼いたのは昨夜。一晩冷蔵庫で寝かせて今日カット。
    ボール一つで、あとの洗い物も楽なケーキ。今はまた
    作ろう、という気になっています(笑)


今夜は「如月の望月」。昨日も、暗くなり東南に面した窓のカーテン
を閉めようとしたところ、群青の空に浮かんだ月があまりにも綺麗
だったので、しばし見惚れておりました。西行の「願はくは花の下にて
春死なんそのきさらぎの望月のころ」(この歌については「今月の
光琳かるた」をご参照ください⇒こちらから)が思い出されたりして
いたのですが(もっとも西行のいう如月は旧暦ですので、2022年に
当てはめるなら3月18日のことになりますが)、今日18:30頃、やはり
同じ窓から眺めると、昨夜よりも大きくて赤味を帯びた月がまだ低い
位置に見えました。2時間ほど後、もう一度見ると、今度は空高く、
色はお月様らしい色に戻って、明るく夜の街を照らしていました。

      20220217満月①
       18:30頃の月。写真がお粗末で残念ですが、
       実際にはもっと朱色がかった月でした。

      20220217満月②
       こちらが20:30頃の月。うーん、こういう時、
       写真の上手な人が傍にいてくれたら、と
       思いますね。


何としても守りたいものがある

2022年2月14日(月) CD「紫の会」(第4回 通算52回)

先月はオミクロン株の感染が急拡大中でしたが、それでもギリギリ
会場での対面講座を実施することができました。その後、更に拡大
し続けましたが、ここへ来て、ようやく減少に転じ始めたようです。
ただ「まん延防止等重点措置」も延長が決まり、まだまだ数としては
とても多い状況ですので、「紫の会」も、今月と来月の2回、再びCD
に戻して、4月から会場での再開、ということになりました。

第10帖「賢木」も丁度半分位の所まで来ました。桐壺院が崩御され、
藤壺が実家である三条の宮に戻ったことで、源氏はあの「若紫」の
巻での密会の後、心のうちに抑え込んで来た藤壺への思慕の念を
再燃させ、遂に藤壺の許へと忍び込むに至ったのでした。

でも、藤壺は嘗ての藤壺ではありません。源氏との密通があったと
お疑いになることもなく、東宮の後ろ盾にしようと、自分を中宮の座に
据えてくださった桐壺院への申し訳なさにも苛まれ続けてきた藤壺は、
ただ東宮を守ることだけが生きる道、と考えるようになっていたのです。

そこへ持って来て源氏の懸想。今回は何とか難を逃れることが出来た
ものの、この先同じような事態が生じた時、逃れ切れるとは限らないし、
何よりも、誰かに知られ世間の噂に上るようになったら、東宮を廃太子
にするチャンスを虎視眈々と狙っている弘徽殿の大后の思う壺に嵌る
ことになってしまう。それだけは避けたいと願う藤壺に残された道は、
この俗世を捨てて尼になる「出家」しか考えられないのでした。

ここから藤壺は女であることを捨て、母としてのみ生きていくことになり
ますが、「女は弱し、されど母は強し」の言葉通り、強い母へと変身を
遂げることになります。

実際の藤壺出家の場面は、「賢木」の巻も終盤に近づいてからなの
ですが、「賢木」の巻の第3ポイント「藤壺の出家」は、ここから始まった、
と言ってよいと思います。


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