北欧ヴィンテージ食器
2022年4月30日(日)
GW初日の昨日はひどい雨の一日となりましたが、今日は打って変わって
雲一つない青空が広がりました。
ブロ友さんとのコメントの遣り取りで、息子さんのお嫁さんが、南町田の
「グランベリーパーク」に隣接する公園で開催されるフリーマーケットに
出店なさると伺い、行ってみたいと思いました。
「グランベリーモール」が「グランベリーパーク」になってもう数年が経ち
ます(コロナ禍の前です)。電車に乗れば5分程で行ける所であるにも
拘わらず、これ迄一度も行かずにおりました。地元の人たちにそれを
話すと、「ええっ、一度も行ってないの?」と一様に驚かれるのですが。
今日はご近所にお住まいで、「グランベリーパーク」にはよく足を運んで
おられるお友達と一緒に出掛けましたが、凄い人出で圧倒されました。
一人だったら道に迷ったかもしれませんが、「先達」がいて下さったので、
目的地にもすんなりと到着できました。
お店もすぐにわかりました。北欧ヴィンテージ食器を扱っておられ、私も
北欧はその昔訪ねたこともあり、食器など、気に入って使っている物も
あるので、興味を持って一つひとつを見せていただきました。丁寧に
感じのよい応対をしてくださり、残念ながらブロ友さんとは一足違いで
お会いできませんでしたが、素敵なスープ皿を1枚購入してまいりました。
もう1枚欲しかったのですが、数日前から背中と腰に痛みが出ていて、
重くなるのは困ると思い、最初から諦めておりました。
これは、洋風スープだけではなく、何にでも合いそうな気がしましたが、
やはり当たりでした!今夜は天ぷらとお蕎麦のメニューにしたので、
お蕎麦を盛り付けてみましたが、いい感じです。

和・洋・中、いろんなシーンに使えそうで、やっぱり
もう一枚欲しいなぁ。
GW初日の昨日はひどい雨の一日となりましたが、今日は打って変わって
雲一つない青空が広がりました。
ブロ友さんとのコメントの遣り取りで、息子さんのお嫁さんが、南町田の
「グランベリーパーク」に隣接する公園で開催されるフリーマーケットに
出店なさると伺い、行ってみたいと思いました。
「グランベリーモール」が「グランベリーパーク」になってもう数年が経ち
ます(コロナ禍の前です)。電車に乗れば5分程で行ける所であるにも
拘わらず、これ迄一度も行かずにおりました。地元の人たちにそれを
話すと、「ええっ、一度も行ってないの?」と一様に驚かれるのですが。
今日はご近所にお住まいで、「グランベリーパーク」にはよく足を運んで
おられるお友達と一緒に出掛けましたが、凄い人出で圧倒されました。
一人だったら道に迷ったかもしれませんが、「先達」がいて下さったので、
目的地にもすんなりと到着できました。
お店もすぐにわかりました。北欧ヴィンテージ食器を扱っておられ、私も
北欧はその昔訪ねたこともあり、食器など、気に入って使っている物も
あるので、興味を持って一つひとつを見せていただきました。丁寧に
感じのよい応対をしてくださり、残念ながらブロ友さんとは一足違いで
お会いできませんでしたが、素敵なスープ皿を1枚購入してまいりました。
もう1枚欲しかったのですが、数日前から背中と腰に痛みが出ていて、
重くなるのは困ると思い、最初から諦めておりました。
これは、洋風スープだけではなく、何にでも合いそうな気がしましたが、
やはり当たりでした!今夜は天ぷらとお蕎麦のメニューにしたので、
お蕎麦を盛り付けてみましたが、いい感じです。

和・洋・中、いろんなシーンに使えそうで、やっぱり
もう一枚欲しいなぁ。
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これも組み込まれた伏線?
2022年4月28日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第21回・通算68回・№2)
『源氏物語』には、これから展開していく物語の伏線となる記述が
随所に組み込まれていて、後になると「なるほどね」と思わせられる
ことも多々あるのですが、今回講読した箇所にもそれが見られます。
源氏は須磨への下向を二、三日後に控え、先ずは致仕大臣(元の
左大臣)邸に赴き、次の夜は花散里の許へとお出でになりました。
桐壺院亡き後、源氏の庇護によって暮らして来た麗景殿の女御と
その妹の三の君(のちに花散里と呼ばれる女君)にとって、源氏が
京を離れて須磨へと行ってしまうのは、どんなに心細く思われた
ことだったでしょう。
源氏と三の君(花散里)は、二人で空に浮かぶ有明の月を眺めて
別れの夜を過ごします。やがて鶏も鳴き、源氏は人目を憚って、
急ぎお帰りになりますが、そこで花散里が悲しみを吐露した歌を
詠みます。
「月かげのやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬ光を」
(月光の映る私の袖は狭い小さなものですが、引き留めてみたい
ものです。その見飽きることのない光を)
月かげ(月光)は源氏、袖は花散里自身を譬えたもので、「数にも
入らない私ではありますが、あなたをお引き留めしとうございます」
という意を表しています。
そんな花散里が哀れで、源氏は慰めの返歌をします。
「ゆきめぐりつひにすむべき月かげのしばし曇らむ空なながめそ」
(大空をゆき巡って、最終的には澄む月の光が、しばらくの間曇る
だけですから、空を眺めて物思いに耽ったりなさいますな)
「すむ」は「澄む」と「住む」の掛詞で、この源氏の歌も、月の光は
源氏自身の譬えとなっていますので、「京を離れるのはしばらくの
ことで、時が来ればあなたの許へと戻って来て暮らすのだから、
そんなに嘆かないで」と言っていることになります。
単なるこの場での源氏のリップサービスと取れないこともないの
ですが、将来、花散里は六条院の夏の町の女主人に据えられる
立場となります。その構想も出来上がった上でのこの歌だとすると、
これも見事な伏線の一つ、と言えようかと思います。
先に書きました本日の全文訳は、この花散里の邸の訪問場面と
なっておりますので、詳しくはこちらをご覧頂ければ、と存じます。
『源氏物語』には、これから展開していく物語の伏線となる記述が
随所に組み込まれていて、後になると「なるほどね」と思わせられる
ことも多々あるのですが、今回講読した箇所にもそれが見られます。
源氏は須磨への下向を二、三日後に控え、先ずは致仕大臣(元の
左大臣)邸に赴き、次の夜は花散里の許へとお出でになりました。
桐壺院亡き後、源氏の庇護によって暮らして来た麗景殿の女御と
その妹の三の君(のちに花散里と呼ばれる女君)にとって、源氏が
京を離れて須磨へと行ってしまうのは、どんなに心細く思われた
ことだったでしょう。
源氏と三の君(花散里)は、二人で空に浮かぶ有明の月を眺めて
別れの夜を過ごします。やがて鶏も鳴き、源氏は人目を憚って、
急ぎお帰りになりますが、そこで花散里が悲しみを吐露した歌を
詠みます。
「月かげのやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬ光を」
(月光の映る私の袖は狭い小さなものですが、引き留めてみたい
ものです。その見飽きることのない光を)
月かげ(月光)は源氏、袖は花散里自身を譬えたもので、「数にも
入らない私ではありますが、あなたをお引き留めしとうございます」
という意を表しています。
そんな花散里が哀れで、源氏は慰めの返歌をします。
「ゆきめぐりつひにすむべき月かげのしばし曇らむ空なながめそ」
(大空をゆき巡って、最終的には澄む月の光が、しばらくの間曇る
だけですから、空を眺めて物思いに耽ったりなさいますな)
「すむ」は「澄む」と「住む」の掛詞で、この源氏の歌も、月の光は
源氏自身の譬えとなっていますので、「京を離れるのはしばらくの
ことで、時が来ればあなたの許へと戻って来て暮らすのだから、
そんなに嘆かないで」と言っていることになります。
単なるこの場での源氏のリップサービスと取れないこともないの
ですが、将来、花散里は六条院の夏の町の女主人に据えられる
立場となります。その構想も出来上がった上でのこの歌だとすると、
これも見事な伏線の一つ、と言えようかと思います。
先に書きました本日の全文訳は、この花散里の邸の訪問場面と
なっておりますので、詳しくはこちらをご覧頂ければ、と存じます。
第12帖「須磨」の全文訳(6)
2022年4月28日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第21回・通算68回・№1)
4月も余すところ僅かとなり、明日からはGWに入ります。今年もコロナ禍
から解放されないまま、もう1年の1/3が終わってしまうの?って感じです。
今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、210頁・3行目~215頁・3行目
迄となりますが、前半部分は4/18に書きましたので(⇒こちらから)、今日
は後半部分(213頁・4行目~215頁・3行目)の全文訳を記しておきます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
花散里に住む人が心細そうにお思いになって、常に源氏の君にお便りを
なさるのも無理のないことで、あの三の君(この人が花散里という呼称が
ついている女君)も今一度逢わなければ薄情だと思うのでは、と源氏の
君はお考えになって、その夜はまた花散里にお出かけになるのですが、
ひどくおっくうで、たいそう夜が更けるのを待ってお出でになったので、
麗景殿の女御は、「このように人並みにお扱い戴き、お立ち寄り下さい
ましたこと」と、御礼を申し上げなさる様子は、事細かに書き続けるのも
煩わしいことです。
女御は、この上なく心細いご様子で、ただこの源氏の君のご庇護に
よって過ごして来られた年月なので、いっそうこのお邸も荒れて行くで
あろうことが思い遣られなさって、現に今でも邸内はとてもひっそりと
しておりました。有明の月が朧に差し上って、池が広く、築山の木深い
茂みの辺りが、心細そうに見えるにつけても、遠く都を離れて住む須磨
の侘び住まいが思い遣られなさるのでした。
西面にお住いの三の君は、源氏の君がこうまでしてお出で下さることは
あるまい、と悲観しておられたところに、ひとしお心に沁みる月の光が、
優美にしめやかに射し込む中を、お動きにつれて匂うお召し物の香りが、
比類なく素晴らしく、こっそりと源氏の君がお部屋にお入りになったので、
三の君は少しにじり出て来て、そのままお二人で月をご覧になっており
ました。
またここでお話をなさっているうちに、明け方近くなりました。源氏の君は
「短い夜であることよ。この程度の対面も、もう二度と叶わないのではないか、
と思うと、ご無沙汰続きで過ごして来た長の年月も残念で、過去にも未来
にも滅多にない例として引かれそうな身の上だから、何となくゆったりとした
気分になることなく過ごしてきたのですね」と、過ぎ去った昔のことなども
おっしゃって、鶏もしばしば鳴くので、人目を憚って、急ぎお帰りになります。
いつものように、源氏の君のお帰りが、月が沈む姿に思い合わせられて、
胸に迫るのでした。月光が三の君の濃い紫のお召し物に映って、本当に
涙に濡れているような風情なので、三の君は
「月かげのやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬ光を」(月光の
映る私の袖は狭い小さなものですが、引き留めてみたいものです。その
見飽きることのない光を)
と歌を詠んで、とても悲しいと思っておられるのがおいたわしいので、辛い
ご自分の気持ちはさておき、源氏の君は三の君を慰め申し上げなさるの
でした。
「ゆきめぐりつひにすむべき月かげのしばし曇らむ空なながめそ(大空を
ゆき巡って、最終的には澄む月の光がしばらくの間曇るだけですから、
空を眺めて物思いに耽ったりなさいますな)
そうは言っても、思えば頼りないことですね。ただ将来がどうなるかわから
ないのを悲しむ涙が、心を暗くすることです」
などとおっしゃって、まだ夜が明け切らないうちにお帰りになりました。
4月も余すところ僅かとなり、明日からはGWに入ります。今年もコロナ禍
から解放されないまま、もう1年の1/3が終わってしまうの?って感じです。
今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、210頁・3行目~215頁・3行目
迄となりますが、前半部分は4/18に書きましたので(⇒こちらから)、今日
は後半部分(213頁・4行目~215頁・3行目)の全文訳を記しておきます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
花散里に住む人が心細そうにお思いになって、常に源氏の君にお便りを
なさるのも無理のないことで、あの三の君(この人が花散里という呼称が
ついている女君)も今一度逢わなければ薄情だと思うのでは、と源氏の
君はお考えになって、その夜はまた花散里にお出かけになるのですが、
ひどくおっくうで、たいそう夜が更けるのを待ってお出でになったので、
麗景殿の女御は、「このように人並みにお扱い戴き、お立ち寄り下さい
ましたこと」と、御礼を申し上げなさる様子は、事細かに書き続けるのも
煩わしいことです。
女御は、この上なく心細いご様子で、ただこの源氏の君のご庇護に
よって過ごして来られた年月なので、いっそうこのお邸も荒れて行くで
あろうことが思い遣られなさって、現に今でも邸内はとてもひっそりと
しておりました。有明の月が朧に差し上って、池が広く、築山の木深い
茂みの辺りが、心細そうに見えるにつけても、遠く都を離れて住む須磨
の侘び住まいが思い遣られなさるのでした。
西面にお住いの三の君は、源氏の君がこうまでしてお出で下さることは
あるまい、と悲観しておられたところに、ひとしお心に沁みる月の光が、
優美にしめやかに射し込む中を、お動きにつれて匂うお召し物の香りが、
比類なく素晴らしく、こっそりと源氏の君がお部屋にお入りになったので、
三の君は少しにじり出て来て、そのままお二人で月をご覧になっており
ました。
またここでお話をなさっているうちに、明け方近くなりました。源氏の君は
「短い夜であることよ。この程度の対面も、もう二度と叶わないのではないか、
と思うと、ご無沙汰続きで過ごして来た長の年月も残念で、過去にも未来
にも滅多にない例として引かれそうな身の上だから、何となくゆったりとした
気分になることなく過ごしてきたのですね」と、過ぎ去った昔のことなども
おっしゃって、鶏もしばしば鳴くので、人目を憚って、急ぎお帰りになります。
いつものように、源氏の君のお帰りが、月が沈む姿に思い合わせられて、
胸に迫るのでした。月光が三の君の濃い紫のお召し物に映って、本当に
涙に濡れているような風情なので、三の君は
「月かげのやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬ光を」(月光の
映る私の袖は狭い小さなものですが、引き留めてみたいものです。その
見飽きることのない光を)
と歌を詠んで、とても悲しいと思っておられるのがおいたわしいので、辛い
ご自分の気持ちはさておき、源氏の君は三の君を慰め申し上げなさるの
でした。
「ゆきめぐりつひにすむべき月かげのしばし曇らむ空なながめそ(大空を
ゆき巡って、最終的には澄む月の光がしばらくの間曇るだけですから、
空を眺めて物思いに耽ったりなさいますな)
そうは言っても、思えば頼りないことですね。ただ将来がどうなるかわから
ないのを悲しむ涙が、心を暗くすることです」
などとおっしゃって、まだ夜が明け切らないうちにお帰りになりました。
第47帖「総角」を読み終えて
2022年4月25日(月) 溝の口「CD源氏の会」(第14回・通算154回)
昨年の10月から始めたCD録音による『源氏物語』講座、当初は年内の
3ヶ月の予定でしたが、年明けにコロナの感染は急拡大し、3月までは
この形で続けて、4月から会場での講座を再開、ということになりました。
2月をピークに感染者数も減り始めたものの、減少の仕方は緩やかで、
やはり4月もう1ヶ月だけCDで様子を見てから、となり、ここまで来ました
が、幹事さんがあれこれと苦慮なさった末、6月迄CDを延長して、先行
するオンラインクラスにも殆ど差のない所まで追いつき、コロナに対する
安心感も一段とアップしたところでの会場再開が望ましい、との結論を
出され、更に4回、録音CDでの講読が続くことになりました。
トータルにすると18回となりますが、14回目の今日で第47帖「総角」を
読み終えることができました。
「総角」は、第49帖「宿木」、第51帖「浮舟」と並んで、「宇治十帖」では
ボリュームのある巻ですが、この三帖には、それぞれ、大君、中の君、
浮舟、という三人のヒロインと、「宇治十帖」の主人公である薫との恋の
行方が中心となって語られています。その最初の「総角」では、結局、
薫の求愛を受け入れることのなかった大君の死をもって、この恋は
幕を下ろします。ヒロイン大君の、頑ななまでの崇高な姿が印象的で
あり、薫の中にもそうした大君が死してなお生き続けることになります。
大君の死後も宇治に籠り続け、悲しみにやつれた薫の姿は、匂宮の
目に「女ならばかならず心移りなむ」(女だったら必ず心惹かれずには
いられないだろう)と映り、それが中の君をいち早く京へ迎えとらねば、
という匂宮の気持ちを掻き立てる要因ともなったのでした。
この「宮のおぼし寄るめりし筋」(薫と中の君が惹かれ合ってしまうの
ではないか、と疑う気持ち)は、「総角」の最後では、薫自身によって
否定されていますが、わざわざそう書かれていることにも、どこか
引っかかるものが感じられます。次巻への好奇心が掻き立てられる
各巻の終わり方には、この先ますます磨きがかかり、「続きが早く
読みたい」と読者に思わせること請け合いですので、期待をして読み
進めていただきたいと思います。
昨年の10月から始めたCD録音による『源氏物語』講座、当初は年内の
3ヶ月の予定でしたが、年明けにコロナの感染は急拡大し、3月までは
この形で続けて、4月から会場での講座を再開、ということになりました。
2月をピークに感染者数も減り始めたものの、減少の仕方は緩やかで、
やはり4月もう1ヶ月だけCDで様子を見てから、となり、ここまで来ました
が、幹事さんがあれこれと苦慮なさった末、6月迄CDを延長して、先行
するオンラインクラスにも殆ど差のない所まで追いつき、コロナに対する
安心感も一段とアップしたところでの会場再開が望ましい、との結論を
出され、更に4回、録音CDでの講読が続くことになりました。
トータルにすると18回となりますが、14回目の今日で第47帖「総角」を
読み終えることができました。
「総角」は、第49帖「宿木」、第51帖「浮舟」と並んで、「宇治十帖」では
ボリュームのある巻ですが、この三帖には、それぞれ、大君、中の君、
浮舟、という三人のヒロインと、「宇治十帖」の主人公である薫との恋の
行方が中心となって語られています。その最初の「総角」では、結局、
薫の求愛を受け入れることのなかった大君の死をもって、この恋は
幕を下ろします。ヒロイン大君の、頑ななまでの崇高な姿が印象的で
あり、薫の中にもそうした大君が死してなお生き続けることになります。
大君の死後も宇治に籠り続け、悲しみにやつれた薫の姿は、匂宮の
目に「女ならばかならず心移りなむ」(女だったら必ず心惹かれずには
いられないだろう)と映り、それが中の君をいち早く京へ迎えとらねば、
という匂宮の気持ちを掻き立てる要因ともなったのでした。
この「宮のおぼし寄るめりし筋」(薫と中の君が惹かれ合ってしまうの
ではないか、と疑う気持ち)は、「総角」の最後では、薫自身によって
否定されていますが、わざわざそう書かれていることにも、どこか
引っかかるものが感じられます。次巻への好奇心が掻き立てられる
各巻の終わり方には、この先ますます磨きがかかり、「続きが早く
読みたい」と読者に思わせること請け合いですので、期待をして読み
進めていただきたいと思います。
いさきのバルサミコソース掛け
2022年4月22日(金)
昨夜の土砂降りの雨も朝にはすっかり上がって、気持ちの良い
初夏の陽気の一日となりました。でもこの好天、明日の昼間迄の
ようです。一昨日が二十四節気の「穀雨」。これも作物にとっては
恵みの雨なのでしょうね。
白内障の手術から1ヶ月が経ち、今日検査を受けて来ました。
異常なし、で、生活制限は全て解除となりました。ゴーグルを
付けたままの最初の1週間は長く感じましたが、その後はあっと
いう間でした。
先日、訪問先のブログで、わざわざバルサミコ酢をお買い求め
になって、筍料理をなさったという記事を拝見しました。その時、
「この時季は筍料理が外せない我が家ですが、バルサミコ酢で
食べたことはありません。一度やってみたいですね。バルサミコ酢
は魚料理で使うため、常備していますので」、とコメントしたところ、
「バルサミコ酢の魚料理、是非教えて頂けたらと思います」との
返信を戴きました。何しろお調子者ですから、すぐその気になって、
今夜、「いさきのバルサミコソース掛け」を作りました。

3枚におろしたいさきに薄く小麦粉をつけ、オリーブオイルで
焼き、お皿に取り出して残りの油を拭き取り、バルサミコ酢と
味醂と醤油を2:1:1の割合で入れ、半分量になる位迄煮詰め、
上から掛けます(いさきをお皿に移す時、半分に折れてしまい、
みっともない写真でスミマセン💦)。
今日は筍も一緒に焼いて、こちらにもバルサミコソースの残りを
掛けました。筍とバルサミコ酢。ご紹介されていた通りよく合います。
筍の季節に、これも一度は作りたい料理の仲間りをしました。
昨夜の土砂降りの雨も朝にはすっかり上がって、気持ちの良い
初夏の陽気の一日となりました。でもこの好天、明日の昼間迄の
ようです。一昨日が二十四節気の「穀雨」。これも作物にとっては
恵みの雨なのでしょうね。
白内障の手術から1ヶ月が経ち、今日検査を受けて来ました。
異常なし、で、生活制限は全て解除となりました。ゴーグルを
付けたままの最初の1週間は長く感じましたが、その後はあっと
いう間でした。
先日、訪問先のブログで、わざわざバルサミコ酢をお買い求め
になって、筍料理をなさったという記事を拝見しました。その時、
「この時季は筍料理が外せない我が家ですが、バルサミコ酢で
食べたことはありません。一度やってみたいですね。バルサミコ酢
は魚料理で使うため、常備していますので」、とコメントしたところ、
「バルサミコ酢の魚料理、是非教えて頂けたらと思います」との
返信を戴きました。何しろお調子者ですから、すぐその気になって、
今夜、「いさきのバルサミコソース掛け」を作りました。

3枚におろしたいさきに薄く小麦粉をつけ、オリーブオイルで
焼き、お皿に取り出して残りの油を拭き取り、バルサミコ酢と
味醂と醤油を2:1:1の割合で入れ、半分量になる位迄煮詰め、
上から掛けます(いさきをお皿に移す時、半分に折れてしまい、
みっともない写真でスミマセン💦)。
今日は筍も一緒に焼いて、こちらにもバルサミコソースの残りを
掛けました。筍とバルサミコ酢。ご紹介されていた通りよく合います。
筍の季節に、これも一度は作りたい料理の仲間りをしました。
対照的な女房たち
2022年4月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第229回)
昨秋は一旦新型コロナの感染者数が激減して、この湘南台クラスも
10月、11月、12月と続けて会場での講読会が出来たので、その時点
では、年明けもずっと開催可能な気になっていました。ところが1月に
入ると、感染者数が急増。結局1月、2月、3月と見送って、本日、4ヶ月
ぶりの再開となりました。
第50帖「東屋」を読み始めたのは、2020年の1月でした。恒例の新年会
ランチを楽しんだ後での例会でした。2020年中に余裕で読み終えられる
はずの「東屋」が、休講に次ぐ休講を余儀なくされ、やっと最終回に辿り
着きました。
浮舟が隠れ住んでいる三条の小家を訪れた薫は、そこで一夜を過ごし、
そのまま浮舟を牛車に乗せて宇治へと連れ出します。同乗しているの
は、薫に仲介を頼まれてわざわざ宇治からやって来た弁の尼と、浮舟
の若い女房の侍従です。
弁の尼と侍従は対照的に描かれています。
弁は八の宮家に仕えていた老女房ですが、母親は柏木の乳母だった
ので、弁も京の上流社会のたしなみや教養を身につけています。
一方の侍従は、浮舟同様、東国の田舎育ちで、無知な若い女房です。
弁は、大君が薫と結婚をして幸せになって欲しいと願い続けていました。
ですから、ここで薫と一緒に牛車に乗っているのが浮舟ではなく、大君
だったらどんなに良かったであろうと、無念の涙を流すのです。
侍従は、薫と大君のことなど全く知らないので、浮舟にとっては門出とも
いえる牛車に、尼姿の者が同乗しているだけでも縁起でもない、と思って
います。その上、涙迄流す弁に対して、年寄りは涙もろくて嫌だわ、と
軽蔑の目を向けているのでした。
宇治へ着くと、弁は浮舟が寝殿で降りた後、自分は渡殿(建物を繋ぐ廊下)
に牛車を寄せて降ります。薫にも、浮舟にそこまで遠慮しなくてもいいのに、
と思わせるたしなみ深さです。
おやつにも季節の風情を感じさせる気配りが施され、その敷紙には古風
ながらも歌が書きつけてありました。
片や侍従は、薫の姿にうっとりと見惚れるばかりで、薫が迂闊にも口に
した朗詠が、不吉だと反応することもありません。そもそも朗詠の意味を
解するような教養を持ち合わせていないのですから、当然です。
この二人の女房は、そのまま仕える女君(大君と浮舟)の姿を象徴して
いるようでもあります。身分も、教養も、意志の強さも、大君には遥かに
及ばない浮舟が、宇治で薫を待つ身となって、この先どうなってゆくのか、
「早蕨」以降、京に移っていた物語の舞台が再び宇治に戻って、いよいよ
「宇治十帖」の佳境を迎えます。
昨秋は一旦新型コロナの感染者数が激減して、この湘南台クラスも
10月、11月、12月と続けて会場での講読会が出来たので、その時点
では、年明けもずっと開催可能な気になっていました。ところが1月に
入ると、感染者数が急増。結局1月、2月、3月と見送って、本日、4ヶ月
ぶりの再開となりました。
第50帖「東屋」を読み始めたのは、2020年の1月でした。恒例の新年会
ランチを楽しんだ後での例会でした。2020年中に余裕で読み終えられる
はずの「東屋」が、休講に次ぐ休講を余儀なくされ、やっと最終回に辿り
着きました。
浮舟が隠れ住んでいる三条の小家を訪れた薫は、そこで一夜を過ごし、
そのまま浮舟を牛車に乗せて宇治へと連れ出します。同乗しているの
は、薫に仲介を頼まれてわざわざ宇治からやって来た弁の尼と、浮舟
の若い女房の侍従です。
弁の尼と侍従は対照的に描かれています。
弁は八の宮家に仕えていた老女房ですが、母親は柏木の乳母だった
ので、弁も京の上流社会のたしなみや教養を身につけています。
一方の侍従は、浮舟同様、東国の田舎育ちで、無知な若い女房です。
弁は、大君が薫と結婚をして幸せになって欲しいと願い続けていました。
ですから、ここで薫と一緒に牛車に乗っているのが浮舟ではなく、大君
だったらどんなに良かったであろうと、無念の涙を流すのです。
侍従は、薫と大君のことなど全く知らないので、浮舟にとっては門出とも
いえる牛車に、尼姿の者が同乗しているだけでも縁起でもない、と思って
います。その上、涙迄流す弁に対して、年寄りは涙もろくて嫌だわ、と
軽蔑の目を向けているのでした。
宇治へ着くと、弁は浮舟が寝殿で降りた後、自分は渡殿(建物を繋ぐ廊下)
に牛車を寄せて降ります。薫にも、浮舟にそこまで遠慮しなくてもいいのに、
と思わせるたしなみ深さです。
おやつにも季節の風情を感じさせる気配りが施され、その敷紙には古風
ながらも歌が書きつけてありました。
片や侍従は、薫の姿にうっとりと見惚れるばかりで、薫が迂闊にも口に
した朗詠が、不吉だと反応することもありません。そもそも朗詠の意味を
解するような教養を持ち合わせていないのですから、当然です。
この二人の女房は、そのまま仕える女君(大君と浮舟)の姿を象徴して
いるようでもあります。身分も、教養も、意志の強さも、大君には遥かに
及ばない浮舟が、宇治で薫を待つ身となって、この先どうなってゆくのか、
「早蕨」以降、京に移っていた物語の舞台が再び宇治に戻って、いよいよ
「宇治十帖」の佳境を迎えます。
堂々と訪ねることができたのは?
2022年4月18日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第21回・通算68回・№2)
須磨下向の2、3日前に、致仕大臣(もとの左大臣)邸へと別れの
挨拶に出掛け、1泊したのち二条院へと帰宅した源氏は、誰よりも
源氏との別れを悲しく思っている紫の上の姿を目の当たりにして、
彼女を一人京に残して行くことに心が痛みます。
日が高くなるまで紫の上と寝ていた源氏の許に、珍しく来訪者が
ありました。官位も剥奪されている罪人の源氏の許を訪れることは、
右大臣一派の知るところとなると、下手をすれば源氏と通じでいる
反逆者、と見なされかねないし、そこ迄いかなくても、時の権力者
の反感を買う行為はしないのが無難、と考えるのが普通です。
現に紫の上の父である兵部卿の宮は、紫の上と絶縁状態になって
います。
白昼堂々と二条院へとやってきたのは、、帥の宮(源氏の異母弟・
後に蛍兵部卿の宮と呼ばれる)と三位中将(元の頭中将)です。
この二人は源氏の盟友ですから、源氏との別れを惜しむ気持ちも
人一倍だったに違いはないのですが、それでも右大臣や弘徽殿の
大后に歯向かう行動には勇気が必要だったと思います。それを
可能にした二人には共通点がありました。
共に右大臣家の婿なのです。右大臣の長女は弘徽殿の大后、
六女が朧月夜です。そして三女が帥の宮の北の方、四女が
三位中将の北の方。つまり正妻ということです。ですから二人には、
たとえこれが右大臣や弘徽殿の大后の耳に入ったとしても、罪に
問われることまではあるまい、という気持ちが働いていた、と考え
られます。
この場面も含め、本日の講読箇所の前半部分の詳細は、全文訳
にてご確認頂ければ、と存じます(⇒こちらから)。
須磨下向の2、3日前に、致仕大臣(もとの左大臣)邸へと別れの
挨拶に出掛け、1泊したのち二条院へと帰宅した源氏は、誰よりも
源氏との別れを悲しく思っている紫の上の姿を目の当たりにして、
彼女を一人京に残して行くことに心が痛みます。
日が高くなるまで紫の上と寝ていた源氏の許に、珍しく来訪者が
ありました。官位も剥奪されている罪人の源氏の許を訪れることは、
右大臣一派の知るところとなると、下手をすれば源氏と通じでいる
反逆者、と見なされかねないし、そこ迄いかなくても、時の権力者
の反感を買う行為はしないのが無難、と考えるのが普通です。
現に紫の上の父である兵部卿の宮は、紫の上と絶縁状態になって
います。
白昼堂々と二条院へとやってきたのは、、帥の宮(源氏の異母弟・
後に蛍兵部卿の宮と呼ばれる)と三位中将(元の頭中将)です。
この二人は源氏の盟友ですから、源氏との別れを惜しむ気持ちも
人一倍だったに違いはないのですが、それでも右大臣や弘徽殿の
大后に歯向かう行動には勇気が必要だったと思います。それを
可能にした二人には共通点がありました。
共に右大臣家の婿なのです。右大臣の長女は弘徽殿の大后、
六女が朧月夜です。そして三女が帥の宮の北の方、四女が
三位中将の北の方。つまり正妻ということです。ですから二人には、
たとえこれが右大臣や弘徽殿の大后の耳に入ったとしても、罪に
問われることまではあるまい、という気持ちが働いていた、と考え
られます。
この場面も含め、本日の講読箇所の前半部分の詳細は、全文訳
にてご確認頂ければ、と存じます(⇒こちらから)。
第12帖「須磨」の全文訳(5)
2022年4月18日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第21回・通算68回・№1)
桜の花もすっかり散って、青葉が梢を覆うようになりました。季節の移ろいを
感じます。
今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、210頁・3行目~215頁・3行目迄
で、今日はその前半部分(210頁・3行目~213頁・3行目)の全文訳を記して
おきます。後半部分は、第4木曜日(4/28)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
西の対にお渡りになると、紫の上は御格子も下さずに、ぼんやりと物思いに
耽って夜を明かされたので、簀子などに若い女童たちが、所々に横になって
いて、今ちょうど起き出して騒いでいるところでした。女童たちの宿直姿が
可愛らしい様子なのをご覧になるにつけても、源氏の君は年月が経てば、
このような人々も、辛抱しきれないで散り散りになって行くのだろう、などと、
いつもなら気にもならないことまでも、御目に留まってしまうのでした。
「夕べはこのような事情で夜が更けてしまったので、致仕大臣邸に泊まりまし
た。いつものように心外な邪推をなさったのではありませんか。こうして都に
いる間だけでも、あなたと一緒にいたいと思いますが、このように都を離れる
際には、心にかかることが自然と多く出てまいりますので、家に引き籠って
ばかりはいられません。無常なこの世ですのに、人から冷たい人間だと
恨まれたままになってしまおうかと、忍びなくて」と、源氏の君が申し上げ
なさると、「このような目に遭うより他に、心外なことは何がございましょうか」
とだけおっしゃって、たいそう悲しいと思い詰めておられるご様子が格別なの
も無理のないことでありました。
父・兵部卿の宮は、そもそも、とても紫の上のことを疎略に扱っておられた
ので、今のご時世では、ましてや世間の噂を気にして、お便りを差し上げ
なさることもなく、お見舞いにさえお出でにならないのを、紫の上は、人が
どう思っているかと恥ずかしく、却って父君に知られないままでいたほうが
よかったのに、継母の北の方などが「突然訪れた幸運の気忙しいこと。ああ、
縁起でもない、大切に思ってくれる人が、皆それぞれに別れて行ってしまう
人ですこと」とおっしゃったのを、人づてにお耳になさるにつけても、紫の上
はとても情けないので、こちらからも決して父宮にお便りを差し上げなさる
ことはありませんでした。
紫の上は源氏の君より他に頼れる人もなく、本当にお気の毒なご様子なの
でした。「やはりいつまでも世間から許されることなく月日が経ってしまった
なら、たとえ山の中であってもあなたをお迎えいたしましょう。今現在は、
そんなことをしては、人が聞いても穏やかならず思うことでしょう。朝廷に
謹慎申し上げる者は、明るい月や日の光さえ見ないようにし、気安く思い
のままに行動することも、たいそう罪の重いことなのです。私に過ちはない
のだけれど、前世からの因縁でこうした目にも遭うのであろうと思うと、
ましてや愛する人を連れて行くのはこれまでにも例のないことなので、
叶いません。ただ一方的で、道理の通らない世の中なので、もっと酷い
目に遭うこともありましょう」などと、源氏の君は紫の上に教え申し上げ
なさいます。お二人は日が高くなるまで、おやすみになられました。
帥の宮、三位の中将などがお出でになりました。源氏の君は対面なさろう
として、直衣などをお召しになります。「無位無官の者は」と言って、無紋
の直衣で、却ってとても親しみを感じさせるものを召されて地味にして
おられるのが、たいそう素晴らしいのでした。鬢をなでつけようとなさって、
鏡台にお向かいになると、おやつれになった姿が、我ながらとても上品で
美しいので、「すっかりやつれてしまったな。私はこの鏡に映る姿のように
痩せているのですか」とおっしゃると、紫の上は、涙を目いっぱいに浮かべ
てこちらをご覧になりました。その御様子がひどく堪え難いものでありました。
「身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ」(我が身は
こうしてさすらうことになったとしても、あなたの傍で鏡に映った私の影は
決して離れていくことはないでしょう)
と申し上げなさると、
「別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし」(たとえお別れ
しても、もし本当に鏡に映る影だけでも留まるものなら、せめて鏡を見ても、
なぐさめられましょうに)
柱の陰に隠れ座って、涙を見せまいとなさっている紫の上の様子は、やはり
大勢知っている女君の中にあって類なき人であることよ、と、思わずには
いられないご様子でいらっしゃいました。帥の宮は、しみじみとしてお話を
申し上げなさって、日が暮れる頃にお帰りになりました。
桜の花もすっかり散って、青葉が梢を覆うようになりました。季節の移ろいを
感じます。
今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、210頁・3行目~215頁・3行目迄
で、今日はその前半部分(210頁・3行目~213頁・3行目)の全文訳を記して
おきます。後半部分は、第4木曜日(4/28)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
西の対にお渡りになると、紫の上は御格子も下さずに、ぼんやりと物思いに
耽って夜を明かされたので、簀子などに若い女童たちが、所々に横になって
いて、今ちょうど起き出して騒いでいるところでした。女童たちの宿直姿が
可愛らしい様子なのをご覧になるにつけても、源氏の君は年月が経てば、
このような人々も、辛抱しきれないで散り散りになって行くのだろう、などと、
いつもなら気にもならないことまでも、御目に留まってしまうのでした。
「夕べはこのような事情で夜が更けてしまったので、致仕大臣邸に泊まりまし
た。いつものように心外な邪推をなさったのではありませんか。こうして都に
いる間だけでも、あなたと一緒にいたいと思いますが、このように都を離れる
際には、心にかかることが自然と多く出てまいりますので、家に引き籠って
ばかりはいられません。無常なこの世ですのに、人から冷たい人間だと
恨まれたままになってしまおうかと、忍びなくて」と、源氏の君が申し上げ
なさると、「このような目に遭うより他に、心外なことは何がございましょうか」
とだけおっしゃって、たいそう悲しいと思い詰めておられるご様子が格別なの
も無理のないことでありました。
父・兵部卿の宮は、そもそも、とても紫の上のことを疎略に扱っておられた
ので、今のご時世では、ましてや世間の噂を気にして、お便りを差し上げ
なさることもなく、お見舞いにさえお出でにならないのを、紫の上は、人が
どう思っているかと恥ずかしく、却って父君に知られないままでいたほうが
よかったのに、継母の北の方などが「突然訪れた幸運の気忙しいこと。ああ、
縁起でもない、大切に思ってくれる人が、皆それぞれに別れて行ってしまう
人ですこと」とおっしゃったのを、人づてにお耳になさるにつけても、紫の上
はとても情けないので、こちらからも決して父宮にお便りを差し上げなさる
ことはありませんでした。
紫の上は源氏の君より他に頼れる人もなく、本当にお気の毒なご様子なの
でした。「やはりいつまでも世間から許されることなく月日が経ってしまった
なら、たとえ山の中であってもあなたをお迎えいたしましょう。今現在は、
そんなことをしては、人が聞いても穏やかならず思うことでしょう。朝廷に
謹慎申し上げる者は、明るい月や日の光さえ見ないようにし、気安く思い
のままに行動することも、たいそう罪の重いことなのです。私に過ちはない
のだけれど、前世からの因縁でこうした目にも遭うのであろうと思うと、
ましてや愛する人を連れて行くのはこれまでにも例のないことなので、
叶いません。ただ一方的で、道理の通らない世の中なので、もっと酷い
目に遭うこともありましょう」などと、源氏の君は紫の上に教え申し上げ
なさいます。お二人は日が高くなるまで、おやすみになられました。
帥の宮、三位の中将などがお出でになりました。源氏の君は対面なさろう
として、直衣などをお召しになります。「無位無官の者は」と言って、無紋
の直衣で、却ってとても親しみを感じさせるものを召されて地味にして
おられるのが、たいそう素晴らしいのでした。鬢をなでつけようとなさって、
鏡台にお向かいになると、おやつれになった姿が、我ながらとても上品で
美しいので、「すっかりやつれてしまったな。私はこの鏡に映る姿のように
痩せているのですか」とおっしゃると、紫の上は、涙を目いっぱいに浮かべ
てこちらをご覧になりました。その御様子がひどく堪え難いものでありました。
「身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ」(我が身は
こうしてさすらうことになったとしても、あなたの傍で鏡に映った私の影は
決して離れていくことはないでしょう)
と申し上げなさると、
「別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし」(たとえお別れ
しても、もし本当に鏡に映る影だけでも留まるものなら、せめて鏡を見ても、
なぐさめられましょうに)
柱の陰に隠れ座って、涙を見せまいとなさっている紫の上の様子は、やはり
大勢知っている女君の中にあって類なき人であることよ、と、思わずには
いられないご様子でいらっしゃいました。帥の宮は、しみじみとしてお話を
申し上げなさって、日が暮れる頃にお帰りになりました。
ピンクムーン2022
2022年4月16日(土)
4月の満月を「ピンクムーン」と言うのだと知ったのは去年のこと。
2021年のピンクムーンは4月26日でした。今年は10日早まって
います。ぴったり満月になるのは明日の午前4時頃のようですが、
超が付く程夜型の私でも、さすがに4時には寝ていますので、
今夜8時過ぎにベランダに出てピンクムーンと対面しました。4月
にはピンクの花が咲くことから名づけられたそうですが(お月様
の色がピンクになるわけではありません)、夜空に明るく浮かぶ
ピンクムーンに、しばし見惚れておりました。

実際にはウサギがお餅を搗いているのも
くっきりと見えるほどだったんですけどネ
いつもながら私の写真では・・・(;´д`)
今日もまた、時間的には前後するのですが、直ぐ近くのスーパー
の脇道のハナミズキがまさに満開。訪問先のブログのコメントにも
書かせていただきましたが、ハナミズキって、己をわきまえた利口
な花だと思います。桜と競い合うことはせず、桜が散るのを待って
満開になるのですから。でもこのハナミズキなら、桜と競えるかも
しれません。

お花ってどうしてこんなに人の心を癒す力を
持っているのでしょうね。
4月の満月を「ピンクムーン」と言うのだと知ったのは去年のこと。
2021年のピンクムーンは4月26日でした。今年は10日早まって
います。ぴったり満月になるのは明日の午前4時頃のようですが、
超が付く程夜型の私でも、さすがに4時には寝ていますので、
今夜8時過ぎにベランダに出てピンクムーンと対面しました。4月
にはピンクの花が咲くことから名づけられたそうですが(お月様
の色がピンクになるわけではありません)、夜空に明るく浮かぶ
ピンクムーンに、しばし見惚れておりました。

実際にはウサギがお餅を搗いているのも
くっきりと見えるほどだったんですけどネ
いつもながら私の写真では・・・(;´д`)
今日もまた、時間的には前後するのですが、直ぐ近くのスーパー
の脇道のハナミズキがまさに満開。訪問先のブログのコメントにも
書かせていただきましたが、ハナミズキって、己をわきまえた利口
な花だと思います。桜と競い合うことはせず、桜が散るのを待って
満開になるのですから。でもこのハナミズキなら、桜と競えるかも
しれません。

お花ってどうしてこんなに人の心を癒す力を
持っているのでしょうね。
筍の季節の到来
2022年4月13日(水)
このところの夏を先取りしたような暑さも、今日までのようで、
明日は最高気温がまた一気に10度以上も下がるとのこと、
まだコートを仕舞うことができませんね。
数日前に訪問先のブログで、美味しそうな筍料理を見て、
今年も筍の季節がやって来たんだなぁ、と思い、日曜日に
買ってきました。その日のうちに茹でて水に晒したのですが、
月曜日は溝の口へと出かけたので、夕食は「おはなはんの
お好み焼き」(丸井の地下で売っているので、行った時には
よく買います。そのうちにブログでも紹介したいと思います)
で済ませました。昨日は筍寿司と若竹汁にしたのですが、
写真を撮り忘れてUP出来ず。今日は残りの筍を「土佐煮」
にしたので、UPしておきます。今週中に2本目の筍を、と
思っています。

さて主食はどうしよう、と考えて、二日続けてお寿司になるけど、
全然味も違うものだし、得意の「まぁ、いっか」で、冷凍庫の中
から「焼鯖寿司」を取り出して、レンジでチン!手抜きです(笑)。
これも訪問先の複数のブログで、「美味しい」と書かれている
記事に惹かれて、通販で買ったものです。

時間的に話は前後しますが、夕方になる前、気になっていた
枝垂れ桜の様子を見に行って来ました。3月の終わりには
まだ三分咲き程度で、満開の頃を見計らって、と思っていたの
ですが、先週来忙しくて、足を運ぶことが出来ずにいました。
多分もう散っているだろうなぁ、と思いましたが、ご覧通り、
既に半分位が萌黄色の若葉となっていて、花盛りを見逃して
しまいました。残念!私は兼好法師のような「花は盛りに、
月は隈なきをのみ見るものかは」(桜の花は盛りだけを、
月は曇りのないのだけを見るものであろうか、いや、そう
ではない)の心境にはなれないんですよね。「花は盛りに、
月は隈なきを」がいいのです。

このところの夏を先取りしたような暑さも、今日までのようで、
明日は最高気温がまた一気に10度以上も下がるとのこと、
まだコートを仕舞うことができませんね。
数日前に訪問先のブログで、美味しそうな筍料理を見て、
今年も筍の季節がやって来たんだなぁ、と思い、日曜日に
買ってきました。その日のうちに茹でて水に晒したのですが、
月曜日は溝の口へと出かけたので、夕食は「おはなはんの
お好み焼き」(丸井の地下で売っているので、行った時には
よく買います。そのうちにブログでも紹介したいと思います)
で済ませました。昨日は筍寿司と若竹汁にしたのですが、
写真を撮り忘れてUP出来ず。今日は残りの筍を「土佐煮」
にしたので、UPしておきます。今週中に2本目の筍を、と
思っています。

さて主食はどうしよう、と考えて、二日続けてお寿司になるけど、
全然味も違うものだし、得意の「まぁ、いっか」で、冷凍庫の中
から「焼鯖寿司」を取り出して、レンジでチン!手抜きです(笑)。
これも訪問先の複数のブログで、「美味しい」と書かれている
記事に惹かれて、通販で買ったものです。

時間的に話は前後しますが、夕方になる前、気になっていた
枝垂れ桜の様子を見に行って来ました。3月の終わりには
まだ三分咲き程度で、満開の頃を見計らって、と思っていたの
ですが、先週来忙しくて、足を運ぶことが出来ずにいました。
多分もう散っているだろうなぁ、と思いましたが、ご覧通り、
既に半分位が萌黄色の若葉となっていて、花盛りを見逃して
しまいました。残念!私は兼好法師のような「花は盛りに、
月は隈なきをのみ見るものかは」(桜の花は盛りだけを、
月は曇りのないのだけを見るものであろうか、いや、そう
ではない)の心境にはなれないんですよね。「花は盛りに、
月は隈なきを」がいいのです。

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